5-5 小室、avexと接触

発売延期になっていた「Digitalian is eating breakfast 2」
5/4リリースになったようです
ずいぶんずれ込みましたね


ラジオの「小室哲哉Digitalian」
本来は全三回で、先週で終わりのはずだったのですが、
レギュラー化することになったようです
結構評判が良かったのでしょうか
まあ、アルバムが5/4リリースなら、3月で終わりというのも微妙ですしね


あと木根さんtwitterによると、
このたびの大震災で西川貴教さんがやるチャリティオークションで、
木根さんが出品するそうなんですが、
出品物は「金曜日のライオン」PVの衣装らしいです


それって、あの謎の中国人の服のことでしょうか?
物持ちいいですね木根さん…
よほどの人じゃないと価値が分からないと思いますが、
ある意味で気になる一品です


では本題に入ります

---------------------------
「EXPO ‘91」最後から2回目の放送となる1992/3/27、
「Maharaja King&Queen Dance Chart」のコーナーで、
いつも通り小室によってクラブチャートの週間ベスト10が発表された
この時は同コーナーの最終回だったが(次週はコーナーなし)、
TMNの「Crazy For You」が3位にチャートインしていた


この曲はそれまでまったくチャートに入っていなかったにもかかわらず、
突然最終回だけ3位に入った
おそらくTMNメンバーの(というか小室の)独断によって、
ランク操作が行なわれたのだろう
もう終わる番組で今後問題にもされることもないと、確信した上での行動だろう
TMNファンしか聞かない番組で、その後もたいした問題にはならなかったと思う


だがそれはともかく、小室のこの行動は、
当時の小室の願望をもっとも直接反映したものだったに違いない
小室が望んでいたもの
それはクラブシーンで自分の音楽が評価されることだったのである


小室はTMNの活動を休止した後も、
5月頃まではクラブイベント「TK Tracks Night」を継続していた
しかし7月にはレコーディングのためにマイアミに渡るから、
クラブイベントも以後は行なわれなくなる


だがマイアミに渡る少し前、
後の小室の運命を大きく左右する会合が行なわれた
TMN楽曲の洋楽カバー集発売を提案する松浦勝人との会談である


松浦は当初はCDレンタル店の店員だったが、
1988年、エイベックス・ディー・ディーを創業し、
洋楽CD専門の輸入業を行なうようになった
この会社が注目されたのは、
1990年からリリースされた「Super Eurobeat」シリーズである
イタリアのレーベルにユーロビートのコンピレーションアルバムを作成させ、
それを独占的に輸入して販売するというもので、松浦の着想だった


もとより限られたユーザー向けの特殊な世界ではあったが、
その業界内ではかなりの知名度だったらしい
しかし松浦によれば、日本のメーカーからの圧力があり、
こうした形でのCD販売は困難になっていった


そこで1990/11/25リリースのvol.9以降は、
エイベックス自らイタリア楽曲のコンピアルバムを作成し、
「Super Eurobeat」シリーズを継続することになった
それに伴ってCDのレーベルも立ち上げられる
これが90年代邦楽界の寵児となるavex traxである
この時に松浦が組んだのが、Dave Rodgersという人物である
イタリアのプロデューサー兼シンガーだった


この頃松浦が関わった重要な人物がもう一人いた
代理店クリエイティブマックスの千葉龍平である
当時MaharajaやKing&Queenなどのディスコを全国展開したNOVA21グループに出入りしていた
avexは1991年2月、千葉と組んで、
新たなコンピアルバム「Maharaja Night」シリーズのリリースを始める


1991年のNOVA21グループといえば、
まさしく小室が「TK Tracks Night」を開催していた場であり、
小室が千葉と出会うこともまったく自然の成り行きだった
1991年にはすでに付き合いがあったらしい


小室の話はおいて、もう少しavex側の話を進めよう
avexでは「Super Eurobeat」「Maharaja Night」に続き、
1992/2/21から「Juliana’s Tokyo」シリーズをリリースする
90年代前半のディスコブームの象徴ともいうべきジュリアナ東京のコンピアルバムである


松浦は1991年からテクノに注目し始め、
ジュリアナにもテクノを推したところ、これが大ブームになった
これを受けてリリースされた「Juliana’s Tokyo」シリーズは、
ユーロではなくテクノ楽曲のコンピレーションとなった
またこの頃からavex作品には、星野靖彦(Maximizor/Starr Gazer)など、
日本人コンポーザーの作品も収録されるようになってくる


このように、avexはユーロビートとテクノの楽曲をディスコに提供し、
着実にその地位を上昇させていた
特に「Juliana’s Tokyo」シリーズは、
ジュリアナ東京のブームによって10万枚規模で売れた


こうしてディスコを舞台にビジネスを成功させていた松浦は、
1992年5月頃に千葉を介して、初めて小室と会うことになった
場所はキャピトル東急ホテルだった
「深層の美意識」はこれを1991年秋とするが、
松浦自身の発言、及び前後関係の整合性より1992年説が妥当と思う


この時、松浦は小室に提案したことがあった
TMN楽曲をavexでリミックスし、アルバムにするという案である
楽曲制作とボーカルはDave Rodgersが行なうことになっていた
「ディスコスタイル」だから、歌は全部英語である


とりあえず松浦はDaveに一曲だけレコーディングしてもらい、
自ら小室のもとに出向いてこれを聞かせたという
小室がマイアミに行く7月上旬以前だろう
小室はこれを聞いた上で、リミックスアルバムのリリースを承諾した


だが小室もTMNもEPIC/SONYの所属であり、話は簡単には進まなかった
その間の交渉は、もっぱら千葉が行なった
EPIC/SONYでは問題になったようだが、
小室が同意していたこともあり、契約にこぎつけることができた


ただしタイトルをめぐってはなかなか難航し、
「TMN DISCOSTYLE」「TMN SONG DISCOSTYLE」は拒否され、
「TMN MEETS DISCO STYLE」で一度決定したが、
これも変更になり、結局「TMN SONG MEETS DISCO STYLE」となった
これだけで二週間かかったという


このCDは9/23にリリースされた
同時にシングルとして、
Dave Rodgers版「Get Wild」(c/w「Wild Heaven」)もリリースされている
ジャケットは8/21リリースの「TMN Colosseum」と同じイラストレーターに作成させ、
ラジオでもCMを流し、TMNファンにアピールしてその購買層を取り込もうとした
(定かではないが、「TMN ウツと木根くん」でかかっていた記憶がある)


ここまでやってくれるとすがすがしいかも


TMNが歌っているわけでも演奏しているわけでもなかったが、
avexの努力の甲斐もあり、初動で9位、3万6千枚を記録し
最終的な売上は10.4万枚に達した


この成功に気を良くしたのか、avexは後継企画として、
1993/11/21に「Get Wild Meets Techno Style」をリリースする
「TMN SONG MEETS DISCO STYLE」がユーロビートだったのに対し、
この時はテクノのリミックスを行なった


この作品ではDave以外にも、
avexの多くのミュージシャンがアレンジに関与している
デザインは「TMN SONG MEETS DISCO STYLE」と同様だった
ただしこちらはほとんど売れず、週間91位に留まった
なお両アルバムでは、全曲小室楽曲から選ばれている
小室と松浦の企画だったため、木根曲は使えなかったのだろう


ちなみに本ブログは通史という形式上、
TM NETWORKに関することは一応言及せざるを得ないが、
一つ断っておくと、私個人としては、
この時代の日本のディスコ限定で流行ったユーロ・テクノにはまったく関心がない
むしろ90年代でもっとも下劣でつまらない音楽だと思っている


「TMN SONG MEETS DISCO STYLE」は高く評価する人もいるようだが、
私はこれを初めて聞いた時、なんと台無しにしてしまったものかと愕然とした
当時は高校生だったし理解できなかっただけとも思ったが、
後に聞いてもやはり無理だ
聞き込んでいない者が言っても説得力はないだろうが、
あまりに陳腐な展開と単調な歌ばかりでうんざりする


ディスコで踊ることに特化した音作りなので、
その点では適した音作りかもしれないが、
家で鑑賞することはほとんど拷問に近い(少なくとも私には)


ただしこの手のTMNカバーアルバムでは、avexモノではないが、
「TMN Ballads Got A Funky & Groove」というアルバムがあり、
1993/3/5にリリースされた
歌詞は全曲英語に直され、曲間には楽曲を紹介するナレーション付きである


このアルバムはGeorge Black & Larry Scottというミュージシャンによるものだが、
何者かはよく分からない
Georgeは同じ頃、杏里のリミックスアルバム「Anri Project」にも関与しているが、
邦楽の洋楽風カバーで一発当てようと狙っていたのだろうか


こちらはTM楽曲をR&B風味に仕上げたもので、まあまあ聞ける作品である
「Get Wild」「8月の長い夜」のファンクバージョンなど、
なかなか面白いアレンジである
歌詞についても、avex作品では原詞の単純な直訳が多いのだが、
George & Larry版ではもう少しひねられている


選曲についても、「TMN SONG MEETS~」「Get Wild Meets~」は、
TMN楽曲中でノリノリの曲だけを選んだ頭の悪い内容だが、
こちらは「Wild Heaven」「Love Train」などだけでなく、
「1/2の助走」「Telephone Line」「Fool on the Planet」など、
なかなか渋い曲も選ばれている
しかし100位にも入らない成績だったようである


なおファンの間では有名な話だが、
小室は「TMN SONG MEETS DISCO STYLE」の相談を松浦から持ち掛けられた時、
自らの境遇について以下のように語ったという

TMNというのは、出せばなんでも売れちゃうんだよ。TMN消しゴムだって、出せば15万個売れるんだ。エイベックスみたいに新しくて格好いいレコード会社がTMNのカバーなんかやったら、絶対に格好悪くなっちゃうよ。


これは当時の小室がTMNに対して感じていた絶望感を示すエピソードとして、
しばしば挙げられるものである
実際にここからは、TMNで何をやってもファンの規模が変わらないといういらだち、
もしくは諦めを感じることができる


もちろん小室は、ファンが減っていると言っているわけではない
実際にTMNのセールスは1988年頃から安定して、
オリジナルアルバムは60万枚前後を記録していた
ただ以前書いた通り、当時は邦楽界のCDセールス自体が上昇していたのだから、
変わらないというのはむしろジリジリと地位を下げていっていることでもあった


これに対して小室は、TMNへのリニューアル以後様々な試みを行なっていたが、
結局ファンの規模が変化することはなかった
小室の絶望はファンの減少ではなく、規模が変わらないという点にあり、
それは新たなファン層の開拓がまったく進まないという焦りでもあった


そのようなところに現れた松浦という弱小レーベルの人間が、
見事に一定の成果を実現してみせた
しかも松浦はNOVA21グループやジュリアナ東京ともつながっており、
小室が新たに開拓したがっていたクラブシーンに近い人間でもあった


avexは急成長しているとは言え、まだ売上に関しては、
TMN「Colloseum」やソロの「Hit Factory」には及んでいない
だが小室にとっては、TMNやソロにない新しい可能性を感じるところがあったのだろう
以後小室は松浦・千葉へと近づき、松浦の影響下でテクノを志すことになる


以上、3章に渡って1992年の小室の動向を追ってきたが、
その結果可能性として残ったのは、
女性歌手への楽曲提供とクラブシーンへの接近という二つの選択肢だった
この内で、小室は翌年に向けて、後者のプロジェクトを始動させることになる
次章ではその様子を見ていくことになしよう


TMNソング・ミーツ・ディスコ・スタイル
エイベックス・トラックス
1992-09-23
デイブ・ロジャース

Amazonアソシエイト by TMNソング・ミーツ・ディスコ・スタイル の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル


ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 7

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
ナイス

この記事へのコメント

fe
2011年04月05日 17:35
こんにちは。

私も同感です。頭でっかちな選曲と
同じ音色・ノリ・リズムが長時間続くなんて
アンビエントでもない限り絶対無理です。
(あ、こんな書き方では
ブライアン・イーノ先生に失礼だ)

仰る通り、「ユーロビート」「パラパラ」の
類には展開パターンがあまりにも狭すぎる
きらいがありますね。

当時はそれが流行り始めだったというのが
売れた要因の一つですね。
M
2011年04月05日 20:09
こんにちは。
まずは管理人さんが御無事で何よりです。

このアルバムはTMNを語るときには避けられているようにも思いますが、しかし小室さんがtrfを手掛けていた事や今の専属と言う形になっている以上はとりあえずはTMNの歴史と言うよりは、エイベックスの歴史の一つになるのでしょうね。
おそらくというか僕の推測ですけど、この時の権利関係がまだ今になっても複雑に絡み合ってる気もします。小室さんは丸山茂雄さんには好意的に受け入れられているようですが、ソニーからは半分見捨てられてるようにも僕には取れて少し悲しい思いがあります。
92年当時権利や契約問題でおそらく小室さんは多くのものを捨てたんじゃないかな・・・。
捨てざる得なかったというか・・・。
今のエイベックスの、特に小室さんと松浦さんの様子を見てると表面上は松浦さんが主導で小室さんに指示という風に見えますが、実は松浦さんは小室さんに対するかなり大きな借りがあって立場は昔と変わらずにいる気もします。その借りと言うのがこのアルバムに絡む一連の契約や肖像権の問題なようにも思います。

長々とすみません。勝手なことばかり書きましてすみません。
青い惑星の愚か者
2011年04月12日 02:44
>feさん
世代的なものかもしれませんが、私の場合80年代に流行った歌謡曲的なユーロビートは割と好きな曲もあるんですけど、90年代初めのユーロって別ものでしたよね
あまり興味も無いから真偽はのほどは確認していないのですが、ジュリアナとかでかかっていたユーロって、日本のメーカーの注文で作られて日本限定で流れていたって聞いたことがあります

>Mさん
まあ、5部自体が事実上「TMN以後」ですからね…
おっしゃる通り、ここらへんの話が語られるのは、たいていavex前史かTKブーム前史としてだろうと思います
松浦さんやソニーとの関係ってどうなんでしょうね
avexとの接触が権利関係の複雑化の契機にはなったんでしょうけど、松浦さんと小室さんの関係にどう影響しているのかは、いずれ時効になって語られることがあるかもしれませんね
ただ80年代後半にもてはやされたソニー系バンドが同じ頃に次々と解散したことを見るに、おそらくこの頃の彼らはなんらかの事情で共通する厳しい環境下にあって、小室さんの「あがき」もそれへの対応という側面があったんだろうとは思います

この記事へのトラックバック

QRコード