7-34 TM NETWORK再開のプロセス

明けましておめでとうございます。
今年は世間が通常に戻ると良いですね。
せめてミュージシャンが普通にライブを開催できるくらいに…。


去年12/29にはLINE CUBE SHIBUYAで、ウツと木根さんによる「年忘れ!!歌酔曲vsフォーク 〜ハタシテ?ドチラが勝つでショー〜」が開催されました。
こちらはニコ生でも、プレミアム会員限定で配信されました。
内容は、ウツと木根さんが順番に歌謡曲とフォークを演奏し、会場およびニコ生視聴者の投票および「特別審査員」の採点でその勝敗を決めるというものでした。


正直私は興味なかったし、ニコニコプレミアムにも登録していなかったので、チェックする気もありませんでした。
ところが放送終了後、驚くべき情報が入ってきました。
小室さんも会場に来てステージに上がり、ウツ・木根さんと一緒に演奏したというのです。
要するに、TMの3人がステージ上に集結したということです。


私もその話に驚き、深夜にプレミアム会員登録をしてアーカイブを確認しましたが、小室さんはライブ終盤ではなく、すでにライブ前から登場していました。
野村義男さんが趣旨説明をする時に、会場に「特別審査員」が来ていると言って、客席後方に座っている小室さんを指さしました。
なんと小室さん、普通に客席に座ってステージを見ていたのです。


ウツと木根さんの勝負が終わり、30分ほど両者のセッションによる懐メロメドレーが終わると、勝敗発表の時間が来ました。
これを発表するためにステージに現れたのが、特別審査員の小室さんでした。
小室さんは両者の演奏の感想を述べ、ウツが100点、木根さんが88点としましたが、観客・ニコ生視聴者の採点と合わせてウツ190点・木根さん198点となり、木根さんの勝利となりました。


まあ勝敗は別にどうでも良いのですが、問題はその後です。
野村さんが小室さんに、「せっかくいらっしゃったんで、なんかやりませんか、ピアノあるし」とそそのかしたのです。
もちろん事前に決められていた筋書きでしょうけど、それはともかくこんな意外な形で5年ぶりの3人の演奏が実現したわけです。


演奏は1曲目はTMの「Time Machine」、2曲目は加藤和彦と北山修の「あの素晴らしい愛をもう一度」でした。
特に1曲目は涙ものでした。
小室さんはアウトロを追加して演奏するなど、見せ場をもらっていました。
演奏後に3人は、この曲東京ドーム以来ですっけ?とか5年ぶりとか、適当なことを言っていました(実際は2012年「Incubation Period」以来8年ぶり)


「あの素晴らしい愛をもう一度」では、最後にサポートメンバーが順番にサビの「あのすばらしい愛をもう一度」のフレーズを歌いましたが、小室さんも最後にちゃんと、あのねちっこい声で歌ってくれました。
小室さんが歌うのっていつぶりだっけ?と思いましたが、考えてみれば2015年の「スカパー!音楽祭」でも「背徳の瞳」「永遠と名づけてデイドリーム」を歌いましたね。


あと「永遠と名づけてデイドリーム」は、2018年1月のPANDORAのライブでも歌っていましたし(本記事オルさんコメント)、2017年12月の木根さんのライブに出演した時も「Dreams of Christmas」「Christmas Chorus」を歌っていましたから、実は小室さんの活動歴の中では最近割と歌っていたわけですが、TM3人のライブで歌ったのはかなり久しぶりだったと思います。
もしかしたら2003年の「Fan Event in Naeba」「Dreams of Christmas」以来かもしれません。


ちなみにある方のtweetで知ったのですが「あの素晴らしい愛をもう一度」は、サブタイトルを「TO BE TOGETHER AGAIN」と言うそうです。
もしかしてウツと木根さんは、「また一緒にいるために」という気持ちを込めてこの曲を選んだのでしょうか。


あと小室さん、金髪にして、かっちりとしたいでたちになっていました。
これはやる気になっているモードなんじゃないか?と(勝手に)感じました。
「Route246」での復活以来、なんかくたびれた感を感じていましたが、まだがんばれるんじゃないの?て思います。


ともかくこうしてTM3人の演奏は、2015/3/22「TM NETWORK 30th Final」以来5年ぶりに実現しました。
おそらく去年12/18に3人で「SF Rock Station 2020」に出演した時点では決まっていたんでしょう。
さらにいえば、「年忘れ!!歌酔曲vsフォーク」の開催が発表された12/1・2「Spin Off T-Mue-needs」の時点でも、小室さんの出演は前提になっていたんだと思います(12/2に小室さんがライブを見に来たのも、多分それが前提)。


もっとも今回は3人とも、TM NETWORKの名前を出すことはありませんでした。
宇都宮隆と木根尚登のライブに小室哲哉がゲスト出演し、3人で一緒に演奏したという形です。
1996年にはTMが復活しないままで、小室哲哉・宇都宮隆・木根尚登の連名で新曲「Detour」が発表されましたが、それに近い状況かと思います。
もっともその頃のようにTMが「終了」しているわけではないですから、むしろ1998年年始にTM復活宣言をした後、活動再開を果たす以前の1999年元旦の特番「TK Presents Nice Dream」で、3人が「Seven Days War」を演奏した時に近いのかもしれません。


ただそれでも、少しずつ本格的な活動再開に近づいているは確かであろうと思います。
小室さんは2018年1月に引退を宣言し、その後表舞台から退いていましたが、同年秋にはウツがシンセ3人という異例編成のソロツアー「Tour Thanatos」で小室さんの楽曲を多く演奏し、翌2019年秋からはウツなりのTM35周年という趣旨で、同様の編成でTM曲のみを演奏する「Dragon The Carnival」を開催しました。
2020年6月には小室さんがラジオ「TOKYO SPEAKEASY」に出演して近況を報告し、翌月乃木坂46への「Route246」提供で2年ぶりに音楽活動を再開、9~12月にはウツと木根さんを中心にTM曲を演奏する「Spin Off T-Mue-needs」が開催されました。
そして2020年年末に、3人での演奏がここに実現したわけです。


先の2018年の小室さん引退により、1994年の「終了」と2008年の逮捕に続く3回目のTM中断期が訪れました。
しかしその終わりもそろそろなのかもしれません。
2021年に、コロナウィルスの鎮静化とともにTMが3度目の復活を果たすというのも、まったくの夢想ではなくなってきた感が出てきました。
楽しみですね。


他に近況としては、木根さんが12/29に文化放送「楽器楽園~ガキパラ~ for all music-lovers」に出演したそうです。
また木根さんが2019/12/14に開催したライブ「ニューロマンティックシアター」のライブCD2枚組が、予約限定版としてリリースされます。
締切は1/11です。
ただし先着100名限定のシリアルナンバー・サイン入りCDはもう定員に達し、またTシャツ付き限定セットも締め切られていますので、現在注文できるのは通常盤(3000円+送料)のみとなります。


では本題に入ります。
タイトル「TM NETWORK再開のプロセス」が、くしくも近況整理にも絡むものになりました。

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詐取した5億円によって当座差し迫った借金を返済した小室哲哉は、2006年秋から再起に向けた活動を始めた。
この中でTM NETWORKも活動再開に向けて動き出す。


以前述べた通り、小室はTMの活動が中断した2004年後半の時点で、翌年までのTMの活動を想定していなかった。
それは2005/8/9までglobeの10周年の活動が予定されていたからと考えられる。


実際のTMの活動再開まではさらに2年を要したが、ウツによればその間にも、再開の話は何回か出ていたという。
その一つはおそらくglobe10周年の後だろう。
木根は2005年8月、小室と2人で打ち合わせを行なったことが知られる。
木根は2005/8/9の「globe2 pop/rock」リリースパーティに参加しているので、おそらくこの時に打ち合わせの約束を取り付けたものだろう。


この打ち合わせの結果として発表されたのは、9/25のコムック(小室FC)対Hot Legs(木根のサッカーチーム)のサッカーイベント開催だった。
コムックチームはファンクラブ会員とは関係なく、吉本芸人で構成されたチームである。
小室は葛城哲哉とともに、監督として出場した。
要するにベンチで傍観していただけだろう。


もちろん木根が小室に会ったのは、このどうでもよい企画のためではないだろう。
TMをどうするかの相談も行なったに違いない。
8月末の小室FC会報でも、木根とTMのことを話したことが述べられている。
ただその時の結論は、TMは毎年行なう活動形態ではなくなっているので、無理に絞り出さなくても良いというものだった。
この頃globeの活動を継続させることが決まっていたこともあり、TMの活動を見合わせることが確認されたのだろう。


こうしてTMの活動再開は進まなかった。
ウツは2006/1/24「笑っていいとも」のテレフォンショッキング出演時、最近小室とはほとんど会っていないと発言しており、この時点でもウツと小室を含む打ち合わせは行なわれていなかったと見られる。
ここにウツは、2005年に始めたU_WAVEを翌年も継続させることになった。


小室はこの頃、TMは変に新しいことをする場ではなく落ち着ける場になってきたとも発言している。
また常に新しい試みがあるglobeに対して、次のTMはみんなでいろいろ思い出して懐かしい話で盛り上がる、同窓会的なものにしても良いと考えていることも述べている。
かつてTMは新しいことをすることを至上命題のように掲げていたが、ここに至ってそのような建前は捨て去られている。


ただこの頃の小室が金策やノルマに追われる日々を送っていたことを考えれば、小室がそうしたものから離れた安らぎの場としてTMを見出すようになっていたと見ることもできる。
小室は2005/12/16、木根の「talk & live vol.9 Special」渋谷DUO Music Exchange公演にゲスト出演して「Dreams of Christmas」を演奏したが、この時は予定時間をはるかに越えた長時間トークも行なっている。
これも昔からの音楽仲間と過ごす気楽な時間の心地よさ故だったのかもしれない(なお小室は2018年の引退直前にも、2017年12月の木根のライブにゲスト出演して、予定を大幅に上回る時間トークを続けた)。
DJ TK作品に見るように、小室の懐古の姿勢はこの頃から始まっていたが、あまりにも辛すぎる現実を前に、過去を懐かしむ気持ちが高まってきたのではないか。


小室は2006年8月初旬のFC会報のインタビュー(7月末頃のものか)で、興味深い発言をしている。
iTunesでSPEEDWAYの音源を購入してみたところ、歌謡曲でもなくロックでもないこの頃のウツのボーカルを魅力的と感じたというのだ。
そこで小室はそのことを、ウツの事務所M-tresの石坂健一郎に伝えた。
木根も電話で小室から同様のことを言われたと述べており、小室は関係者各所に連絡したのかもしれない。


小室はFC会報のインタビューで上記の件を述べた時、インタビュアーから今後のTMの活動について問われた。
すると小室は、自分がいきなりやりたいと言っても、U_WAVEで活動中のウツが困るだろうと答えた。
これは、小室自身はTMをやりたいと思っているということの裏返しに違いない。
そもそも会報で、わざわざTMの活動の可能性をファンに示したこと自体が、小室がTMの活動への意欲を高めていたことを示している。


このインタビューが行なわれた7月頃は、小室が破滅寸前に至り、5億円詐取計画を動かし出していた頃である。
小室はいよいよ破滅を意識した段階で、若い頃の自分を振り返りたくなり、SPEEDWAYを思い出したのではないだろうか。
そしてその思いは、詐取が成功した8月以後もくすぶっていたはずである。


こうした中、YAMAHAからM-tresに打診が来た。
2007年11月に2日間開催される「楽器フェア2007」の関連イベントで、TM NETWORKとしてライブを引き受けてくれないか、ということだった。
そこでM-tresが小室に意向を聞いたところ、小室からただちにOKが出たため、引き受けることになったという。
この時点では2日間のライブだけの話だったが、ともかくTM再開の糸口がここで開かれた。

7-34 001.jpg楽器フェアの様子



この打診の時期はよく分からない。
2007年春には「楽器フェア」出演が確定していたことが確認できるが、それ以前のいつのことなのか述べた資料は知らない。
ただウツは2007年の活動を振り返った発言で、2007年年頭にはまだTMがどんな動きになるか定まっていなかったと言っている。
この言い方からは、年始にはTMが動くこと自体は決まっていたように見える。
もしもそうならば、「楽器フェア」の打診は2006年中に遡ることになろう。


TM再開が最初に明言されたのは、2007年2月末の小室FC会報である。
小室はここで、4月頃からTMを再開することを宣言した。
小室はこの年、5/9までDJ TKのレコーディングを行なったが、本来はもっと早く終わるはずだったというから、4月中にDJ TKを終えてTMの活動に移行することを考えていたのだろう。
「楽器フェア」の半年以上前から活動を始める目標が掲げられていたのは、この時点で新曲のレコーディングも念頭にあったからにほかなるまい。


ただウツ・木根はこの時点では、TM関連の情報を一切出していなかった。
TMに積極的な小室と、慎重なウツ・木根という対比がうかがえる。
TM20周年やその後の小室を見てきたウツ・木根は、小室が本当に動けるのかなお心配なところがあり、拙速に動くのは控える判断をしたのだろう。


もっともすでに引き受けていた「楽器フェア」出演は、キャンセルできない案件だった。
ウツ・木根が「Spin Off from TM 2007」の最終公演(2007/6/7・8)で本件を告知したのは、これだけは確実にやることだったからに他ならない。
一方で新譜の制作計画については、なおしばらく秘せられた。
いつもはライブMCなどで余計なことまでペラペラしゃべってしまう木根すら8月まで言及しておらず、本件をめぐる慎重な態度がうかがわれる、


むしろこの時点のウツ・木根は、TMの活動への意欲を述べつつ、2007年の活動よりは、その2年後の2009年のTM25周年を念頭に置いた発言をしていた。
たとえば木根は4月初め、TM25周年で結果が出せれば「Spin Off from TM 2007」の意味が出てくるだろうと発言している。
また「楽器フェア」出演を公表した6月には、小室と一緒に音楽を作りライブをしたいという気持ちが高まったことや、TM25周年を楽しみたいことを述べている。
ウツも5月頃には、小室がTMの企画を練っていると言った上で、「Spin Off from TM 2007」をTM25周年につなげたいと述べている。
阿部薫も「Spin Off from TM」は楽しかったと述べる一方で、小室もいてTMがやれるのが一番うれしいと言っている。


こうした発言から判断するに、彼らは「Spin Off from TM 2007」の先にTM25周年を意識しており、その架け橋となるものとして「楽器フェア」を見ていたと考えられる。
一方で近く行なわれるかもしれなかった新曲レコーディングについては、実現の可否を見極めるまで言及しないように気をつけていたように思われる。


「Spin Off from TM 2007」は、開催告知が2006年11月中旬だった以上、企画立ち上げはどんなに遅くても10月には遡るはずだが、「楽器フェア」出演も2006年中に決まっていたと見られることを踏まえれば、両件はもともと連動するものだった可能性がある。
つまり「楽器フェア」出演が決まり、TMの再開が視野に入ってきた段階で、「Spin Off from TM 2007」開催が企画されたのではないか、という推測である。


かつて開催された「tribute LIVE」「Spin Off from TM」は、それぞれTM20周年企画の代替措置、ウツの新たな活動の宣伝企画という意味があったが、「Spin Off from TM 2007」についてはそのような意義が見いだせず、公式にもライブ開催の趣旨がまともにアナウンスされない謎企画だった。
だが上記のように考えれば、TM再開に先立ってファンを盛り上げるという重要な役割が意識されていたことになる。


以前触れたように、「Spin Off from TM 2007」ではTMの最新アルバム「Easy Listening」の楽曲が多く演奏されたが、これも「今」のTMを意識させるための選曲だった可能性がある。
だが実際にはTM再開の方針がなかなか確定せず、ウツ・木根は先行き不透明と判断し、TMの再開の情報を出すのも最終公演まで遅れてしまったため、結果として謎企画になってしまったのではないだろうか。


なお「Spin Off from TM 2007」は当初2007/4/19までの予定だったが、後に発表された追加公演は5月に2本、6月に2本で、本公演との間に長期の間隔が挟まれた。
これもTMの活動方針が固まるのが遅れることを見越した上で、その発表を行なうためにあえて遅く設定したものかもしれない。
ウツがライブで「リーダーがリーダーなもんで、(楽器フェア出演は)決定はしましたが、詳しいことはまだ決まっていないので」と発言したのも、そうした流動的な情勢を物語るものではないか。


以上、確実なことは言えないが、もしも「Spin Off from TM 2007」「楽器フェア」の出演決定を関連付けて考える場合、両件は2006年10月以前には決定していたことになる。
これについて気になるのは、ウツが2006/9/6に公開されたインタビューで、TMやソロでの活動の予定を聞かれた時、「その辺のミーティングはもう始まってますね。何はいつやるとかはまだ公開できないんですけど、来年はU_WAVE以外のモノが展開されると思います」と述べていることである。
2年続けてきたU_WAVEを2007年にはいったん中断するという方針が、この時点で決まっていたらしい。


これが「楽器フェア」を前提としていたならば、「楽器フェア」出演は8月中には決まっていたことになるだろう。
だとすれば小室は、8月末に5億円詐取が完了する以前、あるいはその進行中に、TM再開にGOサインを出した可能性がある。
もちろんウツも木根も、そんなことが起こっていることなど、知る由もなかっただろうが。


以上の「楽器フェア」をめぐる動向の詳細は推測以上のものではないが、いずれにしろ2006年後半には翌年のTM再開が確定していたと見られる。
もちろんその前提に小室の5億円詐取があったことを考えれば、手放しでは喜べない活動だったのだが、ファンも当時はそのようなことはまったく知らず、3年ぶりのTM再開に期待を寄せた。
以後は捨て身の行動で時間を確保した小室によって、逮捕というX-DAYまでの間、TMのかりそめの活動が展開されることになる。


最後に、2007年の小室に関連して、もう一つ確認しておかなくてはならないことがある。
それは6月末日、小室の吉本とのマネージメント契約解除である。


週刊誌ではすでに2006年8月に小室が吉本を出たとの報道があった。
これ自体は誤報だったが、小室はこの頃から吉本での楽曲制作を行なわなくなっていた。
おそらく小室はこの頃には吉本から離れる意向を強めており、それが最終的に決まったのが翌年のことだったのだろう。
小室はSONYから契約解除された2001年5月以来、6年余りで吉本から離れることになった。
ただし吉本R&Cは、以後もTM NETWORKの活動については協力すると明言しており、実際に単発契約ではあったが、CD・DVDのリリースはR&Cから引き続き行なわれた。


吉本に代わって小室と組んだのが、イーミュージックだった。
会社設立の中心になった早川優はこれ以前にも役所に提出した届出書で虚偽申告をして逮捕されている。
他にもこの会社の重役となった人物は、ことごとくいわく付きの人物である。


早川に小室を紹介したのは、木村聡一郎という人物である。
木村はもとavex関連会社の社長で、TKブーム期にも小室と面識があったと見られる。
2005年にはいとこが社長を務める大阪の老舗ソースメーカーイカリソースに近づいて、大型の詐欺事件を起こし有罪判決を受けている。
これ以後日の当たる場所にはいられなくなり、裏社会の人脈の中で生きてきたのだろう。
木村はこの頃から、事実上の小室のマネージャーとして、あるいは代理人として活動する。


小室は2007年6月に早川に会うと、資金援助を依頼した。
これがきっかけとなって早川は、自らが代表を務める株式会社SVTの子会社として音楽プロダクション会社を設立することになった。
2007年7月のことである。
この話が進む中で、小室は「良い投資家と知り合った」と言って、吉本との契約を6月末日を以て解除したのである。


早川の会社は小室の案で、いい音楽を作るという意味で「イーミュージック」と名づけられ、小室楽曲の原盤権を得ることになった。
ただし原盤権契約は小室楽曲全般ではなく(TM楽曲は含まれず)、今後制作されるKCOとPurple Days(当時小室がTM Jr.として売り出そうとしていた)の楽曲が対象とされた。
当初は2007年1月にKCO、2月にPurple Daysのアルバムをリリースする計画だった。
ただし実際にはKCOのシングル「春の雪」は2008/3/12まで、アルバム「O-Crazy Luv」は2008/4/30までリリースが遅れ、Purple Daysに至っては小室の逮捕まで楽曲のリリースは実現しなかった。


木村と早川の狙いは、小室の名前を利用したビジネスだった。
2人はイーミュージックを設立すると、9月にEMサポートクラブなる組織を作り、会員を募った。
これに入るには一口10万円の会費が要求された(イーミュージックの未公開株との抱き合わせ)。
2人は熱心なファンなら応じる者もいるはずと考えたのだろうし、小室の名前を出すことで配当も見込めるとアピールもしただろう。
すべてがファンが買ったものとは限らないが、イーミュージックは1300株を売り、1.3億円を集金したと報道されている。
早川はこうした集金のための広告塔として、小室に価値を見出したものと考えられる。


なおイーミュージックをめぐっては、様々なトラブルが起こった。
小室も2007年中にはイーミュージックから離れようとしていたようで、2008年1月にエンパイアプレイミュージックの井上勇と原盤権契約を結んでいる。
またこの会社は小室との間に、専属マネージメント契約も締結していた。


ところがイーミュージックはこの契約を知って介入し、エンパイア社が支払った契約料の立替を行なう形でこれを解除させた。
以後イーミュージックは、形の上では小室のマネージメントも行なうことになった。
ただこの手続きをめぐっては両者の間でいざこざが起こり、エンパイア社は小室逮捕後にイーミュージックと小室を提訴するに至る(両者の主張も錯綜している)。
結局2009年には、イーミュジックによるエンパイア社の吸収合併というよく分からない結末になったが、小室を使ったビジネスが小室逮捕により成立しなくなったことを受け、何らかの手打ちが行なわれたものだろう。


なおエンパイアプレイミュージックの井上勇は、準暴力団に指定されている関東連合の元メンバーである。
2019年には、全国のATMから総額18.6億円が不正に引き出された事件(2016年)の主導役として逮捕されている
またイーミュージックは、2010年代になっても小室にまとわり続けた(その都度avexによって追い払われたが)。
小室逮捕後に彼らがメディアで応じたインタビューなどは、広報の機会として利用しようとした彼らの意図とは別に、小室がいかに劣悪な連中と付き合っていたのかを世間に知らしめた点で、間違いなく小室の印象悪化に一役を買っていた。


小室がこの頃頼りにしていたのは、木村・早川も含めて明らかに裏社会の人間ばかりであり、彼らをめぐる動向に様々な裏事情があったことは想像できる。
この後1年間のTM NETWORKは、このような劣悪な環境下の小室が率いる形で活動することになる。

SPEEDWAY - TM NETWORK
SPEEDWAY - TM NETWORK

真冬の夜の夢2020

本日2020/12/18、意外な出来事がありました。
名古屋の東海ラジオで、2時間の特番「TM NETWORK SF Rock Station 2020」放送されたのです。
「TM NETWORK」というからには、もちろん小室哲哉・宇都宮隆・木根尚登の3人での出演です。
告知は12/7のことでした。


これまでウツがTMをにおわせる活動を続けている割に、実際にはTMが何も動かない状況が続いていたわけですが、単発の特番とはいえ、ここに来て突然のTMの活動です。
これはいったいどういうこと?と驚きました。
一応TM絡みの企画だった「Spin Off T-Mue-needs」が終わって、「これで今年も終わりか」と思った矢先の出来事でした。


とりあえず東海ラジオを聞くために、radikoのプレミアム会員に登録して、放送開始の19時から再生してみました。
放送時間は大ボリュームの2時間です。
その前のTMの最後の活動が2015年のラジオ番組「TM NETWORKのオールナイトニッポン」でしたから、ラジオで終わったものが5年後にラジオで復活したわけです。


番組は「オールナイトニッポン」の時のような進行役はおらず、3人だけで事前に送られてきたメールを読みながら、(しかしメールの質問の多くは放置しながら)進行していました。
前半60分は1986~89年の「SF Rock Station」時代の話、後半60分は最近の話が中心に扱われました。
CM明けのジングルは当時のものを使っており、本人たちが「声が若い」「いきがっていますね」などと面白がっていました。


3人はとっても自然に話していました。
日泰寺の納涼企画、ハンバーグ&カニクリームコロッケ、「Thank You TM NETWORK」の話なども出ました。
さすがに30年以上前だったこともあり、記憶はあやふやでしたけど。
かかった曲は、「Self Control」「Get Wild」「Seven Days War」「Human System」「Alive」「Dreams of Christmas」「I am」の7曲でした。


肝心のTMの今後のことですが、特に決まってはいないようで、少なくとも番組中では何の告知もありませんでした。
ウツが「今後の話とかって…、なかなか難しくないですか?」と、(多分)小室さんの様子をうかがいながら、注意深く話を振っていました。
小室さんに負担がかからないための配慮からか、小室さんの意向を直接うかがう形にはせず、自分が去年から「Dragon The Carnival」「Spin Off T-Mue-needs」を開催したことに話を移しました(自分なりのTMをやった)。
また木根さんは30周年の後、35周年ができなかったから、次は40周年という話も出ているという話をしますが、これを受けて小室さんは「5年で切る必要ないんだけどね」と発言。
じゃあ早くやれよ!!と言わない老成したウツは、ここで「もう何周年とか、そんなこと言っている場合の年齢じゃなくなっているな。やれたらやろうよ」と主張。小室さんも木根さんも同意していました。


小室さんはウツの「なかなか難しくないですか?」の振りに対して、ウツのライブBlu-ray(「Dragon The Carnival」)にゲスト出演した時のコメントで、夢を語っていると言っています。
その時のコメントでは、仲間と一緒に音楽をしたいという趣旨の発言をしていましたが、その思いは変わっていないということでしょう。
加齢に伴う肉体的限界の話はしながらも、自分らより年上でライブをやっている人もいると言っており、なぜすぐにやれないのかはともかくとして、小室さんもTMをやりたいという思いはウツや木根さんと同じなんだろうと感じました


なお今回のラジオ放送は、来週12/25の20:00からニコ生で再放送されます。
さらにプレミアム会員限定で、3人のアフターメッセージも流すそうです。
TM再開の話を出すならば広く宣伝するはずで、一部のファンだけに聞かせるメッセージの中で発表することはないでしょう。
私は、もう重大発表はないだろうと考えています。


私は今回の放送を聞いて、3人の中にTM再開の意志はあるんだろうと感じました。
少なくともラジオ出演については、小室さんが自分から「次」の話をしており、まんざらでもなかったんだろうと思います。
あとは小室さんの決断が、3人の肉体的な限界に間に合うのかどうかでしょう。
今ウツが一番積極的に見えるのも、その点の不安を一番感じざるを得ない立場だからと思います。
多分、次が最後ということも意識しているんじゃないでしょうか。
これを契機に動くといいなあと思います。


さて、時間軸ではもっと前になりますが、9月から12月初めにかけてあしかけ4ヶ月に及んだ「Spin Off T-Mue-needs」が、12/1・2の中野サンプラザ公演を以て終わりを迎えました。
まずは微妙な時期の開催だったにもかかわらず、クラスターの発生が起こらなかったことを、慶びたいと思います。
(潜伏期間の2週間も終わりました)
なお木根さんのデビュー記念日がツアー最終日だったので、何かあるかと思っていたのですが、特に何もなかったです。

SPIN OFF T-Mue-needs 2020.12.01/02 中野サンプラザ公演

Opening: EXPO
01. 69/99
02. Screen of Life
MC
03. Still Love Her
04. Rainbow Rainbow (Dress Ver.)/パノラマジック
05. Pale Shelter
06. Looking At You/月はピアノに誘われて

―インターバル(Interval [CLASSIX1])―

07. フォークパビリオン
 *12/1馬~もう寝ます~結婚しようよ~月の河
 *12/2馬~マークⅡ~走れコータロー~せんこう花火~月の河
08. メタルパビリオン
 *Kickstart My Heart~Rock and Roll All Nite
09. 浅倉大介&都啓一セッション
 *come closer

―インターバル (nuworld)―

10. Children of the New Century
11. あの夏を忘れない
12. Gia Corm Fillippo Dia (inst.)
13. Castle in the Clouds
14. Alive
15. The Point of Lovers' Night

Enc. Get Wild

Ending: Interval [CLASSIX2]


ツアー終了直後の12/4には、Blu-rayリリースの情報も出ました。
詳細は追って連絡とのことですが、中野の追加公演が収録され、FC盤には特典映像も付くそうです。
12/11にはオンラインショップで、ツアー写真集の予約が始まりました。
値段は2600円(税込)、申込期間は来年1/11までで、2月上旬発送予定とのことです。


今回のツアー、私は福岡公演に参加し、他の公演も節目節目で配信を見ました。
実は私としては、今回のツアーはライブとして盛り上がりに欠け、あまり楽しくは感じなかったですし(その点では前回の「Dragon The Carnival」は素直に楽しめました)、将来思い返すこともほとんどないだろうなと感じています。
コロナ対策でマスクしたり声出せなかったり、気を使わないといけなかったせいもあるのかもしれません(多分それだけじゃないけど)。
ただそれでもいくつか触れておくこともあるので、今さらですが、一応まとめを書いておこうと思います。


今回画期的だったのは、やはり全公演をニコ生で配信したことでした。
ツアーは複数回見たくても、実際には通える本数に限りがある方が多いでしょうから、コロナ流行への対応策とはいえ、大きな決定だったと思います。
これが今後も継続されるのか、気になるところです。
80年代にこんなことができていたら、全公演見たかったなあ…。
いや、当時だと小遣いが足りないから、どうせ全部は見れなかったでしょうけど。


今ツアーは9月中は、フォークパビリオン以外セットリストが一定していましたが、次第にちょこちょこいじるようになりました。
10月になると「パノラマジック」「月はピアノに誘われて」の日替わり曲として、「Rainbow Rainbow」「Looking At You」が入るようになりました。
またアンコールは初日以来「You Can Dance」でしたが、10/25大阪公演以後は「Nervous」「We love the EARTH」の日替わりになりました。


これら日替わり曲は、それぞれどちらを演奏するかランダムで、かつてのtribute LIVEのように2パターンのセットリストが用意されているわけでありませんでした。
たとえば「パノラマジック」「月はピアノに誘われて」の日も、「パノラマジック」「Looking At You」の日もあったということです。
10月以後の公演は、まったく同じ曲の組み合わせはほとんどなかったように思います。
なお11月からは、1回目のインターバルの間にウツと木根さんがギターの調律のために現れた体で、一瞬「Electric Prophet」を演奏しました。
ここは中野の追加公演では「さよならの準備」に代わりました(本記事かっとさんコメント)。


メタルパビリオンは初日以来Motley Crue「Kickstart My Heart」でしたが、11/15仙台公演以来Kiss「Rock and Roll All Nite」に変更されました。
浅倉さんソロの「come closer」は、仙台公演では都啓一さんが浅倉さんの代役を務めました。
ハードディスクから出る基本の音は同じでしたが、上に重ねられる音は異なり(電子ピアノ音色が中心)、都バージョンというべきものになりました(配信動画では「MIYAKO Ver.」と表記されていました)。


追加公演では、フォークの曲数が増え、メタルは2曲両方演奏し、「come closer」は浅倉・都両者の共演となり、アンコールに「Get Wild」が演奏されました。
また最終日の12/2には、アンコールでゲストのnishi-kenさんとshinnosukeさんが参加しました。


「Get Wild」はなんとイントロが「Get Wild Decade Run」でした。
本編は「Decade Run」ではありませんでしたが、「Get Wild '89」も混ざったり、浅倉さんが「Sick Indivisuals Remix」のフレーズを弾いたり、過去のいろんな「Get Wild」が盛り込まれていました。
「Get Wild Decade Run」はシングルなのに、これまでライブで演奏されたことがないので(2000年の「Log-on to 21st Century」では少し混じっていましたが)、一度ライブでちゃんと聞いてみたい気はします。


今回のセットリストは、「Still Love Her」とアンコールの「We love the EARTH」「Get Wild」を除き定番曲が入っていない、かなり挑戦的なものでした。
ただレア曲祭りだひゃっほーーい!となったわけでもなく、「おお、これは初めて聞いた!」「久しぶり!」というのは「69/99」「Pale Shelter」「Castle in the Clouds」「come closer」「You Can Dance」くらいだったと思います。
これらも「come closer」以外は、2004年の20周年以降TMかtribute LIVE・ウツソロで演奏しているので、実はそんなにレア感もありませんでした。


今回の選曲は上記5曲を除くと、全部TM30周年の演奏曲でした。
その中でも現状でTM最後のライブである「TM NETWORK 30th Final」が強く意識されているように感じました。
たとえば本編終盤の盛り上がりの場面で続けて演奏された「Children of the New Century」「あの夏を忘れない」「Gia Corm Fillippo Dia」は、いずれも「30th Final」の演奏曲です。
「Gia Corm Fillippo Dia」がインストで演奏されたのも、「30th Final」を思い出させます。


おそらくウツ・木根さんとしては、最近のTMのことを観客に思い出させるセットリストを意識的に組んだのではないかと思います。
ここで思い合わされるのが、本ブログで少し前に触れた「Spin Off from TM 2007」です。
これは今回の「Spin Off T-Mue-needs」の前のtribute LIVEに当たりますが、この時にはその時点でのTMの最新作「Easy Listening」を意識した選曲をしていました。


実は次回あたりで言及するつもりだったのですが、私は「Spin Off from TM 2007」はTM復活の予定を前提として企画されたもので、ファンに「今のTM」を意識させるためにあえて最新のTM曲を入れたと考えています。
ならば今回のツアーで最新のTMライブを意識した選曲にしたのも、TM復活への意欲を前提にしたものだった可能性もあるのではないでしょうか(具体的な復活プランの有無はともかくとして)。


「Screen of Life」「Pale Shelter」「come closer」「Castle in the Clouds」「Alive」など再始動後の曲が目立つのも、そういう含意があるのかもしれません。
「SF Rock Station」で最後の曲が「I am」だったのも、同様の趣旨だったとも考えられます。
追加公演で一瞬入った「Get Wild Decade Run」も入れれば、SEを除くTM曲14曲中で6曲が再始動後の曲となり、実に半分近くになります。
再始動後の曲がこれほどの比率を占めたライブは、多分オリジナルアルバムリリース直後の「Tour Major Turn-Round」「Quit30」くらいです。


なお「Screen of Life」「Castle in the Clouds」「Alive」は、「Dragon the Carnival」でも演奏候補に挙がっていた曲でもありましたが、このたび採用されました。
ウツも満足できたでしょうか。
特に「Alive」は私も大好きな曲なのに、これまでワンマンライブでは「Quit30」でしか演奏されていなかったので、聞けて嬉しかったです。


本ツアーには、「終了」以前を思わせる演出がちりばめられていました(特にTMN期)。
この点は前回の「Dragon the Carnival」と同じです。
たとえば「Rhythm Red Tour」の時の旗のデザインを意識した旗が本ツアーに登場し、1曲目の「69/99」と本編最後の「The Point of Lovers' Night」で使われました。
「69/99」「Rhythm Red Tour」でも1曲目でしたし、「The Point of Lovers' Night」は同ツアーのアンコール最後の曲でした。
この時のライブの始まりと締めの曲を意識的に使ったのだと思います。


またライブ中盤のフォーク→メタル→浅倉ソロという流れは、「Tour TMN EXPO」の再現でした。
「月の河」演奏中にメタル勢が乱入して中断という流れも含めて)
正直言って私には苦痛な時間でしたし、阿部さんも無理させられている感を非常に強く受けたのですが、昔やったことをもう一回やってみたいということだったのでしょう。


浅倉さんが「come closer」を演奏してくれたのは、一度ライブで聞きたかった曲だということもあり(だけどまず演奏されないだろうと思っていたこともあり)、嬉しかったです。
浅倉さんの選曲でしょうか。
素晴らしいところに目を付けたと思います。
浅倉さんの「come closer」も、代役の都さんの「come closer」も、どちらも良かったです。
あとはできれば、小室さんの演奏する「come closer」も聞いてみたいですが…


ウツと木根さんはこの後、12/29にLINE CUBE SHIBUYAで、「年忘れ!!歌酔曲vsフォーク 〜ハタシテ?ドチラが勝つでショー〜」を開催します。
ウツの歌酔曲と木根さんのフォークで勝負するのだそうです。
間違いなく「Spin Off T-Mue-needs」でフォークパビリオンをこなすなかで、出てきた企画でしょう。
12/1・2のフォークパビリオンのMCで開催告知が行なわれました。
ただしウツFC会員限定のようです(木根さんはFCを解散してしまったので)。


twitterによれば、このライブでは「新曲もやるかも?」とのことです。
また木根さんの「ROOTS OF TREE」によれば、ウツのサポートは
野村さん・松尾さん・nishi-kenさん、木根さんのサポートは山本英美さん・中村修司さんとのことです。


さらに春には、ウツ恒例の「LIVE UTSU BAR 2021〜それゆけ歌酔曲!〜」が開催されるそうです。
こちらは詳細は後日告知されるようです。
また11/25にはリットーミュージックから、2018年のウツFC会報の電子書籍版「MAGNETICA archives 23」が発売になりました。


一方小室さんは、復帰に合わせて、2021/2/24にSONYからかつてのソロ作品が2点、復刻されるそうです。
1つ目は「Digitalian is eating breakfast Special Edition」(税別12000円)で、シングルカップリング音源3テイクが追加されたアルバムと、追加映像を加えたライブBlu-rayが入ります。
追加映像は、2013年版DVDのボーナストラック「20th Century Boy」および「TK BEST SELECTION IN EPIC DAYS」特典DVDに収録された「eZ」の映像となります(要するに新出音源・映像なし)。


またシングル「Runninig To Horizon」「Gravity of Love」「Christmas Chorus」のアナログレコードも同封されます。
こちらは収録時間の関係か、すべて「Edit ver.」とされていますが、B面がインストとなっています。
この3曲のインストは完全に初商品化で貴重なのですが、なぜアナログで「Edit ver.」…。
余計なことしやがって…


もう1点は、「tk-trap produced by tetsuya komuro cozy kubo RE:2021」が5000円(税別)でリリースされます。
こちらは小細工はせず、当時のライブアルバムと映像をそのままセットにしたものです。
映像は去年リリースの10万円BOX「TETSUYA KOMURO ARCHIVES PROFESSIONAL PRODUCTS」に収録されたDVDを除いてビデオしかリリースされていなかったので、今回Blu-rayになるのはそれなりに意義があるかもしれません。
しかしBlu-ray収録のライブ音源の抜粋に過ぎないアルバムを同梱するのは意味が分かりません。
こっちは一瞬買ってもいいかと思いましたが、やっぱやめました。
値段は大したことないんだけど(むしろお得なんだけど)、要らないソフトを無理やり押し付けられるのいらつくんですよね。


さらに「Digitalian is eating breakfast」には、「Digitalian is eating breakfast tour」のリサイズ版パンフレット(内容のない写真集)とブックレット、「tk-trap」はブックレットのみが付きます。
ブックレットにはインタビューが掲載され、前者は小室さん、後者は久保こーじさんとのことです。
このうち小室さんのインタビューについては、otonanoの特設サイトに、インタビューの様子を見たスタッフのレポートという、なんとも微妙で無意味なものが掲載されています。
見ていてむなしくなる内容ですが、関心のある方は御覧ください。
今の小室さんのご尊顔を拝することはできます。


そういや「SF Rock Station」で、木根さんが小室さんに「告知ない?」て聞いていましたが、ないと即答していました。
本人も割とどうでもいいと思っているのかもしれません。


以上、今回は予想外の展開だったので、緊急更新となりました。
多分今回で2020年のブログ更新は最後となります。
2021年も、どうぞよろしくお願いします。

【Amazon.co.jp限定】Digitalian is eating breakfast Special Edition (完全生産限定盤) (メガジャケ付) - 小室 哲哉
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7-33 泥沼の中、再起目指して

「SPIN OFF T-Mue-needs」は11/15に仙台公演を終えました。
今度の11/22・23 Zepp Tokyoの本公演ファイナルと、12/1・2中野サンプラザの追加公演を以て、9月から続いたツアーは終わりを迎えます。
このタイミングでコロナが再拡大の様相を見せ、東京も厳しくなってきましたが、無事完遂できることをお祈り申し上げます。
なお10/25 Zepp Namba公演から、アンコールにも日替わり曲が加わり、現時点で3パターンが披露されています。
Zepp Tokyoと中野ではどうなるでしょうか。


ウツFC会報「Magnetica」の2018年分が、電子書籍「Magnetica archives 23」として11/25に発売されます。
また来年1~2月頃に「SPIN OFF T-Mue-needs」写真集が発売されるそうで、Zepp Tokyoおよび中野のライブ会場でオーダーカードを販売とのことです。
このオーダーカードの情報をウェブサイトに入力すると注文できるとのことですが、後日通常の通販も受け付けるそうです。
オーダーカードの意味て何?とも思いますが、グッズとして持っていたいファンを想定しての商売でしょうか。


木根さんは11/3にFM世田谷「田中さんラジオ」、11/8にFM大阪「あわじ感動!音楽島」に出演したそうです。
また11/8放送のアニメ「かえるのピクルス―きもちのいろ―」では、木根さんが声優として出演しました。
来年1/27~31に下北沢のGeki地下Libertyで開催される舞台「ウィークエンドシアター・ファイナル公演」にも、特別出演するそうです。


小室さんは10/24に「Ground TK_002」、10/31「TK/MusicDesign/父母ヶ浜」を開催しました。
「Ground TK_002」は見ていませんが、演奏は「Precious Memories」一曲だけだったそうです。
「Ground TK」シリーズは、基本的にはトークイベントと割り切った方が良さそうです。


「TK/MusicDesign/父母ヶ浜」では、十数分のインスタレーション披露と1時間程度のライブが行なわれました。
ピアノをメインにシンセも使ったライブでした。
演奏は「Never End」で始まり「Get Wild」で締めました。
「Get Wild」「Get Wild Song Mafia」に収録された「Sick Indivisuals Remix」です。


TM曲が多かった「Ground TK_001」と打って変わって、今回はTMは「Get Wild」のみで、他は「Sweet 19 Blues」「Departures」「You Are The One」「Boy Meets Girl」「Can You Celebrate? Art Mix」など、90年代プロデュース曲が目立ちました。
他には「Route246」「My Revolution」のほか、「You Raise Me Up」「Robinson Crusoe」のカバーも演奏したのは意外な選曲でした。


サポート無しのインストライブ1時間程度の配信でシステム利用料金含め6000円近く取るのは高過ぎな印象もあり、活動再開を広める気がどの程度あるんだろうかと思わなくもないですが、復帰後初めてまとまった演奏をしてくれたのは良かったと思います。
今後もトークの配信とかするよりも、作曲や演奏の仕事を中心にしてほしく思います。
「Route246」でまあまあうまく復帰できたのに、その後に何も続いていない気がするので。
本当はちゃんと準備をしていて、今はその前振りだというなら良いのですが。


11/16にはシンポジウム「地球のOS書き換えプロジェクト」に登壇して、建築家の隈研吾さんとトークを行ないました。
小室さんは建築に音を付けることについて語っていたようです。
小室さんは6月に出演した「TOKYO SPEAKEASY」で、去年秋頃からピアノで建築に音楽を付けることを始めたと語っていましたが、おそらく同じことを言っているのでしょう。
なお本シンポジウムを企画した吉川稔という実業家は、「TK/MusicDesign/父母ヶ浜」も企画しており、キーパーソンの一人のようです。


あとよく分からないのですが、小室さんは瞑想アプリRussellMEに楽曲提供をしたそうです。
このアプリを配信しているラッセル・マインドフルネス・エンターテインメント・ジャパン株式会社は、元avexの千葉龍平さんが立ち上げた会社です。
アメリカに移住していた千葉さんは、アメリカで流行しているマインドフルネスなる瞑想法にはまり、avexから離れてこの会社を立ち上げたそうです。
小室さんもこれを勧められ、「新しいじぶん」を発見したそうです。


え、千葉さんて今そんなことになってんの?てびっくりして調べてみたら、2016年にavexを退社していたんですね…。
会社はアメリカで設立された後、2018年には日本法人が設立され、RussellMEは今年7月14日に公開されたようです。
RussellMEの展開があまり思わしくないため、小室さんに協力が求められたというところでしょうか。
これは千葉さんがビジネスチャンスと見て仕掛けてきているのか、本当にはまり込んでいるのか、小室さんも本気ではまっているのか、なかなか判断しづらいですね…。細木数子とか嫌な先例があるだけに…。


私が望む形の活動にはなかなか向かわないなあと感じますが、今しばらくは期待せず観察していようと思います。
いずれTM再開の可能性もまったく皆無というわけではないと思うので…。
では本題に入ります。

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前章では2005~06年頃の小室の窮状を見た。
その頃の小室はTM NETWORKには関わっていなかったが、他の音楽活動は皆無だったわけではない。
本章ではこれについて、駆け足で見ていくことにしたい。


この時期の小室の仕事は、globeがメインワークとなっていた。
globeの楽曲制作は2004年後半の全国ツアー「globe decade」の頃から始まっており、ツアーでは新曲「Judgement」が披露されている。
デビュー11年目の初日に当たる2005/8/10には、この「Judgement」を含む10周年記念アルバム「globe2 pop/rock」がリリースされた。


「globe2」のタイトルはファーストアルバム「globe」を意識したものであるとともに、サブタイトル「pop/rock」は原点としてのポップスとロックに回帰したこと(つまりトランスではないこと)を示したものである。
ここで小室はglobeのトランスからの決別と、分かりやすい音楽作りを宣言する。


ただオケはポップになっているが、デビュー期のような「分かりやすさ」が言うほど実現されているかというと、先行シングル「Here I am」はともかくとして、他の楽曲については必ずしもそうでもない。
本作は10周年の記念作品だったにも関わらず、売上は2003年の前作「Level 4」(5.1万枚)を下回る4.9万枚となった。


また「Level 4」以来の問題として、新メンバーYOSHIKIの件があった。
YOSHIKIは「globe decade」にも「globe2」にも参加していない。
小室は「globe2」のリリースに当たり、今後YOSHIKIが参加する場合はglobe extremeの称を用いると発表した。
これは通常の活動にYOSHIKIは参加しないという告知であり、事実上はYOSHIKI加入の清算宣言だった。
実際にYOSHIKIを含めた活動は、以後一度も行なわれていない。


その一方で、年内には「globe featuring~」名義でゲストミュージシャン2組(ボーカリスト・ラッパー)とのコラボで新曲を出すことも宣言された。
基本メンバー3人に恒常的な4人目のメンバーを入れるのではなく、臨時的なコラボレーションを行なって話題性を作るという方針を示したのである。
要するにDJ pushやYOSHIKIとのコラボで話題を作ろうとした(そしてスベった)2002年と同じ戦略が立てられたわけである。
だがこの計画はうやむやになったため、誰とコラボをする予定だったのかは分からない。


2006/3/23には、extremeでもfeaturingでもないただのglobeの新作として、2枚組アルバム「maniac」がリリースされた。
Disc1は新曲10曲を収めるが、Disc2はそれまでアルバムに入っていなかったメンバーのソロ名義曲や過去曲のリミックスの寄せ集めである。
さらに同年8/9には、ミニアルバム「new deal」をリリースする。
実に2年で3タイトル4ディスクを商品化したわけで、この前後の小室の活動の中でこの密度は突出している。


だがその作品を聞くに、トランスから離れた後、新たに目指すものも見つからない中で暗中模索で作られたようにも感じられる。
小室は「maniac」について、新しい分かりやすさを探し求めるとともに、あえて簡単には理解されなそうな曲も入れたという。
それがアルバムのタイトルの所以なのだろう。
小室が楽曲制作に当たり迷いをぬぐいきれず、確信を持てていなかったことがうかがえるが、それは作品の評価が概して芳しくなかったことの裏返しでもあろう。


売上も「maniac」は2.8万枚、「new deal」は1.4万枚と、みるみる内に低減していった。
ランキングの面でも、「globe2」が5位を獲得したのが、globe史上最後のチャート10位内ランクインとなる。
2004/8/9の「globe decade」企画の始動から「new deal」リリースまで丸2年、小室の活動の中心はglobeに置かれ続けたが、ファン離れは止まらず、2006年秋からしばらくは活動を止めることになる。
結果的にはこの2年間が、globeのまともな活動が行なわれた最後の時期となった。


avex関連では他に、2005/12/21にiTunesでセレクション楽曲集「globe winter tracks」が配信されている。
中国映画「恋愛中的宝貝」主題歌の「Reason」は、当時これでしか聞けなかった。
(ただし映画公開当時はKCOソロ名義の曲だった)


また2006/11/29には、小室が10年ぶりにTRFに楽曲提供を行なった(「We are all bloomin’」)。
TRFはデビュー15周年に向けて同年から活動を再開していたが、その中の1曲を小室が提供したのである。
ただこれはシングル1曲のみの提供で、かつてのようなプロデューサーとしての起用ではなかった。


小室が2005~06年にglobe作品を集中的に制作したのは、一つは妻KCO(KEIKO)の存在があってのことだろうが、おそらくそれとともに大きかったのは、2005年初頭にavexがプロデュース契約料未償還分約7億円の回収に乗り出した件である。
前章で触れた通り、小室はその返済を約束したというが、すでに多額の借金を負っていた小室が7億円の返済などできるはずがない。
小室は即時返済を免れるために、契約料分の業務を行なう姿勢を示すべく楽曲制作を行ない続ける必要があった。


実際には1作品数万枚程度の売上で7億円も償還できるはずがないのだが、少なくともその意志を示す必要はあった。
「globe2」で売れていた頃への回帰を宣言したのも、売上に結び付く作品を要求されていたという事情もあったのかもしれない。
しかし返済猶予を得るための楽曲作りというのも、本人にとってはつらい作業だっただろう。


小室にはavex以外に、もう一つ楽曲制作を義務付けられているところがあった。
所属先の吉本R&Cである。
2002~04年には細々ながらTM NETWORKの作品をリリースしていたが、2005年度(2005年4月~2006年3月)にはそれもなくなったため、TM以外の仕事を何かしなくてはならなかった。
だが2005年度の小室は、驚くほど吉本の仕事をしていない。


そのような中で2006/1/5、「ガチコラ」の企画が発表された。
スタジオに呼び出された吉本芸人が小室哲哉と遭遇し、その場で小室が作曲、芸人が作詞を行なってレコーディングし、それを携帯電話サイトで着うた・着ギャグとして配信するというものである。
これらは後にアルバム「TKプロジェクトガチコラ」として2006/7/5にCDリリースされ、収録の様子を収めた同タイトルのDVDも同日リリースされた。
DVDの成績は把握していないが、少なくともCDは80位・0.3万枚と振るわなかった。

7-33.jpg
誰得企画



またガチコラ名義ではないが、小室は大木こだまひびきの「チッチキチー」のネタを用いたシングル「チ」、次長課長が「JK」名義でリリースした「晴れる道〜宇宙人に合わせる顔がねぇ!」、麒麟が「きりん」名義でリリースした「サイクリングリサイクル」も手掛け、それぞれ2006/4/26・5/31・8/2にシングルとしてリリースしている。
「晴れる道」「ガチコラ」にも収録)


「晴れる道」はアニメ「ケロロ軍曹」の主題歌、「サイクリングリサイクル」は同番組のエンディングテーマで、前者は20位・1.7万枚、後者は65位・0.4万枚の成績を上げた。
当時小室は「ケロロ軍曹」にはまり、ウェブの書き込みでもその口調をまねるほか、テレビでも物まねを披露していた(大変痛々しかった)。


他にR&Cからリリースされた作品としては、女優の青田典子がバブル青田名義でリリースした「ジーザス」がある。
これはテレビのバラエティ番組「ロンドンハーツ」の企画として青田をCDデビューさせたもので、楽曲は1997年の小室の未発表曲だった。
ほとんど売れなかった吉本芸人の楽曲と異なり、これは番組の企画性もあり、12位に入り、2万枚を売った。
90年代の懐メロ的な扱いではあったが、この時期に小室楽曲がテレビで大々的に使われた稀有な例である。


以上が2005~06年の小室がR&Cからリリースした作品だが、いかにも吉本がノルマとしてやらせた仕事であり、小室が主体的に動いたものには見えない。
ガチコラ作品リリースの直後には、小室が吉本を出るという情報も週刊誌に書かれており、これ自体は誤報だったものの、小室は「サイクリングリサイクル」を最後に吉本から作品を発表しなくなる。


avex・吉本関連以外に、小室はSONYの玉置成美のシングルを1枚だけプロデュースしている。
曲はTMの「Get Wild」のリミックスで、カップリングには玉置の「Shining Star☆忘れないから☆」の小室+DJ Dragonによるリミックスも収録されている。
2005/11/2にリリースされた。
サビの部分の符割は原曲から変えられており、この部分は面白い。
若々しさにあふれる「Get Wild」である。


玉置は2003年のデビュー以来チャート10位内の常連だったが、この時どういう経緯で小室に白羽の矢が立ったのかは不明である。
特にタイアップがあったわけでもなく(むしろ小室が関与しなかったカップリング曲「CASTAWAY」にタイアップが付いた)、なぜ「Get Wild」が選ばれたのかも分からない。
あるいは新曲で依頼されたが、満足なものが作れなかったのかもしれない。


ただチャートでは7位・4.7万枚を売っており、同時期のglobeと変わらない成績を出した。
本作の存在により、「Get Wild」は80年代(オリジナル盤・「Get Wild ‘89」)・90年代(「Get Wild Decade Run」)・00年代・10年代(アルバム「Get Wild Song Mafia」)のすべてで10位内にランクインするという、微妙な成果を上げることになった。


2006/2/22リリースの楽曲集「The Greatest Hits―小室哲哉作品集―a」「The Greatest Hits―小室哲哉作品集―s」「TK Instrumental Works Selection 1985-2003」にも簡単に触れておく。
「The Greatest Hits a」はavex、「The Greatest Hits s」「TK Instrumental Works Selection」はSONYからリリースされた。
「The Greatest Hits」はa盤・s盤ともに2枚組で、レーベルの枠を超えて選曲されており、2018年の「Tetsuya Komuro Archives」の先駆けとなる企画である。


TM曲はa盤に「Get Wild」「Dive Into Your Body」、s盤に「Love Train」「Seven Days War」「Self Control」「Nights of the Knife」が収録されている。
s盤には他にも、小室ソロ「Running To Horizon」、渡辺美里「My Revolution」「悲しいね」「卒業」、宮沢りえ「ドリームラッシュ」「No Titlist」などTM期の楽曲が収録される。
またs盤に収録される電気グルーヴの「Rhythm Red Beat Black (Version 300000000000)」は、電気・TMのアルバムには収録されていないため、微妙に貴重である。


以上が2006年前半までの小室の仕事である。
最後の楽曲集は本人の関与もほとんどなかったと思われるので除くとしても、この頃の仕事のすべてとは言わないが、借金返済猶予のためやノルマ達成のための仕事が目立ち、全体的に閉塞感が漂っていることは否定できないと思う。


こうした中で小室が試みた新たな活動がある、
覆面DJ”DJ TK”である。
DJ TKとしての正確な活動期間は把握していないが、小室は2005年から月1回のペースで東京都内のクラブでDJプレイを行なっていたという。
2005/8/9の目黒CLASKAでの「globe2」リリースパーティの後、DJ TK名義でプレイしているので、この頃には活動を始めていたと考えられる。


DJ TKの話を聞いて小室に声をかけたのが、SONY時代の恩人、丸山茂雄である。
丸山はSONY退社後の2005年12月から、自らが代表を務めるに・よん・なな・みゅーじっくで、音楽配信サイトmF247を始めたが、小室もそこで配信をしないかというのである。
音楽配信はミュージシャン側次第で有料にも無料にもできる仕様だった。
DJ TKの楽曲は、ここで2006年いっぱい配信された。


DJ TK配信第1弾は佐野元春「SOMEDAY」のリミックス「Someday mF remix」で、2006年1月に配信された。
小室は丸山から協力を求められた時、この曲のリミックスをやってみたいと考え、ボーカルトラックを借りてきてもらったという。
丸山とEPIC/SONYの縁も考えた選曲だった。
小室はこの後佐野作品のリミックスとして、「SOMEDAY 2006」「アンジェリーナ mF Prepromix」も配信している。


DJ TKの配信楽曲には、J-POPのリミックスとオリジナル楽曲があった。
リミックスには佐野楽曲の他にウルフルズの「ガッツだぜ!DJ TK Mix」があったが、これは小室がヒット前のウルフルズにアドバイスしたことがあるという逸話も踏まえての選曲だろうか。
小室ソロ曲の「I Want You Back (mF247 remix)」も、KCOボーカルで配信された。
これは2004年の「Tribal Kicks TV」のBGMに使われた音源のリミックスである。


オリジナル楽曲としては「if you like it or not」があり、KCOがラップ調の(ひどい)英語ボーカルを入れている。
「@Buddha Bar」
はクラブを意識したハウス楽曲、「Arashiyama」はアンビエント風楽曲である。
なお「Arashiyama」は、後に2008/4/30にiTunesで12:36のロングバージョンが配信された(原曲は7:27)。
Gaballの原田大三郎が作成したSHARP製TVのAQUOSのデモ映像を見てインスピレーションを受けて作ったのだという(別にAQUASの公式タイアップ曲ではない)。


これらの作品群を聞くと、小室はこの頃どのような方向で行くべきかを、自由の利く配信音源の中で探っていたものと思われる。
ノルマとして作らざるを得なかったavexや吉本の楽曲では困難な音楽的実験を、DJ TKの活動で試みていたのだろう。


こうした中で小室は2006年秋以後、avex・吉本から楽曲の発表を行なわなくなる。
同じ頃には新会社TKCOM設立に向けて動き出し、年明けからここを拠点に国際的な音楽活動を展開することを目指した。
「TKCOM」は「TK」「KCO」を掛けた命名である。
中心となったのは楽曲のネット配信である。
TKCOMのサイトや小室のMySpaceでは、Gaballの「Represent_01」「Kuta Moon」のDJ TK名義のリミックスを公開したほか、年末にはiTunesで「Music Makes Me Wonder」をアメリカ・イギリス向けに配信している。


2007年初めには、男性歌手kimeruのプロデュースも発表された。
2007/5/16にはシングル「with you」がリリースされている。
2006/11/15に浅倉がkimeruに「Starry Heavens」を提供しており、その縁で紹介されたのかもしれない。


2007年には、DJ TKのアルバム制作も行なわれた。
年始には小室がアルバムリリースの予定に言及しているので、2006年中には決まっていたと見られる。
おそらくTKCOM設立準備と同じ頃に立ちあがった企画だろう。


この時は既発表トラックのリミックスの他に、新規のレコーディングも行なわれた。
レコーディングは難渋したが、2007/5/9には完了した。
リリース日は当初2007/5/23の予定だったが、レコーディングの遅れにより7/4に延期された。
タイトルは「Cream of J-POP~ウタイツグウタ~」である。


mF247ではアルバム制作中の4月から、Podcast「DJTK制作日記」が連日配信され、小室によって制作状況が簡単に報告された。
また5/9にはDJ TKのオフィシャルブログが立ち上げられたが、これは2020年現在でも残っている
ただ小室はブログにあまり積極的でなかったようで、たまに自らも記事を書くことはあったが、大部分はスタッフが予定を書くだけのブログになってしまった。


スタッフは一般のブロガーを集めてDJ TKプロモーションのための宣伝会議を開いたりしたが、本音を言えばプロモーションをどうすればよいか途方に暮れていたのだろう(なお参加はしなかったが本ブログにも声がかかった)。
その結果開催されたのが11/8~11の「DJTKメイドカフェジャック」だが、これは秋葉原のメイドカフェ「カフェ・メイリッシュ」でDJ TKグッズ(ラミネートカード)がもらえるスペシャルメニューが設けられただけで、しかも小室が来るわけではなかった。


11/11にはタワーレコード秋葉原店でメイリッシュのメイドが出演したインストアイベントも行なわれたが、リリースから4ヶ月も経って何をしているのだろうか。
なおこのイベントで「Cream of J-POP」を購入すると、先着100名で「Arashiyama(mF247 Limited Version)」のCDをもらえた。
これはmF247で配信されたものと同じ音源だが、CDを手に入れる機会はこの時しかなかった。


「Cream of J-POP」の収録曲は、既配信曲の「SOMEDAY」「アンジェリーナ」「ガッツだぜ!」「I Want You Back」の他(いずれもアルバム用の新アレンジ)、忌野清志郎「JUMP」、松任谷由実「Wanderers」、hide「Rocket Dive」が選ばれた。
また自身の曲からも、渡辺美里「My Revolution」、篠原涼子「恋しさとせつなさと心強さと」、TM NETWORK「Happiness×3 Loneliness×3」を選曲している。
「Happiness×3 Loneliness×3」はKCOボーカルで、「I Want You Back」と同様に、かつて「Tribal Kicks TV」のBGMとして放送されたもののリミックスである。
自身の曲がすべてSONY関係なのは、丸山を通して使用許可を取りやすかったためだろうか。


収録予定曲はレコーディング中にたびたび変更されており、TMの「Self Control」「Be Together」「Seven Days War」「Love Train」が候補に挙げられたこともあった。
この内で「Self Control (247 Special Mix)」はシンプルなオルゴール音色のインスト音源で、CDに記載されたURLにアクセスすると、期間限定でダウンロードすることができた。


正直に言って私はDJ TKの作品にさほどの魅力を感じなかったものの、常に欧米の流行を意識した発言をしてきた小室が、邦楽に目を向けた企画を出してきたことは興味深い。
「Cream of J-POP~ウタイツグウタ~」というアルバムタイトルを見ても、J-POPの歴史を自分なりに咀嚼し直したいという意欲がうかがえる。


その中に自分の曲を3曲加えたのは、J-POPの歴史に自らの音楽歴を位置付けたいという意識の表れでもあろう。
参考までに、「Cream of J-POP」収録楽曲をオリジナルの発表順に並べると以下のようになる。

「アンジェリーナ」(1980)
「SOMEDAY」(1980)
「My Revolution」(1986)
「Wanderers」(1989)
「I Want You Back」(1989)
「恋しさとせつなさと心強さと」(1995)
「ガッツだぜ!」(1995)
「Rocket Dive」(1998)
「Happiness×3 Loneliness×3」(1999)
「JUMP」(2004)


2007/1/5、小室は近田春夫とともにNHK FMの正月特番「ダブルDJショー」に出演し、80年代以後のJ-POPの歴史を2時間語り明かした。
すでに「Cream of J-POP」の企画が決まっていた時期に当たる本番組の内容は、小室の関心を反映したものでもあるのだろう。
小室もこの頃では珍しく、楽しそうにトークをしていた。


しばらく絶えていたメディア出演も、同時期に再開させる。
2006年秋からは翌年春にかけて、細木数子の「ズバリ言うわよ!」に、KCOとともに集中的に出演した(2006/10/3・12/23・2007/1/2・4/3)。
番組のチョイスとしては最悪の部類だが、小室はとにかくメディアに出る機会を求め、個人的な人脈を活用して、自らの活動を世間にアピールしようとした。


本番組では2006/10/3、アメリカの新人ラッパーNipsey HussleとKCOとのコラボによる坂本九「SUKIYAKI」のカバーが披露された。
この音源は後にTKCOMのサイトで公開され、2011年にはアレンジが加えられた上で、「Reality」のタイトルで「Digitalian is eating breakfast 2」に収録された。


2007/1/2には小室とKCOによるTKヒットメドレーライブが十数分放送された。
この日はYOSHIKIも出演している。
4/3には小室の自宅でロケが行なわれ、なんとStevie Wonderが招かれた。
小室の人脈総動員というところだろう。


この頃には小室は借金で困っているという噂が広まっており、
その噂を打ち消したいと思っていたという。
豪華な人脈をアピールした一連のテレビ出演も、その一環かもしれない。


2007年4月には、埼玉の尚美学園大学芸術情報学部の特任教授に就任する。
前年から関係者に打診していたものだろうか。
大学では音楽特論(新世紀音楽概論)を担当した。


以上が2005年から2007年前半の小室の動向である。
この時期の小室作品は、商業的にはほとんど成果を上げなかったが、どん底と言われるこの時期において、2006年終わり頃に再起を目指して、TKCOM設立・kimeruプロデュース・DJ TK名義のアルバム制作決定・メディア出演など、(成果の有無は別にして)新たな動きを示していたことはうかがうことができよう。
そのいずれもavexや吉本からは距離を置いたものであり、成果が出なかったそれまでの活動から離れて新機軸の活動に可能性を見出したものということができる。


これが何に起因するのかは、前章で触れたところから推測できるだろう。
前章で見た、2006年8月の小室の5億円詐取事件である。
小室は2005年の吉田麻美による印税差し押さえ以後、暴力団系の闇金融に頼りつつ、globe「maniac」やガチコラ楽曲の制作を行なう綱渡りの日々を送っていたが、2006年7月には借金返済の遅延によって追い詰められた。


この状況を打破すべく実行した5億円の詐取により、最優先案件だった闇金融および銀行への返済を果たした小室は、しばらく金策に苦しまず再度音楽活動に専念する道が開けた。
おそらくここで小室は、再起をかけて動き出したのである。


そして以前触れた通り、2007年6月にはTM NETWORKの活動再開が宣言された。
これは要するに、準備万端だったウツ・木根に小室が再合流する宣言にほかならなかったが、以上の時間軸を見れば、これもやはり5億円詐取を受けた小室再起の一環だったと見るべきだろう。
次章ではこれを踏まえて、TM再開の動向を確認していくことにしたい。

Cream Of J-POP ~ウタイツグウタ~ - DJTK
Cream Of J-POP ~ウタイツグウタ~ - DJTK

7-32 越えてしまった一線

ウツと木根さんによる「Spin Off T-Mue-needs」が7公演を終え、前半戦を終えました。
私も10/18の福岡公演に参加してきました。
これまでで一番良い席だったので、感激しました。
正直、配信で見ても微妙な気分だったんですが、現場で見ると何か盛り上がるものはありました。


セットリストは10/3のZepp DiverCity Tokyo公演で日替わりメニューが登場し、福岡公演はその変形メニューとなりました、
ネタバレ防止のためにコメント欄に書いておきますが、個人的には日替わり曲(4曲目)がとてもうれしかったです(しかも意外なアレンジで)。
しかし4曲目のもう1個の日替わり曲も聞きたかったので、そこらへんは残念でした。


セットリストは、今後もう少し微調整が入るかもしれません。
特に11/15の仙台公演では、浅倉さんの代わりに都啓一さんがキーボードのサポートに入るので、キーボードソロの曲は変わるかもしれません。


また12/1・2の追加公演も決まりました。
会場は「Dragon The Carnival」追加公演と同じく、中野サンプラザです。
キーボードは浅倉さんと都さんの2人とも出演します。
今公演数を増やせたということは、経営者側の収支も悪くないのでしょう。
なお11月からは会場でのグッズ販売が3点セットのみではなく、全種類行なわれるようになるそうです。


一方で毎年開催していたウツの年末ディナーショーは、今年はコロナウィルスの感染拡大を勘案して開催しないそうです。
まあそりゃあそうでしょうね。


木根さんは、10/12に神谷えりさんとのコラボライブ「eri kamiya meets naoto kine special live」を開催しました。
こちらは3000円で有料配信もありました。


また10/9・16には、WEBラジオ「伊藤銀次のPOP FILE RETURNS」に出演しました。
こちらはしばらくアーカイブとして公開されるようなので、まだお聞きになっていない方はどうぞアクセスしてみてください。


木根さんは自分のソロCDの他は、TMの「Decade」「All the Clips」の宣伝をしていましたが、今宣伝するのそれなんだ!?
「Get Wild」退勤の話題も出ましたが、木根さんは知らなかったフリをしていました。
またTMの再開の可能性について触れられた時、あまり積極的な発言はしていませんでしたが、来年はオリンピックがあるからその後でということを言っていました。
まだTM再開の話は固まっていないけれど、考えてはいるというところでしょうか。


10/12には、小室さんの配信イベント第2弾「Ground TK_002」の開催が発表されました
10/24(土)の19:00~20:00で、10/27までアーカイブされるようです。
視聴は税込み3850円です。


内容は、小室さんの講義(前回と同様に撮影済のトーク動画を流すのでしょう)と対談・ミニライブとなっています。
前回と同じ時間配分ならば、ミニライブは十数分でしょうか。
「Ground TK」シリーズは毎回対談を入れるようですが、今回はロンドンブーツ1号2号の田村淳さんが対談相手です。


またすでに告知されていた香川県三豊市父母ヶ浜で開催される「父母ヶ浜芸術祭Vol.0」中のイベント「TK/MusicDesign/父母ヶ浜」も、税込み5500円で有料配信されるそうです。
10/31(土)の16:00開始で、11/8まで配信されます。
instagramに以下のような説明が出ており、単独ライブイベントのようです。

日本のウユニ塩湖と言われる、香川県三豊市父母ヶ浜を舞台にした小室哲哉単独ライブ
「TK/MusicDesign」は、MusicDesignerである小室哲哉が、様々なロケーションで、環境や空間と融合した”音”をみなさまにお届けする配信ライブです。
小室哲哉が奏でる”音”をぜひ体感ください。


十数分のライブに4000円払うよりは、こっちの方が意味あるかなあ…と現時点では思っています。
ライブ開催後もしばらくは見られるようなので、課金するかどうか悩んでいる方はネット上の評判など見てから考えても良いかもしれません。


最後におまけ情報を。
「Get Wild退勤」のtweetでバズったshotacさんが、小室さんから直接お礼の動画を送られたそうで、その動画がご本人のtwitterにアップされています。
この件はネットニュースにも取り上げられています。
小室さん、ネットからのヒットを目指したいと以前言っていましたが、それが実現したことで嬉しかったのかもしれません。


では本題に入ります。
現実がよくなってきたところなのにとっても嫌な話になりますので、見たくない方はここらへんで引き返してください。
あの「事件」の話です。
こんな話を今頃蒸し返すなというご意見もあるでしょうが、私はこの事件に触れないと2007年のTM再開には言及できないと考えており、熱心なファンの方から反感を買うことは承知の上で書きました。


以前から述べているように、本ブログはTMの歴史を振り返ることを主旨としております。
もちろんTMや小室さんにはうまくいってほしいと思っていますが、私としては彼らを応援するファンサイトを作っているつもりも、ファンの交流サイトを運営しているつもりもありません。
色々と思うところがある方はいらっしゃると思いますが、この方針については逮捕と裁判の記事まで継続するつもりですので、ご了承下さい。

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これまで数回にわたり、2005~07年におけるウツ・木根の動向を見てきた。
そこに小室が絡む場面はほとんど見られず、TMの活動は完全に止まっていた。
ところがそうした中で、2007/6/7「Spin Off from TM 2007」のステージ上で、11月のTM NETWORKライブの開催が宣言された。
突如の告知だったが、その背後には何があったのか。


それまで「Spin Off from TM」に参加してこなかった小室の動向がこれに関わっていることは、容易に想像できよう。
要するに2007年6月以前に、小室にTM参加を促す何かがあったのだ。
そこで本章では、これまでの小室哲哉の動向を見ていくことにしたい。


なおこの動向の最終的な結末となったのが、2008/11/4の小室逮捕である。
これについては2009年の裁判記録があり、そこで事件に至る経緯が詳細に判明する。
もちろんそこで述べられたことがすべてではありえず、事件に関わることが裁判で必要な範囲で語られたに過ぎないという点は留意すべきであろう。


またこの事件の捜査を主任検事として担当した前田恒彦は、2010年9月に文書偽造をめぐるフロッピーディスクのデータ改竄事件で逮捕され有罪判決を受けたという、いわくつきの人物である。
この事件は、検察の想定する事件の構図に合わせるために、証拠となるデータの内容を書き換えたというものである。
前田は検察の読み通りの自供を容疑者から引き出すことで知られていたが、これ以前から疑惑の捜査がしばしば見られたという。


この疑惑の捜査の一つが、まさに小室事件だった。
2010/10/18のTBSの報道によれば、前田が立証上で邪魔なメールを削除するように、部下に指示したと証言した検事がいた。
ただしその部下は実際にはメールを消さずに、前田に消したと報告し、そのことは結果として捜査に影響しなかったという。
また検察庁によれば、前田も部下もこの件について否認しているとのことである。


この件には不鮮明なところも多く気になるところだが、供述調書をはじめとする事件の関係書類が、検察によって分かりやすく整理されている可能性は考えるべきだろう。
ただ細かいところは疑う余地があるとしても、そこで語られている事実関係については、矛盾が見出されない限り基本的に準拠して良いと考える。


この事件については経過についても不審な点があり、報道の当初も様々な推測が行なわれた。
この点は以前本ブログでも取り上げたことがあるが、「諸事情」で削除した経緯がある。
ただ本章の趣旨はそこにはないので、今回この点はあまり深く掘り下げず、事実関係の推移のみ整理することを心掛けることにしたい。


以下、具体的な叙述に入ろう。
小室は2003年には引きこもり状態となっていたが、TM NETWORKの楽曲制作に入った年末頃から音楽活動への意欲を高め、2004年4月から始まったTM20周年記念ライブも、無事遂行することができた。
TM20周年企画が6/25に終わると、小室は妻KCO(KEIKO)の実家山田家がある大分に拠点を移し、globe10周年ライブとサッカー事業を中心とした活動を行なった。
以上はこれまで見てきたことの確認である。


2003年とは打って変わって、2004年には積極的な活動に出た小室だったが、この頃それまで長く経理を担当してきたあるスタッフと対立してしまう。
そのスタッフは以前から小室に対して、浪費を抑えて出費を半分にしてほしいと伝え、SONYのスタッフからも忠告してもらったが、小室はこれを聞かなかったという。
浪費の多くは山田家に関わるものだったが、小室はこれに口出しをすることはなかった。


小室は2000年12月にはavexからプロデュース料として10億円を前払いされ、2001年9月には富士銀行(2002年からみずほコーポレート銀行)から10億円を借り入れていた。
みずほコーポレート銀行への借金は2005年までに7億円程度が返済され、avex前払い分も3億円近くは償還していたから、両者に対する負債20億円は10億円程度に半減していたはずだが、小室は2004年の時点で総額20億円程度の借金があったという。
avex・銀行以外のところに対して10億円程度の負債が発生していたらしい。
結局2001年の負債総額は、2004年になっても減っていなかったことになる。


経理担当スタッフはこうした現状を憂慮して小室に進言したのだろうが、逆に小室に疎まれ、7月には退社することになったと述べている。
後述する平根昭彦・木村隆がこれに代わって呼ばれたのは2004年5月なので、小室とスタッフとの関係破綻もこれを少し遡る頃と推測される。


小室は5月には大分のサッカーチームトリニータのスーパーバイザーに就任しており、これ以前からメインスポンサーの話も進められていたに違いない。
スタッフが小室に進言したのは、これと絡むものだろう。
トリニータのスポンサー契約料は月1200万円だったが、20億円の借金返済の目途が立たない中でこれを進めるのを止めようとしたと推測される。
平根は、小室がこの話を進めたのは山田家に対する見栄のためだったと述べているが、それが本当だとすれば、小室としては山田家に自分の仕事を誇示するという至上命題を、財政「ごとき」の問題でスタッフが反対することなど許せなかったのかもしれない。



こうして経理スタッフの離反を招いた小室は、新たなスタッフが必要となった。
そこで5月には友人を介して平根昭彦・木村隆に会い、協力を求めた。
かつては具体的な財政状況を把握していなかった小室も、この時には20億の借金があることを理解していたらしい。
おそらくスタッフとの騒動を経て、把握することになったのだろう。


小室はこうして、平根を社長、木村を監査役として、イベント会社Tribal Kicksを設立し、8月から待望の大分トリニータのメインスポンサーの地位を得た。
メインスポンサーとしての契約期間は1年半であり、この時点で小室は1200万円×18ヶ月=2.16億円の支払い義務を負うことになった。


なおこのTribal Kicksとまぎらわしいものに、Tribal Kickがある。
Tribal KickはかつてLittle Birdと言っていた小室の芸能事務所を2003年夏頃に改称したものである。
2003年10月~2004年10月の木根のFC会報には、会報の監修として明確に「Tribal Kick」と記されており、2004年設立のTribal Kicksとは別法人と思われる(木根は2004年までLittle Birdから引き続きTribal Kickに所属していた)。
平根・木村は小室のマネージメントも担当していたというので、おそらく2004年以後はTribal Kickにも関わっただろう。
小室の財政管理もイベント会社Tribal Kicksの業務ではなく、事務所Tribal Kickの業務と見られる。
(逮捕当時の報道は両者を混同してともに「トライバルキックス」として扱っている可能性がある)


いずれにしろ小室は平根・木村を迎えた5月から、実質的に新体制を取るようになったと見られる。
時にTM NETWORK20周年ライブの真っただ中のことだった。
小室が再起の意志を宣言する「Green Days」を作ったのも、この頃のことだった。


2004/5/20には、小室とKEIKOがROJAMの株を全額売却している。
借金返済の方策であるとともに、新体制に移るに当たっての決意表明でもあったのだろう。
小室はこれによってROJAM会長を辞任したと報道されている。
2003年下半期の小室・KEIKOの持ち株は4.2億株なので、これが全部この時に売却されたとすると(当時の株価は1株0.09香港ドル=約1.3円)、計算上では5.5億円程度の現金を得たことになる
株式上場当時の株価が74億円相当だったことを考えれば、確保した現金はその1割以下に過ぎないが、それでも当時の小室にとってはありがたい資金だったに違いない。


なお平根・木村体制下の小室は、借金返済と生活費で月1700~2300万円が必要だったという。
仮にこれが事務所運営費(人件費)やトリニータのスポンサー料を含むものだったとすれば、年間2.4億円の出費だったことになるし、含まないものだとすれば、それ以上の出費だったことになる。


後述の吉田麻美による年間1億円の差し押さえが始まった2005年には年収8000万円だったという証言があるので、それ以前の2004年の小室は1億8000万程度の年収があったと見られる。
だとすれば出費をもっとも少なく見積もっても、小室は赤字経営に陥っていたはずである。
7億円の臨時収入があっても、これでは借金はあまり減らなかっただろう。


小室逮捕後にインタビューに応じた関係者が一様に語っているように、当時の小室は様々な知人に借金の依頼をしていた。
平根・木村にも個人的に借金をしていたようで、木村は2004/9/1に小室の口座に9900万円を振り込んだという。
小室はROJAM株を売却した3カ月後には、すでに新たな借金が必要な財政状況に陥っていたと見られる。
時に小室が大分トリニータのスポンサーになってから1ヶ月も経っていない頃であり、スポンサー就任がいかに無謀な判断だったか分かる。


平根は、木村の9900万円振込の後、小室の楽曲から著名な3曲の著作権(この場合は著作権使用料取得権か)をTribal Kicksに譲渡させた。
これによって企業価値を高く見せ出資者を募ると小室に説明したが、結局融資は集まらなかったと、裁判の供述調書で述べられている。
小室は翌年の2005年7月、友人の喜多村豊(豊可)への借金2億円の代物弁済のために、喜多村が代表を務めるTK Tracksに290曲分の著作権を譲渡している(なお小室が権利を持っていたのは全806曲)。
さらに木村は、知人の実業家Sにも接触し、電話で著作権譲渡の話を伝えたが、断られたという。
後述の通り、木村は後にSに著作権売買の話を持ち掛けるが、その手口の片鱗はこの時点ですでに見えている。


新体制を築いた小室が金策に忙殺されている中で、小室の破滅を決定づける出来事が起こった。
小室は2004年8月を最後に、前妻吉田麻美への養育費及び家賃(月390万円)の支払いを止めてしまったが(9月には小室が財政難に陥っていたことは先述)、麻美はこれを受けて小室を東京地裁に訴え、小室の著作権使用料(印税)を差し押さえる権利を、2005年1月に認められたのである。
その金額は1年で1億円、総額7億8000万円だった。
ここに小室の印税収入は半減することになった。


ただしこの印税について、小室の得ていた印税は、JASRAC経由で支払われるものと、音楽出版社経由で支払われるものがあり、麻美の差し押さえが認められたのは前者であった。
本ブログではかつて、差し押さえの対象がすべての印税と考えており、その場合は一年の上半期は印税収入がなくなったはずと述べたが、それは誤りであった。
ただ借金返済に追われて苦しい資金繰りの中で、収入が半減したことの意味はやはり甚大だったと考えねばならない。


avexは2005年に入って債権の回収に乗り出した。
金策に追われた小室のプロデュース契約履行の見込みがさらに薄くなったと判断したものだろう。
小室はこれに対して返済の約束をして先延ばしをするとともに、2006年までavexの仕事を最優先させるようになる。
その成果が8月リリースの「globe2 pop/rock」であり、その後もglobeを続けるという宣言だった。


一方の大口債権者としてみずほコーポレート銀行があったが、こちらはavex以上に厄介だった。
小室は融資を受けた時に自らの著作権を担保にしていたから、返済不能と判断された時点で印税収入をすべて取り上げられてしまうことになるからである。
さすがに小室はこの返済は優先させていたものの、6月には延滞が続くようになっていた。
2005年の時点で未返済分は3億円余りだったという。
銀行は2005年7月、小室に対して担保の差し入れを要求したが、小室は優先的に返済することを約束して待ってもらった
だが年が明けた頃から、小室の返済はまた滞った。


このような中で、大分トリニータへのスポンサー料は2005年2月から支払われなくなる。
2004年8月から1年半の支払いの約束は、わずか半年で終わってしまった。
この延滞のタイミングは、1月の麻美の差し押さえ開始が契機になっていると見て良い。
このためTribal Kicksは、3月からトリニータのメインスポンサーから外されて一般スポンサーになったが、メインスポンサーを失ったトリニータは収支を悪化させた。


当時トリニータはすでに億レベルの債務超過に陥っており、小室のスポンサー料未払いが加わったことで存亡の危機に立たされていた。
そのため2005年9月には、Tribal Kicksの問題を公表する(なおどうやってしのいだかは不明だが、2020年現在でもトリニータは存続している)。
トリニータによれば、スポンサー料は8月までで7000万円が滞納されていた(Tribal Kicksの主張では5200万円)。


こうして小室が妻の実家を喜ばせようとして始めたサッカー事業は、むしろ大恥をさらす形で終わった。
思い描いていた再起プランが破綻した小室は、以後延々と金策を行ないながら、前払い金返済の要求を免れるためにavexの楽曲制作を続けるという、地獄のような日々を送ることになる。


ここまでの小室の動向を整理すれば、以下のようになろう。

・2004年8月から大分トリニータへのスポンサー料支払い開始
 →9月から麻美への慰謝料・養育費支払いを停止
・2005年1月から麻美による印税差し押さえ
 →2月にトリニータへのスポンサー料支払い停止


ここまで来れば小室はもはや破産するしかないように思われるが、小室はKEIKOやその実家に窮乏の様子を見せたくなかったというから、その選択肢にはなかなか踏み切れなかったのだろう。
小室に金を貸していた木村も、破産を思いとどまらせることはあっても勧めることはなかったはずである。
平根も小室の連帯保証人になっていたため、自らの破滅を回避するためにも、小室を止めるわけにはいかなかった。
小室は自らが作りだした人間関係に縛られて、自転車操業の継続を強いられてしまったと言えるし、それを振り払う決断もできなかった。


そもそも慰謝料・養育費は非免責債権の一つで、破産によっても免除されない。
また破産手続きを行なえば、著作権使用料取得権は破産管財人によって債務者に引き渡される見込みが高く、そうなれば小室は印税収入無しで7億8000万円を完済を義務付けられることになる。
つまり小室をもっとも追い詰めていた慰謝料・養育費は、法的措置を取られた時点で何としても払い続けるしかなかったのである。
こうなれば小室は、麻美の差し押さえが完了する2012年まで金策を続け、走り続けるしかない。
なんという絶望的な状況だろうか。


このような状態の小室に、麻美はさらに追い打ちをかける。
すなわち2005年9月、小室の不倫とKEIKOの略奪婚、そして慰謝料・養育費未払いの件を、週刊誌およびテレビで暴露したのである。
この時点で麻美はすでに年間1億円の印税差し押さえを認められて実行していたのだが、その件については一切触れることなく、小室の家賃支払い停止によってマンションを追い出された悲劇のシングルマザーとして自己演出した。

7-32.jpg


麻美は2005年に音楽活動を再開し、4/6には「Strong Woman」、11/16には「If you feel me?」をリリースしたが、ほとんど売れなかった。
おそらくこの暴露運動は小室への復讐とともに、不振だった音楽活動の宣伝も目的としたものであり、実際にテレビに出演した時にもちゃんと宣伝を行なっている。
ただこの宣伝はほとんど効果がなかった。
翌年リリースのアルバム「BADONKADONK」は248位・653枚という散々な成績に終わり、以後新譜のリリースは行なわれなかった。


麻美の意図はともかくとして、この件は小室に意外なダメージとなった。
麻美の暴露話(およびおそらく同時期のトリニータの件も)によって、小室の財政状況が金融業界に知れ渡り、借金に応じてくれるところがなくなったのである。
小室は年末には平根から、「もうまともな会社からは借りられない」と言われていたという。


小室は危険を覚悟の上で、2005年12月にワシントン・グループの河野博晶という人物から1億7000万円を借りた。
河野が主要株主を務めるA・Cホールディングズ(旧南野建設)は、これ以前に株価操縦事件など、きな臭い事件を起こしていたところである。
平根によれば、山口組系暴力団と深い関係が噂されているところだった。


小室はこの1億7000万円を各所の借金返済に充てた上、返済期限の2006年2月までに借金の返済ができなかったため、平根を通じて3億円の追加融資を依頼して、そこから1億7000万円を返済した(返済期限が伸びる代わりに利子が増えた)。
3億円の返済期限は5月だったが、印税が差し押さえられている中で返済などできるはずがない。
その返済は8月まで延びた末、常軌を逸した方法で返済されることになる。


この借金の金利は、なんと月利5%だった。
ならば1億7000万円も、2月に返済した時点では1億8700万円程度に増えていたはずで、額面では3億円借りたと言っても、手元に渡ったのは1.1億円余りだったと見られる。


この3億円を8月に一括返済する場合、利子は約34%になり、総額で約4億円を返済する必要がある。
実際に小室が8月に返済したのは3.44億円だったので、本来の返済期限の5月に5000万円程度を返済していたのだろう。
((3億円×1.05^3-5000万円)×1.05^3=3.4415億円)
となれば、小室は約2.8億円(1.7億円+1.1億円)を受け取った8カ月後までに、総額約3.9億円(0.5億円+3.4億円)を返済したことになる。
3億円弱の負債が半年余りで1億円以上増えたということである。
目先の問題を先送りするために長期的に債務を増やす選択を採ることは、これ以外にも多々行なわれてきたに違いない。


小室にはもう金を借りるあてもなく、河野だけでなくみずほコーポレート銀行への返済も延滞せざるを得なくなる。
この頃には税金も滞納していたようで、2008年には港区役所から印税の差し押さえを受けるに至っている。
この時点で銀行はついに債権の回収は困難との判断を下し、2006年7月にはTribal Kicksにその旨を連絡した。


小室は8/1に銀行員と面会し、延滞分を8/3・11・31日に支払うことを約束して納得してもらったが、この約束が果たされない場合は法的措置を取ると告げられた。
いわば銀行からの最後通告であった。
小室はいよいよ追い詰められた。


8月の返済額は総額4000万円だったが、仮に印税が入ってきても月1000万円程度の見込みであり(5ヶ月で5000万円)、全額を支払うにはとても足りなかっただろう。
そして担保の著作権をすべて奪われてしまったら、河野への借金返済は絶望的である。
数億円の借金を背負ったまま裏社会に一生付きまとわれることになることは必定である。


このようにX-DAYを目前に控えた2006年7月、平根と木村は小室に、以前出資をお願いしたSのことを伝えた。
2人はこれまでも何度かSと接触し、小室の持つ楽曲の著作権を担保として5億円の融資を依頼していた。
小室が著作権を担保として銀行から借金したことで追い詰められていたにもかかわらず、彼らはまた同じことをしようとしたわけである。


Sはこれを断ったが、著作権自体には関心を持ち、著作権の購入ならば考えるという姿勢を示した。
これは印税受取の権利ではなく(おそらくTribal KicksやTK Tracksへの著作権譲渡はこちら)、著作権自体の取得を意味するものだった。
そこで平根・木村は小室も連れて、7/30に東京の芝公園のホテルでSと面会し、10億円での著作権売却の約束を取り付けた。


後日木村はSに電話して、まず1億5000万円を振り込んで欲しいと伝えた。
その期日は8/3だったが、これは銀行への最初の返済日を念頭に置いたものであろう。
だがSは、頭金を支払う前に合意書も交わすことを主張する。
そのため8/3の銀行への返済は、木村が立て替えた。


小室らは8/7にまたSと面会して話し合いを行ない、書類の件も含めてSと合意を得た。
なおこの時小室は、ピアノで作った「dependent」という曲のCDをSに渡した。
どういう曲かは不明だが、「Wow War Tonight」のサビの部分が入っていたという。


Sはこれを受けて、8/9に1億5000万円を、8/29に3億5000万円を振り込んだ。
それぞれ8/11・31の銀行への返済を意識したものだろう。
小室らはSに対して、10億円の内でまず5億円を振り込むように依頼していたが、2度の送金はこれに応じたものだった。
小室の印税は麻美によって差し押さえられているため、慰謝料・養育費の残額を一括で支払ってこれを解除し、Sに著作権を売却するという理屈だった。
5億円を一括払いすれば差し押さえを解除する合意が麻美との間にできていると、小室は説明したという。


だがこれまで見てきたように、小室がSを頼ったのは、銀行や河野への借金返済のためだった。
実際にこの5億円は、銀行・河野や木村の立て替え分(1億5000万円)の返済に充てられて、たちまちなくなった。
当然麻美の差し押さえも解除されず、Sへの著作権移転も行なわれなかった。


そもそも806曲中の3曲の著作権使用料取得権はTribal Kicks、290曲はTK Tracksにすでに譲渡しているのであり、これらも再移転しない限り、Sは806曲分全部の印税を得ることはできない。
また印税の取得権だけならばともかく、小室の著作権自体はSONYやavex・R&Cなど音楽出版社に譲渡されており、小室がこれを売却することもできない。


この中で著作権が自分の手元にないことについて、小室は認識していなかったという。
一方で著作権使用料取得権の二重譲渡の問題については、すでに平根が問題を指摘して消極的な態度を取っていた。
だが木村は、いずれSに真実を知られた時には小室のビジネススキームを提示して納得させるか、または別の人から借金をして返済すればよいと主張した。
小室もこれに同意したが、完全にその場しのぎの詐欺行為である。
小室・木村はこのことによって後に詐欺罪容疑で刑事告訴されたが(犯行を主導したのは木村とされた)、これに反対した平根は不起訴となった。


もちろんSは著作権移転が実行されないことに気が付いた時点で、苦情を言ってくる。
木村は売却額の総額を10億円から7億円に減額することで一回Sを納得させたが、これも所詮は時間稼ぎに過ぎず、結局最後まで著作権は移転されなかった。
これが小室の逮捕へとつながっていくわけだが、その結末については後に回すことにして、次章ではこの前後の時期の小室の音楽活動について見ていきたい。

(2020/10/20執筆、2020/11/19・2021/4/14加筆)

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