7-44 EXPO Folk Pavilion -Revival-

8/17、iTunesおよびamazonのプライムビデオで、「Vision Festival」「Rhythm Red Live World's End」「EXPO Arena Final "Crazy 4 You"」「final live LAST GROOVE 5.18」「final live LAST GROOVE 5.19」ライブBlu-ray 5タイトルの有料配信が始まりました。
レンタルは500円、購入は2546円(「Vision Festival」は2037円)です。


なんでこの5つなんだろう?と思いましたが、ああそうか、またM本さん問題ですか…。
既配信分の「incubation Period」「START investigation」と合わせて、7タイトルが配信されたことになります。
ライブ映像は手を出していない方なども、amazon prime会員なら追加料金不要で見られますし、そうでない方でもレンタルなら気軽でしょうから、一度お試しいただければと思います。


そろそろウツのソロツアー「U Mix」が始まります。
当初は会場に100%の収容率で観客を入れる予定でしたが、結局50%(広島公演以外)で行くことになりました。
すでにウツFCでは、10・11月公演分のチケット申し込みも始まっています(9・10月分はすでに受付終了)。
そういやウツのソロ曲のツアーて、2018年の「Tour Thanotos」以来3年ぶりなんですね。


木根さんは、氷川きよしさんへの提供曲が発表された以外はあまり動きがないですが、9/7にFMサルースの「SALUS all in one」に出演したようです。


小室さんのネット配信番組「Tetsuya Komuro Studio」は、小室さんの手描きスタンプ配信など、色々とやっているようです。
番組ロゴ入りの特製エコバッグのプレゼントなんかもしているみたいです。
8/20には「Time To Count Down」、8/27には「8月の長い夜」、9/3は「Magic」を演奏したようです。
(私は見ていないので伝聞体でしか書けませんが)


9/9には、TOKYO DANCE MUSIC WEEK 2021なる企画の一部として配信された無観客イベント「#SaveTheDance 〜#音楽はみんなの再生エネルギーとなる〜」に、小室さんが出演しました。
小室さんとSUGIZOさんが一緒に出演するとの告知を見て、「え、この2人て何つながり?」と、意外な印象でした。
ただフタを空けてみると、2人は何人かのミュージシャンや実業家と一緒に音楽の未来のあり方を語っただけで、ライブパフォーマンスなどを披露したわけではありませんでした。


私は全然知りませんでしたが、ネットを見てみるに、#SaveTheDanceなる企画は遅くても年始くらいから動いていたようです。
オフィシャルサイトによれば、以下の事項を目的とした組織です。

・アーティスト、音楽家、ミュージシャン、若い才能、文化の生まれる場所、LIVEの現場を守り存続させていくこと
・コロナ禍の自粛期間における文化施設(LIVEハウス・クラブ・コンサート会場)や実演家の支援、事業規模や現状に応じた補償を求めていくこと
・国や地方自治体と現場のハブとなり、小さな声を届けること


要するにコロナ禍で大変なライブハウス等の関係者を守るべく設立されたもので、3月くらいから頻繁に政治家に訴えかけを行なっています。
活動の中心にZeebraさんがいるので、そこから小室さんにも声がかかったものでしょうか。
「2/22現在」の注記がある賛同者リストにも小室さんの名前が見えており、6/18にはZeebraさんやSUGIZOさんと一緒に東京都庁を訪れています。
イベント「#SaveTheDance」では、今小室さん・SUGIZOさんを中心にキャンペーンソング「Save The Dance」を作っていることが明かされ、そのデモ音源と制作現場の風景が放映されました。


#SaveTheDanceは、名前を連ねている方々を見るに変な組織ではなさそうなので、頑張っていただければと思います。
ただイベントのトークでは電気がどうのSDGsがどうのという話が熱く語られ、なんか別の運動が入り込んできているような感じもします。
いや、再生エネルギーの問題自体は大事と思うんですけど、小室さんは変に利用されないように、自覚的に動いてほしいです。
あとSUGIZOさんがそういうことに熱い方であること、今回のイベントで初めて知りました。


今後の話では、KREVAさんが9月のマンスリープレゼンターを務めるJ-WAVEの「WOW MUSIC」で、9/25に小室さんがゲスト出演するとのことです(24:00~25:00)。
こちらは後日Youtube内の音楽コンテンツ「Music Fun!」でも映像が配信されるみたいです


10/10には六本木ヒルズで開催される「J-WAVE Innovation World Festa 2021」に小室さんが出演します。
「Innovation Festa」、久しぶりですね。
トークは事前登録すれば無料でも見られるみたいですが、ライブは基本的に有料配信のようです。
説明文を見るに、小室さんはアートパフォーマンスとトークセッションに出演するとのこと。

日本を代表するアーティスト、音楽プロデューサーの小室哲哉が再びイノフェスのステージに戻ってきます!
今回はステージ上でNFTアートをライブで創作するアートパフォーマンスを披露。
そしてNFTと音楽に関するトークセッションにも登壇予定。なにが起こるのか?大注目のステージです!


アートパフォーマンスてのは、リンツでやったインスタレーション的なやつでしょうか。
このパフォーマンス映像は、NFT作品として後日販売されるそうです。
NFT…。なんだかまた分からないものが出てきました。
いや、こういう新しいものに飛びつきたがるのがいかにも小室さんらしいんですけどね。


以上、内から湧き上がる「まあそれはいいからTMをやってください」という心の声を何度か抑えながら近況をまとめました。
では本題に入ります。

--------------------------
2008/11/4の小室の逮捕が、TM25周年企画開始を控えていたウツ・木根やM-tresスタッフにも大きな衝撃だったことは、想像に難くない。
ウツも木根も、2008年5月に「TM NETWORK play SPEEDWAY and TK Hits!!」を終えた後はソロ活動を行なっていたが、それもTM25周年企画の本格始動までの予定で、水面下ではTMの企画も同時並行で動いていただろう。
それらは小室の逮捕によってすべて白紙になってしまったが、スタッフは会場のキャンセルなどでてんてこまいになっていたと考えられる。
表には出ていないが、金銭的な損害も少なくなかったはずだ。


折しもウツは、小室逮捕の翌日11/5がU_WAVEのライブ「evolutio」の初日公演だった。
ライブにはMCが設けられず、事件に関する直接の言及もなかったが、初日公演では最後にウツから観客に向けて、「心配かけたけど、ステージを見てもらえれば分かってもらえたかな」とのコメントが出された。


なお直接TMと絡むわけではないが、とばっちりを受けたのが劇団の音楽座である。
音楽座はかつて1991年に小室が劇伴を手掛けたミュージカル「マドモアゼル・モーツァルト」を上映したことがある。
この公演は好評だったため、その後も内容を変更しながら上演を繰り返した。


音楽座自体は1996年に解散したが、2004年にRカンパニーによって再結成され、2008~09年には「マドモアゼル・モーツァルト」が上演されることになった。
実は2005年の再結成公演でも「マドモアゼル・モーツァルト」が上演されたのだが、これは「21C:マドモアゼル・モーツァルト」と題し、演出が一新されて小室の楽曲は使われなかった。
これに対して2008~09年の公演は、久々に小室の楽曲を用いたものだった。


ところがその初演日の2008/12/18を先立つ1ヶ月半前に小室が逮捕されたため、スポンサーが下りてしまい、大々的な広告が打てなくなった。
音楽座はウェブ上に動画をアップしたり、小室ファンを集めたトークショーを行なうなど、自力で宣伝に務め、どうにか上演にまでこぎつけたが、上演中止の判断もあり得ただろう。


小室逮捕の当日は、ウツも木根もオフィシャルサイトでコメントを出すとともに、同趣旨のFAXを各局に送った。
一部ワイドショーでは朗読もされた。

TM NETWORKを応援してくれているファンの皆さま、また多くの方々にご心配をおかけしました。

これまでの人生の長い時間を一緒にすごしてきた友達であり、
仲間である小室哲哉の今回の件は、いまだに信じられませんし、信じたくありませんが、
事実であるなら すべてを明らかにしてもらいたいと思います。
でも、彼とともに音楽を作り、笑い、悩み、楽しんできた僕らの歴史は変わりません。

今、彼と話すことは叶いませんが、彼なら償い、また音楽に帰ってきてくれると信じています。

2008.11.4     宇都宮隆


TM NETWORKをずっと応援してくれている皆さんには、ご心配をおかけして申し訳ございません。
僕は共に音楽を創ってきた友人として、今までも、これからも彼と出会えた事のよろこびと感謝の思いは変わりません。そして彼をリスペクトする気持ちも変わることはありません。
多くの方が、彼に悪いイメージをもたれたかも知れませんが、彼が作った音楽がたくさんの人達に勇気を与えてきたことも事実だと思います。
だからなおさら残念という声もありますが、僕は、彼がゼロから立ち直る力も持っていると思います。
だから僕は、TM NETWORKの復活もあると信じています。

木根尚登


両者の文章作成に当たって事前に相談があったのかは分からないが、小室と歩んできた歴史を否定せず、その復帰に期待するという趣旨は変わらない。
特に木根は、この微妙な時期にTMの復活の可能性にまで言及している。
随分と踏み込んだものだと思う。


小室みつ子も木根と連絡を取ったようで、当時ウェブ上の日記に心情を記している。
抑え気味に書かれてはいるが、公式コメントではないからこその感情のこもった文章である。

朝から騒がしいようです。私はテレビは見ないので、メールやら電話やらで様子を伝え聞いているだけですが…。今は彼とご家族のお気持ちを想像して胸が痛いだけです。一般に認識されている彼の姿はほんの少し…。私にとっては彼はミュージシャン。才能のあるクリエーター。すばらしい曲を書いた人、そして書ける人。
昼頃きねちゃん(木根尚登さん)と話をしました。内実の話とか今更な話ではなく、ただ友達としての話…。木根ちゃんが公式に出したコメントを教えてもらったのですが、私も同じ気持ちです。
彼が生み出した曲は、変わらなくいつも誰かの心にあって、そこで生きています。私はそのほんの一部を一緒に作ることができて今でも感謝しているし誇りに思ってます。これからも一緒に作る機会があればとても嬉しいです。刑事事件は刑事事件としてこれからいろいろ進んで行くとは思います。それはきちんとしてもらって…。身体だけは大事にしてほしいです。
小室哲哉さんのファンの方たちは変わりなく、ミュージシャンとしての彼を見ていてくださると思います。私が言うのも変なのかもしれないですけど……これからもどうぞよろしくお願いいたします。


他にも葛城哲哉・阿部薫・久保こーじ・西村麻聡など、TM時代の関係者でブログなどをやっていた者たちは、次々とコメントを出した。
(なお私は当時本ブログで葛城氏のブログにリンクを貼ったが、その時に誤ってトラックバックを送ってしまい、現在まで本ブログへのリンクが残ってしまっている。消せれば消したいのだが…)
小室みつ子はメディアでの取り上げられ方に違和感を感じることを吐露しているが、阿部薫も「それにしても、ワイドショーにしろ何にしろ、本人にしか分からん事を、コメンテータやら何やらが憶測で語り合っているのを見ると、腹が立ちますな」と、同様の趣旨のことをより直接的に言っている。


小室は11/21に保釈されたが、木根はその翌日に電話をもらったという。
小室はひたすら「ごめん」と言い続けたという(木根によれば何百回も)。
おそらくウツも含め、関係者に一通り連絡し謝罪したのだろう。
なお木根は最初の電話の後、年明けにもKEIKOに電話をして小室と話したことを述べている。
わざわざ電話をしたことを取り上げているのは、直接会う機会がなかったためと見られる。
小室は保釈後、2009年5月の判決までavexの千葉龍平宅に仮住まいしており、その間は連絡も限定的だったと思われる。


木根ソロライブのMCによれば、2009年8月以前のある時、TM3人で会うことがあったらしい。
その時期は明確ではないが、おそらく判決が確定して小室がavexで活動することが決まった後になって、初めて今後のTMをどうするか話し合ったものと推測される。


この間、ウツはテレビへの出演を一切せず、ライブでも直接の言及を避けたが、木根は時折テレビに出演し、小室関係のコメントを出している。
また2009/4/23の小室の第3回公判では、小室への被告人質問などが行なわれたが、この時に参考資料として6000人のファンおよび関係者からの減刑嘆願書が寄せられた。
これが量刑に当たってどの程度考慮されたかは分からないが、小室の実刑回避を願う者が一定数いたことが分かる。
その中には木根の嘆願書もあった。


木根嘆願書の全文は、小室の「罪と音楽」141~142頁に転載されているが、締めくくりは以下のようなものだった。

今の私は、ファンの方々と同じ心根で待つ以外にできませんが、小室被告が罪を償ったなら、周囲の音楽関係者と共に、彼を受け入れ、同じ過ちに陥らぬよう見守ります。今回の事件を風化させぬように努めます。何卒ご理解頂き、寛大なご判断をお願い申し上げます。
木根尚登


また小室の判決が出た2009/5/11に木根のオフィシャルサイトに掲載されたコメントも転載しておこう。

判決が下りました。
正直ほっとしてます。ファンの皆様には本当に多大なご迷惑、ご心配をおかけしました。
またいろいろな形でご協力していただき誠にありがとうございました。
これからは友人として彼と共に初心に返り、また皆で感謝の気持ちを力に変えて頑張って行きますので、
これからも応援よろしくお願いします。本当にありがとうございました。


なお木根は小室が保釈された2008/11/22に、ソロツアー「talk & live vol.11~New Town Street~」を開始した。
このツアーはニューアルバム「New Town Street」のリリースに伴って開催されたものだが、過去の曲からは「友よ、風に抱かれて」「My Best Friend」など、友をテーマにした曲が選ばれた。
当然、小室のことを意識した選曲だろう。


アンコールでは、未発表曲「春を待つ」が披露された。
これは小室に向けた曲であり、小室が拘留されていた17日間の間に作ったものということになる。
歌詞は小室との思い出を振り返り、これからもう一度やり直そうと伝えるものである。
サビの歌詞だけ、以下に転載しよう

みんな待っている 笑顔で待っているよ
また一緒に創ろう 素敵な音楽を
家族も待ってるよ 友達も待ってるよ
彼女も待っているよ 黄色いリボンつけて
寒い冬が来るよ 木枯らしを連れてくる
だけど冬はいつか 必ず春になるから
みんな待っている いつまでも待ってるよ
桜の木の下で 君の帰りを待っている


木根は後にこの曲について、以下のようなコメントを出している。
楽曲制作の趣旨を確認するために引用しておく。

小室があの事件を起こしたとき、マスコミを含め各所からコメントを求められました。できる限り誠意をもって対応したつもりですが、言葉とは難しいものです。僕の真意が伝わったり、歪められたり。だから、歌にしました。その瞬間、僕は彼とまた一緒に音楽をやりたいと、心の底から思っていました。


「春を待つ」は2008年年末から音源配信され、CDは2009/1/16からオフィシャルwebshopで数量限定で通販された(2010/1/21にも再版)。
2012年には、2001年以後の楽曲を対象にしたリクエストベスト「キネベス」がリリースされたが、その中で1位になったのがこの曲である。


なお小室の執行猶予付き判決が確定してから2ヶ月後の2009/7/18には、長らく活動を休止していたSerika with DOGが、小室に捧げる曲として「Can Try Again -to TK-」を配信リリースしている。
作詞はSerika、作曲は木根である。
Serikaは1983年、小室哲哉のプロデュースでデビューしたバンドで、木根も楽曲提供をしていた。
その時の縁がまだ続いていたということだろうか。
この後、小室とSerikaの間で何か接触があったのかは不明である。


さて、雲散霧消してしまったTM25周年企画だったが、一つだけ、小室逮捕前に発表されていた企画が存在した。
2008/12/10、府中の森芸術劇場どりーむホールで開催された「UTSU & KINE EXPO Folk Pavilion -Revival-」である。
ウツ・木根の公式サイトで10/14に開催が告知された。


ライブの趣旨は、かつて「Tour TMN EXPO」の1コーナーとして行なわれていたフォークパビリオンの形式で、1本のライブをやろうというものである。
1992年には半分がフォークパビリオンだった「TMN Folk/Metal Pavilion」が開催され、2003年の「tribute LIVE」でも「帰ってきたフォークパビリオン」のコーナーが設けられたが、1本のライブ丸ごとフォークパビリオンというのはこれが初めてである。

7-44.jpg


気にかかるのは、10/14というライブ開催告知のタイミングである。
10月半ばにはTM3人が打ち合わせを行なったという情報があり、ライブ開催告知はおそらくこれを踏まえて行なわれたものだろう。
ならばこのライブは、もともとTMの活動の一環として企画されていた可能性が高い。


ライブの開催日は「CAROL」リリース20周年の2008/12/9の翌日に当たる。
以前私は、TM25周年の企画告知は「CAROL」記念日に行なわれる予定だったことを推測したが、それならばその翌日の「EXPO Folk Pavilion -Revival-」も、TM25周年に絡めた企画だった可能性が浮上する。


これについて参考にしたいのが、小室逮捕時の「週刊文春」の記事である。
これによれば、10/31に年内のTMのライブの打ち合わせが予定されていたが、小室は「それどころじゃない」と言って来なかった。
TMのライブの開催は、小室が逮捕された11/4の時点で告知もされておらず、仮にその後告知される予定があったとしても、年内に開催するというのは日程的にも困難である。
そこでは私はこれまで、この記事は何かの誤りと考えてきたのだが、実は必ずしもそうではないのかもしれない。
つまりここでいう年内のTMのライブとは、実は「EXPO Folk Pavilion -Revival-」だったのではないかということである。


もちろん「EXPO Folk Pavilion -Revival-」はTM3人ではなくウツと木根の企画だったが、10月半ばに3人の打ち合わせを経て告知されたものだったのならば、そこに小室も絡むことが想定されていたとしてもおかしくはない。
あるいは途中でゲストとして小室が登場し、3人で25周年に向けた抱負を語って1~2曲を演奏するというような演出が想定されていたのではないか。


そう考えると、ライブ会場として多摩地方にある府中の森芸術劇場が選ばれたことも注目される。
多摩はTMの語源であることからも明らかなように、TM3人の故郷である。
この会場はウツ・木根が70~80年代の楽曲を演奏しながらアマチュア時代の思い出を振り返る場としてだけでなく、TMの始まりの地としての意味も持っていたのではないか。
それはTM以前のことを思い出しながら「SPEEDWAY」を作ったこととも合わせ、25周年企画開始に当たり自らを振り返る試みでもあったとも考えられる。


なお「EXPO Folk Pavilion -Revival-」には、「Tour TMN EXPO」のフォークパビリオンにも出演した浅倉大介もゲスト出演した。
ライブ開始後30分経ってからステージに呼ばれ、以後5曲目からアンコールまで出ずっぱりだった。
正直、これでゲスト扱いはひどいと思う。


ライブの選曲は大部分が70~80年代のヒット曲で(大半がフォーク)、5曲だけTMの曲が演奏された。
かつての「Tour TMN EXPO」のフォークパビリオンではフォークとTMが半々くらいだったが、この時は前者の比重が圧倒的に高かった。
演奏曲はウツ・木根が好きな曲を基準に選んだもので、「Tour TMN EXPO」とかぶるものが多い。
井上陽水「最後のニュース」の早口パートや同じく陽水の「桜三月散歩道」のセリフを浅倉が担当したのも、「Tour TMN EXPO」と同様である。


その日限定のユニット名を決めたのも「Tour TMN EXPO」に準じていた。
この時2人はレモニーハイムを名乗り、ウツが1号、木根が2号、浅倉が3号となった。
以前のレポートでは木根が1号と書いたが、ここではmagneticaの会報に依る)
レモニーハイムはTM時代に木根が住んでいた多摩のアパートの名前である。


ウツと木根がギターをかき鳴らして1曲目「夢の中へ」のイントロを演奏すると同時に、ステージにかかっていた厚い緞帳が上がって、ライブが始まった。
これは昭和の頃によく見られた演出だったらしく、木根は自分でこれがやれてうれしかったらしい。
ステージには演者の椅子・楽器以外はスクリーンがあるだけで、そこに手作り感のあるプロジェクタの映像が映し出されるという、いたってシンプルなものだった、


その後は2~3曲ごとにMCを挟みつつ、ライブは進行した。
ウツ・木根はアコースティックギターを持って椅子に座り、弾き語りを続けた。
浅倉の椅子の前にはキーボードが置かれた。
曲によってはピアニカを演奏することもあったが、これは「Tour TMN EXPO」の時と同じである。


この時のセットリストおよびライブレポは以前書いたことがあるので、詳しくはそちらを参照されたい。
パフォーマンスについて言うと、演出などがなく歌に集中できる環境で、自分が好きな曲を選んだということもあろうが、ウツの歌声の美しさが際立つライブだった。


本編でのTM曲は「Fantastic Vision」「Fighting」「Winter Comes Around」の3曲のみで、7曲程度を演奏して1曲TMを歌う、という割合だった。
最初に演奏されたTM曲は、7曲目の「Fantastic Vision」である。
「tribute LIVE」の帰ってきたフォークパビリオンでも演奏された曲であり、このライブで演奏されるのは自然な流れだったのだろう。


この曲の後のMCで、木根はTMの曲が少ないことについて、「自粛なのでね」と余計なことを言った。
ウツは「余計なことをいいやがって」と言いすてたが、半ば本気で怒っていたのかもしれない。
この後は長時間のMCがあり、3人で「Tour TMN EXPO」の思い出などを語ったが、小室の話には一切触れなかった。


「Fighting」は、「Tour TMN EXPO」のフォークパビリオンで演奏されなかった数少ないバラードである。
バンド演奏でも1987年の「Fanks Cry-Max」以来演奏されておらず、観客の多くはこの時初めて聞いたと思う。
なお浅倉はこの曲ではピアニカを担当した。


「Winter Comes Around」は、ライブのセットリストに正式に組み込まれたのは1988~89年の「CAROL Tour」しかない。
木根ソロライブで演奏されたことはあるが、ウツボーカルでの演奏は1992年の「EXPO Arena」のフォークパビリオン以来である。


「Fighting」「Winter Comes Around」は、ともにアコギを中心とした演奏でも映える曲であり、むしろウツの歌声をじっくりと聞ける良アレンジだった。
ファンの多くも嬉しい選曲だったと思う。
特に自分は「Fighting」の歌唱に感激した覚えがある。
また「Fighting」の選曲は、時期から見ても、小室に捧げる意味があったのだと思う。
「君の戦いの歌 闇にひびいてゆけ」という歌詞も、そう考えると重いものがある。


このライブで設けられた特別企画に、リクエストコーナーがあった。
会場のリクエストに応えて、即興で演奏するというものである。
歌は3人が1曲ずつ担当し、浅倉が伊勢正三「22才の別れ」、木根がイルカ「なごり雪」、ウツがモップス「たどりついたらいつも雨ふり」を歌った。


しかしフォークのリクエストを受け付けるのがコーナーの趣旨だったはずが、会場からまっさきに上がったのはTM曲で、木根はまた冗談ぽく「自粛してるので」と返した。
スタッフがリクエスト曲の譜面を用意するのに手間取る場面もあり、この後で開催された追加公演では、このコーナーは行なわれなかった。
なおこの日の公演はリクエストコーナーの混乱のため、公演時間が3時間弱に及んだ。


本編が「Winter Comes Around」で終わった後、アンコールでは3人とも、「Tour TMN EXPO」の時と同じオーバーオール姿で登場した。
ここはファンサービスの時間で、TM曲の「パノラマジック」「Dreams of Christmas」が演奏された。
前者は「1974」と並ぶTM始まりの曲であり、「Dreams of Christmas」は季節柄の選曲であろう。


このライブは好評だったようで、2009年2月には追加公演が発表された。
ウツ・木根からすれば、TM25周年企画が実現できなくなった現状を踏まえ、せめてもの埋め合わせの意味もあったのかもしれない。
追加公演は4/18・19に大阪厚生年金会館、4/29に愛知勤労会館、5/4に東京JCBホールで開催されており、2009/4/21のTM25周年記念日の周辺に設定された。
グループ名は大阪が「春うらら」「しだれ桜」、愛知が「寒冷前線」、東京が「東京ネズミーランド」だった。


ゲストとしては府中の森公演と同じく、浅倉大介が(ライブの大部分で)参加した。
また曲によっては、大竹茂美という人物がパーカッションを担当した。
大竹はプロのパーカッショニストではなく、普段はウツのライブでローディを務めている人らしい
なお追加公演では、ウツ・木根がギターを弾くイラストも作られ、会場のスクリーンにもしばしば映し出された。
このイラストは、以後のフォークパビリオン企画でも用いられ、グッズにも使われた。


フォークの選曲は、府中の森公演から変化している。
府中の森公演のリクエストコーナーで曲名が出た「たどりついたらいつも雨ふり」「22才の別れ」が取り入れられた他、ファンから集めたリクエストも踏まえて、3月に選曲されたという。


日替わり曲も数曲あったが、これは大阪が2公演あったためだろう。
最後のJCBホール公演については以前レポートとともにセットリストを掲載したことがあるが、大阪1日目はこれと同じで(セットリストA)、大阪2日目は愛知公演と同じだった(セットリストB)。
TM曲を除き、日替わり曲は以下の通りである。

・セットリスト(A):「22才の別れ」「今日までそして明日から」「時の流れに身をまかせ」「また逢う日まで」
・セットリスト(B):「白い冬」「シンシア」「異邦人」「あずさ2号」


府中の森公演と追加4公演を比べると、府中の森公演で演奏された楽曲中、TM曲・リクエスト曲を除く16曲の内、追加公演では7曲(セットリストA)または10曲(セットリストB)が選ばれた。
Aの方が重複が少ないのは、JCBホール公演の参加者に府中の森公演参加者が多くなるという見込みによるものだろう。


アコギを長時間弾くのは、普段アコギを演奏しないウツとしてはつらく、指先が腫れて痛かったという。
府中の森公演でも苦しんだ反省から、追加公演では氷入りの水が入った容器を用意して、トークの間指を冷やして回復させていた。
特に大阪公演が2日続いたのは大変だっただろう。


TM曲の入るタイミングは、府中の森公演と同様だった。
曲は本編が「月の河」「永遠のパスポート」「Another Meeting」、アンコールが「パノラマジック」「We love the EARTH」(セットリストA)または「パノラマジック」「Just One Victory」(セットリストB)だった。
「パノラマジック」以外は、府中の森公演で演奏されなかった曲である。


「永遠のパスポート」「Just One Victory」は2003年の「tribute LIVE」の「帰ってきたフォークパビリオン」でも演奏された曲である。
「月の河」はTM唯一のフォーク曲である。
「Another Meeting」はよく2人の時に演奏される曲である上、アコギだけでも対応可能である。
「We love the EARTH」「Spin Off from TM 2007」でアコースティックアレンジで演奏されたことがあるのが関係しているのだろう。
このようにTM曲はライブのコンセプトによく合っているものが選ばれた印象だが、あまり意外性がなかったとも言える。


以上、合計5回の「EXPO Folk Pavilion -Revival-」の様子を見てきた。
これらは基本的にはTM25周年の前祝い企画および穴埋め企画だった。
しかしその後も3回ほど、この後継企画が行なわれている。
それは2011/3/11の東北大震災を受けたもので、その復興のためのチャリティイベントとして開催されたものである。


すでに2011年5月には、ウツがFCでチャリティグッズを作成して販売しており、木根もライブでチャリティグッズの販売を行なっていた。
2011年の「Folk Pavilion」は、この流れで企画された。


まず2011/7/2・3には、「EXPO Folk Pavilion 2011」が渋谷Duo Music Exchangeで開催された。
この時は福島のデュオグループ涼風をゲストに呼んでいる。
ウツ・木根はこのライブの収益で楽器を一式購入し、福島市教育委員会に寄贈した。


セットリストは2009年と代わり映えのしないものだった。
TM曲は本編ラストの「Another Meeting」と、アンコールの「月の河」「Fantastic Vision」の、合計3曲が演奏された。
なおこのライブは、ニコ生でも有料配信されている。


2012/6/9・10にはMt.RAINIER HALL SHIBUYA PLEASURE PLEASUREで「EXPO Folk Pavilion 2012」が、2013/9/7・8にはYOKOHAMA Blitzで「EXPO Folk Pavilion 2013」が開催されている。
この時は選曲をガラリと変えてきており、2011年と2012年ではほとんどかぶりがない。
楽曲も歌謡曲やGSなど、フォーク以外の比率が上がっている。
これは後述のウツの「LIVE UTSU BAR」につながるものである。
TM曲はアンコールのみになり、2012年は「愛をそのままに」(木根ボーカル)と「Another Meeting」、2013年は「Another Meeting」だった。


2011年以後は浅倉・大竹に加え、松尾和博もギターとして参加するようになった。
松尾がチャリティの趣旨に賛同したこともあるが、ウツの指痛対策でもあったらしい。
さらにゲストとして、野村義男(ベース)やピエロのエディも参加した。
どちらもU_WAVEでのウツとの縁によるものである。


この時点で出演者はウツ・木根・浅倉・大竹・松尾・野村・エディの7人という大所帯となっており、フォークデュオという状態ではなくなっていた。
チャリティイベントということで、出演料なしで声をかけていたと思われる。


2014年には「EXPO Folk Pavilion」は開催されなかった。
この年にはTM NETWORK念願の30周年ツアーが春秋2回も開催されており、チャリティイベントを開催する余裕がなかったというのが実情だろう。


以後「EXPO Folk Pavilion」の開催はなくなるが、TM30周年企画終了後の2015/6/20・21に、ウツがEX Theater Roppongiで、東日本大震災チャリティイベントとして、「LIVE UTSU BAR~それゆけ歌酔曲!~」を開催する。
(6/23にも赤坂Blitzで追加公演)


「LIVE UTSU BAR」はウツのソロイベントで、木根は参加しなかった。
だがサポートとして野村義男・松尾和博が参加しており(他にキーボードとしてnishi-kenが参加)、「EXPO Folk Pavilion」の延長上の企画と考えることができる。


ウツとしては、フォークとは違う形にしたいと考え、歌謡曲をコンセプトにしたという。
各楽曲には、nishi-kenによる現代風のアレンジが加えられた。
アンコールで1曲ウツソロのオリジナル曲「times mile」を演奏した以外は、60~80年代の歌謡曲の演奏に終始した。


このライブはそれなりに手ごたえもあったようで、以後ウツは毎年春に「LIVE UTSU BAR」と題するライブを、同じメンバーで開催し続ける。
少なくとも2021年現在では、毎年開催されている。


「LIVE UTSU BAR」は2015年には東京公演のみだったが、2016年「LIVE UTSU BAR~それゆけ歌酔曲!~ギア2」以後は、全国のライブハウスを回るツアーになる。
全国ツアー化は、野村の提案がきっかけだったという。
なお本ツアーは、ファイナルの2016/5/12・13では別メニューになり、前半は歌謡曲、後半は木根・浅倉を交えたフォークパビリオンが披露された。
この日のみ、「EXPO Folk Pavilion」が限定的に復活した。


ウツは2013年まで、毎年秋にバンドで全国を回るツアーを開催することを活動の基本としてきたが、2014年のTM30周年の年を挟み、2015年以後は、春に少人数編成の「LIVE UTSU BAR」、秋にバンドツアーを開催するというスケジュールをルーティン化させる。
開催本数も2016~19年には、「LIVE UTSU BAR」が秋ツアーを上回った。


一方の木根は、しばらくはウツのような企画をあえて立ち上げることはなかった。
(ただしソロ曲・TM曲がかなりの比率を占めるライブだが、2010/5/30には原宿LaDonnaで「ひとりぼっちのフォーク・パビリオン」を開催している)
それまでもソロライブで頻繁にフォーク楽曲を演奏してきたから、あえてフォークと銘打つライブを開くこともなかったのだろう。


だが2020/12/29にはウツとともに、「年忘れ!!歌酔曲vsフォーク」を開催した。
これはウツの歌酔曲チーム(ウツ・野村・松尾・nishi-ken)と木根のフォークチーム(木根・山本英美・中村修)の対抗ライブという企画だった。
このライブの中で、木根チームは「K-Folk」とも呼ばれた。


さらに木根は2021/4/10・11に、「K-Folk 2021」と題するライブを開催した。
サポートには山本・中村が参加しており(さらにピアノとして海老原真二も参加)、「年忘れ!!歌酔曲vsフォーク」の延長企画ともいうべきものだった。
「K-Folk 2021」というタイトルは、2022以後の開催も意識しているように見えるが、ウツの歌酔曲と同様に、毎年恒例化させるつもりかもしれない。

春を待つ - 木根尚登
春を待つ - 木根尚登

7-43 小室哲哉のグレート・リセット

世間はオリンピックで、そこそこ盛り上がっていました。
私はほとんど見ていませんでしたが、試合前に聞いている選手がいたり、入場曲で使う選手がいたりで、ちょくちょく「Get Wild」の話題が出たりしました。
また宝塚歌劇の舞台版「シティハンター」が8/7に始まり、案の定「Get Wild」も歌われたそうですが、これもtwitterでトレンドになりました。


「Get Wild」、なんか気が付いたら、伝説の昭和の名曲みたいな位置になっていたんでしょうか?
無いとは思うけど、パラリンピック閉会式の最後にBGMで「Get Wild」が流れて「Get Wild」退出があったら面白いですね。


小室さんのTETSUYA KOMURO STUDIOは、8/13で第6回を迎えました。
今のところはちゃんとやってくれているようです。
7/16(第2回)の木根さん出演回では、木根ボーカルで「Girl Friend」「Remember Me?」を演奏した他、即興で2人で「Come on Let's Dance」「Electric Prophet」などを演奏してくれたそうです。
「Electric Prophet」、いつかもう一度ちゃんとしたのを聞きたいですね。
また第5回(8/6)には「あの夏を忘れない」を演奏したとのことです。


7/30、小室さんがLynx Eyesというユニットに提供した「#ALL FRIENDS」という曲のMVが公開されました。
楽曲自体は5月にイベントで発表されていたんですが、このブログではなんとなく今まで触れていませんでした。
どうやらアニメキャラが(つまり声優が)歌っているようです。
このたびこの曲が、スマホ向けゲーム「D4DJ Groovy Mix」に使用される曲として登録されたので、MV公開もこれと連動するものと思います。


このゲームには去年から「WOW WAR TONIGHT」が使われており、小室さんもその時点で「次回はこのユニットにフィットした新曲もプレゼントできたら嬉しいですね」とコメントしていましたが、これが実現した形です。
D4DJの公式サイトから、「#ALL FRIENDS」に関する小室さんの(5月の)メッセージも転載しておきます。

僕が生み出した過去の楽曲を大切に歌ってくれてありがとうございます。

当時の世の中と今とは違っているとは思いますが、「音楽」という繋がりで、過去と未来を結んで皆んなで一つになっていく事はとても素晴らしい事だと思います。

今回D4DJで新曲を作詞.作曲しました。
歌唱力のあるRaychellとドラマーのひなんちゅがDJ&RAPのこのユニット「Lynx Eyes」に表現してもらう為に作りました。
人と人との繋がりを大切にと言うテーマです。
この曲により、また未来へと繋がって行けば幸いです。

アーティストと皆さん、音楽に感謝します。

小室哲哉



ウツの秋ツアーのタイトルは、8/12に「TAKASHI UTSUNOMIYA Solo Tour 2021 U Mix」発表されました。
「Mix」てのは、nishi-kenさんが過去曲のリミックスでもやるんでしょうか。
ウツとnishi-kenさんの他はバイオリン奏者1人がサポートするそうで、バンド形式ではない特殊なアレンジでの演奏になりそうです。
9/25・26公演のみFC先行予約の受付を行なうことが、8/12に発表されましたが(8/24まで)、え、まだFC予約やってなかったの?


今回は会場に観客を100%収容するそうですが、現在のコロナ感染拡大の中、これが実現できるかはなかなか微妙です。
チケットの販売が遅れたのも、開催可能か判断が微妙なところがあったからでしょう(状況次第では中止・延期の可能性ありとのアナウンスもあり)。
今回はロックバンドでの演奏ではないので、歓声なし・着席とかの観覧条件があるかもしれません。


最後に木根さんについて。
8/24にリリースされる氷川きよしさんのアルバム「You are you」に、木根さんが「生まれてきたら愛すればいい」「You are you」という曲を提供したそうです
さらに「You are you」にはTMの「Seven Days War」とソロ曲の「Reset」のカバーも収録されるとのこと。
なお「生まれてきたら愛すればいい」「Seven Days War」の編曲はnishi-kenさんです。


木根さんは2019年に氷川さんに「hug」という曲も提供しており(シングル「大丈夫/最上の船頭」のカップリング)、意外と親しいようです。
9/14リリースのシングル「Happy!」のカップリングにも、木根さん作曲の「WALK」が収録されます。
なお木根さんのレギュラーラジオ番組「夜ドン!」には、8/8と8/22に氷川さんがゲスト出演するそうです。


あと前回触れ損ねましたが(前回記事みーこさんコメントでご指摘)、木根さんは久保こーじさんプロデュースの#SAVE THE ARTISTプロジェクト名義のアルバム「Unshakeable」にも、「風になれたら」を提供していました(6/23リリース)。
関連インタビューはこちらです


それでは本題に入ります。
ある意味で第7部最大のトピックが本章となります。
今回の話題は長引かせたくないので、長文になりますが一回で終わらせます。

-------------------
2008年の小室哲哉は、globeによるTM NETWORKカヴァーシングルも含め、TMを軸とした活動を行なっており、年末にはTM25周年企画を始動させる手はずとなっていた。
ところがその背後では、破滅の日が刻々と迫っていた。


小室は2006年8月、Tribal Kicks監査役の木村隆の提案に基づいて、投資家Sから5億円を詐取した。
その具体的な経緯は以前述べた
小室はSに対して、自らの楽曲の著作権を10億円で売却する約束をしたが、これを実現するためには前妻吉田麻美に慰謝料・養育費を支払って著作権使用料(印税)の差し押さえを解除する必要があると説明し、そのために必要な額として5億円を前払いさせたのである。


ところが実際にはこの5億円は、小室が木村隆に負っていた借金や、みずほコーポレート銀行・A.C.ホールディングス(山口組系)への借金返済に使われ、麻美には支払われなかった。
当然のこととして、Sへの著作権譲渡も実現しない。
またそもそも小室の著作権は制作時に音楽出版社に譲渡されており、小室は印税を受け取ってはいても著作権自体は所有していなかった(Sが要求したのは著作権使用料取得権ではなく著作権そのもの)。
だが小室はウソをついていることになることを自覚しながら、当座の金を得ることを優先して上記の詐欺を行なったと、後日大阪地検に供述している。


Sは著作権が移転されないことについて小室や木村に問い合わせたところ、5億円を別の借金返済に使ってしまったことを小室側から聞かされた。
そこでSは2006年9月、5億円の返金を要求する。
小室側は総額を10億円から7億円に減額するなどの対応をするが、肝心の著作権移転が最後まで行なわれなかった以上、Sにとってはまったく意味がないことだった。


以後も続いた5億円の問い合わせに対して、小室のスタッフや代理人は、のらりくらりと時間の引き延ばしに終始した。
2007/2/15には、Sが主催する動物保護団体のウェブサイトに、小室が「犬と会話が出来ます」など不可解なメッセージを寄せたりもしているが、これもSの怒りを収めるための時間稼ぎだろう。


7/31には、自ら兵庫県芦屋のS宅を訪れて謝罪を行なうとともに、5億円返済の約束をしたが、その約束もやはり果たされることはなかった。
らちが明かないと考えたSは、8月になると小室の関係各所に電話をして、小室に返金させるように圧力をかけた。
ちょうどTMの「SPEEDWAY」の制作準備からレコーディングに入る頃のことだが、あるいは本作のレコーディングが遅れたのは、この件も関わっているのかもしれない。


Sの電話先には音楽関係会社や吉本興業の副社長などもあったが、小室は特に妻KCO(KEIKO)の実家の山田家に電話が来ることに悩んだらしい。
KCOの母はSから、大分県知事にも連絡すると言われて戸惑ったという。
山田家に入り浸っていた小室は、当時山田家に対して資金援助を行なうなど大盤振る舞いをする一方で、苦しいところは一切見せないようにしていた。
早い話が見栄を張り続けたかったということだが、そうした中で山田家に実際の窮乏を知られることは、もっとも避けたいところだっただろう(こういうところが本当にダメだと思うが)。


10月になると、Sは小室を詐欺罪で告訴すると言って、山田家や小室の事務所に電話をかけてきた。
小室はパニックに陥ったが、弁護士から「こちらからも訴えて、裁判を起こし、事態を止めましょう」と言われ、10月31日に機先を制してSを神戸地裁に告訴した。
返済する債務がないにも関わらず精神的苦痛を味わったと主張して、Sに名誉棄損による損害額として1億円の支払いを要求したのである。


黙らせるための訴訟という弁護士の提案は、いかにも堅気とは別の世界の住人の発想に見える。
この頃の小室の環境をうかがうことができよう。
小室に債務がないというのは不可解な主張だが、5億円はTribal Kicksとして借りたのであって、小室個人の債務ではないという理屈だろうか。
実際に小室は、自分では送金を受けていないと裁判で主張していた(木村と平根が振込口座を管理し、5億円を借金返済に充てた)。


小室が告訴した2007/10/31は、「SPEEDWAY」制作の大詰めの頃(すでに締切を超過)であり、連日「TM NETWORK -REMASTER-」のリハーサルスタジオとレコーディングスタジオで働き詰めていた。
この頃の小室が訴訟のためにちゃんとした打ち合わせができたかは疑問もあり、訴訟を主導したのはむしろスタッフ側だったのかもしれない(「それでいいからやっておいて」くらいの指示はしたかもしれないが)。
小室は逮捕された当初も何が問題だったのか理解していなかったと発言しており、詐欺当時も告訴時も、事態をあまり分かっていなかった可能性がある。


Sは小室からの訴訟に対し、自らも小室に逸失利益1億円を含む総額6億円の支払いを求める反訴を行なったが、少なくとも訴訟が続いている間は、Sも関係者への電話をかけることもできなかったから、小室へのプレッシャーは表面的には和らいだと思われる。
もちろんこの訴訟は、実際には問題の先送りどころか、自らの破滅を早める行動でしかなかったのだが、ともかく2007年11月からしばらくの間、小室は音楽活動にある程度専念することができただろう。
「TM NETWORK -REMASTER-」「TM NETWORK play SPEEDWAY and TK Hits!!」は、そのような環境下で実現したものだった。


とはいえ小室はS以外にも各所に借金を負っており、破滅の窮地を脱したとは言え、自転車操業の状態に変わりはなかった。
たとえば小室が立ち上げたTKCOMは2006年9月、貿易事業を展開するある経営者との間に、子供服ブランドSheen KidZと販売代理店の契約を結び、同ブランドの製品を1年間独占的に販売する権利を得たが、契約金20万ドルの支払いは先送りにした。
翌年には6万ドルを支払ったものの、それ以上の送金はしなかったため、この経営者は東京地裁に訴えて、2008年9月に小室の口座を差し押さえている(しかし口座の残高は6000円余りに過ぎなかったため、小室逮捕後に改めて告訴した)。


表に出ていない関係も含め、小室は同様の問題を各処に抱えていたと思われる。
納税にも事欠く状態だったようで、2008年4月には港区役所が滞納された地方税4000万円を取り立てるため、JASRACから支払われる印税の差し押さえを行なうに至る。


当時の小室の印税は差し押さえ分を含め2億円程度だったので、地方税の税率が所得の1割とすれば、地方税4000万円は2年間の滞納分(2006・2007年納付分)と考えられる。
2006年の小室は暴力団系の闇金融への返済に追われ、5億円詐取に手を染めるなど窮地に陥っていた。
この頃にはすでに税金すら支払う余裕もなくなっていたのだろう。


なお吉田麻美は2005年より、JASRACからの印税を年間1億円差し押さえる権利を認められていたが、上記区役所の差し押さえによって、印税の一部が麻美の手に渡らなくなった(税金の徴収は他の権利者よりも優先される)。
小室逮捕後の関係者の取り調べに当たり、麻美はこのことへの憤りを隠さなかった。
2006年に小室が追い詰められた一因は、小室の窮乏を2005年にメディアで暴露した麻美にもあるのだから、一面では自業自得なのだが。


こうして各方面で窮地に陥っていた小室に最終的なとどめを刺したのは、Sだった。
小室はSにふっかけた訴訟について、勝ち目がないと判断したのか、2008年7月に和解に応じてSの要求を呑み、遅延損害金を含む6億円超を9月末日までに支払うことに同意した。


だが実際に期日までに支払われたのは、900万円だけだった。
印税の差し押さえの状況を見るに、無い袖は振れない状態だったのだろうが、一方で900万円を支払ったのは、支払いの意志はあることを示すパフォーマンスでもあったのだろう。
こうして小室は10月を迎えた。


しかし小室側の思惑は外れる。
大阪地検が、本件を刑事事件として捜査を始めたのである。
問題になったのは、小室およびスタッフが5億円をSに振り込ませた時点で、著作権移転を行なうつもりがなかったのか否か、つまりSを騙す意図が初めからあったのか否かだった。
そしてもしもその意図があったのならば、詐欺罪として立件する見込みだった。


11/3、小室は検察から大阪に呼び出しを受けた。
小室によれば2泊3日で帰宅する予定で、ホテルを予約して2泊分の荷物を持って家を出たという。
そして一日ホテルの部屋で取り調べを受けた後、11/4の早朝に大阪地検特捜部によって逮捕され、大阪拘置所に送られた。
地検は当初から逮捕を前提として小室を呼び出したものだろうが、小室の発言を信じれば、小室は家を出た時点では逮捕されることを考えていなかったという。
逮捕に至るほどの事態に至っているという自覚はなかったらしい。


ただしすでに10/31にはゴシップ誌で、小室が逮捕の見込みであることが取り上げられていた。
同じ日にはTMの打ち合わせが行なわれることになっていたが、ウツ・木根側(ウツの事務所M-tresか)は小室の事務所から「それどころではない」との連絡を受けたとのことなので、実際にはこの頃にはかなり緊迫した情勢だったと見てよさそうである。
だが小室はそんな中でも、11/1にNack5のラジオ特番に生出演して、globeのニューシングルの話などをしている。


11/2には小室とマネージメント契約を結んでいたイーミュージックが、11/4のウェブサイトリニューアルの予定を発表している。
この頃には小室の逮捕を見越して、サイト更新の準備を行なっていたのだろう。
11/4にはウェブサイトから小室とKCOの写真を削除した上で、小室とは8月を以てマネージメント契約を解除したことを発表した。
ただし小室が保釈されると、イーミュージックは今度は小室とKCOを所属ミュージシャンとして、写真をサイトに再掲載し、以後長期に渡ってまとわりつくようになる。


この頃イーミュージックは岡村博行(ゴットプロデューサーKAZUKI)という人物を雇っており、小室逮捕後にメディアに対応させている。
岡村は2004年に脅迫の容疑で逮捕された経歴があり、チンピラの類と見られるが、パチンコ関係の雑誌やゴシップ誌・スポーツ新聞などにエッセイや漫画(原作者)を単発で執筆したこともあり、メディア関係者につながりがあると考えられたのだろう。
ただし実際には見るも無残な文章力かつ企画力で、まったく戦力にならず、半年間無報酬で働かされた挙句、翌年3月に解雇された。


岡村は11/3に各処に連絡を取って根回しをしていたらしい。
その一つと見られる熱海市議の村山憲三宛てのメールが村山のブログに転載されているが、そこには「おそらく今日、緊急逮捕されると思います」と記されている。
さらに岡村は、逮捕を見越して日本テレビ関係者を事務所に呼んで取材させ、イーミュージックおよびエンパイアプレイミュージック(これ以前に小室との契約をめぐってイーミュージックともめていた)が被害者である旨を報道させるように仕向けたことも、村山に伝えている。
イーミュージックが、小室の逮捕が自分たちに飛び火しないように対策していたことが分かる。


イーミュージックは小室が自宅を出た11/3の時点で、小室がこのまま逮捕されることを予測していた。
他の関係者の多くも、同様の予測をしていたものと思われる。
だが小室自身は、逮捕を考えていなかったと述べている。
小室のこの発言に虚偽がないとすれば(この点でウソをつく必然性はあまり想定できないが)、いつもの小室の楽観主義のなせる業というべきか、またはスタッフから神輿として担がれながら現実の事態を知らされない裸の王様状態だったのか。


小室が逮捕された11/4から数日間、新聞やワイドショーでは、連日小室の動向が取り沙汰された。
SONYはTMの「The Singles 2」、avexはglobeの「Get Wild」のリリースの中止を、逮捕日に即日発表した。
globeについては既発売CDや配信音源の販売も停止され、ウェブサイトは閉鎖された。


当然それまで進めていたTM25周年企画も水の泡となった。
ウツと木根のスタッフは、TM25周年企画のキャンセルでてんてこ舞いだったと思われる。
小室は保釈後、すぐに木根やウツに連絡を取ったというが、自分のせいで25周年企画が台無しになったことを謝ったものだろう。


大阪拘置所では、11/4の逮捕から11/21までの17日間、連日小室の取り調べが続いた。
気になるのは、小室が初日に検事から言われたという話である(「罪と音楽」)。
小室なりにかみ砕いた説明だが、オール5の通知表で卒業したいなら(=自分の無実を主張するのなら)、今年の卒業(=2008年中の釈放)はできないし、その後も長く苦労しなくてはならないが、オール1で構わないならば(=事実関係を争わずに起訴事実を認める選択をすれば)、「卒業の見込み」(=拘置所からの早期釈放)もあり得るということだった。
要するに、早く拘留を終わらせたかったら、検察の起訴事実についていちいち抗弁せずに認めろと言うことである。


小室は少しでも早く拘置所から出ることを望み、オール1での卒業を選び、初日から検察の起訴事実を全面的に認めて供述を行なったという。
小室は自分が有罪か無罪かよりも、早く拘留の現状から脱却したかったのだ。
検察も当時、小室が取り調べに協力的だったことを述べている。


検察は逮捕以前にすでに捜査を行なっており、おおよその事態は把握していたはずである。
あとは証拠から推測される事実関係について、小室の証言を得て供述調書を作る作業となる。
早期釈放を望んだ小室は、仮に検察の想定に誤りがあり異議があったとしても、それを言うことで時間が費やされると判断すれば、わざわざ口にすることは多くなかっただろう。
小室の望みは真実の確定ではなく、早期の釈放だったのだから。


さらに以前別章で言及したことの繰り返しになるが、取り調べに当たった主任検事前田恒彦の問題もある。
前田は捜査方法に問題のある人物で、この2年後には自らが逮捕され有罪判決を受けている。
検察の想定する事件の構図に合わせるべく文書偽造を行なったことが発覚したためだった。
小室事件の取り調べについても同様の疑惑があったことを証言する関係者もおり、小室の供述調書作成において自らの想定したストーリーを優先させることがあったことは、十分に考えられる。


また小室の「罪と音楽」の21頁には以下のようにある。

取り調べにおいて僕は、何ひとつ拒みも抗いもしなかった。訊かれたことには、知っている限りのことを正直に答えた。ただ、応えたくても知らないことが多々あった。
「細かい数字のことをTKさんに訊いても、答えられないのはわかってますから訊きません」
検事さんから、そう言われたこともある。
僕が何を知っていて、何を知らないのか、それすらも検事さんはお見通しだった。


小室は誰とどのような話をしたのかという類のことは回答できても、日付や金の流れについて詳細は分からないところもあった。
金の管理は木村や平根が行なっていたのだから、当然と言えば当然のことである。
しかし公判で読み上げられた供述調書は、小室が具体的な日付や金額に触れながら、事件の推移を述べる内容となっている。
そこに書かれている金の流れは何らかの裏付けがあると考えられるが、小室自身が本当にそれらすべてを認識していたのかは、相当疑ってかかるべきである。


なお詳細は触れないが、実は供述調書の中には、日付を遡って作成された書類の情報に基づき組み立てられている箇所が存在する。
こうしたことが起こるのは、検察が確保した証拠書類からストーリーを作り上げ、それを小室に認めさせるという手順が取られたからに他ならない。


本ブログではこれまで、公判記録を依拠資料の一つとして利用してきたし、その場合も、できる限り前後関係の検討や他資料での裏付けを行なうようにしている。
だが本件の背後に表には出ない(出せない)事情も存在することは、念頭に置くべきであろう。
本記事の内容もその点で、あくまでも事実の一側面でしかないし、あるいは実態とは異なる部分も含まれている可能性があることは、注意されたい。
以上のことは、以前「7-32 越えてしまった一線」の段で注意喚起をしたところだが、ここで改めて記しておくことにする。


なお2005~06年に小室に高利の融資を行なったA.C.ホールディングスの河野博晶(この返済問題が2006年の5億円詐取の直接の原因)は、小室事件の判決から半年余りを経た2009/12/2に、株式相場操縦の容疑で大阪府警に逮捕されている。
あるいは小室を取り調べる中で得た情報が活用されたのかもしれない。


さて、取り調べに従順な態度を示した小室は、11/21に3000万の保釈金を支払って保釈された。
すでに関係者への聴取も済んでおり、検察は同日に小室とTribal Kicks監査役の木村隆を起訴した(Tribak Kicks社長の平根昭彦は主導的立場になかったと判断されて不起訴)。
なお小室を特任教授としていた尚美学園大学は、この日小室を懲戒解雇した。


小室の保釈金はKCOが各所に連絡し用立てたもので、その一部はかつてのKCOの所属事務所アクシブの社長だったavex副社長千葉龍平が用意した。
千葉は小室の身元引受人にもなった。
小室とKCOはこれ以後半年近く、千葉の家の地下の部屋に間借りすることになる。


なお釈放の翌日は、小室とKCOの6度目の結婚記念日だった。
この日を夫婦で過ごせたことは、小室にとっていくらかの救いになっただろう。


千葉は小室が家に来た時、最初に「2人の関係が変わることがある。僕は教育者となる。悪いことは悪いといい、守れなければ出ていってもらう」と告げたという。
KCOに対しても、朝に起きて食事を作ることや、ジャンクフードではなく自然なものを食べるなど、生活の心構えを説いたという。
これ以前のKCOの生活態度が想像できる。


小室を救ったのは、実質的にはavex社長の松浦勝人と副社長の千葉だった。
この2人はこの頃、小室と疎遠な関係になっていた。
事の始まりは1997年の小室とavexの決別に遡り、90年代終わりには両者間で露骨な対立も見られた。
2000年頃には両者間で歩み寄りもあり、BALANCeのデビューやsong+nationの企画もあったが、昔のような関係に戻ることはなかったようである。


しかし11/4に小室逮捕の報道があると、松浦はavexで緊急会議を開き、役員を全員招集して、「何が理由であれ、小室がいなければ我々はここにきていない」として、小室を全面支援することを決定した。
千葉が小室の身元引受人になったのも、この決定が前提にある。


年が明けると、大阪地裁で裁判が始まった。
初公判(供述調書読み上げ)は1/21、第2回公判(証人尋問)は3/12、第3回公判(弁護人の最終弁論、被告人質問と被害者への証人尋問、検察の求刑)は4/23に開催され、結審となった。
裁判長は杉田宗久で、人情派として知られる人物だったが、それが小室にとって凶と出るか吉と出るかは、判決まで分からなかった。


小室は事実関係を争う意図はなかった。
そのため初公判では、検察が証拠として小室および関係者の供述調書を読み上げ、起訴事実の立証を行なった後も、小室の弁護人から異議を述べることはなかった。


第2回公判では、小室の情状証人が出廷した。
証人は松浦と千葉である。
2人は、音楽業界のトレンドは進行が早いため、刑務所に入り情報が得られなくなることは音楽プロデューサーにとって致命的であるとして、個人としてもavexとしても小室を支え、音楽を作る環境を与えることで更生させると述べ、情状酌量を求めた。


この公判は、後の判決に大きな意味を持つものだった。
小室が詐欺被害者Sに対して弁済を行なったことが明らかにされたのである。
もちろんそれは小室自身が支払ったものではない。
松浦勝人が肩代わりしたのである。


小室の保釈後、松浦は千葉宅で何度か小室と会い話をしたが、そんな中で小室は、ピアノを弾きたいという希望を告げてきた。
逮捕以来楽器を弾く機会がなかったことはつらかったのだろう。
松浦は小室を、閉店後のavex経営のピアノのあるレストランに連れて行ったところ、小室は朝まで一心不乱にこのピアノを弾き続けた。
これ以後も小室は何度かそのピアノを弾きに行ったが、その様子を松浦は「骨董通りのピアニスト」と呼んだという。


松浦はピアノを弾く小室の姿を見て、一緒に音楽を作っていた頃のことを思い出し、改めて手助けをしようと思い、借金の肩代わりを決意したという。
松浦が小室の支援を当初から決めていたことは先に述べた通りで、金を出すことも想定していたはずだが、最終的な決断はこの時だったのだろう。
松浦は小室を信頼して、分割返済ではなく14年後の2023年に一括返済する条件で、借金を肩代わりすることにした。
小室はこれ以前にも別のツテを通じてSへの弁済金の肩代わりをしてくれる人を探していたが、結局松浦に頼ることになった。


松浦は第2回公判2日前の2009/3/10、2008年7月の合意条件に基づく和解金(詐取金5億円+慰謝料1億円)に遅延損害金4800万円を合わせた6億4800万円を、Sの口座に振り込んだ。
だが示談を申し込んだ松浦に対し、Sは誠意が足りないと言って応じなかった。
松浦は「誠意」とはどういうことか代理人を通じて聞いたところ、「お金だ」と言われてショックを受けたと、公判で証言している。
要するに、金を上乗せして気持ちを示せと言うことで、およそ堅気の世界の住人とは思えない要求だったが、松浦がこれに応じることはなかった。


Sの小室への敵意は止むことがなかった。
初公判の後には検察に手紙を送り、「第1回公判の感想ですが、当方は失望と怒りを覚えた。小室被告の服装もノーネクタイだし、あいまいな発言だった。本当に反省しているのか」と伝えたことが、検察によって明かされている。
服装のマナーや発言の曖昧さなどはどうとでも文句が付けられるものであるし、そのことをわざわざ検察に伝えることの意味も分からないが、小室を徹底的に追及して欲しいという感情だけは伝わってくる。


なお小室は第2回公判後にSに手紙を送っている。
その内容は、以下のようなものだった。

私が大きな過ちを犯したことで、多大なご迷惑をおかけしたことをおわびします。詐欺事件で大阪拘置所に入っていたときに、さまざまなことを考えました。大きな過ちを犯したと反省し、おわびの気持ちを表そうと思いました。一刻も早く謝罪しようと思いましたが、公判中でしたし、被害弁償することが第一と思って過ごしてきましたので、結果として、おわびがこの時期になってしまいました。
拘置所にいる間に考え直しました。当時は、本来の仕事である音楽活動の創作も減った状況でした。しかし、改めて、私には音楽活動しかないと認識しました。今までの生活を改めるのはもとより、生まれ変わりつもりで過ごし、許されるなら音楽で社会貢献していきたいです。
平成21年3月23日 小室哲哉


金を振り込んでも示談に応じてもらえなかったことを受け、改めて小室自ら謝罪したというところだろう。
謝罪文としては言葉が不足しているようにも感じるが、それだけに小室が自らの言葉で書いた文章であることがうかがわれる。
だがSはこれを受け取ることはなかった。
第3回公判の証人尋問でも、Sは小室の不実や自らが被った被害を訴えた上で、「小室さんの真人間としての復帰を第一に考え、厳正な判決をしてくれれば幸いです」と述べた。


ただSが述べた「被害」には、言いがかりとしか言えないものも少なくない。
たとえばavexの関連会社が運営している動画サイト(ニコニコ動画)に、自分に疑惑を向ける動画が投稿されたことを挙げて、松浦・千葉がその動画の公開に関わっていると主張したことなどは、完全に妄想というべきだろう。
そもそもニコニコ動画を運営するドワンゴはavexと資本業務提携をしているだけであり、「関連会社」というのは誇張である。
実際に判決に当たっても、この主張は「関与不明」として退けられた。
Sが正常な判断ができないほど感情的になっていたのか、あるいは裁判官に悪印象を与えるための意図的な批判だったのか、どちらかと考えざるを得ない。


なおSの証人尋問が終わった後、裁判官による被告人質問が行なわれる前に、杉田裁判長は気の利いた対応を行なった。
小室に対して、「せっかく(Sが)お忙しいなか来てくれているのだから、何か話したいことはありますか」と言って、Sと話す機会を与えたのである。


この日、Sの証人尋問の前に行なわれた小室への被告人質問で、小室が被害者に謝罪したいので、どうしたらよいのか考えていると述べる場面があった。
杉田はこれを踏まえて、小室に謝罪の機会を提供したのである。
小室はここで、本人に直接謝罪することができた(謝罪した既成事実を作ることができた)。


もっともSはこれで終わらせることは不本意だったようで、自ら「本当に久しぶりなので私の方からも話させてください」と言って、自らも発言を行なった。
その発言は以下のようなもので、要するに許さないから実刑を受けて来いということだった。

事件が起こり不思議と憎しみの感情がない。人としての優しさとか、私は友情を感じていましたが、今は裏切られて悲しい気持ちが大きい。保釈後の対応も感心できたものではない。優しさが精いっぱい感じられません。反省して刑を全うして真人間に戻ってください。それから音楽をつくっていただきたい。最後のチャンスだと思っていつの日かみんなに愛される、みんなを幸せにしてくれて社会貢献してほしい。


このように、小室は被害者の許しを得ることはできなかったものの、謝罪の意を裁判官の面前で示したことは、形式的ではあるが意味があることだっただろう。


以上の手続きを経た上で検察から示された求刑は、懲役5年の実刑だった。
巨額の詐欺事件を犯したこと自体は小室も認めており、この時の裁判の焦点は執行猶予を得られるか否かにあった。
木根を含む小室の関係者やファン6000人からは、減刑嘆願書も提出された。


小室にとって期待ができたのは、何と言っても詐取金や慰謝料を弁済したことである。
また今後の音楽活動における万全なサポート体制を確保していることも、有利な条件であった。
一方でSが小室を最後まで許さなかったという不利な条件もあったが、小室から謝罪の意を示すことができたことは、その不利を多少とも薄める効果があったと思われる。


以上3回の公判を踏まえた判決が大阪で言い渡されたのは、5/11のことだった。
通常の裁判では、量刑を伝える判決の主文を言い渡した上で、判決理由を述べる手順を取るが、この時杉田裁判長は主文言い渡しを後に回し、判決理由から述べる異例の形式を取った。
判決理由の読み上げでは、主犯が小室ではなく木村隆であることを認めた上で、

総じて見れば、犯行に至る経緯や動機をみても、多くの酌むべきものを見いだすことは困難である。

手口は著作権を悪用した狡猾なものだ。自己のネームバリューを利用しており、音楽家としての矜持すらかなぐり捨てている。自己がこれまで創作し続けた歌の数々を詐欺の道具に用い、果ては被害男性の信頼を取り戻すために歌を作ってプレゼントするなどは、長きにわたり人の心を打つ歌の数々を世に送り出してきた被告人の振るまいとして、あまりに嘆かわしい。


などと述べられた。
小室からすれば、時間とともに絶望が高まっていったに違いない。
実際に小室自身、この時は実刑を覚悟したと言っている。
ただ判決理由読み上げの後半になると、次第に雲行きが変わってくる。

被告人を師と仰ぐエイベックス・エンタテインメント社長の松浦勝人氏が、被告人になり代わり、慰謝料などを含めて総額6億4000万円を耳をそろえて支払っており、完璧に被害弁償を終えていることは特筆すべきものがある。なお、被害男性は共犯者(木村隆)からも1億2000万円を支払いを受けており、総額2億5000万円もの慰謝料を得ている。松浦社長らは、いわばエイベックスが丸抱えで被告人を更生させることを誓約しており、被告人の将来の更生に大きな期待を抱かせるものがある。

*以上は産経ニュースによるが、木村が支払った慰謝料は、後日行なわれた木村の裁判の判決では1億5000万円とされているので、上記の1億2000万円は1億5000万円の誤りかもしれない。なお松浦が立て替えた慰謝料は6億4800万円中1億円だから、木村が支払った慰謝料が1億5000万円ならば、総額は上にある2億5000万円に一致する。



さらに裁判長は、小室の真摯な反省およびSへの直接の謝罪などにも言及した上で、「被告人を懲役3年に処する。この判決確定の日から5年間、刑の執行を猶予する」という判決主文を読み上げた。
小室は望み通りに、執行猶予を獲得したのである。


この時の杉田裁判長は、小室への教育的指導の意味も込めて、実刑判決の可能性を脳裏によぎらせて反省させる形で、判決文を読み上げたのだろう。
その後の杉田の人間味あふれる発言の様子を、当時の産経ニュースの記事から抜粋しておく。
ここには書かれていないが、小室はこの言葉に対して涙声で「分かりました」と答えたという。

裁判長「執行猶予とは、5年間あなたの更生を見守るということです。二度とこういう、ばかなことをしないようにしてください。すべてを判決文に書き尽くしているので、新たに付け加えることはありませんが、初心に立ち返って愚直に生きてほしい。それでは被告人は退廷してください」

《小室被告は、杉田裁判長の一言一言に、小さく小刻みにうなずいた。傍聴席に向かって軽く一礼し、退廷する小室被告。扉の前まで進むと振り返り、あらためて裁判官に深く頭を下げ、法廷を後にした》


小室は法廷から退出して1時間後、大阪弁護士会館で記者会見を行なった。
小室は冒頭に謝罪の言葉を述べて深々と頭を下げ、記者からの質問を受け付けた。
最初に今の気持ちを聞かれた時は、「判決を心から真摯に受け止めて、これから人生を歩んでいきたいと思います」と述べた。


小室はこの後、記者からつるし上げにあうことを覚悟していたが、意外と「今後」のことを多く聞かれたので、ありがたく思ったという。
「ファンの皆さんの気持ちをこれ以上裏切ってはいけない。小室哲哉の音楽を一回でも好きになってよかったと今後思えるようにしなければと感じました」と述べたところでは、涙ぐむ場面も見られた。


小室はSに対してとともに、何十年も自分の曲を聴いてくれたファンに対しても、申し訳ないと思う気持ちを述べた。
その上でファンの気持ちや松浦・千葉の恩に報いるためにも、音楽活動で再起したいと語った。
この段階では必ずしも頭の整理はできていなかっただろうが、音楽を続けられることは本当に嬉しかったようで、「正直すごく働きたいです。ああ、これで音楽をやらしていただけるのか、働けるのか、というのが率直な気持ちです」という言葉などは、真実味を感じられる。


会見を終えた小室は、飛行機に乗って東京に向かった。
昨夜から一睡もしていなかったため、千葉宅に戻った後はベッドに倒れ込んだという。
検察が高裁に控訴する可能性はなお残っていたが、控訴期限日の5/25には検察が控訴の意向がないことを公表した(Sによる民事裁判ならば控訴されていただろうから、この場合は刑事だったのが幸いした)。
こうしてこの日の午後、小室の執行猶予付き有罪判決は決定を見たのである。
その数日後、小室はKCOとともに千葉宅から出て、仮住まいに引っ越した。


なお小室とともに起訴された木村隆については、なぜか裁判の開始が遅れ、初公判は2009/9/17のことだった。
Sは木村隆からは慰謝料を受け取り、示談に応じている。
主犯は木村だったのに、こちらは許すとは、なんとも不思議な話である。
裁判長は小室と同じく杉田が担当し、10/21に懲役2年6ヶ月、執行猶予4年の判決を言い渡した。
小室よりも刑が軽かったのは、示談成立によるものか。


小室は判決が出てから、減刑嘆願書を書いてくれた人々に礼状を出して感謝の意を伝えるとともに、avexの下で音楽制作の準備に取り掛かった。
avexとの間には専属契約を結び、7/13には初めて楽曲制作のためにスタジオに入った。


8/1には個人事務所a-nineを設立した。
社長の大竹登はavexの関係者で、千葉の親友だった。
もともと小室の世話をしていた人物でもあり、2008年の逮捕前にも小室と関わっていたことから、この人選になったものだろう。
小室の個人事務所Tribal Kickや小室の友人喜多村豊のTK Tracksに移していた著作権使用料取得権も、小室の元に戻された。


a-nineのaは、avexのイベント名a-nationと同様に、avexを意味するものと考えられる。
小室がavexの管理下で音楽活動を始めたことを象徴する事務所名でもあった。
nine(9)は設立年の2009年を意味しているが、a-nine(a9)で「A級」「永久」という語呂合わせも行なわれた。
さらに小室が好きなadd9というコードも意識していたという。


小室は保釈中の半年間、ピアノを弾くことはあっても、楽曲制作を行なうことのできる精神状態ではなかったが、ここにようやく音楽活動の構想を練りだした。
当初小室が提示したのは、a-nine feat. 〇〇の形でavexミュージシャンとのコラボ楽曲を50曲同時にリリースするというプランだった。
この計画は当時も無茶な印象を受けたし、実際に実現しなかったものの、avex所属のプロデューサー・ミュージシャンとして、avexを核に活動するという基本方針があったことがうかがうことができる。


小室によれば、判決後の早い時点で作曲の依頼があったという。
「My Revolution」「Get Wild」「Departures」を超える曲が欲しいという注文だった。
小室はこの依頼にプレッシャーを感じたが、これを引き受けた。


おそらくこれは、やしきたかじんの依頼である。
たかじんが小室に作曲の依頼をしたという報道が、2009/7/1に出ている(作詞は秋元康に依頼)。
「My Revolution」などを超える楽曲というハッパのかけ方も、いかにも大物の依頼の空気が漂っている。
たかじんはかつて小室を大っぴらに批判していたが、詐欺事件の経緯を見て、復帰への助け舟を出したものと考えられる。
これは2010/11/24に「その時の空」としてリリースされた。
カバー曲を除けば、12年ぶりのたかじんの新曲であり、また最後のシングルでもあった。
ただしたかじんの依頼の受諾は、年末まで公表されなかった。


8/1にはSONYが発売中止にしていたTM NETWORK「The Singles 2」を9/30にリリースすることを発表した。
5月末の小室の刑確定を受けて、6~7月にSONYで決定されたものと見られる。
小室の判決が確定したことで、メーカー側の自粛も次第に緩められていく方向に向かったらしい。


ただ過去音源のリリースと比べ、本人の活動の再開はさらにハードルが高かったはずである。
巨額詐欺という大事件を引き起こした後だけに、その活動に批判が寄せられることは目に見えており、小室の復活劇は慎重に進められた。
しかし長期間活動をしないのも、音楽家としての勘を鈍らせることになりかねない。
2009年後半の小室は早期の活動実現のために、世間の様子を見ながら活動を徐々に再開させていった。


その最初の狼煙となったのは、8/22に東京の味の素スタジアムで開催されたavex主催の夏フェス「a-nation ‘09」だった。
事前告知はなかったものの、この時サプライズゲストとして小室が出演したのである。
小室はピアノで「Departures」「Sweet 19 Blues」「Get Wild」「Seven Days War」などを披露した。
1年前にglobeとして出演した「a-nation ‘08」以来のステージだった。


その後小室は立ち上がり、38秒間もの間お辞儀した後、観客に向けて以下のように述べた。

小室哲哉です。大変ご迷惑をおかけしました。そして、心配も沢山かけました。こうやってステージで弾けるような環境を作ってくれたavex、a-nationに感謝します。ありがとう。そして、ピアノに耳を傾けてくれたファンの皆さん、a-nationのファンの皆さん、本当にありがとうございます。


小室の発言が終わると、KCOとMarc Pantherがステージに現れる。
ここで再集結したglobeの3人で演奏が始まった。
1曲目「Face」は、歌詞で気持ちを伝えようとしたものだろうか。

反省は毎日で 悔やまれることが多すぎて
青春が消えていく でも情熱はいつまでつづくの
少しくらいはきっと訳にはたってる でもときどき自分の生きがいが消えてく
泣いてたり吠えてたりかみついたりして そんなんばかりが女じゃない


2曲目「Many Classic Moments」「Face」と比べると知名度が落ちるが、この頃の小室や松浦が傑作として評価していたことにより選ばれたのだろう。
またこの曲も、歌詞で気持ちを伝えようとしたものかもしれない。

ちょっと今から思えば 不思議で変で懐かしいかな 
病んでいたもんね 心とか体とかじゃなく立っていたポジションが

今からでも遅くないかな 今からでも歩けるかな 今からでもつくれるかな


globeは以上2曲の演奏を終えると、3人でお辞儀をして退場した。
小室はその後のTRFのステージでも呼び出されて、最後の「survival dAnce」でキーボードを演奏した。
TRFと小室のステージ上での共演は、何年ぶりのことだっただろうか。
YUKIは涙声でこの曲を歌いあげ、SAMは小室の肩を抱いて、一緒にステージに上がれたことを喜んだ。

7-43.png

小室はさらに8/30に大阪長居スタジアムで開催された「a-nation ‘09」最終公演にもゲスト出演した。
この時もピアノソロとglobeの演奏を披露した。


「a-nation」の小室出演は、小室の復帰を象徴するものだった。
浅倉大介はおそらくこのこと事前に知っていたと見え、「a-nation」東京公演と同日にお台場潮風公園で開催されたガンダムイベント「DA METAVERSE 'n' GUNDAM」で、DJとしてTMの「Beyond The Time」をトランスバージョンにして流したという。
それまで、さぞかし小室を心配していたに違いない。


小室が「a-nation」東京公演で復帰を果たすと、avexは終演とともに会場で、小室逮捕後停止していたglobe楽曲の配信を再開することを告知した。
2008年11月リリース予定だったglobe版「Get Wild」も、配信が始まった。
なお東京公演の小室・globeの様子は、avexが運営する携帯電話向けサービスBeeTVで独占配信された。


こうして小室は判決後3ヶ月で、2009年8月に復帰を果たした。
もちろんこれには早すぎるという批判が寄せられる可能性もあった。
avexもその可能性を考え、自ら主宰するイベントでのサプライズゲストという扱いで復帰させたと考えられる。
ただし数万人規模の会場は復帰宣言の舞台としては最良であり、よくできた復帰プランでもあった。


実際にはメディアでもこの復帰はおおむね好意的にとらえられた。
おそらくavexは、「a-nation」後の世間の反応をうかがった上で、小室の復帰を進めることができると判断したのだろう。
9/16には幻冬舎から、小室のエッセイ「罪と音楽」が刊行された。
この本は8月にはすでに刊行準備が整っていたはずだが、刊行は発売日直前になって発表され、宣伝はまったく行なわれなかった。
批判的な意見が噴出するのを避けるためだろうが、avexがいかに慎重にことを運ぼうとしていたかうかがわれる。


小室は本書で自ら事件に至る経緯を語るとともに、これまでの音楽活動を振り返り、最後にはa-nineを拠点とした今後の構想にも言及している。
自らの起こした事件について説明を行なって、すべての過ちを洗いざらいさらすことによって、次の活動に進むステップとしようとしたものと考えられる。


本書の刊行に当たっては、小室がワイドショーのインタビューに応じた(9/16「とくダネ!」など)。
これが逮捕後初の小室のTV出演となる。
9/23には銀座の福家書店、9/26には有楽町の三省堂書店で、小室のサイン会が開かれた。
そこでも小室は、改めてメディアの取材に応じるとともに、来場したファンに対しても一人一人言葉を交わして、再起の気持ちを伝えた。
サインも新しいものに変わったが、これも気持ちを一新したことを示したものだろう。


11/13には、新木場ageHaで開催されたavex主催のクラブイベント「HOUSE NATION Fiesta」に出演した。
この時はサプライズゲストではなく、事前に出演が告知されている。
小室の音楽活動のハードルも、次第に下がってきたということだろう。


小室は深夜に登場し、ライブとDJプレイを組み合わせたパフォーマンスを披露した。
おそらくDJ TK時代も同様のパフォーマンスだったのだろうが、この形態は2010年以後にも受け継がれる。
時間は45分程度で、プレイ楽曲は「Speed TK-Remix」「Self Control」「Love Again」「Wow War Tonight」「Many Classic Moments」などだった。


なおこの時は鈴木亜美(もと鈴木あみ)もDJとして出演し、最後は自ら「Be Together」を歌った。
小室と直接話すことがあったかは不明だが、小室・亜美が久しぶりに同じ会場に現れた日だった。


その他、avex関連の仕事では、12月某日に音楽講座「avex artist academy」で、ゲスト講師として講義を行なっている。
尚美学園の授業体験も生かされただろう。


これまで小室は、記者会見、「a-nation」「罪と音楽」、サイン会などで、何度も謝罪の意を示しながら、新たな活動を行なうための地ならしを続けてきた。
この流れの最後に位置するのが、12/20放送のフジテレビ「芸能界の告白特別編」への出演である。
この番組では小室哲哉をゲストに迎え、1時間以上の時間をかけて事件の経緯を追った。


番組は「罪と音楽」の筋書きに沿って小室の行なってきたことを明らかにし、小室自身も反省の弁を何度も述べた。
松浦勝人のコメント映像も流されたが、かつての小室の不義理を非難するなど、必ずしも全面的に擁護していなかった。


もちろん小室の反省や小室への非難だけがこの番組の目的ではない。
それを踏まえた上で、小室は音楽の仕事を続けていきたいと強く訴えたのである。
松浦も最終的には、小室にいつまでもクリエイターでい続けて、良い曲を書いてもらいたいと述べている。
要するに小室・avex側の意図は、過去の過ちを認めて反省するから、音楽活動を再開したいという意志を、番組を通じて世間の人々に伝えることだった。


司会のみのもんたも最後には小室に激励の言葉をかけた。
番組の締めくくりは、小室の「Feel Like Dance」「Wow War Tonight」のピアノ演奏だった。
あくまでも小室の音楽家としての印象を残す番組構成だった。


この年末の特番を持って、小室のミソギ期間は終わったと考えられる。
番組放送の翌週、12/26には、小室が先述のやしきたかじんの作曲依頼を引き受けたことが公表された。
さらに年が明けて2010年になると、avexは小室の音楽活動の予定を次々と発表するようになる。


逮捕と有罪判決という大きな代償を払いつつ、小室はグレート・リセットを行なって環境を一新した。
小室の音楽活動は、ここに新しい段階に入った。
そしてTM NETWORKの次の活動も、その中で実現することになるのである。

罪と音楽 - 小室 哲哉
罪と音楽 - 小室 哲哉

7-42 25周年の関連商品群

7/2、小室さんが新しいサービスを始めました。
TETSUYA KOMURO STUDIOというそうです。
faniconというサイトで運用されている有料コミュニティで、STANDARDコースが3ヶ月1500円、GOLDコースが3ヶ月9000円です。
1年コースもあり、こちらを選ぶと1割引きになります。


サービス内容は、毎週金曜日21時からのプライベートスタジオからの定期配信、不定期の会員限定ライブ配信、オフショットなコンテンツ(プライベートの写真?)や本人からのメッセージの掲載、会員限定のグループチャットなどです。
金曜日の定期配信と不定期ライブ配信が、実質的な活動内容というところでしょう。
すでに皆さんが忘れ去っていたであろう有料配信番組GroundTKは、本サービスの開始とともに、事実上の終了と見て良いと思います。


なおGOLD会員のみ、配信のアーカイブ動画を見ることができます。
またGOLD会員は、デジタルファンレターを送ることができるそうですが、小室さんの返信は特にないとのことです。


小室さん、一時期Clubhouseに積極的に出入りしていましたが、ファンのみに囲まれた閉じた仮想空間が気に入ったのでしょうか。
おそらく世間に向けて大々的な活動をする自信はまだないのかなと思います。
私は興味ないのでスルーしますが、ファンの方は小室さんを応援する意味で入会しても良いかと思います。
(ただし1年コースに入っても、サービスが1年続くかは未知数ですが)


なおサービスが発足した7/2、小室さんの新曲「TK PROGRESSIVE JAZZ 0702」の音源ファイルが、客寄せのためにコミュニティ内に置かれていることが、公式twitterによって宣伝されています。
先の「Running To Horizon (206 Mix)」みたいなジャズぽいピアノが入っているんでしょうか。


第1回の配信は、7/9に行なわれました。
話の聞き役として、藤井徹貫もいたようです。
私は視聴していないのですが、twitterで流れている情報などを見るに、今後毎週1曲は生演奏をするそうで、第1回は「Faces Places」だったようです。
また次回はゲストとして木根さんも来るとのことです。


7/21の19:00からは、YOSHIKIのYOSHIKI CHANNEL(youtube・ニコ生)に小室さんが出演して、対談を行なうそうです。
紹介記事にも書いていますが、小室さんが同チャンネルに出演するのは2回目、5年7ヶ月ぶりとなります。


7/5には、ウツの「それゆけ歌酔曲!!」の最終公演が終わりました。
次は9月からソロツアーとなりますが、今回は間隔が短いですね。
まだツアータイトルも出ていないけど。


7/11には、木根さんが配信ライブ「3 Songs Of My Favorites #18」行ないます。
「3 Songs Of My Favories」は、丸山圭子さんという方の企画で、去年から隔週くらいでやっているようです。


ライブの内容は、今一番歌いたい曲・リクエストの多い曲・影響を受けた曲をそれぞれ1曲ずつ歌うというものだそうです。
木根さんのサイトでは、「TM NETWORKのあの曲や、フォークソング、そして木根ソロ曲も久しぶりに演奏」とあるので、多分歌いたい曲=木根ソロ、リクエストの多い曲=TM、影響を受けた曲=フォーク(吉田拓郎?)を演奏するのでしょう。


値段は1500円で、安いと思いましたが、3曲しかやらないならそんなもんですよね。
時間は30分です。
本番を見逃しても、2週間アーカイブが見られるそうです。


それでは本題に入ります。

---------------------------
2008年末から始まるはずだったTM25周年の企画は、小室哲哉の逮捕によって結局実現しなかった。
しかし25周年と関わる企画は、これ以前からSONYも考えていたらしい。
その大部分は日の目を見ずに封印されたと考えられるが、まったくゼロになったわけでもなかった。


2007年年始、SONYは「RESTORATION OF ORIGINAL ALBUM」と題する特設サイトを開き、過去のオリジナルアルバムの紙ジャケット盤リリースの告知を行なった。
2004年には20周年企画と絡むDOUBLE-DECADE.COMのサイトがSONYによって開設されたが、これとは別のサイトが立ち上げられたのである。


注目したいのは、この特設サイトで、「来年2008年はTM NETWORKの25th Anniversary Yearが始まります」 「この商品を起点とし、随時Anniversary Yearに相応しい企画を提案していく予定です」と告知されたことである。
SONYは早くもこの段階で、TM25周年が2009年ではなく2008年から始まると明言したが、これは前章で見た2008年前半のTMメンバーの発言と軌を一にしている。
仮にSONY側の単独の企画ならば、あえて2008年からを25周年とする可能性は低く、TMサイドから25周年の活動予定が伝えられていたと見るべきだろう。


この後SONYがリリースした商品を見るに、「Spin Off from TM 2007」開催中の2007/3/21に紙ジャケアルバム、「SPEEDWAY and TK Hits!!」終演直後の5/28に「TM NETWORK The Singles 1」がリリースされ、「TM NETWORK The Singles 2」は当初2008年10月リリースの予定だったが、globeによる「Get Wild」カバーが11/26に決まると、それと同日のリリースとなった。
こうした現象が起こるのは、両者間の情報共有が前提にあったためと見るべきである。


紙ジャケットアルバムリリースの企画の立案や特設サイト作成の時間を考えれば、TMサイドからSONYへの情報伝達は、2006年11月頃には遡るだろう。
つまり2006年11月頃には、2008年からTM25周年企画を開催するプランが存在したことになる。
2007年11月の「楽器フェア」でのTM復活を前提に企画されたと思しき「Spin Off from TM 2007」の開催告知は2006年11月に行なわれたが、その頃にはTM25周年企画までのスケジュールの大枠は、だいたい決まっていたことになる。


なおウツ・木根がTM25周年を意識した発言を「楽器フェア」出演告知以前(2007年前半)からしていたことは、以前触れたことがある。
これは一見すると早すぎるようにも感じられるが、上記SONYの対応を見ても、やはり25周年企画はかなり早い段階から構想されていたと見るべきである。
25周年企画は、かなり入念かつ慎重に進められていたのである。


25周年に向けて企画されたSONYの便乗商品群を見てみよう。
まず開設当初に発表されたのは、「DRESS」までのオリジナルアルバム・リミックスアルバム8枚の紙ジャケットリマスター盤のリリースだった。
紙ジャケ・リマスター盤という形態は、2004年の紙ジャケアルバムBOX「World Heritage」と同じである(ただしリマスリングは新たに施された)。
これらは2007/3/21にリリースされた。


紙ジャケ盤アルバムのコンセプトは、LPレコードの復刻だった。
そのため「DRESS」以前にCDのみでリリースされたベスト盤「Gift for Fanks」のリリースはなかった。
ただし「Gift for Fanks」については、「TM NETWORK -REMASTER-」開催中の2007/11/21に、DVDとの同梱盤CDがリリースされている。
(DVDは「Get Wild」「Self Control」のPVを収録)


TMN期の「Rhythm Red」「EXPO」も、当時LPのリリースがなかったため、紙ジャケ盤企画に入らなかった。
ただこの企画は、所詮「World Heritage」収録ディスクのバラ売企画に過ぎない。
そこでオリジナルアルバムの「Rhythm Red」「EXPO」を外したのは、問題だったと思う。
「DRESS」「Gift for Fanks」等よりもはるかに重要な作品である)
2014年にSONYがTM楽曲のハイレゾ音源配信を行なった時も、この2枚はなぜか外された。
TMN期だけ売れないということはないと思うのだが…


2007年紙ジャケ盤では、「World Heritage」では復刻されなかったLP盤のインナーと帯・ステッカーが封入され、またCDのレーベル面にはオリジナルLPのデザインが印刷された。
さらに8枚全部を購入すると、「FANKS!」ロゴ入りの特製Tシャツがもらえた。
だがこれら特典はどれもこれも枝葉末節に過ぎない。
わずかに注目されるのは、CDとLPで曲順が違ったの「CAROL」が、LPに準じた曲順にされたことくらいである。
いかにも25周年特設サイトを始めるに当たり、間に合わせで作った企画というべきものだろう。


その後企画されたのが、2008年の「TM NETWORK The Singles 1・2」である。
EPIC/SONY時代のシングル曲を2枚に分けてリリースしたものである。
本来は5/28に「The Singles 1」がリリースされた後、11/26には「The Singles 2」がリリースされる予定だったが、後者は11/4の小室逮捕によって即日中止となった。
だが2009年に裁判が終わり、5月に執行猶予付き有罪判決が確定すると、後者も9/30に発売された。


ジャケットは同様のデザインで、手袋がそれぞれ1本、2本の指を立てている。
色違いで、「1」は黄色地に赤手袋、「2」は黒地に青手袋だった。
背景には「ONE」「TWO」と書かれている。
ライナーには各楽曲に関するメンバーの簡単なコメントも付いていた。

7-42.jpg
ライナー裏表紙の謎のキモキャラ。
ファンの間ですら話題にならなかった。


収録曲は、「The Singles 1」「金曜日のライオン」から「Seven Days War」まで、「The Singles 2」「Come On Everybody」から「Nights of the Knife」となっている。
同様の企画としては、すでに1996年の「Time Capsule」があり、この時にシングルを改めてまとめる意味はほとんどなかった。
シングル音源が全曲リマスタリングされたのは初めてなので、こだわりのあるファンにはそこに価値を見出す者もいるだろうが、大したアピールポイントでもない。


「The Singles 1」については、「Beyond The Time」がカットアウトするCDバージョンではなく、途中でフェードアウトするシングルレコードのバージョンが収録された。
また1999年の鈴木あみのカヴァーでヒットした「Be Together」も収録されているが、「The Singles」というタイトルからすると、違和感もぬぐえない。
(一応1999年版の12インチシングル「Get Wild」のカップリングにはなったが)


「Rhythm Red Beat Black version 2.0」は、「Time Capsule」には短縮バージョンで収録されたが、「The Singles 2」ではオリジナル音源で聞くことができるので、その点は数少ない注目点である(後述の「Original Singles」では収録すらされていない)。
ただし「Rhythm Red Beat Black version 2.0」のリマスター音源自体は、「World Heritage」収録の「TMN Red」で聴くことができるので、これを持っている者にはさほど価値があるものではない。


以上のシングル音源については、相当の音源マニアを除き、購入する価値はないと断言できる。
2012年にTrue Kiss Disc時代(1999年)の作品やカップリング音源を含む「TM NETWORK Original Singles」がリリースされた今となってはなおさらである。


ところが「The Singles」は通常盤と別に、ボーナスディスクを付した2枚組の限定版があり、そこには初商品化の初期ライブ音源や未商品化テイクが収録された。
通常盤は税抜き2400円、限定版は税抜き3000円だった。
もしも購入する意味があるとすれば、後者の限定版である。


特に注目されるのは「The Singles 1」である。
収録曲中、シングルのカップリングである「1974 (Children’s Live Mix)」「Your Song (Special Instrumental Disco Mix)」「Self Control(Version The “Budohkan”)」「Welcome to the Fanks!」「Come on Let’s Dance (The Saint Mix)」「TMN Red」にすでに収録されていたもので、ほとんど価値はない。


だが本ディスクには、その他に1984/12/5Parco Part Ⅲの「Electric Prophet」から3テイク、1985/10/30日本青年館の「Dragon The Festival Tour」から3テイクのライブ音源が収録された。
その多くは当時の初公開音源であり、貴重なものだった。


まず「Electric Prophet」「永遠のパスポート」は、スタジオ音源制作以前のアレンジであり、歌詞も「Childhood’s End」収録のものとはまったく異なる貴重なテイクである。
これは2021年現在で、このCDでしか聞くことのできない貴重な音源である。


同ライブからは他に「金曜日のライオン」「Electric Prophet」も収録されるが、これはライブ映像が「Vision Festival」に収録済であり、マスタリングの違いを確認する以外に価値はない。
なぜこれを収録したのか、当時の担当者に問い詰めたい思いである。
私が担当ならば、絶対に「17 to 19」「Time Machine」を選んだところである。


「Dragon The Festival Tour」からは、「Dragon The Festival」「カリビアーナ・ハイ」「Rainbow Rainbow」が選ばれた。
これはライブ冒頭の3曲でもあり、当時の勢いを感じることができる。
ただ「カリビアーナ・ハイ」のトラックに「Rainbow Rainbow」のイントロが入っているのは、製作者に猛省を促したいところである。


「Dragon The Festival Tour」の完全版映像が2019年の「TM NETWORK THE VIDEOS」で得られた今となっては、これらの音源はすでに価値がない。
だが「The Singles 1」リリース当時、本ツアーの映像で商品化されたものは断片的なものしかなく、音源も「Groove Gear」収録の「パノラマジック」1曲しか存在しなかったので、本ツアーからは何が出ても貴重な状態だった。
当時の私は、契約の問題でSONY時代の未商品化音源・映像の発表が不可能である可能性すら疑っていたので、上記のライブ音源を聴けたこと以上に、今後新たなライブ音源が出る可能性があるという事実に歓喜したものである。


「The Singles 2」の特典ディスクについては、私はこの流れでアルバム未収録カップリング曲と未発表ライブ音源が来るものと疑っていなかった。
その場合は1986年の「Fanks Dyna-Mix」が来る可能性を考え、楽しみにしていた。
しかし実際にはその期待は実現しなかった。


具体的な収録内容を見るに、「Time (Passes So Slowly)」「Fool On The Planet (Where Are You Now)」「We love the EARTH」「Dreams of Christmas(’91 NY Mix)」「一途な恋(Another Material)」の5テイクはすべて「Welcome to the Fanks!」に収録済のものであり、他の3テイクが新規音源となる。


一つは「Dive Into Your Body (Dub Instrumental Mix)」で、シングル「Dive Into Your Body」購入者向けプレゼント用12inchレコードのB面に収録されていたものである。
この12inchのA面に収録されていた「Dive Into Your Body (12’’ Club Mix)」「Welcome to the Fanks!」でCD化されていたが、「Dub Instrumental Mix」はこれが唯一のCD音源となる。
既発表音源ではあったが、意味のあるものだろう。


「Crazy For You (Instrumental)」は、ウツと女性のセリフを除いたバックトラックである(伊集院光の笑い声や男性・女性のボーカルは残っている)。
これはまったくの新出音源であり、欲しかったファンも多かったと思う。
ただ上記のいずれも、3000円2枚組アルバムの特典としてそこまで魅力的かと言われると、いかにもファンを舐めたレコード会社の撒いたエサという印象がぬぐえない。


最後は「Just One Victory (Long No Breakdown)」である。
この謎のミックス名は、2番の後に入る「Chase in Labyrinth」のフレーズにボーカルが入っていないことと、アルバムバージョンに準じてカットアウトで終わっていることによる(シングルは途中でフェードアウト)。
要するに「フェイドアウトしないので長くて、他曲による中断がない」ということだが、なんとも投げやりな命名である。


「Chase in Labyrinth」のボーカルが入っていないのは、ミックス過程で作られた試作音源の一つだからであろうが、商品化音源で除かれた音が入っているのならばともかく、商品化音源に入っている音が除かれている音源に何の意味があるのかまったく分からない。
それならば「Chase in Labyrinth」のインストを入れた方が、よほどましだっただろう。
シングルのミックスでカットアウトしている音源も、「Classsix 2」「Just One Victory (Single 7’ Version)」としてすでにリリースされている。
こんなものを入れるくらいならば、「EXPO」用に作られていた「Wild Heaven」の音源などを収録できなかったのだろうか。


上記2商品は、それぞれ30位・9932枚、39位・4233枚の成績を出した。
TMが稼働していてそれなりに盛り上がっていた時期と、小室逮捕後でTMの先が見えていなかった時期の差が、如実に表れた数字だが、特典音源の魅力の差もいくらか反映されているのかもしれない。
なおTM再始動直後の2012年にリリースされた「Original Singles」は、26位・7158枚だったから、「The Singles 1」はそれよりも売れたことになる。
だが2004年の「Welcome to the Fanks!」の18位・2.9万枚と比べると、雲泥の差である。


ちなみにファン向けではなくライトユーザー向けの商品だったためか、25周年企画サイトでも取り上げられなかったが、2008/7/2には「TM NETWORK BEST OF BEST」、2008/7/20には「TM NETWORK SUPER BEST」が、SONYからリリースされた。
ジャケットはTMN「終了」の時の3人の写真である。
内容は「金曜日のライオン」から「Wild Heaven」までのシングル曲からTMの代表的な曲を選んだもので、前者は12曲入りで1600円(税抜き)、後者はこれに4曲を加えて1905円(税抜き)である。
特筆すべきことは何もない。


TM中心の企画ではないが、「POP meet JAZZ」にも触れておく。
これはFence of Defenseの西村麻聡が中心になって制作したオムニバスアルバムで、日本のポップス楽曲をJAZZ風にアレンジしたものを集めたものである。
西村は2006/2/5から同名のライブイベントを定期的に開催しており、その実績を踏まえて2007/11/24にリリースされた。
木根はライブイベント初回のゲストだったが、ウツも出演したことがあるのか否かは未確認である。


本作には2曲のTM楽曲が含まれ、「Self Control」ではウツが、「Time Passed Me By」では木根がボーカルを担当した。
西村自身もFenceの「時の河」でボーカルを務めた他、田村直美・織田哲郎・ROLLYなど様々なミュージシャンが参加している。
一つのグループから複数が参加したのはTMのみである。


最後にTM名義の作品ではないが、この頃に集中的にリリースされたトリビュートアルバムについて触れよう。
「The Singles 1」リリースの翌週、2008/6/4に、AsianDynasty Recordというクラブ系の音楽を扱うレーベルから、「I LOVE TM NETWORK」というトリビュートアルバムがリリースされた。
これを制作したKei KoharaとLifeはDJで、RECOという女性ボーカルを迎えてTM曲をハウスアレンジした。
ウツと木根は2003~07年にtribute LIVEという形で自らTMをトリビュートという微妙な企画を行なってきたが、TMが25周年に向けて動き出したこの頃になって、ようやく真の意味でのトリビュート企画が行なわれたことになる。


7/30にはウェブ上で、「YOU LOVE TM NETWORK」という企画が立ち上げられた。
ヤマハの音楽配信サイトMySoundにTM楽曲のリミックス音源をアップロードすると、審査員が審査を行ない、優秀作品に賞を与えるというものである。
2017年の「Get Wild Song Mafia」リリースと連動して企画された「あなたの「Get Wild」リミックスコンテスト」と同様の企画である。


締切は8/27、審査結果発表は9/17とされ、最終的には341件の応募があった。
当時は盛り上がっていなかった印象だったが、「あなたの「Get Wild」リミックスコンテスト」も応募件数は621件だから、その半分以上に及んでいることになり、参加者はそれなりにいたと見られる。


審査員はKei Kohara、Life、Toshihiro Komine(AsianDynasty主催者)などである。
さらに「TM NETWORKコンサート事務局」も審査に加わったが、これはM-tresの関係者だろう。
Kei Kohara側が主導した企画だったと思われるが、この段階ではTM側も協力に応じていたようである。
25周年を盛り上げる一企画になれば良いとの思いからだろう。
なおKei Koharaは、自らのサイトにTM NETWORKトリビュート特設ページも開設している。


TM25周年記念日の翌日2009/4/22には、「WE LOVE TM NETWORK」がリリースされた。
小室の逮捕にもかかわらず企画を遂行できたのは、大手レーベルではなかったことの強みもあったのだろう。
アレンジャーにはKei Koharaの他にportableという人物も参加した。


portableは、2008年にニコニコ動画上に、TM NETWORKの楽曲と吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」をマッシュアップさせた動画を公開した人物である。
2008/4/28から6/21にかけて「俺らゲットワイルだ’89」「IKUZO THE FESTIVAL」「19zo74」「Just One Vecotory」「Telephone Lineもねぇ」「テレビもNightsラジオもKnife」などが公開されている。


この少し前、ニコニコ動画でPerfume「ポリリズム」「俺ら東京さ行ぐだ」をマッシュアップした「ポリ幾三」の動画が流行り、同様の試みを行なう者が続出した。
その中でも特に多くの視聴者を集めたのが「Get Wild '89」を用いた「俺らゲットワイルだ’89」で、本家「ポリ幾三」以上の再生回数を記録した。
パロディとはいえ、過去の作品がウェブで改めて注目を集めたことは、いかにも新しい時代の出来事だった。


「WE LOVE TM NETWORK」のライナーには、TMのコメントも寄せられた
その全文は確認していないが、特設ページ掲載する抜粋文には、「まるでサプライズなプレゼントをもらったみたいです。嬉しい。このアルバムは、J-POPにも継承や連鎖が生まれた証言者です。We want to call new yesterday tomorrow.」とある。
変な英文を最後に付ける当たり徹貫の作文だろうが、TMサイドも公式に認めていたものということになるだろう。


2010/4/21にはトリビュート第3段企画として、「TM NETWORK Tribute "CLUB COLOSSEUM"」がリリースされた。
架空のライブ空間というコンセプトで制作された「TMN Colosseum」を踏まえ、架空のクラブイベント「クラブコロシアム」というコンセプトで制作されたものだった。
本作でもKei Koharaとportableが関与したが、他のアレンジャーも参加している。


他に特殊な世界ではあるが、8-Bitサウンドとボーカロイドによるトリビュートアルバム「8-bit Prophet -TM Network Tribute Generated by Chiptune + Vocaloid-」が、2009/6/3にリリースされた。
確かに8-bitサウンドは、TMとは相性が良いかもしれない。
2011/12/21には、TM楽曲をエレクトロ風にアレンジした「TM NETWORK IN THE HOUSE」という作品も発売されている。
小室の「Mademoiselle Mozart」収録のインスト曲「Mozart in the House」を踏まえたタイトルだろうか。


以上、TM25周年との絡みでリリースされた作品群を取り上げてみた。
おそらく当初の予定通りに25周年企画が遂行されていれば、これよりも多くのリリースがあったのだろう。
未公開ライブ映像の公開もあり得たのかもしれないと思うと残念な限りである。
だが30周年の時でも「Camp Fanks!! '89」の再編集映像(「CAROL Deluxe Edition」)くらいしか出なかったので、今思うと多分関係なかったのだろうとも思う。

TM NETWORK THE SINGLES 1(初回生産限定盤) - TM NETWORK
TM NETWORK THE SINGLES 1(初回生産限定盤) - TM NETWORK

7-41 25周年への道

5/25からウツの「それゆけ歌酔曲!!」が始まりました。
すでにツアーは後半に入っています。


6/14にはFC会報が発送され、秋のツアーが発表されました
9/25~11/21の2ヶ月で13公演です。
多分後日東京の追加公演も発表されると思います。


ツアータイトル等は未発表ですが、最近「宇都宮隆のソロ名義での25周年」(T.UTUとかBOYO-BOZOはノーカウント)とか言っているので、そういうコンセプトで行くんでしょうか。
TM〇〇周年、T.UTU〇〇周年、宇都宮隆名義〇〇周年、U_WAVE〇〇周年…
毎年なんかの記念日にできそうな感じですね。
ウツ自身は〇〇周年とかは気にしていない風ではあるんですが。


小室さんは6/11に愛知の遊園地ラグナシアで開催されたイベント「森、道、市場 2021」の「遊園地編」に、坂本美雨+小室哲哉名義で出演しました。
こちら、今まで完全に見落としており、事前にブログでは言及しておりませんでした。


今回の出演のきっかけは美雨さんからの声掛けだったようで、美雨さんのInstagramに、以下のようにあります。

一緒に出ませんか、と小室さんに連絡をして、すぐに「いいよ」と返事をくださった時から、忘れがたい夜になる、という確信と、わー!責任重大だー!というきもち、両方がぐるぐるしていました。


ラジオの件でも、玉置浩二さんの番組の件でも、最近の小室さんは美雨さんに引っ張ってもらっている感があります。
美雨さん、音楽活動の本格的再開のきっかけを作ろうとして下さっているんでしょう。
大変ありがたいことです。本当によろしくお願いします(誰に言っている?)。
演奏曲は、「Never Ending Story」「Still Love Her」「Canʼt Stop Fallin' In Love」「NEVER END」「Iʼm Proud」「Get Wild」6曲だったそうです。


今回はギターに西田修太さん、ベースにクラムボンのミトさんも参加しました。
mitoさんは2月のニコ生特番「Tetsuya Komuro Music Festival」で小室さんに熱いファンアピールを繰り広げたことも記憶に新しいです。
当日のMCによれば、美雨さんとFANKS仲間とのことで、その縁で誘われたそうです。(しーまねさんの情報による)
西田さんの縁はよく分からないですが、ミトさんは西田さんと初共演だったらしいので、やはり美雨さんの縁でしょう。


以上が近況の整理でした。
では本題に入ります。

---------------------------------
TM NETWORKの全国ツアー「TM NETWORK play SPEEDWAY and TK Hits!!」は、2008/5/25に最終公演を迎えた。
TMはこの時点では、その後の活動予定の告知を行なっていなかった。


だがウツと木根は、「楽器フェア」(2007年11月)の出演告知を行なった2007年6月よりも前から、すでに25周年の活動を意識した発言をしていた。
2007年後半以後の一連のTMの活動も、25周年を見据えたものだったと考えられる。


「楽器フェア」開催以前のウツ・木根の発言については以前見たところなので、以下では「TM NETWORK -REMASTER-」を終えた2007年12月以後の発言を確認してみよう。


まず「SPEEDWAY」リリース日の2007/12/5、木根はラジオ番組「My Home Town」で、「REMASTER」が首都圏のみで行なわれたので地方でもライブを行なって欲しいというファンのメッセージを読み上げた。
この時木根は、「REMASTER」はTM25周年に向けたリハビリとした上で、全国ツアーは25周年まで待ってほしいという発言している。
ラジオ収録はおそらく「REMASTER」最終公演が行なわれた12/3の後だろう。


実際にはこの翌月に全国ツアー「SPEEDWAY and TK Hits!!」の開催告知が行なわれており、この時点でもその計画は存在したはずである。
木根がこの時に地方公演を求める声を紹介したのは、むしろファンの地方公演への期待を高めることで、まだ実現未定だった「SPEEDWAY and TK Hits!!」の後押しとしようとしたものだったと考えられる。


その上でここで確認したいのは、「REMASTER」までの活動は25周年に向けてのリハビリである、という位置づけである。
木根から見ても2004年以後のTMは、満足に動くことすら危うい状態であり、それこそリハビリが必要な状態と感じられていた。
一方で25周年の活動は必ず遂行すべきプランとして意識されており、そのための準備期間として「REMASTER」前後の活動は位置付けられていた。


2008年3~5月には「SPEEDWAY and TK Hits!!」が開催されたが、その後に見据えられていたのがTM25周年であることは明らかだった。
たとえば3/27・28のツアー会場(YOKOHAMA Blitz)の楽屋で収録されたと思しきTMのコメントでは、木根が「私たちも実は来年、25周年ていうことで」「TM NETWORKも25周年に向けて、4月5月とね、全国を回ったりします」などと発言している。
「What’s in?」創刊20周年記念コメント動画)


この頃TMがテレビ番組で演奏したものとして、2008/4/21「SMAP×SMAP」があった。
この番組ではこの時に「名曲歌謡祭」なる特集企画が組まれたが、その1曲目でTMが登場し、「Get Wild」を演奏した。
特に言及はなかったが、TMデビュー記念日の放送だった(ただし番組の収録は4/3)。


この時は一瞬TMに宣伝の時間が与えられたが、その時にPRされたのは、開催中の「SPEEDWAY and TK Hits!!」でも発売直後の「REMASTER」のDVDでもなく、「来年は25周年なんで、それに向けて」という木根の発言に見るように、25周年の活動だった(ツアー情報は一応字幕で出たが)。
当時は何故ツアーをアピールしないのか不可解だったが、3人としては目下のツアーよりは、その後に予定している25周年の活動こそが本丸と考えられていたのだろう。

7-41.jpg
「来年は25周年なんで」


なおこの時の「Get Wild」のイントロでは、サンプリングボイス連打からオリジナルのイントロにつなげる、「SPEEDWAY and TK Hits!!」と同様のアレンジが見られた。
イントロは大幅に短縮され、ドラムはシンセ、アウトロはこの時の独自のものになっており、ツアーアレンジそのものではないものの、この時期の「Get Wild」の音源・映像は商品化されていないので貴重である。
2番では木村拓也がウツと合唱をした。
TMファンとしては余計な演出だが、この頃になるとTMはこうした特集以外でTV出演の機会がなくなってしまう。


話が横道に逸れたが、TM25周年企画は2008年前半にも言及されていた。
だが実際には25周年企画は、具体的な告知が行なわれる前に中止されてしまった。
言うまでもなく、2008/11/4の小室哲哉の逮捕によるものである。
ただ本格的に動き出してから逮捕された方がダメージは大きかっただろうから、これはこれで最悪の事態が回避できたと言えるかもしれない。


ともかく「SPEEDWAY and TK Hits!!」が終演した5月末の時点で、TMにはもう時間が半年しか残されていなかったわけだが、TMはその頃、25周年についてどのような活動を予定していたのだろうか。
そもそもどの程度具体的に企画が進行していたのかも分からないのだが、少なくとも新曲を出すことは意識していたようである。
先に触れた「What’s in?」のコメントでも、木根が小室にシングルを作るかどうか尋ね、小室があいまいながら出す意志があるようなそぶりを示している。


ウツも4月上旬のインタビューで、TMの新曲について「候補曲は上がっていて、進行中なんだけどね」と発言している。
ウツはこれを、25周年に向けた第一歩と考えていた。
具体的な作業がどの程度行なわれていたかは疑問だが、少なくとも新曲を出したいとウツが思っていたことは間違いないだろう。


これに関して気にかかるのが、この頃木根がレコーディングしていた曲である。
木根は6月のインタビューで、TMの「SPEEDWAY」のために作られた曲を次のソロアルバムに収録する予定であることを述べている。
これは「海の見える窓」という曲で、2008/11/19リリースのソロアルバム「New Town Street」に収録された。
木根はこの曲を作った時には自信があったが、その時は小室が曲を聞いても歌詞が見えなかったことで、「SPEEDWAY」には使われないことになった。


ただ木根によれば、「海の見える窓」はこれを以て没になったわけではなかった。
しかしその後、この曲を使う企画がなくなって、曲を出す場所がなくなったため、サビの部分だけ作り直してソロアルバムに収録することとなったのだという。


「企画」がなくなったからソロで使うことにしたという言いぶりを見るに、ここで言う「企画」は木根ソロではなく、TMに関わるものだろう。
「海の見える窓」「SPEEDWAY」リリースの後も、TM曲として発表する機会が想定されていたことになる。
実際に「New Town Street」のブックレットには、木根による同曲の解説として以下のようにある(本記事haruさんコメント)。

このメロディーはもともとTMの為に書きました。ただ、その時はCDの発売そのものがなくなったので、僕から旅立たずにいました。今回自分のアルバムに収録するにあたり、サビをシンプルにしてみました。


ウツが4月に言及した新曲のプランが、「海の見える窓」の発表予定と関わるとするならば、もともと2008年にTMのニューシングルを出す計画があり、「海の見える窓」はそのカップリング用に確保されていた、というところだろうか(木根曲がシングル表題曲になることはあまり考えられない)。
だがおそらく「SPEEDWAY and TK Hits!!」が終わった5月末までに新曲計画の放棄が決まり、これを受けて木根は「海の見える窓」をソロアルバムに回すことにしたのである。


もっともウツも4月時点で、TMの新曲候補曲が形になるかは明言を避けている。
TMの新曲は確定した計画というほどのものではなく、可能性として想定されていたに過ぎないだろう。
木根が「企画」と言っているのも気になるところで、シングルのリリースを指す表現としてはいささか不自然である。
もしかしたら、TM新曲で何らかのタイアップを狙っていたが実現しなかった、というようなことがあったのかもしれない。


なお「SPEEDWAY and TK Hits!!」のライブパンフレット(2008年2~3月執筆か)には、藤井徹貫が「早くもニューアルバムの予定も取りざたされているが…」と書いている。
いかにもファンの期待を煽るための文章であり、信憑性は相当疑問だが、もしも当時の実際の計画が反映されているのならば、「SPEEDWAY and TK Hits!!」完了後、半年程度の間にTMのアルバムを作る案が出されていたことになる。


だがそうだとしても、ウツの発言ではシングルが出せれば良いという雰囲気であり、ウツ・木根もアルバムの実現性はほとんど考えていなかっただろう。
ウツは「SPEEDWAY and TK Hits!!」中から、秋に向けてのU_WAVEの活動の準備に入り、木根も同じ頃からソロツアーを始め、秋リリースのアルバムの制作も始めていた。
TMに長期の時間を割くことが想定されていたようには見えない。
徹貫文のアルバム計画は、少なくとも現実的なものではなかったと考えておきたい。


以上のような短期的な計画以外に、25周年のプラン全体について、2007年終わり頃に興味深い発言がある。
1つは2007年11月の「マンスリーよしもと」の木根のインタビューで、「Welcome Back 2」のジャケットのイラストを「CAROL」と同じ人(佐々木洋)が描いていることに触れ、「それも含めて、今後に『CAROL2』的な作品が出来るかもしれない」と述べている。


この時点で木根は「CAROL」の続編を意識していたらしい。
こうしたプランを木根が独自に考えて話すとは考えられず、小室が考えていたものを踏まえているに違いない。
2007年に小室が佐々木洋に「SPEEDWAY」のジャケット絵を依頼したこと自体、「CAROL」を意識したものだったのだろう。


もう1つのメンバーの発言に、2007年12月の「女性自身」に掲載されたウツのインタビューがある。
これによれば、来年(2008年)TMで何かしようと考えており、そのヒントは「SPEEDWAY」のジャケットだという。


この真意は現在まで不明のままだが、「SPEEDWAY」のジャケットで3人の背後に時計版があり、3人の間に制御装置らしきものが描かれていることを考えると、タイムスリップや宇宙からの地球訪問などの物語が想定されていたのではないか。
ここに木根の「CAROL2」発言も併せて考えれば、物語中の3人の目的地は、「CAROL」の物語の設定舞台であるロンドンだったのかもしれない。


もしもこのような想定ができるならば、この構想は2012~15年のTM30周年の活動のコンセプトに非常に近いものとなる。
30周年のTMの活動において、3人は2014年から2012年に一度タイムスリップし(「Incubation Period」)、1950年代アメリカにワープし(「START investigation」)、宇宙船でアンドロイドのキャロルを作って1974年のロンドンに送り込み(「the beginning of the end」)、大人になったキャロルの様子を描く(「Quit30」)、などのストーリーが展開した。
これは未遂に終わった25周年の構想を元にして拡張したものだった可能性も考えられよう。
もしもそうだとすれば、30周年の活動は実に2007年から8年越しで実行されたものだったことになる。


実は木根は2014年の「震・電気じかけの予言者たち」で、TM30周年の構想を「CAROL2構想」と呼んでおり、それが「約7,8年前」から存在したことを記している(本記事みーこさんコメント)
この年数を文字通りに取れば、30周年の企画は2006~07年から考えていたことになる。
2006年ならばTM再始動企画が始まった頃となるし、2007年ならばレコーディングやライブなど具体的な活動が始まった頃となる。
いずれにしろ2007年の「CAROL2」構想がTM30周年に受け継がれたという見通しは、大きく誤ってはいないものと思われる。


25周年の活動の構想については、小室も先述の2008年3月末頃の「What’s in?」のインタビューで語っている。
短いものだが具体的であり、貴重な情報なので、以下に引用する。

今年の末から、25th Anniversary Yearが始まる予定です。そこでは80’sの時代感を出す方向に、今のところは傾いています、あの時代からやってこないと出せない空気感があると思うから。今の10代が70’sのロックをコピーしても、当時のリアルな空気までは出せないわけで。だから、TMも無理に21世紀型にしなくてもいいのかなと。ただ、TM独特のレトロ・フューチャーな質感はなくさないでしょうね。


ここでは「今のところは」という限定付きではあるが、25周年の活動では80年代の時代感を出そうと考えていたらしい。
この方針は、トランスを前面に出して新しいTMを提示した20周年の活動とは対照的で、80年代のヒット曲を中心に演奏した「TM NETWORK -REMASTER-」と親和性が高い方針と言える。


小室は70年代ロックの空気を出すことは当時を知る者しかできないという自負を述べている。
同様の自負から、80年代の空気を出すことも80年代から活動してきた自分たちだからこそできると言いたいのだろう。
この頃目指していたのは、リニューアル以前の80年代TM NETWORK時代の雰囲気を再現したライブだったと見られる。


「TM独特のレトロ・フューチャーな質感」というのも、やはりTMN期や再始動後ではなく、80年代TMを意識したものである。
「CAROL2」で予定していたSF設定を念頭に置いた発言かもしれない。
なお小室は「CAROL」には言及していないが、種明かしとなるこの作品はあえて取り上げなかったとも考えられる。


25周年については、一つ気になることがある。
1984年4月21日にデビューしたTM NETWORKの25周年は、当然2009年4月21日である。
10周年企画の始まりとされていた「Nights of the Knife」のリリースは1994年4月21日だったし、20周年記念ライブ「Double Decade “NETWORK”」の開催は2004年4月21日だった。


ところがTM25周年企画が2009年ではなく、2008年から始まると述べた例がある。
早い例では先に見たウツの2007年12月のインタビューがあり、「来年(2008年)」にTMの活動を考えていると発言している。
この時は「SPEEDWAY」のジャケットがヒントと語られたが、これはコンセプトらしきものがなかった「SPEEDWAY and TK Hits!!」とは別の話と考えられ、その後に予定されていた25周年の活動と思われる。


もう少し具体的なものだと、「SPEEDWAY and TK Hits!」のパンフレットの徹貫文(2008年2~3月)に「そのアニバーサリーイヤーは今年の暮れから開幕」とある。
小室も「What’s in?」20周年記念号のインタビューで、「今年の末から、25th Anniversary Yearが始まる予定です」と述べている(後掲)。
先に触れたコメント動画と同じ日のものだとすれば、2008/3/27か3/28の発言となる。
「25th Anniversary Year」は2009年のはずだが、ここでは2008年年末から25周年の活動が始まるということになっている。


この少し後、2008年6月発行の木根FC会報に、「噂では、今年末から25thアニバーサリーイヤー企画に突入とか」と書かれている。
このように見ると、TMの25周年企画は2008年末から始まり2009年まで行なわれる計画だったと考えられる。
記念日である2009年4月前後に完結させるつもりだったのかもしれない。


小室が逮捕された2008/11/4の時点で、25周年に関しては何の告知もされていなかったが、2008年中に25周年企画が始まるはずだったのならば、それは11月から12月の間に告知される予定だったことになる。
当時の「週刊文春」の報道によれば、小室の逮捕4日前(10月31日)に、年内に行なわれるTMの「再結成」(報道の表記のママ)のコンサートの打ち合わせがあるはずだったが、小室は「それどころじゃない」と言って来なかったという。
TM3人は10月中旬にも会っていたことが確認できるので、この頃に25周年企画が練られていたと見られる。


この頃小室はglobeで、TM楽曲のカヴァーシングルを3枚リリースする計画があった。
詳細は後述するが、そのリリースは11/26・12/17と2009年1月某日に、それぞれ予定されていた。
TM25周年を盛り上げるべく企画されたものと考えられる。
そのリリースは小室の逮捕によって中止になったが、25周年企画発表もこれらシングルのリリースの前後に予定されていたのだろう。


TM25周年の告知が2008年11~12月頃に予定されており、それを盛り上げるべくglobeのカヴァーシングルのリリースも計画されていたとすれば、それは具体的に何日の予定だったのだろうか。
11/5~9にはウツの「U_WAVE “evolutio”」が予定されており、11/19には木根のソロアルバム「New Town Street」がリリースされた。
TM再開の告知は、おそらくこれらソロ活動よりも後に予定されていただろう。
ならばそれは11/20~12/31の42日の間ということになる。


私は25周年企画の告知予定日は、かなりの確率で12月9日だったと考えている。
この日は「CAROL」リリースからちょうど20周年の日である。
「CAROL2」の構想がまだ生きていたとすれば、これほどふさわしい日はない。
もしもそうならば、TMは「CAROL」20周年の記念日を意識した上で、2008年末から25周年企画を始める構想を立てていたことになる。
12月10日にはウツと木根による特別ライブ「EXPO Folk Pavilion -Revival-」が開催されたが、これも25周年企画発表と絡めた日程だったのかもしれない。


もう一つの候補日としては、11/26がある。
この日には後述のglobe版「Get Wild」と、ベスト盤「TM NETWORK The Singles 2」がリリースされる予定だった。
これらTM関連企画が同日に重複しているのは、この日に25周年企画の告知というイベントが予定されていたためと考えることもできる。


TMはおそらく11/26か12/9に25周年の活動を告知し、ライブの開催を発表するつもりだっただろう。
20周年と同様に、少なくとも大型の特別ライブと全国ツアーは開催されるはずだったと思われる。


なお上記「週刊文春」の報道では、2008年年内のコンサートなるものの計画に言及されている。
だが本格的なライブを11月以後に告知して年内に開催するというのは現実的ではなく、たとえば20周年の時には、2004/4/21の「Double-Decade "NETWORK in YOKOHAMA ARENA」の開催が、5ヶ月前に当たる前年クリスマス前に告知されている。
よってこの報道は誤りであろうと、本記事を書いた当初は述べた。
しかし私はその後、また別の可能性を考えるようになった。
これについては別章で改めて触れることにしたい(2021/6/19加筆)。


以上、TM25周年企画に関わる微細な情報をまとめてきた。
これらの企画は実際には実現しなかったが、TM25周年に付随した企画のいくつかはすでに逮捕前から動き出し、表面にも出ていた。
具体的に挙げられるのが、先に触れたglobeのTM楽曲カヴァーである。
そこで以下では、この頃のglobeの動向を見ていこう。


小室は「REMASTER」「SPEEDWAY and TK Hitds!!」に挟まれる2007年12月から2008年3月の間、KCO(KEIKO)のソロの新曲を制作した。
KCOのレコーディングはこれ以前にも断続的に行なわれていたようだが、本格的に始まったのは12月以後と見られる。
その成果として、シングル「春の雪」が2008/3/12、アルバム「O-Crazy Luv」が4/30にリリースされた。


その後は5月にTM Jr.との触れ込みでデビュー予定だったPurple Daysのシングル、6月にアルバムをリリースする計画だったが、実現しなかった。
彼らの場合、作詞・作曲・演奏は自分たちで行なうため、小室が制作全般に関わるわけではなかっただろうが、それでも3~5月にTMの全国ツアーが開催されていたことを考えれば、日程的に難しかったのかもしれない。


「SPEEDWAY and TK Hits!!」が終わった後、小室は次の活動に移る。
2008/7/4にはMySpaceで、2年ぶりのglobe再開を宣言するとともに、TMの「Get Wild」をカヴァーすることを明らかにした(ただしこれはフライングだったようで、書き込みはすぐに削除された)。
この企画はTM25周年を盛り上げることを意図したものだろうが、あるいはTM25周年が終わった後には、2010年のglobe15周年企画につなげていくことも考えていたのかもしれない。


これ以前のglobeは、2006年8月にミニアルバム「new deal」をリリースしてから、1年以上音沙汰がなくなっていた。
2007年9月にはMarc Pantherの妻酒井薫子が麻薬所持で逮捕され、翌月も麻薬の所持・使用で再逮捕されるなど(後に執行猶予付き有罪判決)、きな臭いニュースも流れている。


2007年10月にはKCOのソロ作品リリースの予定が告知された(この頃は2008/1/23リリースとされていた)。
しかもそれはglobeの契約先のavexではなく、ユニバーサルミュージックからリリースされるとされていた。
12/25にはglobeのFCイベントが開催されており、globeの活動も続くと言われてはいたが、1月になるとFCは運営休止となった。
globe解体の空気は、この時点では濃厚に思われた。


小室がユニバーサルと契約したのは、一つにはavexに対してプロデュース契約前払い金の未償還分があったため、avexからリリースしてもプロデューサーとしての報酬が支払われないことを勘案したものかもしれない。
さらに小室は本作制作に当たり、イーミュージックと原盤権契約を交わして制作費を得ていた。
(なお小室がイーミュージックと原盤権契約を交わしてリリースしたのはKCO作品のみ)
この頃の小室は、当座の収入を得るために糊塗的な手段を尽くしていたように見え、そうした中でglobeの新作制作には消極的になったのかもしれない。


しかしavexという有力な宣伝媒体から離れたKCO作品の成績は、シングルが30位・5000枚、アルバムが36位・6339枚と、散々なものだった。
2006年のglobeのミニアルバム「new deal」は、1.4万枚というオリジナル作品最低の成績だったが、これと比べても半分以下の成績だった。
KCOのアルバムリリース2ヶ月後のglobe再開宣言は、KCOソロの失敗を受けたものとも考えられる。


TMの「SPEEDWAY and TK Hits!!」が終わって間もない6/15、小室はMarc Pantherと打ち合わせをしている。
Marcは小室の家に来たようなので、KCOも含めた3人での話し合いがあったと考えられる。
さらに小室はその数日前に、avexの昔のマネージャーや木根とも会ったという。
小室は彼らとの相談を経てスケジュールの調整をした上で、globeの話し合いを行なったのだろう。


この約3週間後の7/4、globeの次の作品が「Get Wild」のカヴァーになるという情報が出たことは前述した。
もしもこれが実現していたら、2005年の玉置成美版からわずか3年で再度の「Get Wild」カヴァーシングルがリリースされていたことになる。


これはリリースに先駆けて、8/31に味の素スタジアムで開催された「a-nation ‘08」のステージ上で披露された。
この時、「Get Wild」が11/26にリリースされることも告知された。
さらにglobeはテレビでも、2008/9/24の「CDTVスペシャル」および9/27「オールスター感謝祭」に出演した時に、この曲を披露している。


globeのカヴァーシングルとしては、2枚目として「Self Control」が12/17にリリースされることも告知されていた。
3ヶ月連続で3枚のシングルを出すという企画だったので、2009年1月にも第3弾シングルが予定されていたはずである。
各シングルにはglobeの新曲もカップリングされる予定であり、「Get Wild」のカップリングは「Spicy Girl」という曲だった。
「Self Control」のカップリング曲も、小室逮捕時には未完成ではあっても準備はされていただろう。


globeのカヴァーシングルは小室の逮捕によってすべてリリース中止になったが、「Get Wild」は9/24から11/4まで、着うたの形で入手することが可能だった。
CD音源としては、2010/9/29リリースのglobeベスト盤「15 Years -Best Hit Selection-」「Get Wild」「Spicy Girl」が収録され、2011/5/4リリースのDVD BOX「15YEARS CHRONICLE ~ON-AIR & OFF-AIR~ + UNRELEASED TRACKS」の付録CDに「Self Control」が収録された。
「Get Wild」は2017/4/5リリースの「Get Wild Song Mafia」にも収録されている。
また2016/8/3リリースのglobeのリミックスアルバム「Remode 2」にも、「Get Wild」「Self Control」が収録されている。


カヴァー音源の制作に当って、オケは全面的に新録された。
ボーカルについては、Marc Pantherが「Get Wild」の「it’s your pain~」の部分、「Self Control」の「今までのぼくは」「本当の悲しみ」等の部分を担当し、他は基本的にKCOが担当した。
個人的な感想としては、「Self Control」の最後でMarcがサビの歌詞を朗読して終わるところの寒々しさには、失望というよりも失笑してしまった。


TMと絡むものではないが、2008年の小室哲哉のソロ作品についても、他に触れる機会がないので、ここであわせてまとめておきたい。
とはいえここで取り上げるべきものは、実質的にはiTunesで配信されたインストアルバム「Far Eastern Wind」シリーズだけである。


曲名はほとんどが漢字語で、たとえば第1作の「Far Eastern Wind -Winter-」の収録曲は、「春秋」「礼」「楽」「仁」「学」「志」「立」「昇」「惑」「無為自然」の10曲である。
他のアルバムには和語タイトルの曲もあるが、アルファベットは皆無で、東洋が強く意識された作品群といえる。
「極東の風」(和訳)というアルバムタイトルも、それを意識したものであろう。


小室は2007年からBrian Enoを意識するようになり、アンビエントに傾倒するようになっていたと言っている。
その延長上に作られたのが本作だった。
小室はすでに2001年にもソロシングル「Blue Fantasy」でアンビエントに着手しており、GaballやDJ TKでもアンビエント楽曲を発表していた。
2003年にリリースした3枚のピアノアルバムの内の1枚も、タイトルは「Piano Wind -TK Ambient Selection-」だった。


なお「Piano Wind」には「Far Eastern Wind」という楽曲が収録されている。
これは2002年にKCOとの結婚披露宴のために作った曲である。
アルバム「Far Eastern Wind」シリーズのタイトルは、直接にはこの曲名から取られたものだろう。


その後は2006年にDJTK名義で配信した楽曲の一つに「Arashiyama」があり、さらに2007年には47分に及ぶ大作「うみね」を発表している。
「うみね」の正確な制作・発売時期は未確認だが、大分別府温泉のホテルうみねのために作ったもので、ホテルのBGMとして使われ、CDの発売も行なわれた(多分ホテル売店で売られたもので、流通には乗っていないと思う)。
うみねはKCO実家の山田家の関係で紹介されたものと思うが、よりによってTMが動いている時に余計なことをやらせるなと思う。


「Far Eastern Wind」シリーズの制作に直接つながったのは、小室がKCOの臼杵の実家近くの多福寺で、2007年から2008年にかけて年越しライブを開催した体験だった。
この時はKCOの歌もあったようだが、小室のシンセ演奏も披露された。


小室はこの時の演奏がとても気持ちよく、すぐに発表したいと思ったのだという。
小室は後に、「空から垂直におりてきた光の糸が、頭のてっぺんのツボ、いわゆる百会あたりにスーッと入ってくる感覚から生まれた作品」と言っている。
こうして制作されたのが、2/13に配信された「Far Eastern Wind -Winter-」である。


本作の音は多福寺ライブの音源をそのまま収録したものではなく、スタジオで改めてレコーディングしたものである。
レコーディングでは、スタジオで即興演奏したものを録音し、後でエディットを加えたという。


アルバムのサブタイトルに「Winter」と付けられていたことから分かるように、このシリーズでは四季が意識された。
「Winter」リリース3週間後の3/5には、早くもシリーズ第2作「Far Eastern Wind -Spring-」が配信されている。
さらに4/30には「Arashiyama」のロングバージョンが配信された。
TMでの楽曲制作の滞りがウソのようなペースだが、ポップスのメロディが浮かばなくなってきたこととトランスに代わる新しい音が見つからない中で、新しい可能性を探っていたのかもしれない。


7/23には「Far Eastern Wind -Summer-」がリリースされた。
本作収録の「清水」では、KCOの声が効果音として用いられている。
実はこの曲は、「Get Wild」の前にglobeのシングルとしてリリースする計画があった。
先に触れたように、小室は6/15にMarcと打ち合わせをしたが、そのことを記したブログの記事では、次のglobeのシングルが「清水」というタイトルであることも述べられている。


おそらく「清水」はglobeの新曲として制作を始めたものの、ある時点でその案が変更になり、「Summer」に回されることになったのだろう。
となると、実はglobeがTMのカヴァー曲で再始動するというプランは、当初からのものだったわけではないことになる。
アンビエントに新たな可能性を見出した小室は、もともとglobeでこれを行なおうと考えていたのかもしれない。


当初の案が変更になった事情は不明だが、あるいはアンビエントでは売れないと判断したavex側からの意見があったのかもしれない。
たしかに再始動1曲目のシングルとしては、印象が薄いことは否めない。
ただ小室がglobeに取り入れることを考えるほどアンビエントに傾倒していたのならば、TM25周年ライブが実現した場合、TMでも同様の試みが行なわれた可能性も考えられよう。


なお「Summer」にはKCOの声を入れた曲として、もう1曲「夏の終わり」も収録されている(「SPEEDWAY」収録の同名曲とは無関係)
もしかしたらこれもglobe名義で、「清水」のカップリングにするつもりだったのかもしれない。
さらに9/10リリースの「Far Eastern Wind -Autumn-」でも、「秋音」にKCOのボーカルが使われている。


「Far Eastern Wind」シリーズは「Autumn」で完結した。
これが逮捕前の小室が発表した最後の作品となる。
小室はこの2ヶ月後の11/4に逮捕されたが、配信停止の可能性を考えたファンが一斉にDLしたものか、日本のiTunesチャートではこの日一時「Far Eastern Wind」シリーズがアルバムの2~5位に入り(1位はASKAのライブアルバム)、エレクトロニックアルバム部門では1~4位を独占した。


もともと小室は「Autumn」までリリースしたら、「Far Eastern Wind」シリーズをCD化することを想定していたが、それが実現したのは4年後の2012/3/28のことだった。
この時は「Far Eastern Wind -Spring/Summer-」「Far Eastern Wind -Autumn/Winter-」「Far Eastern Wind -Complete-」の3形態でリリースされている。


前の2作は2枚組の商品だが、最後の「Far Eastern Wind -Complete-」は全4作に新曲「五常」を収めるDisk5を加えた5枚組である。
「五常」はなんと1曲73分(CD収録限界)で、2021年現在では小室史上最長の曲である。


「Far Eastern Wind」シリーズはたいした宣伝もなくひっそりとリリースされたため、影の薄い作品ではあるが、2010年に音楽活動を再開した後の小室がEDMに傾倒した後、2016~17年に可能性を見出したのも、「Sound of Scalar Fields」などアンビエント系楽曲だった。
引退中の2019年には、建築に音を付ける試みを行なっていたというが、これもおそらくアンビエント的な発想で行なっていたものだろう。
「Far Eastern Wind」は、長期的に見ると意外と重要な作品かもしれない。


以上が小室が音楽作品として残したものだが、他の小室の仕事もまとめておこう。
小室が2008年後半に人前に出た機会としては、9/7に尚美学園で特任教授として行なった入学希望者向けの特別公開講座がある。
この時は最後にピアノで「天と地と」を演奏した(歌はない)。
「Far Eastern Wind」シリーズを手掛けていたことで、「和」を意識したこの曲のことを思い出したのだろうか。
なおこの時の講義で、「次はトランスが来ると思っていた」と自虐的に発言したのは、印象的である。


9/16にはApple銀座で、「Keyboard Magazine Presents Special Talk Show & Live: Secrets of Tetsuya Komuro’s Music」が開催された。
「Keyboard Magazine」2008年秋号(9/10発売)の小室哲哉特集とも絡む企画である。
(なおこの特集号には「Far Eastern Wind -Autumn-」所収「城跡の風」のデモ音源のCDが付録していた)
この時は完結直後の「Far Eastern Wind」シリーズに関するトークや、曲作りの実演、ライブ演奏が披露された。
この時に浮かんだイメージをもとに、小室は帰宅後にスタジオで形にし、後に発表したのが、2011年の「Digitalian is eating breakfast 2」収録の「Every」である。


小室はまた、元CarpentersのRichard Carpenterの活動にも関わる計画があった。
2009年はCarpentersデビュー40周年であり、Richardはこれを機に音楽活動再開を計画していた。
具体的には、2009年秋にアジア各国のミュージシャンによるトリビュートアルバム「Carpenters Around The World」をリリースし、翌年には上海万博でライブを開催するというものだった。


そして小室はそのライブのプロジェクトに加わることになっていた。
小室は2008年の春頃に、本件のプロデューサーを自宅に呼んで話を付け、Richard側も小室の参加に同意したという。


この件は2008/10/15に報道された。小室久々の華やかな話題だった。
だが当然のことながら、翌月の小室逮捕によって、小室の参加はなくなった。
もしも実現していたら、小室も上海のステージに上がったのだろうか。


なおRichardの計画がその後どうなったのかはよく分からないが、少なくとも「Carpenters Around The World」に当たる作品のリリースは確認できない。
日本では2009年にCarpenters40周年を記念して、日本人ミュージシャンによる「イエスタデイ・ワンス・モア〜TRIBUTE TO THE CARPENTERS〜」が、ユニバーサル・インターナショナルからリリースされているが、これが本件の関連企画なのかも未確認である。

(2021/6/22加筆)
Far Eastern Wind -Complete - TETSUYA KOMURO
Far Eastern Wind -Complete - TETSUYA KOMURO

QRコード