0-1 木根・ウツと音楽の出会い

今更いうまでもないが、TM NETWORKは3人のメンバーで構成されている


キーボード小室哲哉
TMのリーダーを務め、かつTMの楽曲の大部分の作曲・編曲を担当

ボーカル宇都宮隆
ライブでは歌だけではなく、魅力的なダンスも披露

ギター木根尚登
時にはキーボードも演奏、作曲も手がけ、
リニューアル前にはライブでパフォーマンスも担当した


世間でTMというと、小室哲哉の率いるユニットというイメージで語られがちである
もちろん小室はTM結成の発起人であり、リーダーであり、サウンドの要であり、
彼の存在なくしてTMはありえなかった
しかし同時に、小室だけでは決してTMはありえなかっただろう


中でも木根は、世間では3人中でもっとも地味なイメージを持たれているが、
後のTMにつながる人脈は、間違いなく彼を中心に形成された
TMの前身であるSPEEDWAYも、木根を中心に結成されたものであり、
前史を語る際においては、どうしても木根を中心に語り起こすことになる


木根は小学生の頃はグループサウンズに興味を持っており、
クラブも器学部に入っていたが(パートは大太鼓)、
本格的に音楽を始めたのは中学時代だった
中学2年の頃、兄が弾かなくなったフォークギターを引き取り、
学校の休み時間にフォークギターで仲間と曲作りに励む毎日だった
フォークやカレッジ・ポップスに影響されたところが大きかったと言う
後にはロックに関心を寄せた時期もあったが、
木根の心をもっともとらえた音楽がフォークだったことは、
後の彼の様々な言動からもうかがうことができる
ちなみに木根の好きなフォークシンガーベスト3は、
1位吉田拓郎、2位井上陽水、3位かぐや姫だという


木根が初めて作った曲は「枯れ果てた世界」で、
ギター雑誌に掲載されていた歌詞に自分で曲をつけたものである
木根は中2の時にこの曲をクラス対抗作曲コンクールで、中学校の体育館で演奏したという
他にも「風来坊」などという、いかにも当時のものと分かるタイトルの曲を作っていた


最初に組んだグループは、学校の音楽仲間の一人と組んだフォークデュオだったという
中2の頃に、同級生と二人で、おんざろっくというデュオを組んだというので、
おそらくこのことだろう
また中学3年の文化祭では、フリーダム&ピースというグループで出演したというが、
これはおんざろっくとは別のものだろうか
フリーダム&ピースは文化祭の時だけの一時的なグループだったのかもしれないし、
木根は複数のグループを掛け持ちしていたのかもしれない


同じ頃にはテレビ東京の「音楽の館」のオーディションを受けたが、
受付後にバンドのメンバーが脱走してしまい、木根も仕方なく帰宅したという
この頃の木根はサッカー部でも活動しており、
バレンタインデーには学校中の女子が木根に群がるほどの人気だった
ウツによれば、木根の人生で一番モテていたのはこの頃だったという


木根は高校に入ると、フォーク以外の音楽も聞くようになり、
またピアノも弾くようになった
最初に弾けるようになったのは、The Beatles「Let it be」だった
ただし高校になってもおんざろっくは継続しており、
フォークへの関心も相変わらず途切れていなかったようである


一方ウツこと宇都宮隆は、小学校時代から木根とクラスメートだった
木根がウツと出会ったのは、ウツが熊本から引っ越してきた時で、
小学校2年の時だったとも3年の時だったとも言う
(この点は木根の発言が一定していない)
ドッジボールがうまいやつという印象はあり、
一緒に映画を見に行ったこともあったというが、
当初はそれほど仲がよかったわけでもないらしい


若かりし日のウツ


2人の親しい付き合いは、高校時代にはじまる
きっかけは、ウツが音楽を始めたことだった
なおウツは大変マイペースな性格で(これは現在までそうだが)、
音楽を始めるまでは、意外にも学校であまり目立たない存在だったという


ウツは小学生の頃から歌手へのあこがれがあったが、
関心があったのは当時流行していたグループサウンズで、
特に6年生の頃にはザ・タイガースに夢中だったという
2016年には「T.UTU with The Band All Songs Collection」で、
1992年の未発表音源としてザ・タイガース「シーサイド・バウンド」(原曲1967年)のカバーが発表された
当時ウツがこの曲をカバーしようと思ったのは、タイガースへの愛着故だろう


後のウツにもっとも影響を与えたのはロックンロールだった
特にロッド・スチュアートへの憧れは、しばしば自ら語っている
後にバンドを始めた時(フリースペースの頃か)には、
ロッドが自分の声をつぶしたというエピソードを意識して、
夜の球場で声を張り上げ、声を強くするために声をつぶそうとしたという


しかしそんなウツも、音楽活動の始まりはやはり木根と同様にフォークだった
特に吉田拓郎や井上陽水にはまっていたらしい
1970年代前半とは、そのような時代だったのだろう
(リアルタイムでは知らないが)
ウツは中3時代にフォークギターを買い、
高校の頃にはバンドのボーカルを務めるようになった
人前で初めて歌ったのは井上陽水「西へ東へ」だった


木根に話を戻そう
木根は高校に入ってからも、おんざろっくを続けていた
中学時代の同級生だった青木高貴やその弟も加わったこともあった
しかし4人体制で開いたコンサートは人が全然入らず、
青木兄弟はおんざろっくを脱退することになった
青木は後にSPEEDWAYのプロデュースやTM NETWORKのマネージャーを手掛けた人物である


おんざろっくが2人体制に戻った後、
木根はウツが音楽を始めたことを聞き、ウツに加入を求めた
木根とウツによる音楽活動の始まりである
この前後からオリジナルメンバーだった中学時代の同級生はフェードアウトしたため、
以後おんざろっくは木根とウツのデュオ的なグループとなった
1974年、2人が17歳の時だったという


ただ木根によれば、ウツと一緒に音楽をやっていたのは、
高校1年後半から高校2年後半だったという
高校1年後半だと1973年10月~1974年3月頃となるが、
この頃の木根とウツは16歳である
おそらく学年の記憶を間違えることはあまりないだろうから、
2人が一緒に音楽を始めたのは、
実際には高校1年後半の1973~74年頃、16歳の時と考えておく


なお木根によれば、高校時代、ウツと組む以前(つまり高校1年)に、
「同級生とのデュオ」(おんざろっくのことだろう)の曲にピアノを入れるために、
女性メンバーを加えたらしい
だが木根も同級生もこの女性を気に入ってしまい、木根は短期間付き合ったという
憶測だが同級生が来なくなったのは、この件が関係しているのかもしれない


木根はこの女性からふられた夜、
作詞作曲「鬼寝名音」名義で「自業自得」という曲を作った
この曲は好評だったため、ウツとのデュオ時代にも演奏し、
オーディションでも演奏していたという
後に2010年、「木根本」にこの曲の譜面が出ており、貴重な資料である
(ただし年代を「1975頃」とするのはあまり信憑性がない)
この時代の作風が分かる好例なので、歌詞の一部を以下に挙げておこう

昨日はあんなことをいってしまったけど、
あれが本当の気持ちではないことは分かるだろう
心にないのでしょうか?
もう二人の愛のロウソクは燃え尽きてしまったのですか?



「Twilight Moon」に掲載されている2002/4/27「Utsu Kine Solo 10th Aniversary FC Event in 合歓」のライブレポートに拠ると、
おんざろっくには 「しぐれ坂」「終電車」「自業自得」「愛ちゃんの星」「サヨナラ五月」「花火の夜」「トマトジュース」
などという曲があったらしい
他に「雨の詩」「嫁ぐ日に」「卒業写真集」「つつじヶ丘三丁目」などの曲名も確認されているが、
高校生が「嫁ぐ日に」という曲を作るとは、なかなかすごいものである


この後のおんざろっくには、ベースやドラムも参加するようになった
フォーク以外にロックの曲も演奏するようになったのかもしれない
ベースは樋口潔志、ドラムは荒井克己で、
ともに後にSPEEDWAYのメンバーとなる人物である
ウツはライブでしゃべらなかったため、
ライブでは荒井がもっぱらMCを務めたという


木根はまた、二人のまわりにミュージシャン仲間が集まってきて、
ドラム・ギター中心のロックバンドになり、
音楽も変わってきたと言っている
おそらくこれは同じことを言っているのだろう
おんざろっくは最終的に、
デュオからロック「バンド」になっていたと考えられる


先述の通り、木根は高校2年後半(1974年10月~1975年3月)までウツと一緒に音楽をしていたと発言している
ということは、高校3年の時はウツとは活動していなかったのだろうか
しかし周知の通り、その後も木根とウツは一緒にバンドで活動していた
おそらく高校2年までの音楽活動とは、
デュオ形式時代のおんざろっくを指すのだろう
そしてそこに樋口・荒井らも加わり、
おんざろっくがロックバンドに変貌していったのが、
高校3年の頃のことだったのだろう


この頃の木根は、学校の音楽仲間の中心的存在だったらしい
なぜか木根の家は音楽に興味のある連中の溜まり場になり、
置き場のない楽器の置き場所になった
木根自身は大して楽器を買わなかったが、楽器には困らなかったという


木根は高校時代、ダンスパーティのDJをやったこともあるというが、
さらに高校卒業後の1976年頃、ソロコンサートをやったこともある
(高3の時という発言もあるが、シンセやハモンドに手を出すようになったのは高校卒業後らしいので、おそらくこのコンサートも卒業後だろう)
その時は20曲のオリジナル曲を演奏したが、
その中には20分を越すプログレの曲もあったという


木根はYESのリック・ウェイクマンを気取り、
ステージ上にキーボードを何台も並べていた
自らハモンドオルガンも購入したという
意外なことに、木根もプログレにはまった時期があったのである
この点は、後に小室との音楽的接点になったのかもしれない
ともかく高校卒業前後における木根の音楽的関心の広がりを知ることができる


木根やウツは高校卒業後も大学には進学せず、
しばらく音楽三昧の生活だったようである
そのような中で木根は1976年12月、
ウツや他の仲間とともにフリースペースというロックバンドを結成した
バンド名は宇宙をイメージしたものだったという


ただ木根は、高校卒業と同時に新しいバンドを結成したとも言っている
「高校卒業と同時」を正確に取って、
1976年3月と12月に二回バンドを結成したという考えもあるが、
おそらくそうではなく、高校卒業から数ヶ月後、
1976年年末にフリースペースを結成したのだろう
それまでおんざろっくの名義を使い続けたか、
またはその間にさらに別名義があったかもしれない


木根はフリースペースのリーダーで、キーボード担当だった
TMに詳しくない人が、木根がキーボードを弾くのを見ると驚いたりするが、
木根は本来キーボードプレイヤーで、
ギタリストになったのはTMになってからである
木根がエレキギターを弾けないのは、ある意味で仕方ないとも言える


メンバーとしてはウツ(ボーカル)・荒井(パーカッション)の他、
岩野光邦(ギター)が参加したことが確認できる
木根・ウツ・荒井・岩野の4人が、
後にSPEEDWAYのメンバーとしてデビューしたことを考えれば、
同じくSPEEDWAYの初期メンバーだった樋口潔志(ベース)と杉本ユウ(ドラム)も、
フリースペースのメンバーだった可能性は考えられる
(特におんざろっくに参加していた樋口は可能性が高い)
ただしアマチュアバンド故、メンバーの出入も多かったと考えられ、
現在では知られないメンバーも存在したかもしれない


フリースペースは機材の充実が売りで、
メンバーはバイト代を機材につぎ込む一方で、
これを他のバンドにレンタルして金を稼いでいたと言う
またボーカルのウツだけ何も買わないのはずるいということで、
PAを買わされたというひどいエピソードもある


フリースペースは八王子を中心に活動したが、
アマチュア時代からファンクラブも結成され、
地元ではかなりの人気者だったらしい
これは本人たちだけではなく、
当時別のバンドで活動していた小室もそう言っている
またステージでスモークを炊いていたのが、
小室としては印象的だったという


フリースペースは自らライブ活動を行なうだけでなく、
三鷹のフィルモア楽器店の社長との合同企画としてライブイベントを企画し、
出場バンドを募るなど、地元でも注目される存在だった
こうした企画の手配の実質的なところを裏方として取り仕切っていたのは、
フリースペースのマネージャー的な位置にいた青木高貴である


フリースペースはコンテストにも積極的に応募し、
1977年には7・8・9月に都内の楽器店で開催されたコンテストを総なめにしたという
特に9月に新星堂で開催された「新星堂ROCKINN」では、
「ライブ・ツアー」という曲で優勝したことが知られる
なおこの時に特別賞を取ったのが横浜銀蝿だったという


フリースペースは1978年には、
持ち歌の「あれは夢」「悲しきドール」などがラジオでオンエアされたらしく、
それなりに注目されていたようである
「悲しきドール」は、八王子音楽祭で作曲賞も取ったという
他に「キューティ・レディ」「ムーンライト・シンデレラ」「Please Say You Love Me」という曲もあった
このフリースペースの活動が基礎となって、
木根・ウツたちは1979年、SPEEDWAYとしてプロデビューを果たすことになる


なお木根の仲間で、いち早くプロデビューを決めた者がいた
ベーシストの阿部晴彦である
フリースペースのステージにも、ギターで参加したことがあった
仲間内でも卓越した技術の持ち主だったと言い、
1979年にイルカのバックバンドのファンシー・ハウスのベースとしてデビューした
同年には木根らもSPEEDWAYとしてプロデビューすることになるから、
だいたいこの頃が木根たちにとっての画期となったと言えよう


仲間内でも将来を嘱望された阿部だったが、
1980/5/18に、アレンジャーの木田高介とともに、
山梨県で自動車事故を起こし、帰らぬ人となった
一ヵ月後の6/29、日比谷野外音楽堂で二人の追悼コンサートが行なわれ、
木根・ウツ・小室を含むSPEEDWAYや、
阿部在籍のバンドのスクランブル・エッグも参加した
なおTM3代目マネージャーの井上哲生は、
このスクランブル・エッグのメンバーである


この時の追悼コンサートは、
かぐや姫、吉田拓郎、山本コウタロー、はしだのりひこ、小室等、上条恒彦、ザ・ナターシャセブン、倍賞千恵子、イルカなど、
そうそうたるメンバーとの競演であった
(どうでも良いことだが、同姓ということでよく並べられる小室等と小室哲哉は共演経験があったことになる)
他の出演者とのあまりの知名度の違いのため、木根たちは大変いづらかったという
なおかつてSPEEDWAYの公式サイトには、
その後で行なわれた府中の児童会館の阿部追悼ライブの写真があった
(現在はサイトごと消滅)


阿部はイラプション時代から小室と知り合いで、
1978年頃に小室哲哉に作詞を依頼したことがあった
阿部は木根たちの一つ年下で、小室と同年代である
当時特に作詞家として注目されていたわけでもなかった小室に作詞を依頼するというのは、興味深い
その曲名は「You Can Find」といい、
当時阿部のバンド(おそらくスクランブル・エッグ)によって実際に演奏されていた
小室はこれを渋谷屋根裏というライブハウスで当時見ていた


後に2008年、TM NETWORKのアルバム「SPEEDWAY」レコーディング時、
この時に小室が書いた詩が見つかった
これを元に新たにピアノインスト曲として制作された「You Can Find」は、
「SPEEDWAY」に収録されている

(2006/8/5執筆 2006/11/24、2008/9/8、2010/12/26、2012/11/27、2014/1/12、2016/10/3加筆)

SPEEDWAY
よしもとアール・アンド・シー
2007-12-05
TM NETWORK
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この記事へのコメント

miho
2011年11月23日 14:58
5年の時を経てコメントします!
現在54歳のウツのピカピカの一年生の写真ですね!
このウツの写真が見られるとは思ってもいませんでした。感激です♪
面影ありますね!かわいいです。

この20年後から世の女性を狂わせてしまう運命があったんですよね~☆
私もCrazy歴22年です^^ ♪♪
青い惑星の愚か者
2011年11月25日 04:42
もう半世紀近く前の写真になりますが、面影ありますよね
きっとこの頃から人見知りだったんでしょうね(笑
miho
2011年11月25日 17:19
返信まで頂けて更に感激です!

ウツのツイッターに「誰の目にも触れられずネット界に存在し続けるのでしょうか!」とこのコメントのつぶやきをしたところです。

貴重な写真 ありがとうございました^^*
やまびこ
2016年11月03日 01:02
まだ全てを読んでいないので、最後まで読んでから追記された記事を読もうと思っていたのですが、誘惑に負けて読もうとしてしまいました。が、いきなり、いの一番に出てくる「TM NETWORK」の綴りが違うではないですか!! 惑星様、これで私は躓いてしまいました。また、戻ってきます。
青い惑星の愚か者
2016年11月08日 03:03
おおう…これは大変失礼いたしました。
NETWOIRK…なんでこんなことになっていたのか、自分でも頭を抱えます。
修正いたしましたので、どうぞお気をお鎮め下さいませ。
やまびこ
2016年11月08日 21:23
いやいや、お忙しい中、早速私のコメントに目をとめて頂き、感激しています。さすがにこのやりとりは、他の方は誰も見ていないでしょうね。久しぶりにゆっくりお会いしたいです。
智紗
2016年11月09日 00:20
少しだけの付け足しかと思えば、新情報がかなり増えててびっくりしました!
元ネタは出版物でしょうか?
やまびこ
2016年11月10日 20:05
おおっ、さっちんお久しぶりです!! 私、twitterが使えなくなってしまったんですよ。博多駅前の陥没事故は驚きました。おそらく影響はないと思いますが、お気を付けて。
青い惑星の愚か者
2016年11月11日 01:59
>やまびこさん
TMの活動は当分ないだろうし、ライブのついでもなかなかないでしょうから、どこかで時間作りましょう。
関西にいらっしゃる時には是非連絡下さいね!
とりあえずお気を鎮めていただけたようで安堵いたしました。

>智紗さん
結構増やしましたよ
第一部もかなり増えるので、なかなか加筆が進まないのです…(言い訳)
第二部~四部はもう少し早くできると思っているんだけど。

元ネタはほぼ出版物ですが、他に関係者の発言とか、ラジオでのメンバーのトークとかもあります。
30周年の前後で出版物が増えたのと、色々と見せてもらったものがあったりしまして。
早く加筆したかったて言ってたの分かるでしょ?(全然早くできていないんだけど)
智紗
2016年11月11日 07:42
>やまびこさん
陥没事故、びっくりしました。早朝とはいえ怪我人がいないのが奇跡です。お気遣いありがとうございます(^^)
>惑星様
公になっている情報と関係者証言だけで、ここまで書けるのはすごいです!前のからしたら別物ですもん
やまびこ
2016年11月11日 21:18
>惑星様
来週水曜日に大阪に行きますよ。TM Barがあれば良いのですが、なかなか良い場所がありませんねぇ~~~。まぁ、またゆっくり大阪に滞在できる時にご連絡させて頂きたいと思います。

>智沙様
再来週あたり福岡に出没するかもしれません。

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