4-16 TMN最後の挑戦

半月ぶりの更新になります
9/30には「The Singles 2」がリリースされました
「Time Capsule」で勝手なエディットが加えられていた「Rhythm Red Beat Black version 2.0」は、
今回はちゃんとフルコーラス入っていましたね


で、特典ディスクについては…
まあ新音源なら何でも嬉しいという方なら嬉しいんじゃないでしょうか
事実上三曲のみのために3150円を払わされるような代物ですけれど、
この時期に(一応)新作がリリースされたという事実に、
お祝い的な意味で喜ぶのも良いかと思います
ただ先鋭化したコアなファン以外に勧めようと思う商品じゃないですね


ちなみに私が初めて聞いたのは、
「Just One Victory (Long No Breakdown)」のみですが、
予想通り「Chase In Labyrinth」が重ねられていないだけのバージョンでした
「Long」とありますが、アルバムバージョンとぴったり同じ長さです
シングル(フェードアウト)よりも長いという意味でしょう
多分これは編集上の過程のデモ音源みたいなものではないでしょうか
こんなものを商品化してしまうSONYには、ある意味で驚きました
すごい会社ですね、SONY


「Dive Into Your Body (Dub Instrumental Mix)」「Crazy For You (Instrumental)」は、
持っている人はもういまさらでしょうが、
持っていない方にはたしかに嬉しい音源と思います
どちらも聞き応えあります


しかし価値の有る音源が事実上2曲、しかもインストのみですか
どんだけクソなんですか、SONYスタッフは…
TMでせこい集金を続けるのは百歩譲って我慢するにしても、
そのエサがチャチ過ぎます
TMの価値を分かってるスタッフが関与していないことが、
一番悔しいところです
まあそうは言っても、もう数年間TM関係の新作は出ないのでしょうから、
一応最後のプチ祭りということで、熱心なファンの方は買ってみて下さい
(ここまでコキおろしておいてアレですが)


さて、この間、小室さん絡みでいくつか話題がありました
まずは先に出版された「罪と音楽」のサイン会です
ファンの方々にとっては、大変な一年の後だっただけに、
貴重な機会だったと思います


サイン会に先立って、テレビや新聞などのインタビューも受けていたようです
一つだけ、毎日新聞の記事を挙げておきます
 小室さんはイベント前に取材を受け、著書について「この本は頑張ります、必ずやりますというという所信表明」と述べた。また、執行猶予期間を頂いたチャンスとしてとらえ、「小室、良い音楽作るじゃないか」と言っていただくためにどうしたらいいか考えるという。また、「チャンスという言葉がこれほど人生でしみたことはない。これからは簡単に歌詞で使うことはないと思う。(使うとしたら)『チャンスなんてそんなにないよ』という言葉になる」と反省の弁を述べた。
 そして、自身のヒット曲「DEPARTURES」(出発)に絡めて、今後は「反面教師でもあるが、音楽家がきちんと生活できるよう、後輩たちが続けられるようないい道を死に物ぐるいで作っていきたい」と語った。同著によると新曲50曲の同時発売で復帰する計画があり、「歌詞の入っているものが20曲、ないものも含めると40曲以上」と説明。印税は「債権者の方(への支払い)にあてることになっている」というが、事件の被害者に直接謝罪はしていないという。


再起に向けての意志表明などがあった一方で、
詐欺事件の余燼もまだくすぶっているようです

サンケイニュース9/17
小室哲哉音楽プロデューサー(50)=詐欺罪で有罪確定=と共謀し、音楽著作権を譲渡すると偽って5億円をだまし取ったとして詐欺罪に問われた会社役員、木村隆被告(57)の初公判が17日、大阪地裁(杉田宗久裁判長)で開かれた。罪状認否で木村被告は「おおむね認めるが、私はいずれ著作権を譲渡できると信じていた」と話し、事前の共謀を否定した。

gooニュース9/25
 著作権譲渡をめぐる5億円の詐欺罪に問われ、執行猶予付きの有罪判決が確定した音楽プロデューサー小室哲哉(50)の共犯として起訴された会社役員木村隆被告(57)の公判が24日、大阪地裁(杉田宗久裁判長)であり、小室の証人尋問を求めていた検察側は請求を撤回した。
 この日は被告人質問があり、地裁は終了後に採用するかどうかを決める予定だった。木村被告は被告人質問で起訴状の内容を大筋で認めて何度も謝罪。検察側はこの内容から立証は十分と判断したとみられる。

サンケイニュース9/19
 海外ブランドの子供服販売をめぐり、音楽プロデューサー、小室哲哉氏=詐欺罪で有罪確定=の経営する会社が代理店契約料の支払いを済ませていないとして、米国在住の女性が小室氏本人らに約14万ドル(約1300万円)の支払いを求め東京地裁に提訴していたことが19日、分かった。
 原告側によると、10月に第1回口頭弁論が開かれる予定。
 女性は、米国の俳優、チャーリー・シーンさんが手掛ける子供服販売の日本代理店を決める権利を持ち、2006年に小室氏の会社「ティーケーシーオーエム」(東京)と約20万ドルで契約。これまでに約6万ドルしか支払われず、女性が昨年秋にティー社へ残金14万ドルを求める別の訴訟を東京地裁に起こしていた。
 関係者によると、この訴訟でティー社側は少なくとも4万ドル分の支払い義務を大筋で認める一方、残る10万ドルについては別会社の取引をもって支払い済みと主張している。


木村裁判、やっと始まったんですね
木村は検察の主張を認めて謝罪しているようで、
多分小室さんと同じく執行猶予付き有罪になるんでしょうか
小室さんが証人に立つ可能性もあったようですが、結局立ち消えになったようです
もう一つの子供服の件、こんなのありましたね、そういえば
払うに払えない状況なのはあっちも知らないはずはないので、
多分今後の返済を確約させることが目的なのかなあ…と思います


さて、ウツのU_Waveツアーが終わり、
今月からTM NETWORK25周年代替企画「SMALL NETWORK」が始まります
10/3・4の渋谷公演のチケットは確保できたので、
次回更新時にご報告できると思います


それでは本題に入ります
今回から「EXPO」期になります

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「Rhythm Red Tour」末期の1991/3/1から、
カメリアダイアモンドのCMソングとして、
TMNの新曲「We love the EARTH」が放送された


刺激の強いハイテンポなハードロックサウンド「Time To Count Down」で、
衝撃のリニューアルを果たしたTMNだったが、
これに対して「We love the EARTH」はミディアムテンポで、
一聴して耳当たりの良いポップスサウンドだった
ハウスにチャレンジした「Rhythm Red Beat Black」の延長上にある音でもなかった


CMが始まった当初はリリース予定や曲名なども公表されなかったが、
少なくともハードロック路線が継続しないらしいことは、
当時のファンは感づいたに違いない
「We love the EARTH」レコーディングは1991/2/1から始まっており、
1991年1月にはこの方針転換は予定されていたのだろう
この曲は5/22「Love Train」と両A面で、
ニューシングルとしてリリースされた



1991/9/5にはアルバム「EXPO」がリリースされた
このアルバムは「音の博覧会」というコンセプトにある通り、
ポップス・ハウス・フォーク・ロックなど、様々な要素を収めている
ハードロックの雰囲気でほぼ一貫していた「Rhythm Red」とは、
音だけではなく製作方針としても対照的だった


「EXPO」期の小室によれば、
リニューアルというのはなんでもありになったということであり、
TMNはハードロックバンドに転向したわけではないと言っており、
暗にハードロック路線が一時的なものだったことをほのめかしている


だがこれは後付の理屈と思われ、
実際には「Rhythm Red」の失敗を挽回するための、
売れ線狙いの性格が強いと思われる
小室自身、この頃は危機感をかなり持っていたらしい
「Rhythm Red」が小室の音楽的趣向によるところ大きいのに対し、
「EXPO」はいかに売れるか、いかに一般にアピールできるか、
という点が強く意識されていた


この頃から小室が売上を大変気にするようになるのは、
一つには「Rhythm Red」の時に
事務所経費で購入したシンクラヴィアの代金支払いや、
映像会社グラデミーの設立に関わる出費など、
経済的事情に起因するところもあるのかもしれない


この時期の小室の金銭・女性に関するトラブルについては、
ゴシップ的な情報やファンの間で語り継がれる裏情報が多い一方で、
公式の情報が(当然だが)ないため、確実なことはいえないのだが、
可能性として念頭においておく余地はある


よりミュージシャンとしての立場に即して言えば、
「Rhythm Red」期以来のB'zへの対抗意識もあったのだろう
B'zは1991年に入っても絶好調で、
シングル「Lady Navigation」はついにミリオン達成という、
TMN未踏の境地に達している(年間7位)
アルバム「Risky」「Mars」「In The Life」も相次いでミリオンを達成し、
60万枚台の壁を越えられないTMNを余裕で突き放していった


EPIC/SONY内部でも、TMNを追い越す後進が現れた
1990年「笑顔の行方」でブレイクしたDreams Come Trueである
TM NETWORKで稼いだ収益が、
Dreams Come Trueのプロモーションに当てられたという話もあるほど、
この頃のEPIC/SONYが力を入れたグループだった


「Rhythm Red」の一週間後にリリースされたDreams Come Trueの「Wonder 3」は、
1990・91年度で「Rhythm Red」の2倍に当たる115万枚を売っている
(最終的には139万枚)
以後Dreams Come Trueは90年代を通じ、
ほとんどのアルバムでミリオンかダブルミリオンを達成している
個人的にはそれほど思いいれはないが、
「さよならを待ってる」「go for it」は良い曲と思う


だがこれら後進の存在は、おそらく副次的な問題に過ぎなかった
年始の時点ではまだ意識されていなかっただろうが、
1991年はCD業界が未曾有の好況に沸いた時期で、
KAN「愛は勝つ」から始まり、
次々と大ヒットシングルが生まれていったのである


その中でTMNのセールスは伸び悩んでいた
業界規模での好況が始まる中で、
自らのセールスがこのままで推移した場合、
TMNの地位は相対的に低下せざるを得ない
それは大規模な予算をつぎ込むプロモーションを前提としたTMNの戦略を、
根本から変化させかねない事態であった
そのため小室は、特に「EXPO」リリースの頃、
非常に数字にこだわる発言が目立つようになる


しばしTMNから離れ、当時のCD業界の状況を見てみよう
以下に1989~1991年度のオリコンシングルセールス上位5曲を並べてみる

◇1989
1. Diamonds/プリンセス・プリンセス 81.4万枚
2. 世界でいちばん熱い夏/プリンセス・プリンセス 75.8万枚
3. とんぼ/長渕剛 74.6万枚
4. 太陽がいっぱい/光GENJI 68.1万枚
5. 愛が止まらない/Wink 62.9万枚

◇1990
1. おどるポンポコリン/B.B.クィーンズ 130.8万枚
2. 浪漫飛行/ジェットストリーム浪漫飛行/米米CLUB 61.9万枚
3. 今すぐKiss Me/LINDBERG 61.0万枚
4. さよなら人類/たま 57.7万枚
5. OH YEAH!/プリンセス・プリンセス 56.7万枚

◇1991
1. Oh!Yeah!/小田和正 254.1万枚
2. SAY YES/CHAGE&ASKA 250.4万枚
3. 愛は勝つ/KAN 186.3万枚
4. どんなときも。/槇原敬之 116.4万枚
5. はじまりはいつも雨/ASKA 107.0万枚


1991年から、突如としてセールスが激増したことがよく分かるだろう
89年のミリオンは長淵剛「とんぼ」(88年度分も合わせ104万枚)のみだが、
実はこれは1983/2/21リリースの細川たかし「矢切の渡し」以後(1984年ミリオン達成)、
6年ぶりのミリオン作品だった
(ただし「Diamonds」は90年代にミリオンを達成している)
これと比べれば、上位五曲すべてミリオンを達成している91年のセールスは、
まさに隔世の感がある
この後90年代を通じ、CD業界は好況を続ける


この頃のビッグヒット曲には
フジテレビの月9枠のドラマ主題歌が多い
それ以前からこの枠のドラマ主題歌はヒット作が多く、
久保田利伸「You Were Mine」、プリンセス・プリンセス「Get Crazy!」、ZIGGY「Gloria」、Lindberg「今すぐKiss Me」など、
この枠の主題歌を出世作とするミュージシャンは少なくない


だが1991年以降は、それ以前とは比較にならないほどの爆発的ヒットが、
この枠から生み出されていく
きっかけは1991/1~3放映の「東京ラブストーリー」だった
主題歌の小田和正「ラブ・ストーリーは突然に」を含むシングル「Oh! Yeah!」は、
最終的に259万枚を売り(91年度は254万枚)、1991年度1位、
1970年代の「およげ!たいやき君」「女のみち」に次いで、
日本史上3位のシングルセールスを記録した(現在は歴代8位)


さらにChage & Askaも、80年代初頭につぐ第二のブレイク期を迎えた
1991/7~9放映の「101回目のプロポーズ」の主題歌「Say Yes」は、
最終的には282万枚のセールスを出し(歴代6位)、1991年度の2位の売上である
1993/1~3、フジテレビ水曜9時枠のドラマ「振り返れば奴がいる」主題歌「Yah Yah Yah」も242万枚のセールスで、
1993年度年間1位の成績を上げた(歴代11位)


Southern All Starsがミリオンヒットの常連になるのもこの頃である
(これ以前では1982年の「チャコの海岸物語」58.4万枚が最高記録)
1992/7~9放映のTBS金曜10時枠ドラマ「ずっとあなたが好きだった」では、
主題歌として「涙のキッス」が、
挿入歌として「シュラバ★ラ★バンバ」が起用され、
それぞれシングルとして155万枚・97万枚を売った
1992年度年間5位・13位である
1993/7~9放映のフジ水曜9時枠ドラマ「悪魔のKISS」主題歌「エロティカ・セブン」は、
最終的に174万枚を売り、1993年度年間4位となった
彼らの中では、2000年リリースの「TSUNAMI」に次ぐ記録である


80年代バンドブームの渦中にいたバンドで、
ドラマタイアップの波に乗れたのは米米CLUBである
1992/4~6放映のフジ月9「素顔のままで」主題歌「君がいるだけで」は、
最終的に290万枚を売り、
1992年度1位、日本歴代5位(当時は3位)の成績を残した
米米は1990年にもJALのCMタイアップで、
過去の名曲「浪漫飛行」を二種類のシングルで発売し、
計108万枚を売っている(片方は年間2位)


80年代アイドルの小泉今日子も、
1991/4~6放映のTBS金曜9時枠のドラマ「パパとなっちゃん」主題歌「あなたに会えてよかった」が、
最終的に105万枚を売って1991年度6位、
自身の最大のヒット作となった
小林武史の名前が世間で広く注目されたきっかけの作品でもある


この頃のヒット曲は、普遍性の高いラブソングや応援歌を中心に、
耳触りの良いミディアムテンポの曲が多い
以上で触れたのはトレンディドラマのタイアップなので、
必然的にラブソングが多いが、
KAN「愛は勝つ」、槇原敬之「どんなときも。」、THE大事MANブラザーズバンド「それが大事」など、
著名な応援歌もこの時期に次々とヒットを飛ばした


なお「愛は勝つ」「それが大事」は、
バラエティ番組「やまだかつてないテレビ」のタイアップ曲である
この番組も当時人気を博し、
トレンディドラマと並んで多くのヒット曲を生んだ


これらビッグヒットを記録した楽曲群は、
80年代バンドブーム期の刺激的な楽曲や、
パフォーマンスを売りとしたミュージシャンの楽曲とは、
方向性が異なっていた
80年代バンドブーム期のミュージシャンの固定ファンは、
おおむね10代音楽好きの層に限定され、
月9ドラマ支持層が10~20代の一般層(特に女性)だったことと比べれば、
明らかにセールス面で限界が伴っていた


ちょうどこの頃、80年代バンドブームは終息を迎える
これとタイアップ曲台頭の因果性はよく分からない
たぶん音楽評論家はいろいろと論じているのだろうが、
自分はあまりそうしたものを読まないので、「通説」も知らない


だがこの時代をリアルタイムで過ごした身として、
バンドブーム終息の一因を想像すれば、
ブームの中で泡沫的な新人が次々と現れ、
インパクトの飽和状態になったことで、
急速に飽きられていったのではないかと思う
濫造の中で飽きられていったTKプロデュースと、
近いものがあるかもしれない


特に1989~90年にブームとなった「いかすバンド天国」(イカ天)では、
勝ち抜き線形式で多くのアマチュアバンドが登場したが、
レコード会社も次々とこれらのバンドと契約してデビューさせたため、
音楽的水準としては微妙な音が多くちまたにあふれ出した
また審査員の目を引くために奇抜な演出を強調する方向が顕著になっていく
もちろんすべてのバンドの水準が低かったわけではなく、
BEGIN、Blankey Jet City、Flying Kidsなど堅実な活動を続けた例もあったが、
そうした例は一部だった


一方同じ頃、バンドブームの終息とは別に、
Flipper's Guitar、ピチカート・ファイブ、オリジナル・ラブ、Charaなど、
より新しい感覚を持った新世代のミュージシャンたちの活動も始まっていた
彼らはまだヒット作には恵まれないが、
80年代には刺激的だったバンドブームの音楽は、
音楽ファンにとってすでに一時代前のものになりつつあった


なお小室がTMNでハードロックを試みたことの背景には、
バンドブーム末期のバブル的様相があったと考えられることは、以前触れた
「Rhythm Red」がレコーディングされた頃のチャートを見ても、
いか天出身のたまやJitterin' Jinnがチャートを席巻している時期である


ところが1990年10月の「Rhythm Red」リリースの後、
「Rhythm Red Tour」がファイナルを迎えた1991年3月頃になると、
「愛は勝つ」「Oh! Yeah!」などが長期的に首位を獲得し続ける様相になっていた
音楽界のトレンドは、TMNのハードロック路線が最終的な成果を出す前に急激な変化を迎えており、
リニューアルによるTMNの急激な改革は、
流行の面から見れば裏目に出てしまったことになる


90年代におけるタイアップ曲台頭の背景としては、
トレンディドラマのブームがまずはあるが、
それとともにカラオケブームの到来もあったのだろう
90年代には、カラオケの練習のために、
多くの人が知っている楽曲のCDを購入するケースも多く、
それが知名度の高い特定の楽曲がセールスを伸ばす条件にもなった
ミディアムテンポのラブソング・応援歌が売れたのも、
カラオケ向きであるということが大きかったのだろう


80年代バンドブームや、さらにその前のアイドル時代と、
90年代タイアップ曲ブームの大きな違いとして、
ミュージシャンのカリスマ性の問題があると思う
タイアップ曲のヒットは、
必ずしもミュージシャン自身の人気に基づくものではなく、
多くの場合は単発ヒットで終わった
逆にいえばヒット曲を出しても、
ミュージシャン自身の人気には必ずしも結びつかないのが、
この時期の特徴である


参考になるのはSouthern All Starsで、
1992年同時発売の「涙のキッス」「シュラバ★ラ★バンバ」
1993年の「エロティカ・セブン」は、
いずれもミリオンか準ミリオンの売り上げだが、
この前後、1991年の「ネオ・ブラボー!」は43万枚、
1993年「エロティカ・セブン」と同時発売の「素敵なバーディー」は51万枚である
もちろんすべて立派な売り上げなのだが、
ドラマタイアップが無い場合とある場合で売り上げが大きく変わっている


米米CLUBも大きなタイアップが無い場合、
90年代のシングルはたいてい20~40万枚の売り上げである
90年代のアルバムも、
「君がいるだけで」を収録する「Octave」は200万枚近くを売ったが、
これ以外は50万枚前後で、以前の作品を大きく上回っているわけではない
(1989年「5 1/2」は60万枚、1991年「米米CLUB」は48万枚)
この両者の場合、タイアップ曲は爆発的に売れたものの、
その前後で固定ファンの規模はほとんど変わらなかったと見るべきだろう


Southern All Starsや米米CLUBのように、
もともと固定ファンをつかんでいたミュージシャンはまだしも、
タイアップで初めて売れたミュージシャンは、
その後には第一線にい続けられないケースが多い
KAN、大事MANブラザーズバンドの他、
J-Walk、class、小野正利などが好例である
継続的なファンを確保できたのは槇原敬之くらいだろうか
ミュージシャンの人気ではなく、
楽曲単位でセールスが決まるようになったとも言える


もちろんB'z、Dreams Come True、Chage & Askaなど、
タイアップに全面依存しない新たなカリスマはこの頃にも生まれているし、
これ以前にも一発屋は珍しくはなかったが、
ミュージシャンのカリスマと関係なくても売れるパターンが目立つようになってきたのも事実である
これは1993年のビーイング系や、
1994年のTKプロデュース台頭の前提と言える


バンドブームの終息と新世代のミュージシャンの登場、
タイアップによるビッグヒット続出の中、
80年代後半に黄金期を迎えたミュージシャンたちは、
活動形態の再考を余儀なくされる
その多くはこの流れについていくことができず、
90年代前半に次々と活動を終えたり、休止したりしている
もちろんそれぞれに個別の事情はあるが、
一定の共通する事情もあったのだろう


具体例を挙げれば、
1991年レベッカ解散、
1992年Barbee Boys解散、
1993年ユニコーン解散、
岡村靖幸は1992年以後活動が停滞、
プリンセス・プリンセスは1992年に活動を一時休止(1996年解散)、
Jun Sky Walker(s)は1993年に活動一時休止(1997年解散)、
The Blue Heartsは1993年から活動が停滞(1995年解散)


活動を継続していても、
BAKUFU-SLUMP、ハウンド・ドッグ、大江千里のように、
人気面で第一線から退いたものも多い
90年代半ばには米米CLUB・The Boomや渡辺美里も解散・失速する
X(X JAPAN)は1997年の解散まで熱狂的なファンをつかみ続けた点で、
他と事情は異なるが、活動自体は1992年から停滞し始める
結局90年代後半まで第一線にい続けられたのは、
久保田利伸・氷室京介・布袋寅泰・奥田民生くらいだっただろうか


そしてTMN(1994年終了)も「1992年に活動を一時休止」として、
90年代前半で終わったミュージシャンの例に加えることができる
時代は80年代から90年代へと変わり、
TMN「終了」も音楽業界全般の動向の中での一コマだったのである


だが小室は1991年の時点では、
TMNを時代の変化に対応させようとしていた
少なくともこの時期の小室の売上主義的発言は、
TMNが1990年代にも継続できるようにとの願望に基づくもので、
単なる欲得だけによるものではない


具体的な対応策はどのようなものだったのだろうか
ドラマタイアップ獲得は事務所・レコード会社の問題であり、
小室個人ではどうしようもない
だが当時のヒット作を意識した楽曲作りは可能であり、
そこで作られた曲が「Love Train」だった


これは聞きやすい・覚えやすい・歌いやすい作りで、
カラオケで歌われることを意識して作られたものだった
「好きなこと(ハードロック)だけやって終わるわけにはいかないので、
TMNの代表曲を作らなければいけない」ということだった
カラオケへの着目は、後のプロデューサー期の特徴でもあり、
一面で「Love Train」はプロデューサー期前史と位置づけることもできる


さらにそれとともに、タイトルも売れ線を狙ったものだったと思う
この曲と「We love the Earth」に共通するキーワードに「Love」があるが、
これは「We love the EARTH」レコーディング時(2~3月)に未曾有の記録を出していた「愛は勝つ」「ラブ・ストーリーは突然に」を意識したものに違いない


「愛は勝つ」は1990年12月後半から翌年2月前半まで8週間一位を続けた
(正月は2週分を1週で集計するので、実質9週間)
これに代わった「Oh! Yeah!(C/Wラブ・ストーリーは突然に)」は、
初動74万枚という当時の史上最高記録を打ち出し、
4月まで7週連続首位を確保した
この2曲だけで一年の約1/3の首位が占められたことになる
かなり安易な発想だが、小室もこの「Love」曲のブームに乗っかろうとしたのだろう


小室は「Love Train」を作るに当たりイントロに凝ったが、
それは「ラブ・ストーリーは突然に」のイントロのギターに触発されたためと言っている
小室がこの時期のビッグヒット曲を意識して曲作りしたことは疑いがない
それまでは海外の流行を取り入れることを得意としていた小室が、
この時には日本のヒット曲に目を向けていたのであり、
その点でも楽曲製作方針の変化は認めて良いと思う


一方でシングルに限らず、この時期のTMNの活動全体を見渡すと、
必ずしもカラオケ用の楽曲作りに止まっていない
この頃の小室は、シングルは名刺代わりと割り切り、
本当にやりたいことはアルバム「EXPO」やツアーの中でやる、
というスタンスだったように見える


本当にやりたいこととは、
具体的には「Rhythm Red Beat Black」以来のハウス、
あるいはクラブサウンドであり、
「We love the EARTH (Ooh, Ah,. Ah, Mix)」「Just Like Paradise」「Crazy for You」などがこれに当たる
「Love Train」も本来はハウスアレンジの「Club Mix」が、
アルバム収録予定だった


だがアルバム全体のコンセプトとしては、
「月とピアノ」(これは別章で述べる)が挙げられ、
ハウスやクラブサウンドが前面に出されることはなかった
それはこの時期、「売る」という至上命題が優先され、
その点でこのコンセプトが有効とは判断されなかったからだろう


アルバムのタイトルとしては、「EXPO」(博覧会)が採用された
多様な音を詰め込んだアルバム、ということである
たしかに「EXPO」では多彩な音を楽しむことができる
「EXPO」をほめる場合、
多彩な音が入った広がりのある作品と言われることがあるし、
あるいは「終了」前最後のオリジナルアルバムとして、
TMNの集大成とも評価される
小室やメンバー・スタッフの狙いとしても、
様々な音が収めてあればどこかに魅力を感じるだろうと考えたのだろう
一般層を意識した、ファン層拡大を期待した作品だったと言えると思う


だが、逆に言えば統一感に乏しいアルバムでもあり、
意地悪く言えば、ハウス+その他諸々の寄せ集めという印象がある
ハウスを聞きたい者にとっては「あの夏を忘れない」は余分だろうし、
カラオケ向きの曲を聞きたい者にとっては、
「Just Like Paradise」など捨て曲に過ぎないだろう
結局幅広いファンを対象にしているように見えて、
実際には多くの層が没入できない作りとなっているように思う


そもそも、それまでのTM NETWORK・TMNは、
他に無い特殊性をアピールすることで一定のファンを確保してきたのであり、
日本中で広く聞かれる音楽を目指す姿勢自体に無理があったようにも思う
売れ線狙いにしろ音楽的関心に基づくにしろ、
制作方針が中途半端だった


以上のことはシングル・アルバムのセールスにも反映しており、
「Love Train」は当時の水準でもかなりの成功を収めたが、
「EXPO」は失敗した(この評価については別章で述べる)
「Love Train」で初めてTMNの楽曲に関心を持った者も、
必ずしもファンとして「EXPO」を購入するには至らなかったのである


そして「EXPO」リリースと、その後のツアーが終わった後は、
2012~15年を例外として、
現在までTMN・TM NETWORKは継続的な活動を行なっていない
恒常的な活動を伴った現役ユニットとしての生命は、
「EXPO」の「失敗」によって終わりを告げるのである
TMの歴史を前後に分かつならば、
「EXPO」後の活動停止を以ってするべきであろう


比較的辛辣な評価になってしまったが、それはともかく、
1991年から1992年4月に到るTMNの活動は、
生き残りをかけた最後の奮闘期だったと言える
これから第四部の最後に向けて、
黄金期の終わりを見届けて行こうと思う


Love Train/We love the EARTH
エピックレコードジャパン
1991-05-22
TMN
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この記事へのコメント

fe
2009年10月02日 18:28
今晩は。

遂に小室先生の良く言えば「オールマイティ」
「メジャー要素とアングラ要素のかけ橋」
悪く言えば「器用貧乏」「生産過多」な全盛期の礎となった「EXPO」時代の幕開けですね。

「深層の美意識」にもありましたが、
小室先生は当時「EXPO」終了後
大衆への浸透、小室先生の手腕・色を出せる
アーティスト・スタッフ等が周りにいなかった等
かなりの閉塞感を吐露していましたね。

それを埋めようと腐心した結果、
ブームを生み出した半面、Ring・tohko・大賀埜々・
坂口実央・未来玲可等尻すぼみに終わった面もありますが(アルバム制作での他の作曲家への丸投げ、小室先生の飽き?、売れ行きによるプロデュース期間の短さ等)

売れることにより、また新たな「転生」を
したいという気持ちは2000年代前半に
始まった事ではなかったのですね。
koo
2009年10月02日 22:08
こんにちは。
「EXPO」とドラマという関わりとしては、アルバム発売直後に(確かフジテレビ系列で)西田ひかる主演のレースクィーンの2時間ドラマがありましたよね。
全編「EXPO」の収録曲のみをBGMにしていて、観ていてなんとも収まりの悪い感じでした。
(ウツが最初に出ていたドラマでもバーのシーンで「CHASE IN LABYRINTH」が流れてずっこけた覚えがあります。)
本人たち、あるいは関係者の思惑としては「私をスキーに連れてって」的なタイアップの形を模索していたのでしょうか?

それとfeさんのコメントに「転生」の文字があったので思い出したのですが、この時期ヤングジャンプの増刊号でのインタビューにて(どこまで本気か分かりませんが)「自分の前世はフランス人だった、だからパリのカフェにいると落ち着く云々」というようなことを話していた記憶があります。
では。
NAX
2009年10月03日 08:43
『THE SINGLES 2』を初回生産限定盤で買いました~♪



レア音源の為にと言うよりは少しでもCD購入で小室さんの助けになればの思いもあります。






3曲のレア音源は大変ありがたい内容ですね~♪



これからの『EXPO』期の内容も楽しみしてます~
ISS
2009年10月03日 19:52
はじめてコメントしますが興味深く読ませていただいています。
私は高校のときにTMが終了した世代で、どちらかというとTM全盛はおぼろげながら覚えていて、終了時のプロモーションでこんなすごい人たちだったのかとハマりました。
その後は小室ブームを横目に世間の流れに逆行しながらTMを聞いていて、全盛期よりもどちらかというと再活動後のTMのほうが好きですね。
TM活動期の頃を知ろうとすると主に藤井○貫氏が書いた文章に行きつくのですが、多分に脚色が加えられていて、このブログの落ち着いた筆致がすんなりと腑に落ちます。藤井○貫氏はTMが終了したことを良いように言い訳っぽく書くのがなんだかなあと思ってしまいます。
今回からのEXPO期。藤井○貫氏なら全盛という語り口になりそうですが、失敗という評価ということで大変興味深いです。
リズレにしても、TMは当時の評価と後の評価ががらっと変わりますね。それは後のMTRにも言えることだと思いますが、小室さんの先見性はなかなかリアルタイムで評価されないのが幸薄のように思います。
蒼い惑星の愚か者
2009年10月05日 03:36
>feさん
音の面でもEXPO楽曲の諸要素がプロデュース期の基礎になったみたいなことも言われますよね
(抽象的過ぎて私には判断つきませんが)
小室さんの(成功した)転生という面では、やはり1986年とともに1991~93年頃が挙げられると思います
2000年頃もそれができると思っていたんでしょうね…

>kooさん
私もウツドラマで、全然あわないシーンでChildren of the New Centuryが掛かっていたのを見て、違和感覚えた記憶があります
EXPOドラマはいずれ触れますが、私はエンディングしか見られませんでした(偶然見た)
演出家の永山耕三つながりなんでしょうね

>NAXさん
どうもありがとうございます^^
CD売上が借金返済の上でいくらかでも助けになれば良いですね

>ISSさん
はじめまして
当時の小室さんは、新しい試みをやってファンが戸惑い、ファンが受け入れる頃には次に移ってしまうという印象でしたね
MTRは、本当にあの後ちゃんと続けていれば…と思います

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