5-10 TMN10周年への道

7/30、東京南青山のSpiral Hallで開催されるシンセイベント「Yamaha & Steinberg EXPO 2011」に、
小室さんが出演してTalk&Liveを行なうとのことです


参加費は無料ですが、サイトでの事前の申し込みが必要で、
参加可否は抽選で決まるとのこと
抽選受付は7/19までで、もうあまり時間はありませんが、関心のある方は是非どうぞ
ちなみに私はいけません


また夏恒例の「a-nation」
今年は7/23・24にニコファーレで開催され、
小室さんが両日とも出演するそうです
チケットはすでに完売していますが、
ニコニコ動画で生中継もされるようです(有料)


以上、小室さん情報でした
では本題に入ります
実に久しぶりに、TMNの話です

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小室哲哉は、1992年9月にアメリカから帰国して以来、
trfの企画に邁進した
12月まではレコーディングの日々をすごし、
その後1月終わりまでtrfの一員としてライブに出演している
さらにその後、2月には自らのソロアルバムの作成に入った
当時の小室の関心を考えれば、テクノ系の楽曲だったのだろう


このアルバムはボーカル入りの予定だったらしい
小室メインボーカルの楽曲は、
1992年の「Hit Factory」以後20年近く制作されないが、
小室はこの時点ではまだボーカリストを続けるつもりがあったらしい


だがこのレコーディングは中止された
そしてこれに代わって浮上したのがTMN再始動計画だった
これはかなり重要な情報だが、具体的な経緯は不明である
藤井徹貫の代筆と思しき小室名義の空虚な文章に拠れば、
デモテープ作成中にTMNのことを考えるようになったということだが、
実際にはもう少し具体的なきっかけがあったはずである


おそらくこの頃、タイムマシンと小室で交渉の機会が持たれたのだろう
ちょうど年度切れ目の3月を控えていた頃だが、
1993年度のEPIC/SONYとの契約など、
合意を作っておかねばならない問題もあったはずである


そしてこの結果、1993年度は翌年のTMN10周年に向けて動き、
1994年度に10周年のニューアルバムをリリースすることになった
いささか緩慢なスケジュールにも見えるが、
拙速に動き出すよりは、
十分な準備期間を置いてから本格的に動き出そうということだったのだろう


TMNの再開について合意が生まれたことの背景には、
小室がTMNを離れた後、
大した成果を上げていなかったことも大きかったと思う
小室のレコーディング中止が2月終わり頃とすると、
それはtrf「trf~This Is The Truth~」(2/25)と、
T.UTU with The Band「Buterfly」(2/21)がリリースされた頃である
前者は初動2.9万、後者は初動4.8万で、
ウツの方が倍近い成果を上げていた


さらにいえば「trf」と同日発売のaccess「FAST ACCESS」は、
初動6.2万枚だった
この週(3月第2週)のチャートでは、
accessが2位、ウツ(2週目)が5位、trfが14位で、
セールス面ではタイムマシン側の圧勝だった
この時点で小室がTMNを選択肢として見直す動機は十分にあった


一方で小室より成果を上げていたタイムマシンにとっても、
オリジナルアルバムをコンスタントに60万枚売るTMNは、
やはりかなり大きな存在だった
ウツのアルバムは最終的には15万枚程度を売り、
小室の「Hit Factory」もほぼ同じだったが、
これは64万枚を売ったTMNのオリジナルアルバム「EXPO」はもちろん、
寄せ集め音源集「TMN ColosseumⅠ・Ⅱ」の各30万枚と比べても、
半分程度にしかならない


小室もタイムマシンも、
この時点ではTMNの成果には遠く及んでいなかった
早い話、商業的な見込みから言えば、
TMN再開が双方にとってもっとも利益になる選択肢だったのである


そんなことは分かりきっていたとも言えるが、
小室もタイムマシンを飛び出して10ヶ月、
一人で好きなだけ試してみた結果、そのことが痛感されたのだろう


おそらくこの決定を前提に、
ラジオ番組「TMNウツと木根君」の最終週、
1993/3/29~4/2に小室が出演した
実にメディアで一年ぶりにTMN3人が集まったわけで、
TMN自然消滅の可能性を考えていた多くのファンにとっては、
嬉しい瞬間だっただろう


この後TMN3人は、時折集まったらしい
翌年の「終了」シングル「Nights of The Knife」は、
リリース日の1994/4/21の1年前には作られていたという
もともとTMN用に作ったわけではなかったが、
ウツが歌うと良いだろうと思ったと、小室がコメントしている
あるいはソロアルバム用の曲を元にしたものだったのかもしれない
5月にはウツが「Nights of the Knife」原曲に仮歌を入れたともいう


ウツは5月上旬までソロツアー「Live Butterfly」公演を行なっていたが、
その末期の5月初めにはスタジオに入ることもあった
この頃に3人で集まって、予備作業としてスタジオで楽曲作りを試みたのだろう
なおウツは5月17日から月末までハワイに飛ぶため、
「5月のレコーディング」は5月前半のことと考えられる


ただ基本的にこの時期は、3人のソロ活動の期間に当てられた
木根は4月には2ndミニアルバム「Never Too Late」の制作に入っている
小室も4月に「EZ Do Dance」レコーディングのためにロンドンへ飛んでいる


「EZ Do Dance」のプリプロダクションは、
ファーストアルバム「trf」のレコーディングの終わりの頃には始めていたという情報があり、
実際のところどの程度の作業が行なわれていたのかは明らかでないが、
次回作用の音源もいくつか用意していたのだろう
おそらくそれはソロアルバム制作と並行していたと考えられる
実際の作業としては、ソロかtrfか必ずしも区別せず音源の制作が行なわれたものだろうか


trfと木根のシングルはそれぞれ6月と7月、
アルバムはそれぞれ7月と9月にリリースされた
この内で木根「Never Too Late」の準タイトルチューン「Not Too Late」では、
小室とウツがコーラスで参加しており、久々に三人が関わった作品となっている
これは春頃の3人の共同作業の様子を伝える唯一の音源でもある


小室はもともとtrfのメンバーとしてステージに立っていたが、
ミニアルバム「EZ Do Dance」リリース後、
8月の「avex rave '93」を最後に脱退し、
以後trfはYU-KI・DJ KOO・SAM・Chiharu・Etsuの5人編成となる
9~10月に行なわれた「Club Tour EZ Do Dance」はこの5人態勢で行なわれた


おそらく小室のtrf脱退の前提には、TMN再開の予定があったのだろう
小室はすでにTMNのリミックスアルバム「Classix 1・2」の制作を終え、
TMN2年ぶりの新曲「一途な恋」のレコーディングに入っている
活動の基盤をTMNに戻す態勢は整いつつあった


木根のソロ活動はもう少し続いたが、
締めくくりとなるツアーも10/19で終わる
この少し前、9/29には「一途な恋」がリリースされ、
その三日後の10/2からはTOKYO FMで、
1年半ぶりのTMN3人のラジオレギュラー「TMN United」が始まった


この番組をスタートしたのは、
当然TMNの活動再開が前提となっていたはずである
実際に小室は「一途な恋」をTMN10周年のスタートと位置付け、
本作をリードシングルとして翌年にアルバムをリリースすることを宣言していた
アルバムは3月リリースとも言われており、
これを引っさげた10周年ツアーも計画されていたはずである


ところが実際にはそうはならなかった
つまり小室・木根の活動がひと段落し、
TMNの活動の準備が整った頃、
ウツがソロ活動を再開する一方、
TMNは何の動きも見せなかったのである


結局「一途な恋」以後、TMNとしての新曲リリース情報はないまま、
「TMN United」は3月にTMN10周年を待たず放送を終えた
TMNの番組にも関わらず、番組放送期間のTMNの活動はほぼ皆無という、
非常に不可解な結果に終わってしまったわけで、
早い話、TMNのPRには何の意味もない番組となった
もちろんこんな不自然な活動が当初からの予定だったはずがない
ある時点で予定が変更になってしまったことを推測することは許されるだろう


1993年12月発売の木根のエッセイ集「A Tree of Time」の以下の後書きは、
当時のTMNをめぐる情勢の不透明さを示しているように見える

次にアルバムを発表したり、次にステージに立つとき、今度は3人なのか、またひとりなのか、それはまだ約束できない。しかし、僕も、僕らも、まだまだ音楽を続けることは確実である。


本書は「GB」に連載されたエッセイをまとめたものである
最後の記事は1993年10月付けで、
ソロツアー「Never Too Late」終了後の感想を述べている
「Never Too Late」は10/19に終わったから、
10月終わりに書かれたものだろう
11/15には(おそらく後書きも含め)もう書きあがっていると本人が言っているから、
後書きは10月終わりから11月上旬頃に書かれたものと考えられる


翌年3月のTMN10周年記念のアルバムリリース予定が、
9月には宣言されていたにもかかわらず、
それから1~2ヶ月程度経っただけなのに、木根の歯切れは非常に悪い
ソロ活動の予定がまったく立っていなかったこの時点で、
次のステージがTMNであることが断言できていないのである


「A Tree of Time」発売と同じ12月には、
小室哲哉のエッセイ集「告白は踊る」も発売されている
1993年9月まで「Art of Life」と題して「月刊カドカワ」に連載したものをまとめたものである
この2冊の刊行は、本来TMN再始動を盛り上げるべく企画されたものだったに違いない


だが「告白は踊る」の後書きにも、
「A Tree of Time」と同様、TMN10周年の話題は触れられていない
さらにいえば、trfも含め音楽の話題自体が触れられていないのだが、
これは11月頃の小室がまだTMNとtrfの可能性を様子見していたため、
あえて両者の話題を避けたものとも邪推できる
TMN10周年について明言できない事情が、小室にも木根にもあったのだろう



TMN10周年が公式に言及された最後は、
後で触れる「UKK Times」1993年10月号のウツインタビューで、
藤井徹貫が10周年についてウツに話を聞いている
同誌の木根・葛城の記事はいずれも9月終わりのものなので、
ウツインタビューもその頃のものだろう
ということは、情勢の変化は9月終わりから11月上旬の間、
おそらく10月頃にあった可能性が高い


10月といえば「TMN United」の放送開始の頃である
同番組の企画は、おそらくTMN再始動が決定した3月以後(春・夏頃)に立ちあがったものだろう
この時点では、秋にtrfと木根のソロ活動を終わらせ、
その後はTMN10周年に向けての活動を本格的に始めることになっていたはずだ


この予定は「Classix」が制作された7月や、
「一途な恋」がレコーディングされた8月には、
まだ生きていたはずである
だが10月頃にはその予定が破綻したか、少なくとも破綻しつつあったと見られる


この点で気になるのはウツである
何しろ年明けにT.UTUの2ndアルバムをリリースし、
TMN10周年の前日1994/4/20までソロツアーを行なっているのである
ただこの日程は明確にTMN10周年を意識し、
これとぶつからないように設定されたものであり、
つまりTMN10周年の遂行を前提にした日程と見られる


T.UTUの2ndアルバム「Water Dance」は、
8月には「一途な恋」の隣りのスタジオでレコーディングされており、
ウツは両方のスタジオに出入りしていたと言うから、
ウツソロとTMN10周年の準備は両立して行なわれる計画だったのだろう
タイムマシンは小室と再び対立した場合の保険として、
ウツソロ第二段を強行したのかもしれない
(そうならば、その保険は正解だったことになる)


「Water Dance」は1994年1月にリリースされた
この上で予定通り3月にTMNの3rdアルバムリリースがリリースされていれば、
ウツは8月から半年程度の間に2枚のアルバムをレコーディングしていたことになる
これはかなりのハードスケジュールだが、
逆にここまで過密ならば、実現しなかった本来のスケジュールを推測することも可能だろう


そこでウツの動向をさらに遡って追ってみると、
ウツは「Live Butterfly」ファイナルの直前(5月上旬)、
スタジオで石井恭史とともにソロ新曲のレコーディングを行なっている
これは土橋安騎夫らを交えない試験的なものだったようだが、
5月の時点でウツがソロ活動第二段を行なう可能性を考えていたことを示している


ウツの言葉を信じれば、
「Live Butterfly」(2/22~5/11)後半の頃から次のアルバムのことを考えていたと言うから、
TMN10周年の計画が決まってからまもなく、
3・4月頃にはウツソロ第二段の計画が立てられ始めていたことになる
石井との新曲レコーディングも、これを前提としたものだろう


ウツがツアーのことを考えるようになったのは7月のことだという
おそらくその後、各バンドメンバーに打診を行なった
「Live Water Dance」のメンバー決定は9月2日であり、
その頃にはツアー日程が1994年1~4月になることは決定していただろう
(日程が決まらなければバンドの契約はできない)


ウツのアルバムの本格的なレコーディングは8月から始まった
これ以前のTMNやウツソロのアルバムレコーディングは2~3ヶ月程度を要しており
この時のレコーディングも10月頃までは掛かる予定だったはずである
(実際は11月初めまでかかった)
さらにソロツアーのリハーサルは年明けから予定されており、
1/20に試験的な単発ライブを行なった後、1/27からはツアーが始まった
これ以後ウツがTMNのアルバムのレコーディングに重点的に関わることはできない


つまりウツがTMNのアルバムのレコーディングに参加できるのは、
最長でも1993年10月終わりから1994年1月初め頃となる
実際にはここまで詰めたスケジュールは困難だろうから、
11・12月の2ヶ月程度参加するのが現実的なところだろう


1991/3/15~6/10にレコーディングされたTMMの「EXPO」で、
ボーカル撮りが4月下旬から始まったことを考えれば、
TMNの3rdアルバムのボーカル撮りも2ヶ月あれば不可能ではない
その場合、10月にオケ作成開始、11~12月にウツが合流してボーカル撮り、となるだろうか
その後の最終調整やトラックダウンも含め、全工程が1月に終われば、
2~3月の新譜リリースは可能である


アルバムの前にはシングルを出すことも考えただろうが、
1993年11月と翌年1月にウツの新譜がリリースされたのが当初の予定通りとすれば、
TMNのシングルはその後2月、アルバムは3月となった可能性が高いだろうか
これよりも数週間前後することはあり得ても、
大幅に異なるスケジュールでは3月のTMNアルバムリリースは不可能である


木根のソロ活動が10月中旬のツアーファイナルを以て終わったのも、
その頃からTMNアルバムのレコーディングを始めることを想定していたためだろう
「UKK Times」1993年10月号のウツインタビューによれば、
木根は「Water Dance」レコーディング中のウツに対して、
「ソロツアーが終わったら、俺は一足先にTMNに合流しとくよ」と言っていたというが、
これは文字通り、まずは小室が準備を始め、10月下旬に木根が、11月にウツが、
TMNのレコーディングに参加する予定だったことを示しているのだろう
木根が「合流」するというからには、
小室は10月中旬以前に音源制作を開始する予定だったはずである


10月というレコーディング開始のタイミングは、
9月末リリースの「一途な恋」の成果が出る頃である
おそらく小室は「一途な恋」の反応を見てから、
レコーディング作業に入ろうとしたのだろう


ところが実際には、10月にTMNのアルバムがレコーディングされたという情報は聞かない
そしてすでに検証したように、
TMN10周年の計画は10月頃に頓挫した可能性が高い
つまり10月に始まるはずだったTMNの3rdアルバムの制作が、
何らかの理由で中止になったと考えられる
そのため木根は10月終わりから11月初め頃に書いた文章で、
次のステージがTMNになるかどうか分からないと書かざるを得なくなったのだろう


ところでこの問題の10月頃、
小室によってレコーディングされたと思しき曲が4曲ある
trfの「愛がもう少し欲しいよ」「Silver and Gold Dance」とそのカップリング曲である
リリースは11/21で、音源の完成は1ヶ月程度前、10月の可能性が高い


これ以後小室は、trfの2ndフルアルバム制作を続けたと考えられる
1994/2/9リリースの「World Groove」である
レコーディングは1993年のクリスマス以前に終わっていたが、
このタイミングでは10月にレコーディングを始めないと間に合わない
このタイミングは、先に想定したTMNの3rdアルバムレコーディングスケジュールに重なるものである


これは何を意味するか
おそらくTMNのアルバムのレコーディングが中止され、
代わりに小室がtrfのレコーディングを行なったのだと思う
問題はその中止の要因だが、
直接には「一途な恋」の商業的失敗と考えられる
この点については別章で改めて述べるが、
当時のCDセールスの水準から見ると、本作はかなり不満足な成果だったと考えられる


「一途な恋」の失敗を際立たせてしまったのは、
その少し前に小室が「一途な恋」以上の成功を収めていたことである
それはtrf「EZ Do Dance」である
周知の通りtrfの名が広く知られることになったきっかけの曲であり、
いわゆるTKブームの始まりにも位置づけられる曲である


前作「Going 2 Dance」が100位にも入らなかったのに対し、
6/21にリリースされた本作は17位、3.1万枚でチャートインした
シーブリーズCMのタイアップが付いたことがきっかけだった


この曲で注目されるのは、爆発的にランクを上げることはなかったものの、
長くチャートインし続けたことである
ランクインから13週間、9月末まで30位内に入り続けた
9月末の「一途な恋」リリースの頃には、
TMNの前作「Wild Heaven」と同水準の売上に達していた上、
「一途な恋」はこの売上を抜くことができなかった
最終的な「EZ Do Dance」の売上は翌年分も含め78.3万枚で、
TMN最大のヒット作「Love Train」の53万枚をはるかに上回ることになった


さらに7/21リリースのtrfのミニアルバム「EZ Do Dance」は、
チャート初登場4位、4.5万枚を記録し、
1993年だけで20万枚を超えるセールスを出した
これは「TMN Classix」一枚分と変わらない記録である


小室にとってこの勢いは、
「My Revolution」「Get Wild」以来の波だったはずである
TMファンには運が悪かったのは、この波がTMN再始動予定の直前に来てしまったことである
私もこの頃、いつのまにか小室の曲が、
ファン以外に浸透し始めていることを体感していた
小室はこの「EZ Do Dance」の成功を前提として、
成果の出なかったTMNに代わってtrfのレコーディングを決意したのではないか


もっとも「EZ Do Dance」だけでは、
90年代初頭に多く見られた一発ヒットになる恐れもあった
小室はこの勢いを消さないよう、必死にtrfの売り込みに奔走する
後の小室の証言によれば、
1993年の年末頃にはTMNを放置してtrfに本腰を入れていたという
この頃レコーディングされていた「World Groove」は、
結果として後にTM最大のヒット作「CAROL」を越す成果を生む


TMNファンとしては悪夢の事態だが、小室の立場から言えば、
ここでtrfを中止してTMNの活動に軸足を戻し、
シングル・アルバムをリリースしてメディアに出演し、
長期の全国ツアーを回るという選択肢はもはやありえないだろう


「World Groove」は小室がTMNに代わってtrfを軸に出来るかどうか見極めるための試金石だった可能性が高く、
そしてそれは可能であることが示されてしまった
その上でタイムマシン側がTMNの活動を強行にやらせたとしても、
従来のTM NETWORK・TMN時代のようなすばらしいステージが見られたかは、
はなはだ疑問である


なお「終了」前のTMN最後のレギュラー番組「TMN United」は、
なんという皮肉なタイトルだろうかと思う
TMNはもともとTM NETWORKと言ったように、
3人の絶妙なネットワークによって成立した音楽ユニットだったはずである
いわば「TMN」とはメンバー3人のネットワークを含意した名称である


ところがこの番組は、「連合したTMN」と題された
理屈からいえば、ネットワークを意味するTMNの後に、
「連合した」の修飾語は不要なはずだが(意味がかぶる)、
この時点では現実にTMNはネットワークとなっていなかった
だからこそ「連合」していること自体が、
ファンに対するアピールにもなりえたともいえる


つまり「TMN United」の名称は、
TMNメンバーがすでにネットワークを結成していないことを前提としたネーミングであった
そして実態から見ても、この頃は小室もウツも、
TMN再始動へ向けての活動を行なっていなかった
これではまさにソロミュージシャンの「連合」に過ぎない
その最終的解体は、すでに目前に迫っていたのである


以下数章では、
TMN活動再開へのベクトルと「終了」へのベクトルが入り混じる1年間、
3人の動向を見ていくことにしたい


(2011/7/14執筆 2011/10/2・2016/4/10加筆)

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この記事へのコメント

りる
2011年07月14日 10:07
TMN終了は当時、突然な感じがしましたが伏線はいろいろあったんですね。

東京パフォーマンスドールがへたに売れたり
trfが最初から売れてたら
「一途な恋」も誕生しなかったのでしょうかね。

逆にもし「一途な恋」が「LOVE TRAIN」を超えるような、ミリオンセラーだったりしたら、違う10周年となり、
いわゆるTKブームは「TMNの小室哲哉」によるプロデュースになったか、そもそもブームはこなかったんですかね…。
そうするとglobeも生まれず、事件も起きない…?

分岐点がいっぱいある時代だったんですね。
iss
2011年07月17日 06:04
とても冷静な推測ありがとうございます。
曖昧な形容詞が目に余る某藤井○貫氏には書けない分析だと個人的には思いましたし、とてもスッキリした気分になりました。

一途な恋は日本語タイトルにして従来以上の客層にアピールした楽曲だったと思いますが、小室さんも思いの外届かない旨のコメントをしていたように記憶しています。
その裏には「EZ Do Dance」との比較があったのですね・・・。

trfのステージメンバーから小室さんが退いたのは単にメンバーを固定化しようとする意図だけかと思っていましたが、もしかしたらTMN再開の可能性を見越したものだとすると、TMNの再開を待っていた身としては残念としか言いようがありません。
小室さんは未来に向かって奔走していたとして、木根さんの心境を考えると一寸先は闇といった状態でしょうか。木根さんはTMが始まるときのスピードウェイを思い返していたのでしょうか。
それでもその後3人の関係性が継続するところに、木根さんやウツの懐の深さを感じます。

TMが始まるときのスピードウェイ、trfが始まるときのTMN、globeが始まるときのtrf・・・。
歴史はくり返しますね。
fe
2011年07月18日 07:41
裏の裏まで調べて下さってありがとうございます。
小室先生が「Hit Factory」以降、すぐに
ソロアルバムをレコーディングしていたことは
初耳でした。

少々不謹慎な例えですが
trf・ソロ・TMでの方針にもがきながら
それでも全く新しい物を作ろうとする姿勢は
2000年代の首の回らない中、
それでも本場でヒップホップの勉強をしていた
小室先生とかぶっていますね。

色々な可能性をリスクを顧みず試そうとする
意向はフロンティア精神があると褒めるべきか、
無謀とたしなめるべきか、難しいですね。
ks
2011年07月18日 16:37
お久しぶりです。いよいよ、私自身知り得なかった核心部分に突入した内容です。深層に、なるほどと当時のメンバーや周囲の思惑。管理人様の冷静な分析、ありがとうございます。当時、自分は社会人になりTMNも休止、熱も冷めていた頃、trfのEZ DO DANCEが職場で流れるFMラジオで頻繁に流れてました。自分も買ったり借りたりしてファンになりました。しかし、その裏側に再始動になるか終了に向かうかの緊張感ある流れがあったのですね。今更ながら、小室さん、キネさんやウツの心情やろ立場が入り乱れて大変だったんですね。今後も更新お待ちしてます!追伸
MCのない、コンセプトでガチガチなライブ、自分も観たいです。あの頃の一方的な感じが大好きです☆
ks
2011年07月18日 16:37
お久しぶりです。いよいよ、私自身知り得なかった核心部分に突入した内容です。深層に、なるほどと当時のメンバーや周囲の思惑。管理人様の冷静な分析、ありがとうございます。当時、自分は社会人になりTMNも休止、熱も冷めていた頃、trfのEZ DO DANCEが職場で流れるFMラジオで頻繁に流れてました。自分も買ったり借りたりしてファンになりました。しかし、その裏側に再始動になるか終了に向かうかの緊張感ある流れがあったのですね。今更ながら、小室さん、キネさんやウツの心情やろ立場が入り乱れて大変だったんですね。今後も更新お待ちしてます!追伸
MCのない、コンセプトでガチガチなライブ、自分も観たいです。あの頃の一方的な感じが大好きです☆
青い惑星の愚か者
2011年07月20日 22:38
>りるさん
起こらなかった未来を想像してもしょうがないですけど、多分TMNでは一発ヒットはあっても大ブームは難しかったでしょうから、TKブームが起こらずにTMNが次第に失速しながら続くか、TMN以外の選択肢が成功した時点でTMNを終わらせるか、どっちかしかなかったかと思います
まあ、TMNファンの多くは、今更大ヒットなんて期待していなかったでしょうけどね
最後に10周年アルバムは聞いてみたかったです

>issさん
私も一途な恋の成果が不満足だった旨のコメント見たことある気がするんですが、見つからないんですよね…
どこで言ってたんですっけ
小室さんがブームを起こすことができたのは、ダメと判断したものはすぐに切り捨てる決断力があってのことなんでしょうし、後にとんでもないことになってしまったのも、やはり危険を顧みない決断力が一因なんでしょうね
青い惑星の愚か者
2011年07月20日 22:39


>feさん
結論は裏の裏というより、私の一仮説でしかないですけどね
ただ一途な恋を作った時点では小室さんもTMNでヒットを出すことを考えていて、小室さんとしてはやれることをやった上での「終了」だったんだとは思います
あと私は、EZ DO DANCEの時点のtrfは可能性の一つに過ぎず、小室さんに「終了」の決断を導かせた決定打はむしろWorld Grooveだと思っています
それまでは小室さんもtrfかTMNか慎重に様子見していて、リスクを顧みない挑戦だったわけではなかったんだろうと思いますが、それはまたいずれ

>ksさん
本当の核心部分は私も分かりませんが、当時の事実を並べられるだけ並べるという方向で「終了」までやっていこうと思います
当時の私もTMNにはもう期待していなかったところがあって、熱心には追っていなかったんですよね
まあこの頃のTMNの情報は、タイムマシンの会報にすらまともに載っていなかったようですけども
TMの一方的に見せてくるライブは素晴らしかったですよね
ファンとの距離が近いTMってのはなんか違和感あります
ks
2011年07月20日 22:56
惑星さんと同感で、一方的で、ある種私たちFANKSに媚びない(言い方悪いですかね)とこが良かったです。だからget wildでブレイクしたのに、売れ筋でないkiss youを次にリリースしたり、キャロルのような展開やピークでリニューアルし、rhythm redみたいな路線になったりと、TMNではやりつくすだけやった結果なのですね。あくなき探求?なのでしょうか。私はもうそれ以上は望まなかったです。ブームや大ヒットは馴染まないですよねTMは。
kuri566
2011年07月21日 03:40
FANKSの精神が「ファンク=破壊から創造」である以上、もともと歌謡曲的な90年代ヒットとTMがリンクすること自体、違和感があると感じていました。「一途な恋」はタイトルに日本語が使用された珍しいシングル曲であることからも、当時の月9的なヒットをねらってはいたのでしょう。ねらっていることが見え見えだっただけに、私としては評価が低いです。むしろKISSYOUのように、ヒットとばしたあとにこれもってくるか!という時の衝撃の方が、「かっちょええ!」と思っていました。
でも、一途な恋のオケは、当時のミリオンヒットにありがちなカスカスで味気ないものに比べたら、遙かに凌いでいると思います。歌無しでもかっちょいいと思わせるのは、小室センセだけでしょう。当時の一連の歌謡曲シングルにはあたりまえのように歌無しカップリング曲が入るようになりましたが、あれらはカラオケの練習目的以外では、聴く人はいなかったでしょう。小室センセのオケは、それだけで鑑賞に堪えうるクオリティであり、私は意図的にTMオケだけの寄せ集めCDを自作しています。
ちなみに「一途な恋」のがっかりコメントは、私のフォローしているかぎりでは、本人のコメントにはなかったようにキヲクしています。あくまでも第三者が「小室ががっかりしていた」と記述しているものが流布しているように思いますが、私も現在、手持ち資料を片っ端から調べている最中です。見つけたら報告しますね。
トらやん
2011年07月22日 21:31
そういえば当時、TMの10周年合わせてかどうかわかりませんが、久保こーじさんがオールナイト木曜2部やってましたね。放送中、小室センセが定期的に乱入してましたけど、TMより他のプロデュース作品の話ばっかりしてたような…
青い惑星の愚か者
2011年07月24日 14:31
>ksさん
Get Wildの次にKiss Youという流れは、あの頃のTMのアグレッシブさを象徴していますよね
小室さんがやたらと数字を気にしだすようになってしまったのは、一つには90年代から業界全体で売上の底上げが起こってきたので、自らの地位を保つために結果を出さないといけなかったのでしょうし、シンクラビア購入代金返済という現実的な意味もあったのかもしれない
ただそれがある時期から、数字自体が自己目的化してしまい、プロデューサー期に至ってしまうという印象です
まあ、わかんないですけどね

>kuri566さん
一途な恋の情報、なにか分かりましたらよろしくお願いします
該当する資料が見つからないのは、やはり記憶が混乱しているのかもしれません
いずれにしろ資料で見つけられない話は書きませんけど
おっしゃる通り、一途な恋はLoveTrain以上に浮動層へのヒットを期待していた作品だったと思います
はずしましたけど、音は悪くはなかったですよね

>トラやんさん
久保さんのオールナイトありましたね
始まったのは10周年前後よりも前でしたよ
私はTMNに冷めていたこともあって、数回しか聞いたことないですけど…
TMの話をしなかったのは、当時の小室さんの関心を示していますね
まあ実際に商品リリースがなかったんだから、宣伝しないのは当然なんですけども
かしこ。
2016年12月10日 03:26
エッセイ本『告白は踊る』について。

月刊カドカワに掲載中のタイトルは「Art of Life」でした。当時リリースされたXJAPANの名曲と同名タイトルだったので、どことなくYOSHIKI氏との繋がりを感じてました。確か・・・同時期に同誌でYOSHIKI氏もエッセイを連載していたような?覚えが・・・。

ハードカバー本として発売されるにあたり、前触れもなくタイトル変更になったので・・・何となくタイトル被りの部分に大人の事情が絡んで変更したのだろうか?と色々と邪推した当時を思い出しました(笑)

月刊カドカワ。
木根さんが同時期に小説『武蔵野~』を、大槻ケンヂ氏が半自伝的小説『グミ・チョコレート・パイン』を連載していたり、ミュージシャン本人によるアルバム全曲解説があったりする刺激的で魅力的な雑誌でした。

音楽専門誌とは違う角度で、ミュージシャンやアーティストの文才や人柄が垣間見れた稀有な雑誌だったと記憶してます。

記憶が曖昧な部分は、あしからず。
青い惑星の愚か者
2016年12月24日 05:00
たしかに連載時のタイトルはArt of Lifeでしたね。
この件は書いていなかったので、加筆しておきました
この頃の小室さんはYOSHIKIの後を追いながら活動していた印象もありますし、私もArt of LifeはXの曲を意識していたんだろうと思っていますよ。
タイトルが変わった事情はどうなんでしょうね。
かしこ。
2017年02月08日 08:21
管理人さま。こんにちは。
書き込みコメントが追記補完の補足情報のお役に立てた模様で嬉しいです。

あの当時の小室さんは、欲望に忠実な自由奔放スタイルのパフォーマンスに徹するYOSHIKI氏にある種の憧れと尊敬と・・・小室さんにはなく、YOSHIKI氏にはある「持ち合わせてナイもの・決して獲られそうにないもの」への嫉妬も同時に抱いていたような印象が・・・自分は思います。

月刊カドカワ情報の訂正。
YOSHIKI氏は、月刊カドカワに連載を持っていませんでした。木根さん小室さんの連載担当があった時期に特集記事で掲載されていた事がありました。

正確な情報は・・・月刊カドカワ「1992年01月号」坂本龍一/矢野顕子+YOSHIKI特集です。

とある情報サイトによると内容は・・・『 超・立体特集:YOSHIKI(X) 完全なる少年 』というタイトルで、

*スピリチュアル・メッセージ:変則な人生
* スペシャル・セッション:矢野顕子 VS YOSHIKI
* カラー・グラビア:静謐な時間
* フェイバリット・ワールド:YOSHIKIの選んだ9人と5冊

以上、のコーナーで『第二特集』扱いの掲載でした。この場を借りて陳謝いたします。

たびたび不確かなうろ覚え情報を書いてしまい、誠にすみません。あしからず。
青い惑星の愚か者
2017年03月02日 03:50
実際には93年くらいにはX JAPANの活動は行き詰っていた印象はあるんですけどね。
小室さんについて、YOSHIKIの影響は、短期的にはともかくとして、音楽面ではそんなになく、むしろビジネスモデルとして関心を持っていたように思います。
事務所を組み替えて反対派を追いだし自ら社長になり、映画やF1など様々なところに手を出すようになったことは、確証はありませんがYOSHIKIの影響だったんじゃないかな。
89年までうまくかみ合っていたTMの活動が、90年からチグハグになってきて「終了」に至るのは、長い目で見ればYOSHIKIに影響を受けてしまった結果だったのかもと思っています。
かしこ。
2017年03月04日 11:40
管理人さま。こんにちは。
多忙な中での追記作業、お疲れ様です。返信ありがとうございます。

小室さんのYOSHIKI氏感化。
管理人さまのおっしゃるとおり、YOSHIKI氏の積み上げたビジネスモデルやスタイルに対して、ものすごく小室さん影響されてた部分があると、自分も思います。

YOSHIKI氏のやんちゃな行動。
音楽的な面での影響は自分にも感じませんでしたが・・・その後の小室さんの言動や行動に、YOSHIKI氏から感化された部分がちらほら垣間見た気がします。

ライヴ打ち上げでのエピソード。
「ホテルの貸し切りにした会場で声を上げながら壁一面シャンパンかけながら歩いた」YOSHIKI氏。

YOSHIKI氏の公私に渡る破滅的な行動について、小室さんが当時ラジオ番組『V2のオールナイトニッポン』でも語っていました。

モーツァルトの行動にも感化。
奇しくも『マドモアゼル・モーツァルト』で音楽監督を務めた際に、徹底してモーツァルトの私生活も調べあげ、研究し、楽曲製作に励んだ小室さん。

モーツァルトの黒歴史として語られる幼稚な奇行ぶり。当時の、YOSHIKI氏の弾けた行動やロックテイスト溢れる『破壊と美学』に満ちた言動。

本『告白は踊る』にみる言質。
彼らの、鬼才ゆえの、アンバランスな私生活と音楽家としての矜持。破滅的な部分に独自の美学を感じて、魅了された模様。

TKブーム期の言動や行動。
『アーティストはワガママで良い』という言葉。公私に渡る莫大な浪費と派手なパフォーマンス。ワンマン的な考え方や行動。すべてに感化され、シンパシーまで感じてたような気がします。

実は自分も・・・TKブーム期の、こども達に『レイヴをしよう』発言や浮き足だった小室さんの行動の数々に疑問を持っておりました(爆)

あしからず。
青い惑星の愚か者
2017年03月11日 05:54
YOSHIKIは手下的な存在も多かったし、そういうにもあこがれたんでしょうね。

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