7-37 TM NETWORK -REMASTER-①

2/27と3/6、ウツと木根さんがニコ生に出演しました。
2/27は「tribute live SPIN OFF T-Mue-needs Tour Blu-ray」視聴会、3/6は「年忘れ!!歌酔曲vsフォーク〜ハタシテ?ドチラが勝つでショー〜!」視聴会です。
FC盤Blu-rayの申込締切が3/7のため、その販促のために企画されたものです。
また4月から開催される「K-Folk 2021」と5月から開催される「LIVE UTSU BAR 2021〜それゆけ歌酔曲!〜」の宣伝も行なわれました。


内容はウツと木根さんがライブ映像を見ながらコメントをするという、他愛もないものですが、意外と知らなかったネタも出ました。
たとえば「CAROL Tour」で当初は松本孝弘さんが空を飛んで襲い掛かってくる演出が想定されていたのに(松本さんは悪魔役なので自然な設定です)、事務所から制止されたため、木根さんが空を飛んでキャロルを救いに来る演出に変わったという話などは、多分これまで出たことがなかったのではないでしょうか。


木根さんが高校卒業後に開催したプログレのソロライブというマニアックな話題も出ましたが、この時はウツもアコギとコーラスでサポート参加したそうです。
ウツがコーラスで木根さんがメインボーカルのライブだったんですね。


最近の話では、本来「年忘れ!!歌酔曲vsフォーク」で小室さんが参加するのは1曲だけだったけれども、「あの素晴らしい愛をもう一度」でも参加することが、当日のリハーサルで決まったということが分かりました。
小室さん、出たかったんでしょうね(笑)
番組の最後には木根さんが、次回は小室さんも含めた3人で出たいと言っていました。


2/24には「Digitalian is eating breakfast Special Edition」「tk-trap Re:2021」がリリースされました。
意外なことに「Digitalian is eating breakfast Special Edition」は、2/23付けアルバムデイリーチャートで8位、2/24付けで40位を獲得しました。
週間チャートでは19位・2714枚です。


また「tk-trap Re:2021」は、2/23付け音楽BDデイリーチャートで3位、翌日も8位に入りました。
週間では4位・1318枚です。
マジですか!?
まあ冷静に見れば、売上自体は大したことないんですが、ランキングだけならなかなかのところに行きました。


最後に、2/26に山田桂子氏がavexのサイトで直筆メッセージを公開し、小室さんとの離婚が成立したことを発表しました。
すでに2019年には離婚協議に入っていることが報道されており、同年10/21に5回目の調停が行なわれていたとされています。
調停は26ヶ月にわたり行なわれたとも報道されていますので、調停期間は2019年1月から2021年2月ということになります。


報道後小室さんがどれくらい叩かれるかと危惧しましたし、実際にゴシップ誌は盛んに書きたてましたが、話題としても賞味期限を過ぎたのか、大して盛り上がらなかった印象です。
本件がすっきりしたことで、小室さんが音楽活動に専念できる環境が整えば嬉しいです。
あと決着がついたことですし、小室さんにこれ以上圧力をかけても取れる金額が増えるわけではないので、先方の方々もゴシップ誌にネタを提供し続けることは、いい加減にやめてほしいものです。


今回小室さんは、相応の財産分与を行なったと報道されています。
2008年の逮捕時に松浦さんに負った借金の返済は2023年となっていますが、その返済はちゃんとできるのでしょうか。
小室さんには、なにとぞお仕事を頑張っていたただければと思います。できればTM中心で。
まとまった収入を期待できるコンテンツとなると、結局TMが一番有効と思うんですよね。


以上、近況の整理でした。
それでは本題に入ります。

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これまで触れてきたように、2004年以来止まっていたTMが動き出したのは、2007/11/2・3にパシフィコ横浜で開催される「楽器フェア 2007」のライブイベントへの出演打診がきっかけだった。
このライブは8月には、「TM NETWORK -REMASTER-」というタイトルで発表された。


2004年のTM20周年では、SONYから過去音源がBOXやベスト盤の形で再発売され、2007年にもBOX収録のアルバムのバラ売りが行なわれた。
これら音源は再マスタリング処理が施され、それは「リマスター」と呼ばれた。
この頃はTMに限らず過去作品の「リマスター」盤再発がよく見られたが、それをこの時はライブタイトルとして取り入れたのである。


それまでTMのライブは、「終了」ライブという特殊な位置づけだった「TMN 4001 Days Groove」を除き、スタジオのオリジナル音源とは大きく異なるアレンジで演奏されるのが常だった。
2004年の「Double Decade “NETWORK” in YOKOHAMA ARENA」に始まる20周年ライブも、過去曲の多くがトランスアレンジで演奏された。
これらはいわばライブ用の「リミックス」というべきものであり、それがTMライブの醍醐味でもあった。


ところがこの時掲げられたのは、「リミックス」ではなく「リマスター」だった。
このタイトルは、オリジナル音源にライブ用のアレンジを加えるのではなく、原曲のアレンジを高音質でリスナーに届けることを目指したものと解することができる。
たとえば小室は2007/9/20「スポーツ報知」の記事で、以下のように語っている。

一連のコンサートでは、オリジナルバージョンのアレンジや演奏に重点を置き、楽曲のポテンシャルを引き出す方向で考えています。 みなさんが知っている曲を知っているアレンジで連発する予定でいます。


実際に「楽器フェア」(以後「TM NETWORK -REMASTER-」パシフィコ横浜公演をこのように表記)では、楽曲のライブアレンジが大幅に加えられることはなく、原曲に準じたアレンジで演奏された。
この頃は「Get Wild」がオリジナルのままで演奏することもアピールされた(変わったアピールだと思う)。


またもう一点、「みなさんが知っている曲」から選曲するという方針も示されている。
誰が来ても楽しめるように、メジャーな曲でセットリストを組み立てるヒットメドレー形式を採るということである。
この方針は、定番曲をほとんど排し新曲を軸に据えた「Tour Major Turn-Round」などとは大きく異なるものである。


こうした方針になったのは、アルバムリリースを前提とせずに企画されたライブだったこともあるだろう。
シングル「Welcome Back 2」はライブ開催直前にリリースされたが、これだけではライブの軸とすることはできない。
ヒットメドレー的ライブになることは必然的だったともいえる。


小室は当時のインタビューで、「せっかくやるならみなさんに喜んでもらえるものをやろうと思った」とも発言している。
この方針は、「みなさんが知っている曲」という基準から分かるように、小室の目指す音を提示するというものではなく、観客の求めるものに応じようとするものだった。
こうした方針を採用したのは、「自分が好きなロックバンドのライブDVDを観ても、コンサートに行っても、知っている曲が次々に出てきた方が圧倒的に楽しいから」という理由だと、小室は語っている。


木根が8月のライブMCで語ったことによれば、小室はChage & Askaのライブを見に行ったが、知らない曲ばかりでつまらなかったと言っていたという。
これは7/22にNHKホールで開催された「Tour 2007 Double」のことと考えられる。
ニューアルバム「Double」を軸にしたツアーだった。
おそらくこの体験に基づいて、小室は「みなさんが知っている曲」という基準を作ったのである。


小室がこれまで自分がやりたい音楽に徹底的にこだわってきたことを考えると、この時の基準はいかにもファンにおもねったものという印象を受ける。
小室は自信を失い、何をやるべきかを自らの音楽的関心からは提示できない状態だったのかもしれない。


この時に選曲されたのは、大部分が1987~88年の楽曲だった。
「楽器フェア」で演奏された曲を見ると、非インストの14曲中、9曲がこの時期の楽曲である。
特にこの時は、「Beyond The Time」を演奏することがアピールされた。
意外なことに、この曲のライブ映像は、これ以前に一度も商品化されていない。
知名度の割には演奏頻度が低かったことも事実で、これを聞きたいというファンの声もあったのだろう。


他に演奏されたのは、TMN時代の3曲(1990~91)と、ニューシングル「Welcome Back 2」およびそのカップリング「N43」である。
1986年以前の楽曲や、新曲以外の再始動後の楽曲は1曲もない。
その長いキャリアにもかかわらず、1987,1988,1990,1991,2007の5年間に発表した曲だけでライブを行なったことになる。


要するに「楽器フェア」は、TMが売れていた時代を重点的に振り返るライブだった。
この点は、「Welcome Back 2」のコンセプトに通じるものでもある。
なお実際には演奏されなかったが、「Dreams of Christmas」も候補に挙がっていたことが知られる。
同じクリスマスソングの「N43」とセットで演奏する計画だったのだろうか。


もう一点、このライブについて触れておかねばならないのは、小室の関与の少なさである。
本ライブのリハーサルは10/27~31に行なわれたが、小室はあまり現れなかった。
曲順を決める段になってもいなかったため、リハーサルは難航したらしい。
おおまかな演奏曲候補は3人で考えていたのだろうが、細部についてはリハーサルスタジオで詰める予定になっていた。


これは小室がサボっていたのではなく、前回の記事で触れたように、「SPEEDWAY」のレコーディングのためである。
本来「SPEEDWAY」は10/20以前にレコーディングを終えているはずだったが、これを1週間過ぎても終わっておらず、TMはレコーディングとリハーサルを同時にこなさざるを得なかった。
特に音源作りを担当する小室は余裕がなかった。


小室は10/28には体調を崩して病院に搬送され、翌日もリハーサルに顔を出さなかった。
この間はウツがその場を仕切ることになった。
その後もリハーサルの期間はもちろんのこと、ライブ当日の早朝までレコーディングは続いた。
満足なリハーサルが終始できなかったことは推測できる。
「楽器フェア」で演奏ミスが目立ったのも、これが一因だろう。


こうした中で用意されたライブ音源の作成に、小室が深く関与したとは考えられない。
おそらく音源作りはスタッフに丸投げであり、ライブ当日の事前リハーサルで微調整を加える程度だっただろう。
これは原曲通りに演奏するというコンセプトだからこそ可能だったとも言えるが、逆にいえば小室はこのコンセプトを提示した時点で、音源制作はスタッフに丸投げするつもりだったのかもしれない。


TMは前回の「Double-Decade “NETWORK”」ではバンド色を排し、葛城哲哉のギターを除くほぼすべての音を小室がリアルタイムミックスによって制御するという、挑戦的な試みを行なった。
だが「楽器フェア」では生のギター・ベース・ドラムが加わり、一般的なロックバンド編成によって演奏された。
その点では「Double-Decade “NETWORK”」の前に開催された「Tour Major Turn-Round」に近いものになったと言える。


以上のように「楽器フェア」は、オリジナルアレンジ・著名曲中心・音源制作丸投げ・バンド演奏という特徴を持つライブだった。
この特徴から受ける印象は人によって異なるだろうが(たとえば著名曲中心というのは歓迎する観客もいただろう)、私としてはバンド演奏という要素以外については、久しぶりのライブだったのに非常に残念な思いを感じたというのが正直なところである。


ただオリジナルアレンジでの演奏については、おそらく前例があった。
これ以前の2003~07年に開催された「tribute LIVE」「Spin Off from TM」「Spin Off from TM 2007」である。
これらのライブは過去の楽曲の魅力を伝えるために、TM楽曲をオリジナルのままで演奏するというコンセプトだった。
「楽器フェア」のライブスタッフも中心はウツ事務所のM-tres関連者で、「tribute LIVE」等と同じだったと考えられる。


小室に積極的なプランが浮かばず時間もあまりなかった中で、この頃ウツ・木根によるオリジナル演奏のライブが常態化していたことは、ライブの構想に当たり参考にされた可能性がある。
しかもそうしたライブツアーが3回も開催されたことから分かるように、これを支持するファンも少なくなかった。
TMの活動が行なえない間のつなぎとして開催されてきたtribute LIVEの形式が、本体のTMの活動に影響を及ぼしてしまったということもできる。


セットリストは、オープニングでインスト曲をSEとして流し、2~3曲ごとにMCを挟み、インスト曲の後で最後の盛り上げ曲を続けて演奏するという、tribute LIVEと同様の構成だった。
これはウツ・木根中心で曲順を決定したことによる必然的なものといえる。
その意味でも本ライブはtribute LIVEの延長としての性格がある。


ライブの時間は100分超に過ぎなかった。
この間にMCやアンコール待ちの時間もあったので、実質的な演奏時間は80分程度である。
再始動後は「Tour Major Tunr-Round」「Double-Decade “NETWORK”」などでも短時間のライブが続いていたが、それでも2時間近い時間は確保されていた。


「楽器フェア」と同程度の公演時間だったライブとして、「Log-on to 21st Century」があるが、後者が短時間になったのは、本来対バンとして企画されたものがワンマンライブに変更されたという事情もあった。
「楽器フェア」はこうした特殊なライブと同程度の短さのライブだった。


ただしこれはTM側の事情というよりも、「楽器フェア」主催者側の事情で、公演時間が制限されていたものかもしれない。
後述の追加3公演では、いずれも2時間近い公演時間となっている。


演奏曲数はインストを除き14曲である。
「Double-Decade “NETWORK」「Double-Decade Tour」は16曲、「Double-Decade Tour Final」は17~19曲であり、しかも長大なライブアレンジが施された曲も含まれた。
これらと比べると「楽器フェア」は、やはり物足りないライブだったと言えるだろう。


さて、TMの活動再開に当たって本来予定されていたのは、出演打診を受けた11/2・3の「楽器フェア」だけだった。
だが前章までで見てきたように、TMはこれを引き受けた後、シングル・アルバムのリリースを決定した。
おそらくこれと合わせて、「楽器フェア」以外のライブも開催することになったらしい。
ライブタイトルを単に「楽器フェア」とせず、「TM NETWORK -REMASTER-」という独自のものを付けたのも、おそらくこのことと関わるだろう。


9月半ばには3人のFCで、シングル「Welcome Back 2」のリリースおよび11/26・27の渋谷C.C.Lemonホール公演と12/3の日本武道館公演の開催が発表された。
結局「TM NETWORK-REMASTER-」は、「楽器フェア」も含めて全5公演となり、すべて首都圏で開催された。
小室や木根は「REMASTERツアー」と言っており、ライブツアーという認識だった。


渋谷公演と武道館公演のセットリストは、横浜の「楽器フェア」から変更になった。
具体的にはライブのオープニングSEが、「楽器フェア」「nuworld」、渋谷公演は「EXPO」、武道館公演は「Malibu」となった。
また「楽器フェア」の演奏曲の内、渋谷公演では「Here, There & Everywhere」「N43」「Wild Heaven」の3曲が除かれ、代わりに「Love Train」「Come On Everybody」「Action」が追加された。
武道館では以上の入れ替わり6曲の内、「Here, There & Everywhere」を除く5曲が演奏されたため、演奏曲数としては2曲増えた。


特に変わった演出があったのは渋谷の2公演である。
この2公演は小室の誕生日11/27に前後して設定されたが、小室はサプライズのバースデーケーキなどはいらないから、好きなことをできる時間をプレゼントして欲しいと、スタッフに交渉した。


小室がこの時間で行なったのは、当時小室がデビューさせようとしていたバンドPurple Daysの出演だった。
彼らはこれがバンドとして初めてのプロのステージだったと考えられる。
この時はオリジナル曲「Shine of Love」「あなたが笑う度、恋をする」の2曲を披露している。


なお渋谷公演でのTMの演奏曲数は「楽器フェア」と同じだったが、Purple Daysの2曲があったため、時間は合計2時間程度になった。
武道館も公演時間は同じ程度だったが、Purple Daysの2曲が削られた代わりに、TM曲が2曲増えた。


「TM NETWORK -REMASTER-」5公演では、いずれも凝った演出は見られなかった。
ただ渋谷・武道館公演では、ステージの後ろにタイムマシーンを意識したと思しき巨大な時計のオブジェが置かれた。
これは「SPEEDWAY」のジャケットにも見られるもので、翌年の「TM NETWORK play SPEEDWAY and TK Hits!!」でも使われた。
ライブパンフレットは「楽器フェア」では作られなかったが、渋谷・武道館公演では販売された。
内容は、「楽器フェア」の写真・レポートを中心にしたものである。

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サポートメンバーは、ギター北島健二、ベース吉田建、ドラムそうる透である。
北島・吉田は2002年のイベント「Laugh & Peace Premium Night」でもサポートを務めたことがあるが、吉田はフルライブでのサポートは初めてである。
北島は「4001 Days Groove」「Double-Decade Tour Final」でサポートを務めたことがあるが、前者は葛城哲哉との共同サポートで、後者は冒頭6曲とアンコールのみのサポートだった。
北島とTMの長い交友関係を考えると少々意外だが、TMのフルライブを通して1人でギターを担当したのは、この時が初めてと思う。


そうる透は「Welcome Back 2」のレコーディングにも参加しており、その縁でサポートを依頼されたものだろう。
THE ALFEEのサポートなどを務めてきたベテランドラマーで、実は小室と同い年である。
ライブでは強く主張するドラムプレイを披露したが、これは生ドラムのなかった「Double-Decade “NETWORK”」と比べると、大きな相違点である。


このサポート陣は、それまでのTMのライブとはかなり様変わりしたものとなっている。
北島とそうるは翌年の「TM NETWORK play SPEEDWAY and TK Hits!!」でもサポートを務めており、この時期の音を特徴付けていると言って良い。
なおギターのサポートは、葛城哲哉が1990年の「Rhythm Red Tour」以来、すべてのフルライブで担当してきたが、この時から外れることになった。


ライブステージ上の配置は、客席から見てウツが前方中心におり、小室が右、木根が左である。
小室と木根の位置は「Log-on to 21st Century」「Tour Major Turn-Round」と逆で、「終了」前の配置に戻った。
ステージ後方には、中央にそうる透、右に吉田、左に北島がいた。
これは横浜・渋谷・武道館に共通である。


衣装は各会場で変化した。
「楽器フェア」では、ウツが黒のシャツの上に赤茶のジャケット、小室が白の半袖Yシャツの上にベージュのジャケット(ジャケットは途中で脱ぐ)、木根が黒地に柄付きのTシャツの上に黒のポイント入りの白いジャケットを羽織った。
木根は普段と雰囲気の異なるサングラスをかけており、一瞬電撃ネットワークの南部虎弾に見える。
風貌としては、3人ともイケていると思う。


渋谷公演は、木根は横浜と同じ衣装だったが、小室はカジュアルな黒地のシャツの上に黒のジャケットを羽織り、ウツは銀色のコートを羽織っている。
武道館では、ウツ・木根は渋谷と変わらなかったが、小室は渋谷とは異なるフォーマルな仕様の黒ジャケットを羽織り、下にはフリル付きのシャツを着ている。


本ライブについてもっともまとまった資料は、DVD「TN NETWORK -REMASTER- at NIPPON BODOKAN 2007」である。
武道館公演の様子を全編収録したもので(ただしMCは一部カット)、通常盤はR&Cより2008/4/2にリリースされた。
今後触れるタイミングもないので、ここで本商品にも言及しておこう。


本作のジャケット原画は「Welcome Back 2」と同じものだが、「Welcome Back 2」とは別の部分(下の部分)をトリミングして用いている。
ライブ映像の他にボーナストラックがあり、「SPEEDWAY」のMV2種(BGMは「Action」)、「Welcome Back 2」MV、ライブリハーサルのダイジェスト映像(BGMは「Red Carpet」)が収録されている。


本作にはFC限定版も存在する。
こちらはライブの様子を撮影したブックレットおよびドキュメントDVD「TM NETWORK Document 2007 Kick Into Action」が同梱されている。
非常にいやらしいことに、FC盤には通常盤のボーナストラックが収録されていないため、すべての映像を入手したい場合には、数分のボーナストラックのために5000円(税別)で通常盤を購入しなくてはならなかった。


「Kick Into Action」「Welcome Back 2」のリリースから渋谷公演に至る日々のドキュメント映像を収録したものである(2007/9/16~11/27)。
この時期のレコーディングの過程は他の時期と比べて情報が少ないため、貴重である。
本ディスクには11/2「楽器フェア」オープニングの「nuworld」と、11/27渋谷公演の「Action」の様子も収録されている。
両公演の映像が商品化しているのはこれだけである。


2007/12/23にはTV番組「みゅーじん」で、TMの活動を追った特集が組まれた。
映像の素材は「Kick Into Action」と同じものを使ったと思われるが、使われている映像はほぼかぶっておらず、これも貴重な情報源である。
番組では特に「You Can Find」制作の過程に焦点を当てているが、ライブ映像としても「楽器フェア」から「Be Together」「Get Wild」、武道館公演から「Love Train」「Seven Days War」「Get Wild」「Action」をそれぞれ一瞬放送している。
「楽器フェア」の演奏シーンは「Kick Into Action」にはなく、これ以外で見ることはできない。


以上が、「TM NETWORK -REMASTER-」の概要である。
具体的なライブの内容については、次章で扱うことにしたい。

TM NETWORK -REMASTER- at NIPPON BUDOKAN 2007 [DVD] - TM NETWORK, TM NETWORK
TM NETWORK -REMASTER- at NIPPON BUDOKAN 2007 [DVD] - TM NETWORK, TM NETWORK

7-36 SPEEDWAY(Album)

2021/2/6にニコ生で、「Tetsuya Komuro Music Festival」配信されました。
18:00から配信開始で、クラムボンのミトさんとふくりゅうさんをMCに、1時間ごとにランキング発表&ゲストトークが行なわれました。


番組は1時間ごとにゲストを変えて、MCと一緒に小室楽曲を語るというものでした。
ゲストは18:00~19:00が木根さん、19:00~20:00が住吉美紀さん、20:00~21:00がDJ KOOさんです(KOOさんは最初から最後までいましたけど)。
ここまででランキングは6~40位が発表されていましたが、いよいよあと5曲を残すところになって、21:00から小室さんが登場しました。


当初番組は22:00まで放送し、22:30~26:00にランクインした40曲を配信する予定になっていました。
ところが小室さん登場後のトークは、ニコニコ動画プレミアム会員限定の時間を含めて、結局23:30頃まで続きました(楽曲配信は27:00前まで)。
小室さん自身、今日はいっぱい話したいと発言するなど、意欲を見せていました。


プログラムを見るに、おそらく22:30頃までプレミアムという予定だったのでしょうが、結局5時間半の長丁場になりました。
ミトさんはスタッフから時間超過もOKと言われていたそうなので、トークが盛り上がって長引くのは歓迎というスタンスだったのでしょう。
小室さんの出演時間は2時間半近くで、12月の「SF Rock Station」を越える時間となりました。


ランキングは中間発表から大幅に変わりました。
1位の「Get Wild」は中間発表と変わりませんでしたが、2位の「永遠と名づけてデイドリーム」と3位の「Can You Celebrate?」は中間発表ではそれぞれ17位・21位で、大幅にランクアップしています。
他に躍進した曲としては、6位の「I'm Proud」(中間発表14位)の他、11位・12位・18位の「Crazy Gonna Crazy」「I Believe」「Be Together(鈴木あみ版)」は、中間発表では30位圏外でした。


逆に中間発表では5位だった「I am」は、なんと40位圏外です(40位の「炎」より下です)。
これが集計ミスでなければ、中間発表5位の票数が最終発表40位にも届かなかったことになり、かなり多くの(大多数の)ファンが中間発表の時点では様子見をしていたことになります。
中間発表18位の「Electric Prophet」もありません。


全体の傾向として、中間発表ではTMの楽曲が上位を占めていたのに対し、最終発表ではプロデューサー期の有名曲がランクを上げた印象です。
TMファンは企画開始早々投票した方が多かったのでしょうか。
結果としては一般の認知度に近いランキングになったと思います。
中間発表で「Can You Celebrate?」が21位だったのは、私も目を疑いましたし(別に好きな曲じゃないですが)。


なおランキング中のTM率は、中間発表では全30曲中10曲でしたが、最終発表では全40曲中8曲で、33%から20%に激減しています。
トップ10内については、中間発表では5曲入っていたのが、最終発表では3曲です(1位「Get Wild」、8位「Human System」、10位「Self Control」)。


今回は長時間だったこともあり、色々な話題が出ました。
特に小室さんのトークでは、初耳のこともありました。
最近のシティポップブームを意識してのことでしょうけど、「Gravity of Love」はシティポップを意識して作ったという話なんて、今まで出たことはなかったと思います。
さらにTMでもシティポップをやろうと思ったことがあったそうです。
一体いつのことなんでしょうね。


また気になったのは、小室さんが初めてシンクラヴィアを見たのがニューヨークのNile Rodgersのスタジオだったという発言です。
その後で東京にも持っている人がいたことを知ったとも言っていましたが、これは1988年8月にロンドンから一時帰国した時に日向大介さんに会ったことを言っていると思われますから、小室さんがNile Rodgersのスタジオに行ったのはこれ以前のはずです。
一体どのタイミングだったのでしょうか。


小室さんが海外に行った時期としては、1987年9月に「humansystem」のレコーディングをロスアンゼルスで行なっていますし、1988年4~10月にはロンドンに移住しています。
ただいずれもニューヨークまでは距離があり、それなりの日程を組まなければ行けなかったはずです。
裏付けになる当時の記録があれば何か良いのですが(未調査)。


小室さんが「Running To Horizon」の新たなリミックスバージョンを発表してくれたのは、今回最大のサプライズでした。
ニコ生出演が決まった後に、SONYからマスターテープを借りて作ったそうです。
この件は配信前日に自らのInstagramで言及していたので、チェックしていた方は予想していたと思いますが、私は気づいていなかったので驚きました。


このテイクのタイトルは、ふくりゅうさんによって「アドリブピアノミックス」と紹介されました。
オリジナルテイクからいくつかの音を除き、ジャジーなピアノ音色のシンセを重ねていました。
なかなか趣きのあるアレンジと思います。
小室さんは、目の前で聞いている感じの音にしようと思ったそうです。
こちらは現在は商品化の予定はないようですが、今後何らかの特典として発表されるかもしれません。


また番組の最後には、小室さんによるピアノの即興演奏が披露されました。
「Human System」「Self Control」「Beyond The Time」のフレーズをちょっと弾いた後、「Dawn Valley」「Seven Days War」を演奏し、最後に「Precious Memories」で締めました。
実に9分以上に及ぶ演奏でした。
最後の曲を除き、全部TM曲だったのは嬉しかったです。


画面には映りませんでしたが、ミトさんによれば、最後はスタッフもすすり泣いていたそうです。
小室さんの復活は、ファンに限らず関係者も待望していたのでしょう。


小室さんによれば、それまで音楽の価値が水よりも安くなってしまったと思っていたけれど、今回のコロナ禍の中、音楽は必要だと言ってくれる声が増えてきたと感じ、自分も役に立ちたいと思って活動を再開したとのことです。
意外なことに、未曽有の災害がむしろ小室さんを奮い立たせたのですね。


これまで小室さんのイベント出演は何度かありましたが、現状で発表された新曲は、7月復活時の「Route246」「Dreamed a Dream」の2曲しかありません。
しかしその後も楽曲制作は続けているとのことでした。
発表のタイミングを待っているのでしょう。
今後の活動については、考えていることはあるけれども、具体的には何も動いていないとのことでした。


TMをやりたいという気持ちも語ってくれました。
これもタイミング次第とのことです。
木根さんもTM再開の意志を述べていましたし、本当に何かきっかけがあればTMが始まるのだと思います。
順調にいけば今年中には何かあるんじゃないかと感じています。
とりあえずコロナ禍に先が見えた頃に発表になるんじゃないかと、期待しておきます。


なお今回の各ゲストは、一番好きな小室楽曲が尋ねられましたが、木根さんは渡辺美里さんの「My Revolution」でした。
ウツは番組に送ったメッセージの中で、中山美穂「JINGI・愛してもらいます」、中森明菜「愛撫」、宇都宮隆「discovery」を、小室楽曲ベスト3として挙げました。


また今回、小室さんの出演は21:00過ぎからでしたが、実は早くから来て楽屋にいたそうで、木根さんともずっと話していたそうです。
木根さんは19:00過ぎに退場しましたから、もしかしたら2時間くらい喋っていたのかもしれません。


小室さんは番組終了後、最近注目されているSNSメディアClubHouseで配信を行ないました。
ニコ生の待ち時間にアカウントを作ったそうで、本当に急に決めたようです。
その後は連日ClubHouseに出没し、演奏しているみたいです。
個人的にはtwitterよりも小室さんに向いているんじゃないかと感じています。
いや、私はAndroid使いなのでiphoneアプリのClubHouseは使えないんですけどね…。


ところで、これまで小室さんは主な発信手段としてInstagramを使っており、@tetsuyakomuro_officialと@tk19581127の2アカウントを持っていました。
前者は去年の復帰に合わせて2020年9月に開設されたアカウントで、MusicDesign株式会社を拠点としたイベントの広報などを行なっていました。
MusicDesignerという新たな肩書もここでアピールされました。
これに対して前者は2017年末まで使われていましたが、2018年の引退後は更新が止まり、2020/3/12にはフィリピンの写真を投稿しましたが、それ以外では使われていませんでした。


ところがおそらく今回のニコ生配信の直前になって、前者が@tetsuyakomuro_music、後者が@tk19581127_officialに改称されました。
前者のアカウント名から「official」が消え、後者のアカウント名に「official」が加わったわけです。


前者のプロフィールからはMusicDesignerの肩書が消され、後者の旧アカウントに「オフィシャルリンク」としてリンクが張られています。
小室さんは何らかの事情があって、去年開設の新アカウントから旧アカウントに、オフィシャルアカウントを変更したようです。
詳しい事情は不明ですが、去年の復活時のプランに変更が加えられたようです。


小室さんは去年10月まではMusicDesignを拠点とした活動を行なっていましたが、今はそれとは別の形での活動を考えているのでしょうか。
12月からウツや木根さんと絡むようになったのも、そのことが絡んでいるのかもしれません。
だとするとこの一連の動向は、小室さんがTMの活動に向けて動き出したことを反映しているとも考えられます。


なおMusicDesign絡みと考えられる案件としては、公式twitter(2020/9/11開設)で11/30に須賀洋介シェフとのコラボプロジェクトが告知されたのが最後です。
twitterでもinstagramでも、12月以後の活動はMusicDesignからは広報されていません。


ニコ生配信の中では、木根さんのライブ「K-Folk 2021」の開催が発表されました
日程は4/10・11で、ウツもゲスト出演します。
年末の「年忘れ!!歌酔曲vsフォーク 〜ハタシテ?ドチラが勝つでショー〜」のようなライブをまたやるのでしょう。


さらにウツソロツアー「LIVE UTSU BAR 2021〜それゆけ歌酔曲!~」の開催も告知されました。
日程は2/13に、5/25~7/6と発表されました。
「実は2020年用意してた新曲もやるかも!?」とのことです。


会場は東京・名古屋・大阪のみで、しかも10公演中6公演が東京のEX Theater Roppongiです。
コロナで人が集まらないという判断でしょうか。
多分恒例のニコ生配信もあるから、地方のファンはそちらからリモート参加ということになるのでしょう。
「K-Folk 2021」もEX Theater Roppongiなので、ウツは4~7月に8回EX Theater Roppongiに出演することになります。


すでにリリースが告知されていたBlu-ray「Spin Off T-Mue-needs」の詳細も発表されました。
FC限定版は13500円(税込・送料別)で、3/7までwebshopで申し込みの受け付けが行なわれています。
発送は4月下旬とのことです。
通常版もおそらく同じ頃にリリースとなるでしょう。


通常盤は2020/12/2の最終公演が完全収録となるようです。
さらにFC盤にはボーナスディスクが付き、全公演から1曲ずつ(セミファイナル12/1公演のみ2曲)収録されます。
日替わり曲も全部入ることになります。
全日程配信して映像素材が揃っているからこそできることですね。
ああ、こういうのが80年代に出来ていればなあ…


大変嬉しいことに、ボーナスディスクには年末の「年忘れ!!歌酔曲vsフォーク」から、3人で演奏された「Time Machine」も収録されます。
演奏名義も「TM NETWORK」となっています。
FC会員しか入手できない恨みはありますが、記念の映像になりそうです。


なお小室さんはニコ生で、この時の「Time Machine」は1994年の「TMN 4001 Days Groove」の時よりも良かったと言っていました。
きっと3人で演奏できたことが嬉しかったんでしょうね。


近況整理が長くなりましたが、以下本題に入ります。
今回を以て、TMのオリジナルアルバムは「Quit30」を除いて、全部取り上げたことになります。
やっとここまで来ました。

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TM NETWORKの11thアルバム「SPEEDWAY」は、2007/12/5にリリースされた。
「TM NETWORK -REMASTER-」最終公演(12/3)直後の水曜日(オリコンウィークリーチャート集計開始日)のリリースである。
レコーディングの完了が「REMASTER」初日公演の日(11/2)の明け方だったというから、まさしく「REMASTER」を跨いでリリースされた商品だったことになる。
なおiTunesでは、11/28に先行配信されている。


本作は初動で12位・1.6万枚の成績を上げ、最終的には2.3万枚を売った。
2004年3月にリリースされた前作「Easy Listening」も順位は12位だったが、初動で2.4万枚、最終的には3.6万枚を売ったから、売上は約4年で2/3に落ちてしまったことになる。
本作は「Welcome Back 2」に続いて配信音源も販売されたが、これを加えても前作より売り上げが下がったことは間違いないだろう。


2.3万枚という成績は2020年現在で、音楽チャート上の記録では、再始動後の歴代オリジナルアルバムでもっとも低く、初期の「Rainbow Rainbow」「Childhood’s End」に次ぐものとなっている。
「Rainbow Rainbow」「Childhood’s End」も、チャートに出ないレベルの売上をカウントすれば、実際には「SPEEDWAY」を超えているだろう。
この時期がTM史上の谷底期であることは、その活動内容だけでなく、売上からも言えそうである。


ただしiTunes版はJ-POPチャートで1位を獲得したようで、小室は喜んでいた。
この時に先行配信を行なったのは、CDチャートは捨てて、ライバルが少なかった配信チャートに狙いを絞っていたのかもしれない。


本作のタイトル「SPEEDWAY」は、TMデビュー以前に3人が所属したバンドの名前である。
小室は自らのMySpaceで、10/5にこのタイトルを発表している。


小室は本作制作に先立つ打ち合わせで、次のTMのアルバムは「The Esther」「Base Area」に続くSPEEDWAYの3rdアルバムのイメージで考えていることをウツと木根に伝えていた。
アルバムタイトルは、この構想を反映したものだった。
小室がTMを再開させようと思ったきっかけが、iTunesで改めてSPEEDWAYの楽曲を聞いたことだったことは以前述べたが、その延長上に作成されたアルバムだった。


木根はSPEEDWAYをやろうと言われた時、「Base Area」で参照したTOTOのような音楽をやるのかと確認したら、小室から違うと言われた。
木根によれば小室の真意は、3人の原点に帰ろうということだったという。
小室自身は、TMデビュー以前に1回ワープしようというコンセプトだったと語っている。


「SPEEDWAY」の楽曲を聞いても、1979~80年のSPEEDWAYの作風に寄せている印象は特に受けない。
ただ1970年代の洋楽・邦楽を意識した楽曲が含まれており、そのことはSPEEDWAYの頃の意識で音楽に取り組んだことの反映だろう。
どんな流行を取り込むとか、どんな売り方をするとかは考えず、自分たちの原点たる70年代を見つめ直したのが本作だった。
その点では作風こそ違うが、前々作「Major Turn-Round」にも通じるところはある。


前章で触れた通り、この時は3人で話し合いながら一緒にレコーディングを行なったが、そのこと自体、小室にとっては当時の追体験だったのかもしれない。
1年前にiTunesでSPEEDWAYの曲を聞いた時、おそらく借金で精神的に追い詰められていた小室は、若い頃と同じようなやり方で音楽制作をしてみたくなっていたのだ。
ウツもこのアルバムが好きな作品だと言っている。

7-36.png締切過ぎてても仲良くレコーディング


「SPEEDWAY」のジャケットは、「Welcome Back 2」に続いてGAINAXの佐々木洋が手掛けた。
「Welcome Back 2」とは異なり、こちらは書き下ろしである。
ジャケットはTM3人の(極度に美化された)イラストである。
3人のイラストがジャケットに使われたのは、「CAROL」「EXPO」以来のことである。


3人の背景には円形の大きな時計があるが、TM=TIME MACHINEとすれば、これは彼らが操った時間を表示するものだろうか。
小室は「SPEEDWAY」について、タイムマシーンで時代を遡りSPEEDWAY時代にレコーディングをしてきたイメージだと言っている。


ジャケット裏には、時計の横を飛ぶ3体の魚型の物体が描かれている。
コロンビアの古代遺跡から出土した、黄金スペースシャトルと呼ばれる遺物をモデルにしているものだろうか(本記事秀さんコメント)。
これは飛行機や宇宙往還機を思わせるオーパーツとして取り上げられることも多いという。
おそらくこのジャケットでは、TMの3人がこれに乗って移動しているのだろうが、あの小室がよりによって魚をジャケットに使うことを認めるとは驚きである。
料亭を経営するKEIKOの実家に入り浸って、魚嫌いが改善されたということだろうか。


このCDで特徴的なのは、歌詞カードと一緒にアルバムを解説するライナーノートが封入されていることである。
洋楽古典のCDを思わせる作りである
かつて1993年に「CLASSIX」の歌詞カードに解説が書かれていることはあったが、単独でライナーノートが入ったことはこれまでなかった。
ただしその解説文はまたも藤井徹貫であり、内容ははなはだ薄いものになっている。


「SPEEDWAY」の制作は、シングル制作と一連の作業で行なわれた。
3人揃って制作を開始したのは、木根のソロツアー「talk & live 番外編 vol.7」の地方公演が終わった8/27から少し後、8月末から9月初め頃だった。
ただし小室も木根もそれ以前から、各自デモテープ作りは始めていた。


シングル「Welcome Back 2」のトラックダウンは9/24に行なわれたので、これ以後他のアルバム曲にも本格的に着手したと思われる。
実はこの時点で、レコーディング期間は残り1ヶ月を切っていた。
10/21にはすでに締切を過ぎていたというから、本来10/20以前に仕上げていなければいけなかったらしい。


「楽器フェア」「TM NETWORK -REMASTER-」横浜公演)のリハーサルは10/27~31に行なわれており、当然これ以前にはアルバムを仕上げなければいけなかった。
だが結局これにも間に合わず、3人はレコーディングとリハーサルを並行して行なわざるをえなかった。


特に小室はほとんどリハーサルに来ることができなかった。
1日16時間のレコーディングを連日こなしていたという。
10/28には特任教授を務める尚美学園で公開授業があったが、この時は小室が学校に向かう途中で病院に運ばれ、中止になった。


小室は最終的には「楽器フェア」初日(11/2)の早朝までレコーディングを続け、エンジニアにトラックダウンを引き継いだ。
その後仮眠を取ってライブ直前のリハーサルに参加し、ライブを行なったことになり、これ以上ないほどギリギリのスケジュールだった。


そもそも10/20以前に仕上げる予定だったとすれば、8月末以後のレコーディング開始ではかなり期間が短い。
だが木根のソロツアーが確定していた以上、3人でまとまってレコーディングできる期間としては、この間しか確保できなかったのだろう。
あるいは小室と木根で担当曲数を折半したのも、本来はこうした日程の問題を勘案したものだったのかもしれない。


またウツによれば、レコーディングが何度か中断する事態があり、その間にテンションを保つのが大変だったという。
この時になんらかのトラブルがあったことが推測され、あるいは前章で触れたスタジオ確保の件もからむのかもしれない。


ただ木根の「震・電気じかけの予言者たち」には、9~10月にレコーディング中断があったことは記されておらず、そこに記される日付を見ても長期的な中断があったようには見えない。
だとすると中断は、8月末以前のことだった可能性が考えられる。
すなわちレコーディングは本来木根のソロツアーの合間を縫って始める予定だったが(途中から木根が合流)、何らかの事情で難しくなったのかもしれない。


そもそも小室もウツも6月以後はまとまった仕事がなく、スケジュールは空いていたはずである。
この間、小室は6月末日を以て吉本との契約を解除して、7月からイーミュージックと組むようになる。
TMのレコーディングも、この新体制発足とともに始まるはずだったのではないか。
だがスタジオ確保問題などの調整で時間が取られたため、レコーディング開始が大幅に遅れてしまった可能性を指摘しておきたい。


また小室の借金問題も絡んでいたのかもしれない。
2006年に5億円を詐取された被害者Sは、この頃から小室の関係者にも連絡を入れ、8月にはKCO実家の山田家にも借金取り立ての電話を入れるようになっていた。
小室はその対応に追われていたことも考えられる。
真相は闇の中だが、「SPEEDWAY」はかなり困難な環境の中で作成されたものと考えられる。


アルバムの内容に移ろう。
「SPEEDWAY」はTM作品では稀有なことに、木根曲が全体の約半分を占めている。
実に11曲中5曲が木根曲である。
しかも3曲は小室のインストなので、歌入りの楽曲では小室と木根の担当は3曲・5曲ということになる。
この割合は2~3曲を木根が担当する普段の作品とは反対である。
全体としてこのアルバムは、木根曲の印象が非常に強いものとなっている。


この分担は、小室が木根にお願いしたことだった。
小室も作曲能力が落ち込んでいたことを自覚していたのかもしれない。
ただSPEEDWAYの2ndアルバム「Base Area」も、小室が5曲(1曲インスト)、木根が4曲という比率だったから、これを踏襲しているともいえる。


むしろ本作の小室は、作詞に多く名を見せている。
歌入りの曲では木根作詞の「N43」を除く7曲を小室が担当しており、さらに実際の歌は入っていないが「You Can Find」では、後述するように、小室の過去の詞が歌詞カードに掲載された。
歌詞の多くは非常に深刻な内容で、当時の小室が極めて危険な精神状態の中で生きていたことが分かる。


一方でこれまで作詞で協力してきた小室みつ子は、本作では1曲も関与していない。
みつ子の詞がないアルバムは、これ以外では「EXPO」の例があるのみである。
しかも「EXPO」の時も、みつ子は「Wild Heaven」の作詞をしていたから(アルバム収録は見送られた)、「SPEEDWAY」はみつ子が一切関与しなかった唯一のアルバムということになる。


もう一つ、小室が目立っているのはコーラスである。
特に「Action」「Red Carpet」「Teenage」などでは、TMがウツと小室のツインボーカルではないかとも思わされてしまう作りである。
それなのに小室はライブでは、これらの曲でなぜかまったく歌わない。


このアルバムでは先行シングル「Welcome Back 2」を除き、スタジオミュージシャンが呼ばれなかった。
これは前章で想定した通り、制作費の問題が絡んでいる可能性がある。
楽器は小室・木根・ウツのみであり、エレキギターの奏者は木根のみである。
そのため楽器はどうしても小室のシンセを中心とするシンプルなサウンドにならざるを得ない。


ただシンプルなサウンドは、意図的なものかそうではないかはともかく、SPEEDWAYの3rdアルバムというコンセプトには合致しているともいえる。
これがそれまでのTMにはない「味」となっていると感じる者もいるだろう。
小室は、音がきっちりとしてない分、洋楽的に聞こえると言っている。


またこうしたシンプルな音作りが行なわれたことは、長らくメロディが死んでいた感のある小室が勘を取り戻すきっかけにもなったように思われる。
1曲目として作られた「Welcome Back 2」は、この点で及第点を出すのは難しいが、「Action」では気持ちの良い歌メロを作り上げることに成功している。
木根の楽曲制作に立ち会ったことで、丁寧にメロディを作ることの楽しさを思い出したのかもしれない。
小室も本作では、木根がとても良い仕事をしたとか、木根に支えてもらったとか言ってほめている。


なお本作のシンセはほとんどが手弾きだという。
それはリフを多用した前作「Easy Listening」とは大きく異なるところである。
あるいはこれもSPEEDWAY時代の作り方を意識したのかもしれない。


以下、本作収録の楽曲について触れたい。
ただしシングルとして先行カットされた「Welcome Back 2」「N43」は前章で触れたので、ここでは省く。


1曲目「Action」は、アルバムの中では終盤にできた曲だった。
鍵盤のみのシンプルなイントロが、このアルバム全体の導入にもなっている。


先行シングル「Welcome Back 2」があまり人気がないため、事実上この曲がアルバムの顔となっており、2020年の人気投票でも「SPEEDWAY」からは唯一この曲が100位内に入った。
2007/11/13にはTMのMySpaceと吉本のサイトで、この曲と「Teenage」の試聴音源が先行公開されている。


この曲は、イントロ・間奏やAメロは勢いがあるが、サビで落ち着くという独特な作りの曲である。
この曲に限らず、本アルバムの小室曲は「Welcome Back 2」「Red Carpet」も含め、テンポがAメロで早くサビでは落ちるという構成になっている。
サビのメロディをじっくり聞かせることを意識したのだろうか。


この曲ではAメロはウツが歌うが、サビのボーカルは小室である。
だがライブではサビもウツが歌い、しかもサビで盛り上げる作りになっているので、聞いた印象がまったく違う。
初めて聞いたのがライブだったこともあるが、私はこの曲はライブバージョンが圧倒的に好きである。


なお「SPEEDWAY」の曲は、先行シングル以外ほとんど2008年の「TM NETWORK play SPEEDWAY and TK Hits!!」でしか演奏されなかったが、「Action」のみはアルバムリリースに先立って「TM NETWORK -REMASTER-」の渋谷CCレモンホール公演と武道館公演でも演奏されており、アルバムの顔とされたことが分かる。
また2012年の復活時にも「Incubation Period」で演奏されたが、これは2010年代のTMで「SPEEDWAY」の曲が演奏された唯一の例である。


歌詞はメッセージ性の強いもので、小室は後の「I am」につながるものだと言っている。
歌詞は日本語としては相当崩れており、歌詞としてはどうかと思うところもあるが、それだけ小室の生の言葉でもあるのだろう。
これを補足しつつ解読してみよう。
なお歌詞の主語が小室であることは前提とする。


この頃の小室は毎日何もかもが「はかなく むなしく さみしく つめたく」感じていた。
そのためただ夜明けまで「静かに生きたい」とだけ願っていた。
これは金策やノルマとしての仕事に追われる日々を指しているのだろう。


だがある夜に、「そんな後ろ向き」な考えを変えることがあった。
何かきっかけがあり、音楽活動に積極的に取り組みたいと思うようになったのだろう。


こうして改心した小室は、自分がこれまで「君(=ファン)を悩ませ」ていたことに気が付き、それまで自分を過信して開き直っていたことを反省して、「まず1歩走り始めた」、つまり音楽活動を再開したという。
この歌詞は先行シングルの「Welcome Back 2」と同じことを言っていると見て良い。


以上を踏まえてサビでは、「gonna let you know my action」「gimme chance one more my action」と歌い、また「君をつなぎ止める」「もう一度ふりかえすよ」「涙さえ枯れきった君への思いを形に」「やっと言葉の重みを分かって動くよ」と述べる。
例によって英語は変だが(日本語も変だが)、これは「僕のactionを知らせるよ」「もう1回actionするチャンスをくれ」とファンに伝えたものであり、「君をつなぎ止める」以下の日本語詞と同じことを言っている。


2004年の「Easy Listening」ではKEIKOのために再起を決意する歌詞が呈示されたが、「Action」ではファンの方を向いて、ファンのために頑張ることを述べたことになる。
この点でも「Welcome Back 2」と同趣旨である。


なお小室は2008年に逮捕された時、取り調べの調書で反省の弁を述べた上で、以下のように述べている。
これは「Action」の歌詞を踏まえたものと見られ、この曲に寄せた小室の思いを伺うこともできよう。

私は自分の楽曲の中で『チャンス』というフレーズを何度も使ってきましたが、その重みを理解しました。チャンスを与えてもらえないでしょうか。音楽を作らせてもらえないでしょうか。


小室曲として、4曲目「Red Carpet」も見てみよう。
小室はSPEEDWAY時代に遡ったアルバムのイメージが現れている曲として、これを挙げている。
3人ならではの曲で、古くもなく新しくもないと言っている。
普遍的な作りということだろう。


個人的にはこのアルバムでも好きな曲である。
鍵盤をピンと叩く音で始まるあたりも良いし、後ろでなっているシンセのフレーズも良い。
Aメロではウツと小室がラップ調の合唱をするが、これは珍しいと思う。
緊張感のあるAメロが、ゆったりとしたサビよりも印象に残る作りである。


ただ歌詞はなかなかつらいものがある。
1番で小室は、海外の栄光の場に立つことを夢見て活動する若いミュージシャンたちや俳優・コメディアンたちを眺め、その栄光の場を「赤く遥か遠い君のRed Carpet」と呼んでいる。


彼らは見事Red Carpetに立って、照れながらスピーチをする。
だがそれを眺めている小室は、すでにRed Carpetから「遥か遠い」無縁な存在になっているのだろう(だから自分のものではない「君の」Red Carpetと言われている)。
小室は自分が退いた後に若手が活躍をする様を、隠居のごとく傍目から眺めているのである。


その上で小室は2番で、Red Carpetの場を「近くて遠いあの神秘的なエントランス」「あのじゅうたん」「あのグレイスフルロード」と呼んで羨望の気持ちを示し、「それでももう一度」「仲間とジョークと共にあの場所にいたいと思えるかい?」と自問する。
ここでは小室はRed Carpetに呼ばれる立場から脱落してしまったことを痛いほど実感している。


以上を踏まえた上で展開されるサビの歌詞は「Take me to the airport」「Take me to “The Hollywood”」である。
小室はすでに栄光の座から脱落しているにもかかわらず、まだハリウッドで活躍したいという気持ちを捨てきれていない。


この歌詞は、落ちぶれた自分を嘆いているようにも見えるが、別の見方をすれば、ハリウッドに呼ばれるくらいの再起を志す心情を歌ったものにも見える。
私は先の「Action」の歌詞とセットで見れば、後者が正しいと思う。
小室はまだ諦めていないのであり、だからこそTMを再開させたのである。


木根の曲を見てみよう。
レコーディングはシングル曲の制作から始まったが、その時に木根は6/8拍子の曲を作るように小室からリクエストされた。
これがアルバム3曲目の「Pride in the Wind」である。


ところが木根は「Pride in the Wind」を作った後、もう1曲「N43」も作ってデモテープに入れた。
デモテープは「N43」が1曲目、「Pride in the Wind」が2曲目となったが、小室は1曲目を聞いてすぐに気に入って、2曲目を聞く前にこれをシングルに採用することを決めてしまった。
だが木根としては2曲目も捨てがたく、アルバムに入れることにしたという。
「Action」とともにスケジュール終盤(10月末)までレコーディングされていた曲である。


私としては、間奏の電子ピアノがとても好きな曲だ。
なお小室は作詞の時にサビのメロディを変えようとしたことがあったが、木根は元のメロディで行くように主張して、元のままにしたという。


小室の歌詞は、このアルバムの中でもっとも陰惨なものになっている。
ただ困ったことに、珍しく日本語としての破綻もなく、小室の歌詞としてはよくできていると感じる。


小室は1番Aメロの歌詞冒頭で、「こらえきれずに涙する」。
それは「どこかあなたに知って欲しい」からである。
一方でそのように願ってしまうことについて、「いつの間にか甘える術 身にしみついている自分が悔しい」とも思っている。
つらい状況にいる自分を慰めてほしい一方で、そんなことを願う自分が情けなくなっているのだ。


これに続くBメロには、「名も知れずそっと息をして 若者をうらやむ気さえ失せて」とある。
小室は世間から忘れられた中でひっそりと生き、活躍する若者に対して嫉妬心さえ湧かなくなっていた。
これは先の「Red Carpet」で語られていた心情でもある。
2004年に「Screen of Life」で人生というスクリーンに「クライマックスを作りましょう」と歌っていた心意気は、この頃にはすでに雲散霧消してしまっていた。


サビでは「誰もが想う真っ暗な希望なき明日」「誰もが願うまっすぐなあなたとの明日」と歌う。
この「誰もが」はなかなか理解しがたいが、文脈から見てAメロ・Bメロと同じく小室が想い願っていることだろう。
誰でも願うように小室も願っているのだ、ということだろうか。
この頃の小室は未来への希望を失っており、まっすぐな日々を「あなた」と過ごすことだけが願いとなっていた。
「まっすぐなあなたとの明日」の「まっすぐ」のニュアンスは微妙なところだが、借金返済や金策などとは無縁の音楽仲間やファンとともに過ごす日々を言っていると見るのは、うがちすぎだろうか。


以上を踏まえた上で曲名の「Pride in the Wind」(風にさらされたプライド)の意味を考えれば、ボロボロになった小室のプライドというところだろう。
2番サビの「Pride in the Wind 誇りさえもてない」という部分が、この曲名の意味をもっとも直接表現している。


さらに小室は未来に対してだけでなく、過去に対しても絶望していた。
それを示すのが、「誰もが願う風と共に消える過去」というフレーズである。
この場合の「過去」とは小室の栄光の証としての業績であり、小室はそれにすがりつこうとしていた。
しかし「風と共に消える」とある通り、実際にはその業績ですら、時間とともに世間で忘れられていった。
この頃の小室はすべてを失っており、そのためにプライドを保つこともできなくなっていたのである。


「Action」「Red Carpet」に見るように、この頃の小室は確かに再起を志していた。
だがその一方でボロボロに傷ついてもいた。
そのことを表現したのが「Pride in the Wind」の衝撃的な歌詞と考えられる。


冒頭の「こらえきれずに涙する どこかあなたに知って欲しい」のフレーズを見るに、この歌詞は曲を聞くファン(あなた)に向けてのメッセージなのだろう。
小室は情けないと自覚しながら、窮状をファンに知ってほしくてこの歌詞を書いたのだ。
こんな小室哲哉は、後にも先にもなかっただろう。


こうした絶望的な現状を歌った「Pride in the Wind」に対して、5曲目「Teenage」は、純粋に音楽を楽しんでいた10代の頃を回想した曲である。
木根もTM結成当時に西麻布JAKスタジオに通っていた頃(この頃は20代だが)を思い描きながら、当時のデモテープにあっても違和感がない曲として作った。


木根としてはメロディだけで作詞心をかきたてるような曲になるように心がけたという。
小室はこれを聞いて10代をテーマとした歌詞を付けたのだから、その点では大成功だったということだろう。


曲は落ち着いた気持ちにさせてくれるミディアムテンポの曲である。
イントロでは木根のハーモニカが入るが、これが郷愁を誘う。
木根と小室にとっての、安らぎの思い出としての10代(もしくは20代)のイメージを表現なのだろう。
この曲は小室が気に入っており、TM NETWORKのMySpaceではアルバムリリース前から「Action」と並んで試聴音源が公開されていた。


小室の歌詞は、「Music brings back to the teenage」というサビのフレーズで端的に表現されている通り、音楽によって10代の頃の気持ちを取り戻すというものである。
それは「SPEEDWAY」のテーマでもあるし、スタジオの小室の気持ちそのものでもあろう。
小室は音楽を聴きながら「今夜だけは酒で楽しみをつくろう」と述べてもいるが、小室の最後の救いとなったのが音楽であったことが分かる歌詞である。
おそらくiTunesでSPEEDWAYの楽曲を聞いた時の気持ちを歌詞として書き起こしたものではないかと思う。


特に注目したいのは2番Aメロで、「道端でいつまでも起きあがることもなく眠り続ける無気力な人」「1秒で誰よりもハートビートを鳴らすため若き頃の夢をなお思い出す人もいる」と、2つの類型の人を並べている。
これはともに小室自身のことであり、かつては前者だった小室が、音楽を聴いて(iTunesでSPEEDWAYの曲を聴いて)若い頃を思い出し、後者になろうとしていることを表明しているのだと思う。


2曲目「Diving」は、木根が小室からT.Rexの「20th Century Boy」のフォーク版を求められて作ったものである。
イントロは「20th Century Boy」そのもの(ほぼフォークアレンジのカバー)だった。
そのため仮タイトルは「K-Rex」とされていた。


デモテープはアコギ1本で作ったが、小室はこれを聞いて、このままで良いと言ってきた。
だが木根はまさかこのまま使われるとは思っていなかったので、CD用にギターを撮り直すことにした。
アコギ1本では音にふくらみがなかったということで、ウツにも参加してもらい、アコギ2本で一緒に演奏し収録した。
そのためこのアルバムでは、ウツもアコギ奏者としてクレジットされている。


小室は2人の演奏の上にメロトロンの音を重ねた。
このアイデアは、小室が10/30の歌入れの後で思い付いたものだった。
小室はスタッフに即日メロトロンを用意させ、早朝4時までレコーディングを続けた。
数時間後は「楽器フェア」リハーサルの最終日であり、さらにリハーサル後もレコーディングは続いたという。
このようにかなり無理をして入れたメロトロンだったが、たしかにこれが入ることで、曲は良くなったと思う。


TMでアコギを前面に出した曲は、「月の河」「Another Meeting」などはあるが、珍しい。
しかもアルバム2曲目という目立つ位置である。
これはTMを知っている者ほど意表を突かれるだろう。
小室は1曲目の「Action」から「Diving」への流れが好きだという。


歌詞には他曲のような重苦しさがなく、その点ではアルバム中で木根曲の「N43」「Teenage」と並ぶ清涼剤的な位置にある。
個人的には再結成後で一番好きな歌詞だ。


歌詞は抽象的で理解しがたいところもあるが、小室からファンに届けられる音を色でイメージしたものである。
なお歌詞には「Rainbow 7色をイメージして」とあるが、具体的に挙げられるのは「くやしさのグリーン、かなしみのブルー、さよならのブラウン、笑顔のオレンジ、2人だけのピンク」の5色だけである。
(その後の「sky blueじゃない、グレーでもない」も入れれば7色だが)


小室は音をリスナーに届けることを「Diving」と呼んでいる。
「worldダイビング」とも言っているので、届ける先には海外も含まれているのだろう。
おそらくネットを通じて音が世界中に配信される様子をイメージしているのだと思う。


その上で小室は「間違いなく着地したかな?」と聞いてくる。
自分が作った音がちゃんと届いたのか、ファンに問いかけているのである。
「ほほえんでる僕がみえるかい?」と言っている通り、小室はファンに曲を聴いてもらえることが嬉しいのだ。

モノクロからセピアだんだんと 色づく音色が宙に舞い
そこにとんでくよRainbow 七色をイメージして
ほほえんでる僕がみえるかい?
波うつこどう信じた僕は 間違いなく着地したかな?
涙ゆれてる はじめてクリアの光
自分だけの好きな宇宙へと とばす光 Can't you see?


6曲目「Welcome Back 2 -1983 Edit-」と8曲目「N43 -1983 Edit-」に挟まれる形で収録される「夏の終わり」は、本作唯一のバラードである。
シングル完成に目途がついた9/23に、木根が小室から吉田拓郎の「祭りのあと」風の曲をリクエストされて作ったものである。
歌詞は恋人たちの「夏色おわりを告げる夜」から始まるが、あるいは夏祭りをイメージしているのかもしれない。


小室の歌詞でこの曲だけは、小室もしくはTMからのメッセージもしくはモノローグではなく、とある恋人の関係を描いたものになっている。
2人の関係は夏の終わりに始まり、冬に終わりを告げた。
そして春には、それぞれ笑顔で別の道を歩いていく。
大学に進む高校生、もしくは就職する高校生・大学生をイメージしているのだろうか。
地味な曲なので影が薄く、あまり言及もされない曲だが、じっくりと聞くと良い曲である。


「TM NETWORK play SPEEDWAY and TK Hits!!」では、「SPEEDWAY」の歌入りの曲はほぼ演奏されたが、この曲だけはセットリストから外され、以後もTMのライブで演奏されることはなかった。
ただ2020/2/6、ウツのソロツアー「Dragon The Carnival」追加公演(中野サンプラザ)で、1度だけ演奏されている。
なお把握はしていないが、もしかしたら木根ソロで演奏されたことはあるかもしれない。


以上6曲およびシングル2曲が本アルバムの歌入りの曲だが、他に9~11曲目には、小室のインスト曲が収録されている。
「Easy Listening」も最後の3曲はインストか準インスト曲が並んでいたが、それと同様の構成である。


9曲目「Electric Music」は、特徴のあるキーボードを次々と登場させるという構成を取った。
色々なシンセの音出しをしたことをきっかけに作った曲だった。
小室としては、以前Jean Michel Jarreと共演した経験も影響したという。


この曲では、TM再始動のきっかけが「楽器フェア」になることも意識したという。
一人楽器フェアとでもいうべきだろうか。
なおこの曲はライブSEも含めて、これまでライブで一度も使われたことがない。


11曲目「Malibu」は、かつて小室が住んでいたロスの地名から採られた曲名である。
小室がマリブの邸宅のことを思って曲にしたものという。
小室にとってこの邸宅は、プロデューサーとして栄華を極めた90年代後半の頃の象徴でもあるのだろう。
重々しいプログレ風味の曲で、小室はマニアックだがやりたいことをやったと言っている。


この曲はもともとコンサートのオープニングに流れる曲という構想だったが、実際に「TM NETWORK -REMASTER-」武道館公演では、オープニングSEで使われた。
「SPEEDWAY and TK Hits!!」では、ツアー後半からセットリストに加えられている。
さらに2010年代のTM30周年関連ライブでは、なぜかSEとして頻繁に用いられた。
小室も好きな曲なのかもしれない。


最後に取り上げるのが、10曲目の「You Can Find」である。
これは作詞・作曲小室哲哉となっており、実際に歌詞カードには歌詞も出ているが、歌は入っていない。
それはこの曲に関する少々特殊な事情がある。


レコーディングも終盤の10/24(本来の締切を過ぎていた頃)、小室は木根に阿部晴彦の話をした。
小室・木根と同世代の音楽仲間で、1979年にいち早くプロデビューを果たしたが、事故で早世してしまったことは、以前述べたことがある。


小室はこの時、かつて阿部に頼まれて作詞したことを言い出した。
小室は作詞の作業をする中で、自分の作詞の歴史の始まりとして、この件を思い出したのだろう。
小室が19歳か20歳の頃というから、1978~79年頃、ギズモに所属していた頃のことである。


そして小室は木根に相談した。
当時阿部に渡した歌詞に付けた曲のテープは残っていないだろうか?と。
当時の音楽仲間と一番つながっているのは木根だったから、関係者を通じて探してほしいというお願いだった。
木根は小室が阿部のために作詞していた事実自体、この時に知ったらしい。


小室のお願いはかなり無理筋に見える。
しかもレコーディングの最終締切だった11月1日まで、あと1週間しかない。
しかし木根は友人を介してテープの行方を捜した。
特に頼りになったのが、中学校時代に阿部とフォークデュオを組んでいた内田好美だった。
内田はSPEEDWAY前身のフリースペースのギタリストでもあった。
木根が内田にテープ捜索を依頼したところ、内田は友人を通じて親身に探してくれたという。


結果として問題のテープは見つからなかったが、阿部の姉の連絡先は確認できた。
木根は連絡を取り、遺品を借り受けることをお願いして承諾を受け、10/27に受け取りにいった。
この日は「楽器フェア」リハーサルの開始の日であり、レコーディングも進行中だった。
木根にとってはまことに多忙な一日だった。


その時受け取った遺品のテープや楽譜は、紙袋一つだけだった。
木根は将来を嘱望されたミュージシャンの残した音がこれだけなのかと、やりきれない思いになったという。
木根はこの遺品の中から、小室が書いた「You Can Find」の歌詞を探し当てた。
歌詞の内容は、夢を目指して動く若者たちを描いたものである。
これを見た小室は、今とまったく同じことを言っているとコメントしている。


木根がその遺品を小室に見せたのは、おそらく受け取った翌日の10/28だろう。
(受け取った後はスタジオに戻らず帰宅して中を確認したという)
小室はこの歌詞を見た時、19歳の自分から怒られた気がしたとも言っており、心に来るものがあったのだろう。
小室にとってこの件は、レコーディングという形での自分の過去探しの旅を締めくくる出来事でもあったのだろう。


小室は歌詞を見ると、おもむろにスタジオのグランドピアノに向かい、即興で演奏を始めた。
このインプロビゼーションの音源が「SPEEDWAY」の10曲目として収録された「You Can Find」である。
小室としては、阿部へのレクイエムという意識だったらしい。
歌詞に合わせたメロディが付けられたわけではないが、30年前の「You Can Find」の歌詞は、当時の小室直筆の写真の形でライナーに掲載された。


この曲は2020年までステージ上で演奏されたことはないが、上記のような制作事情もあり、「SPEEDWAY」収録曲の中では独特の存在感を持っている。
「REMASTER」「SPEEDWAY and TK Hits!!」では、ライブ終演後のBGMとして使われた。


特に「楽器フェア」に相当する「REMASTER」パシフィコ横浜公演(11/2・3)で流された時点では、「You Can Find」はまだスタジオでの収録から1週間も経っていなかった。
観客はこの曲が何なのか分からなかったが、多くの者は最後まで会場でこれを聞いた上で、拍手してから退場した。
この時に関しては、このBGMまでで一つのライブだったのだと思う。

SPEEDWAY - TM NETWORK
SPEEDWAY - TM NETWORK

7-35 Welcome Back 2

2/6にニコ生で、特番「Tetsuya Komuro Music Festival」が生配信されます。
2/24リリース予定の「Digitalian is eating breakfast Special Edition」「tk-trap RE:2021」の販促企画です。
随分と中途半端な時期に特番をやるんですね。


放送は18:00~22:00の4時間に及び、番組内では「TK SONG 40 ランキング発表」が行なわれます。
otonanoのサイトでは、2/3まで好きな曲の投票を受け付けており(1人3票)、この集計結果を発表するというものです。
MCはクラムボンのミトさんとふくりゅうさんが務め、木根さん・DJ KOOさん・住吉美紀さんがゲストとして出演します。


1/23にはこの番組のプレ特番として、「Tetsuya Komuro Music Festival「TK SONG ランキング中間発表」」が放送されました。
2時間の予定でしたが、MCのミトさんが盛り上がり過ぎて、3時間半に及ぶ放送となりました。
小室さんも途中で電話出演し、2/6には出演する旨を約束してくれました。


ランキング中間発表では、上位30曲が発表されました。
現時点で残っているファンの数も反映しているのでしょうが、TMがやたらと多く、全体の1/3を占めていました。
上位10曲中の半分はTM曲で、1位は「Get Wild」です。


ランクインした曲は、「Get Wild」「Human System」「I am」「Self Control」「Beyond The Time」「Nights of the Knife」「Electric Prophet」「Be Together」「Alive」「We love the EARTH」の10曲となります。
これに小室さんソロ曲の「Running To Horizon」「Gravity of Love」「永遠と名づけてデイドリーム」「I Want You Back」と、渡辺美里さんに提供した「My Revolution」「悲しいね」を加えると、TMN「終了」以前の楽曲および30周年のTM楽曲で半分以上を占めることになります。


逆に一般に認知度が高い90年代プロデューサー期の楽曲は、あまり上位に食い込みませんでした。
上位10曲に入ったのは、7位の「Departures」と9位の「Faces Places」だけです。
globeはこの2曲の他に「Feel Like Dance」「Freedom」もランクインしましたが、trf・安室奈美恵・H jungle with t・華原朋美・篠原涼子は、それぞれ1曲だけでした。


その他の曲としては、乃木坂46「Route246」、Pandora「Be The One」、AAA「ダイジナコト」が入りました。
個人的にAAAは少々意外でした。


それにしてもTM曲の順位が、去年の「Gift from FANKS」の人気投票と結構違うのは興味深いです。
去年の投票の上位10曲は、「Still Love Her」「Self Control」「Get Wild」「Beyond The Time」「Human System」「I am」「Electric Prophet」「Resistance」「Nights of the Knife」「Fool On The Planet」だったのですが、この時に1位だった「Still Love Her」が今回はTM曲の10位以内にも入らなかったことになります。


前回はTMだけで1人10票だったのが、今回は小室楽曲全体で3票という投票数の違いが影響したのかもしれません。
たとえば「Get Wild」「Human System」は必ず最初かその次くらいに選ぶ曲だけど、「Still Love Her」は上位3曲に入るほどではないけど10曲選べるなら入れる、という感じの人が多かったとか。
ゲーム理論的に分析しても面白いかもしれません。


なお本件とは関わりませんが、木根さんは2/9日本テレビ「FUN!FUN!FANTASTICS」に出演します。
80~90年代のライブパフォーマンスについて語るようです。


では本題に入ります。

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木根によれば、2007年のTM最初の打ち合わせは、GWに行なわれた。
ウツ・木根は「Spin Off from TM 2007」の本公演を終え、追加公演4本を残すのみになっていた頃であり、小室はDJ TKのレコーディングの終了目前の頃だった。


「楽器フェア」の話は当初M-tresに来たものだったが、その後の新譜制作やライブの企画は、すべて小室が考えたものだった。
GW以前に決定していたことは、11月の「楽器フェア2007」出演の件だけだったと思われるが、小室は打ち合わせでアルバムの制作方針にまで話を進めた。
アルバムの話が出た以上、当然その前提になるシングルの話も出ただろう。


そしてそれらを「楽器フェア」に合わせて11月前後にリリースすることも決まったと思われる。
「楽器フェア」の後の11月末から12月にかけては、ライブが3本開催されるが、その計画および会場の仮押さえも行なわれたかもしれない。
タイミングとしてはすでに動くべき時期である。


TMの活動に関する具体的なプランは、6月から考えることになった。
おそらく6/8の「Spin Off from TM 2007」終演を待ってからということだろう。
木根は6/10に「talk & live 番外編 vol.7」の仙台公演が控えていたから、6/11以降に次のミーティングが行なわれたものと考えられる。


6月の打ち合わせの内容はよく分からない。
その後しばらく、3人そろってのレコーディングはなかったようで、少なくとも記録の上では、楽曲制作の情報が多く現れるようになるのは、3ヶ月後の9月からである。
木根は8/27まで「talk & live 番外編 vol.7」で、かなりの過密スケジュールで全国を回っていたから、TMの本格始動はその後からということだったのだろう(その後は9/8・28の東京公演のみ)。


木根は8月末に、近日中TMのレコーディングをすると発言している。
小室はその時点ですでにTM新曲のサビを作っていたというので、8月中に小室が曲を作り、月末に木根が動けるようになってから3人で楽曲制作に入るという手順だったのだろう。


それまでの小室は、翌年リリース予定のKCOのソロ曲を作っていたという。
ウツについてはよく分からないが、10/18発売のX-BOX 360のゲームソフト「ビューティフル塊魂」のオープニングテーマ「Katamari Dancing」は、この頃にレコーディングしたものかもしれない。


9月前半にはTMがレコーディングに入っていたことが確認できる。
ただ木根によれば、当初はなかなか作曲が進まなかったらしい。
9月後半にはシングル制作も大詰めに入っていたようで、ドキュメンタリ映像「Kick Into Action」には、9/16のシングル曲のミーティングと9/24のレコーディングおよびトラックダウンの風景が収録されている。


その後はアルバム「SPEEDWAY」の完成に向けてレコーディングを続けたが、その最中の10/3には、TM NETWORK名義のMySpaceが開設された。
すでに小室は個人名義でMySpaceを活用していたが、TMの広報も年明けまではここを中心に行なうようになる(数ヶ月に過ぎなかったが)。
シングル曲「Welcome Back 2」「N43」の試聴音源も、リリース前にここで公開されていた。


この時のレコーディングには、特異な点があった。
大半の作業が小室自宅のTKCOM Studioで行なわれ、スタッフもほとんど入らなかったのである。
もちろんスタッフがまったく関与しなかったわけではないが、少なくとも楽器演奏や作詞・作曲・編曲は、ほとんど3人だけで行なった(例外はシングル曲「Welcome Back 2」のドラムのそうる透)。
作詞も小室みつ子には依頼せず、木根が担当した「N43」を除く全曲の作詞は小室哲哉が行なった。
2002~04年のように編曲の外注も行なわれなかった。


ウツは「なんか原点に戻った気がするんだ。3人で揃ってスタジオで何かをやるというようなことなんて長い間なかったから」と発言しており、小室も今までで一番楽しいレコーディングだったと言っている。
小室はレコーディングの時以外にも、ウツや木根に連日電話をかけて長電話していたといい、ウツは、こんなことはほとんど初めてだと言っている。
何年もの間殺伐とした世界に身を置き続けてきた小室としては、地獄のような現実から離れて友人と一緒に過ごせる時間は嬉しかったのかもしれない。


2004年の「Easy Listening」の時には、レコーディングで3人が集まることはなく、小室とウツ・木根は別のスタジオで作業を行なっていた。
2000年の「Major Turn-Round」の時も、小室は海外、ウツ・木根は日本にいて、別々に作業を行なっている(例外は、木根がアメリカのスタジオまで小室に会いにいった数日間くらい)。
これに対して2007年の楽曲は、3人が一緒になって作ったものだった。
3人の距離はそれまでと比べて、ぐっと近づいた印象を受ける。


以上のように、この時のレコーディングについては肯定的な側面から語られてきた。
木根は「震・電気じかけの預言者たち」に、この時の制作方針の3本柱として、SPEEDWAYの3rdアルバム・小室自宅でのレコーディング・3人での制作を挙げている。


だが実際には、レコーディングには問題もあったらしい。
ウツは2020/3/25のウェブラジオ特番「Gift from Fanks」で、「裏事情は大変だったから。レコーディングする場所がなくて、どうする?て感じだった」と発言している。
この発言を見る限り、3人での制作についてはともかく、小室自宅でのレコーディングというのは積極的な意味があるわけではなく、何らかの事情によって他のスタジオが使えなくなったことによりやむを得ず採った選択肢だったらしい。
木根も、本来レコーディングではウツが歌いやすい環境を整えるべきだが、ウツは小室自宅スタジオでの歌入れにも同意してくれた(つまりベストの環境ではなかった)ことを述べている。
これは美談で済ませるべき話ではなく、ウツが万全ではない環境を受け入れざるを得ない事情があったと考えるべきである。


TMはなぜ然るべきスタジオを使えなかったのだろうか。
仮に吉本やavexとの関係が悪くなってスタジオに出入り禁止になる事態があったとしても、すべてのスタジオが使えなくなるわけはない。
実際にアルバムの仕上げの段階では、ON AIR麻布スタジオと渋谷エピキュラスが用いられており、スタジオ側がTMを締めだしたとは考えがたい。
ならばTM側の事情で、あえて小室自宅のスタジオを使用したことになる。


制作上最適ではない選択肢を彼らが選んだとなれば、考えられる理由は予算の問題くらいである。
ただしウツも木根もソロやU_WAVEでは普通のスタジオでレコーディングを行なっており、それよりも売り上げが見込めるTMのレコーディングで制作費が出なかったのは、ますます不可解である。


あるいは小室の財政問題が制作費に関わっているのかもしれない(たとえば小室自宅スタジオを管理するTKCOMの問題など)。
スタジオにスタッフを極力入れず、スタジオミュージシャンをほとんど呼ばず、作詞・編曲の外注を行なわなかったのも、制作費削減が目的だったと考えれば単純に理解できる。
この点は詳しい事情が分からないのでこれ以上掘り下げないが、この時期のTM作品が万全の態勢下で制作されたわけではなかったことは確かと思う。


この時は最初に、リードシングルの楽曲がレコーディングされた。
以下、シングルの内容について見てみよう。
シングルのリリースは10/31で、「楽器フェア」開催直前の水曜日である。
オリコンのチャート集計日を勘案して、水曜日にリリースすることは規定路線だったのだろう。
シングルのリリースの告知は9月半ばで、11~12月の渋谷CCレモンホールおよび武道館のライブ開催の告知とセットで行なわれた。


シングルは5曲入りで、小室作詞・作曲の「Welcome Back 2」と木根作詞・作曲の「N43」および両曲の「TV Mix」、小室のインスト曲「Memories」が収録された。


本作はCDリリース以前の10/4に、TM NETWORKのMySpaceおよび吉本のサイトで「Welcome Back 2」「N43」の試聴音源が公開された。
また10/17にはiTunes先行配信が行なわれ、吉本のサイトでも着うたの配信が行なわれた。
先行配信という試みは、すでに2000年にROJAMで行なわれていたものだが、この頃にはMySpaceやiTunesなどのプラットフォームが普及したことにより、容易に行なうことができるようになっていた。
音源配信が一般化した時代のTM最初の作品が、「Welcome Back 2」だった。


CDの成績は16位・1.4万枚で、前シングル「NETWORK™」の13位・2.8万枚から半減した。
この結果は、iTunesでの先行配信の影響も考えるべきだろうが、CD購入者と配信音源購入者を合計しても「NETWORK™」の成績よりはかなり落ち込んだと見られる。


本作のジャケットは、神か悪魔の顔が刻まれている岩壁の近くに、巨大な機械の要塞がそびえ立っている様子を描いたもので、歴代シングルの中でも特に荘厳な雰囲気を漂わせている。
これはGAINAX(当時)の佐々木洋が手掛けたイラストである。

7-35.jpg
シングルのジャケットは、このイラストの上部をトリミングしたもの(翌年のライブDVDジャケットでは下部をトリミング)


佐々木はかつて1988年に、「CAROL」のジャケットを担当したという縁がある。
このイラストについて、TM NETWORKのMySpaceに掲載された佐々木自身の構想解説を以下に引用しておこう。

洪水の終わりを迎えた機械の箱船は、
降り立つ樹を見つけた鳩を追い、再び動き出しました。
乾き始めた陸地に火を灯すべく、
炉には新しい薪がくべられ、踏み出す脚は泥濘の浅瀬を騒がせますが、
その轟音の中でも鳩の羽音は途切れることはなく、彼の主の居場所を告げ続けるのです。
それを心頼りに、鳩を追うものはただ一心と地平に歩を進めます。


この絵自体はかなり以前に描かれお蔵入りしていたものを、小室が見て採用したもので、「CAROL」「Welcome Back 2」のために描かれたものではない。
小室がこれを見た経緯は不明だが、この頃小室は「CAROL」続編の構想を立てていたので、その関係で佐々木に接触したものだろう。


シングル収録曲について触れよう。
何と言っても衝撃なのは、1曲目「Welcome Back 2」である。
そのサビの歌詞を、以下に引用する。

Welcome 2 Back 2 Back 2 the future mind
Self Control Human System Love The Earth
U don’t forget U don’t lost
Love TrainのPassenger
まぎれもない君だったんだね
Get Wild and Tough
今やっと解った奴らは Time To Count Down


冒頭では「future mindにおかえり」とリスナーに伝えている。
future mindはTM NETWORKの音楽を表現したもので、そこに帰ってきたのは、3年ぶりにTMの新曲を聞いたファンであろう。


曲名の「Welcome Back 2」はこの部分から取ったもので、「未来志向のTMの世界におかえり」という意味と考えられる。
「2」は「to」のもじりであり(後の部分では「for」の意味で「4」も使われる)、第2弾という意味ではない。
小室はかっこいいと思って使ったのかもしれないが、個人的には曲名は「Welcome Back」で良かったのではないかと思う。


自分としては歌詞の始まりの「Welcome 2 Back 2」が語呂としてもかっこ悪く聞こえるのだが、むしろリリース当時話題になったのはその後、「Self Control Human System Love The Earth」という文字列である。
これらは言うまでもなくTMの楽曲名であり、「克己・人間関係・地球を愛する心というTMの示してきたメッセージを、君はまだ忘れていない(はずだ)」とでも言いたいのだろう。


その後の歌詞には「Love Train」「Passenger」「Get Wild」「Time To Count Down」の曲名が取り込まれる。
なお「Self Control~U don’t lost」の歌詞のフレーズは曲の冒頭と2番サビで使われるもので、1番サビでは「Wild Heaven Just One Victory All-Right All-Night No Tears No Blood」となっている。
これは言うまでもなく、「Wild Heaven」「Just One Victory」「All-Right All-Night (No Tears No Blood)」の曲名を並べたものである。


「Welcome Back 2」のPVにはこの曲の推敲中の歌詞が映っている。
そこには「レッツダンス(Come on Let’s Dance)」「アクシデント」「Kiss You」「Time 2 Count Down」が候補として挙げられ、「今やっと解ったやつらはTime To Count Down」の部分は「~ほど■えていたのに」となっていたことが確認できる(■は見えず)。
TMの曲名を並べて歌詞にするという構想がまずあり、そこに入れる曲名を考えるという作業工程が分かる。


2004年の「Screen of Life」の「ですます」調の歌詞も、当時ファンの間で話題にされたが、この時はそれ以上にザワついた。
私自身、非常に動揺したことは、当時のブログに書いているし、今でも奇異な歌詞という評価は変わっていない。
小室としてはファンの意表を突こうとしたのだろうか。


歌詞の出来についてはここでは措くとして、以下では小室がこの歌詞で書きたかったことを確認してみたい。
この曲の歌詞はインパクト絶大なサビのために、歌詞本体がほとんど読まれていないと感じるからである。
曲は冒頭のサビの後、Aメロ・Bメロ・サビと展開する。
A・Bメロの歌詞は、TM(小室)のモノローグの形式である。
そこで語られるテーマを一言でいえば、TM再開に当たり戻ってきたファンとの再会と過去のTMの思い出である。


それをもっとも端的に示すのが1番Bメロの「1991 Thanks 4 My Memories 思い出話に花が咲く」の歌詞で、ここでは過去の思い出について感謝が述べられている。
その後に曲名が並べられるのも、TMの思い出として列挙されたものであり、ファンがその思い出をまだ忘れていないこと(「U don't forget U don't lost」)を、小室は喜んでいるのだと考えられる。


ところで1番Bメロ冒頭の「1991」という数字は、何の説明もなく突然登場するが、これが1991年を示していることは推測できよう。
この年には「Love Train」「EXPO」がリリースされたが、これをあえて取り上げる理由は不可解である。


もう一つの不可解な数字として、2番Aメロ冒頭の「やっと繋がったのはそれから4年後のこと」というものがある。
指示語である「それ」が冒頭に現れるという謎の文章のため、「それ」が何なのか分からず、理解しがたい文章である。
これを1番に登場した「1991」を指すものと見て、そのまま1991年の出来事とし、2番はその4年後の1995年を歌っていると考え、1995年デビューのglobeもしくはKEIKOの思い出を語っていると考える者もいるようだが、TMファンとの再会をテーマとした歌詞の解釈としてはありえない。


そこでもう少し歌詞を見ると、「それから4年後のこと」は直後で「ロンドンの街中が赤く染まった日のこと」と言い換えられている。
そしてそれは「やっと繋がった」時だった。
TMとロンドンの関係を考えれば、「ロンドンの街中が赤く染まった日」とは、小室がロンドンに移住して「CAROL」を制作した1988年以外にありえない。
これが「それから4年後のこと」なのだから、「それ」は1984年であり、TMがデビューした年となる。
つまりTMはデビューから4年後に、ロンドンで「CAROL」を制作し、そのことによって「やっと繋がった」のである。


「やっと繋がった」というフレーズは舌っ足らずであるが、おそらく「CAROL」によってファンがTMを知ったことを意味している。
つまり「CAROL」がTM史上で最大の売上となって、もっとも多くの人に知られたことを言っているのだろう。
TMはデビュー当時は誰にも知られていなかったが、「CAROL」のヒットによって広く知られるようになったというのが、この歌詞で語られるストーリーと考えられる。
もちろん実際にはTMは「CAROL」で一挙に知られたわけではないが、ここでは「CAROL」は、過去のTMの栄光の象徴として取り上げられているのだろう。


ここまで見れば、先ほど見た1番サビの「1991」の意味も見当が付く。
これは1991年のTMではなく、1991年の物語として構想され「A Day in a girl’s Life 1991」の副題を附した「CAROL」そのものを表しているのだろう。
この歌詞では、過去のTMの活動が「CAROL」という作品に集約されて語られているのである。


ところが小室は、先に進もうと焦り過ぎていたと反省もしていた。
そのことが、2番Bメロの「まだ何もかもが僕は早すぎて焦り過ぎていたのかもしれない」という歌詞で示される。
そこで小室は、「せめて赤い糸のようなもの(があればよいのに)」と言って、ファンとのつながりに救いを求める。


この歌詞で小室は、かつての栄光を振り返った上で、新しいことを始めようとして、ファンの想いをないがしろにしたことを後悔している。
Bメロ最後は「でも未来を示唆していたのかも」の一言で締められているが、これは現在の苦しい状態が、焦り過ぎた活動の必然的な結末だと言っているのだろう。
要するに小室は、過去を振り返った上で、今の状態を自業自得と自虐的に語りながらも、TMのファンに最後の救いを求めているのである。
これが当時の小室の心情を直接反映したものとすれば、小室がTMを再開させたのは、まさに絶望的な状況下で救いを求めてのことだったということになろう。


以上が「Welcome Back 2」の歌詞についてだが、曲についても触れよう。
シンセの重い音色やそうる透のドラムのため、曲は前シングル「Screen of Life」と比べるとロック的な雰囲気が強く感じられるが、小室はシンセが主メロのEDM的な作りであると言っている。
たしかにシンセの存在感は結構強い。
特にサビの部分のシンセの音色はかっこいいと思う。


ただ私は初めてこの曲を通して聞いた時、Aメロの展開が単調でつまらない曲だなあと感じた。
サビとその後の「Get Down」の部分のオケはそこそこかっこいいと思うのだが、あとの部分はいかにも取ってつけた感じが否めない。
サビは歌詞が微妙な一方で、Aメロは曲が微妙なので、どこも満点をつけがたい曲である。


実はこの曲は、テレビ番組のタイアップ曲のプレゼン用に、8月頃サビの部分だけを作っていたという(番組名は不明だがテレビのスポーツ番組だったらしい)。
おそらくサビだけ作ってから、Aメロ・Bメロを継ぎ足したのだろう。
Aメロのやっつけ感も、そこから来ているのかもしれない。


なお「Welcome Back 2」はこのプレゼンには落ちたが、11月からよみうりテレビの「今夜はシャンパリーノ」のエンディングテーマに採用された。
ただし例によってほとんど目立たない形で使われたので、タイアップ効果は皆無だったと思われる。


シングルにカップリングとして収録される「Welcome Back 2 (TV Mix)」では、サビで小室の歌をかなり濃厚に聴くことができる。
小室の歌のファンには、お勧めのテイクである。


また本作はアルバム「SPEEDWAY」には、「1983 Edit」のバージョン名で収録されている。
シングル版がフェードアウトで終わるのに対し、「1983 Edit」はカットアウトで終わるという違いがあるが、アレンジが異なるわけではない。
なおカップリング曲「N43」も、アルバムには「1983 Edit」として収録されるが、シングル版との関係は「Welcome Back 2」と同様である。


先に言及したように、「Welcome Back 2」にはPVがあり、一時TM NETWORKのMySpaceで公開されていた。
これはレコーディング風景を編集したもので、曲も全体には及ばず、1番のみ2分程度のものである。
現在ではDVD「TM NETWORK -REMASTER-」通常盤のボーナストラックで見ることができる。


シングルカップリング曲に話題を移そう。
「N43」は木根が作詞・作曲したTM史上唯一の曲である。
木根が作曲した曲は以前からたくさんあったが、作詞はこれまで「Another Meeting」(作曲宇都宮隆)のみだった。
木根はこの頃ソロで自ら作詞・作曲を行なうようになっていたので、その成果を反映したものとも言える。


木根は小室から言われて、レコーディング以前から1人でデモテープ制作を行ない、小室に送っていた。
最初に送ったのは「N43」「Pride in the Wind」が入ったテープだったが、小室はこの中で「N43」を気に入り、シングルに採用することに決定した。
小室は後にもこれを名曲と言っている。


当初木根は作曲のみ行なうはずだったが、この曲を気に入った小室は、木根に作詞を勧めた。
「SPEEDWAY」収録曲中で、小室が作詞していない唯一の曲である。


歌詞のテーマは札幌である。
デビュー当初、プロモーションのために頻繁に札幌に通っていた頃のことを歌詞にしたものだった。
曲名の「N43」は、その頃通っていた札幌のラウンジの名前である(2021年現在もある)。


歌詞の内容は、N43での女性との思い出にまつわる実話を元にしているとのことである。
TMが札幌に頻繁に通ったのは1984年後半から1985年前半だから、その頃のことだろう。


「あの頃のこの僕は今頃のあの君と愛を語ることでW(Double)にはなれずに」という歌詞を見る限り、僕(木根)と相手の女性は結局一緒にはなれなかったらしい。
1番サビ「君が描いていた未来は」「初雪のように白いまま」の歌詞は、当時考えていた未来が実現されなかったことを意味している。
2番サビで過去の思い出を「引き裂かれた星座の中」と歌っているのも、2人が別れたことを示唆するものだろう。
娘の沙織(shao)が1987年生まれなので、木根の結婚は1985~86年頃と考えられ、「N43」の歌詞はそれを少し遡る頃のロマンチックな思い出を振り返ったものと考えられる。


当初この曲は、仮題を「White Room」と言った。
歌詞は小室との打ち合わせを経て何度か変更され、その最終段階に近い9/16に、曲名が「N43」と改められた。
「White Room」はN43の建物の白い外装を表現したものだろうが、白い雪が降り注ぐ日の出来事であることも示しているのだろう。


なおこの曲名は、木根は「エヌフォーティスリー」と読んでいた。
曲の中でもウツは「エヌフォーティースリー」と歌っている。
だが「楽器フェア」開催11日前の2007/10/22に放送された「DIGA Wonderful Street World」にTMがゲスト出演した時、木根がこの読みで曲紹介をしたところ、小室から意見がついて「エヌヨンジュウサン」と改められた。
別にどちらでも良い気がするが、札幌の店名は一応「エヌヨンジュウサン」らしい。


クレジットにはないが、この曲の歌詞には一部小室の手が加わっている。
小室が打ち合わせの過程で、クリスマスソングにすることを提案し、サビに手を加えたというのだ。
逆に言えば「N43」は、当初クリスマスの歌詞ではなかった。
TM3人は1984/12/24には東京にいたことが確認できるので、実際にも木根と女性がクリスマスにN43で会ったことはないと考えられる。
だが「N43」は小室の提案で、「Twinkle Night」「Leprechaun Christmas」「Dreams of Christmas」に続くTMのクリスマスソング第4弾となった。


歌詞の変更を細かく見ると、9/16時点では1番サビ冒頭が「いつも変わらないWhite Room 引き裂かれた星座の中」だったが、商品版では「何も変わらないsilent night 君が描き始めていた未来は」となっている。
「White Room」のタイトルが変更されたことに伴い、クリスマスをイメージさせる「silent night」の文言が入れられたのだろう。
2番サビ冒頭の「どこの街よりホワイトクリスマス 引き裂かれた星座の中」も、同様の修正が加えられた結果である可能性が高い。


この曲は全般的に、温かみのある電子ピアノの音色が印象に残る。
これは木根が弾いたものを小室が手直ししたものである。
ライブでもこの電子ピアノは木根が担当している。


「Major Turn-Round」「Easy Listening」では、木根はもっぱらバラードを担当しており、木根の非バラード曲は1999年の「80’s」以来となる。
軽快なオケと気持ちの良いメロディで、個人的に木根の魅力が出ている良曲と思う。
木根の非バラード曲の中では、「パノラマジック」と並んで私がもっとも好きな曲だ。


カップリング2曲目のインスト曲「Meories」は、作曲が「モデスト・ムソルグスキー/小室哲哉」となっている。
これは楽曲全体が「Pictures At An Exhibition(展覧会の絵)」のフレーズを元にしているからである。


ただここではムソルグスキーの名が挙げられているものの、小室にとってはむしろ、この曲をプログレッシブロックアレンジでライブ演奏したEmerson, Lake & Palmer(ELP)が意識されていたに違いない。
ELPのライブアルバム「Pictures At An Exhibition」(1971年リリース)は、小室が子供の頃にエレクトーンの先生から聞かせてもらったもので、初めて触れたロック作品でもあった。
それは小室にとって、過去のTMの思い出を振り返る「Welcome Back 2」や、TMデビュー当時を歌った「N43」以上の「原点」だった。
これが「Memories」と題されたのは、「Pictures At An Exhibition」が小室の音楽の原体験であるからにほかならない。


曲はシンセのみで制作されており、アレンジもトランス的な雰囲気を残している。
ELPによるプログレアレンジとは別のアプローチで、自分なりの「Pictures At An Exhibition」を作ってみたのだろう。
面白い試みだと思う。


なお「Memories」はアルバム「SPEEDWAY」に収録されなかった。
以後のオリジナルアルバムやベストアルバムにも収録されておらず、現在ではシングル「Welcome Back 2」のカップリング以外で聞くことはできない。
TM歴代の楽曲中でももっとも影の薄い曲の一つであろう。


以上3曲の内、「N43」は木根のソロライブで演奏されたことはあるが、TMでは2007年の「TM NETWORK -REMASTER-」の横浜公演(楽器フェア)と武道館公演の合計3回演奏されたのみである。
「Memories」に至っては、ごく一部が「TM NETWORK -REMASTER-」の横浜初日公演(2007/11/2)で一度演奏されたに過ぎない。


これに対して「Welcome Back 2」はシングル表題曲として、この時期の代表曲の位置を占めており、「TM NETWORK -REMASTER-」およびこれに続く「TM NETWORK play SPEEDWAY and TK Hits!」で演奏された。
またウツは意外と気に入っているのか、「Tour timesmile」「Dragon The Carnival」など,ソロツアーでこの曲を演奏している。
実際にライブで聞くと、CDの時ほど歌詞に耳がいかないこともあり、それなりに盛り上がれる曲である。

7-34 TM NETWORK再開のプロセス

明けましておめでとうございます。
今年は世間が通常に戻ると良いですね。
せめてミュージシャンが普通にライブを開催できるくらいに…。


去年12/29にはLINE CUBE SHIBUYAで、ウツと木根さんによる「年忘れ!!歌酔曲vsフォーク 〜ハタシテ?ドチラが勝つでショー〜」が開催されました。
こちらはニコ生でも、プレミアム会員限定で配信されました。
内容は、ウツと木根さんが順番に歌謡曲とフォークを演奏し、会場およびニコ生視聴者の投票および「特別審査員」の採点でその勝敗を決めるというものでした。


正直私は興味なかったし、ニコニコプレミアムにも登録していなかったので、チェックする気もありませんでした。
ところが放送終了後、驚くべき情報が入ってきました。
小室さんも会場に来てステージに上がり、ウツ・木根さんと一緒に演奏したというのです。
要するに、TMの3人がステージ上に集結したということです。


私もその話に驚き、深夜にプレミアム会員登録をしてアーカイブを確認しましたが、小室さんはライブ終盤ではなく、すでにライブ前から登場していました。
野村義男さんが趣旨説明をする時に、会場に「特別審査員」が来ていると言って、客席後方に座っている小室さんを指さしました。
なんと小室さん、普通に客席に座ってステージを見ていたのです。


ウツと木根さんの勝負が終わり、30分ほど両者のセッションによる懐メロメドレーが終わると、勝敗発表の時間が来ました。
これを発表するためにステージに現れたのが、特別審査員の小室さんでした。
小室さんは両者の演奏の感想を述べ、ウツが100点、木根さんが88点としましたが、観客・ニコ生視聴者の採点と合わせてウツ190点・木根さん198点となり、木根さんの勝利となりました。


まあ勝敗は別にどうでも良いのですが、問題はその後です。
野村さんが小室さんに、「せっかくいらっしゃったんで、なんかやりませんか、ピアノあるし」とそそのかしたのです。
もちろん事前に決められていた筋書きでしょうけど、それはともかくこんな意外な形で5年ぶりの3人の演奏が実現したわけです。


演奏は1曲目はTMの「Time Machine」、2曲目は加藤和彦と北山修の「あの素晴らしい愛をもう一度」でした。
特に1曲目は涙ものでした。
小室さんはアウトロを追加して演奏するなど、見せ場をもらっていました。
演奏後に3人は、この曲東京ドーム以来ですっけ?とか5年ぶりとか、適当なことを言っていました(実際は2012年「Incubation Period」以来8年ぶり)


「あの素晴らしい愛をもう一度」では、最後にサポートメンバーが順番にサビの「あのすばらしい愛をもう一度」のフレーズを歌いましたが、小室さんも最後にちゃんと、あのねちっこい声で歌ってくれました。
小室さんが歌うのっていつぶりだっけ?と思いましたが、考えてみれば2015年の「スカパー!音楽祭」でも「背徳の瞳」「永遠と名づけてデイドリーム」を歌いましたね。


あと「永遠と名づけてデイドリーム」は、2018年1月のPANDORAのライブでも歌っていましたし(本記事オルさんコメント)、2017年12月の木根さんのライブに出演した時も「Dreams of Christmas」「Christmas Chorus」を歌っていましたから、実は小室さんの活動歴の中では最近割と歌っていたわけですが、TM3人のライブで歌ったのはかなり久しぶりだったと思います。
もしかしたら2003年の「Fan Event in Naeba」「Dreams of Christmas」以来かもしれません。


ちなみにある方のtweetで知ったのですが「あの素晴らしい愛をもう一度」は、サブタイトルを「TO BE TOGETHER AGAIN」と言うそうです。
もしかしてウツと木根さんは、「また一緒にいるために」という気持ちを込めてこの曲を選んだのでしょうか。


あと小室さん、金髪にして、かっちりとしたいでたちになっていました。
これはやる気になっているモードなんじゃないか?と(勝手に)感じました。
「Route246」での復活以来、なんかくたびれた感を感じていましたが、まだがんばれるんじゃないの?て思います。


ともかくこうしてTM3人の演奏は、2015/3/22「TM NETWORK 30th Final」以来5年ぶりに実現しました。
おそらく去年12/18に3人で「SF Rock Station 2020」に出演した時点では決まっていたんでしょう。
さらにいえば、「年忘れ!!歌酔曲vsフォーク」の開催が発表された12/1・2「Spin Off T-Mue-needs」の時点でも、小室さんの出演は前提になっていたんだと思います(12/2に小室さんがライブを見に来たのも、多分それが前提)。


もっとも今回は3人とも、TM NETWORKの名前を出すことはありませんでした。
宇都宮隆と木根尚登のライブに小室哲哉がゲスト出演し、3人で一緒に演奏したという形です。
1996年にはTMが復活しないままで、小室哲哉・宇都宮隆・木根尚登の連名で新曲「Detour」が発表されましたが、それに近い状況かと思います。
もっともその頃のようにTMが「終了」しているわけではないですから、むしろ1998年年始にTM復活宣言をした後、活動再開を果たす以前の1999年元旦の特番「TK Presents Nice Dream」で、3人が「Seven Days War」を演奏した時に近いのかもしれません。


ただそれでも、少しずつ本格的な活動再開に近づいているは確かであろうと思います。
小室さんは2018年1月に引退を宣言し、その後表舞台から退いていましたが、同年秋にはウツがシンセ3人という異例編成のソロツアー「Tour Thanatos」で小室さんの楽曲を多く演奏し、翌2019年秋からはウツなりのTM35周年という趣旨で、同様の編成でTM曲のみを演奏する「Dragon The Carnival」を開催しました。
2020年6月には小室さんがラジオ「TOKYO SPEAKEASY」に出演して近況を報告し、翌月乃木坂46への「Route246」提供で2年ぶりに音楽活動を再開、9~12月にはウツと木根さんを中心にTM曲を演奏する「Spin Off T-Mue-needs」が開催されました。
そして2020年年末に、3人での演奏がここに実現したわけです。


先の2018年の小室さん引退により、1994年の「終了」と2008年の逮捕に続く3回目のTM中断期が訪れました。
しかしその終わりもそろそろなのかもしれません。
2021年に、コロナウィルスの鎮静化とともにTMが3度目の復活を果たすというのも、まったくの夢想ではなくなってきた感が出てきました。
楽しみですね。


他に近況としては、木根さんが12/29に文化放送「楽器楽園~ガキパラ~ for all music-lovers」に出演したそうです。
また木根さんが2019/12/14に開催したライブ「ニューロマンティックシアター」のライブCD2枚組が、予約限定版としてリリースされます。
締切は1/11です。
ただし先着100名限定のシリアルナンバー・サイン入りCDはもう定員に達し、またTシャツ付き限定セットも締め切られていますので、現在注文できるのは通常盤(3000円+送料)のみとなります。


では本題に入ります。
タイトル「TM NETWORK再開のプロセス」が、くしくも近況整理にも絡むものになりました。

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詐取した5億円によって当座差し迫った借金を返済した小室哲哉は、2006年秋から再起に向けた活動を始めた。
この中でTM NETWORKも活動再開に向けて動き出す。


以前述べた通り、小室はTMの活動が中断した2004年後半の時点で、翌年までのTMの活動を想定していなかった。
それは2005/8/9までglobeの10周年の活動が予定されていたからと考えられる。


実際のTMの活動再開まではさらに2年を要したが、ウツによればその間にも、再開の話は何回か出ていたという。
その一つはおそらくglobe10周年の後だろう。
木根は2005年8月、小室と2人で打ち合わせを行なったことが知られる。
木根は2005/8/9の「globe2 pop/rock」リリースパーティに参加しているので、おそらくこの時に打ち合わせの約束を取り付けたものだろう。


この打ち合わせの結果として発表されたのは、9/25のコムック(小室FC)対Hot Legs(木根のサッカーチーム)のサッカーイベント開催だった。
コムックチームはファンクラブ会員とは関係なく、吉本芸人で構成されたチームである。
小室は葛城哲哉とともに、監督として出場した。
要するにベンチで傍観していただけだろう。


もちろん木根が小室に会ったのは、このどうでもよい企画のためではないだろう。
TMをどうするかの相談も行なったに違いない。
8月末の小室FC会報でも、木根とTMのことを話したことが述べられている。
ただその時の結論は、TMは毎年行なう活動形態ではなくなっているので、無理に絞り出さなくても良いというものだった。
この頃globeの活動を継続させることが決まっていたこともあり、TMの活動を見合わせることが確認されたのだろう。


こうしてTMの活動再開は進まなかった。
ウツは2006/1/24「笑っていいとも」のテレフォンショッキング出演時、最近小室とはほとんど会っていないと発言しており、この時点でもウツと小室を含む打ち合わせは行なわれていなかったと見られる。
ここにウツは、2005年に始めたU_WAVEを翌年も継続させることになった。


小室はこの頃、TMは変に新しいことをする場ではなく落ち着ける場になってきたとも発言している。
また常に新しい試みがあるglobeに対して、次のTMはみんなでいろいろ思い出して懐かしい話で盛り上がる、同窓会的なものにしても良いと考えていることも述べている。
かつてTMは新しいことをすることを至上命題のように掲げていたが、ここに至ってそのような建前は捨て去られている。


ただこの頃の小室が金策やノルマに追われる日々を送っていたことを考えれば、小室がそうしたものから離れた安らぎの場としてTMを見出すようになっていたと見ることもできる。
小室は2005/12/16、木根の「talk & live vol.9 Special」渋谷DUO Music Exchange公演にゲスト出演して「Dreams of Christmas」を演奏したが、この時は予定時間をはるかに越えた長時間トークも行なっている。
これも昔からの音楽仲間と過ごす気楽な時間の心地よさ故だったのかもしれない(なお小室は2018年の引退直前にも、2017年12月の木根のライブにゲスト出演して、予定を大幅に上回る時間トークを続けた)。
DJ TK作品に見るように、小室の懐古の姿勢はこの頃から始まっていたが、あまりにも辛すぎる現実を前に、過去を懐かしむ気持ちが高まってきたのではないか。


小室は2006年8月初旬のFC会報のインタビュー(7月末頃のものか)で、興味深い発言をしている。
iTunesでSPEEDWAYの音源を購入してみたところ、歌謡曲でもなくロックでもないこの頃のウツのボーカルを魅力的と感じたというのだ。
そこで小室はそのことを、ウツの事務所M-tresの石坂健一郎に伝えた。
木根も電話で小室から同様のことを言われたと述べており、小室は関係者各所に連絡したのかもしれない。


小室はFC会報のインタビューで上記の件を述べた時、インタビュアーから今後のTMの活動について問われた。
すると小室は、自分がいきなりやりたいと言っても、U_WAVEで活動中のウツが困るだろうと答えた。
これは、小室自身はTMをやりたいと思っているということの裏返しに違いない。
そもそも会報で、わざわざTMの活動の可能性をファンに示したこと自体が、小室がTMの活動への意欲を高めていたことを示している。


このインタビューが行なわれた7月頃は、小室が破滅寸前に至り、5億円詐取計画を動かし出していた頃である。
小室はいよいよ破滅を意識した段階で、若い頃の自分を振り返りたくなり、SPEEDWAYを思い出したのではないだろうか。
そしてその思いは、詐取が成功した8月以後もくすぶっていたはずである。


こうした中、YAMAHAからM-tresに打診が来た。
2007年11月に2日間開催される「楽器フェア2007」の関連イベントで、TM NETWORKとしてライブを引き受けてくれないか、ということだった。
そこでM-tresが小室に意向を聞いたところ、小室からただちにOKが出たため、引き受けることになったという。
この時点では2日間のライブだけの話だったが、ともかくTM再開の糸口がここで開かれた。

7-34 001.jpg楽器フェアの様子



この打診の時期はよく分からない。
2007年春には「楽器フェア」出演が確定していたことが確認できるが、それ以前のいつのことなのか述べた資料は知らない。
ただウツは2007年の活動を振り返った発言で、2007年年頭にはまだTMがどんな動きになるか定まっていなかったと言っている。
この言い方からは、年始にはTMが動くこと自体は決まっていたように見える。
もしもそうならば、「楽器フェア」の打診は2006年中に遡ることになろう。


TM再開が最初に明言されたのは、2007年2月末の小室FC会報である。
小室はここで、4月頃からTMを再開することを宣言した。
小室はこの年、5/9までDJ TKのレコーディングを行なったが、本来はもっと早く終わるはずだったというから、4月中にDJ TKを終えてTMの活動に移行することを考えていたのだろう。
「楽器フェア」の半年以上前から活動を始める目標が掲げられていたのは、この時点で新曲のレコーディングも念頭にあったからにほかなるまい。


ただウツ・木根はこの時点では、TM関連の情報を一切出していなかった。
TMに積極的な小室と、慎重なウツ・木根という対比がうかがえる。
TM20周年やその後の小室を見てきたウツ・木根は、小室が本当に動けるのかなお心配なところがあり、拙速に動くのは控える判断をしたのだろう。


もっともすでに引き受けていた「楽器フェア」出演は、キャンセルできない案件だった。
ウツ・木根が「Spin Off from TM 2007」の最終公演(2007/6/7・8)で本件を告知したのは、これだけは確実にやることだったからに他ならない。
一方で新譜の制作計画については、なおしばらく秘せられた。
いつもはライブMCなどで余計なことまでペラペラしゃべってしまう木根すら8月まで言及しておらず、本件をめぐる慎重な態度がうかがわれる、


むしろこの時点のウツ・木根は、TMの活動への意欲を述べつつ、2007年の活動よりは、その2年後の2009年のTM25周年を念頭に置いた発言をしていた。
たとえば木根は4月初め、TM25周年で結果が出せれば「Spin Off from TM 2007」の意味が出てくるだろうと発言している。
また「楽器フェア」出演を公表した6月には、小室と一緒に音楽を作りライブをしたいという気持ちが高まったことや、TM25周年を楽しみたいことを述べている。
ウツも5月頃には、小室がTMの企画を練っていると言った上で、「Spin Off from TM 2007」をTM25周年につなげたいと述べている。
阿部薫も「Spin Off from TM」は楽しかったと述べる一方で、小室もいてTMがやれるのが一番うれしいと言っている。


こうした発言から判断するに、彼らは「Spin Off from TM 2007」の先にTM25周年を意識しており、その架け橋となるものとして「楽器フェア」を見ていたと考えられる。
一方で近く行なわれるかもしれなかった新曲レコーディングについては、実現の可否を見極めるまで言及しないように気をつけていたように思われる。


「Spin Off from TM 2007」は、開催告知が2006年11月中旬だった以上、企画立ち上げはどんなに遅くても10月には遡るはずだが、「楽器フェア」出演も2006年中に決まっていたと見られることを踏まえれば、両件はもともと連動するものだった可能性がある。
つまり「楽器フェア」出演が決まり、TMの再開が視野に入ってきた段階で、「Spin Off from TM 2007」開催が企画されたのではないか、という推測である。


かつて開催された「tribute LIVE」「Spin Off from TM」は、それぞれTM20周年企画の代替措置、ウツの新たな活動の宣伝企画という意味があったが、「Spin Off from TM 2007」についてはそのような意義が見いだせず、公式にもライブ開催の趣旨がまともにアナウンスされない謎企画だった。
だが上記のように考えれば、TM再開に先立ってファンを盛り上げるという重要な役割が意識されていたことになる。


以前触れたように、「Spin Off from TM 2007」ではTMの最新アルバム「Easy Listening」の楽曲が多く演奏されたが、これも「今」のTMを意識させるための選曲だった可能性がある。
だが実際にはTM再開の方針がなかなか確定せず、ウツ・木根は先行き不透明と判断し、TMの再開の情報を出すのも最終公演まで遅れてしまったため、結果として謎企画になってしまったのではないだろうか。


なお「Spin Off from TM 2007」は当初2007/4/19までの予定だったが、後に発表された追加公演は5月に2本、6月に2本で、本公演との間に長期の間隔が挟まれた。
これもTMの活動方針が固まるのが遅れることを見越した上で、その発表を行なうためにあえて遅く設定したものかもしれない。
ウツがライブで「リーダーがリーダーなもんで、(楽器フェア出演は)決定はしましたが、詳しいことはまだ決まっていないので」と発言したのも、そうした流動的な情勢を物語るものではないか。


以上、確実なことは言えないが、もしも「Spin Off from TM 2007」「楽器フェア」の出演決定を関連付けて考える場合、両件は2006年10月以前には決定していたことになる。
これについて気になるのは、ウツが2006/9/6に公開されたインタビューで、TMやソロでの活動の予定を聞かれた時、「その辺のミーティングはもう始まってますね。何はいつやるとかはまだ公開できないんですけど、来年はU_WAVE以外のモノが展開されると思います」と述べていることである。
2年続けてきたU_WAVEを2007年にはいったん中断するという方針が、この時点で決まっていたらしい。


これが「楽器フェア」を前提としていたならば、「楽器フェア」出演は8月中には決まっていたことになるだろう。
だとすれば小室は、8月末に5億円詐取が完了する以前、あるいはその進行中に、TM再開にGOサインを出した可能性がある。
もちろんウツも木根も、そんなことが起こっていることなど、知る由もなかっただろうが。


以上の「楽器フェア」をめぐる動向の詳細は推測以上のものではないが、いずれにしろ2006年後半には翌年のTM再開が確定していたと見られる。
もちろんその前提に小室の5億円詐取があったことを考えれば、手放しでは喜べない活動だったのだが、ファンも当時はそのようなことはまったく知らず、3年ぶりのTM再開に期待を寄せた。
以後は捨て身の行動で時間を確保した小室によって、逮捕というX-DAYまでの間、TMのかりそめの活動が展開されることになる。


最後に、2007年の小室に関連して、もう一つ確認しておかなくてはならないことがある。
それは6月末日、小室の吉本とのマネージメント契約解除である。


週刊誌ではすでに2006年8月に小室が吉本を出たとの報道があった。
これ自体は誤報だったが、小室はこの頃から吉本での楽曲制作を行なわなくなっていた。
おそらく小室はこの頃には吉本から離れる意向を強めており、それが最終的に決まったのが翌年のことだったのだろう。
小室はSONYから契約解除された2001年5月以来、6年余りで吉本から離れることになった。
ただし吉本R&Cは、以後もTM NETWORKの活動については協力すると明言しており、実際に単発契約ではあったが、CD・DVDのリリースはR&Cから引き続き行なわれた。


吉本に代わって小室と組んだのが、イーミュージックだった。
会社設立の中心になった早川優はこれ以前にも役所に提出した届出書で虚偽申告をして逮捕されている。
他にもこの会社の重役となった人物は、ことごとくいわく付きの人物である。


早川に小室を紹介したのは、木村聡一郎という人物である。
木村はもとavex関連会社の社長で、TKブーム期にも小室と面識があったと見られる。
2005年にはいとこが社長を務める大阪の老舗ソースメーカーイカリソースに近づいて、大型の詐欺事件を起こし有罪判決を受けている。
これ以後日の当たる場所にはいられなくなり、裏社会の人脈の中で生きてきたのだろう。
木村はこの頃から、事実上の小室のマネージャーとして、あるいは代理人として活動する。


小室は2007年6月に早川に会うと、資金援助を依頼した。
これがきっかけとなって早川は、自らが代表を務める株式会社SVTの子会社として音楽プロダクション会社を設立することになった。
2007年7月のことである。
この話が進む中で、小室は「良い投資家と知り合った」と言って、吉本との契約を6月末日を以て解除したのである。


早川の会社は小室の案で、いい音楽を作るという意味で「イーミュージック」と名づけられ、小室楽曲の原盤権を得ることになった。
ただし原盤権契約は小室楽曲全般ではなく(TM楽曲は含まれず)、今後制作されるKCOとPurple Days(当時小室がTM Jr.として売り出そうとしていた)の楽曲が対象とされた。
当初は2007年1月にKCO、2月にPurple Daysのアルバムをリリースする計画だった。
ただし実際にはKCOのシングル「春の雪」は2008/3/12まで、アルバム「O-Crazy Luv」は2008/4/30までリリースが遅れ、Purple Daysに至っては小室の逮捕まで楽曲のリリースは実現しなかった。


木村と早川の狙いは、小室の名前を利用したビジネスだった。
2人はイーミュージックを設立すると、9月にEMサポートクラブなる組織を作り、会員を募った。
これに入るには一口10万円の会費が要求された(イーミュージックの未公開株との抱き合わせ)。
2人は熱心なファンなら応じる者もいるはずと考えたのだろうし、小室の名前を出すことで配当も見込めるとアピールもしただろう。
すべてがファンが買ったものとは限らないが、イーミュージックは1300株を売り、1.3億円を集金したと報道されている。
早川はこうした集金のための広告塔として、小室に価値を見出したものと考えられる。


なおイーミュージックをめぐっては、様々なトラブルが起こった。
小室も2007年中にはイーミュージックから離れようとしていたようで、2008年1月にエンパイアプレイミュージックの井上勇と原盤権契約を結んでいる。
またこの会社は小室との間に、専属マネージメント契約も締結していた。


ところがイーミュージックはこの契約を知って介入し、エンパイア社が支払った契約料の立替を行なう形でこれを解除させた。
以後イーミュージックは、形の上では小室のマネージメントも行なうことになった。
ただこの手続きをめぐっては両者の間でいざこざが起こり、エンパイア社は小室逮捕後にイーミュージックと小室を提訴するに至る(両者の主張も錯綜している)。
結局2009年には、イーミュジックによるエンパイア社の吸収合併というよく分からない結末になったが、小室を使ったビジネスが小室逮捕により成立しなくなったことを受け、何らかの手打ちが行なわれたものだろう。


なおエンパイアプレイミュージックの井上勇は、準暴力団に指定されている関東連合の元メンバーである。
2019年には、全国のATMから総額18.6億円が不正に引き出された事件(2016年)の主導役として逮捕されている
またイーミュージックは、2010年代になっても小室にまとわり続けた(その都度avexによって追い払われたが)。
小室逮捕後に彼らがメディアで応じたインタビューなどは、広報の機会として利用しようとした彼らの意図とは別に、小室がいかに劣悪な連中と付き合っていたのかを世間に知らしめた点で、間違いなく小室の印象悪化に一役を買っていた。


小室がこの頃頼りにしていたのは、木村・早川も含めて明らかに裏社会の人間ばかりであり、彼らをめぐる動向に様々な裏事情があったことは想像できる。
この後1年間のTM NETWORKは、このような劣悪な環境下の小室が率いる形で活動することになる。

SPEEDWAY - TM NETWORK
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