2-35 サポートメンバーの活動 (ハンバーグ&カニクリームコロッケ含む)

 ニューシングル「Welcome Back 2」の詳細発表!(リンク先に画像あり)
YRCN-90003/¥1,260(税込)
2007年10月31日発売

1. WELCOME BACK 2
 作詞・作曲・編曲:小室哲哉
2.N43
 作詞・作曲:木根尚登/編曲:小室哲哉
3.WELCOME BACK 2 -TV MIX-
 作詞・作曲・編曲:小室哲哉
4.N43 -TV MIX-
 作曲:木根尚登/編曲:小室哲哉
5.MEMORIES
 作曲:モデスト・ムソルグスキー/小室哲哉/編曲:小室哲哉


今回は歌入りが小室曲1+木根曲1と、そのカラオケ、
そしてインストが1曲のようです
2曲目は、木根作詞というのは珍しいですね
5曲目はムソルグスキーの曲が引用されているのでしょうか
どんな音か分からないのがもどかしいですが、
いろいろと動き出していることが伝わってきます


またTMがTOKYO FMに生出演するとか(15分だけですが)
パシフィコ横浜のライブについても話してくれそうですね
放送日 10月22日(月)
放送局 TOKYO FM 
番組名 『DIGA WONDERFUL STREET WORLD』渋谷スペイン坂スタジオより生放送
(『WONDERFUL WORLD』番組内 )
放送時間 17:40~17:55(生放送)
※サテライトでの観覧についての詳細は決まり次第ご案内致します


さて今回で、長かった第2部もついに最後となります
番外編として、サポートメンバーの活動をまとめてみました
そういえばこの間、B'zがアメリカで、「ロックの殿堂」入りしたらしいですね
まあそれはともかく、本編に入ります


---------------------------------
1987年にTMがブレイクを迎えたのと前後して、
TMのサポートメンバーたちもメジャーデビューを果たしていった
この過程について、本章で簡単に触れておこう


TMサポートメンバーで最初にデビューしたのは、
Fence of Defenseである
メンバーは西村麻聡(ボーカル・ベース)・北島健二(ギター)・山田亘(ドラム)の三人である
西村・山田はTMのライブでサポートを務めてきたし、
北島も「Rainbow Rainbow」で、TMのレコーディングに参加している


デビューは当初1986年秋の予定で、
春にはデビューに向けたリハーサルも行なっていたが、
実際のデビューは1987/6/21となった
アルバム「Fence of Defense」、シングル「Faithia」がデビュー作だった


彼らの最盛期は1988~89年頃で、TMの最盛期と重なっている
1988/9/21発売のアルバム「2235 ZERO Generation Fence of Defense Ⅲ」が、
唯一の十位以内にランクインした作品である(7位)
同日発売のシングル「Sara」が、
「City Hunter」のオープニングに用いられたことが大きい
1989/3/15には単独で武道館ライブも行なっている
「2235 ZERO GENERATION 完結編」


レーベルはTMと同じEPIC/SONYだった
ロックとデジタルサウンドを融合したという点で、
後にデビューするB’zも、サウンド面では同様の方向性であり、
TMのサポートとしての知名度を利用し、
そのファン層の獲得を狙ったものと思われる
ただシングル以外はロックサウンドの要素が強く、
TMのフォロワーというわけではない


彼らはしばしばTMファミリーの一例として挙げられるが、
その扱いはいささか失礼かもしれない
というのも、彼らの結成は1985年6月で、
西村・山田がTMのサポートとなる以前であり、
TMの下で知り合い結成したわけではないからである


また北島は、1979年に織田哲郎・長門秀介と共にWhyのメンバーとしてデビューしており、
1981年にはソロデビューも果たしている
キャリアから見ても小室より上だった
以前触れた通り、1981年頃の小室と親交があり、
STAYのサポートメンバーとしてライブに参加したこともある
1982年には香港歌手サミュエル・ホイ(許冠傑)のアルバム「難忘你・紙船」で、小室と共演もしている


西村もTONYのメンバーとして、1980年にはデビューを果たしているし、
山田は1981年、白井貴子のバックバンドCrazy Boysのバンドリーダーとしてプロデビューしていた
Fenceの3人の年齢も小室と一緒であり、
彼らの場合はTMと同世代の音楽仲間と考えた方が良いだろう


ちなみに北島が所属した織田哲郎&9th Image(1980-81年)には、
ベースに松井常松(後のBOOWYベース)がいた
BOOWYがかつてビーイングにいたことは有名だが(後に決裂)、
1980年代後半に活躍するミュージシャンが、
1980年代初頭から色々なところでつながっていたことが分かる好例であろう


Fence of Defenseに遅れること一年、
1988/5/21には松本孝弘が、
インストアルバム「Thousand Waves」でソロデビューした
Chick Corea「Spain」
小室哲哉「Vampire Hunter “D”」などのカヴァー曲を除き、
自らの作曲・演奏によるものである
「Play it so loud」では、小室がゲストで演奏している


さらに9月には、
ボーカル稲葉浩志とともにユニットを結成しデビューした
有名なB'zである
ビーイングの長門大幸がTMを意識して結成させたことは有名で、
もともとビーイング所属だった松本に加え、
小室似のボーカルとして稲葉を選んだという
初期のサウンドも、Fence of Defense以上にTMに近い
デジタルサウンドとダンスビートを表面に出したサウンドは、
明らかにTMのフォロワーだった


B'zのブレイクは1989年の終わり頃である
1989/10/21発売の「Bad Communication」がラジオ・有線でヘビーローテーションで流され、
ロングヒットとなったことによる
10位以内には一度も入らなかったにもかかわらず、
100万枚を越すセールスを記録した(最終的に118万枚)


この時期はちょうどTMが活動を休止した直後で、
しかも小室哲哉のソロ活動をめぐってファンの評価も割れていた時期である
そうした中、B'zに流れるファンが多く現れた
さらに1990年、TM NETWORKがTMNに改称し、
ハードロックを試み、旧TMサウンドを求めるファンの不満を生んだことは、
この動きを加速させることになった


1990年のB'zも、
シングル「Be There」でTMさながらのデジタルサウンドを披露し、
「Wicked Beat」という「Dress」さながらのリミックスアルバムを発売するなど、
旧TMファンをひきつけるサウンドを提供し続けた
TMの二番煎じという意見もありえようが、
TMファンの一部が望んでいたものを体現してくれたところは確かにあった


こうした中B'zは同年、
シングル「太陽のKomachi Angel」、アルバム「Risky」で、
ついにチャート首位を獲得する
以後B'zは、現在までシングル・アルバムで首位を獲得し続けている
これ以後のB'zは人気の面でTMをはるかに凌駕し、
TMフォロワーの枠を超えて松本の持ち味でもあるロック色を強め、
独自性を強めていく
特にTMが実質的な活動を終えていた1993年頃には、
ビーイング全盛期の中で、その旗頭的な存在になる


この段階になると、サウンド面でTMとの連続性はほとんどなくなるが、
一方で松本は、
決してTMサポートメンバーの時代を忘れているわけではない
1994年のTM終了ライブ「TMN 4001 Days Groove」
20周年記念ライブ「Double Decade Tour Final」にも、
スペシャルゲストとして出演し、
前者では「Get Wild」「You Can Dance」
後者では「Beyond The Time」「Human System」「Seven Days War」を演奏した


ここらへんは松本の人柄にもよるのだろうが、
売れた後にも自らのルーツとしてTMを評価しているようである
たとえば「TMN最後の嘘」に掲載された松本のコメントを以下に引用する

 同じミュージシャンでもTMのやり方に共感できるタイプと、それが嫌なタイプに分かれると思います。僕は共感できるタイプのミュージシャンでしたね。音楽はもちろんだけれど、コンサートのつくり方やプロモーションの方法も。全部が計算されていたと思います。先の先まで読んでやっていたというか。この時期にこうすれば、次はああなる……だから、ここでこうしよう……とか。僕はそれを面白いと思えたし、最初は”こんな人たちが日本にもいたのか”って驚きました。僕がB'zのリーダーとしてやり始めてから、あのときのテッちゃんはこういう気持ちだったんだろうな、とわかった部分もありますね。
 初めてTMNの終了を聞いたときは残念でした。でも、終了の新聞記事を見て、TMらしいな、と思いました。テッちゃんらしかった。ある意味で潔いでしょ。僕なんかだと、終了の文章にしても、もっと未練がある書き方をしてしまう気がします。
 TMの歴史を振り返ると、日本のミュージック・シーンの中でいろいろなことを最初にやってきた人たちだと思います。B'zの初期は、確かにTMの流れを汲んでいたしね。
 ギタリストとしてTMの最初のコンサートにも参加していましたが、TMの仕事はそれで終わりだな、と思っていました。当時のTMはギター・サウンドでもなかったし、あの頃の僕が弾きたかったスタイルとも違っていましたから。そうしたら次のツアーのときも電話がかかってきて、少し考えました。三人ともいい人だから、一緒にツアーをやれば面白いのはわかっていたけど、サウンド的に僕でなくてもいいんじゃないか、と思ったところがあったから。でも、今思うとやってよかった。あのあとからTMって俄然面白くなったんだからね。シンセのダンス・ビートの中でギターを弾くなんて機会は、TM以前にはなかったですからね。あの当時はTM以外にはやっていなかったことだし。そこで苦労はしたけど、あそこから始まったものが今の僕のスタイルの一部にはなっていると思います。アレンジのスタイルでも影響を受けたし。とくにB'zの初期はテッちゃんの影響が大きかったと思います。


最後にもう一人、日詰昭一郎について触れよう
日詰のデビューは1988年のことである
ただし当初はソロ名義ではなく、
TMメンバーとのコラボレートで、
ハンバーグ&カニクリームコロッケとしての名義だった


バンド名は、TMメンバーがファミレスで好きなメニューにちなむ
メンバーがすかいらーくに入った時、
ハンバーグ&カニクリームコロッケというセットメニューを注文したが、
小室がハンバーグ、
木根がカニクリームコロッケ(小室は食べられない)、
ウツがコーヒーを取って、
遅れてきた日詰が残り(ライスとサラダ?)を取ることになってしまった、
というエピソードによる


ボーカル・サイドギターはドクトル日詰(日詰昭一郎)で、
楽器はTMメンバーが専門ではないパートで演奏した
後の「Tour TMN EXPO」の時のMetal Pavilionでも同様の試みがあったが、
バンドをやっていると他のパートをやってみたくなるものなのだろうか
メンバーの間では、1984~85年頃から、
パートを変えてバンドをやって、T-Rexを演奏してみたいという話があったという
芸名が絶妙にダサいのが魅力である

・ギター:スーパーウェーブ小室
・ベース:ファンキーチョッパー木根
・ドラム:バックオーライ宇都宮


このバンドはTMファンの間ではしばしば話題に上がるものである
実は以前述べたように、
自分は「小室哲哉のSF Rock Station」をリアルタイム聞いたことがなく、
そのためこのバンドが結成された過程を詳細に知らないのだが、
kaiesanさんが提供してくださったラジオ音源などをもとにまとめてみよう


結成のきっかけは、ラジオ番組「小室哲哉のSF Rock Station」で、
メンバーの代わりにピンチヒッターで大江千里がDJを務めた時、
「神社でBしちゃいました」という内容の葉書で大受けし、
これをテーマに曲を作ったことによる
曲名を「神社でB」という
今の若い人には「B」の意味が分からないかもしれないが、
当時は恋人の親密度がABCで表現され、
ペッティングがB段階とされていた

恋はいつもマジック 魔法にかかった君は
僕の腕の中     瞳をうるませる
2人だけの愛の神社さ
神社でB 神社でB 神社でB 神社でB


サビの「神社でB」のフレーズは、なかなか頭に残る
2番で「ジンジャジンジャジンジャジンジャ」と連呼するところは、
冗談か本気か分からないテンションである
最後は、日詰と女性の微妙なセリフ掛け合いで終わる
日詰「神社でC」 女性「えーうそー? ホントに?」


作曲はドクトル日詰、作詞はドクトル日詰ととおなねき(木根)である
とおなねきは「木根尚登(きねなおと)」を逆に読んだものである
編曲はハンバーグ&カニクリームコロッケ名義となっている
レコードはJimbeesというインディーズレーベルで受注生産された
値段は「SF Rock Station」の放送局東海ラジオの周波数に合わせて1332円だった


レコードが欲しい者はラジオで告知された住所まで申し込みを行なうと、
1週間以内に「神社でB」を聞くべしというドクトル日詰の診断書とともに、
購入申込書が届けられた
そしてこれで購入申し込みを行なうと、
1ヶ月以内にレコードが届くことになっていた
当時申し込んだファンの方のお話を聞くに、
おそらく受付開始の告知は1988/6/14「TM NETWORKのSF Rock Station」で行なわれ、
レコードは7月頃にファンの下に届けられたようである



ドクトルの診断書



なお後述の1987/12/28のライブでのファンとのトークでは、
雑誌「ラジオパラダイス」の人気投票で日詰が1位になったら、
「神社でB」をレコードにするとメンバーが発言している
冗談だとは思うが、この時点ですでにレコード化も念頭にあったのかもしれない


日詰を「ラジオパラダイス」で1位にするというのは、
7月頃から小室が言い出したことだった
リスナーはそれに応じて、雑誌に組織票を投じるようになった
日詰は1987年8月号までは0票だったのが、
9月号(集計期間6/8~7/7)で7票、
10月号(人気投票集計期間は7/8~8/7)で353票・8位となり、
以後半年以上、上位ランキングの常連となった
たとえば1988年4月号では、小室99位(29票)だったのに対し、
日詰は7位(462票)であり、圧倒的な票数差となっている
(ことこさん提供資料)


レコードジャケット表は、日詰がベッドで全裸の女性(セミヌード)と2人っきりで、
白衣・サングラスと聴診器を身につけてこちらを見ているというものである
裏面は、日詰が上半身裸で全裸女性の横でベッドに入っているもの
サングラス・聴診器を付け、カルテとペンを持っている
歌詞とメンバー四人のサインもついている


B面は「恋のながら族」である
当時のTMマネージャーをテーマにした曲で、
作詞とおなねき、作曲ドクトル日詰、編曲ハンバーグ&カニクリームコロッケ
何人もの女性と関係を持つ男性の姿が歌われている
(とまじめに文章で書くのもどうかと思う歌詞だが)

ジャーマネ稼業もなれたもんさ 名刺一枚差し出せば
どんな女もついてくる ワンレングス・いたいけ・アトミックボディ
業界言葉もバリバリさ ツアージャンパーのバンドネーム
どんな女もついてくる テニスガール・フロントガール・モーニングガール
今日も坂をころげ落ちるぜ 俺は恋のながら族
中洲のホテルでB子に電話をし NA・GA・RA 鹿児島のC子に首ったけ
小倉でE子とお手々をつなぎ NA・GA・RA 名古屋のあの子にほんのりほの字
なんちって おまえふざけんなよ
俺は恋のながら族



以上2曲は1987年にレコーディングされ、ラジオでも放送されていたが、
この頃はアレンジや歌詞の一部がレコード版とは違った
またラジオでは「土管でC」という曲も発表されたらしいが、
聞いたことはない(是非聞きたい!)


このレコードはファンの間でも、
コレクターズアイテムの一つとしてしばしば挙げられる
最近ではネットオークションに出品されている
今後のCD化の可能性もほぼないだろう


企画の性格やメンバー構成から、
ライブで聞くことはほとんどできないが、
木根のソロライブに日詰が来た時に演奏したことがあるらしい
「Crazy marmalaid」のライブレポより
しかし日詰の逝去した現在では、永久に聞くことはかなわなくなってしまった


この企画は、ラジオでの気楽な企画が実現したもので、
メンバーとファンの距離の近さを実感できた良き思い出としても語られる
しかしこの企画は一面では、
日詰のソロデビューの布石としての意味もあった可能性がある


日詰は1988/10/5にシングル「ああ異常」でソロデビューし、
10/25にはアルバム「ロマン神経衰弱」をリリースしている
このアルバムでは、小室が「Dear Friend」を作曲しており、
また編曲でも四曲関わっている
レコーディングでは、小室と松本孝弘も参加している


なおレコードのレーベルは、松本・日詰ともBMGビクターである
Fence of Defenseと松本は、現在まで継続的に活動を続けているが、
日詰の個人名義の作品は、
1989年の「Take a Chance」以後無いようである


最後に、ハンバーグ&カニクリームコロッケの一度きりのライブの様子を書いて、
本章を終わりにしたい
1987/12/29放送の「SF Rock Station」番組内の企画として行なったもので、
リスナーも会場に招いて行なった
開催は1987/12/28で、
メンバーは「Kiss Japan Tour」の頃、時間を見つけて練習していたらしい
(ただし全員そろってのリハーサルは12/26の1回だけ)


まずは軽いバンドの演奏で始まり、ドクトルのMC
ヘイ、こんばんわ。ハンバーグ&カニクリームコロッケです。
今日はそれぞれの楽しみ方で、金色の夜を笑おうよ、オーライ?

まずはウツのMCをパロったMCで笑いを取る

えー、じゃあ、次、1曲目。
はずかしい曲で、あ、懐かしい曲だ(会場、笑)。懐かしい曲を一曲。「Stand By Me」


たどたどしいMCで曲に入り、
たどたどしいベースソロでスタートする
Ben E. King「Stand By Me」のカバーである


ついで2曲目、オリジナル曲「恋のながら族」
サビの「俺は恋のながら族」の「ながら族」のところでは、
会場に合唱を求めるが、あまり反応はなかった
ラストのセリフパート、「ながら」の部分は木根が担当したようだ


ついでMCを挟んで、
Jeff Beck「Sweet Sweet Surrender」のカバー
イントロ、小室のギターがミスりまくって中断
改めて再スタート


次の曲に入る時もイントロでミスり、
さらに日詰も「あれ?歌詞なんだっけ?」と言って演奏中断
(これは仕込みっぽい)
仕切りなおしてThe Beatlesの「Twist and Shout」を演奏する


日詰が「最後に」と言うと、会場から「エエー」の声
しばらくそれをネタにMCを入れ、
日詰が最後の曲に入ろうとすると、木根が口を挟む
(多分ウツが)足がつりそうだというので、少し休憩を、ということである


日詰「ホント!?」と呆れた様子
ウツ「かなり、ヘビー」
さっきからリズムがおかしかったのはそのせいかと聞くと、
木根は「そういう問題じゃないと思う」と回答


日詰の提案
「そうかな? じゃあ、今ちょっと休んでやるか、それとも一気にやっちゃって、この後ずっと休むか、どっちにする?」
するとウツの意を受けたらしい木根が、「いけるかな?」と答える
結局「一気にやっちゃう」方を選ぶことになった
ひどいグダグダぶりである


最後はもちろん「神社でB」
こんな曲なのに、イントロがライブバージョンである
「オーライ?(客:イエー!) オーライ?(イエー!) オーライ?(イエー!) どっから来たの?(家ー!)」
かなり古典的な客との掛け合いを経て、歌に入る
「神社でB」のコーラスはTMメンバーが行なう
曲は少しかっこよくアレンジされている


間奏で日詰が、「ここで、ハンバーグ&カニクリームコロッケのメンバーの紹介をします」と、
メンバー紹介タイムに入る
各自紹介されると、少しずつソロ演奏を披露する
その後は、最後の盛り上がり
「1,2,3! ふたりーだけの愛の神社さーウォーウォー」


最後はバンド演奏の中、日詰の情けないMC(笑)でライブは終わる

今日はどうもありがとう! サンキューベイビー!
今日のことは絶対みんなに内緒だからね!
絶対に誰にも言っちゃだめだよ! 分かった!?
サンキュー!


ライブの後は、しばらくメンバーのトーク
その後で通常のTMとしてのパート編成で、
ウツボーカルの「Over The Rainbow」
演奏が終わると、小室が一言、
「今年はどうもありがとう。良いお年を」と言い、
各メンバーも「良いお年を」と言って退場した


なおトークコーナーでは、
日詰が会場の観客にライブの感想を聞く時間があった
日詰の対応がいちいち面白いので、
それらをいくつか書いて、本章を終わりにしよう

観客「サイコー!」
日詰「どんなところが良かったんですか? 僕全然思いませんでしたよそんな風に?」
観客「えーと…(困る)」
木根「まああんまり突っ込んではいけない」
日詰「そうですね」

観客「あの、ウツが良かった」
日詰「ウツのドラムじゃなくて、ウツが良かったんでしょ?」
観客「両方とも」
日詰「本当に良いと思ってんの? ドラム」
観客「失礼です、そんな」
日詰「怒られちゃったよ」


(2007/9/21執筆 2008/11/21・2009/1/8・2017/5/27加筆)

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この記事へのコメント

まふう
2012年03月31日 17:50
いつも楽しく読んでます。最近最初の記事から読み返してます。本題とずれたコメントで恐縮ですが、
AがKissで、Bはペッティング、CがHではないでしょうか。
青い惑星の愚か者
2012年04月04日 20:31
はじめまして
ご指摘ありがとうございます
えーと、そうでしたっけ?<ABC
私も自信がなくなってきたので、書き換えておきますね!
そういえば同じ頃少年隊でもABCって曲ありましたね
関係ないかもしれませんけど
Cyan
2013年10月07日 01:29
こんばんわ(度々すみません)
B’zのデビューやブレイクはやっぱり影響が大きかったのでしょうか?
私の周りにもB'zの根強いファン(というより稲葉さんファン?)の子が何人かいます。
当時、TMに似たサウンドと稲葉さんのイケメンなところに目が奪われるところはありましたが、私は傾きませんでしたね・・・単純に小室さんの曲とウツさんの歌声(容姿も)が好きだったのだと思います。

にしても~この「神社でB」っておもしろいですね(笑)
よく知らなかったので、詳細がわかりました。
このジャケ写も凄いし、実際に売られてたのですね。
それに、ハンバーグ&カニクリームコロッケの一度きりのライブというのもある意味貴重ですね~それも年末にこのユルイ感じがまたいいですね。

青い惑星の愚か者
2013年10月09日 15:56
実際の売り上げ以上に、メディアでの取り上げられ方や若い人の話題では、B'zが目立つようになる代わりにTMNはTM時代ほど目立たない…という感じになっていた印象が、同時代にはありました
ただBad Communicationはラジオで頻繁にかかってヒットと言いますが、この手法って後のビーイングがよくやるやり方で、この選曲もラジオ局の自主判断というより、事務所なりレコード会社が仕掛けた作戦だったのかもしれません

神社でBは、私も早くから噂では聞いていたんですが、住所の関係で東海ラジオが聞けず、TM「終了」のはるか後になってやっと聞くことができまsた
これが出来上がっていく過程、リアルタイムで聞いていたかったですね
muuchang
2014年06月27日 19:19
最近多いと聞く出戻りファンなもので、遡ってありがたく読ませて頂いております。そんな初コメントがかなりどうでもいい話で申し訳ないのですが、「恋のながら族」が気になって気になって。

私が少し前にハマっていた「アイドリング!!!」という女性アイドルグループがあります。あんまり売れていませんが。その初期…6年くらい前のユニットシングル曲で、「NA・GA・RA」というものがあります。まさかまさか、偶然でしょう…とは思いつつも、現場のスタッフさんの中にはアラフォーも、アラフォーの女性もいらっしゃいますし、とおなねき先生の影響受けちゃった可能性はゼロではないですね(笑)つべに公式PVもあります。

それからB’zに関して、当時、ウツの甘い声と「これは本当にカッコいいのか?」とファンを悩ませて止まない絶妙な不器用さ(←褒めてます!(笑))が大好きだった私には、稲葉さんの良さがまったくわかりませんでした。今もなお。でも、哲っちゃん派だった友人は見事に流れていきましたね。
青い惑星の愚か者
2014年07月04日 03:54
NA・GA・RA拝見しましたが、どうでしょうかねえ
もしもハンバーグ&カニクリームコロッケを知っているならば(しかもカップリング)、かなりのファンですよね

稲葉さんは、初期は歌がうまかったとは言いがたかったですし、こんなのほんとに売り出すの?て思っていましたが、見事にTMファンの一部の心をつかみましたね

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  • [PV] B'z - SUPER LOVE SONG

    Excerpt: B'z - SUPER LOVE SONG Weblog: 人気アーティストPV集&お笑い動画集 racked: 2007-10-01 00:25

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