20 Years After -TMN通史-

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<<   作成日時 : 2006/12/12 21:35   >>

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このブログでは、
アフィリエイトでTMのCDなどにリンクを貼っていますが、
驚いたことに、
「Twinkle Night」「Rhythm Red」「EXPO」が絶版のようです
(アフィリエイトでamazonで売っているのは中古です)
「Best Tracks」とかどうでもいいベスト版は売ってるのに…
20周年記念ボックスが出たから、
単品のオリジナル版は不要ということでしょうか
せめてオリジナルアルバムくらいは、
常時用意してほしいものです


ちなみに9/29、
SPEEDWAYの「The Esther」「Base Area」が再発されたようです
なんで今再発したのかはよく分かりませんが…
さて、本編に入ります


-----------------------------------------
TM初のツアー「Dragon The Festival Tour featuring TM NETWORK」は、
1985/9/27からスタートし、10/31まで行なわれた
日程は「Childhood's End」リリース時の6月には決定しており、
早くも6月末にはチケットの販売が始まっている
さらにその後、FM山口開局記念のライブをTMが引き受けることになり、
11/27に山口市民会館で同じセットリストで公演された(開局は12/1)
山口公演は記念ライブと言うことで、入場は無料だった
これを含めると全8公演となる


演奏されたのは17曲、時間は1時間半超である
「Rainbow Rainbow」から5曲、
「Childhood’s End」から9曲の他、
前年の「Electric Prophet」で演奏された「Quatro」「Electric Prophet」に加え、
新曲「Vampire Hunter “D”」も演奏された


「Childhood's End」から漏れた曲は「さよならの準備」「Innocent Boy」だが、
これは小室があまりやりたがらなかったらしい
この2曲は現在までTM3人で演奏された例がない
特に「さよならの準備」は、ウツが1986年以後もたびたび演奏を提案したが、
毎回歌詞が問題とされ却下され続けたと言う


11/1発売の「Your Song」も演奏されなかった
曲の製作がリハーサルに間に合わなかったのかもしれないが、
そもそもサンプラーを多用した同曲は、
この頃の機材では生演奏が困難だったのかもしれない
このライブの雰囲気に合う曲で、
なおかつ今後のライブでもほとんど演奏されなかっただけに残念である
この曲や「Twinkle Night」などツアー終了直後に発表された曲は、
次の「Fanks Dyna-Mix」でも演奏されず、以後のライブでは不遇な扱いとなる


ステージの費用は3000万円かかったという
これは当時の新人としては破格であり、
金をかけたステージとしてかなり宣伝された
特に金をかけたのは照明器具で、
大量のライトを円形につなげて会場の上に吊らし、
曲によって稼動させるという仕掛けを使っていた


これはムービングトラスという3tに及ぶ装置で、
当時日本に1台しかなかった
これを動かす装置も、日本に4台しかなく、
この時全部貸し切った
日本のライブで使用されたのはこれが初めてだったという


ただしムービングトラスの下はものすごく暑く、
ウツは大変だったらしい
見栄えがするという理由で使ってみたが、
ステージに与える影響などは考慮していなかったのだろう
この熱量のために、ステージ上のシンセに異常が起こったこともあった


機材として特にアピールポイントとなったのは、
サンプラーEmulatorUの導入である
これは当時レコーディングで使っていたものだが、
ライブでも導入され、冒頭の「Dragon The Festival」で使用された


メンバーの服装は、ウツは前半は赤、後半は紺のスーツ姿である
木根は前半はキャプテンクック、
後半はアラビアのロレンスの服装で、
色物っぽさを遺憾なく表現している
他にアーミールックの衣装もあったらしい
初日だけ使った(不評で以後やめた)衣装もあったというが、
おそらくこのアーミールックのことだろう


小室はフリル柄の王子様ルックである
正直言って、この小室はかなり恥ずかしい
しかし似合っていないというわけではない
むしろもともとのルックスとあいまって、
不思議なほど似合っている


「Dragon The Festival Tour」は、
他のライブと比べて演奏の様子を知る材料となる商品が少ない
かつて商品化されたものでは、
「Decade」「アクシデント」の1番サビ部分の映像が入り、
「Groove Gear 1」「パノラマジック」の音源が収録され、
「TM VISION W」「Faire La Vise」PVで、
ツアーのダイジェスト映像(音無し)が見られるくらいだった


最近になって「The Singles 1」の特典ディスクに、
「Dragon The Festival」「カリビアーナ・ハイ」「Rainbow Rainbow」
の音源が収録され、
「TM NETWORK THE MOVIE」に、
「Dragon The Festival」の1番サビ前までと「Electric Prophet」2番が収録されたが、
いまだかなり断片的な公開状況であることは分かるだろう
なお以上はすべて10/30日本青年館公演の映像・音源である


ただし「商品」に限らなければ、このライブはかなり材料が豊富である
まず1986年の初め頃に全国で放送された「TM NETWORK in THE VISION」で、
日本青年館公演から「Dragon The Festival」「Fantastic Vision」の一部、
「アクシデント」の大部分、「Electric Prophet」の全部を見ることが出来る


これに先立って1986/1/24テレビ東京「New Age Music」でも、
同じ素材を用いてライブ映像が放映されたが、
「Electric Prophet」だけでなく「アクシデント」も全部放映されており、
「Fantastic Vision」「TM NETWORK in THE VISION」とは別の箇所を放映している
一方で「Dragon The Festival」は番組エンディングに一瞬放送されるだけである


さらにテレビ山口の「TV Video Magazine」では、
1985/11/4に一時間半の特番を組み、
1985/11/27山口市民会館の公演から、
「Dragon The Festival」「カリビアーナ・ハイ」「Rainbow Rainbow」「Fantastic Vision」「Vampire Hunter “D”」「1974」「金曜日のライオン」「Quatro」「アクシデント」「Electric Prophet」
の10曲を放映した


同番組では10/17広島県民文化会館で演奏した曲の中からも、
「Dragon The Festival」「Vampire Hunter “D”」「1974」「Electric Prophet」
をダイジェストで放映している
この時は楽屋の様子なども放映していて、なかなか貴重である
特にこの時の松本孝弘などは、B’zファンには垂涎物だろう
ちなみに西村麻聡が、本名の「西村昌俊」で登場している


音源については、FM広島で2時間の特番が組まれ、
広島県民文化会館のライブが完全放送された
FM仙台では、2週に渡って日本青年館のライブの一部が放送されている
「Rainbow Rainbow」「8月の長い夜」「永遠のパスポート」「Vampire Hunter “D”」「Dragon The Festival」「1974」「金曜日のライオン」「アクシデント」


私は聞いたことがないが、1986/3/24にはFM愛媛でもライブ音源が放送されている
おそらくは日本青年館公演だろうか
「Fanks Dyna-Mix」のチケットはこの頃に発売されたので、
その販促のための放送だろう
またFM山口では開局日の1985/12/1にライブ音源が1時間半放映された
CMやコメントなども入るだろうが、ライブの大半は放送されただろう
他にも未確認のライブ放送があった可能性は高い


特にFM広島のものは貴重で、
これを持っていれば音については全貌を知ることができる
全貌を現在知ることができるライブは、
これ以後では1989年の「Camp Fanks! '89」まで待たなくてはならず、
その点では恵まれたツアーということもできる
しかし一方で商品化されたものがほとんどない現状は、
なんとかしてほしいものである


このツアーについて、ポイントを3つほど挙げておきたい
1つはSF的設定である
「Childhood’s End」で現実的な雰囲気を打ち出したTMだったが、
ファンタジー的世界観の「Dragon The Festival」のシングルカットや、
メンバーを宇宙人になぞらえた「Vision Festival」のリリースにより、
この頃のTMはSF路線に回帰していた
さらにファンタジーアニメ「吸血鬼ハンターD」のサントラ担当もあり、
ファンタジー的要素も加わることになる
小室・木根の衣装は明らかにファンタジーの設定に基づいており、
この点では「Electric Prophet」以上に現実離れした雰囲気を出している


そもそもこのツアーのコンセプトでは、
メンバーは円盤からステージに降りた未来人という設定だった
1984年の「Electric Prophet」でも、
TMは未来から来た宇宙人という設定であり、


これは小室の未来小説「Electric Prophet」のストーリーに沿っている
異世界から来たキャラクターをメンバーが演じるという発想は、
後の「CAROL Tour」につながるものといえよう


未来小説「Electric Prophet」は、
「PATI PATI」1985年11月号から1986年1月号にかけて三回連載されたものである
(GAUZEさん提供資料)
テーマは「誰にでもある運命的な出会い」である


なお2015年に発売された「TIME MACHINE BOX」には、
1994年以前の「GB」「PATI PATI」の記事を原則としてすべて収録しているのだが、
小説「Electric Prophet」は外されている
おそらくTMではなく小室哲哉の作品として掲載されたためだろうが、
これは是非収録して欲しかったと切に思う


「Electric Prophet」の舞台は22世紀の世界で、
建築家デューク・ファーナム(←小室)、謎の東洋人シルバー(←木根)、ロックミュージシャンテディ・ランドル(←ウツ)というTMメンバー3人をモデルにしたキャラクターが登場する
実はシルバーとテディの本職は時間旅行の管理者であり、
過去に時間移動した人々の調査も行なうことができた


彼らはデュークが物語の翌日、学術調査のために1985年にタイムスリップすること、
そこで一人の女性と恋に落ちること、
以後エイドリアン・ファーナムと名乗って20世紀の世界に多大な文化的影響を与えることを、
事前に察知していた
時間管理者の立場としては、歴史を変えないように、
過去にさかのぼってデュークと女性の出会いを抹消する措置を取らなくてはならない
そこで二人は当初デュークに翌日の時間旅行を断るように忠告する


しかし一方で二人は、デュークと女性の出会いがすばらしいものとなることも知っており、
内心ではあえて法を犯してデュークを見守ることを決意していた
そのため最終的にはデュークに真実を伝えて過去に送り出すのである
デュークが過去に時間旅行して女性と出会うという未来をテディが歌ったのが「Electric Prophet」であり、
小説内ではデュークはこれを聞いて自らの運命を知ることになる


この小説は1985年10月頃に発表されたもので、
「Electric Prophet」が最初にライブで演奏された1984年12月まで遡らせることはできない
基本的にこの設定は「Electric Prophet」のストーリーというよりは、
同時期の「Dragon The Festival Tour」のストーリーと見るべきである
ただし「Dragon The Festival Tour」では、円盤から降りてくるのは3人なので、厳密には矛盾するのだが


ポイントの2つ目はバンド形式の採用である
「Electric Prophet」はほとんどの音をシンセが担当する異色のライブだったが、
この時には多くのサポートメンバーを集め、
生のギター・ベース・ドラムを備えたバンド形式が採用された
以後メンバーこそ変動し、
ベースはシンセが担当することもあったが、
20周年ライブ以外はほぼバンドスタイルでライブが行なわれた


一つには、初の全国ツアーということで、
コンピュータトラブルを避けるため、
生音の比率を上げたということがあるのだろう
同様の理由から、この時は打ち込みも最小限に留めたという
レコードで発表されていた楽曲も、
シンセ演奏の部分を生楽器のパートに変更するなど、
バンド向きのアレンジに変更されている
「Rainbow Rainbow」収録曲も多くは「Electric Prophet」でのアレンジをバンド風にしたものである


小室はこのツアーで楽曲のライブアレンジに意欲を示しており、
「レコードの完璧なリミックスバージョン」を一つのコンセプトにしていたが、
実際にはシンセを前面に出した「Electric Prophet」ほど驚きのあるアレンジとはなっていない
ただこの時はテープは使っていないと小室が言っている
逆にいえば「Electric Prophet」はやはりテープを使用していたということだろう
つまり「Dragon The Festival Tour」は、
当時の技術で生演奏が可能なように配慮されたアレンジだったと考えられる


サポートメンバーとしては、
ほとんど身内の存在だった小泉に加え、
ギターに松本孝弘、キーボードに白田朗、
ベースに西村麻聡、ドラムに山田亘がいた
西村・山田は後にFence of Defence、松本はB’zを結成する
後にFence of Defenceのギターを担当する北島健二も、
当初このツアーのサポートとして小室に誘われていたが、
仕事の関係で断り、代わりに松本を紹介したという


小泉はこのツアーを最後にサポートから外れるが、
白田・西村は1986年、山田は1988年、
松本は1989年までサポートを務めた
後のTMライブの基本メンバー(いわゆるTMファミリー)が、
ひとまずここで集まったと言えよう


ツアーの打ち上げの時には、
メンバーとサポートでツアーパンフに寄せ書きをして、
また機会があったら一緒にやろうと言って別れたという
TMのサポートは、メンバーとの連帯感が大変強く、
ファンの間でもそれぞれに思い入れがあったりする
今でも付き合いがあるようだ


なおプロデューサー村田正樹、演出家鬼塚玲二、PA小野良行など、
メインのツアースタッフの多くも、
基本的にこの時から「EXPO」期まで同じだった


3つ目は木根の役割である
「Dragon The Festival Tour」はツインキーボード(小室・白田)、ツインギター(木根・松本)となっていた
しかしキーボードについてはともかく、
ギターがメインではないTMライブでツインギターは本来必要ない
これはそもそも木根にはギターとしての役割がほとんど期待されていなかったことによる


木根は2014年のテレビ出演時、1987年「Fanks Cry-Max」の映像を出してエアギターだったことを自ら述べたが、
2016/12/15「じっくり聞いタロウ」ではこれについて釈明し、
オクターブ奏法で演奏していたため指が動いて見えないだけであると述べた
この点は木根の言う通りであろう


ただしここで取り上げたいのは、木根がそのついでに話したことである
すなわち「最初のツアー」ではアコギはちゃんと演奏していたが、
エレキギターはぶら下げているだけで音を出していなかったと述べたのである
「最初のツアー」とは「Dragon The Festival Tour」を指しているに違いない
バラエティ番組だけに話を盛っているところもありそうだが、
その論法から見て本ツアーでエレキをほとんど演奏していなかったというのはありそうな話である


これまでこの話をちゃんと触れていなかったので、改めて書いておこう
木根のSPEEDWAY時代のパートはキーボードであり、
アコースティックギターは弾けたものの、
エレキギターはもともと専門外だった
それにもかかわらずTMでは、
キーボードは二人もいらないと言う小室の意見によってギター担当にされてしまったと、
木根はしばしばネタとして語っている


一般にこの件は、デビュー当初1984年のことと考えられている向きが強いが、
エレキギターに関するエピソードで「Dragon The Festival Tour」に言及されたことを考えるに、
実は1985年のことだったのではないかという疑念が湧く
そもそも1984年の木根が、エレキギター担当とされていたのかという問題である


まずTM最初の映像である「金曜日のライオン」PV(1984年3月制作)では、
木根はキーボードを演奏しており、
同時期に制作された「Rainbow Rainbow」PVでも、鍵盤を演奏するパントマイムを行なっている
「金曜日のライオン」PVの後の付録部分のメンバー紹介でも、
「NAOTO KINE」「VOVALS, KEYBOARDS」とされている
さらに「Keyboard Magazine」1984年5月号では、木根の担当が「キーボード類」とあるし、
「Player」1984年10月号(9月頃発売)では小室が木根を、
「TMネットワークのもうひとりのキーボード・プレイヤー(ライブではギターも弾きますけど)」と呼んでいる


「Electric Prophet」での演奏の様子を見るに、
木根はライブでは基本的にキーボードを演奏するが、
曲によってはアコギやエレキも演奏するというスタイルだったようである
「Quatro」「カリビアーナ・ハイ」「1974」「Electric Prophet」など)
1984年6月のファーストライブでも、
木根の担当機材にはキーボード・アコギ・エレキが含まれているが、
おそらく同様のプレイスタイルだったと考えられる


「1974」PVで、木根がシンセを前に置きながら、アコギをジャカジャカ弾いているシーンなどは、
生演奏シーンではないものの、当時の演奏スタイルを反映したものだろう
この頃のテレビ出演ではほぼ「1974」を演奏していたため、
間奏のアコギを目立たせるために木根はギターを持つことが多かったが、
扱いとしてはキーボード担当だったと見るべきである
そしてこの頃の代表曲「1974」でのパフォーマンスに見るように、
キーボードの次はアコギであり、エレキの比重はかなり低かった


これに対して「Childhood's End」期のPVの木根はギターしか持っていない
「Vision Festival」の宇宙船シーンも同様である
これらは実際の演奏シーンではないが、逆にそれだからこそ、
木根をギタリストとして売り出そうとしていたことをうかがうことができる
さらに「Dragon The Festival Tour」では、木根の前にキーボードが置かれていない
こうして見ると、実は木根がギタリストに「なった」のは1985年であり、
小室が木根に演奏しないエレキをぶら下げていろと言ったのも、
その頃だったと考えるのが自然ではないか


1984年末から1985年初めの木根は、ギター兼キーボードとして扱われている
たとえば1984/10/26「おもしろザウルス」では、
木根は「ギターとキーボード」として自己紹介している
商品になっているものでは、「TM VISION T」収録の「Fantastic Vision」PVに、
「NAOTO KINE」「KEYBOARDS, GUITER」と明記されている
(「GUITER」はPV中の表記のまま)
5月頃に配布されたと見られる「アクシデント」「Childhood's End」販促用パンフレットにも、
「キーボード、ギター、ボーカル、作曲」とあり、
この時点でも第一に挙げられているのはキーボードである


しかし1985/6/17放送の「ファンキートマト」では、
「ギターの木根尚登」と自己紹介しており、
以後のTV出演ではもっぱらギタリストとして紹介されるようになる
それはちょうど「Childhood's End」楽曲のPVが公開されるようになる頃でもある


以上を勘案すると、「ギタリスト」木根は、
「Childhood's End」リリース前後のプロモーション期頃に誕生したようである
1984年のプロモーションでは木根があまり表に出なかったのは周知の通りだが、
小室は1985年に木根を表に出すに当たり、
キーボード小室・ギター木根という覚えやすい設定を設けたのだろう
テレビで演奏する場合に、
小室・木根の役割がはっきりと分かるようにした方が得策とも考えられたに違いない
(実際に演奏しているか否か以上に)


そして木根は「Dragon The Festival Tour」でもギタリストとして出演した
冷静に考えれば、キーボード担当の正規メンバーの木根をギターに回し、
サポートのキーボードとして白田朗を入れたと言うのも、
なかなかすごい話だとは思うが、
それはともかくとして、
実際には限られたアコギの場面以外に木根が演奏に関わる機会がなかったのは、
サポートメンバーとのバランス的にも問題にはなっただろう
普通にライブを行なうだけでは、
どう考えても松本や西村の方が木根よりも目立ってしまう


そこで小室が木根のために考えたライブでの役割はパフォーマーであった
この発想の前提には、
Howard Jonesの来日公演で見たJed Hoileのパントマイムパフォーマンスがあったという
当時のHowardのライブはシンセのHowardとパントマイムのJedで行なわれていたが、
Howardは1985年8月に来日しているので、おそらくこの時のことであろう


木根はたとえば「Dragon The Festival」のイントロでは、
体を揺らして手に振りながら動き回り、
アウトロではキャプテンクックの格好で望遠鏡で会場を覗きこむ
「Fantastic Vision」の間奏では、
木根が宝箱を持ってきて、中からクラリネットやバイオリンを出し、
演奏するポーズを取っていた
木根のパフォーマンスの具体的な様子については、
「TM VISION W」収録の「Faire La Vise」PVで見ることができる


キャプテンクック木根



木根はしばしば小室の無茶ぶりでライブで色々なことをさせられたことをネタにしているが、
このツアーの木根は、むしろかなり優遇されて見せ場を与えられていた印象である
もちろんそれがイロモノとしての扱いだったことは否定できないが、
そもそも1984年の木根は上層部の意向で前面に出されておらず、
場合によってはその後メンバーから外されていた可能性も十分にあったはずである


この時期のレコーディングは小室と小泉洋が中心で、
木根のアイデアが反映される機会はほとんどなく、
音作りの面からも木根が切られる可能性はあった
木根は売れる以前、自分の音楽がやれず、
TMをやめようと悩んだ時期もあったというが、
1984年の木根が厳しい状況にあったことは、今でも容易に想像できる


そのような境遇にあった木根を表面に出すべく戦略を練った小室は、
むしろ木根の恩人と言っても過言ではないように思う
そしてそれに当たり小室とかぶらない木根の役割を考え出したのは、
戦略としてはかなり正解だっただろうと思うし、
だからこそ木根は小室の「無茶ぶり」にも着いて行ったのだと思う


ギタリストの肩書で実質的にはライブでのパフォーマーという木根の立ち位置は、
これ以後も80年代を通じて続く
もちろんツアーを続ける中で、
エレキギターも少しずつ上達はしていっただろうが、
ライブでギターの中心を務めたのは、
80年代を通じて松本孝弘だった


そうした中で木根はパントマイムや竹馬・手品・空中浮遊など、
毎回のように新しい芸を習得し披露していく
(その裏には大変な努力があったと思われるが)
これは当時、TMライブの一つの見所ともなっていた
1987年頃、ファンでもなかった自分でも、
木根のパントマイムの話を知っていたほどである


90年代のTMN期にはNETWORK期のイメージを払拭するためか、
こうしたパフォーマンスは行なわれなくなってしまったが、
(代わって一曲ボーカルを取ることになった)
TM NETWORKとして復活した今は、
また何か芸を出してくれても良いのではないかとも思う


なおライブのパフォーマンス性についてはウツも気にしていたようで、
ジャズダンスを2ヶ月習ってツアーに臨んだ
ただあまり役には立たなかった
そこで翌年には別のインストラクターについてダンスを学んだという


最後に「Dragon The Festval Tour」の成果について
「Childhood’s End」同様、FANKS期の成功の前段階として、
このツアーにはあまり高い評価が与えられていない
(というか、あまり言及されない)
しかし東京・札幌・広島など「Electric Prophet」の公演を行なった都市や、
大阪でもチケットは即日完売しており、
まずまずの前評判だったと見て良い


さらにあまり触れられることがない話題だが、11月の時点では、
1986年1月か2月頃にツアーの「スペシャル・バージョン」が企画されていた
ツアーの2倍くらいの規模で、演出も変更するつもりだったという
ツアーファイナルの日本青年館(収容規模1360)の倍の規模となれば、
2000人近いホールで開催する予定だったことになろう


1986年のツアー「Fanks Dyna-Mix」の特別版として開催された「Fanks "Fanatasy" Dyna-Mix」や、
1987年のツアー「Fanks! Bang The Gong」の特別版として開催された「Fanks Cry-Max」のようなライブが、
「Dragon The Festival Tour」の後にも計画されていたらしい
ツアーで演奏できなかった「Your Song」「Twinkle Night」など、
「Twinkle Night」収録曲を演奏することも考えていた可能性もある


実際には1〜2月は「Gorilla」のレコーディングの真っ最中であり、
このライブは実現しなかった
だがそもそも11月にまだ計画段階に留まっていたのは、かなり不可解である
80年代のTMは3ヶ月前頃にライブのチケットを販売するのが一般的で、
仮に特別版ライブが2月開催予定だったとしても、
11月中には告知している必要があろう
(大規模なライブとなればなおさら)


おそらくこのスペシャルライブは10/30日本青年館公演で告知する計画だったが、
結局様子見することになり、最終的に見送ることになったのだろう
もしもこのライブが実現していれば、
その映像は「Fanks "Fanatasy" Dyna-Mix」「Fanks Cry-Max」のように、
後に商品化していた可能性も考えられる
「Dragon The Festival Tour」がまとまって商品化されていないことを考えると、
この点は残念なところである


このスペシャルライブ企画の残骸と思われるのが、
TVで放送された「TM NETWORK in THE VISION」である
これは1986年6月から始まる全国ツアー「Fanks Dyna-Mix」のチケット発売に先駆けて、
2・3月頃に全国で放送された特集番組である
その内容は「Dragon The Festival Tour」の映像を中心としたものだった
前ツアーを宣伝用に放送し、次のツアーの動員につなげようとしたわけだが、
「Dragon The Festival Tour」特別版の開催も同様の趣旨で計画されていたものではないだろうか
つまり東京での大規模ライブの開催から、
全国でのテレビ放送に予定を変更したという可能性である


1986年の全国ツアーについては日本青年館公演3日後の11/2には、
テレビで開催決定が告知されている
おそらく次のツアーについては日本青年会の会場で(またはその他の会場でも)、
来場者に告知されていたのではないだろうか
だとすればこのツアーは10月の時点で決定していたことになる
そしてそのツアーは「Dragon The Festival Tour」の2倍の15公演となった
これは「Dragon The Festival Tour」開催以前から、
チケット売上が一定の成果を出していたことの反映だろう
そしてこれ以後TMは1989年まで、
かなりの頻度で全国ツアーを繰り返し続けることになるのである


以上、前置きが非常に長くなってしまった
本来ならばここからライブ本編の話になるのだが、
分量の都合上、次章に回すことにしたい

(2006/10/1執筆、2006/12/12、2008/9/28、2009/1/8、2013/1/25、2014/1/12、2016/12/19、2017/5/3加筆)

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ネクタイ 締め方
ネクタイ 締め方〜かっこよく着こなそう ...続きを見る
ネクタイ 締め方
2006/12/13 00:41
過去記事更新中
◇2013/1/25 「Childhood's End」期の記事から、 「1-9 Childhood's End」「1-14 Timemachine Cafe」「1-15 Dragon The Festival Tour@ 」「1-16 Dragon The Festival TourA 」を更新しました また前史の中で、「0-6 SPEEDWAYの解散と再結成」と「0-7 小室・木根・ウツその後」に再度加筆しました ...続きを見る
20 Years After -TMN通...
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ヒロシマFM
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(にこ)ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm5701044

金色の夢みせてあげる
(つべプレイリスト)ttp://www.youtube.com/view_play_list?p=B2289CE9F468BBB8


kaiesan
2009/02/22 09:04
「入手困難」と書いたものも含め、あらかたアップしていただいてしまいましたね(笑
初期TMの魅力を多くの方に伝えられるきっかけになればと思います
蒼い惑星の愚か者
2009/02/25 18:56

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