20 Years After -TMN通史-

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<<   作成日時 : 2006/12/02 21:03   >>

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確認される限り、TM NETWORKの最初のライブは、
1984/6/18の渋谷Live Innで行なわれた
このライブは公式には抹消されているが、
終了時に発売されたデータブック「TMN FINAL 4001」には、
こっそりと写真が載っている



このライブは「Message from TM NETWORK to The FANKS!! ’89」の中でも触れられている
また「Decade」の中でメンバーは最初のライブが渋谷で行なわれたことに触れており、
20周年の時も、「Double Decade Tour」渋谷公会堂公演(2004/5/31)で、
小室が渋谷にちなんでこのライブに軽く言及している
木根もしばしばMCや本の中で触れており、
特に「真・電気じかけの予言者たち」では、それなりのページを割いている


公式記録はないが、
当時の雑誌の告知記事から、
6/18の渋谷LIVE INN、7/17大阪バナナホールが当初から企画され、
7/31には渋谷LIVE INNで追加公演が行なわれたことが知られる
この一連のライブは当時「ツアー」と呼ばれていた
つまり同時代の呼称から判断すれば、
TM初の全国ツアーは1985年の「Dragon The Festival Tour」ではなく、
1984年6・7月の東京・大阪の3本のライブだったことになる


このライブが公式に抹消されている理由は、
早い話が失敗したからであるらしい
熱で止まったり誤作動したりするなど、
機材の誤作動が相次いだという
1時間以上の連続稼働は、当時の機材では難しかったのだろう


この時の失敗により、当時のライブを行わないという方針が固まった言う
ファンの反応は悪くなかったというメンバーの証言もあるが、
それにもかかわらず「先が思いやられるライブ」だったという
当時も小室は3回のライブを終えた後、
「レコーディング以上に大変なことだなあって感じているところです」
と述べている


これはTMの魅力を伝えるステージングが定まっていなかったことに起因するものだろう
その一つに、機材の準備が十分にできていなかったことがあった
小室もライブに当たっては、
なるべく低価格で済むようなセッティングを組んだと言っている
そのため小室は12月の「Electric Prophet」では、
派手なステージングを実現するために、
ビデオ撮影用のライブという名目にして予算を確保した


TMはこのライブのために、5月頃に九十九里浜で合宿を行なったが、
小室がライブ用の機材システムのことを考え始めたのは、3月のことだったという
これは「Rainbow Rainbow」のレコーディング、
および「金曜日のライオン」「Rainbow Rainbow」PVの撮影が終わった後のことである
レコードとPVを作り終えてから、
デビュー後のライブに焦点を合わせるようになったのだろう
つまりデビューを控えた時期のTMは、ライブも活動の一環として考えていたことになる
ここから、初期TMがライブを行なわないという基本方針を取っていたと言う「公式見解」が、
実際にはデビュー直後には当てはまらないと言うことを知ることができる


さらに言えば、ライブを活動の中心には据えていなかった1985年以前においても、
ライブを一切行なわない方針が実際に採られた時期は、おそらくほとんど存在しない
デビューライブは7/31渋谷公演を以って終わったが、
その後9月には、12/5(渋谷Parco PartV)と12/27(札幌市教育文化会館)開催の「Electric Prophet」のチケットが発売されている
(札幌公演は9/23発売)


12月の2本のライブは、小室の案により、
ビデオソフト用の撮影も兼ねるものとして企画されたものであり、
これをSONY上層部に持ち込んで予算を獲得したと言う経緯がある
こうした企画を提案し承認されるというプロセスを経た以上、
「Electric Prophet」の原案は遅くても8月には構想されていたと見るべきだろう


だとすればデビューライブからほとんど間をおかず、
次のライブが計画されていたことになる
つまりTMはデビュー以前から1984年の終わりまで、
ほとんど恒常的にライブの予定が入っていたのである
(必ずしも盛んとは言えない頻度だったにせよ)
小室も1988年にこの頃のことを振り返り、以下のように述べている
「僕らデビューして、余りライブをやらないって言ってたのは、ある種のポーズでね。理想とするものに余りにかけ離れたものをするなら、やらないって言った方がかっこいいわけだし」
(GAUZE氏提供資料による)


さて、TMのデビューライブに向けての5月の合宿では、
TM3人とサポートメンバー2人、ローディ1人の6人が、
朝から晩までずっと一緒にいたと言う
サポート2人は後述する通り、ベースのキンゾーとドラムの高杉登で、
ローディとはコンピュータを担当していた小泉洋を指すのだろう


この時は準備の段階で、
ライブはかなり無理があると認識されていたようである
小室は6月の渋谷公演の前のインタビューで、
「もう時間がないってのもあって気分的にはグシャグシャ」
「ツアーではドラムをコンピュータでやるんで、実際ライブで出る音ってのを想定してプログラムするんだけど、これに一番時間がかかる」
などと述べている
おそらく準備の段階で、公演の結果はある程度予想できていたに違いない


なおこのライブでは、小室がシンセ、木根がシンセ・ギターを担当した他、
コンピュータを小泉洋、ベース(6月)をキンゾー(7月公演は不明)が担当した
他にドラムもおり、様々な証言から復原すると、
6/18は高杉登、7/17は阿部薫、7/31は市田雅也が担当した
このライブに来たファンからは、
TMは二人のはずなのになぜ3人いるのかという問い合わせもあったという
メディアでは木根の存在が伏せられていたためである


阿部のドラムサポートはTMN期のイメージが強く、
通常知られる限りでは「CAROL Tour」以降であるが、
実はデビュー後最初のサポートは阿部だったのである
(デビュー前の「フレッシュサウンズコンテスト」決勝大会でもサポートしている)


高杉は大橋純子・大滝詠一などのレコーディングに参加していたミュージシャンである
「Rainbow Rainbow」「カリビアーナ・ハイ」でもパーカッションを担当し、
「Childhood's End」のレコーディングにも参加している


キンゾーはかつて小室哲哉&STAYでもベースを務めた人物で、
本名は玉井健之である
1984/5の「ライブG」でも「金曜日のライオン」でベースを弾いている
市田もSTAYのドラムを務めたことがあり、
TM NETWORKデビュー後も「1974」のPVでシンセドラムを叩いている


先のインタビュー引用文にあるように、
このライブで当初目指された音楽的実験に、コンピュータによるドラム演奏がある
一方でドラムのサポートは3人知られており、ライブは3公演しかなかったから、
各公演にドラムがいたことは間違いない
つまりドラムを打ち込みで行なったはずなのに、生ドラムも存在したのである
本ライブの動画・音源が存在しないこともあり、
これは本ライブでも不可解な点の一つである


おそらくミツカワ氏の考証の通り
6/18にはドラムの基本パターンはコンピュータの打ち込みで行なわれ、
そこに装飾的なフレーズを生ドラムで加えると言うスタイルだったと考えられる
6/18公演と思われる写真で、
立って叩くタイプのドラムセットが用いられているのは、このことを示している
(このタイプのドラムは「1974」PVでも用いられている)
だがシンセドラムと生ドラムの混合演奏はうまくいかず、
7月の2本のライブでは、ドラムはすべて通常のドラムセットによる生演奏になったようである


このライブでは「Electric Prophet」の時のように、
TMライブに付き物の派手で大胆なライブアレンジはほとんど楽しめない
結構アレンジされている曲はあるのだが、
まるで別の曲というほどの変化はまだ見られない
おそらく「Electric Prophet」で、
分かりやすい派手なアレンジが試みられるのは、
この時の反省を踏まえたものなのだろう


だがそれにもかかわらず、
このライブ音源はファン垂涎のアイテムとなっている
この頃に商品化されていたTMの曲が「Rainbow Rainbow」収録の9曲だけで、
ライブ一本にはとても足りず、
未リリース曲も何曲か演奏しているためである


その中には「Rainbow Rainbow」レコーディングの時に収録が見送られた曲の他、
完全な新曲もあり、
2ndアルバム「Childhood's End」に収録される曲のプロトタイプや、
現在でもCD化されていない曲もある
この時のライブも、少なくとも一部はスタッフが撮影しているので、
まだ保管されていたら是非見てみたいものである


6/18の衣装は、ウツは青いジャケットに白のYシャツ、小室は赤のYシャツにネクタイ、
木根はこの頃よく着ていた軍服っぽいシャツ
小室はまだ三つ編みの時代である
1984/8/4「オールナイトフジ」出演時にも、
メンバーは同じ衣装を着ている
また7月公演では、ウツは黒のジャケット、小室は白い衣装を着ている
これは「レッツゴーヤング」など、
9月頃のテレビ出演時に来ていた衣装と同じもののようである


以下では、現在もっともよく知られている7/17大阪ライブの様子を具体的に見てみよう
ライブの最初は「カリビアーナ・ハイ」「クロコダイル・ラップ」と、
アルバムと同じ曲順で始まる
最初に盛り上げ曲を持ってくるというのは、
TMのライブでお決まりのパターンである


「カリビアーナ・ハイ」は長いキーボードのイントロからスタート
音は割と原曲に近い
「クロコダイル・ラップ」のイントロは、
ドラムだけで始まる独特なオリジナルと全然違い、
キーボードがメインとなっている
あのイントロを生ドラムで実現するのは困難だったのか
なお現在までこの曲がライブで演奏された際に、
原曲のイントロが再現されたことはない


歌の部分は基本的に大して変わらないし、
ラップの部分もがんばって再現している
しかしサビの部分がかなり変わっている
表現しづらいが、あえていえば、
「夜ーをつらーぬきー 向かーうよムーンライ ウィガッナイ」の部分が、
「夜ーをつらーぬきぃい 向かーうよムウンライ ウィガッナアイ」となっている
(分かりづらい)
この曲のライブバージョンともいえるが、
原曲の歌い方がかなり気に入ってることもあり、
個人的にはイマイチである


3曲目からは未発表曲ゾーンである
まずは「Open Your Heart」
「Rainbow Rainbow」の没曲である
TMのライブではこの時以外に歌われたことがない
2番の「赤いリボンをほどいたら」が、
「You may not hide from lights of the nights」に変わっている
(ウツなので、単なる間違いかもしれないが)
TMのライブではこの時しか聞けなかった超レア曲である


「Lovin' You」
これも「Rainbow Rainbow」没曲だが、
現在までスタジオ録音版は発表されておらず、
レア度では「Open Your Heart」を上回る
これを聞いてみると… うぉっ! かっこいいいいいいいい!!


最初にオケなしでサビの、
「Lovin' You, Hatin' Me, The Other Side of Love You Don't Want」でスタート
この始まりも、そしてその後のAメロ・Bメロもすばらしいが、
何よりも3分におよびプログレとポップスが交じり合ったような間奏が最高である


しかし初めてのTMライブで、
他の曲とは明らかに毛色の違う曲調で、しかも未発表曲で、
それでやたらと長い間奏が延々と続く曲聞かされたら、客も引いたことだろう
でもこの頃の小室の本気が見れた感じで、
自分としては非常にうれしい一曲である


ここまでで盛り上がり曲ゾーンは終わり、
次からはバラードゾーンである
まずはこれまた新曲の「Time Machine」
今のファンなら誰でも知ってる、永遠のスタジオ未録音曲である
曲名から言ってもTMのテーマソングであり、
メンバーにとっても思い入れのある曲である
実際に名曲だと思う


しかし同様の地位にある「Electric Prophet」と比べると、
1984年を除くと、1994年の「終了」までライブではほとんど演奏されていない
(ファンイベントなどでは演奏しているのだが)
「Tour TMN EXPO」のフォークパビリオンで、
数回演奏されたことで再認識されたが、
それまでは「17 to 19」と同様、半ば忘れられた曲となっていた


3曲未発表曲が続いた後は、
「Rainbow Rainbow」唯一のバラード「1/2の助走」
最初はオリジナルにはないアカペラで始まる
コーラスとイマイチかみ合ってないのが残念だが、いいアレンジだ


ついでまた新曲「永遠のパスポート」
演奏する曲が足りなかったので、
ライブ開催に先がけて木根の家で作った曲という
翌年には「Childhood's End」に収録される


このライブのバージョンと商品版を比べるに、
曲は基本的にほとんど同じだが(違いはもちろんある)、歌詞が全然違う
この時の歌詞については、
「まいるどHEAVEN」に紹介されている
なおこれに近いバージョンが12月「Electric Prophet」で演奏されているが、
これは後に「The Singles 1」限定盤のDisk2に収録された


原曲の歌詞は小室、商品版はSEIMOUR(麻生香太郎)によるものである
レコーディングの時、抽象的という理由で変えられたという
たしかに現実的な歌詞が多い「Childhood's End」の方針の中では、
意見がついても仕方がないかもしれない
ただし自分としては、この時の歌詞の方が好きだ


「Childhood's End」版はラブソングだが、
原曲では地球の荒廃を歌ったものになっている
歌詞はSF短編からインスパイアされたもので、
映画「ロマンシング・ストーン」のエンディングのイメージで作ったと言う

荒れる地球もこの街も すべては僕達の罪さ
手に入れる事はできない Illusion 登りつめた 階段のHuman Crisis
空からのMy Loveきっと届き続けるよ どんなに離れてても夢じゃない君は
空からのMessageきっと届き続けるよ いつかは消えるMoon Light見つめたい君と


次からは盛り上がりゾーンに復帰
TMのライブでは、
盛り上がり曲→バラードやアコースティック→盛り上がり→ラストのバラード
というパターンが一般的だが、この頃から基本的にこのパターンにのっとっている


まずは新曲「I wanna be with you」
後に小室が「Nervous」の原曲名として、
これを挙げているが、
実際に「Nervous」のAメロ・Bメロによく似ている
またイントロは「Passenger」に似ている

探そう 君の声 聞こえない 人の愛
分からない 言葉さえ  はずせない  届かない
写せない  透けるほど 叫びたい 狂うほど
届けたい  夢じゃなく I wanna be, be with you


「えー このへんからもう えー3曲くらい続けてやるんで、聴いてください」
と、不慣れなウツのMCが入り、
ここから盛り上がってくれということを言いたいらしい
ここからやっと、
「Rainbow Rainbow」収録曲(つまり既発表曲)が続けて演奏される


「イパネマ '84」
大阪ではイントロでとちってやり直す
イントロをはじめ、原曲のサックスの部分をキーボードが担当しており、
原曲とは印象の違うアレンジとなっている
後に1987年に「Fanks Cry-Max」で演奏された時も、
イントロ冒頭の音はなくなっており、
これはライブ仕様ということかもしれない


アウトロがそのままイントロにつながって、「パノラマジック」スタート
割と原曲の雰囲気のままの演奏だが、
大阪ではシーケンサーが暴走してしまい、
阿部薫は後にこの時大変だったことを語っている
なお原曲の間奏のSEは、ライブではカットされるのが仕様である


宇宙的な効果音が会場に流れる
ウツが「ナインティセブンティフォー」と言って曲がスタート
この頃は「1974」を英語で呼んでいたようだ
シングルカットされる曲ということで、気合いが入っているのか、
ライブバージョンのイントロが用意されている


「1974」のアウトロが終わると、「ありがとう」とウツがひとこと
そして簡単なMCを入れる
「えー、もうラストナンバーになります。「Take it to the lucky」
この曲は「金曜日のライオン」ではなく、
英語のサブタイトルで呼んでいる


曲が終わってウツが「Thank you good night!」と言うと、
メンバーはステージから退場するが、アンコールを受けて再登場
曲は「Rainbow Rainbow」
ほぼオリジナルと同じである
これ以外でオリジナルバージョンでの演奏は、
「TMN 4001 Days Groove」くらいだろう
大変珍しい
ただサビの部分はオリジナルと違い、ウツもちゃんと歌っている


普通出回っている音源では、
この後で「17 to 19」「Fantastic Vision」が入っているが、
これは12/27「Electric Prophet」の音源と同じもののようで、
レア曲を編集して入れたものが広まったのではないかと思われる
ここではこのライブで演奏された曲は「Rainbow Rainbow」までと考えておくが、
以上のセットリストを見るに、「クリストファー」は演奏されなかったようである


また6/18の渋谷LIVE INN公演は、
アンコールまで全13曲だったことが知られ、
演奏した曲目は7/17大阪公演と同じだったと見られるが(大阪も13曲)、
「最後の最後」が「金曜日のライオン」とされている
(GAUZE氏提供資料による)
また「Café Talk」準備号では、
7/31渋谷公演では一曲目が「Rainbow Rainbow」
アンコールが「金曜日のライオン」とされている
シンセドラムの取り止めも含め、
この一連のライブでは各公演ごとに調整が試みられていたようである


なお7/31渋谷公演の後、
フルライブは12/5「Electric Prophet」まで4か月以上開催されないが、
その間、小規模な出演はあったようである
たとえば8/29には以前触れた通り、
「フレッシュサウンズコンテスト」全国大会にゲストに出演し3曲を演奏した


8/31には「Headz 7」に出演している
「Headz」は当時渋谷東横劇場で定期的に開催されていたライブイベントで、
毎回数組のミュージシャンが出演していた
TMはMELON・中川勝彦とともに出演した
ライブの全貌は不明だが、40分前後は演奏しただろう


この時の音源は、ラジオ番組「ライブロックショウ」で4曲が放送されている
「フレッシュサウンズコンテスト」を除けば現存最古のライブ音源である
1曲目「パノラマジック」は、イントロにアレンジが加わっているが、
オープニングの曲だからだろう
12月の「Electric Prophet」は、
インスト「Quatro」から「パノラマジック」で始まるが、
その元の形といえるだろう


「金曜日のライオン」は、
アウトロが後の「Electric Prophet」版と同じカットアウトのアレンジになっている
この終わり方は1986年「Fanks Dyna-Mix」まで受け継がれ、
後には1994年「4001 Days Groove」でも再現された
「カリビアーナ・ハイ」「1974」は、オリジナルと同じである
後者はシングルとしてリリースされていたことを考えて、
あえてオリジナルで演奏したのかもしれない

(2006/8/12執筆、2006/12/2・2008/9/24・2011/2/9・2013/1/6・2016/11/8加筆)

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コメント(9件)

内 容 ニックネーム/日時
こんにちは。この日のライブ映像をYOUTUBEで発見しました。http://youtu.be/vWn7w9UDZ5s
カレント
2011/07/03 15:30
おお、この映像…年代は間違っていますが、映像は間違いないです
残念ながら音源はCDですけども

実は私自身はこの映像知っていたんですが、アップロードされることがあるとは思っていませんでした
当時レコード店でのプロモーション用に作られた映像なんでしょうね
青い惑星の愚か者
2011/07/06 01:53
こんばんは。ずっと気になっていたことがあって全記事読んだら管理人さんに聞こうと思っていたのですけど(笑)
大阪バナナホールの音源のテープ(2本組)持ってて、23年前に高校卒業して進学先で出会ったFanksから流れてきたのですが、その子(佐賀県)も流れに流れてきたものらしく出所は分からないと言ってました(^-^;
あまり公言しないほうがいい代物なのでしょうか? 今となってはこうやって記事になったりしてますが、当時はドキドキして持ってても大丈夫なのか心配した乙女でした(笑)
今、カセットデッキが壊れたので、再生出来ないのが残念です(;^_^A
ことこ
2014/09/09 00:42
23年前というと、EXPOの頃ですね
基本的にこの手の音源の話はあまりおおっぴらに書くものでもないでしょうが、バナナホールに関してはよくニコニコ動画とかにもアップされているし、いいんじゃないかと思いますよ(笑
時々検索すれば、出てくると思います
青い惑星の愚か者
2014/09/10 22:55
ありがとうございます!
やっぱりそうだったのですね(汗)
今は過去のいろいろな画像が見れて
便利になりましたね。
ことこ
2014/09/14 20:58
2回目の投稿失礼します…。
またイパネマで指摘をさせて頂きます。
決してイパネマ84大好き野郎ではないので笑

イントロですが、ギターではなくサックスだと思います♫

このライブのライン音源ですが、6000円でも欲しいですよね♫
エルレ
2016/10/24 14:20
何度もイパネマばかりミスを重ねて、恥ずかしい限りです。
もうイパネマという単語を聴くだけでエルレさんを思い出すレベルで、申しわけなく思っております(笑)。
はい、イントロは明らかにサックスでした。

ライブ音源、売ってくれればいいのになあって思いますよね。
iTunesとかで配信すれば、買う人はかなり一杯買うんじゃないかなあ。
私は買いますよ!
青い惑星の愚か者
2016/11/08 03:05
こんにちは。ミツカワさんのブログ記事を読みますと小泉さんはローディーではなさそうですよね。
メンバー三人とサポート三人なのかもしれません。
或いは四人とサポート二人かもしれませんが。
ではこのライブのローディーは一体誰なのかが気になりますが。
久保浩二さんなのかもしれません。違うかもしれませんが。
M
2016/11/16 10:29
ご意見ありがとうございます
もちろん本記事を書くに当たって、ミツカワブログは参照しておりましたが、ここでは敢えて異なる解釈を行ないました
ここに気付かれたのはさすがですね(笑

さて、ここで異なる解釈を行なった事情を述べますと、小室さんがインタビューでリハのメンバーをTM3人+サポート2人+ローディの6人としていることについて、ミツカワブログではたしかにサポート2人を小泉+ベース(キンゾー)としていますが、これはドラムが打ち込みだったという情報から、生ドラムがいないことを想定していたという事情があります
しかしその後ミツカワ氏自身が別のエントリで、6月のライブがシンセドラム+生ドラムだったことを推定しており、これに従えば、リハにはドラムとベースの2名がいたことになります(リズム隊の片方がリハに来ないという事態はあまり考え難いです)
小泉さんは、現代的な感覚ではたしかにローディとは言い難い立場ですが、そもそもマニピュレータもしくはコンピュータオペレーションというパートが一般的に通用していなかった当時、専門誌ではない雑誌のインタビュー記事でローディと表現する余地は十分にあるだろうと考えています
久保さんがTMに関わるようになったのは1985年からなので、少なくともこの時のローディではないですね
青い惑星の愚か者
2016/12/09 01:42

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