5-9 続・サポートメンバーの活動(TMN期)

小室さんのDummuneライブ、各所で話題のようです
再放送とかありませんかねぇ…
とりあえず当日のUstreamの観客によるUstweetのログに、
リンクを張っておきますね


その小室さん、去年の九州、今年2/14の金沢に続いて、
今度は9/21・22に福井・富山でピアノコンサートを開催するそうです
北陸が続くのは、特定のプロモーターが関わっているんでしょうか?

TETSUYA KOMURO ~Piano Solo Concert~

日程:2011年9月21日(水)
場所:福井県・ハーモニーホールふくい
時間:OPEN 18:30 START 19:00
料金:全席指定\6,000(税込み) ※未就学児童入場不可

日程:2011年9月22日(木)
場所:富山県・富山県民会館
時間:OPEN 18:30 START 19:00
料金:全席指定\6,000(税込み) ※未就学児童入場不可


小室さんの話ばかりですが、今度は提供曲からみで
小室さんが坂本美雨さんに提供した「True Voice」が、
ラフォーレ原宿のGrand Bazar 2011夏(7月開催)のCMソングに起用されたようです
動画はラフォーレ原宿のサイトでも見られますが、
なかなかオシャレで雰囲気のあるCMですね
曲もよく合っています
っていうか、いい曲ですねぇ


あと今更なんですが、
6/22リリースのAAAニューシングル「No Cry No More」
表題曲はまた小室さんの作詞作曲です
アルバムが出た後も小室さんがAAAに楽曲提供するってことは、
また次のアルバムまで小室さんが担当するのでしょうか


以上、小室さんの近況ですが、
もう一件、面倒事が一つ落着するっぽいことも紹介しておきます
イーミュージックの恫喝の件です


ここ最近この件で動いていたのは、
イーミュージックプロデューサー笹原雄一ですが、
彼のTwitterにアクセスしてみて下さい
以前見たことがある方は、
一件して様子が変わっていることに気付くはずです


まずはプロフィールの写真
以前は白人のおっさんの写真(今の背景の写真)(第一段階)で、
その後卵の写真(第二段階)に変わりましたが、
今はむさくるしいおっさんの写真(第三段階)になっています
「アカウントの写真は世間に対する嫌がらせ」と自ら書いていますが、
最近うまくいっていないことをうかがわせます


次は名前
「笹原雄一(笹原然)」とあったのが、
第二段階以来「笹原雄一」としか書かれていません
名前が2つあるのは通名を使っているということでしょうが、
「然」の方を隠しておきたいなんらかの事情ができたのでしょうか


そして肩書き
第一段階では、
「株式会社キャッシュボックス代表。イーミュージック プロデューサー」
と書いてあったんですが、第二段階ではこれが消え、
「俺一人。仲間も身内も一切いない」に変わりました
この件は6/4にイーミュージック側も気付いて気にしています
後で述べる件から見ても、6/4は一つのポイントだったようです


第三段階に変わったのは6/18頃です
(6/17には変わっていなかったはず、6/19には変わっていました)
6/18の15:15に「なんか面倒だからどうでもいいや」というTweetを残しており、
その投げやりな発言から見て、第三段階に変わったのはこの頃と思います


ここらへんの背景はかつての本人のTweetから確認できます
過去のTweetは削除されていますが、
Twilogとかに保管されているので、当分確認できるでしょう
原因は出版プロデューサー高須基仁との対立のようで、
6/4のTweetによれば、高須との「決着」をつけるため、
「2ヶ月も無駄にして、出版関係の知り合いと全部縁切った」とのことです


「6月7日以降(中途半端な言い方だ)に高須と決着つける」とも言っており、
決着の日は6/7以後の見込みだったようです
次のTweetも、かなりの決意を物語ります
今後どんな揉め事があっても全て僕の自己責任。僕の知り合いは知りあいってだけで全部他人。そのためこの1ヶ月で携帯電話全て解約したのは僕の関係者はみんな知ってる。とにかく誰にも相談しないでだまし討ちできめた。

会社やイーミュージックとの関係をプロフィールから消したのも、
関係者を巻き込まないためなのでしょうが、
いやぁこういう裏の世界って怖いですねぇ…


6/7早朝5:58のTweetでは、
無事に今日を迎えることができました。たまには頑張らせていただきます。今日から2、3日は気がったってるんで眠たいこと言われたり足引っ張るような事されたらキレます。

と書いており、たぶん昨晩から眠れない何かの事情があったんでしょう
6/7までに最悪の事態が起こる可能性があったことがうかがえます
そして翌日6/8の早朝6:50、小室さんを刑事告訴する旨をTwitterで宣言しました


ところがその後6/14、
「もう何が起きても驚かない。麻痺してきた。」とつぶやき、
そして6/18にはさっき書いた「どうでもいいや」発言が出ました
注目すべきは、おそらくこれと同時に、過去ログを大幅に整理したらしいことです
(6/19の時点で整理済み)
具体的には、小室さん・イーミュージックに関するログを削除しました
高須に関するTweetも消していることから見て、
高須の圧力に屈したということでしょう
さらに6/21には、6/20以前のTweetを全部削除しました


高須の圧力と小室さんの件がどう関係しているのかはよく分かりません
高須自身は良い噂を聞きませんし、
ゴッドプロデューサーKAZUKIとも知り合いだったりしてアレな感じですが、
この際、これでイーミュージックの恫喝が収まれば、それで良いです
ま、イーミュージックなんかと関わって失敗だったね、笹原君!


それでは本編に入ります

----------------------
これまでは、TMN休止後のメンバー3人の動向を追ってきたが、
本章では少し寄り道をして、
TMN期のサポートメンバーについて取り上げよう


なおFence of Defense、松本孝弘、日詰昭一郎など、
FANKS時代のサポートメンバーについては、
すでに「2-35 サポートメンバーの活動」で触れているので、
参照されたい


TMN期のサポートメンバーといえば、
ギター葛城哲哉、シンセ浅倉大介、ドラム阿部薫である
この構成は「Rhythm Red Tour」「Tour TMN EXPO」を通じて変わらず、
TMN期を象徴する存在という印象が強い


この3人は、TMN「終了」後もメンバーと関係を持った
たとえば3人は2003年・2005年・2007年、
ウツ・木根を中心に(つまり小室抜きで)行なわれた3度のtribute LIVEで、
いずれもサポートメンバーを務めている


特に葛城はTM再結成後の2000年から2004年、
TMのすべてのフルライブでサポートを務めている
つまり1990年の「Rhythm Red Tour」から15年間、
葛城は全TMライブに参加したことになる
実にTMN期から再結成期TMのライブを支えた人材といえるだろう


葛城と浅倉のソロ活動は、TMNの活動休止後に本格化した
二人はいずれもタイムマシン所属ミュージシャンとしてデビューした
もっとも葛城も浅倉もこれ以前にデビューしたことがあったが、
葛城の場合はバンドのメンバーとしてのデビューであり、
ソロミュージシャンとしてのデビューはこの時である
浅倉もTMNから独立した一ミュージシャンとしての活動は、
やはりこの時からと言える


まずは浅倉大介から見ていこう
彼のCDデビューは実は古い
ファミリーコンピュータとPC-9801で発売された、
「DAIVA」というシリーズのゲームミュージックを担当しており、
その音源集が1987年に東芝EMIからリリースされている
一部のゲームマニア向けのアイテムで、
浅倉のネームバリューはまったくなかった時期のものである


同じ1987年、浅倉は小室哲哉に見出され、
「Kiss Japan Tour」の機材システムの構築など、
TM NETWORKの裏方として活躍した
もともとYAMAHAの出向社員だったこともあり、
YAMAHA EOSの開発にもたずさわった
1990~91年の「K’s Magagizine」収録のEOSによるTM曲音源も、
大部分が浅倉によって作成されたものである


浅倉の実質的なデビュー作は、
以前触れた「Landing Timemachine」である
「Tour TMN EXPO」中の1991/11/1にリリースされ、
内容はTM NETWORKの楽曲のインストカバーが中心である
レコード会社はファンハウスである
以後浅倉関係の作品はしばらくファンハウスからリリースされる


「Tour TMN EXPO」のセットリストにはこの中から、
「Self Control」インストの「Memory of the Future」が採用されており、
またツアーの「Dive Into Your Body」のライブアレンジも、
同アルバム収録のアレンジを元にしている
チャートでは27位、1.9万枚の売上だった


浅倉が独自の音楽活動を始めるのは、TMNの活動休止後である
その始まりは1992/9/2リリースのアルバム「D-Trick」だった
TMN休止後、タイムマシン所属ミュージシャンがリリースした最初の作品である
5月頃にはレコーディングが始まっていたらしい
4月末のTMN活動休止とともにソロ活動のモードに入ったと見られ、
TMNのツアー中からソロデビューは予定されていたのだろう


本作にTMN関係の楽曲はまったく無く、
ソロミュージシャン浅倉大介の実質的な始まりはこの時と見て良い
売上はあまり高くなかったが(30位、1.4万枚)、
1995年の新装版は6位、9.9万枚を記録している


このアルバム収録の「Cosmic Runaway」ではウツが、
「Toy Box in the Morning」では木根がコーラスに参加しているが、
その後につながるものとして重要なのは、
「Cosmic Runaway」を含む三曲で貴水博之がボーカルを取っていることである
おそらく当初から、浅倉とユニットを組むボーカルの候補だったのだろう


実は貴水はこれ以前の1991/3/5、
「21世紀少年」でバンダイからデビューしていたが、
これは本人の中で黒歴史として封印されているらしい
浅倉と貴水の出会いは、貴水デビューの直後、
1991年3月「Rhythm Red Tour」代々木体育館公演のことで、
浅倉がボーカルを捜していると聞いて楽屋まで会いに来たと言う
結局浅倉が貴水を登用するのは1992年のことになるのだが、
「Landing Timemachine」の時に登用される可能性もあったのかもしれない


浅倉・貴水のユニット結成は「D-Trick」リリース以前に決まっており、
ユニット名はaccessと名づけられた
AXSなど表記は様々だが、読みはすべて「アクセス」である
「X」を「→←」で表記し、「A→←S」と書いた例もある


accessデビュー作のレコーディングは「D-Trick」と並行して行なわれた
アルバムリリースは翌年のことだが、
11/25のaccessデビューライブ「Virgin Emotion」でもアルバム曲が演奏されたらしいので、
かなりじっくりと準備をした上でのリリースだったらしい


accessのCDデビューは1992/11/26シングル「Virgin Emotion」だが、
本作は40位、1.6万枚で、ほとんど売れなかった
ところが1993/1/25リリースの2ndシングル「Jewelry Angel」は14位で、
大幅にランクを伸ばした(木根のシングルよりも上)
本作はロングセールスとなって14.6万枚を売り、
さらに翌月2/25リリースのアルバム「FAST ACCESS」は、
2位、20万枚を記録した


同年の2ndアルバム「ACCESS Ⅱ」は2位、
翌年の3rdアルバム「Delicate Planet」は1位を獲得した
シングルもベスト5の常連で、
最高ランクは1994年の「Misty Heartbreak」(2位)である
ただaccessは1994年まで、
11枚のシングルと3枚のアルバムをリリースするが、
売上は最後まで20万枚台で安定し、人気の大爆発という現象はなかった


それでも1993年初頭のaccessは、
trf(6.5万枚)や木根ソロ(5万枚)はもちろん、
小室ソロやT.UTU(アルバム15~16万枚)をも凌駕する成績を収めていた
つまりTMNメンバーよりも成功を収めたわけで、
タイムマシンスタッフとしても予想外の成果だっただろう


デビュー当初は大して注目されなかった彼らが、
わずか2ヶ月後の2ndシングルで、
なぜここまで急激に人気を伸ばしたのだろうか
当時は私自身注目していなかったこともあり、
このあたりの事情は正直に言ってよく分からないのだが、
おそらくB’zの最初のブレイクと近いものがあったのだろう
つまり、TMNファンの一部がaccessに流れたのである


accessの方針は初期B’zと極めて似ていた
TMのサポートメンバー出身のミュージシャンに、
美形の絶叫系ボーカリストを組ませ、二人組ユニットにし、
原則的にボーカルに作詞、演奏者に作曲を担当させ、
TMを思わせるシンセ系の楽曲を作らせたのである
(ただし2nd・3rdアルバムは、元TMマネージャ・accessプロデューサの井上哲夫の妻の井上秋緒が多くの作詞を担当するようになる)


ただB’zの場合は、他社のビーイングがTM NETWORKのコピーを作ったのに対し、
accessの場合はタイムマシン自らTMNのコピーを作った
さらに言えば、TMのコピーを作るビーイングの手法をコピーしたわけである


B’zと異なる点といえば、
TMNの女性ファンの一部に需要のあったホモセクシュアル的雰囲気を意図的に出したことであり、
PVにもそうした雰囲気を連想させるシーンを意図的に組み込んだ
この点をここまで開き直ってセールスポイントにしたミュージシャンは、
確かにそれまでの日本にはいなかっただろう
ただしこれは逆にaccessの人気を一定度に留める原因になったかもしれない


こうしてTMNの休止中、タイムマシンを支えたaccessだったが、
TMNが「終了」という結果で清算された1994年、自らの活動も終息させる
1995年元旦、彼らは「沈黙」と称して活動を休止した
事実上の解散を「沈黙」と称したのは、「終了」をモデルにしたものに違いない


TMN「終了」の頃の浅倉が、複雑な状況に巻き込まれながらも、
TMNに対して少なからぬ惜念の情を抱いていたことは、
「終了」ライブの翌週にリリースされた「Delicate Planet」に、
TMNへの思いを込めた「Decade & XXX」を収録していることからも分かる


この曲は作詞・作曲AXSとなっている
実際の作詞は井上秋緒のようだが(本記事NAXさんコメント)、
浅倉の意向も出ているのだと思う
初期TMのキャッチコピーや歌詞を踏まえている点など、
当時の浅倉の気持ちが伝わってくる
英語部分、「君の10年は輝く星だったと僕は言える」の詞など、
明らかにTMNの3人に向けられているのだと思う

あの君の歌はまだ今も僕を変えてく
“君は間違いじゃない”“君だけのわけじゃない”
足早に過ぎる道で いつも君を探している
見つけたい場所に向けて光る星を目印に
色褪せぬ想いだけが できることが何処かにある
金色の夢を見せて 何時の夜も I’m Dreamin’ Tonight
終わらない瞬間の中で きっといつか辿り着ける
金色の夢のドアに…
I Can Say The Decade of You Is Shinin’ Stars
You’re So Everytime
Don’t Forget To Sing Your Heart in Place of Me
Your Song, Forever


1995年以後の浅倉は、ソロ活動やIcemanのメンバーとしての活動、
あるいは他のミュージシャンへの楽曲提供やプロデュースも行なった
これらに関して詳しくは触れないが、
一つだけTMNとのからみで触れておかねばならないものがある
浅倉プロデュース中でもっとも成功したT.M.Revolution(西川貴教)である


デビューは1996年のことである
その名称は公式にはTakanori Makes Revolutionの略とされるが、
TM NETWORKを前提とした命名であることは明白である
真の意味を非公式に設定する点も、TMがモデルなのかもしれない


実際に浅倉は、TMの名前で西川をデビューさせることについて、
小室に電話で伝えたという
TM NETWORKを敬愛するからこそ、
自ら「TM革命」を遂行したかったのだろう


T.M. Revolutionは1997年「High Pressure」でブレイクし、
浅倉関係ではaccessを凌ぐ最大の成功となった
だが1999/3/18、浅倉はT.M.Revolutionを封印し、
以後一年間の西川と浅倉は、
the end of genesis T.M.R. evolution turbo type D(T.M.R-e)
と名乗って活動することになる


当時これは何の冗談だと思ったが、
おそらくTMN再始動の計画と関係があるのだろう
TMNは1999/3/12に東京ヴェルディのテーマソングとして、
「it’s gonna be alright」をレコーディングしている


これは「終了」後初となるTMN楽曲であり、
TMN再結成の始まりとなるはずの曲だった(7月にTM NETWORKの名でリリース)
もちろん再始動の話はこれ以前から進んでいたから、
その話を知った浅倉は1998年度を以て、
T.M.Revolutionの名称を封印することにしたのではないだろうか


だが1999年度のTM NETWORKとT.M.R-eは、
活動を軌道に乗せられなかった
2000年度にはTM NETWORKがSONYから離れ、
T.M.R-eもT.M.Revolutionとしての活動を再開する


2000年には香港で、TMとT.M.Revolutionのジョイントライブが予定されたが、
結局何らかの事情で(たぶん人が集まらず)中止になっている
この代わりに開催されたのが、
TM復活後最初のフルライブ「Log-on to 21st Century」であるが、
この時はT.M.Revolutionは参加しなかった


随分と後の時代まで話が及んでしまった
話を葛城哲哉に移そう
以前触れた通り葛城は、
1990年初めまでT.V.というバンドに所属しており、
その解散後にTMNのサポートメンバーになった


葛城は「Tour TMN EXPO」の頃には、
タイムマシンの所属ミュージシャンとして、
ソロデビューすることが決定していた
ただ葛城のデビューは、いささか不運な始まりとなってしまった
本来は小室提供の楽曲でデビューすることになっていたのだが、
小室がタイムマシンと対立し離れてしまったため、
この件がご破算になってしまったのである


このためか葛城のデビューは一年近く遅れ、
1993/3/24シングル「Bird in the Rain」が最初のCDとなった
レーベルはBMGビクターである
アルバム「Double Dealer」は翌月、
TMNの記念日4/21にリリースされた


本作収録の「Love Songは歌わない」は木根の提供、
「ナイト・スウィート」は親交のあった甲斐よしひろが提供したが、
他はすべて葛城自身の作曲である
作詞は全部外注だが、その中で「たてがみを揺らして」のMISATOは渡辺美里である
これ以前から美里のレコーディング・ライブサポートに参加していた縁だろう
(AKAさん提供情報)


葛城デビュー時のキャッチコピーは「TMファミリー最後の大物」だったが、
旧TMNファンからはすでにaccessに流れる者が出ており、
その中で葛城のデビューはいささかタイミングを逸した印象がある
シングル・アルバムとも2万枚に満たない売上だった
ただしこれは、もともと葛城の目指す音楽がTMNファンの求めるものと距離があったこともあるのだろう


以後も葛城は積極的にシングル・アルバムをリリースする
だが1994/3/24リリースの2ndアルバム「As You Like」も、
セールスは1.3万枚にとどまった
なお本作収録の「愛していることがあたりまえになるほど」は木根の作曲である
作詞は別人だが、曲名がこれだけいかにも木根的である


これ以後1万枚を越える作品は出ない
1996/1/24リリースのインストアルバム「Multi Quest KG-5」以後は、
しばらく新作はリリースされなくなる
2000年以後はインディーズで時折新作を出しているようである


その中注目すべきものとして、
「As You Like」収録の「SOMEBODY’S WAITING FOR YOU」がある
この曲には「DEDICATED TO 10TH ANNIVERSARY」というサブタイトルがあるが、
これはリリース翌月のTMN10周年を意識したものに違いない
(AKAさん提供情報)
ならばメインタイトルは「誰かがTMNの活動を待っている」という意味だろう


本作の作詞は「Decade&XXX」と同じ井上秋緒である
本作がリリースされた頃にはすでにTMN「終了」は決まっていたが、
レコーディング時にも決まっていたのかは分からない
葛城はどのような気持ちでこの曲をレコーディングしたのだろうか


また1994/10/21リリースのシングル「Searchin’」にも触れておきたい
これは77位、4千枚の売上に終わったが、
表題曲は小室が作詞・作曲を担当している
TMN「終了」を経て、タイムマシンが解体したことで、
ようやく小室から葛城に楽曲提供する条件が整ったのである
なおカップリングの「Stranger」は、
T.UTU with The Bandで共演した土橋安騎夫の提供曲である


以上を踏まえると、1993年の時点でタイムマシンに所属するミュージシャンは、
宇都宮隆率いるT.UTU with The Band、木根尚登、access、葛城哲哉だった
そして今では考えられないことだが、
1993年にはこのメンバーを中心に夏フェスが行なわれた
「POP Rockets ’93 Racy Rockfes」である


8/9に東京ベイNKホール、
8/21に福岡県海の中道公園、
8/28に越後湯沢中央公園で行なわれ、
越後湯沢公演の一部は10/2名古屋テレビで放送された
(ただし厳密には福岡公演は「JT Super Sound ‘93」という企画らしい)


このライブでは、冒頭をaccess、締めをT.UTU with The Bandが務めた
この時点でタイムマシンが抱える二大人気ミュージシャンである
T.UTUの前は木根で、
TMNメンバー2人を最後に取っておくという構成である


なおこの時accessはリリース間近(もしくは直後)のシングル「Moonshine Dance」を披露し、
木根は未発表曲「時代を抱きしめて」を披露している
(翌月リリースの「Never Too Late」に収録)


その他は葛城哲哉、Fence of Defense、The Яeblesで、
合計6組が出演して、各4~5曲(ウツ・木根が5曲)を演奏している
合計26曲というボリュームだった
なおThe Яeblesは土橋安騎夫のバンドである


有名なのは福岡公演で、
野外ライブであるにもかかわらず、
開演時間近くになって大規模な夕立がぶつかってしまった
(本記事のぐのぐさんご提供情報)
ライブ自体の中止も検討されたという
だが結局は夕立が去るまで待ち、1時間ほど遅れて開演し、
演奏曲を減らした上で最後までやり遂げることになった


福岡の写真 ウツの写真写りが微妙


ただこのイベントで小室がいないというのは、
TMNファンとしてはやはり複雑な思いだろう
しかも小室は8/7の「avex rave ‘93」では、trfとして出演しているのである
8/21には小室の手に成る「TMN Classix」のリリースが控えており、
それにもかかわらず小室がタイムマシンのイベントに出演しなかったのは、
依然としてスタッフとの関係の微妙さをうかがわせる


仮にこのイベントでTMNとしての出演があれば、
「Classix」のアレンジで数曲のTMN曲の演奏が見られたかもしれない
「Classix」バージョンの演奏が現在まで無いことを考えると残念である


最後にこれまで触れてこなかったサポートメンバー、
ドラマーの阿部薫に触れよう


彼はTMNの活動休止中も、
ソロ活動を行なう予定はなかったようである
1993/1/2「タモリの音楽ステーション」で小室のバックを務めたのも、
タイムマシン専属の立場になかったからこそ可能だったのであろう


この頃は木根やKATSUMIなどのライブサポートを行なっていたらしい
「Racy Rockfes」や、accessの全国ツアー「Tour Delicate Planet」にも、
サポートとして参加している
小室との関係も長く続き、
TKブーム期にはtrf・globeのツアーや「TK Dance Camp」などでも、
サポートを務めている


その後木根の主導で阿部のデビューが実現した
1996~97年に放送された木根のラジオ番組「ラジオのチカラ」「ミュージックパルス」で、
冗談ぽくリスナーから阿部ファンクラブ参加希望者を募り、
さらにCDデビュー決定後には、レコーディングの様子も逐一報告された
ただ木根は本当にここらへんが下手だと思うのだが、
冗談の企画ではない必死さが聞くものにも伝わってきてしまった


キャッチコピーは葛城の「TMファミリー最後の大物」を踏まえ、
「TMファミリー最後の小物」だった
デビューは1997/7/9シングル「Night Eyes」である
翌週7/16にはアルバム「心に太陽」がリリースされたが、
100位にも入らなかった


おそらく木根なりに努力した企画だったのだと思う
だが木根の努力の方向は、
だいたいお決まりの身内の結集という方向に向かいがちである
この場合も藤井徹貫・山本英美・嶋田陽一など、
木根がいつも名前を出す親しい人脈を最大限活用している
個人的にこういう仲間内の閉じた雰囲気というのは苦手である
(製作者内では盛り上がれるだろうが)


おそらく本作で目玉になったのは、
浅倉の作曲・編曲による「Tocohyotsu Beat!!」であろう
なお「とこひょつ(Tocohyotsu)」は、
ステージ上でひょっとこの顔マネをしたことにちなむ阿部のあだ名である
現在でも阿部のブログは「振り向けばとこひょつ!」と題している


シングルになった「Night Eyes」は、
作詞にMarc Pantherが関わっている
人気絶頂期のglobeからの参加である
よく分からないのが鈴木蘭々作詞の「おたんじょう日」だが、
どういう縁なのだろうか


だが阿部はもともとソロの経験もなかったし、
すでにTMN「終了」から3年経過していたため、
デビューのタイミングとしても微妙だった
そのためか、アルバムの内容も冗談めかしたコミックソングが中心である


徹貫作詞作曲の「オフレコ」は、
阿部がぼそぼそと秘密の話を語るという内容だが、
これはライブでも応用の効く曲だろう
2007年、「Spinf Off from TM 2007」のソロコーナーでも、
日替わりの一曲でこれを歌い、歌詞も毎回変わった


阿部はこれ以後CDのリリースを行なっていない
おそらく今後もないだろう
今はライブのサポートをメインに行なう傍らで、
副業のカメラで写真の個展なども行なっているようである
TMやウツ関係のライブでも、
会場でカメラを持って撮影する阿部の姿が時折確認される

(2011/6/22執筆、2019/8/16加筆)

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この記事へのコメント

NAX
2011年06月22日 08:02
TMNサポートメンバーで一番成功したのは浅倉大介さんと貴水博之さんのユニット『access』ですね。





access「DECAED&XXX」に作詞ですが色々調べたら井上秋緒さんが作詞していました!





CDのクレジットでの作詞&作曲はAXSですが実際は井上秋緒&浅倉大介です。




もちろん貴水博之さんが作詞している曲もありますが…^^;
青い惑星の愚か者
2011年06月23日 05:08
DECADE&XXXの情報、早速ありがとうございました
accessは詳しくなかったから、大変助かりました
早速記事を訂正しておきました
シングルのクレジットと対照させると、アルバムの作詞・作曲AXS名義は作詞井上さんのケースが多いようですね
g2m
2011年06月24日 12:56
アクセスの話題があったので、一つお聞きしたいのですが、なぜ沈黙(解散)したんでしょうか?
セール的にも…爆発的なブレイクとはいかないもの、確か94年の紅白にも出演してたと思うんですが…
メンバー間の不仲とかなんですかね?
TMとは全く関係無い話で申し訳無いですが(^_^;)
kuri566
2011年06月24日 22:36
アクセスの沈黙は、当時の通説としては貴水博之さんが音楽的に別の可能性を探るためだと言われていたような。その彼のソロを聴くと、デジタルビートとは別のラテンの香りとかするようなのですが、そっちが本来やりたい方向だったのかなと。でも、再結成してますしね。
貴水博之
2011年06月27日 18:31
>>浅倉(A)と清水(S)の二人のユニットであることを表現した、うまい表記と思う
清水って誰ですか?
NAX
2011年06月27日 19:32
さっそく記事訂正に役立ちましたか!



僕もaccessはファンなので~♪




さらに追加しますとaccess3部作の作詞している朝霧遥さんも井上秋緒さんです(^^)b






ちなみにaccessファンになったのは意外にも沈黙後なんです(^^;
GAUZE
2011年06月27日 21:45
お久しぶりです。べーあんこと阿部薫さんがTM関連で最近ドラム叩いてないのは寂しいですね。そういえば、去年の夏に声優の水樹奈々さんの西武ドーム2daysライブ一日目に北島健二さんと一緒にサポートしていました。そのライブでは去年のウツのディナーショーでコーラス参加していたティナこと松岡奈穂美さんもいましたよー。
青い惑星の愚か者
2011年06月28日 02:36
木根さんの記事よりコメントが多いのがなんとも(^^;

>g2mさん、kuri566さん
「沈黙」の裏事情は私はさっぱり…というか、accessファンではなかったので、気付いたらあれ?いない?って感じでした
安定したファン層はつかんでいたから、契約面では続けられたと思いますけど、よく出る「音楽性の違い」だったんでしょうかねえ

>貴水(仮称?)さん
私は一体なにを勘違い…???
ファンの方には不快宇な意味不明な文章を申し訳ございませんでした
久しぶりの大ポカでした

>NAXさん
西門加里さんみたいに複数の名義使ってたんですね
ファンじゃないと絶対分からない情報ありがとうございました
accessって沈黙後でもファンが増えていたんですね
浅倉さんの地道な活動もあるんでしょうけど、accessってなかなか根強い支持者がいた気がします

>GAUZEさん
阿部さんって20周年のファイナルのゲスト出演を除いて、再結成後のTMのライブに参加していませんよね
各メンバーとは仲いいんですけどね
阿部さん、押し付けがましくない人格者って感じで、個人的には歴代のサポート中でも好きな方です
kuri566
2011年06月30日 21:24
TK DOMMUNEで検索すると1.2の2本アップされてました!私は実際の閲覧できなかったので、少しでも見られてよかったです!
koo
2011年07月02日 15:20
こんにちわ

記事に触発されて私見を少し
accessはその少し前からはやり始めていた(特にTMとバクチク、ジャニーズあたりに顕著だったように見られる)ミュージシャンを対象とした「同人誌」(所謂ボーイズラブ系)をその販売戦略に正面から取り込んでいた印象があります。
実際、SEQUENCE MEDITATION三部作を小説、漫画という形でハッキリと角川のボーイズラブレーベルにて「公式」発表してましたし。
沈黙後も同人誌界隈でのaccess人気というのは非常に根強いものがありました。(後にその層がTMRに移行した印象です)

「Decade & XXX」は「Decade & Thanks,Goodbye」が正式呼称だそうで、「終了」直前にアルバム発表というタイミングだった為以下を伏字にしたとのことでした。
青い惑星の愚か者
2011年07月06日 01:47
>kuri566さん
おお、まだありますねえ
DOMMUNEの映像はすぐに消されてしまうそうなので(というか、すでに何度か消されています)、あえてURLは張りませんが、もし御覧になられていない方はお早めに…

>kooさん
BUCK-TICKもその世界の毒牙にかかってたとは知りませんでした
市場として開拓の余地がある世界だったんでしょうね
かのTMNもその業界で受け入れられていたようなので、その市場を積極的に確保しにいったという感じなんでしょうか
Decade & Thanks,Goodbyeってのは私も聞いたことあります
浅倉さんって、多分自身が一番熱心なFANKSなんでしょうね
のぐのぐ
2019年09月20日 23:57
こんにちは

懐かしさと驚きを交えつつ、とても興味深く読ませていただいております。
たくさんの情報をありがとうございます。

さて、私は海の中道海浜公園(福岡)で開催された「JT Super sound ’93」を観に行きました。

当日の天気は、台風ではありません。
ライヴが遅れて始まったのはひどい夕立のせいです。

昼間は晴れていて、暑く、何も予備知識がなく、初めて野外ライヴに来た私たちは、
日焼け対策をして来なかったことを大変後悔していました。

しかし、17時ごろから急に雨が降り始め、もちろん雨具なども持ち合わせてなかった私たちはずぶ濡れで、会場に立ち尽くして雨が止むのを待ちました。

会場は、ファンでぎっしりで、雨が降ってもほとんど帰る人はいないようでした。
今で言う、ゲリラ豪雨のようにかなり強めに降ったと記憶しております。

結局、ライヴは雨が止むのを待って、開始予定時刻から1時間以上経って始まりました。

観客はみんな、待ちに待った状態で始まりましたので、大変盛り上がったと思います。
でも、始まってから1時間位?で終わってしまい、ガッカリしたことを覚えています。

念のため、当時の天気を調べましたら、やはり17時ごろから数時間のみの降水量がとても多いのがわかりました。

ちなみに、行きは海の中道海浜公園まで電車で行ったのですが、帰りは船で博多埠頭まで戻り、JRに乗り換えて地元まで帰りました。
台風だったら、船は出てないと思います。

船着き場まで全速力で走り、どうにか最終便に間に合いました。
服はずぶ濡れ、買ったばかりのサンダルはどろどろに汚れて家路に着きました。

私は、今まで野外ライヴに行ったのはこれ一回きりです。
あの天気の急変がトラウマになり、とても野外ライヴには行く気にならなかったのです。(今はもう、そんな体力もありませんし。)

でも、あのライヴに参加できたことは、後悔していません。今となっては、とても良い思い出ですね。
青い惑星の愚か者
2019年09月25日 02:49
貴重な情報、ありがとうございます。
私自身は福岡に行っていないので、参加者のお話は助かります。
「台風」は「夕立」の直しておきますね。
福岡話はステージの人は「がんばった」て感じで語りますけど、
観客からしたら、雨に振られるわ時間が短縮されるわで散々ですよね。
しかし浅倉さんとか、機材はどうしたんでしょうかねえ。

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