5-10 TMN10周年への道

7/30、東京南青山のSpiral Hallで開催されるシンセイベント「Yamaha & Steinberg EXPO 2011」に、
小室さんが出演してTalk&Liveを行なうとのことです


参加費は無料ですが、サイトでの事前の申し込みが必要で、
参加可否は抽選で決まるとのこと
抽選受付は7/19までで、もうあまり時間はありませんが、関心のある方は是非どうぞ
ちなみに私はいけません


また夏恒例の「a-nation」
今年は7/23・24にニコファーレで開催され、
小室さんが両日とも出演するそうです
チケットはすでに完売していますが、
ニコニコ動画で生中継もされるようです(有料)


以上、小室さん情報でした
では本題に入ります
実に久しぶりに、TMNの話です

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小室哲哉は、1992年9月にアメリカから帰国して以来、
trfの企画に邁進した
12月まではレコーディングの日々をすごし、
その後1月終わりまでtrfの一員としてライブに出演している
さらにその後、2月には自らのソロアルバムの作成に入った
当時の小室の関心を考えれば、テクノ系の楽曲だったのだろう


このアルバムはボーカル入りの予定だったらしい
小室メインボーカルの楽曲は、
1992年の「Hit Factory」以後20年近く制作されないが、
小室はこの時点ではまだボーカリストを続けるつもりがあったらしい


だがこのレコーディングは中止された
そしてこれに代わって浮上したのがTMN再始動計画だった
これはかなり重要な情報だが、具体的な経緯は不明である
藤井徹貫の代筆と思しき小室名義の空虚な文章に拠れば、
デモテープ作成中にTMNのことを考えるようになったということだが、
実際にはもう少し具体的なきっかけがあったはずである


おそらくこの頃、タイムマシンと小室で交渉の機会が持たれたのだろう
ちょうど年度切れ目の3月を控えていた頃だが、
1993年度のEPIC/SONYとの契約など、
合意を作っておかねばならない問題もあったはずである


そしてこの結果、1993年度は翌年のTMN10周年に向けて動き、
1994年度に10周年のニューアルバムをリリースすることになった
いささか緩慢なスケジュールにも見えるが、
拙速に動き出すよりは、
十分な準備期間を置いてから本格的に動き出そうということだったのだろう


TMNの再開について合意が生まれたことの背景には、
小室がTMNを離れた後、
大した成果を上げていなかったことも大きかったと思う
小室のレコーディング中止が2月終わり頃とすると、
それはtrf「trf~This Is The Truth~」(2/25)と、
T.UTU with The Band「Buterfly」(2/21)がリリースされた頃である
前者は初動2.9万、後者は初動4.8万で、
ウツの方が倍近い成果を上げていた


さらにいえば「trf」と同日発売のaccess「FAST ACCESS」は、
初動6.2万枚だった
この週(3月第2週)のチャートでは、
accessが2位、ウツ(2週目)が5位、trfが14位で、
セールス面ではタイムマシン側の圧勝だった
この時点で小室がTMNを選択肢として見直す動機は十分にあった


一方で小室より成果を上げていたタイムマシンにとっても、
オリジナルアルバムをコンスタントに60万枚売るTMNは、
やはりかなり大きな存在だった
ウツのアルバムは最終的には15万枚程度を売り、
小室の「Hit Factory」もほぼ同じだったが、
これは64万枚を売ったTMNのオリジナルアルバム「EXPO」はもちろん、
寄せ集め音源集「TMN ColosseumⅠ・Ⅱ」の各30万枚と比べても、
半分程度にしかならない


小室もタイムマシンも、
この時点ではTMNの成果には遠く及んでいなかった
早い話、商業的な見込みから言えば、
TMN再開が双方にとってもっとも利益になる選択肢だったのである


そんなことは分かりきっていたとも言えるが、
小室もタイムマシンを飛び出して10ヶ月、
一人で好きなだけ試してみた結果、そのことが痛感されたのだろう


おそらくこの決定を前提に、
ラジオ番組「TMNウツと木根君」の最終週、
1993/3/29~4/2に小室が出演した
実にメディアで一年ぶりにTMN3人が集まったわけで、
TMN自然消滅の可能性を考えていた多くのファンにとっては、
嬉しい瞬間だっただろう


この後TMN3人は、時折集まったらしい
翌年の「終了」シングル「Nights of The Knife」は、
リリース日の1994/4/21の1年前には作られていたという
もともとTMN用に作ったわけではなかったが、
ウツが歌うと良いだろうと思ったと、小室がコメントしている
あるいはソロアルバム用の曲を元にしたものだったのかもしれない
5月にはウツが「Nights of the Knife」原曲に仮歌を入れたともいう


ウツは5月上旬までソロツアー「Live Butterfly」公演を行なっていたが、
その末期の5月初めにはスタジオに入ることもあった
この頃に3人で集まって、予備作業としてスタジオで楽曲作りを試みたのだろう
なおウツは5月17日から月末までハワイに飛ぶため、
「5月のレコーディング」は5月前半のことと考えられる


ただ基本的にこの時期は、3人のソロ活動の期間に当てられた
木根は4月には2ndミニアルバム「Never Too Late」の制作に入っている
小室も4月に「EZ Do Dance」レコーディングのためにロンドンへ飛んでいる


「EZ Do Dance」のプリプロダクションは、
ファーストアルバム「trf」のレコーディングの終わりの頃には始めていたという情報があり、
実際のところどの程度の作業が行なわれていたのかは明らかでないが、
次回作用の音源もいくつか用意していたのだろう
おそらくそれはソロアルバム制作と並行していたと考えられる
実際の作業としては、ソロかtrfか必ずしも区別せず音源の制作が行なわれたものだろうか


trfと木根のシングルはそれぞれ6月と7月、
アルバムはそれぞれ7月と9月にリリースされた
この内で木根「Never Too Late」の準タイトルチューン「Not Too Late」では、
小室とウツがコーラスで参加しており、久々に三人が関わった作品となっている
これは春頃の3人の共同作業の様子を伝える唯一の音源でもある


小室はもともとtrfのメンバーとしてステージに立っていたが、
ミニアルバム「EZ Do Dance」リリース後、
8月の「avex rave '93」を最後に脱退し、
以後trfはYU-KI・DJ KOO・SAM・Chiharu・Etsuの5人編成となる
9~10月に行なわれた「Club Tour EZ Do Dance」はこの5人態勢で行なわれた


おそらく小室のtrf脱退の前提には、TMN再開の予定があったのだろう
小室はすでにTMNのリミックスアルバム「Classix 1・2」の制作を終え、
TMN2年ぶりの新曲「一途な恋」のレコーディングに入っている
活動の基盤をTMNに戻す態勢は整いつつあった


木根のソロ活動はもう少し続いたが、
締めくくりとなるツアーも10/19で終わる
この少し前、9/29には「一途な恋」がリリースされ、
その三日後の10/2からはTOKYO FMで、
1年半ぶりのTMN3人のラジオレギュラー「TMN United」が始まった


この番組をスタートしたのは、
当然TMNの活動再開が前提となっていたはずである
実際に小室は「一途な恋」をTMN10周年のスタートと位置付け、
本作をリードシングルとして翌年にアルバムをリリースすることを宣言していた
アルバムは3月リリースとも言われており、
これを引っさげた10周年ツアーも計画されていたはずである


ところが実際にはそうはならなかった
つまり小室・木根の活動がひと段落し、
TMNの活動の準備が整った頃、
ウツがソロ活動を再開する一方、
TMNは何の動きも見せなかったのである


結局「一途な恋」以後、TMNとしての新曲リリース情報はないまま、
「TMN United」は3月にTMN10周年を待たず放送を終えた
TMNの番組にも関わらず、番組放送期間のTMNの活動はほぼ皆無という、
非常に不可解な結果に終わってしまったわけで、
早い話、TMNのPRには何の意味もない番組となった
もちろんこんな不自然な活動が当初からの予定だったはずがない
ある時点で予定が変更になってしまったことを推測することは許されるだろう


1993年12月発売の木根のエッセイ集「A Tree of Time」の以下の後書きは、
当時のTMNをめぐる情勢の不透明さを示しているように見える

次にアルバムを発表したり、次にステージに立つとき、今度は3人なのか、またひとりなのか、それはまだ約束できない。しかし、僕も、僕らも、まだまだ音楽を続けることは確実である。


本書は「GB」に連載されたエッセイをまとめたものである
最後の記事は1993年10月付けで、
ソロツアー「Never Too Late」終了後の感想を述べている
「Never Too Late」は10/19に終わったから、
10月終わりに書かれたものだろう
11/15には(おそらく後書きも含め)もう書きあがっていると本人が言っているから、
後書きは10月終わりから11月上旬頃に書かれたものと考えられる


翌年3月のTMN10周年記念のアルバムリリース予定が、
9月には宣言されていたにもかかわらず、
それから1~2ヶ月程度経っただけなのに、木根の歯切れは非常に悪い
ソロ活動の予定がまったく立っていなかったこの時点で、
次のステージがTMNであることが断言できていないのである


「A Tree of Time」発売と同じ12月には、
小室哲哉のエッセイ集「告白は踊る」も発売されている
1993年9月まで「Art of Life」と題して「月刊カドカワ」に連載したものをまとめたものである
この2冊の刊行は、本来TMN再始動を盛り上げるべく企画されたものだったに違いない


だが「告白は踊る」の後書きにも、
「A Tree of Time」と同様、TMN10周年の話題は触れられていない
さらにいえば、trfも含め音楽の話題自体が触れられていないのだが、
これは11月頃の小室がまだTMNとtrfの可能性を様子見していたため、
あえて両者の話題を避けたものとも邪推できる
TMN10周年について明言できない事情が、小室にも木根にもあったのだろう



TMN10周年が公式に言及された最後は、
後で触れる「UKK Times」1993年10月号のウツインタビューで、
藤井徹貫が10周年についてウツに話を聞いている
同誌の木根・葛城の記事はいずれも9月終わりのものなので、
ウツインタビューもその頃のものだろう
ということは、情勢の変化は9月終わりから11月上旬の間、
おそらく10月頃にあった可能性が高い


10月といえば「TMN United」の放送開始の頃である
同番組の企画は、おそらくTMN再始動が決定した3月以後(春・夏頃)に立ちあがったものだろう
この時点では、秋にtrfと木根のソロ活動を終わらせ、
その後はTMN10周年に向けての活動を本格的に始めることになっていたはずだ


この予定は「Classix」が制作された7月や、
「一途な恋」がレコーディングされた8月には、
まだ生きていたはずである
だが10月頃にはその予定が破綻したか、少なくとも破綻しつつあったと見られる


この点で気になるのはウツである
何しろ年明けにT.UTUの2ndアルバムをリリースし、
TMN10周年の前日1994/4/20までソロツアーを行なっているのである
ただこの日程は明確にTMN10周年を意識し、
これとぶつからないように設定されたものであり、
つまりTMN10周年の遂行を前提にした日程と見られる


T.UTUの2ndアルバム「Water Dance」は、
8月には「一途な恋」の隣りのスタジオでレコーディングされており、
ウツは両方のスタジオに出入りしていたと言うから、
ウツソロとTMN10周年の準備は両立して行なわれる計画だったのだろう
タイムマシンは小室と再び対立した場合の保険として、
ウツソロ第二段を強行したのかもしれない
(そうならば、その保険は正解だったことになる)


「Water Dance」は1994年1月にリリースされた
この上で予定通り3月にTMNの3rdアルバムリリースがリリースされていれば、
ウツは8月から半年程度の間に2枚のアルバムをレコーディングしていたことになる
これはかなりのハードスケジュールだが、
逆にここまで過密ならば、実現しなかった本来のスケジュールを推測することも可能だろう


そこでウツの動向をさらに遡って追ってみると、
ウツは「Live Butterfly」ファイナルの直前(5月上旬)、
スタジオで石井恭史とともにソロ新曲のレコーディングを行なっている
これは土橋安騎夫らを交えない試験的なものだったようだが、
5月の時点でウツがソロ活動第二段を行なう可能性を考えていたことを示している


ウツの言葉を信じれば、
「Live Butterfly」(2/22~5/11)後半の頃から次のアルバムのことを考えていたと言うから、
TMN10周年の計画が決まってからまもなく、
3・4月頃にはウツソロ第二段の計画が立てられ始めていたことになる
石井との新曲レコーディングも、これを前提としたものだろう


ウツがツアーのことを考えるようになったのは7月のことだという
おそらくその後、各バンドメンバーに打診を行なった
「Live Water Dance」のメンバー決定は9月2日であり、
その頃にはツアー日程が1994年1~4月になることは決定していただろう
(日程が決まらなければバンドの契約はできない)


ウツのアルバムの本格的なレコーディングは8月から始まった
これ以前のTMNやウツソロのアルバムレコーディングは2~3ヶ月程度を要しており
この時のレコーディングも10月頃までは掛かる予定だったはずである
(実際は11月初めまでかかった)
さらにソロツアーのリハーサルは年明けから予定されており、
1/20に試験的な単発ライブを行なった後、1/27からはツアーが始まった
これ以後ウツがTMNのアルバムのレコーディングに重点的に関わることはできない


つまりウツがTMNのアルバムのレコーディングに参加できるのは、
最長でも1993年10月終わりから1994年1月初め頃となる
実際にはここまで詰めたスケジュールは困難だろうから、
11・12月の2ヶ月程度参加するのが現実的なところだろう


1991/3/15~6/10にレコーディングされたTMMの「EXPO」で、
ボーカル撮りが4月下旬から始まったことを考えれば、
TMNの3rdアルバムのボーカル撮りも2ヶ月あれば不可能ではない
その場合、10月にオケ作成開始、11~12月にウツが合流してボーカル撮り、となるだろうか
その後の最終調整やトラックダウンも含め、全工程が1月に終われば、
2~3月の新譜リリースは可能である


アルバムの前にはシングルを出すことも考えただろうが、
1993年11月と翌年1月にウツの新譜がリリースされたのが当初の予定通りとすれば、
TMNのシングルはその後2月、アルバムは3月となった可能性が高いだろうか
これよりも数週間前後することはあり得ても、
大幅に異なるスケジュールでは3月のTMNアルバムリリースは不可能である


木根のソロ活動が10月中旬のツアーファイナルを以て終わったのも、
その頃からTMNアルバムのレコーディングを始めることを想定していたためだろう
「UKK Times」1993年10月号のウツインタビューによれば、
木根は「Water Dance」レコーディング中のウツに対して、
「ソロツアーが終わったら、俺は一足先にTMNに合流しとくよ」と言っていたというが、
これは文字通り、まずは小室が準備を始め、10月下旬に木根が、11月にウツが、
TMNのレコーディングに参加する予定だったことを示しているのだろう
木根が「合流」するというからには、
小室は10月中旬以前に音源制作を開始する予定だったはずである


10月というレコーディング開始のタイミングは、
9月末リリースの「一途な恋」の成果が出る頃である
おそらく小室は「一途な恋」の反応を見てから、
レコーディング作業に入ろうとしたのだろう


ところが実際には、10月にTMNのアルバムがレコーディングされたという情報は聞かない
そしてすでに検証したように、
TMN10周年の計画は10月頃に頓挫した可能性が高い
つまり10月に始まるはずだったTMNの3rdアルバムの制作が、
何らかの理由で中止になったと考えられる
そのため木根は10月終わりから11月初め頃に書いた文章で、
次のステージがTMNになるかどうか分からないと書かざるを得なくなったのだろう


ところでこの問題の10月頃、
小室によってレコーディングされたと思しき曲が4曲ある
trfの「愛がもう少し欲しいよ」「Silver and Gold Dance」とそのカップリング曲である
リリースは11/21で、音源の完成は1ヶ月程度前、10月の可能性が高い


これ以後小室は、trfの2ndフルアルバム制作を続けたと考えられる
1994/2/9リリースの「World Groove」である
レコーディングは1993年のクリスマス以前に終わっていたが、
このタイミングでは10月にレコーディングを始めないと間に合わない
このタイミングは、先に想定したTMNの3rdアルバムレコーディングスケジュールに重なるものである


これは何を意味するか
おそらくTMNのアルバムのレコーディングが中止され、
代わりに小室がtrfのレコーディングを行なったのだと思う
問題はその中止の要因だが、
直接には「一途な恋」の商業的失敗と考えられる
この点については別章で改めて述べるが、
当時のCDセールスの水準から見ると、本作はかなり不満足な成果だったと考えられる


「一途な恋」の失敗を際立たせてしまったのは、
その少し前に小室が「一途な恋」以上の成功を収めていたことである
それはtrf「EZ Do Dance」である
周知の通りtrfの名が広く知られることになったきっかけの曲であり、
いわゆるTKブームの始まりにも位置づけられる曲である


前作「Going 2 Dance」が100位にも入らなかったのに対し、
6/21にリリースされた本作は17位、3.1万枚でチャートインした
シーブリーズCMのタイアップが付いたことがきっかけだった


この曲で注目されるのは、爆発的にランクを上げることはなかったものの、
長くチャートインし続けたことである
ランクインから13週間、9月末まで30位内に入り続けた
9月末の「一途な恋」リリースの頃には、
TMNの前作「Wild Heaven」と同水準の売上に達していた上、
「一途な恋」はこの売上を抜くことができなかった
最終的な「EZ Do Dance」の売上は翌年分も含め78.3万枚で、
TMN最大のヒット作「Love Train」の53万枚をはるかに上回ることになった


さらに7/21リリースのtrfのミニアルバム「EZ Do Dance」は、
チャート初登場4位、4.5万枚を記録し、
1993年だけで20万枚を超えるセールスを出した
これは「TMN Classix」一枚分と変わらない記録である


小室にとってこの勢いは、
「My Revolution」「Get Wild」以来の波だったはずである
TMファンには運が悪かったのは、この波がTMN再始動予定の直前に来てしまったことである
私もこの頃、いつのまにか小室の曲が、
ファン以外に浸透し始めていることを体感していた
小室はこの「EZ Do Dance」の成功を前提として、
成果の出なかったTMNに代わってtrfのレコーディングを決意したのではないか


もっとも「EZ Do Dance」だけでは、
90年代初頭に多く見られた一発ヒットになる恐れもあった
小室はこの勢いを消さないよう、必死にtrfの売り込みに奔走する
後の小室の証言によれば、
1993年の年末頃にはTMNを放置してtrfに本腰を入れていたという
この頃レコーディングされていた「World Groove」は、
結果として後にTM最大のヒット作「CAROL」を越す成果を生む


TMNファンとしては悪夢の事態だが、小室の立場から言えば、
ここでtrfを中止してTMNの活動に軸足を戻し、
シングル・アルバムをリリースしてメディアに出演し、
長期の全国ツアーを回るという選択肢はもはやありえないだろう


「World Groove」は小室がTMNに代わってtrfを軸に出来るかどうか見極めるための試金石だった可能性が高く、
そしてそれは可能であることが示されてしまった
その上でタイムマシン側がTMNの活動を強行にやらせたとしても、
従来のTM NETWORK・TMN時代のようなすばらしいステージが見られたかは、
はなはだ疑問である


なお「終了」前のTMN最後のレギュラー番組「TMN United」は、
なんという皮肉なタイトルだろうかと思う
TMNはもともとTM NETWORKと言ったように、
3人の絶妙なネットワークによって成立した音楽ユニットだったはずである
いわば「TMN」とはメンバー3人のネットワークを含意した名称である


ところがこの番組は、「連合したTMN」と題された
理屈からいえば、ネットワークを意味するTMNの後に、
「連合した」の修飾語は不要なはずだが(意味がかぶる)、
この時点では現実にTMNはネットワークとなっていなかった
だからこそ「連合」していること自体が、
ファンに対するアピールにもなりえたともいえる


つまり「TMN United」の名称は、
TMNメンバーがすでにネットワークを結成していないことを前提としたネーミングであった
そして実態から見ても、この頃は小室もウツも、
TMN再始動へ向けての活動を行なっていなかった
これではまさにソロミュージシャンの「連合」に過ぎない
その最終的解体は、すでに目前に迫っていたのである


以下数章では、
TMN活動再開へのベクトルと「終了」へのベクトルが入り混じる1年間、
3人の動向を見ていくことにしたい


(2011/7/14執筆 2011/10/2・2016/4/10加筆)

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