1-15 Dragon The Festival Tour ①

このブログでは、
アフィリエイトでTMのCDなどにリンクを貼っていますが、
驚いたことに、
「Twinkle Night」「Rhythm Red」「EXPO」が絶版のようです
(アフィリエイトでamazonで売っているのは中古です)
「Best Tracks」とかどうでもいいベスト版は売ってるのに…
20周年記念ボックスが出たから、
単品のオリジナル版は不要ということでしょうか
せめてオリジナルアルバムくらいは、
常時用意してほしいものです


ちなみに9/29、
SPEEDWAYの「The Esther」「Base Area」が再発されたようです
なんで今再発したのかはよく分かりませんが…
さて、本編に入ります


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TM初のツアー「Dragon The Festival Tour featuring TM NETWORK」は、
1985/9/27からスタートし、10/31まで行なわれた
リハーサルは「Twinkle Night」「吸血鬼ハンターD」のレコーディング直後、
8/25~9/17にビビットスタジオ・目黒マッドスタジオで予定されており、
実際にもだいたいこの頃に行なわれただろう


すでに1984年秋には全国ツアーの計画が立ち上がっており、
その時点では5月開催の案もあった
この頃は2ndアルバムが4月にリリースされる予定だったから、
その直後にツアーを行なうという計画だったのだろう


その後のスケジュール変更の過程は不明だが、
2月には秋に延期されたことが発表されている
4月にも日程は確定していなかったが、
「Childhood's End」リリースの頃には決まっており、
リリースからまもない6月末にはツアーのチケット販売が始まった


さらにその後、FM山口開局記念のライブをTMが引き受けることになり、
11/27に山口市民会館で同じセットリストで開催された(開局は12/1)
山口公演は記念ライブと言うことで、入場は無料だった
これを含めると、ツアーは全8公演ということになる


演奏されたのは17曲、時間は1時間半超である
「Rainbow Rainbow」から5曲、
「Childhood’s End」から9曲の他、
前年の「Electric Prophet」で演奏された「Quatro」「Electric Prophet」に加え、
新曲「Vampire Hunter “D”」も演奏された


「Childhood's End」の中でも「さよならの準備」「Innocent Boy」は選曲から漏れた
小室があまりやりたがらなかったためらしい
この2曲は現在までTM3人で演奏された例がない
特に「さよならの準備」は、ウツが1986年以後もたびたび演奏を提案したが、
毎回歌詞が問題とされ却下され続けたと言う


11/1発売の「Your Song」も演奏されなかった
曲の制作がリハーサルに間に合わなかったのかもしれないが、
そもそもサンプラーを多用した同曲は、
この頃の機材では生演奏が困難だったのかもしれない


「Your Song」はこのライブの雰囲気に合う曲で、
なおかつ今後のライブでもほとんど演奏されなかっただけに残念である
この曲や「Twinkle Night」などツアー終了直後に発表された曲は、
次の「Fanks Dyna-Mix」でも演奏されず、
以後のライブでは不遇な扱いとなる


ステージの費用は3000万円かかったという
これは当時の新人としては破格であり、
金をかけたステージとしてかなり宣伝された
特に金をかけたのは照明器具で、
大量のライトを円形につなげて会場の上に吊らし、
曲によって稼動させるという仕掛けを使っていた


これはムービングトラスという3tに及ぶ装置で、
当時日本に1台しかなかった
これを動かす装置も、日本に4台しかなく、
この時その全部をTMが貸し切った
日本のライブで使用されたのはこれが初めてだったという


ムービングトラスの下はものすごく暑く、
ウツは大変だったらしい
見栄えがするという理由で使ってみたが、
ステージに与える影響などは考慮していなかったのだろう
この熱量のために、ステージ上のシンセに異常が起こったこともあった


機材として特にアピールポイントとなったのは、
サンプラーEmulatorⅡの導入である
これは当時レコーディングで使っていたものだが、
ライブにも導入され、「Dragon The Festival」「Vampire Hunter "D"」などで使用された


小室の衣装はフリル柄の王子様ルックである
正直言って、この小室はかなり恥ずかしい
しかし似合っていないというわけではない
むしろもともとのルックスとあいまって、
不思議なほど似合っている


ウツは前半は赤、後半は紺のスーツ姿である
木根は前半はキャプテンクック、
中盤はアーミールックの衣装、
終盤はアラビアのロレンスの服装で、
色物っぽさを遺憾なく表現している
実は本ツアーで一番多くの衣装が用意されたのは木根だった


木根には他に初日だけ使った衣装もあったが、
不評でやめたという
初日の9/27名古屋芸術創造センター公演の写真から、
ターバンを巻いたアラブ風の衣装の存在が知られるので、
おそらくこれを言っているのだろう
ウツもこの日は他公演で着用していない衣装を着たり、
ハチマキを巻いたりしていたことが確認できる

1-15.jpg
名古屋の3人


「Dragon The Festival Tour」は、
従来演奏の様子を知る材料となる商品が極めて乏しかった
具体的に挙げると、1994年の「Decade」「アクシデント」の1番サビ部分の映像が入り、
同年の「Groove Gear 1」「パノラマジック」の音源が収録され、
2004年に商品化した「TM VISION Ⅳ」「Faire La Vise」PVで、
ツアーのダイジェスト映像(音無し)が見られるくらいだった


その後2008年の「The Singles 1」の特典ディスクに、
「Dragon The Festival」「カリビアーナ・ハイ」「Rainbow Rainbow」の音源が収録され、
2015年の「TM NETWORK THE MOVIE」に、
「Dragon The Festival」の1番サビ前までと「Electric Prophet」2番が収録された
以上はすべて10/30日本青年館公演の映像・音源である


ただし「商品」に限らなければ、このライブはかなり材料が豊富である
まず1986年の初め頃に全国で放送された「TM NETWORK in THE VISION」で、
日本青年館公演から「Dragon The Festival」「Fantastic Vision」の一部、
「アクシデント」の大部分、「Electric Prophet」の全部を見ることが出来る


これに先立って1986/1/24テレビ東京「New Age Music」でも、
同じ素材を用いてライブ映像が放映されたが、
「Electric Prophet」だけでなく「アクシデント」も全部放映されており、
「Fantastic Vision」「TM NETWORK in THE VISION」とは別の箇所を放映している
一方で「Dragon The Festival」は番組エンディングに一瞬放送されるだけである


さらにテレビ山口の「TV Video Magazine」では、
1985/11/4に一時間半の特番を組み、
1985/11/27山口市民会館の公演から、
「Dragon The Festival」「カリビアーナ・ハイ」「Rainbow Rainbow」「Fantastic Vision」「Vampire Hunter “D”」「1974」「金曜日のライオン」「Quatro」「アクシデント」「Electric Prophet」
の10曲を放映した


同番組ではこれ以前に10/17広島県民文化会館で演奏した曲の中からも、
「Dragon The Festival」「Vampire Hunter “D”」「1974」「Electric Prophet」
をダイジェストで放映したことがある
この時は楽屋の様子なども放映していて、なかなか貴重である
特にこの時の松本孝弘などは、B'zファンには垂涎物だろう
ちなみに西村麻聡が、本名の「西村昌俊」で登場している


音源については、FM広島で2時間の特番が組まれ、
広島県民文化会館のライブが完全放送された
FM仙台では、2週に渡って日本青年館のライブの一部が放送されている
「Rainbow Rainbow」「8月の長い夜」「永遠のパスポート」「Vampire Hunter “D”」「Dragon The Festival」「1974」「金曜日のライオン」「アクシデント」


私は聞いたことがないが、1986/3/24にはFM愛媛でもライブ音源が放送されている
おそらく日本青年館公演だろうか
「Fanks Dyna-Mix」のチケットはこの頃に発売されたので、
その販促のための放送だろう


FM山口では開局日の1985/12/1に、
山口公演の音源が1時間半放送された
CMやコメントなどが入ったとしても、
ライブの大半は放送されただろう
以上の他にも未確認のライブ放送があった可能性は高い


だがこうしたラジオ・テレビの録音・録画を入手できるファンは限られた
その点で「Dragon The Festival Tour」は音源・映像のストックが存在することが明らかであるにも関わらず、
それらが商品の形で提供されないライブであり続けた


この情勢が大きく変わったのが2019年である
この年にリリースされたBlu-ray BOX「TM NETWORK THE VIDEOS 1984-1994」に、
特典ディスクとして本ツアーの日本青年館公演が完全収録されたのである
これによって本ツアーの全貌は一挙に明らかにされた


なおこの特典ディスクは映像素材から新たに編集されたものなので、
それ以前に放送・商品化されていたものとはアングルや音のミックスが変えられている
(逆に言えば別編集の古い映像にもなお価値が存する)
2019年時点では、1989年「Camp Fanks!! '89」とともに、
リニューアル前のTMのライブの全貌が判明する貴重な事例である


このツアーについて、ポイントを3つほど挙げておきたい
1つはSF的設定である
「Childhood's End」で現実的な雰囲気を打ち出したTMだったが、
ファンタジー的世界観の「Dragon The Festival」のシングルカットや、
メンバーを宇宙人になぞらえた「Vision Festival」のリリースにより、
この頃のTMはファンタジー・SF路線に回帰していた
さらにファンタジーアニメ「吸血鬼ハンターD」のサントラ担当も発表されていた
小室・木根の衣装は明らかにファンタジーの設定に基づいており、
この点では「Electric Prophet」以上に現実離れした雰囲気を出している


そもそもこのツアーのコンセプトでは、
メンバーは円盤からステージに降りた未来人という設定だった
1984年の「Electric Prophet」でも、
TMは未来から来た宇宙人という設定だった


これを具体的に示したのが、小室哲哉の未来小説「Electric Prophet」である
これは「PATI PATI」1985年11月号から1986年1月号にかけて3回連載されたものである
(GAUZEさん提供資料)
テーマは「誰にでもある運命的な出会い」である


なお2015年に発売された「TIME MACHINE BOX」には、
1994年以前の「GB」「PATI PATI」の記事を原則としてすべて収録しているのだが、
小説「Electric Prophet」は外されている
おそらくTMではなく小室哲哉の作品として掲載されたためだろうが、
これは是非収録して欲しかったと切に思う


「Electric Prophet」の舞台は22世紀の世界で、
建築家デューク・ファーナム、謎の東洋人シルバー、ロックミュージシャンテディ・ランドルが登場する
それぞれ小室・木根・ウツをモデルにしたキャラクターである
メンバー自身をモデルとしたキャラクターを小説に登場させ、
TMを異世界の住人に擬する手法は、
後の「CAROL Tour」につながるものといえよう


物語では、デュークが翌日に、
学術調査のために1985年にタイムスリップすることになっていた
そこにシルバーとテディが現れ、その中止を求める


実はシルバーとテディの本職は時間旅行の管理者であり、
過去に時間移動した人々の調査も行なうことができた
2人はデュークが1985年に一人の女性と恋に落ち、
以後エイドリアン・ファーナムと名乗って、
20世紀の世界に多大な文化的影響を与えることを、
事前に察知していた
だが時間管理者の立場としては、歴史を変えないように、
過去にさかのぼってその出会いを抹消する措置を取らなくてはならない
そこでこれを中止してほしいと求めたわけである


しかし一方で2人は、デュークと女性の出会いがすばらしいものとなることも知っており、
内心ではあえて法を犯してデュークを見守ることを決意していた
そのため最終的にはデュークに真実を伝えて過去に送り出す、というストーリーである
作中ではテディが、デュークに対して女性と出会う運命を伝えるシーンがあるが、
この時に歌ったのが「Electric Prophet」である


「Dragon The Festival Tour」では、
冒頭で円形のムービングトラスがステージの床から天井に上がっていき、
中からTMの3人が登場してライブが始まるが、
これは3人が未来から1985年に到来したことを表現している


未来小説「Electric Prophet」ではデュークが1985年に旅立つところまでが描かれたが、
これを受けてデュークら3人が1985年の日本に現れるのが「Dragon The Festival Tour」だった
いわば小説はツアーの前日譚に当たる
(小説ではデューク1人で旅立ったはずなので矛盾するのだが)
その場合、デュークが出会う女性とは、ファンの誰かということを示唆してもいよう
ファンを盛り上げるこのような設定が、本ツアーには盛り込まれていた


本ツアーのポイントの2つ目は、バンド形式の採用である
「Electric Prophet」はほとんどの音をシンセが担当する異色のライブだったが、
ツアーでは多くのサポートメンバーを集め、
生のギター・ベース・ドラムを備えたバンド形式を採用した
以後メンバーこそ変動し、
ベースはシンセで処理されることもあったが、
バンドスタイルでのライブはTMの基本的な形になった


一つには、初の全国ツアーということで、
コンピュータトラブルを避けるため、
生音の比率を上げたことがあるのだろう
この時はトラブル対策で、打ち込みも最小限に留めたという


レコードで発表されていた楽曲も、
シンセ演奏の部分を生楽器のパートに変更するなど、
バンド向きのアレンジに変更されている
「Rainbow Rainbow」収録曲も多くは「Electric Prophet」でのアレンジをバンド風にしたものである


小室はこのツアーで楽曲のライブアレンジに意欲を示しており、
「レコードの完璧なリミックスバージョン」を一つのコンセプトにしていた
ただアレンジのインパクトという点では、
シンセを前面に出した「Electric Prophet」ほどではない


小室はこの時の演奏について、テープは使っていないと言っている
この発言は逆に、これ以前のライブ(1984年「Electric Prophet」)でテープを使用していたことを推測させるが、
それとともに「Dragon The Festival Tour」では、
テープを使わず生演奏できるアレンジが目指されていたことが分かる
コンピュータを駆使したライブが、この時にようやく実現したとも言える


サポートメンバーとしては、
ほとんど身内の存在だった小泉に加え、
ギターに松本孝弘、キーボードに白田朗、
ベースに西村麻聡、ドラムに山田亘がいた


西村・山田は後にFence of Defence、松本はB'zを結成する
後にFence of Defenceのギターを担当する北島健二も、
当初このツアーのサポートとして小室に誘われていたが、
仕事の関係で断り、代わりに松本を紹介したという


小泉はこのツアーを最後にサポートから外れるが、
白田・西村は1986年、山田は1988年、
松本は1989年までサポートを務めた
後のTMライブの基本メンバー(いわゆるTMファミリー)は、
ベースの日詰昭一郎(1987~88)を除き、
だいたいこの時に集まっていた


ツアーの打ち上げの時には、
メンバーとサポートでツアーパンフに寄せ書きをして、
また機会があったら一緒にやろうと言って別れたという
TMのサポートは、メンバーとの連帯感が大変強く、
ファンの間でもそれぞれに思い入れがあったりする
今でも付き合いがあるようだ


なおプロデューサー村田正樹、演出家鬼塚玲二、PA小野良行など、
メインのツアースタッフの多くも、
基本的にこの時から「EXPO」期まで同じだった


ポイントの3つ目は木根の役割である
「Dragon The Festival Tour」はツインキーボード(小室・白田)、ツインギター(木根・松本)の編成だった
しかしキーボードについてはともかく、
ギターがメインではないTMライブでツインギターは本来必要ない
これはそもそも木根にはギターとしての役割がほとんど期待されていなかったことによる


木根は2014年のテレビ出演時、1987年「Fanks Cry-Max」の映像を出して、
自分がエアギターだったことを自ら述べたが、
2016/12/15「じっくり聞いタロウ」ではこれについて釈明し、
オクターブ奏法で演奏していたため指が動いて見えないだけであると述べた
この点は木根の言う通りであろう


ただしここで重視したいのは、むしろ木根がついでに話したことである
すなわち「最初のツアー」ではアコギはちゃんと演奏していたが、
エレキギターはぶら下げているだけで音を出していなかったと述べたのである
「最初のツアー」とは「Dragon The Festival Tour」を指しているに違いない


バラエティ番組だけに話を盛っているところもありそうだが、
本ツアーでエレキをほとんど演奏していなかったというのは、
いかにもありそうな話である


これまでこの話をちゃんと触れていなかったので、改めて書いておこう
木根のSPEEDWAY時代のパートはキーボードであり、
アコースティックギターは弾けたものの、
エレキギターはもともと守備範囲外だった
それにもかかわらずTMでは、
キーボードは2人もいらないと言う小室の意見によってギター担当にされてしまったと、
木根はしばしばネタとして語っている


一般にこの件は、デビュー当初1984年のことと考えられている向きが強いが、
「Dragon The Festival Tour」のエレキギターのエピソードから考えても、
実は1985年のことだったのではないかという疑念が湧く
そもそも1984年の木根がエレキ担当というのも自明ではない


TM最初の映像である「金曜日のライオン」PV(1984年3月制作)では、
木根はキーボードを演奏しており、
同時期に制作された「Rainbow Rainbow」PVでも、
鍵盤を演奏するパントマイムを行なっている
「金曜日のライオン」PVの後のメンバー紹介でも、
「NAOTO KINE」は「VOVALS, KEYBOARDS」とされている


さらに「Keyboard Magazine」1984年5月号では、木根の担当が「キーボード類」とあるし、
「Player」1984年10月号(9月頃発売)では小室が木根を、
「TMネットワークのもうひとりのキーボード・プレイヤー(ライブではギターも弾きますけど)」と呼んでいる
要するにデビュー当時の木根は、そもそもギタリストとされていなかった


1984年12月の「Electric Prophet」での演奏の様子を見るに、
木根はライブでは基本的にキーボードを演奏するが、
曲によってはアコギやエレキも演奏するというスタイルだったようである
「Quatro」「カリビアーナ・ハイ」「1974」「Electric Prophet」など)
6月の「ファーストコンサート」でも、
木根の担当機材にはキーボード・アコギ・エレキが含まれているが、
おそらく同様のプレイスタイルだったと考えられる


「1974」PVで木根がシンセを前に置きながらアコギを弾いているシーンなどは、
生演奏シーンではないものの、当時の演奏スタイルを反映したものだろう
TMはこの頃のテレビ出演ではほぼ「1974」を演奏していたため、
木根は間奏のアコギを目立たせるためにギターを持つことが多かったが、
扱いとしてはキーボード担当だったと見るべきであり、
少なくともエレキギターの比重は高くなかったと考えられる


これに対して「Childhood's End」期のPVでは、
木根はギターしか持っていない
「Vision Festival」の宇宙船シーンも同様である
これらは実際の演奏シーンではないが、逆にそれだからこそ、
木根をギタリストとして売り出そうとしていたことをうかがうことができる


こうして見ると、実は木根がギタリストに「なった」のは1985年であり、
小室が木根に演奏しないエレキをぶら下げていろと言ったのも、
その頃だったと考えるのが自然だと思う


ここをもう少し詳しく見てみると、
1984年末から1985年初めの木根は、ギター兼キーボードとして扱われている
たとえば1984/10/26「おもしろザウルス」では、
木根は「ギターとキーボード」として自己紹介している


商品になっているものでは、「TM VISION Ⅰ」収録の「Fantastic Vision」PVに、
「NAOTO KINE」は「KEYBOARDS, GUITER」と明記されている
(「GUITER」はPV中の表記のまま)
5月頃に配布されたと見られる「アクシデント」「Childhood's End」販促用パンフレットにも、
「キーボード、ギター、ボーカル、作曲」とあり、
この時点でも第一に挙げられているのはキーボードである


しかし1985/6/17放送の「ファンキートマト」では、
木根は「ギターの木根尚登」と自己紹介しており、
以後のTV出演ではもっぱらギタリストとして紹介されるようになる
それはちょうど「Childhood's End」楽曲のPVが公開されるようになる頃でもある


以上を勘案すると、「ギタリスト」木根は、
「Childhood's End」リリース前後のプロモーション期頃に誕生したようである
1984年のプロモーションで木根があまり表に出なかったのは周知の通りだが、
小室は1985年に木根を表に出すに当たり、
キーボード小室・ギター木根という覚えやすい設定を設けたのだろう
テレビで演奏する場合に、
小室・木根の役割がはっきりと分かるようにした方が得策とも考えられたに違いない


そして木根は「Dragon The Festival Tour」でもギタリストとして出演した
そもそも木根の前にはキーボードが置かれてもいない
冷静に考えれば、キーボード担当の正規メンバー木根をギターに回し、
サポートのキーボードを入れたと言うのもなかなかすごい話と思う


こうして木根はギタリストに転身したが、
実際にはエレキを弾くことはなく、アコギの演奏も限られた場面でのことだった
このことはサポートメンバーとのバランス的にも問題にはなっただろう
普通にライブを行なうだけでは、
どう考えても松本や西村の方が木根よりも目立ってしまう


そこで小室が木根のために考えたライブでの役割はパフォーマーであった
この発想の前提には、
Howard Jonesの来日公演で見たJed Hoileのパントマイムパフォーマンスがあったという
当時のHowardのライブはシンセのHowardとパントマイムのJedで行なわれていたが、
Howardは1985年8月に来日しているので、おそらくこの時のことであろう


木根はたとえば「Dragon The Festival」のイントロでは、
体を揺らして手に振りながら動き回り、
アウトロではキャプテンクックの格好で望遠鏡で会場を覗きこむ
「Fantastic Vision」の間奏では、
木根が宝箱を持ってきて、中からクラリネットやバイオリンを出し、
演奏するポーズを取っていた


木根はしばしば小室の無茶ぶりでライブで色々なことをさせられたことをネタにしているが、
このツアーの木根は、むしろかなり優遇されて見せ場を与えられていた印象である
もちろんそれがイロモノとしての扱いだったことは否定できないが、
そもそも1984年の木根は上層部の意向で前面に出されておらず、
場合によってはその後メンバーから外されていた可能性も十分にあったはずである


この時期のレコーディングは小室と小泉洋が中心で、
木根のアイデアが反映される機会はほとんどなく、
音作りの面からも木根が切られる可能性はあった
木根は売れる以前、自分の音楽がやれず、
TMをやめようと悩んだ時期もあったというが、
1984年の木根が厳しい状況にあったことは、今でも容易に想像できる


そのような境遇にあった木根を表面に出すべく戦略を練った小室は、
一面では木根の恩人と言うこともできる
その折に小室とかぶらない木根の役割を考え出したのは、
戦略としては正解だっただろうと思うし、
だからこそ木根は小室の「無茶ぶり」にもついて行ったのだと思う


ギタリストの肩書を帯びながら、
実質的にはライブでのパフォーマーという木根の立ち位置は、
これ以後も80年代を通じて続く
もちろんツアーを続ける中で、
エレキギターも少しずつ上達はしていっただろうが、
ライブでギターの中心を務めたのは、
80年代を通じて松本孝弘だった


そうした中で木根はパントマイムや竹馬・手品・空中浮遊など、
毎回のように新しい芸を習得し披露していく
(その裏には大変な努力があったと思われるが)
これは当時、TMライブの一つの見所ともなっていた
1987年頃、ファンでもなかった自分でも、
木根のパントマイムの話を知っていたほどである


90年代のTMN期にはNETWORK期のイメージを払拭するためか、
こうしたパフォーマンスは行なわれなくなってしまったが、
(代わって一曲ボーカルを取ることになった)
TM NETWORKとして復活した今は、
また何か芸を出してくれても良いのではないかとも思う


なおライブのパフォーマンス性についてはウツも気にしていたようで、
ジャズダンスを2ヶ月習ってツアーに臨んだ
ただあまり役には立たなかった
そこで翌年には別のインストラクターについてダンスを学んだという


最後に「Dragon The Festval Tour」の成果について
「Childhood’s End」同様、FANKS期の成功の前段階として、
このツアーにはあまり高い評価が与えられていない
(というか、あまり言及されない)
しかし東京・札幌・広島など「Electric Prophet」の公演を行なった都市や、
大阪でもチケットは即日完売しており、
まずまずの前評判だったと見て良い


そして本ツアー中には、すでに次のツアーの開催が決定していたようで、
11/2には翌年の全国ツアー開催がテレビで告知されている
10月中には決まっていたと見るべきだろう
これは1986年の「Fanks Dyna-Mix」に当たるが、
それは「Dragon The Festival Tour」の2倍の15公演となった
この公演数の倍加は、
「Dragon The Festival Tour」が商業的にも一定の成果を上げていたことの反映でもあろう


さらにあまり触れられることがない話題だが、10月の時点では、
1986年1月か2月頃にツアーの「スペシャル・バージョン」が企画されていた
ツアーの2倍くらいの規模の会場で、演出も変更するつもりだったという
ツアーファイナルの日本青年館(収容規模1360)の倍の規模となれば、
2000人近いホールで開催する予定だったことになろう


1986年のツアー「Fanks Dyna-Mix」の後、
特別ライブとして「Fanks "Fanatasy" Dyna-Mix」が開催され、
1987年のツアー「Fanks! Bang The Gong」の後、
特別ライブとして「Fanks Cry-Max」が開催されたように、
「Dragon The Festival Tour」の後にも特別ライブが計画されていたらしい
ツアーで演奏できなかった「Your Song」「Twinkle Night」など、
「Twinkle Night」収録曲を演奏することも考えていた可能性もある


実際には1~2月は「Gorilla」のレコーディングの真っ最中であり、
このライブは実現しなかった
だがそもそも当時のTMにとって最大規模となるはずのライブの計画が、
10月にまだ計画段階に留まっていたのは、かなり不可解である
80年代のTMはライブのチケットを3ヶ月前頃に販売するのが一般的であり、
大規模なライブとなればなおさら、
10月頃には開催告知が行なわれている必要があったはずである


当時音楽雑誌に掲載された10/30日本青年館公演のレポートでは、
スペシャルライブの予定に言及されている
日本青年館公演の前後まではスペシャルライブの予定が生きていたと見られるが、
結局見送ることになったのだろう


以上、前置きが非常に長くなってしまった
本来ならばここからライブ本編の話になるのだが、
分量の都合上、次章に回すことにしたい

(2006/10/1執筆、2006/12/12、2008/9/28、2009/1/8、2013/1/25、2014/1/12、2016/12/19、2017/5/3、2019/7/17加筆)

TM NETWORK THE VIDEOS 1984-1994(完全生産限定盤)(Blu-ray Disc)(特典なし)
TM NETWORK THE VIDEOS 1984-1994(完全生産限定盤)(Blu-ray Disc)(特典なし)

この記事へのコメント

kaiesan
2009年02月22日 09:04
ヒロシマFM
DRAGON the FESTIVALオンAIR完全版をこっそり紹介
(ニコ動)ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm6019693

密着TOUR『DRAGONtheFESTIVAL』やま 口
(にこ)ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm5701044

金色の夢みせてあげる
(つべプレイリスト)ttp://www.youtube.com/view_play_list?p=B2289CE9F468BBB8


蒼い惑星の愚か者
2009年02月25日 18:56
「入手困難」と書いたものも含め、あらかたアップしていただいてしまいましたね(笑
初期TMの魅力を多くの方に伝えられるきっかけになればと思います

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    Excerpt: ネクタイ 締め方~かっこよく着こなそう Weblog: ネクタイ 締め方 racked: 2006-12-13 00:41
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    Excerpt: ◇2013/1/25 「Childhood's End」期の記事から、 「1-9 Childhood's End」「1-14 Timemachine Cafe」「1-15 Dragon The F.. Weblog: 20 Years After -TMN通史- racked: 2013-01-26 00:56

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