アクセスカウンタ

zoom RSS テーマ「1 1983-1985」のブログ記事

みんなの「1 1983-1985」ブログ


第一部完

2006/12/31 01:49
てなことで、やっと第一部が終わりました
旧ブログの記事を移して来るだけなんですが、
改行も含め文章を微調整したり書き加えたり、
カテゴリーごとに色をつけたりしてたら、
(アルバム名・曲名・ライブタイトルで同名のものがややこしいので)
結構時間かかります
本当はさっさと旧記事を移転してしまおうと思ったのですが、
年内は序章・第一部を移すだけで精一杯でした


とはいっても、第二部はまだほとんど書いていないので、
移転作業の大部分はこれで完了しました
来年はいよいよFANKS期からスタートということになります


FANKS期に入る前に、第一部の概括をしておこうと思います
第一部で扱った時期、1983〜85年の活動は、大雑把に見れば、
ブレイク後の活動と直接結びつく要素は少ないと思います
今から見れば、多くの駄作PVや、
ニューミュージック的なラブソングなど、
本人たちが努力した割には、
無駄に終わったものが多いという印象です


しかしビジュアル面に関してはともかくとして、
少なくとも音に関しては、決して失敗作ではありませんでした
売れない曲ではありましたが、
現在まで名曲とされる数々の曲が、この時期に生み出されています


TMの魅力の一つは、
捨て曲が非常に少ないという点だと思います
他の邦楽ミュージシャンで、
ここまで非シングル曲を手を抜かずに作っていた例は決して多くありません
そしてTMの場合、捨て曲の少なさという点では、
この時期がもっとも当てはまるのではないでしょうか


たとえば「Childhood's End」は、
方針が定まらずに試行錯誤の中で作り上げたアルバムですが、
迷いながらも一曲一曲を丁寧に仕上げ、
半年間に渡るレコーディングを続けました
そのマジメさは、アルバムを聞き込むと伝わってきます


このマジメさは、TMのブレイク、TKブームなどを経る中で、
少しずつ減っていってしまったのではないか
「どんなコードを使えば売れるかは分かっている」とか言いながら、
小室が毎週のようにヒット曲を量産していた時期、
そう考えていました
もちろん環境も違うし、周りの要求するものも違うのだから、
そんな単純に言えるものではないのですけれど、
少なくとも自分は、
売れなかった初期TMのマジメな楽曲は大好きです


最後に、だいたい伝わっているかと思うのですが、
特に自分の好きな曲を以下に挙げて、
第一部の総括としたいと思います


Sクラス
「金曜日のライオン」
「Electric Prophet」


Aクラス
「1/2の助走」
「Rainbow Rainbow」
「パノラマジック」
「17 to 19」
「アクシデント」
「Faire La Vise」
「TIME」
「Your Song」



次回からはFANKS期に入りますが、
この時期はおそらく、TMがもっとも輝いていた時代だと思います
(もっとも売れた時代というのではなく)
自分の中では、第一部が初期=試行錯誤の時代、
第二部が古典期=スタンダードの確立という位置付けです


それ以降はそのスタンダードををいかに受け継ぐか、
あるいはいかに乗り越えるかという点が、
TMにとって(あるいはメンバーにとって)、
最大の課題になるんだと思っています
しかしそれにもかかわらず、
TMのイメージを決定的に規定しているのは、
現在まで圧倒的にFANKS期であり、
その意味で1990年のTMNへのリニューアルは、
所期の目的を果たすことはできませんでした
(ただし意味がなかったとは決して思いません)


これはメンバー自身も認めざるを得ない現実です
実際に1999年の復活の時に、
TMNではなく、再びTM NETWORKの名前を出し、
過去の名作としてFANKS期の「humansystem」を、
積極的にプッシュしています
20周年の前後でも、
いわば必ず盛り上がれる安全牌的な位置にあったのは、
「Self Control」「Get Wild」「Be Together」でしたが、
これらはすべてFANKS期の真っ只中、
1987年の作品です


以上のように考えれば、第二部で扱う時期は、
間違いなくTM史上でもっとも核となる時代であり、
自分もここを書くのは楽しみです


しかしそれにしても、
「20 Years After」というタイトルにもかかわらず、
なかなか20年前に追いつけません
旧ブログでは、ここまで来た時点で10月末だったので、
「Get Wild」(1987/4)くらいで20年前に追いつくかと思っていたのですが、
この感じだと、「Fanks Cry-Max」(1987/6)くらいになるかもしれません
さすがに「humansystem」(1987/11)では遅すぎる気がするので、
「Fanks Cry-Max」で文字通りの「20 Years After」になることを目標に、
書いていこうと思います


えーと、それだとつまり半年で一年半分くらい?
だとしたら、1年後、2008年初めには、
3年分書き上げてて、1988年終わりくらい、
つまり「CAROL」くらいまで行ってることになるでしょうか
え… 一年たってもリニューアルまでいかないのか…
せめてまともな活動の最後になる、
「EXPO ARENA」(1992/3〜4)まではいきたいですが、
この感じだとあと2年以上かかりそうですね


まあ、あまり根詰めてやっても続かないので、
無理せずやっていこうと思います
まずは1986年ですが、ここも結構話題が多いので…
旧記事の移転が完了したら、
週一くらいのペースで更新していこうかなと思います
記事へ面白い ブログ気持玉 10 / トラックバック 0 / コメント 2


1-20 TM VISION W &メディア出演(1985年末)

2006/12/31 01:11
すでに触れた通り、
「TM VISION W」は1985年11月に公開された
その内容は、「Faire La Vise」と、
「Twinkle Night」収録曲のPVである


最初は「Your Song」PVで始まる
このビデオは「Gift for FANKS Video」「All the Clips」など、
比較的多くの作品に収録されている
衣装は「Dragon The Festival Tour」のものである


最初に「Your Song」のジャケット(額縁の絵)の枠の部分だけが登場する
枠の中にはステージがあり、3人が演奏しているが、
その演奏シーンが最後まで続く
最後にもジャケットの枠が登場し、
メンバーのシールが張られた完成版が現れて終わる


この後は「Your Song」「Twinkle Night」の宣伝が流れる
ビデオコンサート会場に「Your Song」のジャケットを持っていくと、
小室特製のスタンプを押すことができるのだそうだ
…って、このスタンプ、
「TM VISION U」で小室が書いてたイラストじゃん!
まさかここで登場するとは思わなかった


ウツが登場
「僕らの新曲「Your Song」でした。それじゃあ、もう一回、君のために」
なぜかまた「Your Song」PV
以前述べたように、
「木根尚登スペシャル」がつぶれたためだろう


PVが終わると、ウツが再登場
「君を救えるのは、時を越えた僕だけだよ。うーんニコッ(猫のマネ)」

(;゚ Д゚) ・・・

ちなみにこの映像、本当はビデオに入れないという約束で撮影したものらしく、
小室は「伊作(映像監督坂西伊作)は嘘つきです」と言っている


次の「Faire La Vise」PVは、
「Dragon The Festival Tour」の映像のダイジェストとなっており、
同ツアーがほとんど商品化されていないことを考えると貴重である
特に木根のパフォーマンスは、かなり力を割いて収録している
というか、編集する映像があるなら商品化して欲しい


「Twinkle Night」収録の3曲の内、
「Your Song」以外の2曲は、
メンバー1人ずつが出演する構成である
「Twinkle Night」は小室、
「Electric Prophet」はウツが出演している
おそらくこれに「木根尚登スペシャル」が加わって、
3人それぞれの見せ場がある形が本来の予定だったのだろう


「Twinke Night」は、正直言ってかなりキモイ
(小室ファンにはたまらないのかもしれないが)
よく分からないが、ビジュアル系バンドのビデオってこういう感じなのかなあ…って感じ
ビデオのイメージはグラムロックとのことで、
以前から小室と映像監督の坂西伊作の間でこのようなビデオを作りたいと語っていたという
その点でもビジュアル系バンドっぽいというのは案外必然なのかもしれない


ビデオの内容は歌とまったく関係がない
「THE INSPIRATION TETSUYA KOMURO」と最初に出た後、
厚化粧をした小室がいろんなコスプレをして、
ナルシスティックなポーズを取り続けるというものである
「Twinkle Night」をBGMにしたファッションショーという感じだ
まあ、小室が相当な美形だったことはよく分かる


この後は「THE INFORMATION from TM NETWORK」として、
「Vampire Hunter “D”」をBGMに、
「吸血鬼ハンターD」の広告が入り、
その後木根尚登スペシャル中止のお知らせ(1-12参照


最後は「Electric Prophet」で、
明け方の山とウツの歌う姿を延々と映している
ウツの服装は「Dragon The Festival Tour」のもの
よく見ると、山の風景は、
「Vision Festival」所収「Dragon The Festival」PVの農村だ
早い話が使いまわしのようだ
しかし映像の使い方がうまいこともあり、
こっちはなかなか良いPVに仕上がっている
やはりPVは、余計なことをしないのが一番だ


以上で紹介したPVの他、
「Your Song」はもう一種類のPVが存在する
このPVは現在までまったく商品化されていない
おそらく今見ると恥ずかしすぎるためだと思われる
管見では現在まで商品化されていないPVは、
「Castle In The Clouds」とこれだけである


PVはメンバー3人が部屋のテレビで、
「TM VISION W」バージョンの「Your Song」PVを見ているところから始まる
最初はテレビを見るメンバーとPVの映像が交互に映るという形である
事務所社長の千葉の別荘で撮影したと言うが、
3人がテレビを見ている部屋がこれに当たると思われる
「事務所社長」とはジュン&ケイの松村慶子のことか


冒頭から失敗作の楽屋落ちPVのような雰囲気をかもしているのだが、
小室が妙な発言を繰り返すあたりから、さらに雲行きが怪しくなる
「きっと今夜、何かが起きるよ」「会えるかも、しれないね」


いきなり何言ってんの?



真顔で意味不明のコムリン



1番が終わった頃から、ウツが謎の声を気にし始める
そして「私も…私も…聞こえる…聞こえる」と女性の声とともに、
ウツが夜の草原を走り出す(どこ?)


魔法の宝石箱を通してウツの様子を見守る小室が、
「もうすぐだ」というと、
木根が「時間がない!」と、意味もなく回りをきょろきょろ見渡す
何探してんの、木根?


最後にはウツが高速道路のトンネルを走り抜け、
謎の隠れ家に入り、小さな妖精?と出会う
これは宮崎ますみという女性らしい(本記事かしこさんコメント)
小室と木根、顔を見合わせにっこり


感想:
なんじゃこりゃ??


このPVは「吸血鬼ハンターD」(1985/12/21公開)の試写会でも放映されたらしく、
(本記事GAUZEさんコメント)
1985年11月頃にはTVで放映されていることも確認できる


全国で放映されたものとしては、
1986年2月から3月頃に放送された「TM NETWORK in THE VISION」で見ることができる
この番組では、「Electric Prophet」「1974」
「Your Song(ドラマ版)」「Twinkle Night」PVと、
「Dragon The Festival Tour」から、
「Dragon The Festival」「Fantastic Vision」「アクシデント」「Electric Prophet」が放映された


なおTMは1985年10〜12月頃、
「Your Song」「Twinkle Night」プロモーションのために、
テレビやラジオに出演した
特に「Your Song」「Twinkle Night」など、
ライブでほとんど演奏しない曲を演奏したものは非常に貴重である


ラジオでは1985/11/24「サンジャン」に出演した時、
「Dragon The Festival」「Your Song」「Twinkle Night」を演奏している
場所が札幌なだけに妙に人気があるようで、歓声が大きい


「Dragon The Festival」「Dragon The Festival Tour」バージョンで、
イントロのサンプリングボイスもばっちりやっている
曲が終わった後はウツMC

こんにちは!(観客:こんにちは! キャー!!)
えー、なんかいつ来ても、札幌のみんなは僕らを楽しくさせてくれるから、もうホントにみんなに会えて、いつも楽しいです
今回のツアーが大成功に終わって、今は11月1日の「Your Song」を、もっともっといろんな人に聞いてもらいたくて、今がんばっているところで
あーそうそうそう、あのジャケット、楽しかった?(キャー! ウツー!)
OK! それじゃあ今日はみんなに、クリスマスプレゼントみたいな感じで、11月28日に出るミニアルバム「Twinkle Night」から、「Your Song」


「Your Song」オケはシングルのレコード音源をリミックスしたものを流しているようで、
イントロは短くアレンジされているが、オケは基本的にシングルと同じ音で、
小室がその上からシンセで音をかぶせている
また「only your song」のコーラスは木根が行なっているが、
「I just stay inside」のところはレコード音源のようだ


ドラムを間に入れて、前曲からつなげる形で「Twinkle Night」
ウツは歌に入るところを間違えた上、
「ハハハ」という笑い声までマイクに入ってしまった
アウトロなどでは「ラララ」などのハミングも入れている
オケは基本的にレコード音源らしいが、
小室のシンセもかなり目立っている
アウトロは長くアレンジされている


テレビでの演奏については、
1985/11/2「Sound Club 1700」(北海道)で「Your Song」を、
1985/12/21「Jan Janサタデー」(静岡)で「Twinkle Night」「Your Song」を、
それぞれ歌っている
演奏はともにカラオケである


「Sound Club 1700」では、
三人ともジャケット姿の落ち着いた風貌である
小室はYシャツに蝶ネクタイ姿で、何者だお前はという感じだ
なぜかススキの草むらの中で3人が歌うセットだった
演奏はDミックスではなくショートバージョンである
なお番組中では「Dragon The Festival Tour」北海道厚生年金公演から、
「Dragon The Festival」「1974」「アクシデント」「Electric Prophet」の一部分と、
楽屋の様子も放映している


「Jan Jan サタデー」は、しずおか輸入博の会場である
冬らしく、ウツと小室はコートを羽織っているが、
木根だけは緑のYシャツにネクタイ姿である
TMで「Twinkle Night」を歌っている映像は、おそらくこれ以外存在しない


また時期的には少し後になるが、
1986/5/7「とんでもスーパースペシャル」(熊本)と、
1986/5「Music Shot Gun」(岡山)で、
30分超のスタジオミニライブを行なっており、
その時に「Your Song」を演奏している
これはショートバージョンだが、生演奏なので貴重である

(2006/10/31執筆 2006/12/31、2008/10/9、2010/8/17、2014/1/12加筆)

All the Clips
エピックレコードジャパン
2004-12-22
TM NETWORK
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ


記事へ面白い ブログ気持玉 6 / トラックバック 2 / コメント 11


1-19 Twinkle Night

2006/12/30 00:32
年末になって忙しく、なかなか更新ができませんでした
なんとかあと1回更新して、第一部を今年中に完結させたいのですが…
本編に入ります


------------------------------------------------
TM NETWORK唯一のミニアルバム「Twinkle Night」は、
1985/11/28に発売された
6月リリースの「Childhood's End」に続き、
1985年2枚目のアルバムということになる
1984年末の時点で、1985年は年内2枚のアルバムをリリースする予定とされており、
その予定を遂行したものと言える


タイトルやリリース日から分かる通り、
クリスマスアルバムとしてのリリースだった
「吸血鬼ハンターD」のタイアップ効果と、
全国ツアーの余波も期待していたと思われる
ただし当初は「吸血鬼ハンターD」のイメージアルバムとして作成する予定だった


レコーディング期間は1985/8/11〜10/13である
「Childhood's End」リリース後、
3週間全国を回って行なったプロモーション活動が落ち着いてから始めたことになる
ただ9月終わりから「Dragon The Festival Tour」が始まるから、
その音作りとリハーサルも考えると、
レコーディングは実質的に一ヶ月程度だった可能性もある
1985/9/19の「村田和人のハイヤング京都」出演時には、
「Your Song」「Electric Prophet」に先駆けて、
「Twinkle Night」のトラックダウンが終わっていたようで、
完成直後の音源が放送されている


クリスマスアルバムらしく、ジャケットは雪の街を背景としている
中央に白のドレスを着たマネキン
そのマネキンが飾られているショーウィンドウの前に、
TMの3人が立っている
小室のフリル付きの服装やドウラン塗りすぎの顔はどうかと思うが、
「Childhood’s End」「Gorilla」と比べると、格段にセンスがいい


「Childhood's End」ジャケットと比べると割と見られる3人



しかしミニアルバムということもあり、
他のアルバムと比べるとこのアルバムは影が薄い
実際に売上もかなり低く、
チャート57位、4000枚の売上だった
(公式記録に初登場2位、14万枚超の売上とするのは、
1989年のCD化後の売上を加算したものである)


ちなみに前のアルバム「Childhood's End」は40位、13000枚、
先行シングル「Your Song」は66位、7300枚であり、
これらと比較しても成績は悪い


おそらく理由の一つとして、
10分近くの長さの曲が2曲もあったため、
全4曲しか収録されておらず、
しかもその内一曲はインストだったため、
お徳感に乏しかったことがあるのであろう
収録曲は以下の通り

1.「Your Song (Twinkle Mix)」
2.「組曲Vampire Hunter “D”」
3.「Twinkle Night 〜あるひとりのロマンチストの誕生〜」
4.「Electric Prophet 〜電気じかけの予言者〜」


しかしながら、このアルバムのクオリティの高さは、
ファンの間では定評がある
とにかく捨て曲が一曲もない 全曲名曲である
メンバーも1986年頃、音が一番きめ細かい作品として挙げている


音について特筆すべき点は、サンプラーEmulatorUの多用である
小室によれば、8割サンプリングの音を使って作ったアルバムだという
EmulatorUは12インチシングル「Dragon The Festival」「Your Song」でも使っていたが、
その成果がアルバムの形で示されたのはこれが初めてである


「Your Song」「Twinkle Night」で生サックスが使われたのも、
TMのアルバムでは初めてのことである
サックスは次の「Gorilla」でも大々的に使われる
担当は中村哲だが、中村は以後も1988年の「CAROL」まで、
TMのレコーディングに参加し続けた


私が「Twinkle Night」を初めて聞いたのは、
1989年のCD化の時だったが、
なぜ今までCD化されていなかったのか、
疑問に思ったほどである
(LPの売上の低さが原因だったのだろうが)
以下でこのアルバムの収録曲の解説をしていきたい


「Your Song (Twinkle Mix)」「組曲Vampire Hunter “D”」は、
以前紹介した曲の別バージョンとダイジェストである
「Your Song (Twinkle Mix)」は、
先行シングルのアルバムバージョンである


12インチ版が6分半を超える長さだったのに対し、
こちらは4分に満たない
平均5分近くあるTM曲の中では、短い部類に属する
12インチ版を聞いてから聞くと、
曲のエッセンスだけを聞いている気分である
なお「Twinkle Mix」とあるのは、
曲の最初に「Twinkle Night」のサビがついているためである


「組曲Vampire Hunter “D”」は、
「Vampire Hunter “D”」の中から、
「魔物たちの夜」「Dのテーマ(登場)」「吸血鬼リィ伯爵」「Dのテーマ(別れ)」「約束(パートU)」
の5曲の一部をまとめたもので、
「Dragon The Festival Tour」の小室のソロ演奏曲目と、
ほとんど同じ構成である


これらの曲はライブではすでに演奏されていたが、
「Twinkle Night」リリース時には、
「Vampire Hunter “D”」のサントラはまだ発売されていないので、
スタジオ録音版については新曲ということになる
実際にサントラを購入するファンはそう多くなかっただろうから、
そのエッセンスをまとめてTMファンに聞いてもらおうということだったのだろう


4曲目「Electric Prophet 〜電気じかけの予言者〜」は、
一年前からライブで演奏されており、
「Time Machine」と並んでTMのテーマソングとも言うべき曲である
すでに「Vision Festival」でライブバージョンが商品化しており、
そのスタジオ録音版ということになる
「Childhood’s End」に収録する計画もあったが、見送られていた


アレンジはシンプルなライブバージョンとはかなり異なっており、
シンセの音が控えめながら独特な雰囲気をかもし出している
「Vampire Hunter "D"」の雰囲気に近いのは、
レコーディングの時期が近接しているからだろうか


この曲は作曲は小室・木根共作で、作詞は小室哲哉である
詞は基本的にライブバージョンと同じだが、
ライブの「We are surrender」という間違い英語は、
「We surrender」に訂正されている
しかし以後も「終了」まで、
しばしばウツはライブで「We are surrender」と歌っている
その方が歌いやすいのだろう


それはともかく、この曲の小室の詞は神掛かっている
歌詞は以前触れた通り1984年のライブ「Electric Prophet」の物語を表現したもので、
未来人のTM NETWORK(「22nd Century Boy」とある)が現在にやってきて、
「君」に出会うというものである
「Creta Islandたどりついた船は」で始まる歌詞は、
後に意味不明な薄っぺらい詞を量産する人物によるものとは思えない
初期TMのコンセプトを踏まえた上で、言葉選びのセンスも抜群だ


本当ならばここで歌詞を全部転載したいくらいだが、
特に好きな3番の詞を抜粋するに留めておきたい
なおこの歌詞には「our lovers」というフレーズがあるが、
この表現より見て主人公(our)は一人の男性ではなく複数おり、
それはTM NETWORKの3人そのものと考えられる
となればこの曲はTMとファンの関係を擬似的に恋愛に擬したものであり、
「our lovers」はTMのファン一般、
「君」はこの曲を聞いているファン個人を指すことになるだろう

君のSchool Days大切な時だよ
君のPrivate Timeわかっているさ
君のFriends of Yours大切なものだよ
君のDad and Mam素敵な大人さ
何もすてるものはない 何もこわすものもないさ
もしも二人暮らし出しても 今夜のような夢を見せてあげるよ
君だけが間違いじゃない 君だけが不安だらけじゃない
何もかも頼っておくれ Maybe I Can Control Your Mind
捜し求めたOur Lovers 100億のStarlight Kiss in the Night
We are 21st Century Lovers 僕らのためさ
We are inferior to each other We Surrender Everyday
We are inferior to each other We Surrender Every Night


この曲には「電気じかけの予言者」のサブタイトルが付けられていた
「Vision Festival」ではサブタイトルが付いておらず、
おそらく「Twinkle Night」収録時に付けられたものだろう
このサブタイトルは映画「時計仕掛けのオレンジ」を意識したものだという
もともと映画のどこかで流れたらいいなとイメージしながら作った曲だったともいう


ただアルバムバージョンは、ファンの間では不評だった
そもそもアルバムに入れること自体に抵抗があったらしい
この曲は1987年までライブで必ず演奏される曲だったが、
「Twinkle Night」のアレンジで演奏されることは長くなかった
これが初めて実現したのは、
再結成後の「Tour Major Turn-Round」の時である
その後2012年の「incubation Period」でもアルバムバージョンで演奏されている


自分は「Twinkle Night」バージョンも好きだし、
「Time Machine」「17 to 19」の例も考えると、
ともかくレコーディングしてもらえたことは喜ぶべきだと思う


以上3曲は、いずれもライブやシングルでの既発表曲であり、
このアルバムで純粋な意味で新曲といえるのは、タイトルチューンの、
「Twinkle Night 〜あるひとりのロマンチストの誕生〜」のみである
TM初のクリスマスソングである


「Your Song」のように洗練されつつ派手なキーボードと、
「Rainbow Rainbow」期の軽快でポップな曲調が同居する名曲である
間奏のシンセとサックスの掛け合いも良い
イントロは「Beyond The Time」のサビに似ている


作詞が西門加里=小室みつ子というのも見所である
歌詞の内容は、異世界(おそらく未来)から来た男性が、
誰かを生まれ変わらせるために捜しているというもので、
ロマンチックなSFのコンセプトである


内容から察しが付くように、
主人公はTM NETWORKのメンバーそのものである
これは本アルバムのジャケットにある「I’ve been lookin’ for you. I have to meet you here tonight.」というキャッチコピーと関連している
ここに込められている本アルバムのコンセプトは、
クリスマスの日、地球に降り立った途端人間になった彼らが、
探しものを見つけ出すというもので、
その始まりの日を歌ったのがタイトルチューンの「Twinkle Night」だという


これ以前の小室みつ子作詞曲の代表は、
「1974」「Rainbow Rainbow」であるが、
この「Twinkle Night」についても、
地球に下りてきた異世界の住人の雰囲気をよく出している
小室哲哉の曲にもうまく歌詞を乗せている

Twinkle Night 手をかざしてみても
Empty Heart 奇跡はもう起こらない
Twinkle Night 君を捜さなくちゃ
Come and See 今夜中に
Candleなんてなくてもいい
この手で君をBorn Again


ファンイベントや「Tour TMN EXPO」のフォークパビリオンを除くと、
この曲がTMのライブで演奏されたのは1987/12/24「Kiss Japan Tour」岩手県民ホール公演のみである
当時からメンバー自身が、
12月にライブがあったらお届けするとしながら、
「やるのかな? じゃあ、いつかは」「やんないですね」「やんないよねえ」
と言っているように、
ライブで演奏することはほとんど想定されていなかった
(8月じゃなくても「8月の長い夜」は演奏しているのに)


ライブに関して、この曲と「Your Song」が非常に不遇な扱いになった理由の一つは、
「Twinkle Night」リリース後にライブが行なわれなかったという事情もあった
2005年にウツ・木根で開催された「Spin Off from TM」は、
めったにやらない曲を演奏するというコンセプトだったが、
特に目玉になったのは、「Your Song」「Twinkle Night」だった

(2006/10/25執筆 2006/12/30・2008/10/9・2013/2/10・2016/12/24加筆)


TWINKLE NIGHT
ソニー・ミュージックダイレクト
2013-02-20
TM NETWORK
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by TWINKLE NIGHT の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル


記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 9 / トラックバック 0 / コメント 5


1-18 Your Song

2006/12/23 01:46
今日の夜、tributeライブのメンバーがテレビに出るらしいですね
12月23日(土) TBS『エンタメキャッチ』 26:10-26:40

SPIN OFF from TM 2007 -tribute LIVE V-メンバー全員参加でのインタビューをO.A。
チケット番組先行受付もあり。お見逃しなく!

それにしてもツアータイトルは、
「SPIN OFF from TM 2007 -tribute LIVE V-」で決まりなんでしょうか…?
なんか、あまりにも安易で、もう少し考えろと…
だって、前のツアータイトルに年代と回数付けただけって…
このままではライブの中身も、何のコンセプトも理由付けもなく、
昔の曲を演奏するだけになりそうな気がします


まあ、かつてFANKSで成功しても同じことを続けたくないと言って、
「CAROL」「Rhythm Red」をやったグループのメンバーがいるんだし、
今後もツアータイトルの数字が増えるだけで、
やることは毎回同じという安易なライブを、定期的にやるという愚行は、ないに違いないと信じていますけどね


なんか最近愚痴ばっかりですね
本題に入ります


----------------------------------------------
「Your Song ("D" Mix)」は、
「Dragon The Festival (Zoo Mix)」に続いて、
12インチシングルとして1985/11/1にリリースされた
山口の追加公演を除くと、
「Dragon The Festival Tour」終了の翌日ということになる


副題に「The Theme from “Vampire Hunter D”」とある通り、
アニメ映画「吸血鬼ハンターD」の主題歌である
「“D” Mix」とあるのは、言うまでもなく映画タイトルを反映してのものである
アニメ中には、TMの3人も登場するという話もあったが、
結局これは実現しなかったらしい


「"D" Mix」は、
オリジナルバージョンが発表されてもいないのに「Mix」が付いている
しかもこの後ミニアルバム「Twinkle Night」に収録されるのは、
「Twinkle Mix」と名付けられており、
「〜Mix」とないオリジナルバージョンは現在確認されていない


ラジオなどで放送するための非売品プロモーション版として、
「Air Play Mix」もあり、
「Twinkle Mix」イントロから「Twinkle Night」の部分を除いたものとなっている
これがオリジナルに当たるものと考えるべきだろうか


ただしこれらの相違点は、
イントロにサンプリングボイスなどが加わっていたり、
曲の長さが違っていたりするくらいである
「Dragon The Festival」と違って、
オケの音自体が変わっているわけではない


シングルのジャケットは、CDとレコードで異なる
どちらも額縁の柄なのだが、
CDでは額縁の絵の中に3人がいるのに対し、
レコードでは額縁のみである


これはレコード版では中にシールが入っていて、
自分でジャケットに貼り付ける仕様になっていたためである
ジャケットにも「LET’S MAKE A JACKET!」と書いてある
小室のアイデアによるものらしい
一方CDではシールが無く、最初から完成版のジャケットとなっている
またCDでは再現されていないが、
レコードではジャケット裏が塗絵になっていた


なおBEEの会場にレコードを持って行くとスタンプを捺してもらえて、
それでジャケット完成ということになっていた
このスタンプは、「TM VISIONU」のメンバー・スタッフ紹介コーナーで使われた小室のイラストである


「Your Song (“D” Mix)」は12インチにふさわしく、
6分半を超える長さになっている
音的にも当時としてはかなりマニアックな部類に入ると思う
「Dragon The Festival (Zoo Mix)」もその点では同じだったが、
こちらはアルバムからのシングルカットだったのに対し、
「Your Song」は先行シングルである
冒険という点ではかなりのものだろう


しかし小室哲哉は当時のTV番組で、
「今までで一番いいんじゃないかと評判です」と言っており、
自信はかなりあったらしい
今まで90位台で留まっていたオリコンのランキングでも、
この曲は66位と、一挙に順位を上げた


売上は「Dragon The Festival」が3600枚程度だったのに対し、
「Your Song」では7300枚に倍加した
タイアップの効果もあったかもしれないが、
映画公開2ヶ月前のリリースであったことを考えると、
全国ツアー開催によるTM自体の知名度上昇が大きいと考えられる


作曲は小室・木根の共作という、シングルでは唯一のパターンである
シングル表題曲に木根の名前が出たのはこれが最初である
木根はこの曲の分担について何度か発言をしているが、
2005年「Spin Off from TM」のパンフレットでは、
トイレに行っている間にAメロを作っておいてくれと小室から言われて本当に作ったと言っているのに対し、
2014年「the beginning of the end」のパンフレットでは、
小室がAメロだけ作って別の仕事に行き、木根にサビを作るように言ったと述べており、
木根が作ったのがAメロなのかサビなのかはっきりしない
木根発言の通例通り、細部の情報はあまり参考にならなそうである
(特にトイレに〜のくだりは、いかにもネタをそのまま文字にした感が強い)


作詞は前作に続いて小室哲哉である
以後「Come On Everybody」まで3年間、小室作詞はなくなる
歌詞の内容は、はるかかなたで「君の歌 (Your Song)」を受け取った主人公が、
「君を救うのは時を越えた僕だけだと」歌って欲しいと告げるという内容である
これは「吸血鬼ハンターD」のDとドリスの関係を念頭に置いたものだろう


この曲にコメントを一つ付けるとすれば、幻想的という点に尽きる
イマイチ具体性を欠く歌詞世界もそうだし、
キラキラしたオケ、アーアー言ってるコーラス、
エコーのかかったボーカルもそうだ
他に「1974」「Dragon The Festival」「Just One Victory」なども、
ファンタジー路線のシングルとして挙げられようが、
それらと比べても「Your Song」の浮わつきぶりは際立っている


こう書くと、自分の「Your Song」の評価が低く取られるかもしれないが、
むしろ自分としては大変好きな曲である
自分が初めて聞いたTMのアルバムは「Gift fot Fanks」だが、
「Your Song」のような曲は聞いたことがなく、かなりの衝撃だった
今聞いても、「Childhood’s End」の曲より音の厚みが増しており、
1985年が小室にとって大変な成長の年だったことが分かる


何がかっこいいかといえば、シンセの音だろう
とにかくシンセが主張している
Aメロの部分などでは、シンセのリフがボーカル以上にメインのように目立っている
(実際に自分の中ではここがメインパートだ)


そしてもう一つ目立っているのがシンセドラムである
曲の最初から最後まで通じて、
意識的にドラムを強調したミックスをしており、
オケは意外とロックテイストとなっている
さらにサックス・ギターやコーラスも良いアクセントになっている
間奏で第九が入るなど、12インチ的な遊びも見られる


レコーディングでは「Dragon The Festival」に続いてEmulatorUが大活躍した
TMの他の曲と比べた時の特徴はオーケストラヒットの多用で、
後述のカップリング曲「Special Instrumental Disco Mix」では特に際立っている
小室はこの頃EmulatorU使いとしてTrevor Hornに注目していたが、
Trevor自身が属していたYESの「Lonely Heart」(1983年)など、オーケストラヒットに特徴があった
「Your Song」のオーケストラヒットはその影響もあったのかもしれない


ウツのボーカルもしばしばサンプリング処理が施されている
サンプリングは、サビの後の英語詞の部分など、
曲の中でも印象に残る部分でも大胆に使われている
なおこの部分の英語詞は男女のすれちがいを歌ったもので、
歌詞全体の中ではあまり必然性がないが、
おそらくThe Beatlesの「Hello Good-bye」をモチーフにしたものだろう
(「I Say Yes, You Say No」で始まるやつ)

I Just Wanna Stay Inside You Just Wanna Go outside
Who's Gonna Make You Up? Who's Gonna Make Me Down?
You Say You Turn To The Right I Say I Turn To The Left
Why Do You Go Forward? Why Do I Go Backward?



シンセとドラムが強調されたオケの中で、
ウツのボーカルやコーラスも楽器の一つとして、
音を奏でているかのように聞こえる
おそらくそのためだろうか、「”D” Mix」の冒頭では、
「Your Song Song… Your Your Your…」とサンプリングボイスが入り、
サビの部分でも何度かサンプリングボイスが使われているが、
前作の「Dragon The Festival (Zoo Mix)」ほど、耳がそこに行かない
前後の歌の部分と続けて聞いても、自然に耳に入ってくる
サンプラーの使い方が洗練されてきた印象を受ける


歌自体もウツの声を素材にした遊びの要素が強く、
サンプリングボイスもその一部として感じられる
特殊な作りといえばサビの部分で、
気楽に口ずさめるほど簡単なフレーズはないし、
そもそもあまり曲の中心になっている感じもしない
サビに分かりやすく覚えやすいフレーズを入れるという、
歌謡曲の常套的作りを、この曲は取っていない


この曲は歌よりは音を楽しむべく作られている曲であるといえる
カップリングに「Special Instrumental Disco Mix」が入っていることからも、
オケに対する小室の自信を感じることができるだろう
これはTMのシングルにインストが入る最初の例だが、
後のインストと違い、単なるカラオケではない
ベースは「Your Song」だが、
単独で聞けるようにまったくの別アレンジとなっている
インストで8分近くの長さというのもすごい


現在では「Special Instrumental Disco Mix」は、
「Welcome to the FANKS!」「The Singles 1」で聴くことができるが、
それまではシングルでしか聴くことができなかった
自分が初めてこれを聞いたのは、シングルがCD化した1989年のことだが、
1985年の作品とは思えない凝ったアレンジに感激し、
当時かなりのヘビーローテーションで聞いていた


なお小室は当初このシングルのカップリングとして、
「サウンドトラックのいろんな部分をリミックスして一曲にまとめようかなって思ってる」
と言っていた
おそらくこれは、「Twinkle Night」に収録された「組曲Vampire Hunter "D"」に当たるものだろう
「組曲Vampire Hunter "D"」が10分以上となって、
シングルに入れられなくなったのかもしれないが、
「Your Song」のオケが予想外に気に入ったためかもしれない


ともかくおそらくこのシングルは、
歌モノとしてではなくシンセサウンドとしてTMが好きな人には、
たまらない作品だろう
しかし同時に、この曲は一つの問題を抱えていた
サンプラーを駆使した音の複雑さもあって、
当時の機材ではライブでの演奏が困難だったことである


発売後、小室もこのことに触れ、
ライブでどう演奏するかまだ考えていないと言っている
またボーカルとしても、生で歌うにはあまり適した曲ではない
「Dragon The Festival Tour」で演奏されなかったのも、
このことが原因と思う


この次のツアー「Fanks Dyna-Mix」でも、
当時のシングルでは唯一セットリストから外された
TMのライブで演奏されたのは、
現在まで1987年の「Fanks! Bang The Gong」のみであるが、
その時のボーカルを聞いても、やはりライブ向きの曲ではないと感じる
ただし2005年の「Spin Off from TM」で演奏した時のウツは、
安定したボーカルを披露しており、歌唱力の向上を実感した



(2006/10/21執筆 2006/12/23・2008/10/9・2013/2/10・2016/12/24・2017/5/3加筆)

YOUR SONG
エピックレコードジャパン
1989-09-01
TM NETWORK
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ


記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0


1-17 Vampire Hunter "D"

2006/12/20 02:47
12/23と1/2、
小室がまた「ズバリ言うわよ!SP」に出演するようですね
細木以外出る番組ないのか…
それ以前に、KEIKOと結婚して以来の細木べったりは、
いつまで続くんでしょうか
もう痛々しくて…
それはともかく、痛々しくない頃の小室の話を書きます


--------------------------------------
1985/12/21公開のアニメ映画「吸血鬼ハンターD」は、
菊地秀行の小説をもとにしたものである
EPIC/SONYより同日にビデオも発売されている
アニメの出来は原作者の満足できるものではなかったようで、
小説のファンにも評判はあまり良くないようだ


この映画の音楽の担当が小室哲哉に決まった
この人選にはEPIC/SONY関係の制作だったことも影響しているのだろう
決定した時期はよく分からないが、
1985/5/19の「新おもしろザウルス」でアニメ音楽の話が出ており、
これ以前には決まっていたはずである


小室哲哉のTM NETWORK以外の主要な仕事として、
アイドル・アーティストへの楽曲提供や、映画音楽の製作が挙げられるが、
その内で映画音楽の最初を飾るのが、この「吸血鬼ハンターD」である


その曲は映画公開日の1985/12/21に、
「Vampire Hunter "D"」というタイトルで、
小室哲哉名義の初のサウンドトラックとして発売された
ジャケットは天野喜孝の描いたDの絵で、
中には天野のイラストを書いたポスターも封入されている


天野は小説の挿絵を担当したイラストレーターであり、
アルバムのジャケットも担当したわけである
映画のキャラクターデザインも天野が担当したらしく、
原作の菊地だけでなく天野もかなり存在感を持つ作品だった
(ただし天野の原画は作品にはあまり生かされなかった模様)


サウンドトラックには収録されなかったが、
この映画の主題歌はTM NETWORKが担当した
これは「Your Song (“D” Mix)」というタイトルで、
12inchシングルで11/1に発売された
全国規模でのTMの初のタイアップ曲である
(地方限定では、西日本テレビの「Fantastic Vision」がある)
この曲でファンになったという人も知っており、
TMの音を広める良い機会になったものと思われる


「Your Song」については後の章で述べることにして、
ここでは「Vampire Hunter “D”」について述べることにしたい
このサントラの発売は「Your Song」「Twinkle Night」などよりも遅いが、
レコーディング期間は8月から9月で、
10月に完成した「Twinkle Night」よりも早く終えているからである
「Vampire Hunter "D"」「Twinkle Night」は同時期に作成されたようだが、
映画制作の都合から「Vampire Hunter "D"」を先に仕上げる必要があったと思われる
レコーディングは三浦半島の観音崎マリンスタジオで行なわれた


「吸血鬼ハンターD」は、2001年にDVD化されたらしい
物語の舞台は西暦12090年の辺境の町ランシルバである
人類は「貴族」と呼ばれる吸血鬼たちによって支配されていた


ヒロインのドリス・ランは貴族のマグナス・リィ伯爵に見初められ、
貴族の口づけ(吸血)を受けてしまう
リィはドリスとの婚礼の準備を進める
婚礼の後の初夜には、完全なる貴族の口づけと儀式によって、
ドリスを貴族の仲間入りをさせるつもりだった


一方でドリスは吸血鬼を退治するハンターを待ち、
ついにDに出会うと、これを雇ってリィの退治を求めた
Dは吸血鬼の神祖と人間のハーフ(ダンピール)で、
左手には妖力を持つ人面疽を宿していた


Dは、リィからドリスのもとに婚礼の迎えとして送られた使者を撃退し、
リィの居城に出向くが、捉えられてしまう
一方でドリスもリィの手によって捉われる
こうして始まったDとドリス・リィの物語が本作である


「Vampire Hunter “D”」の音は、映画のBGM的な要素が強い
「Dのテーマ」など、耳に残る音もあるが、
全体としては控えめな音という印象を受ける
もちろんこれは映画音楽として当然なのだが、
たとえば「Seven Days War」「二十歳の約束」などでは、
小室の音を聞けといわんばかりに自己主張の強い曲が並んでおり、
サウンドトラックにもかかわらず、
単独のインスト曲としても聴ける作りとなっている


これらに対して「Vampire Hunter “D”」は、
映画のBGMとしての役割を逸脱していない
まだTMや小室の知名度自体があまり高くなく、
「小室哲哉」を表に出しすぎないように配慮したのだろうし、
またそのような要求も無かったのだろう


ただし一方で、小室はかなり優遇されていたようでもある
というのも、「吸血鬼ハンターD」の作画は小室の曲を待って行なわれたというのである
通常は作品が完成してからそれに合わせて曲を作るのだが、
本作では逆の工程になったわけである
アニメ制作会社側の日程の都合もあったのかもしれないが、
いずれにしろ小室は本作では、映像の制約をほとんど受けず、
原作のイメージに基づいた音を比較的自由に作ることができたと考えられる


小室はこのサントラに、クラシックの要素を強く取り入れたと言っている
映画音楽制作にあたっては、天野の原画のイメージに従い、
美しい世界観を大切にするようにとのオファーがあったという
なお音は生楽器ではなく、シンセサイザーで作られている
特にEMULATOR Uの存在感の大きさが、本作の特徴となっている
ただ一方で、意外と本作で力を入れたのはメロディだったと小室は言っている


小室は映画のパンフレットにコメントを寄せている(本記事かしこさんコメント)
貴重な情報なので、以下に全文を引用しよう

今回は監督さんの考慮があって音先行という画期的な事をやらせて頂いたんです。こんな事って、なかなかないらしいんですよね。だから、僕のイメージで自由にやらせて頂いた事には本当に感謝していますし、結果としてオーディオとヴィジョンが一緒になって一つの作品を作っているといった今までにない融合が作品中で成されたのでないかと思っています。
実際の音作りでは当初、単純にアクションものだからリズムが激しく、ビートがきいているロックっぽい方が合うと思っていたんです。だけど、原作を読んでいく内に優しさ、人間愛みたいなものを感じたので、クラシックっぽい、やわらかな包み込む様なものにしました。『Dのテーマ』『ドリスのテーマ』などがそれです。逆に『リィ伯爵のテーマ』などは単に迫力があるというだけでなく、荘厳さ、奥深い恐怖といったものを出そうとしました。まあ、これは全体に言える事ですけど、音楽でも奥深く、何回も聞いてもらって次々と色色なイメージがわいてくるものにしました。
最後に、この作品を観て頂いた方が作品と同じくらいに音楽も心に残ったという経験をして頂いたら、僕はアーティストとしてとても嬉しいと思います。



本作はサウンドトラックということもあり、
あまり一曲ずつ紹介しても仕方がないというところもあるが、
以下でアルバムの曲について簡単に触れていきたい
もっとも私は映画も小説も見ていないのだが、
アルバムでの曲順はストーリーには必ずしも沿っておらず、
曲の流れに従って配列しているようである(本記事かしこさんコメント)


「魔物たちの夜」
しょっぱなから重々しい雰囲気で始まる
「Rainbow Rainbow」「Childhood’s End」とは異質の音だと、
最初から予感できる
ライブではしばしば「Dのテーマ」と並んで、
「Vampire Hunter “D”」の代表曲として演奏される


この曲は本アルバムでも最初に作られた曲である
最初のサントラ作品ということで、スタッフは最初不安がっていたが、
小室がこの曲を聞かせたところ安心したという
以後小室は、リラックスして曲作りができたとのことである


「D復活」
主人公Dが復活したらしい
まるでDが悪役なのかと思わせるおどろおどろしい曲である
と思ったら、次の曲が「D絶命」
もう死ぬのかよ!


物語の中では、リィがドリスとの婚礼の準備を進める一方で、
Dはリィが雇った強盗団「怪魔団」の首領麗銀星に捉えられ、
心臓に杭を打たれるシーンがあるらしい
「D絶命」はその時の曲だろうか
「D復活」はその後蘇生するシーンだろう


ついでリィ伯爵関係の曲として、
「吸血鬼リィ伯爵(登場)」「貴族の婚礼」「吸血鬼リィ伯爵(死)」が続く
特に「(死)」はDよりも長く、気合が入っているように思うし、
曲もかなりかっこいい
後の「天と地と」に通じる雰囲気がある


「Dのテーマ」は、
「(登場)」「(ドリスの愛)」「(別れ)」の3テイクが収録される
核となる部分は同じだが、その他のパートや音色は異なっている
「Vampire Hunter “D”」でも中心となるテーマ曲と言うべき曲である
特に「Dのテーマ(別れ)」は重厚で壮大な雰囲気のアレンジで、
個人的な一押し曲である


「Dのテーマ」演奏中の小室
「Dragon The Festival Tour」より)



「約束」はパートTとUがある、
パートTの方がよりシンプルな作りである
「貴族の婚礼」と並び、
このアルバムのさわやかサイドを担当している


「ドリス奪回」は、前半は重々しい雰囲気、
後半は落ち着いた雰囲気である
Dがドリス(多分ヒロイン)を奪い、取り返す過程を表現しているのだろう


このアルバムは小室インストの原点として、
コアなファンの間で評価は高い
(ただし、そうでもない人には印象が薄いようだが)
じっくり聴くと、90年代の小室インスト作品と比べても、
いかにもマジメに作ったという感じがする


小室は本作完成後、1985年秋に一人でファンイベントも行なっていたらしい
詳しいことは分からないが、大阪バナナホールに参加した方の体験談によれば、
握手会の他、発売前のサウンドトラックの曲をピアノ演奏したという
(NutRockerさんご提供情報)
以後も「Super DX Formation」「Digitalian is eating breakfast tour」「tk-trap」など、
小室のソロライブで演奏されることが多かった曲である


TM関係のライブでも、
「Dragon The Festival Tour」「Fanks Dyna-Mix」などリリース前後のライブだけでなく、
1994/5/18の終了ライブ「TMN 4001 Days Groove」や、
「TM NETWORK -REMASTER-」初日公演(2007/11/2)でも演奏されている
小室のインスト曲の中で、TMのライブでもっとも演奏の機会が多かった曲だろう


サポートメンバーの間でも、この曲は特別なようだ
松本孝弘による唯一の小室カバー曲は、
「Vampire Hunter “D”」である
「Thousand Waves」に収録)


浅倉大介は2003年の「tribute LIVE」でキーボードを務めた時、
インストコーナーでこれを葛城哲哉とともに演奏している
小室オタク第一人者としては、小室の代役的な位置で、
小室の原点とも言うべきこの曲をやりたかったのだろう


ただし2006年10月現在で「Vampire Hunter “D”」は絶版である
(というか、小室のサントラがすべて絶版なのだが)
もっともこの少し前にリリースされた「Twinkle Night」には、
「組曲Vampire Hunter “D”」として、
「魔物たちの夜」「Dのテーマ(登場)」「吸血鬼リィ伯爵(死)」「Dのテーマ(別れ)」「約束(パートU)」のダイジェスト版が入っているので、
これで雰囲気は分かると思う

(2006/10/14執筆 2006/12/20・2008/10/9・2016/12/23加筆)

吸血鬼ハンターD ― オリジナル・サウンドトラック
エピックレコードジャパン
1986-01-22
サントラ
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ


記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 11


1-16 Dragon The Festival Tour A

2006/12/12 22:00
「ずばり言うわよ!SP」で、
小室が久しぶりにテレビに出ましたね
なんかオーラがなくなってるなーってのが、
正直な感想でした
「飲みニケーション」とか寒い発言は、
今に始まったことではないのでいいですが、
若い人とジェネレーションギャップ感じるとか、
昔の小室ならそんな弱音を吐くことなかったよなーと
あの鼻につくほどプライドの高かった、
見栄っ張りの自信家の姿は一体どこに…(涙)


でもとりあえず「Get Wild」を演奏してくれたのは、
小室の中で自分の代表曲と思ってくれてるような感じがして、
嬉しかったです
普通なら、
 「My Revolution」「Departures」「Can You Celebrate?」
あたりになるだろうから
まあ、タッキーが歌うために、
男性ボーカルの曲を選んだんだと思いますけど


ところで最近PCの調子が悪く、
明日から出張ということで、修理に出します
一応スペアのPCはあるのですが、
更新頻度は落ちるかもしれません
ただなんとか年内には、旧ブログ(フルーツブログ)の記事を、
全部こちらに移したいと思います
いいかげん続き(「Come on Let's Dance」から)を書きたいし
で、なんかやたら長くなってる「Dragon The Festival Tour」に移ります


-------------------------------
「Dragon The Festival Tour」は、
2度ほど曲順が変わっている(曲目は変わっていない)
メンバーはツアー中にも、試行錯誤を繰り返していたのである
以下では最終的な曲順を基準として、ライブの様子を記すことに使用


ステージに暗幕が掛かっている中、
「Childhood's End」が流れ始める
スクリーンには「TM NETWORK」の字が映し出される
そして1分半ほど経つと、
サンプリングボイスが会場に鳴り響く

DragonDraDraDraDra…Dragon of the God
CoCoCoCoCome on Come on Dragon
CoCoCoCoCome on Dragon Dragon the Festival
RoRoRoRoRoRoRound &…


キタ━━━━ヽ(゚∀゚ )ノ━━━━!!!!
 

幕が左右に開く
「Round & Round Shout it…」のサンプリングボイスと大量のスモーク
その中でステージ上にあるのは、巨大な円形のセットである
これは下に降りたムービングトラスで、メンバーはその下にいる


暗幕が上がるとともに、少しずつムービングトラスが上に上がりだす
客席からは奥で並んで立つ3人が見える
向かって左の木根はギターを、
右の小室はショルダーキーボードを持ち、
ウツは中央で右手を上に上げて構えている
ムービングトラスは地上に降りてまた空に帰っていく円盤、
メンバーはそこから降りたばかりの未来人という設定だった


「DraDraDraDraDraDraDragon of the God Dragon of the…」
のところでウツが会場を指差すと、
3人は一斉に前に飛び出る(本当に「飛び」出る)
3人、派手な動きで会場を煽る ものすごいはじけぶりだ
こんなに動くオープニングは、以後ないのではないか
ウツは、ライブは一曲目で盛り上がるような作りにしていたというが、
確かにこのライブはしょっぱなが非常な盛り上がりである


「Dragon The Festival」イントロでは、
激しいサンプリングボイスが拍車をかける
「Zoo Mix」をさらに激化させたようなアレンジだ
この曲はCDで聴く印象以上に、ライブでは盛り上がる
このシーンの映像は「Kiss Japan Tour」「Double Decade Tour」でも、
オープニングで使われた


ただ木根の動きはどう見ても変だ
今見ると笑わせようとしてるようにしか見えない
よく見るとこれは「Vision Festival」「Dragon The Festival」のPVで、
間奏の部分で木根がやっているやつだ
一応PVとつながってはいるのだろう


なおこの妙な動きは、木根が適当にやっていたのを小室が見て気に入り、
ライブでもやらせたものだという
実際にはまずPV撮影の時にやらせて、
それをライブでも再現させたというところだろう


「Come on Dragon The Festival!」と歌が始まる
オープニングの勢いを引き継ぐ派手な演奏だ
2番と3番の間の長い間奏では、
木根が海賊の帽子をかぶって登場し、
望遠鏡で会場を眺める謎のパフォーマンスをする


アウトロのサンプリングボイスの中、
ウツが両手を開いてくるりと後ろを向く
オーケストラヒットから直接つながる形で、
「カリビアーナ・ハイ」のイントロが始まると、
ウツがくるりと前をむく
曲のアレンジは「Electric Prophet」よりもオリジナルに近い
この頃のTMの中では、バンド形式のライブに合う曲である


ついで「Rainbow Rainbow」
バンドの音に変わっているが、
基本的に「Electric Prophet」と同系統のアレンジである
間奏にはギターソロ(松本の)が入り、結構かっこいい
アウトロの演奏とウツの「フッフッフフーフフーフフフフフー」は、
FANKS期のアレンジの原型である
曲が終わるとウツのMC

こんばんは 「Dragon The Festival」へようこそ!
今日はもう、思いっきり歌ったり、踊ったり、金色の夢を一緒にすごそうよ
オーライ?
それじゃ、次の曲は、「8月の長い夜」


「8月の長い夜」は、意外とライブ映えする曲だと分かる
以後も「Childhood's End」中では比較的多く演奏される
「柔らかな夜に〜」の後、ギターが入り、
直接「永遠のパスポート」へつながる
「永遠のパスポート」はオリジナルではフェードアウトで終わるが、
ライブではやさしい雰囲気のアウトロで終わる
これは結構好きだ


木根のギターソロ
短い演奏だが、癒し系?の優しい曲だ
「Fantastic Vision」がスタート
木根ソロの間に裏に引っ込んでたウツが、
インスタントカメラを首に下げて登場する
意外にもこの曲、このライブでは中盤の盛り上げ曲である
というか、曲的にも実は結構盛り上がる曲だ


「街中」「二人だけの」のところで、
ウツが耳のところに手をやって、
会場からの「パレード!」の声を煽る
2番が終わると、首に下げたカメラで会場を撮り、写真を客席に投げる
ここらへん、原曲でカメラのシャッター音が入るところを反映している


ここで照明が落ち、一旦曲が中断
木根が宝箱を持ってきてステージ袖から現れ、
中からクラリネットやバイオリンを取り出し演奏する
バイオリンでは「1974」を演奏する
しかし演奏ミス(実際にはシンセで出している音だと思われるが)
ピーピピピピとホイッスルの音とともに木根が退場し、「Fantastic Vision」再開
ウツが再登場して歌を始まる


なおここで使うバイオリンは、
小室が3歳の頃に親に買ってもらったものだった
ツアーが終わる頃にはぼろぼろになっていたという


「Faire La Vise」
バンド風の音になり、原曲とは雰囲気が変わっている
特にAメロのところはキーボードが抑え目で、
ドラムが強調されている印象である
オリジナルでは「ダダダダンダンダン」で終わるが、
この時のアレンジでは、
一回音が途切れた後、もう少しアウトロが続く
この曲、ツアー初期には「Vampire Hunter “D”」の後、
盛り上がりゾーンの一曲目として演奏されていたが、
途中からこの位置に移った


「愛をそのままに」「Time」のバラード2曲が続く
「愛をそのままに」はほとんどオリジナルと同じである
(イントロのSEはないが)


「Time」はイントロが削られている
オケ自体もかなり変わっているが、
ボーカルを引き立てるために控えめな演奏になっている
この2曲、ソロやtributeを入れても、いまだに映像が存在しない
「Time」「Spin Off from TM」でも演奏したが、DVD化はなかった)


ウツ木根が引っ込み、小室による「Vampire Hunter "D"」
TMのライブでは、このツアー以降中盤に小室のインストが入るのが定番になる
暗いステージにはスモークがたかれ、
怪しげな雰囲気をかもし出している


演奏曲は「魔物たちの夜」「吸血鬼リィ伯爵(死)」「Dのテーマ(登場)」「Dのテーマ(ドリスの愛)」のダイジェストである
ライブと言うこともあり、それぞれCD版とはかなり雰囲気が違う
特にラストの「Dのテーマ」のクライマックスは激しくかっこいい
演奏が終わると、小室は客席に向かってお辞儀して、インストコーナーを締めくくった


ここから終盤の盛り上がりタイムである
木根がアラビアのロレンススタイルに着替えて登場
相変わらず派手なイントロから始まる「1974」だが、
派手さではおそらくこのライブアレンジが、
歴代の中でも最強であろう


イントロはベースとドラムを強調した音から始まる
小室もショルダーキーボードを持ってステージ前に来て、松本と一緒に動き回る
途中から「Electric Prophet」のライブバージョン(Children’s Live Mix)に近くなるが、
やはりバンド演奏のため、雰囲気がかなり違う
グルグル回ったり、ウツの動きも大きい
歌に入った後もドラムが目立つアレンジで(特にAメロ)、
ドラムの存在感が、
「Electric Prophet」バージョンとの最大の違いである


「金曜日のライオン」
こちらは松本のギターが強調されている以外は、
オリジナルとあまり変わらない
「Electric Prophet」の時と違い、
イントロの「フーフー ウッ! ハッ!」をちゃんと言っている
ツアーの中盤までは、
「アクシデント」「Electric Prophet」の間、
つまり盛り上がりタイムの最後を飾る曲だったが、
終盤にはこの位置で演奏された


松本の熱いロックなギターソロが入り、
一転してポップな「Quatro」スタート
(ただしツアー前期にはギターソロはなかった)
ステージ後方で木根と小室が並んで演奏
最後は再び松本のギター


この曲、松本の見せ場が加わったことで、
「Electric Prophet」のバージョンよりも長くなっており、
またロックテイストが強くなっている
アドリブの小室のキーボードも、面白い


「Quatro」が終わると、
これとペアの曲「パノラマジック」
ここらへんからウツが紺のジャケットに着替える
個人的には赤いのよりこっちの方が好きだ
初めて「Groove Gear」で聞いた時は、
ウツのボーカルにインパクトを受けたが、
ライブ全体で聞くとそうでもない


盛り上がりタイムの最後を飾るのが「アクシデント」である
「答えを出せない」「一度しか言えない」の部分は、
これ以前からTV演奏で木根が担当してきたが、
このライブでも同じ形で分担している
以後のライブでも同じく、木根が「答えを出せない」の部分を歌うことになる
(そんなに演奏していないが)


この曲の2番が終わった後、3人が一緒にくるっと回るパフォーマンスがある
当時TVで放映された日本青年館公演では、
ウツが回転の後で舞台にうつぶせに倒れこみ、
それからまた立ち上がっている
てっきりそのような演出なのかと思っていたが、
ウツによればバランスを崩して転んでしまったものだという
(ただ、うまくごまかせたと思うと言っている)


「それじゃ、今の僕たちの気持ちを、この歌で、伝えたい。Electric Prophet
前回の「Electric Prophet」と同様、ラストはこの曲だ
ライブを「Electric Prophet」で締めるという慣例は、
ここで固まったと言って良い
3人が横一列に並び、ウツはまっすぐ立ったまま歌う


最後の「we are inferior to each other」の、
サビの繰り返しのところ、
音が増えて盛り上がるところで、
照明システムが動いて、会場全体をまぶしく照らす
大変絵になる映像だ


「素敵な夜をありがとう」
歌い終わったウツが左手を挙げて会場にお礼をいうと、
紙吹雪が会場中に降ってくる
メンバー3人が後ろから会場を去って行き、
サポートメンバーによるアウトロ演奏


最後は「Vampire Hunter “D”」から、
「Dのテーマ(別れ)」が流れ、ライブは終わりである
会場のスクリーンには、
「May "Dream of Gold" Prevail on All of You Whom We Meet Through This "Dragon The Festival" Tour!」と映し出された
「金色の夢」が「Dragon The Festival Tour」で出会ったみんなに届きますように、というところだろうか
最後は非常にあっさりとしているが、余韻の残るすばらしい終わり方だ


「Electric Prophet」は、何パターンかのライブバージョンがある
個人的には「Tour Major Turn-Round」の演奏が一番好きだが、
何か一つ代表的なのをといわれれば、迷わずこの時の演奏を選ぶ
基本的に「Electric Prophet」のアレンジと同じだが、
より洗練されている印象を受ける
「Electric Prophet」の時にかみ合わなかったコーラスも、
この時はタイミング・バランスともにばっちりである
いわば「Electric Prophet」の完成版だと思う


(ライブタイトルの「Electric Prophet」は赤、
 曲名の「Electric Prophet」は青で表記してます
 ややこしくてすみません…)


「素敵な夜をありがとう!」


(2006/10/8執筆、2006/12/12・2008/9/28・2010/12/26・2013/1/24加筆)


TM NETWORK THE MOVIE 1984〜 [DVD]
Sony Music Direct(Japan)Inc.(SME)(D)
2015-04-22
TM NETWORK
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by TM NETWORK THE MOVIE 1984〜 [DVD] の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル

記事へ面白い ブログ気持玉 6 / トラックバック 1 / コメント 0


1-15 Dragon The Festival Tour @

2006/12/12 21:35
このブログでは、
アフィリエイトでTMのCDなどにリンクを貼っていますが、
驚いたことに、
「Twinkle Night」「Rhythm Red」「EXPO」が絶版のようです
(アフィリエイトでamazonで売っているのは中古です)
「Best Tracks」とかどうでもいいベスト版は売ってるのに…
20周年記念ボックスが出たから、
単品のオリジナル版は不要ということでしょうか
せめてオリジナルアルバムくらいは、
常時用意してほしいものです


ちなみに9/29、
SPEEDWAYの「The Esther」「Base Area」が再発されたようです
なんで今再発したのかはよく分かりませんが…
さて、本編に入ります


-----------------------------------------
TM初のツアー「Dragon The Festival Tour featuring TM NETWORK」は、
1985/9/27からスタートし、10/31まで行なわれた
日程は「Childhood's End」リリース時の6月には決定しており、
早くも6月末にはチケットの販売が始まっている
さらにその後、FM山口開局記念のライブをTMが引き受けることになり、
11/27に山口市民会館で同じセットリストで公演された(開局は12/1)
山口公演は記念ライブと言うことで、入場は無料だった
これを含めると全8公演となる


演奏されたのは17曲、時間は1時間半超である
「Rainbow Rainbow」から5曲、
「Childhood’s End」から9曲の他、
前年の「Electric Prophet」で演奏された「Quatro」「Electric Prophet」に加え、
新曲「Vampire Hunter “D”」も演奏された


「Childhood's End」から漏れた曲は「さよならの準備」「Innocent Boy」だが、
これは小室があまりやりたがらなかったらしい
この2曲は現在までTM3人で演奏された例がない
特に「さよならの準備」は、ウツが1986年以後もたびたび演奏を提案したが、
毎回歌詞が問題とされ却下され続けたと言う


11/1発売の「Your Song」も演奏されなかった
曲の製作がリハーサルに間に合わなかったのかもしれないが、
そもそもサンプラーを多用した同曲は、
この頃の機材では生演奏が困難だったのかもしれない
このライブの雰囲気に合う曲で、
なおかつ今後のライブでもほとんど演奏されなかっただけに残念である
この曲や「Twinkle Night」などツアー終了直後に発表された曲は、
次の「Fanks Dyna-Mix」でも演奏されず、以後のライブでは不遇な扱いとなる


ステージの費用は3000万円かかったという
これは当時の新人としては破格であり、
金をかけたステージとしてかなり宣伝された
特に金をかけたのは照明器具で、
大量のライトを円形につなげて会場の上に吊らし、
曲によって稼動させるという仕掛けを使っていた


これはムービングトラスという3tに及ぶ装置で、
当時日本に1台しかなかった
これを動かす装置も、日本に4台しかなく、
この時全部貸し切った
日本のライブで使用されたのはこれが初めてだったという


ただしムービングトラスの下はものすごく暑く、
ウツは大変だったらしい
見栄えがするという理由で使ってみたが、
ステージに与える影響などは考慮していなかったのだろう
この熱量のために、ステージ上のシンセに異常が起こったこともあった


機材として特にアピールポイントとなったのは、
サンプラーEmulatorUの導入である
これは当時レコーディングで使っていたものだが、
ライブでも導入され、冒頭の「Dragon The Festival」で使用された


メンバーの服装は、ウツは前半は赤、後半は紺のスーツ姿である
木根は前半はキャプテンクック、
後半はアラビアのロレンスの服装で、
色物っぽさを遺憾なく表現している
他にアーミールックの衣装もあったらしい
初日だけ使った(不評で以後やめた)衣装もあったというが、
おそらくこのアーミールックのことだろう


小室はフリル柄の王子様ルックである
正直言って、この小室はかなり恥ずかしい
しかし似合っていないというわけではない
むしろもともとのルックスとあいまって、
不思議なほど似合っている


「Dragon The Festival Tour」は、
他のライブと比べて演奏の様子を知る材料となる商品が少ない
かつて商品化されたものでは、
「Decade」「アクシデント」の1番サビ部分の映像が入り、
「Groove Gear 1」「パノラマジック」の音源が収録され、
「TM VISION W」「Faire La Vise」PVで、
ツアーのダイジェスト映像(音無し)が見られるくらいだった


最近になって「The Singles 1」の特典ディスクに、
「Dragon The Festival」「カリビアーナ・ハイ」「Rainbow Rainbow」
の音源が収録され、
「TM NETWORK THE MOVIE」に、
「Dragon The Festival」の1番サビ前までと「Electric Prophet」2番が収録されたが、
いまだかなり断片的な公開状況であることは分かるだろう
なお以上はすべて10/30日本青年館公演の映像・音源である


ただし「商品」に限らなければ、このライブはかなり材料が豊富である
まず1986年の初め頃に全国で放送された「TM NETWORK in THE VISION」で、
日本青年館公演から「Dragon The Festival」「Fantastic Vision」の一部、
「アクシデント」の大部分、「Electric Prophet」の全部を見ることが出来る


これに先立って1986/1/24テレビ東京「New Age Music」でも、
同じ素材を用いてライブ映像が放映されたが、
「Electric Prophet」だけでなく「アクシデント」も全部放映されており、
「Fantastic Vision」「TM NETWORK in THE VISION」とは別の箇所を放映している
一方で「Dragon The Festival」は番組エンディングに一瞬放送されるだけである


さらにテレビ山口の「TV Video Magazine」では、
1985/11/4に一時間半の特番を組み、
1985/11/27山口市民会館の公演から、
「Dragon The Festival」「カリビアーナ・ハイ」「Rainbow Rainbow」「Fantastic Vision」「Vampire Hunter “D”」「1974」「金曜日のライオン」「Quatro」「アクシデント」「Electric Prophet」
の10曲を放映した


同番組では10/17広島県民文化会館で演奏した曲の中からも、
「Dragon The Festival」「Vampire Hunter “D”」「1974」「Electric Prophet」
をダイジェストで放映している
この時は楽屋の様子なども放映していて、なかなか貴重である
特にこの時の松本孝弘などは、B’zファンには垂涎物だろう
ちなみに西村麻聡が、本名の「西村昌俊」で登場している


音源については、FM広島で2時間の特番が組まれ、
広島県民文化会館のライブが完全放送された
FM仙台では、2週に渡って日本青年館のライブの一部が放送されている
「Rainbow Rainbow」「8月の長い夜」「永遠のパスポート」「Vampire Hunter “D”」「Dragon The Festival」「1974」「金曜日のライオン」「アクシデント」


私は聞いたことがないが、1986/3/24にはFM愛媛でもライブ音源が放送されている
おそらくは日本青年館公演だろうか
「Fanks Dyna-Mix」のチケットはこの頃に発売されたので、
その販促のための放送だろう
またFM山口では開局日の1985/12/1にライブ音源が1時間半放映された
CMやコメントなども入るだろうが、ライブの大半は放送されただろう
他にも未確認のライブ放送があった可能性は高い


特にFM広島のものは貴重で、
これを持っていれば音については全貌を知ることができる
全貌を現在知ることができるライブは、
これ以後では1989年の「Camp Fanks! '89」まで待たなくてはならず、
その点では恵まれたツアーということもできる
しかし一方で商品化されたものがほとんどない現状は、
なんとかしてほしいものである


このツアーについて、ポイントを3つほど挙げておきたい
1つはSF的設定である
「Childhood’s End」で現実的な雰囲気を打ち出したTMだったが、
ファンタジー的世界観の「Dragon The Festival」のシングルカットや、
メンバーを宇宙人になぞらえた「Vision Festival」のリリースにより、
この頃のTMはSF路線に回帰していた
さらにファンタジーアニメ「吸血鬼ハンターD」のサントラ担当もあり、
ファンタジー的要素も加わることになる
小室・木根の衣装は明らかにファンタジーの設定に基づいており、
この点では「Electric Prophet」以上に現実離れした雰囲気を出している


そもそもこのツアーのコンセプトでは、
メンバーは円盤からステージに降りた未来人という設定だった
1984年の「Electric Prophet」でも、
TMは未来から来た宇宙人という設定であり、


これは小室の未来小説「Electric Prophet」のストーリーに沿っている
異世界から来たキャラクターをメンバーが演じるという発想は、
後の「CAROL Tour」につながるものといえよう


未来小説「Electric Prophet」は、
「PATI PATI」1985年11月号から1986年1月号にかけて三回連載されたものである
(GAUZEさん提供資料)
テーマは「誰にでもある運命的な出会い」である


なお2015年に発売された「TIME MACHINE BOX」には、
1994年以前の「GB」「PATI PATI」の記事を原則としてすべて収録しているのだが、
小説「Electric Prophet」は外されている
おそらくTMではなく小室哲哉の作品として掲載されたためだろうが、
これは是非収録して欲しかったと切に思う


「Electric Prophet」の舞台は22世紀の世界で、
建築家デューク・ファーナム(←小室)、謎の東洋人シルバー(←木根)、ロックミュージシャンテディ・ランドル(←ウツ)というTMメンバー3人をモデルにしたキャラクターが登場する
実はシルバーとテディの本職は時間旅行の管理者であり、
過去に時間移動した人々の調査も行なうことができた


彼らはデュークが物語の翌日、学術調査のために1985年にタイムスリップすること、
そこで一人の女性と恋に落ちること、
以後エイドリアン・ファーナムと名乗って20世紀の世界に多大な文化的影響を与えることを、
事前に察知していた
時間管理者の立場としては、歴史を変えないように、
過去にさかのぼってデュークと女性の出会いを抹消する措置を取らなくてはならない
そこで二人は当初デュークに翌日の時間旅行を断るように忠告する


しかし一方で二人は、デュークと女性の出会いがすばらしいものとなることも知っており、
内心ではあえて法を犯してデュークを見守ることを決意していた
そのため最終的にはデュークに真実を伝えて過去に送り出すのである
デュークが過去に時間旅行して女性と出会うという未来をテディが歌ったのが「Electric Prophet」であり、
小説内ではデュークはこれを聞いて自らの運命を知ることになる


この小説は1985年10月頃に発表されたもので、
「Electric Prophet」が最初にライブで演奏された1984年12月まで遡らせることはできない
基本的にこの設定は「Electric Prophet」のストーリーというよりは、
同時期の「Dragon The Festival Tour」のストーリーと見るべきである
ただし「Dragon The Festival Tour」では、円盤から降りてくるのは3人なので、厳密には矛盾するのだが


ポイントの2つ目はバンド形式の採用である
「Electric Prophet」はほとんどの音をシンセが担当する異色のライブだったが、
この時には多くのサポートメンバーを集め、
生のギター・ベース・ドラムを備えたバンド形式が採用された
以後メンバーこそ変動し、
ベースはシンセが担当することもあったが、
20周年ライブ以外はほぼバンドスタイルでライブが行なわれた


一つには、初の全国ツアーということで、
コンピュータトラブルを避けるため、
生音の比率を上げたということがあるのだろう
同様の理由から、この時は打ち込みも最小限に留めたという
レコードで発表されていた楽曲も、
シンセ演奏の部分を生楽器のパートに変更するなど、
バンド向きのアレンジに変更されている
「Rainbow Rainbow」収録曲も多くは「Electric Prophet」でのアレンジをバンド風にしたものである


小室はこのツアーで楽曲のライブアレンジに意欲を示しており、
「レコードの完璧なリミックスバージョン」を一つのコンセプトにしていたが、
実際にはシンセを前面に出した「Electric Prophet」ほど驚きのあるアレンジとはなっていない
ただこの時はテープは使っていないと小室が言っている
逆にいえば「Electric Prophet」はやはりテープを使用していたということだろう
つまり「Dragon The Festival Tour」は、
当時の技術で生演奏が可能なように配慮されたアレンジだったと考えられる


サポートメンバーとしては、
ほとんど身内の存在だった小泉に加え、
ギターに松本孝弘、キーボードに白田朗、
ベースに西村麻聡、ドラムに山田亘がいた
西村・山田は後にFence of Defence、松本はB’zを結成する
後にFence of Defenceのギターを担当する北島健二も、
当初このツアーのサポートとして小室に誘われていたが、
仕事の関係で断り、代わりに松本を紹介したという


小泉はこのツアーを最後にサポートから外れるが、
白田・西村は1986年、山田は1988年、
松本は1989年までサポートを務めた
後のTMライブの基本メンバー(いわゆるTMファミリー)が、
ひとまずここで集まったと言えよう


ツアーの打ち上げの時には、
メンバーとサポートでツアーパンフに寄せ書きをして、
また機会があったら一緒にやろうと言って別れたという
TMのサポートは、メンバーとの連帯感が大変強く、
ファンの間でもそれぞれに思い入れがあったりする
今でも付き合いがあるようだ


なおプロデューサー村田正樹、演出家鬼塚玲二、PA小野良行など、
メインのツアースタッフの多くも、
基本的にこの時から「EXPO」期まで同じだった


3つ目は木根の役割である
「Dragon The Festival Tour」はツインキーボード(小室・白田)、ツインギター(木根・松本)となっていた
しかしキーボードについてはともかく、
ギターがメインではないTMライブでツインギターは本来必要ない
これはそもそも木根にはギターとしての役割がほとんど期待されていなかったことによる


木根は2014年のテレビ出演時、1987年「Fanks Cry-Max」の映像を出してエアギターだったことを自ら述べたが、
2016/12/15「じっくり聞いタロウ」ではこれについて釈明し、
オクターブ奏法で演奏していたため指が動いて見えないだけであると述べた
この点は木根の言う通りであろう


ただしここで取り上げたいのは、木根がそのついでに話したことである
すなわち「最初のツアー」ではアコギはちゃんと演奏していたが、
エレキギターはぶら下げているだけで音を出していなかったと述べたのである
「最初のツアー」とは「Dragon The Festival Tour」を指しているに違いない
バラエティ番組だけに話を盛っているところもありそうだが、
その論法から見て本ツアーでエレキをほとんど演奏していなかったというのはありそうな話である


これまでこの話をちゃんと触れていなかったので、改めて書いておこう
木根のSPEEDWAY時代のパートはキーボードであり、
アコースティックギターは弾けたものの、
エレキギターはもともと専門外だった
それにもかかわらずTMでは、
キーボードは二人もいらないと言う小室の意見によってギター担当にされてしまったと、
木根はしばしばネタとして語っている


一般にこの件は、デビュー当初1984年のことと考えられている向きが強いが、
エレキギターに関するエピソードで「Dragon The Festival Tour」に言及されたことを考えるに、
実は1985年のことだったのではないかという疑念が湧く
そもそも1984年の木根が、エレキギター担当とされていたのかという問題である


まずTM最初の映像である「金曜日のライオン」PV(1984年3月制作)では、
木根はキーボードを演奏しており、
同時期に制作された「Rainbow Rainbow」PVでも、鍵盤を演奏するパントマイムを行なっている
「金曜日のライオン」PVの後の付録部分のメンバー紹介でも、
「NAOTO KINE」「VOVALS, KEYBOARDS」とされている
さらに「Keyboard Magazine」1984年5月号では、木根の担当が「キーボード類」とあるし、
「Player」1984年10月号(9月頃発売)では小室が木根を、
「TMネットワークのもうひとりのキーボード・プレイヤー(ライブではギターも弾きますけど)」と呼んでいる


「Electric Prophet」での演奏の様子を見るに、
木根はライブでは基本的にキーボードを演奏するが、
曲によってはアコギやエレキも演奏するというスタイルだったようである
「Quatro」「カリビアーナ・ハイ」「1974」「Electric Prophet」など)
1984年6月のファーストライブでも、
木根の担当機材にはキーボード・アコギ・エレキが含まれているが、
おそらく同様のプレイスタイルだったと考えられる


「1974」PVで、木根がシンセを前に置きながら、アコギをジャカジャカ弾いているシーンなどは、
生演奏シーンではないものの、当時の演奏スタイルを反映したものだろう
この頃のテレビ出演ではほぼ「1974」を演奏していたため、
間奏のアコギを目立たせるために木根はギターを持つことが多かったが、
扱いとしてはキーボード担当だったと見るべきである
そしてこの頃の代表曲「1974」でのパフォーマンスに見るように、
キーボードの次はアコギであり、エレキの比重はかなり低かった


これに対して「Childhood's End」期のPVの木根はギターしか持っていない
「Vision Festival」の宇宙船シーンも同様である
これらは実際の演奏シーンではないが、逆にそれだからこそ、
木根をギタリストとして売り出そうとしていたことをうかがうことができる
さらに「Dragon The Festival Tour」では、木根の前にキーボードが置かれていない
こうして見ると、実は木根がギタリストに「なった」のは1985年であり、
小室が木根に演奏しないエレキをぶら下げていろと言ったのも、
その頃だったと考えるのが自然ではないか


1984年末から1985年初めの木根は、ギター兼キーボードとして扱われている
たとえば1984/10/26「おもしろザウルス」では、
木根は「ギターとキーボード」として自己紹介している
商品になっているものでは、「TM VISION T」収録の「Fantastic Vision」PVに、
「NAOTO KINE」「KEYBOARDS, GUITER」と明記されている
(「GUITER」はPV中の表記のまま)
5月頃に配布されたと見られる「アクシデント」「Childhood's End」販促用パンフレットにも、
「キーボード、ギター、ボーカル、作曲」とあり、
この時点でも第一に挙げられているのはキーボードである


しかし1985/6/17放送の「ファンキートマト」では、
「ギターの木根尚登」と自己紹介しており、
以後のTV出演ではもっぱらギタリストとして紹介されるようになる
それはちょうど「Childhood's End」楽曲のPVが公開されるようになる頃でもある


以上を勘案すると、「ギタリスト」木根は、
「Childhood's End」リリース前後のプロモーション期頃に誕生したようである
1984年のプロモーションでは木根があまり表に出なかったのは周知の通りだが、
小室は1985年に木根を表に出すに当たり、
キーボード小室・ギター木根という覚えやすい設定を設けたのだろう
テレビで演奏する場合に、
小室・木根の役割がはっきりと分かるようにした方が得策とも考えられたに違いない
(実際に演奏しているか否か以上に)


そして木根は「Dragon The Festival Tour」でもギタリストとして出演した
冷静に考えれば、キーボード担当の正規メンバーの木根をギターに回し、
サポートのキーボードとして白田朗を入れたと言うのも、
なかなかすごい話だとは思うが、
それはともかくとして、
実際には限られたアコギの場面以外に木根が演奏に関わる機会がなかったのは、
サポートメンバーとのバランス的にも問題にはなっただろう
普通にライブを行なうだけでは、
どう考えても松本や西村の方が木根よりも目立ってしまう


そこで小室が木根のために考えたライブでの役割はパフォーマーであった
この発想の前提には、
Howard Jonesの来日公演で見たJed Hoileのパントマイムパフォーマンスがあったという
当時のHowardのライブはシンセのHowardとパントマイムのJedで行なわれていたが、
Howardは1985年8月に来日しているので、おそらくこの時のことであろう


木根はたとえば「Dragon The Festival」のイントロでは、
体を揺らして手に振りながら動き回り、
アウトロではキャプテンクックの格好で望遠鏡で会場を覗きこむ
「Fantastic Vision」の間奏では、
木根が宝箱を持ってきて、中からクラリネットやバイオリンを出し、
演奏するポーズを取っていた
木根のパフォーマンスの具体的な様子については、
「TM VISION W」収録の「Faire La Vise」PVで見ることができる


キャプテンクック木根



木根はしばしば小室の無茶ぶりでライブで色々なことをさせられたことをネタにしているが、
このツアーの木根は、むしろかなり優遇されて見せ場を与えられていた印象である
もちろんそれがイロモノとしての扱いだったことは否定できないが、
そもそも1984年の木根は上層部の意向で前面に出されておらず、
場合によってはその後メンバーから外されていた可能性も十分にあったはずである


この時期のレコーディングは小室と小泉洋が中心で、
木根のアイデアが反映される機会はほとんどなく、
音作りの面からも木根が切られる可能性はあった
木根は売れる以前、自分の音楽がやれず、
TMをやめようと悩んだ時期もあったというが、
1984年の木根が厳しい状況にあったことは、今でも容易に想像できる


そのような境遇にあった木根を表面に出すべく戦略を練った小室は、
むしろ木根の恩人と言っても過言ではないように思う
そしてそれに当たり小室とかぶらない木根の役割を考え出したのは、
戦略としてはかなり正解だっただろうと思うし、
だからこそ木根は小室の「無茶ぶり」にも着いて行ったのだと思う


ギタリストの肩書で実質的にはライブでのパフォーマーという木根の立ち位置は、
これ以後も80年代を通じて続く
もちろんツアーを続ける中で、
エレキギターも少しずつ上達はしていっただろうが、
ライブでギターの中心を務めたのは、
80年代を通じて松本孝弘だった


そうした中で木根はパントマイムや竹馬・手品・空中浮遊など、
毎回のように新しい芸を習得し披露していく
(その裏には大変な努力があったと思われるが)
これは当時、TMライブの一つの見所ともなっていた
1987年頃、ファンでもなかった自分でも、
木根のパントマイムの話を知っていたほどである


90年代のTMN期にはNETWORK期のイメージを払拭するためか、
こうしたパフォーマンスは行なわれなくなってしまったが、
(代わって一曲ボーカルを取ることになった)
TM NETWORKとして復活した今は、
また何か芸を出してくれても良いのではないかとも思う


なおライブのパフォーマンス性についてはウツも気にしていたようで、
ジャズダンスを2ヶ月習ってツアーに臨んだ
ただあまり役には立たなかった
そこで翌年には別のインストラクターについてダンスを学んだという


最後に「Dragon The Festval Tour」の成果について
「Childhood’s End」同様、FANKS期の成功の前段階として、
このツアーにはあまり高い評価が与えられていない
(というか、あまり言及されない)
しかし東京・札幌・広島など「Electric Prophet」の公演を行なった都市や、
大阪でもチケットは即日完売しており、
まずまずの前評判だったと見て良い


さらにあまり触れられることがない話題だが、11月の時点では、
1986年1月か2月頃にツアーの「スペシャル・バージョン」が企画されていた
ツアーの2倍くらいの規模で、演出も変更するつもりだったという
ツアーファイナルの日本青年館(収容規模1360)の倍の規模となれば、
2000人近いホールで開催する予定だったことになろう


1986年のツアー「Fanks Dyna-Mix」の特別版として開催された「Fanks "Fanatasy" Dyna-Mix」や、
1987年のツアー「Fanks! Bang The Gong」の特別版として開催された「Fanks Cry-Max」のようなライブが、
「Dragon The Festival Tour」の後にも計画されていたらしい
ツアーで演奏できなかった「Your Song」「Twinkle Night」など、
「Twinkle Night」収録曲を演奏することも考えていた可能性もある


実際には1〜2月は「Gorilla」のレコーディングの真っ最中であり、
このライブは実現しなかった
だがそもそも11月にまだ計画段階に留まっていたのは、かなり不可解である
80年代のTMは3ヶ月前頃にライブのチケットを販売するのが一般的で、
仮に特別版ライブが2月開催予定だったとしても、
11月中には告知している必要があろう
(大規模なライブとなればなおさら)


おそらくこのスペシャルライブは10/30日本青年館公演で告知する計画だったが、
結局様子見することになり、最終的に見送ることになったのだろう
もしもこのライブが実現していれば、
その映像は「Fanks "Fanatasy" Dyna-Mix」「Fanks Cry-Max」のように、
後に商品化していた可能性も考えられる
「Dragon The Festival Tour」がまとまって商品化されていないことを考えると、
この点は残念なところである


このスペシャルライブ企画の残骸と思われるのが、
TVで放送された「TM NETWORK in THE VISION」である
これは1986年6月から始まる全国ツアー「Fanks Dyna-Mix」のチケット発売に先駆けて、
2・3月頃に全国で放送された特集番組である
その内容は「Dragon The Festival Tour」の映像を中心としたものだった
前ツアーを宣伝用に放送し、次のツアーの動員につなげようとしたわけだが、
「Dragon The Festival Tour」特別版の開催も同様の趣旨で計画されていたものではないだろうか
つまり東京での大規模ライブの開催から、
全国でのテレビ放送に予定を変更したという可能性である


1986年の全国ツアーについては日本青年館公演3日後の11/2には、
テレビで開催決定が告知されている
おそらく次のツアーについては日本青年会の会場で(またはその他の会場でも)、
来場者に告知されていたのではないだろうか
だとすればこのツアーは10月の時点で決定していたことになる
そしてそのツアーは「Dragon The Festival Tour」の2倍の15公演となった
これは「Dragon The Festival Tour」開催以前から、
チケット売上が一定の成果を出していたことの反映だろう
そしてこれ以後TMは1989年まで、
かなりの頻度で全国ツアーを繰り返し続けることになるのである


以上、前置きが非常に長くなってしまった
本来ならばここからライブ本編の話になるのだが、
分量の都合上、次章に回すことにしたい

(2006/10/1執筆、2006/12/12、2008/9/28、2009/1/8、2013/1/25、2014/1/12、2016/12/19、2017/5/3加筆)

TM NETWORK THE SINGLES 1(初回生産限定盤)
Sony Music Direct(Japan)Inc.(SME)(M)
2008-05-28
TM NETWORK
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ

記事へ面白い ブログ気持玉 5 / トラックバック 2 / コメント 2


1-14 Timemachine Cafe

2006/12/11 02:15
TM NETWORKのファンクラブTimemachine Caféは、
1984/9/1に設立された
「1974」の部分的ヒットによって、
ファンを組織することが可能になったのであろう
この頃に開催が決定した「Electric Prophet」の動員とも関わるのかもしれない


結成当初の会員は約70人だったという
この頃は規模も小さかったためか、
ファンクラブ会員の「アクシデント」「Dragon The Festival」PV出演など、
メンバーと接する機会も多かったようだ
最盛期には日本最大の組織力を誇るFCと言われた
会報は「Café Talk」というタイトルだった


初期の会報



「Café Talk」は1984年12月から1993年1月まで34号発行され、
1993年2月から「UKK Times」と名前を変える
小室が独立事務所を構えるようになったのを受け、
Timemachine Café がウツ・木根・葛城哲哉のFCになったためで、
TMの歯車が狂ってきていることをファンに感じさせる動きであった
この当たりの話は、後に触れる時が来るだろう


TM休止期の1990年5月には、
FCで「The Fanopedia」というデータブックも発売された
TMNリニューアルに向けての、TM期のデータの総決算事業というところだろう


なお「The Fanopedia」には、
の発行部数を1989年9月発行のvol.21まで、
全号の発行部数が記録されている
これは言うまでも無くTimemachine Café 会員の規模を示すもので、
TM NETWORKの人気を知る上で重要な資料である


ここでは少し寄り道して、その規模の変遷を見てみよう
なお日付けは会報の発行日だが、実際の発行とは多少ズレがある場合もある


vol.1(1984/12/1)  340
vol.2(1985/2/1)   452(+33%/2ヶ月)
vol.3(1985/4/1)   542(+20%/2ヶ月)
vol.4(1985/7/1)   757(+40%/3ヶ月)
vol.5(1985/9/1)   1051(+13%/2ヶ月)
vol.6(1985/12/1)  1506(+43%/3ヶ月)
vol.7(1986/3/19)  2128(+41%/4ヶ月)
vol.8(1986/6/21)  2353(+11%/3ヶ月)
vol.9(1986/10/14)  2980(+27%/4ヶ月)
vol.10(1986/12/23) 3220(+8%/2ヶ月)
vol.11(1987/3/25)  4100(+27%/3ヶ月)
vol.12(1987/7/6)   6947(+69%/3ヶ月)
vol.13(1987/10/5) 11826(+70%/3ヶ月)
vol.14(1987/11/30) 14464(+22%/2ヶ月)
vol.15(1988/2/29) 25937(+79%/3ヶ月)
vol.16(1988/6/16) 35423(+37%/4ヶ月)
vol.17(1988/9/20) 36577(+3%/3ヶ月)
vol.18(1988/11/30) 39177(+7%/2ヶ月)
vol.19(1989/3/16) 44458(+13%/4ヶ月)
vol.20(1989/6/7)  47848(+8%/3ヶ月)
vol.21(1989/9/1)  48447(+1%/3ヶ月)



まずいえるのは、vol.1からvol.21まで常に規模が増加していることである
TM NETWORKは人気絶頂期だった1989年8月に活動を休止し、
約1年のソロ活動期を挟んで1990年8月にリニューアルの構想を発表する
一般にTMはこれ以後人気が停滞すると言われるが、
少なくとも活動を休止するまで、FCの規模は常に増加していたようである


それを前提に増加率を見ると、最後の一年(vol.16〜21)、
「CAROL」期前後には落ち着いてきたようで、
10%を越えることはほとんどない
このあたりで会員の規模は限界近くになっていたと思われる
仮にこの後TMN期に会員数が増えたとしても、
倍増というほどにはならなかっただろう


逆に特に伸びが顕著なのは、
1987年から1988年前半の間(vol.11〜16)で、
「Self Control」「humansystem」期、
1年3ヶ月で約9倍になっている
この頃がTM NETWORKの人気の爆発的上昇期だったことが分かる


この間に増えた会員数は3.1万人以上で、
単純計算すれば1989年9月時点での会員数4.8万人の6割以上が、
この時期に加入したことになる
(もちろん実際には脱退・再加入会員もいただろう)


そしてこれについで上昇率が高いのが、実は1985年である
増加人数で見れば月100人程度なので、
あまり過大評価はできないかもしれない
だが少なくともこの時期の活動で、
TMが着実にファンを増やしていたことは確かである


特に1985年9月から翌年3月の半年間が多く、
毎月約200人の新規加入を得て会員数を倍にしている
この間に「Dragon The Festival Tour」があり、
3月には次のツアー「Fanks Dyna-Mix」のチケットが発売される
前ツアーを契機にTMにはまり、
次のツアーチケットをFC優先枠で取ろうと思ったファンは、
案外多かったのではなかろうか


TMはそれまでも地方のテレビ局めぐりなどをしていたが、
やはり全国ツアーの効果は大きかったのかもしれない
一般にTMはFANKSの提唱によって飛躍の契機を得たとされ、
実際に世間で広く認知されるのはそれ以後のことだったが、
熱心なファンの数はそれに先行して増加していたと見られる


別章で触れる通り、11月リリースの「Your Song」が、
それ以前よりもセールスを伸ばしたのも、
アニメ映画のタイアップによる一時的なものではなく、
着実にファン層を増やしていたとことも背景にあったのだろう
(ただし直後の「Twinkle Night」はミニアルバムという媒体ゆえ売り上げは振るわなかったが)
翌年の「Come on Let's Dance」「Gorilla」の成功の一部も、
この頃の地道な活動によるところがあったと考えられる


そして意外なことに1986年には、
会員はこの頃ほどの勢いでは増えない(3〜12月で1100人増)
シングルのセールスも4月の「Come on Let's Dance」で1万を超えたが、
11月の「All-Right All-Night」までこの規模を越えることはなかった
この時期に増えたのは、主にシングル購入やFC加入には至らないライトファンだったのだろう
もちろんそうした広範なファンの広がりが、1987年のブレイクをもたらしたのであるが


TMは「EXPO」の頃まで頻繁にファンイベントを行なったが、
その最初を飾るのが、1985年の「Party of TM VISION」である
6/22から7/7まで6箇所、9/1から11/3まで7箇所で行なっている
ちょうど頻繁にTV出演をしていた時期やツアー時期と重なり、
全国を回る機会をとらえて効率的にファンイベントをこなしていたらしい


ただしファンイベントとは言っても、
この頃はファンクラブ限定というわけではなく、
地方のプロモーション活動の一環だったようだ
そもそも全国で1000人程度の規模でファンクラブ限定イベントを開いたところで、
大して人も集まらなかっただろう


「Party of TM VISION」の前半は「Childhood's End」とツアーの宣伝、
後半は「Your Song」の宣伝が目的だったと考えられる
それぞれアルバムのプロモーションや「Dragon The Festival Tour」で、
メンバーが全国を回っていた時期である


PV上映、メンバーのトーク、ファンの質問、プレゼントコーナーなどは、
ファンイベントでお決まりのパターンだったが、
他に「Party of TM VISION」で注目すべきものとして、
小室が撮影したプライベート映像の上映があった


この頃小室は8ミリビデオに凝っており、
仕事の移動中や打ち合わせの風景、ラジオの収録風景、
ライブのリハーサル風景などを、
自ら撮影したり、マネージャーに撮影させたりしていた


余談だが「Tour Major Turn-Round」のMCによると、
小室はこの頃の映像をまだ持っているらしい
当時サポートを務めていたB’zの松本孝弘は、
恥ずかしいから買い取らせてくれとお願いしたという


TMのファンイベントでは、最後に1-2曲演奏をすることが多かった
メンバーのみの演奏のため、シンプルなアレンジになることが多い
通常のライブではあまり演奏しない曲や、
特殊なアレンジをした曲が多く、ある意味で貴重である


たとえば「Twinkle Night」は、
ライブでは「Kiss Japan Tour」の岩手公演と「Tour TMN EXPO」のフォークパビリオンでしか演奏されたことがないが、
ファンイベントではクリスマスにちなんで、
1988/12/24・25の「T-Mue-Needs Summit」で演奏されている


また「Party of TM VISION」では、
「Childhood’s End」に収録されなかった「Time Machine」を演奏している
「Dragon The Festival Tour」では外されてしまったが、
メンバーの思い入れのある曲だったのだろう


TMのファンイベントの回数は、把握しきれない程多く、
今後も逐一紹介することはしないが、
意外と地道な活動を行なっていたことが分かる
最大の組織力といわれたファンクラブは、
こうした活動によって支えられていたのである


2001年以降まともな活動がほとんどない現状を考えると、
うらやましい限りである
tribute LIVEでいいから定期的にライブを開催してほしいという意見を時に聞くが、
個人的には気楽にファンイベントを開くくらいのことをしてもらえればと思う


最後に今までの主なファンイベントを挙げておく
単発のイベントなどは省いている
他にも無料ミニライブ、YAMAHA EOSイベントや個人名義のイベントも多く、
これらも含めるとかなり頻繁になる

・1985/6/22-11/3「Party of TM VISION」
・1987/2/11-12/20「Fanks Summit」
・1988/12/24-1989/2/25「T-Mue-Needs Summit」
・1989/12/29「Fanks The Party」
・1990/8/8-23「Arena Gathering」
・1992/1/14-2/27「Party Pavilion」


なおこの中で「Arena Gathering」は、
「The Point of Lovers' Night」購入者特典としてのイベントであり、
「Party Pavilion」はローソンの販促イベントだったから、
FC主体のファンイベントとは多少性格を異にする
これについては第四部で触れることになるだろう

(2006/9/24執筆 2006/12/11・2008/9/28・2013/1/19加筆)


CHILDHOOD'S END
ソニー・ミュージックダイレクト
2013-02-20
TM NETWORK
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by CHILDHOOD'S END の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル


記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 5 / トラックバック 3 / コメント 5


1-13 Vision Festival

2006/12/09 08:45
1985/8/25リリースの「Vision Festival (journey to saga)」は、
TM初の映像作品の商品化である
1984/12/5渋谷Parco PartVの「Electric Prophet」のライブ映像とPVを収録している


ビデオ発売の計画はかなり早くからあり、
1984年11月に、すでにライブビデオのリリース計画が予告されている
「Electric Prophet」はそもそもビデオ化を前提として企画し、
新人としては多額の予算を得て開催されたものだった
結果的には制作費が数百万かかったと小室が自慢しており、
当時としてはかなりの額だったのだろう
実現はしなかったが、当初は外国までビデオ撮影に行く計画まであった


「Electric Prophet」のチケット発売は9月のことだから、
ビデオ発売の1年前には計画が始まっていたと見て良いだろう
本作は現在ではシングルやアルバムと比べて扱いは小さいが、
当時の小室の中ではかなり重要な作品だったと見られる


1984年末の段階では、アルバムリリースの後にシングルを2・3枚立て続けにリリースし、
それと一緒にビデオも出すと言う構想が示されている
この「一緒」の意味が分かりづらいが、
要するに複数のシングルとビデオを前後して発表するつもりだったのだろう
この2・3枚のシングルという構想が基になって、
7月の「Dragon The Festival」と11月の「Your Song」リリースとなったのかもしれない


ただし制作費を反映して、1時間で9280円という、
中高生ではおいそれと手を出せない値段設定となっている
発売は8/25で、お年玉もとっくにないし、
夏休みも終わりに近づき、
遊びで貯金がなくなっている者も多い時期だ


しかし当時オリコンでは、なんと17位に入ったという
当時はシングルではまだ90位台の成績しか出していなかったことを考えると、
かなりの成績と言えるだろう
音楽ビデオという媒体がそれほど普及しておらず、
作品数自体が少なかったことも考え合わせる必要もあるが、
それにしても映像に力を入れてきたTM NETWORKならではと言えるだろう


ビデオでは最初、宇宙船に乗ったメンバーが登場する
(ただし初めは小室だけ)
服装は宇宙人をイメージしているのだろうが、
かなりイカレている
が、自分は嫌いではない
1987年頃のコスチュームにつながるといえるだろうか


このビデオにはストーリーもあったが、
この元になる脚本は、1984年に企画が立ち上がった時点で、
小室がホテルで監督(坂西伊作か)とともに書いたものだった
おそらくこの脚本は、直接には「Electric Prophet」のライブコンセプトに反映されたものだろうが、
「Vision Festival」制作に当たっても、微調整を加えつつ反映されているのだろう


そのストーリーとは、TM NETWORKが宇宙船の中から地球の様子を観察するというもので、
ライブのシーンのTMは宇宙船から送り込まれた分身という設定だった
これは「1974」の流れを汲むものだという
「1974」は宇宙から到来した「君」を主人公の男性が目撃するというものだが、
ここではTMが「君」を演じるというコンセプトになったらしい


未来から到来したTMが「君」を迎えに来るというストーリーの「Electric Prophet」も、
このコンセプトの延長上に構想されたものだろう
ライブ「Electric Prophet」自体、TMが未来から現在に現れるというストーリーによるものだった
「Vision Festival」ではこのライブ映像に宇宙船内のメンバーの映像を加え、ストーリーを作り出している


「Childhood's End」では現実路線の作風を打ち出したのに対し、
ここでまたSF路線に回帰したことになるが、
ビデオ化前提で開催された「Electric Prophet」の映像を用いる以上、
当初の構想をそのまま用いるしかなかったのだろう
また「Childhood's End」の路線も必ずしもヒットに結び付かなかったため、
SF路線への回帰を拒否する積極的な理由もなかったといえる
そして秋から開始される「Dragon The Festival Tour」も、
本作と同様のストーリーに則って上演されることになった


ビデオではBGMの中で宇宙船内部のコクピットの映像が流れる
このBGMは他の作品に入っていないものである
コクピットに一人の人間が現れて座る
小室哲哉である
小室はモニターを見ながら英語で何かしゃべる
タイムマシンで1974年の地球に降り立つことを述べているようである


「1974」のPVがスタートする
PVの内容については以前「1-6 1974 & メディア出演(1984年)」で触れたので割愛するが、
PV冒頭に現れる宇宙船は、小室が乗っている宇宙船と同じものなのだろう
メンバーが1974年の地球で活動した後、再び宇宙船に吸い込まれてPVは終わる


再びコクピットシーン
今度は小室以外に木根とウツもいる
BGMにライブ音源の「Quatro」が流れ始めるとともに、
3人がぐるぐる回転を始める
意味はよく分からないが、雰囲気は出てる
そのまま場面はライブ映像に移る
このビデオは、ここからが見所だ


「Quatro」から「パノラマジック」への神展開の後、
「Rainbow Rainbow」「1/2の助走」
歌とウツの口が合っていないところがしばしばあるが、
これはビデオの作成方法が関係している
観客のいない状態で開演前の午前中に撮影した模擬ライブとライブ本番の、
両方の映像・音源を合成して使っているのである
もともと「Electric Prophet」自体、
ビデオ撮影を前提に企画されたライブでもあり、
このライブ映像自体が一種のPVの性格も帯びているといえる


場面はまたコクピットに移る
モニターでライブ風景を見ていた木根が、
右手を前に出して「Just For You And Me Now」「Take it to the lucky」と唱える
小室はこれを受けてモニターの方を向いて、
「T・A・K・E・I・T・O・T・H・E・L・U・C・K・Y」と唱える
宇宙船のコンピュータに「Take it to the lucky」と入力しているのだろう
再びカメラが木根に移る
木根、謎のマスクをかぶって、「ウォッ」と言ってポーズを取る


意味分からん(´д`)


それはともかく、場面は再びライブに移る
曲は「金曜日のライオン」
最後にウツが両手を挙げてポーズを取りカットアウト


コクピットに戻ると、小室がショルダーキーボード、木根はギターを取り出している
ここからはライブ会場と宇宙船で一緒に、
「Electric Prophet」を演奏するという設定だろう
音源はライブのものだが、
1番の映像はほぼコクピットシーン、2番はライブ映像、
3番以後はウツが宇宙人の衣装で一人で歌う映像にコクピットシーンを組み合わせた映像となっている


実はこの曲の商品化は、
ミニアルバム「Twinkle Night」に入るよりも、
「Vision Festival」で発表される方が早かった
(その意味で、「Twinkle Night」収録時には、実は新曲でなかった)
会場で4人(メンバー+小泉)が手を振って、
サヨナラしてるところでライブ映像終了


このライブについては、「1-7 Electric Prophet」で触れたので、
曲についてはほとんど触れなかったが、一つだけ大きな不満がある


「1974」を何故入れない??
あの神アレンジを?


いや、製作者の意図は分かる
「1974」のPVが入っているから、
ライブ映像を入れるとダブってしまう
(逆に「金曜日のライオン」のPVがないのは、
ライブ映像が入っているからだろう)
それに12inchシングル「Dragon The Festival」のカップリングに、
「1974」のライブバージョンは入っているから、
これで十分だということだろう


しかし間違いなく「1974」は、
「Electric Prophet」と並んでこのライブの顔だ
ダブってもいいから入れようと言う発想は出なかったのだろうか?
今となっては「TM VISION」で見ることができるが、
昔はこの「1974」を手に入れるために、
大変苦労した思い出がある


だがそれにしても、このビデオのライブ映像はなかなか楽しめる
いろいろ不満はあるが、ともかく商品化してくれたことは感謝すべきだ
問題はこの後のPVだ
名指しすれば、戦犯は「Dragon The Festival」
数あるPVの中でも、TMファンの間で最大の問題作とされる作品だ


このPVを取り上げる前に、その他のPVを触れておこう
「Dragon The Festival」が終わった後、
「アクシデント」のPVが流れる
ほとんど「TM VISION U」のPVと同じだが、
コーラスの部分だけ、
「TM VISION V」の映像(3人の顔が合体するところ)を用いている
「Decade」でもサビの部分以外はこのPVが使われている
(サビはライブ映像)


その後は「Childhood's End」のロングバージョンをバックに、
「Dragon The Festival」PVのロケ地と思われる明け方の草原で、
3人がたたずんで幕となる
うっすらと霧掛かっている風景もあいまって、
この終わり方はなかなかかっこいい
なおこのロングバージョンは、このビデオでしか聴くことができない



さて


問題の「Dragon The Festival」である
あまりにもひどいので、最初から丁寧に解説していこう
ちなみにアレンジは「Zoo Mix」である


木根ギターのアップを背景に、イントロがスタート
目のイラストが浮き上がり、大きくなってくる
眼球の辺りに何かいる
なんだ…? 虎? シマウマ?
なんじゃこりゃ? なんで動物?
と思っていると、場面は動物園へ
イカスイントロやサンプリングボイスを背景に、動物が次々と登場


って待てい! なんで動物園!?
探検家の歌なのに!

ああそうか… Zoo Mix」だ…
ちなみに撮影は東武動物公園で、
撮影日は「Dragon The Festival」リリースの7/21である


この日はTMと120人のファンが一緒にビデオの撮影を行なった
この日は9:30集合だったのだが、
交通渋滞のため撮影スタッフ到着が14:00となり、
それからわずか2時間で全シーンを撮り終えたという
最後は激しい雷雨に見舞われるなど、なかなか大変な1日だったらしい


それにしてもこのビデオ、しょっぱなから台無しだ
しかしイントロもしばらく経つと、メンバーが登場
ふーこれで回復するか…


と思ったのもつかの間、メンバーの背後から手が何本もニョキニョキ…
??(;´Д`)
ファンの女がうようようようよ飛び跳ねて出てくる


歌がスタート! 家紋ドラゴンフェスティバル!
すると、その歌にあわせて、ファン女が順番に現れて、歌う歌う歌う
90年代にやっていたクレアラシルのCMみたいな感じ
(中高生が一文字ずつ発音しているのをつなぎ合わせてるヤツ)
ちなみに当時自分は、あのクレアラシルのCMが大嫌いだった
そんな自分にとって、これは無理
しかも長いし!

お前ら早く終われ!


その後は小川の前で、メンバーがたたずむ
ロケ地は農村のようだ
なぜ冒険家の歌で農村?という疑問は、早くもどうでもよくなっている
しかし農家の前で3人がバンザイするシーンにまたゲンナリ
ちなみにこのロケ地は長野県霧ケ峰高原で、7/19・20に撮影されたものである


歌が始まる あ! 宇宙船シーンだ! 助かった!(;゜∀゜)
♪もどり光り始める歴史の中のフェスティバル!
ウツかっこいいね!


画面が変わる 
♪カモンドラゴンフェスティバル!
工エエェェ(´д`)ェェエエ工工 またあのファン女だ
しかもなぜか長崎の龍踊りの画像が所々入る
これがドラゴンかよ!


間奏 また動物園
2番が始まる またファン女 なぜか花火の映像が入る
もうどうでもいい
投げやりな気分になってきた


Aメロは、宇宙船でウツが歌う
「TM VISION V」のPVの映像も入ったりする
♪歴史の中のフェスティバル フー!


さて間奏だ 憩いの時間は終わった 今度は何が飛び出るか…
ん? 草原だ 木根が踊ってる リズム感ねー
しかもだんだん大きくなってくる
あれ? だんだん人数が増えてくる
あ、あのファン女だ!


場面が変わる
メンバーが地元の農家の方々と触れ合っているほほえましい場面だ
間違ってもエルドラド目指す冒険家たちの、
緊迫した雰囲気は伝わってこない



道路が映る
トラクターが走る
トラクターが通り過ぎた後、小室とウツが現れる
またトラクターが一台通り過ぎる
あれ? 木根? ( ゚д゚)
木根が乗ってる…? (つд⊂)ゴシゴシ


ここで逆回転の音
ギャンギャンギャギャギャンギャンギャン!



トラクター、ドアップ



間違いねえ 木根だ!
何を狙っての所業なんだこれ?


ファンたちがグルグル回りながらかなたへ消えていく、
意図のよく分からない映像の後、
歌が始まって、宇宙船→「TM VISION V」→宇宙船
♪嘉門ドラゴンフェスティバル
で、またクレアラシルタイム
照れて後ろに飛んで逃げていく女もいる


やっとアウトロ
木根が草原を走る 後ろを見て演技くさいジャンプ
後ろをファン女の集団が追ってくる
全員行った後で小室とウツがゆっくりと登場
ファン女は消え去り、PVは完
なんというか、宇宙人ウツ以外は何一つ褒めるところのないPVである


ちなみに「Dragon The Festival」には、
「TM VISION U・V」「Vision Festival」以外に、
もう一種類PVがあり、「All the Clips」に収録されている
曲は基本的に「Zoo Mix」だが、
TV放映用のためか短く編集されている
長いイントロはカットされ、
最初にサンプリングボイスが入った後、いきなり歌が始まる


映像は基本的に「Vision Festival」版であるが、
「TM VISION U」「Dragon The Festival」のPVや、
「1974」のPV、「Electric Prophet」のライブ映像も盛り込まれ、
農村ロケシーンが少ない分、多少見やすくなっている
ただしクレアラシルシーンやトラクターシーンは、しっかり入っている
また、宇宙人ウツが口から火を吹く余計な演出もある


一言でいえば、ライブ映像はなかなか良いが、
「Dragon The Festival」PVで台無し
「Vision Festival」はそういうビデオである
「TM VISION U・V」で、まあまあのPVを作っていただけに、
なぜこんなものを…というのが、偽らざる感想だろう
ただしTMのことを回りに話す機会があるのならば、
ネタとして見ておくのは良いかもしれない


最後に、ネット上で見つけた「Vision Festival」の評価を挙げておこう

・ビデオクリップの部分はちょっと余分な感じがしましたが、当時のライブ映像の部分はとってもよかったです。

・もう20年前のライヴなのだが、それは自分が高校生のときで、しかも懐かしいという気も起こらないくらいの身近な映像です。ま、Dragon The Festival 以降のクリップはさすがに20年前だけどね。

(2006/9/21執筆 2006/12/9・2008/9/28・2010/8/17・2016/12/17・2017/4/28加筆)

VISION FESTIVAL(journy to saga)
エピックレコードジャパン
2005-03-09
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ

記事へ面白い ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 6


1-12 Bee Presents TM VISION T〜V

2006/12/09 08:20
初期のTM NETWORKはPV中心の活動を想定していた
PVについてのエピソードが語られるのは1984年が多いため、
その頃の印象が強いが、
こうした活動形態にもっとも力を入れていたのは、
実は1985年である


1984年に作成されたPVが、
「金曜日のライオン」「Rainbow Rainbow」「1974」「1/2の助走」の4本だったのに対し、
1985年には「アクシデント」(3種)、「Dragon The Festival」(4種)、「Your Song」(2種)、「Fantastic Vision」、
「永遠のパスポート」、「8月の長い夜」、「Faire La Vise」、「Twinkle Night」、「Electric Prophet」
と、
実に15種も作成された
1984年の時点では、「Childhood's End」収録曲は全曲PVを作成する案まであった


この頃EPIC/SONYは盛んに無料のビデオコンサートを行なっており、
1984年にもTMのPVは「Music Flash」というPV集の一部として放映されていたが、
1985年からはBEEで放映するために、
「TM VISION」という30分程度のビデオを作るようになった
この時期のPVの多くは、
「TM VISION」というビデオコンサートの映像用に作られた
製作を担当したのはEPIC/SONYのBEE PROJECTで、
TM以外にも多くの映像を製作していた


「TM VISION」はT〜Yの6作あるが、
その内最初の4作は1985年に作られている
長く商品化されず、ファンの間でコレクターアイテムとなっていたが、
(商品化前にどういうルートで流れていたのかよく分からないのだが)
2004年に20周年記念BOX「World Heritage」の特典としてDVD化された


内容は、Tは「Electric Prophet」渋谷公演のライブビデオだが、
U〜WはPV集となっており、この頃PVに力を入れたことを反映している
なおFANKS期のX・Yはライブビデオの要素が強いものとなっている


各ビデオの公開日については、
「TM VISION Y」の最後に記され、
Tは1985/4-5、Uは1985/6-7、Vは1985/10、Wは1986/3、Xは1986/10となっている


しかし1985年5月頃に配布された「Childhood's End」販促用パンフレットには、
「TM VISION」が3回シリーズで、
3〜7月に開催予定であることが明記されている
5月頃配布のパンフレットに3月から「TM VISION」開始と書いてあることより、
Tはすでに3月に開催済みだったと考えて良い
「TM VISION Y」の情報は誤りと言うことになる
実際に内容から見ても、Yの日付は矛盾が多い


実は別の資料に、「TM VISION」シリーズの公開日を記すものがあり、
T=1985/3、U=1985/4、V=1985/6、W=1985/11、X=1986/10、Y=1987/2とされている
この日程は、当時の他の記録からも内容からも矛盾はなく、
基本的に信じて良いと思う
たとえばTの最後にはUの予告、Uの最後にはVの予告があるが、
これによるとUは4月下旬、Vは6月上旬ということになっており、上記日程と一致する


ただしBEEは会場ごとに上映期間がばらつきがあり、
たとえばYについては1987/3に上映された会場も確認される
上記の公開日は公開開始日を指しており、
実際の上映期間は1ヶ月程度の幅を持たせて考えるべきである
上映期間の間に一部内容の差替えもあったようで、
「World Heritage」に収録されているのはその最終版と考えられる


なお1984年11月頃の雑誌での告知には、
1985年1月中旬からTMビデオコンサートを150ヶ所で開催するとある
これは「TM VISION T」のことを言っているようだ
さらに告知では「金曜日のライオン」「1974」などのPVが上映予定ともあるが、
これらは実際には「TM VISION T」に入らなかった
「TM VISION」シリーズの開始は予定よりも遅れ、
また内容も変更になったらしい


W・X・Yについては別章に譲ることにして、本章ではT〜Vについて述べることにしよう
これらはシリーズものとして制作されたものであり、
1985年の3月・4月・6月と、極めて短期間に公開された
「Childhood's End」発売の前後にTMを盛り上げていこうという意気込みが感じられる


「TM VISION T」の内容は、
「Electric Prophet」渋谷公演の「Rainbow Rainbow」「カリビアーナ・ハイ」「1/2の助走」「1974」の映像と、
新曲「Fantastic Vision」のPVである
「Rainbow Rainbow」「1/2の助走」「Vision Festival」に収録されるが、
他はこれでしか見ることができない
特に「1974」は必見だ


「Fantastic Vision」はPVとは言っても、
静止画とアニメーションを使ったものである
風貌から見て1985年初めに撮影したものと考えられる
当時は「Childhood's End」のレコーディング中であり、
映像を見ても、レコーディングスタジオで撮影した写真を使ったものだろう
「Childhood's End」収録版とアレンジが異なるのは注目されるが、
これらについてはすでに触れたのであまり詳しくは触れない


「TM VISION U」は、
「Electric Prophet」「Rainbow Rainbow」以外は、
「Childhood's End」収録の新曲のPV集となっている
収録曲は「Dragon The Festival」「8月の長い夜」「永遠のパスポート」「アクシデント」である
すべて相模湖ピクニックランドでロケをしたもので、
森の中にキーボードを置いて3人が演奏している様子を撮っている


本作が4月下旬に公開されたことはすでに触れたが、
「アクシデント」が4/11までレコーディングされていたことを考えると、
ビデオの企画・撮影・編集はかなり短期間に行なわれたものということになる
もちろんレコーディングの最終段階で行なっていたのはミキシング作業で、
ビデオ制作の作業をそれ以前から並行して行なっていたことも考えられるが、
いずれにしろかなり力を入れて制作していたものと考えられる
なにしろシングルリリース1ヶ月前、アルバムリリース2ヶ月前に、
シングル曲・アルバム曲のビデオを公開しているのである


PVは「Dragon The Festival」「永遠のパスポート」が日中(早朝?)、
「8月の長い夜」「アクシデント」は夜の撮影である
「8月の長い夜」が夜なのは、曲名を考えてのことだろう
3人の服装はスーツ姿である
木根の微妙なサングラスと縛った後ろ髪がどうも気になる


「Dragon The Festival」は、曲はアルバムバージョンだが、
後に12インチシングルで使われる「ラエンランラエンラン」のサンプリングボイスが最初についている
あるいはEmulatorUを使った最初のTMの音かもしれない


「8月の長い夜」はスモークの中で鮮やかな照明が光る
「永遠のパスポート」はウツ一人で歌っている
「TMN 4001 Days Groove」でこの曲を演奏した時は、
このPVが会場のスクリーンに流れた


「アクシデント」は小室が絵コンテを書いたらしい
ファンクラブメンバー?らしい女の子がボールや旗を持って、
3人の周りを走ったり飛び跳ねたりしてる


いずれも、良くも悪くも無難な作りのPVという感じだが、
正直言って1984年は冒険し過ぎのPVで食傷気味だったので、
「TM VISION U」収録のPVはかなり安心してみることができる
特に「アクシデント」は、
女の子集団の行動の意味はさっぱり分からないが、
何も考えずに雰囲気だけ味わえば、それなりに良いビデオだと思う
ここに来てやっとPVがまともになってくれたという安堵感で一杯である
「All the Clips」では、
3種ある「アクシデント」のPV中でこれが収録されている


むしろ「TM VISION U」で(ノ∀`) アチャーなのは、
「THE FACES OF TM STAFF」のコーナーだ
小室が書いたスタッフやメンバーの絵を、
木根が解説付きで紹介するコーナーである
BGMは「Fantastic Vision」である
もしも当時本人たちと知り合いだったら、
「何を目指しているのですか…?」と、
問い詰めたい気分にさせるコーナーだ


まあ小室の絵を見れる機会はそうそう無いので、
貴重といえば貴重である
「Childhood's End」の頃からスタッフとなった久保こーじの絵もある
木根が「木根尚人」と誤植されている
木根のコーナーなのに…


「TM VISION V」に収録されるPVは、
「Dragon The Festival」「アクシデント」である
前作と同じく3人が演奏するシーンを撮影したものだが、
ロケ撮影のUから変わって、スタジオでの演奏風景となっている
個人的には、ウツの化粧の濃さが気になって仕方がない
あと相変わらず木根のサングラスが微妙である
PV自体は前作同様無難な作りである


前章でも触れたが、このビデオはTAMCOスタジオというところで小室と小泉洋が、
「Dragon The Festival」のアレンジをしているシーンからスタートする
7月発売の12インチシングル版の制作風景だろう
小室が「カカカカモン」とサンプリングボイスをいじっているところに、
次第に音も加わってきて、「Dragon The Festival」がスタートする
割と好きな始まり方である
ただし気になるのは、タイトルが「Doragon The Festival」となっているところである
スタッフ誰か気付けよ!


オケはアルバムバージョンである
本作は6月のアルバムリリース直前の公開であり、
アルバムの宣伝用に作ったものだろうから、この点は当然だが、
むしろこのビデオを見てアルバムを買ったファンは、
スタジオのシーンの意味がさっぱり分からないだろう


ビデオでは小室がパソコンのキーボード(楽器のではなく)を叩いて演奏しているシーンがあるが、
もちろん実際にこれで演奏しているわけではない
コンピュータで音楽をやっているという印象を付けるための演出だろう


「Dragon The Festival」では3人一緒のパフォーマンスを撮っているのに対し、
「アクシデント」では3人の映像が個別に撮影されている
「how long do I have to live in the memory of you?」のコーラスのところで、
3人の顔が重なり合う演出などは面白い


「TM VISION V」収録PVはこの2本のみである
最後に「Electric Prophet」「1974」のダイジェスト映像も入っているが、
T・Uと比べると収録内容が薄く感じられるかもしれない


しかし実は歴代「TM VISION」の中で、
このVがある意味ではもっとも存在感があるものである
前回の小室画紹介コーナーも相当の迷走ぶりだが、
何の間違いかこのビデオは、この方向をさらに極めてしまった
それは木根尚登第一回監督作品の映画「日本一のバンド男」である


内容は全部で20分くらいの短いものだが、
これ以上長いものを作られても見る気はしないだろう
というか、20分でも長く感じる
当時のビデオコンサートでこれを放映した時の、
会場の雰囲気を知りたいものである


あらすじは…書く気もしないので、
見たことが無い人はどこかで見て欲しい(投げやり)
一言で言えば、TM解散後の木根を主人公にした三流コメディである
一瞬、木根ギャグ集をまとめようと思ったのだが、気が乗らないのでパスする
まあ内容はどうでもいいのだが、ともかくTM史上に残るビデオである


ライブ当日、マネージャーから「(サポートのドラマーが)死にました」と聞いた木根、口に含んだお茶をブー


なお本作は、クレジットでは主演・脚本・監督木根尚登/監修小室哲哉となっているが、
小室の当時の発言によると、
小室がレコーディングスタジオにいた間に出来ていたとのことで、
小室はおそらくまったく関わっていない
また台本はBEEスタッフの小林浩(マネージャー役)が考えたという
おそらく木根を前面に出すために、脚本・監督を木根ということにしたのだろう


なお驚くべきことに、「TM VISION V」のドラマは、
本来小室が台本を書くことになっていたのだが、
レコーディングしている間に撮影されていたとのことである
「Dragon The Festival (Zoo Mix)」のレコーディングの頃だろうか
小室はこれが不本意で、後日「日本一のデビュー男」という台本を書いたが、
結局お蔵入りしたようである
そんなに書きたいものなのかなあ…?


「TM VISION W」は少し間が開いて、
1985年11月に公開された
11/28発売の「Twinkle Night」の宣伝を目的としたもので、
「Twinkle Night」収録の3曲はすべてPVが収録されている
他には「Faire La Vise」のPVもある


これらのPVについては後の章で触れることにするが、
このビデオについて一つだけ、
「木根尚登スペシャル お休みのお知らせ」について触れておきたい
「Dragon The Festival Tour」の楽屋で、
木根が釈明の会見をしているものである

今回のビデオコンサートで、
木根尚登スペシャルを予定していたんですけども、
本当にギャグが出尽くしまして煮詰まってます。
ギャグが出ない代わりに熱ばっかり出ちゃって、
もうどうしようもないです。
すみません、ごめんなさい。
今度はね、すばらしい、面白いのを考えてますんで、
よろしくお願いします。


まだ何かやるつもりだったのか木根…
正直中止でよかった…
ちなみに「TM VISION W」は、
なぜか「Your Song」のPVが2回収録されているが、
おそらく木根尚登スペシャル中止のために、
時間が余ってしまったのだろう

(2006/9/16執筆 2006/12/9、2008/9/28、2014/1/12、2016/12/17、2017/3/18、4/22加筆)

TM NETWORK WORLD HERITAGE~DOUBLE DECADE COMPLETE BOX~
ソニーミュージックエンタテインメント
2004-03-31
TM NETWORK

Amazonアソシエイト by ウェブリブログ

記事へ面白い ブログ気持玉 11 / トラックバック 0 / コメント 2


タイトル 日 時
1-11 Dragon The Festival
1-11 Dragon The Festival 「Childhood’s End」発売一ヶ月後の1985/7/21、 「Dragon The Festival (Zoo Mix)」が、 12inchシングルとしてカットされた ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 9 / トラックバック 0 / コメント 3

2006/12/08 22:14
1-10 メディア出演(1985年)
1-10 メディア出演(1985年) TM NETWORKは1984年12月から1985年4月まで、 長期にわたってレコーディングを続けていた 12月のレコーディングは「Electric Prophet」公演と並行して行なわれたが、 1月からはレコーディングに専念することになった ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 7

2006/12/07 23:10
1-9 Childhood's End
1-9 Childhood's End TM NETWORKの2ndアルバム「Childhood's End」の発売は、 「アクシデント」発売の一ヶ月後、1985/6/21のことだった タイトルは当時小室が読んでいたArthur C. ClarkのSF小説「幼年期の終わり」の原題から取ったものである 当初は「Reality in Wonderland」という案もあったが、 長いということで却下されたという ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 1 / コメント 14

2006/12/07 22:53
1-8 アクシデント
1-8 アクシデント TM NETWORKは1984年の終わりから、2ndアルバムのレコーディングに入った 小室はレコーディングに先立つ9月には、 次のアルバムではアコースティックな部分を増やすと宣言していた アコースティックという表現は必ずしも当たらないが、 2ndアルバム「Childhood's End」におけるエレクトロポップの雰囲気は、 確かに薄れている ...続きを見る

驚いた ブログ気持玉 8 / トラックバック 1 / コメント 6

2006/12/07 22:13
1-7 Electric Prophet
1-7 Electric Prophet 「1974」のまずまずの成果の中、12月のライブが決定した 1984/12/5渋谷Parco Space PartVと、12/27札幌市教育文化会館の2公演である 後述する通り、渋谷公演はビデオ撮影も兼ねたものである もう一つが札幌公演だったのは、北海道での「1974」ヒットという背景がある Parco PartVのキャパは280人、札幌市教育文化会館(小ホール)のキャパは360人なので、 東京よりも札幌の方が大規模な公演だったことになる ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 11 / トラックバック 0 / コメント 4

2006/12/03 05:12
1-6 1974 & メディア出演(1984年)
1-6 1974 & メディア出演(1984年) 「金曜日のライオン」の失敗で、 急遽「1974」のシングルカットが決定したことは、すでに述べた リリースは1984/7/21である 7/17には大阪で、7/31には東京でライブが予定されていたから、 これと合わせたリリースだったのかもしれない ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 5

2006/12/02 21:40
1-5 ファーストライブ
1-5 ファーストライブ 確認される限り、TM NETWORKの最初のライブは、 1984/6/18の渋谷Live Innで行なわれた このライブは公式には抹消されているが、 終了時に発売されたデータブック「TMN FINAL 4001」には、 こっそりと写真が載っている ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 9 / トラックバック 0 / コメント 9

2006/12/02 21:03
1-4 TM NETWORKデビュー
1-4 TM NETWORKデビュー 1984/4/21、ついにTM NETWORKは念願のデビューを飾った シングル「金曜日のライオン」(B面は「クロコダイル・ラップ」)、 アルバム「Rainbow Rainbow」がデビュー作だった 当初は4/1にシングルデビューの後、 4/21にアルバムリリースと言う予定だったが、 後に変更になったらしい ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 8 / トラックバック 0 / コメント 4

2006/12/01 06:20
1-3 Rainbow Rainbow & 金曜日のライオン
1-3 Rainbow Rainbow & 金曜日のライオン TMの3人は、1983年10月からアルバムのレコーディングに入った TM NETWORKとしての記念すべきデビューアルバム、 「Rainbow Rainbow」である 「虹の7色では収まりきらないバラエティー豊かなアルバム」 という意味を込めた命名である ヒッピームーブメントのサイケデリックカルチャーのイメージで考えたタイトルだともいう ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 14 / トラックバック 2 / コメント 0

2006/11/30 04:47
1-2 TM NETWORKデビューに向けて
1-2 TM NETWORKデビューに向けて 1983年9月、EPIC/SONYと正式に契約したTMの3人は、 以後1984年4月のデビューまでの約半年間、 アルバムの音作りに加え、デビュー後の方針が固められていった とにかくコンセプトから入るのがTMである デビューの時も、特徴的な方針が採用されることになった ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 10 / トラックバック 0 / コメント 4

2006/11/26 03:30
1-1 フレッシュサウンズコンテスト
1-1 フレッシュサウンズコンテスト TM NETWORKの結成は、1983年3月のことだった 1982年には小室・木根・マイクの3人によるユニットが計画されていたが、 マイクの国外退去によって実現しなかった その後小室はEPIC/SONYの小坂洋二に自らを売り込んだが、 インストを中心とした音楽では売り出せないと言われた そこで小室はウツに声をかけることになった ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 11 / トラックバック 0 / コメント 13

2006/11/26 03:04

トップへ | みんなの「1 1983-1985」ブログ

20 Years After -TMN通史- 1 1983-1985のテーマ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる