7-15 小室哲哉の覚醒

5/17、東京・大阪で、
「TMN final live LAST GROOVE 1994」のライブハウス上映会が行なわれました
私は行っていませんが、上映開始前の東京会場では、
石坂健一郎さん・川崎幹雄さん・藤井徹貫さんによるトークが行なわれました
多分こちらのレポートは、後日公式に発表されることでしょう


石坂さんはウツのメッセージを朗読しました
この様子は大阪でも中継されたはずです
メッセージ朗読シーンは、ネットに動画が投稿されていました

会場にお集まりの皆さん、35周年を盛り上げてくれて、ありがとうございます。
今日会場にはうかがえませんが、皆さんの応援に改めて深く感謝しています。
僕たち3人も年齢を重ねてきましたが、奇跡的にみんな元気にやっています。
この先は自然の流れに任せつつ、音楽活動ができたらなと思っています。
25年前のLAST GROOVE、最後までゆっくり楽しんでいってください。本日はご来場ありがとうございます。
令和元年5月17日、宇都宮隆


また今回の上映会に先駆けて、
ネットには4/21の上映会の関連動画レポートインタビューなどが出ました
最後の木根さんインタビューには、思い出話も色々と語られています


「アルバム『EXPO』で総括して。「じゃ、とりあえず一回休もう」って、てっちゃんに言われたんだけど」
というところなどは、
小室さんの提案がどういうニュアンスだったのか気になるところですが、
考えてみれば活動休止の時の話が語られるのて珍しいですよね
あと「STARCAMP TOKYO」について、
「つっこみどころ満載だよね(笑)」てのは、なかなか率直な感想です(笑)


今回の上映会と、5/22の「TM NETWORK THE VIDEOS」を以て、
TM35周年関連の企画は多分終わると思います
まあ企画といっても、完全にSONYの過去作品の再販活動だったんですけど、
振り返ってみると、何もないよりはよかったんだろうなと思います


ウツは「それゆけ!歌謡曲〜ギア4 one〜」を来月まで開催しています
また木根さんは、6/22から8/12まで約2カ月、
「NAOTO KINE 2626ツアー」開催します
(なおまだ公演は増える可能性があるとのこと)
去年の「2525ツアー」を受けたネーミングですが、今後も数字を増やしていくんでしょうか
チケットの一般発売はTMのBOXリリース日の5/22です
て、一般発売も何も、FCなくなったから、チケットは全部一般なんですよね多分


では本題に入ります
いよいよ今回から、TM20周年の本編に入ります
今回は客観的な事実の整理と言うよりは、
私の推測・解釈がかなり入っていますので、異論をお待ちしております

-------------------------------
2003/12/30のことである
TM NETWORKは3年ぶりに、音楽番組に生出演を果たした
特番「ザ・ベストテン2003」である
この特番は「ザ・ベストテン」放送当時の名曲を歌うというもので、
2000~04年の間、毎年年末に放送されていたが、
この時はTMの「Get Wild」が8位となった


ランキングが発表されると、
3人は80年代と同じセットから、スタジオに登場する
3人ともスーツ姿である
小室は何を勘違いしたか、登場するなりカメラに投げキスである


ちゅ


この時司会の黒柳徹子は、
小室に対しては1年前の結婚式やKEIKOの話を振るなど、
それなりの時間を取ったのだが、
ウツに対しては「しばらくでございましたね」と話しかけ、
ウツが「4年ぶりくらいですかね」と返事すると、
「そんなに何十年も前てわけでもないですかね」と言って早々に話を切り上げ、
さらに木根に至っては、
「じゃあ木根様、どーも、しばらくぶりです」
→木根「お久しぶりです」→黒柳「どーも、どーも」
で終わりという、なんともおざなりな対応だった
小室とのトークに時間を使いすぎて時間がなくなったのだろうか


なおこの時、黒柳が小室に、
「(KEIKOは)お仕事も一緒だから、家庭生活どっぷりというわけでもないですかね?」
と質問したところ、小室が「どっぷりです」と答えたのは、
この後で述べる当時の小室の状況を考えると、
必ずしも笑えないところがある


小室は黒柳の「Get Wild & Tough」「Get Chance & Luck」「TM NETWORK」の声を事前に録音し、
演奏の時にサンプリングして使用した
1989年に「夜のヒットスタジオDX」で披露した演出で、
その頃のパフォーマンスを知っていた番組スタッフが企画したものだろう


イントロでは黒柳の「Get Wild & Tough」が使われ、
間奏では黒柳声で「GeGeGeGe」が流れた
ただ正直、黒柳の声と曲はまったく合っていない
また演奏は、サンプリングボイス以外はカラオケと思われる
全体としてあまり見るべきところのないパフォーマンスだったが、
短くなった間奏を除きほぼフルコーラスだったのは、
21世紀のTV出演では珍しい例である


なおTMはパフォーマンス後、
番組が終わるまでスタジオのソファーに座り、
7位以後の歌手のコメントや歌も見ていた
その一人に「タイム・トラベル」を歌った原田真二もいたが、
ウツはこの時に原田と初めて話をした
これが、次のソロアルバムのプロデュースを原田に依頼する前提となる


さて、この日はTM NETWORK 20周年において重要な日だった
3人はこの日を年内の仕事納めとし、
年明けからレコーディングに入る予定だったのだが、
よりによって小室がこの日になってメンバーとスタッフに、
翌年の仕事の内容の変更を提案したのである


それは、次のシングルに自分の新曲を1曲入れたいというもので、
すでに曲は制作中だとも告白された
この提案にスタッフは大いに困惑し、
スケジュール調整などに奔走したという
今からで間に合うのかという不安もあったらしい


結局小室のこの提案は通り、
新曲はシングル「NETWORK™」の1曲目として収録されることになった
これがTM20周年を代表する曲になった「Screen of Life」である
この件は、私はTM20周年にとって大きな出来事だったと考えている
それは「Screen of Life」という1曲が生まれただけでなく、
20周年のプラン自体もこの時に変化したと考えているからである


そもそも小室の新曲制作が新提案だったということは、
2004年のTMは小室の新曲がないままで活動を行なう予定だったはずである
だが一方でレコーディングは計画されていた
それは後で述べる様に、過去曲のリミックスだったと考えられる
関係者は年末にも、その前提で動いていたのだろう


ところが小室はレコーディングの日程が目前に迫り音作りを始めた中で、
新曲を作る手応えをつかんできたのだと考えられる
以下ではしばらく、この件を考察したい


TMはこれ以前、クリスマス前に、
メンバーのFC会員向けのダイレクトメールで、
2004年の20周年関連企画を発表していた
2/25のシングルリリース、3月末のアルバムリリース、
「Fan Event in Naeba」のライブDVDの限定販売、
TMデビュー20周年記念日4/21の横浜アリーナライブである


この時に告知されたシングルの情報では、
表題は「Take it to the lucky~金曜日のライオン~」とされ、
カップリングとして木根の新曲も入るとされていた
前者はTMデビュー曲「金曜日のライオン」のトランスミックスで、
「Fan Event in Naeba」で披露されていたものである
「ザ・ベストテン2003」でも、
「金曜日のライオン」セルフカバーと横浜アリーナライブの予定が告知されている
木根曲の曲名はこの時点では決まっていなかったが、
後に「風のない十字路」と名付けられた


「Take it to the lucky」は、
2003/11/10~13にレコーディングが行なわれており、
木根による「風のない十字路」のデモテープも、
その時点ですでにできていた


だがなぜか「風のない十字路」のレコーディングは年内には行なわれず、
両曲の商品化も翌年2月末まで待つこととなった
おそらく3月のアルバムリリースと連動させることで、
ファンの関心をアルバムにつなげることを意識した日程だろう
そしてここで改めて注意したいのは、
この時点でシングルに小室の新曲が入る予定がなかったことである


一般に先行シングルは、アルバムの顔となる曲を入れるものであり、
TMの場合それは当然、小室の新曲である
ところがこの時はそれが予定されていなかった
こんな不可解な例は、これまでほとんどない


唯一の例として挙げられるのは、
1989年に「Get Wild '89」をはじめとする3枚のリプロダクションシングルが出されたことくらいである
そしてこの時に出されたアルバムは、
海外プロデューサーによるTM楽曲のリプロダクション作品集「Dress」だった
つまりリプロダクションアルバム(要するにリミックス版)を出すから、
その音の紹介としてリミックス音源を数曲先行発表したのである


だとすれば、2004年にリミックス曲が先行シングルとされたのは、
その後のアルバムもリミックスアルバムが想定されていたためではないかと思えてくる
私はこの時点では、小室の新曲はアルバムに入らないことになっていたと考えている
インストやSEくらいはあったかもしれないが、
少なくとも歌入りの新曲は想定されていなかったのではないか


逆にもしも新曲の収録が想定されていたのならば、
ファンへのアピールのためにも先行シングルに選ぶのが普通だろう
たとえば1992年リリースの提供楽曲セルフカバーアルバム「Hit Factory」には、
新曲として歌入り2曲とインスト1曲も含まれていたが、
先行シングルとしてはその中から「Magic」が選ばれている
また1999年のglobeリミックスアルバム「first reproducts」の先行シングルとしても、
1曲だけ収録された新曲「Miss Your Body」が選ばれている


だとすれば年末に小室が新曲を入れたいと発言したのは、
シングルに1曲を加えるだけという話ではなくなる
それはアルバムにも新曲を入れたい、
少なくとも単なるリミックス盤ではないものにしたい、
という主張だったことになる
実際に年明けに作られた20周年記念アルバム「NETWORK~Easy Listening~」は、
オリジナル曲とリミックス曲双方を含む独特な形態となった


リミックスアルバム計画という想定は、必ずしも突飛な発想ではない
そもそもTMは2002年秋、
リミックスアルバムで吉本での活動を始動させる予定だった
TMの本格始動自体がうやむやになり、この計画は語られなくなったが、
20周年を目前としてようやく活動を始めるという時点で、
リミックスアルバム計画が復活したことは十分にあり得るだろう


逆に当初からオリジナルアルバムが計画されていたのならば、
理解しがたい点がある
「Easy Listening」の制作期間の短さである


「Easy Listening」のレコーディングは、
11月にレコーディング済みだった「Take it to the lucky」を除くと、
2004/1/6から始まった
まずはシングル用の「Screen of Life」「風のない十字路」の制作から始まり、
これらが1月半ばに完成すると、
以後はアルバム用楽曲の制作に移った
木根によれば、完成はバレンタインデー直前(2/13頃?)だったという


この「完成」がどの段階を指すのかははっきりしないが、
アルバムリリース日3/24まではまだ余裕がある
おそらくバレンタイン直前とは小室の音源制作が終わった段階であり、
この後に1週間程度でトラックダウンが行なわれたものだろう


トラックダウンはロンドンのDave Fordが行なった
元PWL所属のミキサーで、
プロデューサー期以来小室の作品を多く手掛けてきた人物だが、
TMに関わったのは本アルバムが初めてである
アルバム制作は2/13頃に小室の手を離れ(木根の言う「完成」)、
その後イギリスで最終的な音源が完成したものと考えたい


以上のスケジュールを見ると、
シングル・アルバムは一連の作業の中で制作されており、
その期間は1カ月半程度である
このスケジュールはオリジナルアルバム制作期間としてはかなり短い
比較のため、これまでのオリジナルアルバムについて、
トラックダウンまで含む制作期間を以下にまとめておこう

「Rainbow Rainbow」:4ヶ月(1983/10~1984/2)
「Childhood's End」:5ヶ月(1984/12~1985/4)
「Gorilla」:2ヶ月(1986/2~4)
「Self Control」:3ヶ月(1986/9~12)
「humansystem」:2ヶ月(1987/7~9)
「CAROL」:3ヶ月(1988/6末~8初、1988/8末~10初)
「Rhythm Red」:3ヶ月(1990/5~8)
「EXPO」:3ヶ月(1991/3~6)
「Major Turn-Round」:3ヶ月(2000/8~11)


「Easy Listening」のレコーディング期間の短さは、
制作が順調に進んで早く終わったため、というわけではあるまい
年度内(3月まで)のシングル・アルバムリリースは、
R&Cとの契約での必須条件だったはずであり、
そのためにはレコーディング全行程は2月に終わる必要があった
それにもかかわらずレコーディングは年明けに始まったのだから、
もともと1カ月半程度で制作することが想定されていたと考えざるを得ない


TKプロデュース全盛期、1か月でアルバムを作った話などはよく語られるが、
2003年頃の小室が楽曲制作ペースの谷底期にあったことも考えれば、
オリジナルアルバムの制作スケジュールとしては、あまりにも危険である
この点からも当初予定されていたのは、
リミックスアルバムの制作だったと見るのが自然ではないか


実際に作られたアルバム「NETWORK~Easy Listening~」は、
10曲中3曲が「終了」以前の楽曲のトランスミックスとなっている
また最後の3曲はインストや準SE的な曲になっているが、
小室はこれについて、音はこだわって作っていると断りながら、
分数(収録時間)や曲数の数合わせの意味もあったと白状している
そのため本作をオリジナルアルバムとして数えるのは不適当だという批判も、
しばしば見られるところである


この批判はたしかにもっともなところもある
だが1カ月半の日程が本来リミックスアルバム用の制作スケジュールだったのならば、
それを限られた時間の中で可能なだけオリジナル盤に近づけようと尽力した結果ともいえる
実際に本作制作中の小室は、寝るかレコーディングしているかの日々だったといい、
小室は久々にスイッチの入った状態になっていたようである


以上のように想定した場合、
アルバム制作の方針はレコーディング開始の1週間前になって変更されたことになる
その場合もっとも変更が困難なのは、外注していた作業である
具体的には、Dave Fordの担当分が挙げられる


Daveはミキサーとしてトラックダウンを行なった以外に、
2002年のシングル「Castle in the Clouds」「君がいる朝」と、
木根の新曲「風のない十字路」について、
Additional Productionを行なっている
また「君がいる朝」「風のない十字路」については、
Ian CurnowもAdditional Productionに参加している


この3曲は原曲から大きくアレンジが変更されているが、
他の7曲と比べても明らかに異色の音である
小室もこの3曲についてこれまでコメントしたことがなく、
DaveとIanは「Additional」などではなく、実質的なリミックス作業を担当したと考えられる
2004年に入ってからこのような仕事の依頼ができるはずがなく、
2003年中には依頼されていたはずである


ならば当初計画されていたリミックスアルバムとは、
Dave・Ianが新曲3曲をリミックスし、
小室が「Take it to the lucky」をはじめとする過去曲のリミックスを担当するという構想だった可能性が高い


以上のように私は、TM20周年記念アルバムが2003年年末になって、
リミックスアルバムから(準)オリジナルアルバムに変更されたと推測している
この急な方針転換が混乱を生みながらも受け入れられたのは、
ウツ・木根やスタッフも、
新作としてはオリジナルアルバムが望ましいと考えていたからに違いない


ならばなぜ2003年には、リミックス盤でお茶を濁そうとしたのか
11/10~13頃にシングル表題曲として「Take it to the lucky」がレコーディングされた時点で、
20周年はリミックス中心で行くのが基本方針だった可能性は高い
ただ私は、これ以前には別の方針が想定されていた可能性も考えている
以下、シングルの制作計画について整理してみよう


TMはすでに7月の時点で、
秋のシングルリリースと翌年のアルバムリリースを宣言していた
globeの東京ドームライブが中止になった後、
「Fan Event in Naeba」の開催が内定した5・6月頃、
新譜のレコーディングについても打ち合わせが行なわれたのだろう


「秋」のシングルリリースはもっとも遅くて11月としても、
10月中にはレコーディングを終える必要がある
9/5~7には「Fan Event in Naeba」が開催されたから、
それから2ヶ月以内に制作しなくてはならないことになる


だが3人とも「Fan Event in Naeba」の直後は、しばらくソロ活動を行なった
具体的に確認すると、小室はイベント直後から、
KEIKOのソロシングルのレコーディングに入った
木根はソロミニアルバム「Ci è la musica due」の制作に入り、
9/24からはソロツアー「talk & live 番外編 vol.3」の後半の公演を始めた
ウツも9/15から「Tour wantok」のリハーサルを始めた


ウツによれば、「Tour wantok」中(9/20~10/26)に、
TMのレコーディングが入る可能性があったという
たしかにその期間にレコーディングしないと、
秋(9~11月)のシングルリリースは無理である
木根は実際に9月頃、TMの曲も作っていた
シングルに収録された「風のない十字路」と考えられる


小室はKEIKOのソロシングル以外、年内に仕事があった形跡がない
おそらく小室はKEIKOのシングル制作後、
9月下旬から10月にかけてTMシングル曲の制作に入る予定であり、
木根もそのための曲を準備していた
小室が音源を完成させたらウツの歌入れを行ない、
それを先行シングルとするという予定だったのだろう
ところが実際には10月が終わっても、
TMのレコーディングは行なわれなかった


木根は10/21シングルについて、
小室と打ち合わせを行なっている
その具体的な内容は不明だが、
この時点でレコーディングが行なわれていなかった以上、
秋のシングルリリースは不可能である
この日の2人はシングルリリース延期の確認と、
それを踏まえた20周年企画の見直しを行なったのだろう
11/10~13の「Take it to the lucky」レコーディングは、
おそらくこの打ち合わせを経て決定したものである


レコーディングが11月までずれ込んだのは、
楽曲制作担当の小室の都合によるものだったと考えられる
この間、ウツも木根も予定通りにツアーをこなしていたし、
木根は自分の担当する曲を作っていた
問題は小室にあったと見られる


これは小室のスランプ状態が原因である可能性が高い
少なくとも2003年後半の小室が、
これ以前と比べて多忙だったとは考えがたく、
単発のイベント出演とKEIKOのシングルを除き、
ほとんど仕事をしていない
しかもそのシングルも、1曲は夏に発表済、
2曲は小室ソロ曲・TM曲のリメイクであり、
実質的な新曲は「Humanrace」1曲である


小室は後に、KEIKOと結婚してからの約1年、
つまり2003年頃は創作意欲を失っていたと、自ら告白している
2003年3月に前妻吉田麻美への慰謝料支払いが滞ったことを考えると、
すでに経営・資金繰りで奔走する時期に入っていたと見られ、
それが楽曲制作にも関わっているのかもしれない


そのような中でレコーディングされた「Take it to the lucky」は、
「Fan Event in Naeba」で披露したライブ用トラックを手直ししたものだった
もしもこれが当初からシングル表題曲として想定されていたのならば、
音源の準備にそれほど手間取るとは考えがたく、
秋のシングルリリースの予定が延期されることもなかっただろう
おそらく小室が新曲を作れない状態だったことを踏まえ、
代替措置としてライブテイクをシングルにすることにしたものと考えられる


そう考えると、打ち合わせが行なわれた10/21は、
本来はシングルのレコーディング予定日だったとも考えられる
木根は10/17にソロツアー「talk & live 番外編 vol.3」を終えており、
ウツのソロツアー「Tour wantok」も、
10/19の名古屋公演の後は10/25Zepp Tokyo公演まで空いていた


ウツが名古屋から移動した後、休憩日を1日設けた上で、
21~24日にレコーディングを行なうというのが当初の計画と考えれば理解しやすい
それならばウツのツアー中にレコーディングが予定されていたという話も、
整合的に理解することができる


しかし肝心の小室は曲を作ることができず、
シングルにはライブ用のトラックを使うことにした
この時点でメンバー・スタッフは、
小室の新曲を中心としたオリジナルアルバムの制作は困難と判断しただろう
しかし吉本との契約上、
アルバムは年度内にリリースしなくてはいけない
そこでかつてのリミックスアルバム計画を復活させ、
20周年はこれでお茶を濁すという方針が決まったものと推測する


仮にこのような事態があったとすれば、
これをもっとも不本意と感じたのは、当の小室自身だったはずだ
小室はその後も悩みあがき、そしてついに手応えを得た


この時点で新曲を入れたいとあらためて訴えたのが、
冒頭に触れた年末の小室の発言だったのだと思う
そしてその間の葛藤を生の言葉で表現したのが、
次章で触れる「Screen of Life」の歌詞だったのだろう


20周年を記念する作品として、
「Easy Listening」が満足の行く内容だとは、私も思わない
過去曲のリミックスと新曲を両方入れるならば、
「20」周年にちなんで新曲10曲+リミックス10曲の20曲2枚組くらい出してほしいとも、
当時は感じたものである


だがこの頃創作意欲が減退していたと告白する小室の状態を考えれば、
これでも最善の結果だったと考えるべきなのかもしれない
ともかくも年が明けてから小室がレコーディングを始めたことは、
メンバーやスタッフを安心させたようだ
ウツの2月初め頃のインタビューはそれを示していよう

ちゃんとリーダーがやってくれてる感じが嬉しいね。MCでいろいろしゃべる立場としてはさ、心のどこかで正直ちょっぴり不安があるから。いつもやるのかやらないのか、いや、やるのははっきりしてるんだけど、それがいつになるのかってね。みんなに話したくても話せない、はっきり言えないできた部分があるからさ。それが、どうやらちゃんとできそうなんで。


一方で20周年遂行のために奔走していた木根は、
苦しむ小室を見ながら、心苦しくも感じていたように思う
それを思わせるのが、「風のない十字路」の歌詞である
この曲については、本来次章で触れるべきところだが、
歌詞については先回りしてここで触れておきたい


本作は「We Are Starting Over」「君がいる朝」と続け、
木根が3部作の最後として作ったものだった
11月のレコーディング時、
木根がこの曲のデモテープを小室に聞かせたところ、
小室は自分が作詞することを提案したが、
結果的には3部作なら前2作を作詞した小室みつ子に依頼した方が良いということになったという


これを踏まえて木根はみつ子に作詞を依頼した
レコーディングは2004/1/6から始まったから、
11~12月に依頼したことになる
avex期以前では、これが最後のみつ子作詞のTM曲となる
なおみつ子は「風が吹いたら」の部分などで、
コーラスにも参加している


3部作のテーマは、それぞれ男女の出会い・日常・別れだった
つまり「風のない十字路」は、それまで一緒にいた男女の別れの歌である
イメージとしては、3曲とも同じ二人を描いているのだろう


「新・電気じかけの予言者たち」によれば、木根の本作のイメージは、
お互いを尊重しつつ別々の道を行くと言うものだった
実際に歌詞はそのような内容になっており、
木根が伝えたイメージに沿って書かれたと見て良い


歌詞を詳しく見ると、曲名の「風のない十字路」とは、
事態が停滞して動かない現状を表現したものであることが分かる
歌詞の主人公はこの十字路に立って思い出を振り返っている


歌詞には「たくさんの「はじめて」と交差してた終わり」とあるが、
これはパートナーと一緒に過ごしてきた日々が、
すでに終わったものになっていることを意味している
2人の関係は過去のものであり、新しい思い出はもう生まれない
そのような中で二人を取り巻く事態がすでに変化しつつあることは、
「きのうが流れ出」していると歌われていることから分かる


「君が選ばなかった毎日を今も過ごしている」
「僕は僕らしいままで今もここにいる」
というフレーズに見るように、
主人公の男性は過去にとらわれて、十字路から動き出せていない
しかし自分が留まることは相手の未来も縛ることになると考えたものか、
主人公はついに「風が吹いたら」、つまりきっかけができたら、
「ホントの自由を君に返すために」「別なあしたを歩き始めよう」
と決意するというのが、歌詞全体の流れである


みつ子はこの曲の歌詞の内容を以下のように要約している

別れではあるけれど、前向きな別れ。離れた相手のことをいつまでも想う限り、相手をどこかで引き止めてしまう。本当の意味で互いに自由を与え合うには、それぞれの道を歩もうと歩きださなくちゃというような気持ち。


木根はみつ子にこの曲の作詞を依頼する際に、
The Beatlesの「My Long and Winding Road」(のような歌詞)にしてくれと注文した
歌詞の冒頭が「曲がりくねった道(=winding road)」と始まるのは、
この注文を踏まえたものだろう


木根はこの注文につき、
「この言い方で、みっこちゃんなら僕の心情を理解してくれると思った」と、
簡略ながら意味深な書き方をしている
当時の木根とみつ子の間では共有されていた思いがあり、
木根はそれを前提として作詞を依頼したのだと思う


またみつ子によれば、木根は作詞の依頼をした時、
「ファンに期待をさせるようなものにはしたくない」
という趣旨のことを告げてきた
木根はすでに、TMがファンの期待に応え続けることに限界を感じていたことになる
この時みつ子も、苦悩も含めた木根の気持ちを感じ取ったという


要するにこの曲の歌詞は、みつ子が完全な創作として作ったものではなく、
関係者として知っていた木根の気持ちを踏まえて作ったものだった
そしてその気持ちとは、TMの限界を自覚したことに基づくものである
以上を踏まえて、この曲で歌われる男女の「別れ」を読み解けば、
それはTMとファンの別れ、もしくはTMメンバーの別れの象徴的表現ということになると思う


そもそも歌詞のモデルとされた「My Long and Winding Road」は、
最後までたどりつけない道を歩き続けることの苦しみを歌ったもので、
内部の関係が微妙になっていた時期のThe Beatlesのラストシングルでもある


木根があえてこの曲をモデルに持ってきたのは、
自らもTMの活動の難航に苦しんでいることを踏まえているのであり、
さらにいえば今回が最後の活動になる可能性も意識していたのだと思う
ならば別れを告げる相手として想定されているのは、
まず第一には小室哲哉であるに違いない


なお別の曲の話だが、木根は2004/2/24のインタビューで、
「君がいる朝」について、連れ添って一緒にいる感じとした上で、
メンバー3人がオーバーラップする歌詞だと言っている
これは木根が自分の曲の歌詞をTMメンバーの関係になぞらえる発想があったことを示しており、
「風のない十字路」にも同様の発想があったと見ることは困難ではない


ならば木根が「風のない十字路」に込めた気持ちとは、
長い間小室とはTMとして一緒に活動してきたけれど、
今回の活動が終わったら自由になって欲しい、
ということだとも考えられる


そのように考えてよいならば、
この歌詞を依頼した2003年11~12月頃、
木根は苦しむ小室にTMの活動を強いることを、
束縛とすら感じていたのではないか
その上で20周年の仕事が終わったら、
小室を解放してあげたいとすら思っていたのではないか


一曲の歌詞からどこまで読み取ってよいのか危いところもあるが、
もしもこのような読解が可能ならば、
20周年は実に危機的な状況下で遂行されたのだともいえる


だがその本格始動の直前も直前になって、
年末に小室は覚醒した
その覚醒は、十全な活動を実現するにはすでに遅きに失したものではあった
しかし一時期メンバーですら悲観しきっていた20周年の活動は、
ここから時間の限りの挽回へと向かっていくことになる


その挽回がどの程度達成できたのかは人によって評価が異なるだろうが、
私は20周年を形としてまとめるくらいには挽回できたと考えている
それは小室のあがきの結果でもあり、
木根やスタッフの忍耐が可能にしたものでもあった


次章以降は、2004年に行なわれた20周年の活動について、
具体的に触れて行こうと思う


NETWORK TM
R and C Ltd.
2004-02-25
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この記事へのコメント

かっと
2019年05月18日 05:06
更新ありがとうございます!
新曲を作ることになった具体的な経緯は初めて知りましたが、風のない十字路についてはそのような印象を当時うけていました
だからこそDDファイナルのあと自分はそれまでのように熱心には追えなくなったんだと思います
screen of life 好きですよ

ラスグルZEPPは音響も好評なようで行けた皆様がうらやましいです
エド
2019年05月18日 09:18
こんにちは。
記事を読んで「風のない十字路」を久し振りに思い出しました。

これまで一緒に歩いてきた3人が十字路に差し掛かって、ここから3人別れて一人は右、一人は左、一人は真っすぐ進むのか。
あるいはどの道を進むにしても3人一緒なのか、あるいは詞の主人公のように立ち止まってしまうのか。

歌詞に出てくる二人を木根と小室に重ねるのか、もしくは3人とファンに重ねるのか。
立ち止まっているのは一体誰なんでしょうね。。。

色々と解釈ができる歌詞だと思います。
M
2019年05月19日 10:16
記事読みました。
2003年、夏から秋にかけての活動期間ではGABALLがありましたね。
ドラマ用の新曲がありそれをリードとしたニューアルバム制作に入る予定だったようですが諸事情により中止となりGABALLの活動自体も曖昧になりましたよね。
この諸事情がどういった理由なのかの詮索は今更しませんけど、小室さんのスランプ状態と思うしかないのでしょうかね。
ただ悲観的にそう考えているわけではなくて幾つかの企画が頓挫してしまってのことを思えば仕方がないでしょうけど。
そこでやはりTMは特別な想いがあるのかなと記事を読み思います。
最初の十年終了のリベンジもあるでしょうしおそらく三人にとっては二十周年を迎え、終えた時点で幕を下ろしたかったのかなと考えたりもします。小室さんは常々昔の自分達と比較しないでほしいと話されてますしね。今いる自分達、格好悪いと思われても今のそのときの自分達を受け入れてほしいと思っているのかもしれませんね。
そう思った上で新曲を書き、新しいジャンルの音楽、トランス一辺倒のライブ。守りで二十周年を迎えるより攻めで二十周年を迎えようとする三人がいたのだなと今思います。
音楽には緩急があり攻めがあったら次は穏やかに音楽を作りたいと思っていたと思うのですが。それはまだ後の話ですが。

僕の推測論でした。失礼しました。
やまびこ
2019年05月20日 08:40
今回の記事は、想定外のことがたくさんありました。まず、更新のタイミングはBOXが出てからと読んでいましたが、見事に外れてしまいました。あとは徹貫氏のことが「さん」付けで記載されているなど、、、ウツのメッセージは、最後に「令和」が使われていることに違和感を抱きました。TMには元号よりも西暦が似合っていると思います。それはさておき、20周年はほんとギリギリの状態で決行されたことが伝わってきました。当時の私は、20周年を機に、形だけでも三人が揃うだけで満足でした。「風のない十字路」の歌詞も、今回の記事を読んで初めてしっかり読みました。やはり、先生は多くのことに手を出し過ぎましたし、女のことでエネルギーを使い過ぎたのは、とても勿体ないことだったと思います。本来、女性は男の活力になるもので、男のエネルギーを奪うのは悪いオンナだと思います。いずれにせよ、20周年がこのような状況だったからこそ、30周年に込めた先生の想いが、より浮彫になってくるように思います。20周年は、私も当たり前のように遠征するようになっていたので思い出がたくさんあります。今後の記事を楽しみにしています。
you
2019年05月20日 13:02
まあ、SCREEN OF LIFEもそうですがPRESENCEしかりGREEN DAYSしかり、いくらリスナーの年齢も上がっているとはいえこの頃は聴く側としては驚くようなネガティブを感じる内容が多かったです。
当時今ほど情報量を持っていませんでしたが明らかに先生の不調感じてたので、一連の推測は概ね合っているのではないでしょうか。

当時EasyListeningの帯には確かオリジナルフルレングスアルバムとかのようなことが書かれていたのですが、わざわざそう書いていることで物足りなさが際立ったことを覚えています。


ラスグルはZepp行けませんでしたが映画は行きました、
今週はBOXのドラフェスツアー楽しみですね!
モグワイ
2019年05月21日 02:43
こんにちは(^^)
2004年の堂本兄弟で小室さんが好きなこと3つを聞かれて、「KEIKO、サッカー、大分県」と答えてたのが印象的でした。音楽は入ってないんだなあ、と。。。
この時期の小室さんは音楽を作ることが苦痛だったんでしょうね。KEIKOやサッカーに逃避して、音楽以外の生き甲斐を探してたようにも思います…。
でも結局小室さんって、他のことに救いを求めても、音楽活動が充実してないと苦しそうに見えるんですよね。逆に音楽活動が充実してる時は忙しくてもある程度は平気そうですし。
この時期から逮捕前くらいまでの歌詞は特に痛々しいですね。TKブームの後期から暗い歌詞は多かったですが、それが更に加速していってる印象があります。
ただのファンですら色々察するものがあるのだから、近くにいる木根さんはもっと感じるものはあったんじゃないかと思いますね。
椎名
2019年05月22日 23:02
この頃から哲ちゃんのスランプというか、
楽曲のクオリティの低さが目立ってきてましたね。
せめてTMだけは、という身勝手な希望を抱いていたのを覚えています。
アルバムやシングルも1曲1曲は悪くないんだけれど、
作品として総合的に見ると、うーん、何だかなあ、と。

木根さんとみっこさんの当時の思い、切な過ぎる。
青い惑星の愚か者
2019年05月27日 02:17
>かっとさん
Zeppは音が良かったと言う感想が聞こえてきますね。これでパルコとかも同じ形で再現してくれれば…
Screen~評価組ですね! こちらは次回触れますが、これができてよかったなあと思います。


>エドさん
十字路である以上、行先は3つあるんですよね。
結論から言えばこの時は一回別れた後、その分かれ道がまた合流できたわけですね。
この歌詞だけで結構語れそうですね。


>Mさん。
20周年は新作を作らないでヒットメドレーライブだけやっても、
客は十分に集まったと思います(tributeみたいな感じで)。
そうできなかったのは、多分年度内に吉本から新譜を出すことが決まっていたからで、
しかも移籍直後だからベスト盤も出せないしで、
とにかく何か作らないといけないからトランスを…じゃあライブもトランスで…ていう流れかなと推測しています。
まあTMトランスは賛否ありますが、一回くらいはやってよかったんじゃないかと思っています。


>やまびこさん
BOX発売後すぐに更新しても見るまで感想書けないし、
それなら皆が盛り上がっている時に…て感じです。
徹貫は並列で並んでいるところでひとりだけ「さん」を取るのも感じ悪いかなあと思い。
令和はおっしゃる通りですが、ウツは今歌謡曲モードで、しかもツアータイトルに令和が入ってるくらいだから、今ウツの中でブームなのかも。
我々が見た20周年て、結構いろんな幸運があって実現したのかもしれません。
もちろんもっと素晴らしい20周年もあり得たのでしょうが、何もなかった可能性すら捨てきれないと思っています。
その場合、TMは自然消滅して30周年もなかったのかもしれませんし、いろいろ考えさせられます。
青い惑星の愚か者
2019年05月27日 02:17
>youさん
オリジナルフルレングスアルバムの触れ込み、私も当時はそんなアピールするところか?と思っていましたが、もしかしてフルアルバムができたのすらスタッフには期待以上の結果だったのかもしれません。
そしてそういう奇跡が起きなかったのが、ミニアルバムになってしまったPANDORAだったのでしょう。
ドラフェスは…うん、もう、感激です!


>モグワイさん
この頃だと徹子の部屋も、音楽の話はほとんどありませんでした。
生きがいを探すというよりは、逃避先だったのかなと思っていますが。
特にKEIKOさんへの依存は強くなっていた印象があります。
2004年の歌詞は暗いとは言っても、大変だけど頑張ると言う内容だと思うんですが、2007年になるともう無理という歌詞になってて、より深刻になっている印象があります。まあそれはまたそのうちに…。


>椎名さん
実際21世紀に入ってから、かなり苦しくなっていたんだと思いますが、そんな中でようやく見つけたトランスという可能性にも自信が持てなくなり、どうしてよいか分からなくなっていたのがこの時期なのかなあと思っています。
生産力も間違いなく落ち込んでいたと思いますし。
ただそういう中で、自らの中から絞り出して曲と歌詞を作るようになっていたのがこの頃だったのかなあとも思います。
fe
2019年06月07日 15:46
song+nation・globe・GABALL・Tatsumakiでのトランスの「切られるような音」を体感した身としては、後のTMで今振り返ると「幸せの表現」でやりたかった事の代替品にTMを利用したのではないか、と邪推してしまいます。既にMさんが書かれていますが、GABALLの2ndアルバムが告知されていたんですよね…タイミングとしてはそれがお流れになった後に「ダウンサイジング版」としてTMが担ぎ出された様にしか思えなくて、どうもDJ DRAGONさんがいないせいか、音に切れ味・身体にくるような重みが無かった。

青い惑星さんの今回の記事のタイトルが「小室哲哉の覚醒」がもう少し早かったら「JUST ONE VICTORY OFFENSIVE VERSION」の要領の延長線上で玉置成実さんの「Get Wild」や2am「Self Control 2004」もTMでやったのかもしれません。この2作品どうしてもスケジュールと状況の都合でTMで出来なかったことをチャンスとばかりに他に託したように邪推します。

「同じタイトル・一部分のフレーズで実質違う曲」というコンセプトは「START investigation」の「Ending "Fool On The Planet" 」で果たしてくれましたが。

それでは、色々失礼しました。
カツ
2019年06月09日 20:33
TSUTAYAで聞いた事のある歌が流れてました。TM NETWORKの
Still love herでした。YouTubeでも聞きましたが、昔の映像を見たいと思いました。テレビ神奈川のシティハンターのエンディングで今流れています。小室さんも聞いて、涙した事があると聞きます。必録です。
青い惑星の愚か者
2019年06月11日 01:51
>feさん
Gaballの2ndの構想はよくわからないですが、少なくとも幸せの表現とTM20周年の作品については、私はあまり作風が近いようには感じられません。
そもそも幸せの表現自体、Gaball名義にする必然性がよくわかんなかったですし…。
この頃の小室さんは、長期的な視野を持った制作活動自体が難しかったんじゃないかなあと感じています。
Self Control 2004は、TMの曲とまったく関係ない曲ですけど、なんでタイトルがこうなったのかは、これはこれで気になってます。

>カツさん
Still Love Her、シティハンターの関係なんでしょうね。
Get Wild以外の曲が街で流れるってのは、なかなか貴重と思います。
ジルラココ
2019年06月29日 21:55
当時ぼくは、シングル「NETWORK」に興奮し、アルバム「NETWORK」にガッカリしたクチでした。
小室さんは片手間にアルバムを作ったんじゃないか……そんな邪推さえするほどでした。
でも今回の記事を拝読し、ギリギリの中で作られた精一杯のアルバムだったのだなと初めて知りました。
当時のぼくは、TMファンの中でもかなり「前向き」な方だったと思いますし、トランスにも新曲にも全面的に賛成していました(むしろtributeにガッカリし、20周年ライブで新曲に反応しないお客さんに腹を立てていたくらいです)。
そんなぼくが、上記のように思っていたのだから、一般的なTMファンはなおのこと、20周年の活動全般に否定的だったのでしょうね、歌詞やトランスや……
今この時の活動を振り返ると、管理人さんのおっしゃるとおり、これがあってこその「SPEEDWAY」だし、30周年だったに違いないと思います。
当時辛さに耐えて頑張ってくれたお3人やスタッフの方などに、感謝です。
青井い惑星の愚か者
2019年07月03日 13:39
20周年企画はなくなってしまう可能性すら当時あったんだろうと思っています。
追い詰められていた頃の小室さんに会いに行っても部屋にこもって出てこなかったという話も聞きますが、これが2003年頃のことだとしたら、新曲どころかライブもできなかったかもしれませんし。完全な形ではなくても、ともかく20周年企画が遂行できたことに喜ぶべきという状況だったのでしょう。

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