7-10 TM NETWORK tribute LIVE②

10/19、avexの松浦勝人さんのtwitterに、
「大先輩の前ではいつも緊張してしまう。」のコメントとともに、
小室さんの写真がアップされました
松浦さんの前後のtweetを見るに、
avex関係者のパーティがあった模様です
小室さんは松浦さんの横で、
リラックスした表情で赤ワインを飲んでいます


小室さんの写真はゴシップ誌に出たものを除けば、
小室さんが5/7に自分でInstagramにアップしたものが最後でした
感覚的なものですが、今年の写真では顔色は一番優れているように見えます
休養中に状態が改善したのでしょうか
それならば嬉しいことです
耳鳴りも軽くなっていると良いですね


ウツ恒例の年末ディナーショー「Fan Party & Live Through 2018」の開催が、
10/12に告知されました
12/23ヒルトン東京お台場で行なうそうです
まあFC限定なので、ここで書いてもしょうがないんですけども


ウツは「Tour Thanatos」の最中です
実は私、10/19のZepp Namba公演を見に行きました
ツアー中なのでセットリストに言及することは控えますが、
小室さんの曲をメインに持ってくる曲順になっていました
「こっちのバージョンか!」と思ったのもありましたが、
それなりに楽しく聞かせてもらいました
あとウツの声はとても良かったです
この点はホント、大したものだなと思います


木根さんは、来年Sing Like Talkingの佐藤竹善さんとコラボライブを行ないます
会場は2/1名古屋の日本特殊陶業市民会館、3/19神戸国際会館です
木根さんが竹善さんのラジオ番組に出演していることは前回書きましたが、
こういう企画があったんですね
意外な流れになりました


では本題に入ります

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「TM NETWORK tribute LIVE -Utsu&Kine's Selection from TM Songs-」は、
2003/5/27~6/27の1ヶ月間開催された
当初は6/20まで6会場8公演の予定だったが、
後に6/26・27のZepp Tokyo公演が追加され、7会場9公演となった


規模の上では10都市15公演を回ったTMの「Tour Major Turn-Round」には及ばない
「Tour Major Turn-Round」ファイナルは5000人の東京国際フォーラムだが、
「tribute LIVE」は最大でも3600人のNHKホールであり、
この点でもスケールダウンしている感は否めない
小室不参加が決まった時点で、
大型の会場を小規模な会場に変更したのかもしれない


サポートはキーボード浅倉大介、ギター葛城哲哉、ドラム阿部薫である
葛城は「Tour Major Turn-Round」にも参加したが、
阿部の参加は2000年「Yes To Life Festival」以来となる


浅倉は「4001 Days Groove」のゲスト出演を除けば、
1992年「EXPO Arena “Crazy 4 You”」以来11年ぶりのサポートだった
この時の浅倉は葛城・阿部とは別格の扱いで、
浅倉ファンの動員も期待されていたらしい
浅倉のFCでもチケットの優先予約が行なわれている


ステージ上では中心にウツがおり、
観客から見て左に木根、右に葛城が立ったが、
その間隔は広めに取られ、
観客からはウツ・木根の間に浅倉、
ウツ・葛城の間に阿部が見えるようになっていた
つまり左から木根・浅倉・ウツ・阿部・葛城と、
並んで見える配置となっていた


前章で触れた通り、本ツアーのコンセプトは、
オリジナル通りのアレンジで過去の曲を演奏する、というものだった
基本的に「終了」以前の曲をなじみのあるアレンジで聞いて楽しむライブだった
したがって演奏面で特筆すべき点はない
ただ「The Point of Lovers' Night」「Self Control」「Dive Into Your Body」などは、
「終了」前のTMのライブバージョンを意識した演奏となっている


凝った演出も特徴的なステージセットもない
ステージ上方にはミラーボールがあり、
曲によってはここから照明が出たが、
取り立てて珍しいものでもない


ウツは本編序盤・中盤・終盤で上着が替わり、
序盤では白黒のチェック柄のジャケット、
中盤では黒地に白の模様の入った上着、
終盤では紫地に白の模様の入った上着となっている
木根も前半ではストライプ模様のジャケットを着ていたが、
終盤では白単色のシャツを羽織った


アンコールでは5人とも、
ツアーグッズのシャツを着てステージに現れた
(ウツ・木根はその上にジャケットを羽織っているが)
アンコールでツアーグッズの宣伝をするというあたり、
いかにも「普通」のライブである


こうした分かりやすい営業活動は、
それまでのTMでは見られないものだったが、
ウツ・木根は自らのソロ活動での経験から、
抵抗はなかったのだろう


ツアーグッズにはサイリウムが登場したが、
これもそれまでのTMにはなかったと思う
DVDを見ても、観客がサイリウムを振る様子は、
あたかもジャニーズのライブの如き様相を呈している
おそらくサイリウムはそれまでも需要はあったのだろうが、
小室抜きとなったことで制約がなくなったのだろう


演奏曲は全19曲で、公演時間は2時間余りだった
ツアータイトルに「Utsu&Kine's Selection」とあるように、
選曲はウツと木根が行なった
二人のミーティングですぐに決まったらしい
ウツ側の資料では3/11、木根側の資料では3/16とされている


セットリストは「終了」以前の楽曲から幅広く選ばれており、
通常のTMのライブと比べて、
ファンの方を向いていると思えるラインナップである
ミニアルバムやリプロダクションアルバムを含む全アルバムから、
最低1曲は選ばれている


これに先行する同様の趣旨のライブとしては、
2000年の「Log-on to 21st Century」があったが、
その時は5thアルバム「humansystem」の存在感が大きかった
それに対して「tribute LIVE」では、
3rd「Gorilla」と4th「Self Control」の存在感が大きく、
前者からは4曲、後者からは5曲選ばれている
これだけで約4割を占めることになる
なお「humansystem」の曲は「Kiss You」のみである


「Log-on to 21st Century」との曲のかぶりは意外なほど少なく、
「永遠のパスポート」「Kiss You」「Self Control」「Get Wild」「Beyond The Time」「Dive Into Your Body」の6曲だけである
しかも「永遠のパスポート」「Dive Into Your Body」は日替わり曲だった
この点は意識して、かぶりを減らしたのかもしれない


このライブで演奏されたレア曲としてはバラードがある
たとえば「Girl」はシングルであるにもかかわらず、
「TMN 4001 Days Groove」の選曲から漏れた曲だった
これが演奏されたのは実に1987年「Kiss Japan Tour」以来のことである
ウツが好きな曲ということで選ばれたのだろう


「Fool on the Planet」も人気曲であるにもかかわらず、
1988年「Kiss Japan Dancing Dyna-Mix」以来演奏されていなかった
2002/12/24NHK FMのTM NETWORKスペシャルで、
小室とウツがこれを良い曲と言っているが、
そうした評価も選曲の背景にあろう
この曲は翌年「Double Decade Tour」でも演奏されている


なお「1/2の助走」もレア曲で、
TMのフルライブでは7回しか演奏されたことがないが、
(1984年5回、1985年1回、1994年1回)
「TMN 4001 Days Groove」の映像が存在していることもあり、
上記2曲ほどのレア感はなかったかもしれない


ファンにとってもっとも嬉しかった曲は、
「Spanish Blue」かもしれない
この曲はウツが好きな曲だったが、
「Fanks! Bang The Gong」の初期数公演と「Fanks Cry-Max」
「LIVE TOMATO」での特別ライブの、
合計10回前後しか演奏されたことがない
冒頭と終わりの手拍子は、
一度やってみたかったファンも多かったはずだ


「終了」前の定番曲でも、
再始動後初めての演奏となった曲は少なくない
「Come on Let's Dance」「You Can Dance」「Don't Let Me Cry」「Love Train」などはその例である


「Get Wild」「'89」バージョンで演奏されたが、
実は「Get Wild '89」が演奏されたのは、
1989年「CAROL Tour」「Camp Fanks!! '89」と1994年「TMN 4001 Days Groove」くらいしかなく、
しかもそれらはCDとはかなり異なるアレンジだった
CDのままの「Get Wild '89 」がステージで演奏されるのは、
かなり珍しい光景だった


ライブ本編中盤では、「帰ってきたフォークパビリオン」コーナーが設けられた
これはかつて1991~92年の「Tour TMN EXPO」で、
ウツ・木根・浅倉の3人で昔の歌謡曲とTM曲を、
アコギとピアニカで演奏すると言うものだった
このツアーでは小室がいなかったこともあり、
このコーナーを復活させたのである


このコーナーでは「Tour TMN EXPO」の時と同様に、
歌謡曲もTM曲も日替わりとされた
ただ「Tour TMN EXPO」では曲が毎日変更されたが、
「tribute LIVE」ではTM曲は3曲が交替で演奏された


また「Tour TMN EXPO」では歌謡曲もTM曲も、
数曲ずつ1番だけを演奏したが、
「tribute LIVE」では1曲ずつフルコーラスを演奏した
この点では「EXPO Arena」のフォークパビリオンと共通する


このコーナーでは、長時間のMCもあった
歌謡曲とTM曲の前にそれぞれ10分程度、
合計20分も設けられた
曲の演奏も入れれば30分であり、
実にライブの1/4はこのお遊びコーナーだった


本ライブのリハーサルは5/16から行なわれた
本番の11日前である
浅倉はaccessのツアー中だったから、
そのスケジュールの合間を縫って断続的に行なわれたものだろう


以上がライブの概要である
以下ではライブDVD「TM NETWORK tribute LIVE 2003」を参照しつつ、
おおまかなライブの流れを確認しよう


会場に「Give You A Beat」のCD音源が流れ出す
幕が掛かったステージが一瞬明るくなった後、
会場全体が暗転し、「Give You A Beat」がカットアウトする


「Wild Heaven」冒頭の「Just Wild Heaven」の声のSEとともに、
幕にウツの影が映し出される
客席の歓声が上がるとともに、幕が落ち、
「Wild Heaven」イントロが始まる


「Wild Heaven」の後は「Get Wild '89」
この曲は2005年の「Spin Off from TM」でも演奏されており、
浅倉が好きなのかもしれない
浅倉はゲゲゲゲのサンプリングボイスを楽しそうに弾く
葛城のギターも光る曲である
次の「Don't Let Me Cry」では、
浅倉が間奏でシンセをウィンウィン言わせている


以上、冒頭の盛り上がり曲3曲を終えると、
ウツのMCが入る

どうもこんばんは! 「TM NETWORK tribute LIVE」へ、ようこそ! えーみなさんも御存知だと思いますが、今回のライブはですね、えー木根君と僕とで、TM NETWORK、TMN、「終了」間近(の曲)までの中で、2人で選曲したライブです。えー、ということでね、いろんな曲が飛び出てくると思うので、最終日ということもあって、もう、思い切り楽しんでいってください。


ここからはミディアムテンポの曲が続き、
「Beyond The Time」「Fool on the Planet」「The Point of Lovers' Night」が演奏された
「The Point of Lovers' Night」のアウトロは、
TMN時代のライブアレンジを意識したものだった


ウツが一時退場し、ステージ前方に椅子が並べられる
「帰ってきたフォークパビリオン」コーナーである
ウツは上着を替え、木根と並んで座りトークを始める
ここでは「Tour TMN EXPO」時代のフォークパビリオンに因んで、
日替わりでフォーク風のグループ名とウツ・木根の芸名が決められた
これは2008年以後開催された「EXPO Folk Pavilion -Revival-」でも行なわれている


このコーナーでは途中から、
浅倉大介もピアニカを持って登場し、トークに参加した
合計10分ほどトークが続くと、歌謡曲の演奏に入る
演奏曲は毎日替わった
以下に各公演のグループ名と演奏曲をまとめておこう


・5/27大阪厚生年金会館:なんでやねん!
 久保田早紀「異邦人」
・5/28大阪厚生年金会館:チャウチャウ
 ペドロ&カプリシャス「五番街のマリーへ」
・5/30愛知県芸術劇場:きし麺問屋
 ゴダイゴ「ガンダーラ」
・6/5渋谷公会堂:東海道五十三次
 杏里「オリビアを聴きながら」
・6/7NHKホール:年末塾
 山口百恵「いい日旅立ち」
・6/8NHKホール:BS隊
 荒井由美「冷たい雨」
・6/13Zepp Sendai:離宮
 ヴィレッジ・シンガーズ「亜麻色の髪の乙女」
・6/15Zepp Sapporo:いっこくどう
 沢田研二「危険なふたり」
・6/20Zepp Fukuoka:どんたくス
 桑名正博「セクシャルバイオレット№1」
・6/26Zepp Tokyo:東京台場カシコマリーズ
 テレサ・テン「時の流れに身をまかせ」
・6/27Zepp Tokyo:海浜ウェストゲートパーク
 岩崎宏美「聖母たちのララバイ」


歌謡曲が終わると、葛城と阿部も登場し、
五人で横一列に並んで座った
以後10分ほど、「ごきげんだよ」のコーナーが設けられた
このコーナーでは参加者がサイコロを振って、
出た目に書かれたテーマでトークを行なった


これはTV番組「ごきげんよう」のパロディである
木根がツアー前の2003/3/18~20に同番組に出演したため、
この企画を思いついたのだろう


以上が終わると、TM曲のアコースティック風演奏が行なわれる
浅倉はピアニカではなくシンセを演奏し、
ウツ・木根・葛城はアコギ、阿部はカホンである
このライブで唯一、
オリジナルと異なるアレンジを聞くことができる部分だった


初日5/27には「Just One Victory」
2日目5/28には「永遠のパスポート」
3日目5/30に「Fantastic Vision」が演奏され、
以後この3曲が順番に演奏された
特に「Just One Victory」はオリジナルとかなり印象が異なる


なお「Just One Victory」「Fantastic Vision」は、
かつて「Tour TMN EXPO」のフォークパビリオンでも演奏されたが、
「永遠のパスポート」はこの時初めてフォークパビリオンでの演奏となった
最終日6/27には「永遠のパスポート」が演奏されたため、
DVDにはこの曲が収録されている




以上でフォークコーナーは終わり、
5人それぞれ持ち場に戻る
この後は「1/2の助走」「Girl」と、バラードが続く
この2曲が終わると、ウツが両手を上にあげ、観客と一緒に手拍子
「Spanish Blue」である
この手拍子は曲の終わりのサビ繰り返しの部分でも行なわれた


ウツ・木根が退場し、浅倉に照明が当たる
曲は「組曲Vampire Hunter”D”」
浅倉も一度自分で演奏してみたかった曲だろう


導入は「魔物たちの夜」である
ついで「Dのテーマ」「約束」では、
シーケンサやドラムなどを入れず、
じっくりと手弾きを聴かせる
最後は阿部のドラムと葛城のギターも加わり、
「Dのテーマ」を荘厳な雰囲気で演奏した


「Kiss You」イントロが流れる
ウツ・木根が着替えて再登場
ライブ終盤の始まりである
この後は「Come on Let's Dance」「Love Train」「You Can Dance」と、
盛り上がり曲が続く


「You Can Dance」間奏では、
木根が浅倉ブースに入ってシンセを少しいじった
ウツは観客にボールを投げたり、握手したり、
阿部に食べ物を食べさせたりと、
お遊びの時間となっていた
この点は80年代FANKS時代のライブの再現を志したものだろう


本編最後は「Self Control」
イントロを間奏のフレーズで始め、
ライブバージョン特有の手弾きフレーズも加わっている
以上5曲の盛り上げ曲連発でライブ本編は終わり、
ウツが「どうもありがとう」と言うと、
メンバーはステージから退場した


アンコールではメンバーがツアーグッズのTシャツを着て、
ステージに再登場した
そして「Seven Days War」を演奏すると、
メンバーはまた退場した
初日公演はここでライブ終演となった


だが公演2日目の5/28以後は、
この後にダブルアンコールが設けられた
5/28は「All-Right All-Night」
5/30は「Dive Into Your Body」が演奏され、
その後はこの2曲が順番に日替わりで演奏された
なお「Dive Into Your Body」の2番の後は、
「Camp Fanks!! '89」などのライブバージョンに準じたアレンジで演奏された


ダブルアンコールの部分は、
6/26・27の追加公演でさらに変更された
まず6/26には「Time To Count Down」が演奏されている
この曲は全公演の中でも、この日しか演奏されていない
ただしこれ以前からこの曲はリハーサルでは演奏されていた
投入するタイミングを逸してこの日まで来てしまったのだろう


6/27には通常に戻り、「All-Right All-Night」が演奏された
その後メンバーは退場したが、
この日だけの特別サービスがあった
トリプルアンコールとして「Dive Into Your Body」が演奏されたのである
この日だけ、演奏曲が1曲多かったことになる


以上でライブが終わると、
メンバーは観客に手を振ったり、物を投げたりし、
ステージ脇に退場していった
客席にはBGMに「Castle in the Clouds」が流れ、終演を告げた


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FANKS! CRY! MAX!

色々と忙しくて、更新遅くなりました
10/3、「Fanks Cry-Max」増補版Blu-rayが発売されました


本商品のリリースについては、早くから告知されていましたが、
9月に入ってDVDのリリースも発表されました
 *当初からDVDリリースも告知されていたそうです(本記事haruさんコメント)
こちらだと定価3500円です(Blu-rayは4500円)
公式発表では映像と音をレストア・リマスターしたことになっていますが、
今回のBlu-rayと前回のDVDの画質の差は大してありませんので、
DVDで十分と思います


今回のアピールポイントは、
「Dragon The Festival」「Nervous」の収録でした
前者の「Dragon The Festival」は、
これまでDVD最後のライブダイジェスト映像に3番の音源が1分ほど使われており、
映像も1部使われていましたが、
ちゃんとした形で映像が出ることはこれまでなく、
その点でこの曲が入ったのは、なかなか注目されるところでした


この曲は毎回演奏が10分もの長さに及んだため、
当時のライブビデオには端折って収録されましたし
「Fanks "Fantasy" Dyna-Mix」)、
ライブCDにも収録されることがありませんでした


この曲はFANKS時代のTMのライブには欠かせないものであり、
必ずライブ終盤に演奏してみんなで体力を消耗する時間となっていました
しかし現在のライブ関連商品の乏しさのため、
この頃の「Dragon The Festival」の雄姿は後世まで伝えられず、
TMN以後のファンにはこの曲の存在感があまり強くありません


2015年の「TIME MACHINE BOX」付属DVDに、
「LIVE TOMATO」で演奏された1988年の「Dragon The Festival」が収録されたことは、
この点で画期的でした


ただしこちらは「Kiss Japan Tour」に準じたアレンジでした
私は1986年「Fanks Dyna-Mix」から1987年「Fanks Cry-Max」の時期のアレンジが好きなので、
「LIVE TOMATO」の映像は嬉しく見ていたものの、
もう一個前の時期の映像がなんとか見られないかなあ…と思っていました
そこで今回の情報を聞き、大変楽しみにしていた次第です


一方「Nervous」は、
すでにプレゼントビデオ「Fanks The Live 4」に収録されていたため、
期待度はそんなに大きいものではなく、
あのビデオがそのまま入るんだなあてくらいにしか考えていませんでした
ただビデオではアウトロの部分がカットされていたので、
あわよくばその部分が入ってくれるかもなあ…くらいの期待でした


以上のような発売前の状況でしたが、
その後不安な情報が、後出しジャンケンのように出てきました
amazonのサイトに、収録時間が50分と表記されたことです


旧版DVDは、Warningとかの部分や宣伝映像などを除くと、39分余りでした
つまり2曲分で収録時間が11分しか増えていないことになります
ライブの「Dragon The Festival」が10分近く演奏されていたことを考えれば、
この時間は短すぎるのではないか?という疑念がここで生まれました


この疑念への回答は、商品が手元に届いてから得られることになります
なんと「Dragon The Festival」は、
2番後の間奏からしか収録されていないのです!
考えてみれば、2曲追加とはあっても、
2曲を完全収録するとはどこにも書いていませんでした


「Fanks "Fantasy" Dyna-Mix」には「Dragon The Festival」が3番の直前まで収録されているから、
両方合わせればライブバージョンの全貌は分かるでしょう?というところでしょうか
しかしこんな中途半端な収録をすることは、事前には一切告知していませんでしたよね、SONYさん?

ホントにクズだな、お前!


なお増補版の実際の収録時間は48:58で、50分もありませんでした
多分Warningの部分とか商標表示の部分とか、
そこらへんを含めて50分ということだったのでしょう
また旧版の最後にあったダイジェスト映像もなくなっていました
収録内容の出入りがややこしいので、以下に整理しておきます
秒数はあくまでもおおよその目安としてご参照ください



旧版本編37:53(無し)ダイジェスト映像1:12宣伝映像0:41
増補版追加2曲11:05(無し)



以上を踏まえた上で気にかかったことがあります
それは楽しみにしていた「Dragon The Festival」ではなく、
「Nervous」の方です
増補版「Fanks Cry-Max」(以下「新」)への収録に当たって、
「Fanks The Live 4 The Fanks」(以下「4」)をそのまま使ったわけではないようなのです


たとえば「4」では1番の後の間奏で、
17・18フレーズ目だけブラス系の音がなくなります
実際にライブでブラス音が消えていたことは、
ビデオ発売の2年前にNHK-FMで放送された「Fanks Cry-Max」のライブ音源でも確認できます
音のメリハリをつけるために小室さんが加えたアレンジでしょう
しかしこれを何かのミスと考えたためか、「新」ではブラス音が追加されています
こういうのは余計な手を加えずにライブのままで出してほしいものです


ただそれ以上に重視したいのが映像です
「新」と「4」では、使われているカットが全然違うのです
たとえばイントロは、「4」では以下のようになっています

・1フレーズ目、ステージ遠景(客席右側から)
・2フレーズ目、ステージ全体(正面から)
・3フレーズ目、ウツアップ(左から)
・5フレーズ目、小室アップ
・6フレーズ目、山田アップ
・7フレーズ目、小室アップ
・8フレーズ目終わり、小室・山田
・9フレーズ目、ステージ遠景
・13フレーズ目、ウツアップ(左から)
・17フレーズ目、小室・山田
・21フレーズ目、ステージ全体(ステージ背面から)


これに対して「新」では以下のようになっています

・冒頭にイントロ前のシーケンサあり(「4」には無い)
・冒頭、ステージ遠景(客席右側から)
・2フレーズ目終わり、ウツアップ(左から)
・5フレーズ目、ステージ全体(正面)
・5フレーズ目終わり、山田アップ
・6フレーズ目終わり、小室アップ
・8フレーズ目終わり、小室・山田
・9フレーズ目、ステージ全体(正面)
・13フレーズ目、ウツアップ(左から)
・17フレーズ目、小室・山田

全体として、画面の切り替えの頻度が、
「4」よりも「新」の方が少ないことが分かります
メンバーの動きをじっくりと見られる仕様と言えます


ただし歌に入った後は、むしろ「新」の方がカットが増えます
特に2番について、「4」はAメロからBメロが終わる直前まで、
客席右側のカメラで撮った映像をずっと使っています
これに対して「新」では、

・「コンクリート座り込む」:客席左カメラ
・「口笛忘れたStray Kids どんなに楽しい夜も」:客席右カメラ
・「帰る時は独りさ」:ウツアップ(背面カメラ)
・「約束いつまでも待ってる 大人になりたくはないさ」:客席右カメラ
・「うつろに流れてる背中に」:小室・木根アップ
・「ひろがる夢なんか見えはしない」:ウツアップ(ステージ左カメラ)

となっており、場面がはるかに頻繁に切り替わっています


「新」ではこれまで見られなかった新カットをたくさん見ることができますが、
逆に見られなくなった映像もあります
たとえば以前はイントロで、
ステージと客席が一緒になって「Nervous」ダンスをやっていたのが印象的でしたが、
それも見られなくなりました
私が今回の異変に気付いたのも、この部分を見た時でした


正直、カットが変わったからどうした?と思われる方が、
ファンの大部分だろうと思います
しかしこれは今回の商品だけに関わらない問題をはらみます
数年前にSONYは「CAROL Deluxe Edition」リリース時に、
「奇跡的に発見された」テープとやらを使って、
素材からライブ映像の再編集を行なったわけですが、
今回の「Nervous」も素材から編集を行なったものだとすれば、
「Fanks Cry-Max」も同様に素材が保管されていることになります


もしもすでに素材が廃棄されているのならば、
どんなに要望を出しても、編集済み映像以外が発表されることはあり得ません
今回追加予告された2曲が、どちらも不完全ながら発表済みのものだったことは、
編集済み映像以外は出せない=素材はすでに存在しないということを匂わせるものであり、
その点でかなりの絶望感を醸し出すものでした


しかしフタを空けてみると、「Nervous」は「4」の映像の使い回しではなく、
素材から編集し直したものでした
ということは素材の残り方次第では、
他の曲も編集して発表することが可能であるということになります


問題は素材がどれくらいあるのかです
この点で「Nervous」の映像は、
可能性とともにその限界も感じさせるところがありました
ここで問題になるのは、「4」でカットされていた「Nervous」最後の部分です


「新」ではこの部分も音は収録されていたのですが、
映像はスロー再生の処理がされていました
おそらくこの部分の素材はちゃんとした形では残っておらず、
「新」では終わりの数秒間の部分に手を加えて、
それっぽい映像を作ったものと考えられます


この件について、少々気にかかる情報があります
「新」の発売直前になって、SONYのotonano内に商品サイトが立ち上がりました
そこには、以下のようにあります

フィルム撮影のため演奏曲の一部しか撮られなかったが、素材をすべて検証し、
今回「Dragon The Festival」「Nervous」の2曲を追加収録。
映像と音をレストア・リマスターしグレードアップしてよみがえる。


ここで目に付くのが、「フィルム撮影のため演奏曲の一部しか撮られなかった」とある部分です
つまり初めから撮影はライブの一部でしか行なっていなかったと言うのです
これは80年代ではしばしば見られたことですが、
ここで素材が一部しかないことが、初めて公式に明らかにされました
「Dragon The Festival」が後半だけしか収録されていないのも、
その前は撮影していなかったためと考えることもできます


ということは我々は、
「Fanks Cry-Max」の全映像を見ることは未来永劫できないことになります
何なんでしょう、新しい映像が提供されたと同時に感じさせられるこの絶望感は…
ただ「奇跡的に発見」とか言って平気で前言を撤回しそうな不信感も、
SONYからはぬぐえないんですけどね…


また上記の解説文では、素材があったのが「Dragon The Festival」「Nervous」のみであるとは書いていません
当然、他にも存在する可能性はあります
SONYが今後それらを商品化することも考えられるでしょう


ここで検討してみる価値のある映像があります
旧版「Fanks Cry-Max」最後のダイジェスト映像です
BGMは「Dragon The Festival」の3番で、
映像も「Dragon The Festival」を含みますが、
別の曲も入っているようです
1分余の映像ですが、こちらを全部見てみましょう


まず最初の約25秒と、最後の20秒は、
メンバー動きや照明を「新」と比較することにより、
「Dragon The Festival」の映像であることが確認できます
BGMで流れている音とウツの動き・歌も一致しています


ただしカメラのカットは「新」と異なっています
ここから「新」の「Dragon The Festival」の映像も、
事前に編集されていたものの転用ではなく、
素材からの新編集であることが分かります


最後の20秒の前には、
約7秒間、ウツが会場に向けて両手を振っているシーンがあります
これは同一のカットがないので判断が難しいですが、
「Dragon The Festival」2番の後の間奏シーンの可能性が高そうです
(BGMの演奏とは別のシーン)


特に後半4秒の腕振り4回では、
ウツが前を向いて手を前に1回、
右を向いて手を左右に2回、
左を向いて手を左右に1回振りますが、
これと同じ動きっぽいものは、
遠景で分かりづらいものの、
「新」でも確認できます


右一回目(ダイジェスト映像)


右一回目(「新」映像)


これ以上に分かりづらいのが、
冒頭25秒の後に来る5秒ほどのシーンで、
暗くて何をしているのかすらよく分からないのですが、
ウツがステージの前方に来て右を指さし、
くるっと回っています
近くに木根さん・松本さん・日詰さんは来ていません


これは「Dragon The Festival」でMagic Wordの詠唱が終わった後、
松本孝弘さんを指さしたシーンかもしれません
「新」では松本さんがこれを受けて前に出てきて、
エレキを演奏して盛り上げるシーンが収録されています


「新」では松本さんを指さした後のウツの動きが分からないので、
ウツがくるっと回ったことを確認できないのが残念です
とりあえずこの部分については、
「Dragon The Festival」である可能性が否定できないということを指摘しておこうと思います
(つまり他の曲の映像とは確定できない)


この冒頭30秒と最後27秒、合計約1分を除き、
ダイジェストシーンには10秒の映像が含まれていますが、
ここに「Dragon The Festival」以外の映像が使われているようです
シーンは合計4つあります
その内の3番目は「Nervous」イントロの映像で、
「新」にも同一のシーンがあります


2番目は小室さんが客席側を向いて両手でシンセを弾き、
さらにシンセを右手で叩きつけるシーンですが、
これは正直言ってどの曲かまったく分かりません
ただ衣装が「Maria Club」以後のものであり、
動きから見てハイテンポの曲であると推測でき、
また「Fanks The Live 1」に収録されていない曲とすれば、
可能性があるのは「Come on Let's Dance」「Dragon The Festival」「Nervous」「You Can Dance」の4曲です
「You Can Dance」の間奏とかかなあ…


注目すべきは残り2個、合計5秒程度の映像です
(自分、どこまで必死なんだ…)
まずは1番目の映像ですが、ここでは木根さんが後半の衣装で、
DX100を携帯してウツ・松本さん・日詰さんと一緒に前に飛び出ます
木根さんがDX100を使ったのは「You Can Dance」です
この曲の間奏に入るシーンなどでしょうか



最後に4番目は、ウツがハンドマイクを持ちながら、
日詰さんの近くで笑顔で変な腕の振り方をしながら歩き、
最後は両手の人差し指で上をツンツンしています
これは衣装が「Maria Club」の前のもので、
かつアップテンポの曲です



可能性があるのは「Passenger」「Spanish Blue」「Rainbow Rainbow」ですが、
「LIVE TOMATO」を見る限り、ウツは「Spanish Blue」では、
ポケットに手を入れてマイクスタンドの前で歌うスタイルだったようなので、
「Passenger」「Rainbow Rainbow」のどちらかの可能性が高そうです
「Passenger」のサビ部分?(ウツは歌わず踊っている時間)


要するに、未発表曲の中でも、
「You Can Dance」および「Passenger」「Rainbow Rainbow」のどちらかは撮影していたはずです


しかしここまで来て、あれ?と思うことが出てきました
「Fanks Cry-Max」では「Self Control」前のMCに入る以前は、
「Dragon The Festival」「Nervous」「You Can Dance」の3曲が続けて演奏されました
この3曲をすべて撮影していたとすると、
「Nervous」の最後だけ撮影しないなんてことはありえるだろうか?ということです


とはいえ、素材が残っていれば「新」でもちゃんと使っていたはずだし、
やはり素材は残っていないのでしょうが、
それはなんらかのトラブルによるものなのかもしれません
あるいはテープがなくなって交換していたことなども考えられます


となると、「Nervous」からすぐに始まった「You Can Dance」も、
最初の部分は収録されていない可能性がありそうです
しかしどうせ「Dragon The Festival」も中途半端な形でしか収録していないんですから、
だったら残っている部分だけでも商品化して欲しいものです

とにかくあるものはさっさと全部出せや、SONY


以上、長々と生産性のない話を続けてきましたが、
その他の近況についても触れましょう
まず木根さんは9/16に「2525ツアー」を終えましたが、
今度は12/15に「new STORY」なる特別ライブを開催することが告知されました(昼夕2公演)
羽田空港国際線旅客ターミナル内のTIAT SKY HALLというところでやるそうですが、
あの空港にこんなスペースあったんですか!?


また10月には4週にわたり、
FM青森・FM仙台・FM宮崎の「佐藤竹善のモーニング アンダンテ」出演します
今年の竹善さんとのコラボライブの関係なのでしょう


一つ気になる告知として、FC「Tree of Time」の年内での休止があります
私は会報を読んでいないので事情はよく分からないのですが、
運営が厳しかったんでしょうか
TMの活動がなくなったことが関係しているのかもしれません


木根さんはこの告知に先立って、61歳となった9/26に、

皆さん誕生日のお祝いメッセージ感謝です!61歳からの活動は新しい形で、と考えています。個人のSNSをスタッフのSNSに統合して、こういう時代だからこそ、出来るだけ直接、いろんな方々に僕の音楽を届けに行きたいです。皆さんと一緒に物語は続きます。益々の応援宜しくお願いします!


とtweetしています
これを見る限り、少なくとも音楽活動をやめるわけではないようです
「物語は続きます」とありますが、
12月のライブタイトル「new STORY」は、新形態の活動に移ることと関わるのでしょう


twitterではSNSの統合についても言及されています
現状でも個人twitter、スタッフtwitter、FC会報、公式サイト、ブログ、Facebook、instagram、MySpaceなどがありますが、
すでにブログとかFacebookとかはほとんど使われていないし、
たしかに整理した方が良いかもしれません
しかしTree of Timeのwebsiteが消えてしまうと、
公式情報を調べられるなくなって面倒なので、
これだけは残してほしいですが…


木根さんのツアーが終わったのと前後して、
ウツの「Tour Thanatos」が9/21に始まりました
ツアーの趣旨はよく知りませんが、
今回は小室さんの曲を多目に演奏しているようです
小室さん引退が関係しているのでしょう
サポートに浅倉さんを加えた時点で、意識していたんでしょうね


しかし小室さん引退、木根さんFC休止と来たら、
ウツもツアー終了とともに何か発表とかしないか心配です
「25th Anniversary Final」とか銘打っているし…
私、これは割と杞憂でもないと思っているんですよね


小室さん関係の振り返り番組としては、
9/9に「関ジャム~完全燃SHOW~」で「90年代と小室哲哉」特集が組まれました
「SUNNY」監督の大根仁さんや主演の篠原涼子さんも出演するなど、
映画の宣伝を兼ねた特集だったようですが、
伊東俊郎さんも出演し、スタジオにいる小室さんのことを回顧したりしていました
篠原さんが小室さん関係でテレビに出るのも、多分20年くらいなかったですよね


9/25にはBSプレミアム「アナザーストーリーズ」で、
特集「小室哲哉という”革命”」が組まれ、
久保こーじさんや松村慶子さんも出演しました


特に松村さんが小室さんのこと語るて、めちゃ珍しい機会だったと思います
吉祥寺の楽器屋に天才がいるという噂を聞き、
19歳の頃(1977~78年)の小室さんに会いに行ったのが始まりだったというのは初耳でした
小室さんがギズモをやっていた頃ですね
大学生時代の小室さんにスタジオを自由に使わせていたと言うのも初耳でした
小室さん、なんでアマチュア時代からスタジオにこもれたんだろうと思っていましたが、
こういう背景があったんですね


番組のメインは、90年代プロデューサー時代の多忙ぶりと、
その没落の過程についてでしたが、
この構成は企画の最初に決まっていたんでしょうね
正直ここらへんはもういいんですけど、
小室特集として企画すると、どうしてもこうなるんだと思います


ただ逮捕前(正確にいつかは不明ですが)、
久保こーじさんが小室さんに会いに行っても、
部屋で寝ていて出てこなかったという話などは、
多分精神的に追い詰められて鬱状態になっていたんだろうなあと思いました
ちょうど今のブログで扱っている辺りの時代から5年ほど、
小室さんが普段何をしているのか分からない状態になりますが、
その頃の状態のおおよそは想像できそうです


あと久保さん、今でも小室さんに会っているような話をしていました
小室さん、昔の仲間や部下との親交を温めて心を癒しているんでしょうか
活動再開とかは措くとして、
今までのつらい日々からやっと離れられたことだし、
ゆっくり休養を取ってほしいです


最後に、安室奈美恵さんが9/16に芸能界を引退しました
9/15には沖縄コンベンションセンターで最後のステージに立ち、
最後には小室さんの「How do you feel now?」で締めて退場したそうです
これが安室さんが最後に披露した曲ということになりました


このライブ、定番曲はほとんどなく、
演奏した8曲中の4曲は、
過去のコラボ曲をコラボミュージシャンと一緒に歌うというものでした
もしも小室さんが引退していなかったら、
きっと小室さんもゲストに呼ばれていたんだろうなあと思います


しかし安室さんの華やかな引退劇を見るに、
小室さんがやろうと思っていた引退イベントてこんな感じだったんだろうなあと思います
実現していれば、マスコミでも関連の特番を組んだりしていたでしょうし、
商品のリリースももっと派手にできたんでしょうね
安室さんの最後が見事だっただけに、うらやましく感じてしまいます


今回は前回から間が空いたこともあり、近況整理が長くなりました
通常記事は次回の更新で書くことにします
次回はもう少し早めに更新するつもりです


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7-9 TM NETWORK tribute LIVE①

amazonで「Fanks Cry-Max」増補版blu-rayの予約が始まりました
こちらだと3756円で、定価の4860円よりも1000円ちょっとお得になります
他のショップでも予約受付中ですが、
現状ではDMM(3596円)が一番安い感じでしょうか
購入をお考えの方はご参考までに


小室さんが音楽を担当した「SUNNY 強い気持ち・強い愛」のサウンドトラックが、
8/29にリリースされました
これが小室さん最後の新作となるのでしょうか
全25曲を収録しています
出色の出来とは思いませんが、
まだやっていける水準なのになあ…と感じました
映画は8/31に公開されます


8/26には、PANDORA「Be The One」を主題歌とする「仮面ライダービルド」が、
1年の放送を終えました
いろんなものが決着を迎えている感じですね
なお「Tetsuya Komuro Archives」はまだランキングに入っており、
合計10万枚を越えました


前回書き忘れていたんですが、
ウツのソロツアーのタイトルが「Thanatos -25th Anniversary Final-」に決まりました
タナトス… ギリシア語で「死」てのは、何か含意があるんでしょうか
(まあ何もないんだろうとは思っていますが)
「ξ」とか「Idios」とか、ここ数年ギリシア語にこっているのは、
ウツかスタッフの嗜好なんでしょうか


なおウツは8/25、NACK5の「浅倉大介 Neo Age Circuit」に出演しました
多分ツアーの宣伝でしょう
一部公演は、すでに一般発売が始まっています


木根さんは6月から地道に全国ツアーを回っていますが、
残るは関東の公演だけとなり、
ファイナルの9/16が見えてきました
8/11にはラジオ高崎の「Air Place Saturday」に出演し、
高崎公演の宣伝をしたようです
9/12にはラドンナ原宿で、
「あべ静江&太田美知彦  ~西日本を中心とした豪雨災害支援チャリティーライブ~ Vol.2」ゲスト出演します


8/24には渡辺美里さんの「M・Evolution Tour」かつしかシンフォニーヒルズ公演にゲスト出演し、
「さくらの花の咲くころに」「点と線」「eyes」を演奏しました
MCもかなり長かったようです


「GREEN DAYS ~緑の日々~」のレポートによれば、
木根さんは数年後にでもTMの「引退試合」をやりたいと言ったそうです
あくまでも木根さんの願望ですが、実現してほしいですね
また美里さんによれば、小室さんの引退会見の後、
木根さんが「今はそっとしておいてあげて」と言っていたそうです


では本題に入ります
なおしばらく多忙につき、次回の更新は遅れるかもしれません
あしからず

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2003/2/16「Live Epic 25」が開催された大阪城ホールで、
来場者に対して参加ミュージシャンに関するチラシが配布された


TM NETWORKのチラシには、
表に「キヲクトキロク」および3人のソロの新作の広告、
裏に3人のFCの宣伝が載せられていたが、
裏にはさらに半面を使って、
「TM NETWORK tribute LIVE -UTSU & KINE’S SELECTION FROM TM SONGS-」の告知と、
木根尚登名義の趣旨文が書き込まれていた


趣旨文は長文に渡るものだが、
第7部におけるTMの混迷ぶりを示すものとして重要なので、
以下に全文を掲げておきたい


TMを愛するみなさんへ

 昨年10月、2年ぶりのシングル「CASTLE IN THE CLOUDS」をリリースしました。それは80年代のTM NETWORKを意識した楽曲でした。だから、取材等で小室もREWINDという言葉を使っていたのでしょう。僕も「CASTLE IN THE CLOUDS」をきっかけにかつてのTM楽曲(小室メロディ)を聴き直し、その素晴らしさを痛感しました。
 J-POP全体に目を向ければカヴァー・ブームです。当然、アレンジを一新したセルフ・カヴァーも頻発しています。しかし、オリジナルの存在感の大きさは歴然とした事実です。これは僕に限らず、誰もが感じている現実でしょう。だとしたら、アンチ・カヴァーという試みがあってもいいのではないでしょうか。オリジナル直視主義と言ってもいいですが。つまり、TM楽曲をできる限りオリジナルに忠実なアレンジで再生してみたいという思いが芽生えました。
 また、2004年4月にデビュー20周年を迎える僕らTM NETWORKは、今一度、原点を確認するのも意味があると考えました。いわば20周年に向けての前夜祭でしょうか。
 その気持ちを素直に小室とウツに提案しました。でも、なにぶん突然の提案です。小室の03年のスケジュールは、当然ですが、すでに決定済み、僕とウツのスケジュールが合わせられるのも6月だけという情況。でも、今回の主旨は、TM NETWORKの楽曲をオリジナル再生することだから。 小室に無理を言いました。TM NETWORKのコンサートにはならないけれど、僕とウツだけでTM NETWORKの楽曲をやらせてくれないかと。
 小室もスケジュールの調整を試みてくれましたが、結果的に6月を空ける事は不可能でした。しかし、「僕が出演せず、ライヴでTMの楽曲をやるのであれば、大介の出演が絶対的に必要だね。もしも大介がOKだったら、ギターは葛Gドラムはベーアンしかないでしょ」と、ひとつの提案を投げ返してくれたのです。
 奇跡的にとでも言うのでしょうか、大ちゃんのスケジュールも6月ならどうにかなるという事でした。葛Gやベーアンも時間をやりくりしてくれました。各スタッフも奔走してくれました。提案者として、ここまでの一連の動きを見ていたら、みんなTMが好きなんだ、みんなTMを愛してくれているんだと胸にしみてきました。だから、メンバーである僕とウツがいるけれど、これはTM TRIBUTE BANDだと思うようになったのです。昨年、ソロ活動10周年を迎えた僕のなかにも、もちろんウツのなかにも、誰よりも強いTMへの感謝や賞賛(TRIBUTE)があるわけだから、これはTM TRIBUTE BANDだと。
 04年のTM20周年を前に、TM好きが大集合という事です。となると、僕はプロジェクトリーダーというよりも幹事長なのかもしれませんが。とにかく、せっかくTMをTRIBUTEするのなら、TMを心から愛してくれているみなさんと一緒に楽しみたいと思います。ステージと客席が一緒となり、ライブ会場全体で、TMの楽曲を楽しみませんか。
 そうそう、今回のライブと新譜制作は、まったく別のプロジェクトだけど、新しい音のほうも、20周年に向け、徐々に制作を始めています。そちらもお楽しみに。
木根尚登


言い訳がましく空虚な装飾の目立つ文体はいかにも藤井徹貫の作文だが、
ここではその詮索は措いて、
「tribute LIVE」について述べられている公式見解を整理しよう

1)「Castle in the Clouds」では80年代TMを意識、かつての楽曲の素晴らしさを再認識
2)ツアーでは過去のTM楽曲をオリジナルに忠実に演奏したい
3)TM20周年を前に原点確認することにも意味がある
4)木根は小室とウツに相談したが、スケジュールの都合で、6月に小室抜きで開催せざるをえない
5)小室が自らの代役として浅倉大介を指名、葛城哲哉・阿部薫も参加
6)今回はTMを愛している人々によるTM TRIBUTE BANDによるツアー
7)20周年に向けた楽曲制作も進行中


1)2)3)はツアー開催の理由として挙げられているものだが、
一言で言って建前に過ぎず、真実味は皆無である
6)は木根の思いを述べたもので、
2004年に向けた発言である7)とともに、
ライブ開催の事情を考える上で意味はない


結局問題になるのは、4)5)の部分である
つまりこのツアーの企画の中心は木根であり、
その参加メンバーは小室の意向で決められたと言う点である


この点をもっとも詳しく書いているのは、
木根の「新・電気じかけの予言者たち」である
その流れは前章で他の情報も参照しつつ触れたが、
ここで改めて整理してみよう


まず2002/12/18木根・ウツのミーティングがあり、
20周年に向けた活動を行なう方針が立てられたが、
小室のスケジュールの調整が付かなかった
しかし木根は年始に、小室抜きのツアー開催を考え、
1/29に渡米して小室と会い、その開催承認を得た
これを受けて2月初めにはスケジュールが決定し、
上記の通り2/16に発表された


上記の筋書きを見る限り「tribute LIVE」は、
たしかに趣旨文4)にあるように、木根が中心の企画だった
ウツもこの件を木根から聞かされて驚いたことを述べている
なおウツは最終的には木根に説得されたものの、
当初はこの企画に否定的だった
TMは3人でやらないといけないというこだわりを強く持っていたようである


また趣旨文5)では、
小室が浅倉を代役として挙げ、
さらに葛城・阿部の参加を提案したことになっている
TMN時代のサポート陣である
これも1/29の木根・小室会見の時のこととして、
「新・電気じかけの予言者たち」に記されている


ただし実際には小室が後からglobeの活動を入れたことで、
もともと計画されていたTMのツアーが実現困難になり、
その代わりに「tribute LIVE」の開催が決まったと見られることは、
前章で推測したところである
「tribute LIVE」開催の事情について、
木根はつじつま合わせを行なっている疑いが強い


それならば、1/29に小室が浅倉を指名したと言うのも、
鵜呑みにするのは危険だろう
小室が同意したことはたしかだろうが、
実質的には木根が提案したものだったのではないか


そもそもTMの曲を演奏する上で、シンセ担当を誰にするかは、
真っ先に考えなければいけない問題である
木根がアメリカまで行って小室に会いに行く際に、
小室の代役について具体案を用意していかないことなど、
およそあり得ないことだろう


そしてその場合、浅倉をはじめとする3人には、
事前に内諾を取っていたと考えるのが自然である
「新・電気じかけの予言者たち」では、
会談後にサポート候補者3人に連絡したところ、
3人ともすぐに参加を承諾したとされ、
特に浅倉は木根が帰国したその日に承諾したというが、
実際には木根が渡米以前に3人に内諾を取っていたのだろう


なお浅倉は2002年に7年ぶりにaccessの活動を再開させたばかりで、
2003/4/4からは全国ツアー「Livin' GHOST」を開催する予定だった
このツアーは5/18まで開催された後、
6/1にファイナルの仙台サンプラザ公演を行なうことになっていた


一方「tribute LIVE」は5/27・28・30から始まることになっており、
それ以前の5/16からリハーサルが行なわれた
つまりaccessのツアーと重なる日程だった
普通では考えられないスケジュールである
木根やスタッフが浅倉に頼み込んだものに違いないが、
このような過密スケジュールの浅倉がさらに別のツアーを組む場合、
関係各処との調整は必須のことである
これを即答したということ自体、
木根の話の創作性を裏付けるものである


他に木根・小室会談で決まったものとされるものに、
「tribute LIVE」というツアータイトルがある
「新・電気じかけの予言者たち」によれば、
木根は小室に対して、スタッフたちと考えたツアータイトル案をいくつか出した


その中には「TN NETWORK CONCERT」や、
「UK NETWORK CONCERT」があった
隆・尚登の頭文字でTN、あるいは宇都宮と木根の頭文字でUKという発想である
またはTMNから哲哉(T)を除き、
「MN NETWORK CONCERT」という案もあったというが、
正直、どれもこれもセンスがなさすぎる
いや、センス以前に、飲み屋で中年オヤジの雑談で交わされる冗談以上のものではない
これらも「tribute LIVE」のタイトルを引き立たせるための創作かとも疑われる


「新・電気じかけの予言者たち」によれば、
小室は「TM NETWORK」という言葉は入れるべきと主張した
しかしあくまでもTMのツアーではないということで、
小室が提案したのは、tributeという言葉を入れることだった
要するに、「tribute LIVE」というタイトルは小室が考えたものだと言う


当時日本では洋楽・邦楽とも、
トリビュートアルバムやトリビュートライブが盛んに行なわれていた
1990年代には死没していたミュージシャンや解散していたバンド、
あるいはかなり老齢のミュージシャンの作品を扱ったものが多かったが、
2002年には「The Blue Hearts 2002 Tribute」「一期一会 Sweets for my SPITZ」など、
TMと同世代か、より若い世代のトリビュート盤もリリースされ、
しかもかなりの成果を上げていた


したがってTMのトリビュート企画もあり得るものではあった
実際に2003年1月の時点では、
TMのトリビュートアルバムのリリース計画が確認できる(前章を参照)
結局この企画はなくなったのだが、
この時ツアータイトルとして「tribute」の言葉が出たのは、
この流産したアルバムを意識したものだったのかもしれない


トリビュートライブについても、
日本でのトリビュート盤流行以前から欧米で広く見られた
2002年にもロンドンで豪華メンバーによるGeorge Harrisonの追悼ライブ「Concert for George」が開催され、話題になった
日本でもこの頃には矢沢栄吉・はっぴえんどのトリビュートライブが開催されている
「TM NETWORK tribute LIVE」というタイトルの前提には、
このような先例が存在したのだろう


結局この小室の案が採用されて、
本ライブは「TM NETWORK tribute LIVE」と名付けられることになったという
ただ本件に関する小室のエピソードは疑わしいものが多く、
私はライブタイトルが本当に小室の案だったのかも疑うべきと思う
たとえば「TN NETWORK CONCERT」などと同様に、
木根側が提案したタイトルの一つに過ぎなかった可能性もあるだろう
ただサポートメンバーの指名と違い、
絶対にありえないと断言するだけの矛盾があるわけでもないので、
ここでは判断を保留しておきたい


tributeとは、あるミュージシャンに敬意・賞賛の意を捧げることであり、
つまりこのツアーは、TM NETWORKを称賛するライブだという位置づけになる
ステージ上ではTMの曲が演奏されるが、
それはその場にいないTM NETWORKに捧げるものであり、
演者はTMではないということになる
それは、このツアーがTMのツアーではないという説明にも通じる


木根側の案とされる「TN NETWORK CONCERT」なども、
TM NETWORKのツアーではないという点で方針は一致していた
木根の趣旨文でも自分を含む演者をTM TRIBUTE BANDと位置付けているし、
ウツもTMのツアーではないということを何度も強調している
TMメンバーがTM曲を演奏するが、TMのツアーではない
こうした矛盾に満ちた立場を、彼らは堅持した


しかし一方で、TM20周年の前夜祭として開催するツアーである以上、
TMをまったく匂わせないタイトルもまた不可である
その結果として採用された「TM NETWORK tribute LIVE」というタイトルは、
なんとも苦肉の案であると思う


あらゆる人が思うことだろうが、
木根・ウツが自らTMにトリビュートするというのは、
意味が分からないだけでなく、失笑せざるをえないネーミングである
「トリビュート」を文字通りに取った場合、
ステージに上がるのが木根・ウツとかつてのサポート3人であるというのは、
TM関係者以外にTMを敬愛する者が誰もいないということにもなろう


もちろんトリビュートの名称は後付けであって、
現実は小室が参加しないままでTMツアーを行なうことの正当化に過ぎないのだが、
要するにこれほど無理な理由づけをしなければ説明できないほど、
不自然なツアーだったということである


ただ救いだったのは、
この頃の小室はTMでやるべきものが見出せず、
可能性を見出していたglobeに注力しようとしていたものの、
まだTMをやめるつもりはなかったことである


木根のMC中の発言なので割り引いて考える必要があるが、
この頃木根が小室に対して、
これで最後でいいから20周年はちゃんとやろうと言ったところ、
小室は「30周年もやろうよ」と答えたと言う
小室の中でTMは、いつ動かすかはともかくとして、
残すことは自明の前提だったのだろう


だが小室を外して全国ツアーを開催するという先例を作ってしまったことの意味は大きい
こうした先例が一度出来上がってしまえば、
メンバーもスタッフもなし崩し的に、
同様の企画を繰り返し立ち上げることになるだろう


事実、2004年のTM20周年の活動の後には、
「tribute LIVE」の第2弾・第3弾として、
2005年に「Spin Off from TM」
2007年に「Spin Off from TM 2007」が開催される
それぞれ「tribute LIVE 2005」「tribute LIVE Ⅲ」とも題されていた


つまり2002年以後に開催されたTM関係のツアー4本の内、
20周年記念ツアー「Double Decade Tour」以外の3本には、
小室が参加していなかったのだ
この時点ではもはや「tribute LIVE」は特別企画などではなく、
むしろ小室のいるTM NETWORKこそが、
特別企画的存在に成り下がっていたとも言える


2005年以後の小室はウツ・木根とまったく別に活動をしていたが、
自身の都合から、2007年にTMの再開を提案する
ここに「tribute LIVE」中心の活動形態はようやく終わりを告げるが、
こうした偶然がなかったならば、
「tribute LIVE」が開催され続ける一方で、
TMが事実上消滅していたという事態は、十分に考えられたと思う


余談だが、私は2005年以後のTMを見て、
その歴史は事実上終わったと本心から思った
そこで今後語るべき音楽活動が新たに呈示されることはないと思った私が、
歴史的生命を終えたTMの活動の軌跡をまとめようと思って始めたのが本ブログである
すでにそこから10年以上経ってしまったが…


ただ2003年に限って言えば、
「tribute LIVE」はTMの活動を求めるファンの要望に応えるとともに、
2001年以来の活動空白期間に進行していたファン離れを、
ある程度食い止める役割を果たしたと考えられる
それはTM20周年の遂行に当たって、たしかに一定の役割を果たしたのだろう


以上がこのツアーのコンセプトだが、
肝心の音については、趣旨文2)にあるように、
過去の曲をオリジナルで演奏すると言う点が強調された


なおこの場合の過去の曲とは、「終了」以前を指す
この時に演奏された最新の曲は1991年の「Wild Heaven」で、
1999年以後の曲は演奏されていない
要するに選曲の面でも編曲の面でも、
新しい要素を一切排除したライブだった


TMのライブでは大幅なアレンジが加えられることが多く、
それが一つの醍醐味でもあったが、
それは小室の手によるものだった
だがこの時は小室がいなかったため、
その点での遊びができなかった
そのためオリジナル演奏という原則を立て、
そこにポジティブな理由づけをしたのだろう


もちろん浅倉ならば面白いアレンジもできただろうが、
accessのツアー中の浅倉の負担を増やすことも難しかっただろう
また小室がいないことに対するファンの違和感にも配慮して、
浅倉のアレンジはあえて加えなかったのかもしれない
浅倉もオケに音を加えたり削ったりする時は、
必ず木根やウツに確認を取っていたと言う


とはいえライブということもあり、
もちろんサポート3人の個性的な音は随所に加わっている
またインストコーナーの「組曲Vampire Hunter “D”」などは、
曲の改編が行なわれているわけではないが、
音色などに浅倉のこだわりが感じられるところではある


小室はライブ音源作成用に、自らが持っているシーケンスデータを提供した
この点はやはり「tribute LIVE」が小室の承認下で行なわれたことを示している
演奏曲のほとんどは1999年の再始動後初めて演奏されたものなので、
(例外は「Beyond The Time」「Kiss You」「Self Control」「Seven Days War」「Dive Into Your Body」
提供されたものの多くは1994年以前のデータということになる
ウツも20年近く前のデータや80年代のコーラスを使ったと言っている
ただ実際には、浅倉やスタッフが新たに作ったものも少なからず含まれていただろう


このようにして「tribute LIVE」は開催された
かなり変則的なライブだったこともあり、
客の入りには不安もあっただろうが、
実際にはおおむね会場も埋まり、
木根の感想では、ファンの反応もよかったとのことである


これは再始動後のTMが、
まともなライブ活動をほとんど行なっていなかったこともあろう
これ以前の唯一の全国ツアーは、
2000~01年の「Tour Major Turn-Round」だが、
これはかなり人を選ぶ選曲・演出のライブだった


首都圏では2000年の単発ライブ「Log-on to 21st Century」があったが、
地方のファンにとっては、過去の曲に初めて触れることができたのが、この「tribute LIVE」だった
小室がいないといっても、素直に喜ぶファンが多かったことは想像できる


本ツアーについては、2005年のtribute LIVE「Spin Off from TM」開催に合わせて、
FCおよび新星堂でライブDVD「tribute LIVE 2003」が限定販売された
(「2003」が付いたのは、2005年に後継企画が開催されたため)
本DVDには2003/6/27 Zepp Tokyoのファイナル公演の様子が収録されており、
MCおよび日替わり曲以外の様子を知ることができる


また2007年のtribute LIVE「Spin Off from TM 2007」開催時には、
「tribute LIVE」「Spin Off from TM」のライブ音源が、
「TM NETWORK tribute LIVE EP」の「Edition #1~3」として、
iTunesやmoraなどで配信された


「tribute LIVE」配信曲は、「Wild Heaven」「Beyond The Time」「Fool on the Planet」「Come on Let's Dance」「Love Train」「Seven Days War」となっている
ただmoraは配信曲の組み合わせが異なり、
「Come on Let's Dance」「Fool on the Planet」の代わりに「1/2の助走」「組曲Vampire Hunter "D"」が配信された
他にも別テイクを配信したサイトがあったかもしれない


さらに2010年には3度のtribute LIVEから、
音源4曲+映像1曲のEPが各2点、合計6点の商品がiTunesで配信された
「tribute LIVE」からは「TM NETWORK tribute LIVE 2003 Lead」「TM NETWORK tribute LIVE 2003 Second」がリリースされ、
前者は「Don't Let Me Cry」「The Point of Lovers' Night」「永遠のパスポート」「1/2の助走」の音源と「Beyond The Time」の映像、
後者は「Girl」「Spanish Blue」「Kiss You」「All-Right All-Night」の音源と「Get Wild '89」の映像を収めている


これらを集めれば、配信だけで「You Can Dance」「Self Control」「Dive Into Your Body」とSEの「Give You A Beat」を除く全曲が手に入ることになる
ただそもそもこんな回りくどいことをしなくても、DVD1枚を買えば済む話である


以上、「tribute LIVE」開催に至る流れと、その意義について述べてきた
ライブの具体的な内容については、次章で触れることにしたい


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7-8 失われた2003年

まず告知です
8/17(金)の夜に大阪の某所で、
「TM NETWORKの重箱のスミ!」のポコ太さんこと、
カラフルポップリフレクションのミツカワさんと、
宴など催そうと思います


関心のある方には詳細をお伝えしますので、
tm_on_the_planet%yahoo.co.jp(%は@に置換)までメールをください
ブログへのメッセージかtwitterへのDMでも結構です
なお参加人数が会場の規模に達した時点で募集を締め切りますので、
その点ご了承ください


近況について
本日8/2、劇場版「シティハンター」の映像が少し公開されました
全国ロードショーは来年2/8とのことです
BGMはオリジナルの「Get Wild」ですが、これは本番もそうなんでしょうか
なんつうか、もしもTMがあと一度だけ動くなら、
色んな意味でこれが最後のチャンスな気がします


さて、SONYがまた大人商法(悪い意味で)を始めました
10/3に「Fanks The Live 1 Fanks Cry-Max」の増補版DVDをリリースします


本作は1989年リリースのオリジナル版では6曲が完全収録されていましたが、
「Electric Prophet」「Dragon The Festival」も一部のみ収録)
これに「Nervous」「Dragon The Festival」の2曲が追加されて8曲になり、
値段が2倍の4860円(税込)になります(2004年版DVD=税抜2300円)
そういや2013年にDVD「Digitalian is eating breakfast」も、
7曲を8曲に増やして値段を2倍にしてリリースしていましたね…


なお「Nervous」は1989年のプレゼントビデオ「Fanks The Live 4」にアウトロ終わりを除き収録されており、
「Dragon The Festival」もオリジナル版に一部収録されているので、
今回の初公開映像は実際には1曲分もありません
つうかちょっとしか入っていない「Electric Prophet」も完全収録しろよこのクズ会社


また1987年の「Fanks Cry-Max」では、
インストを含め18曲が演奏されました
これまではその中で6曲だけがDVD化されていましたが、
今回の増補版リリースによって、未収録分が12曲から10曲になりました


まだ10曲…
半分以上がSONYの蔵に隠されていることになります
TMの今後の活動がなくなってしまうという、
過去商品を出す絶好のタイミングなのに、
SONYはふざけているんでしょうか?


いや、商売的には分かります
熱心なTMファンは未発表映像1曲だけでも(または全部既発表でも)買うけれど、
完全版映像を出しても購入者はあまり増えないのでしょう
「CAROL Deluxe Edition」「TM NETWORK THE MOVIE」みたいなクズ商品でも、
それなりに売れてましたもんね…
それなら何度も増補版を作って1・2曲ずつ増やしていった方が、
ファンから金を吸い取り続けることができるということだと思います


しかしこの売り方は、商売としては正しいとしても、
まったく誠意が感じられません
極めて青臭いことを言わせてもらえば、
スタッフはファンに顔向けできる商品を作っていると思っているのでしょうか
もしも私がSONYスタッフだったとして、
テレビで「顧客満足度〇%!、業界ナンバーワン!」とかのCMを見たら、
恥ずかしくて外を歩けませんよ


ただSONYはあるいは今回の商品で、
今TMの過去作品がどれくらい売れるのか観察しようとしているのかもしれません
今回売れれば、「Kiss Japan Dancing Dyna-Mix」「Rhythm Red Tour」なんかでも、
同様の手口を図る可能性もあるでしょうし、
また次の「Fanks Cry-Max」アップデートも検討するかもしれません
そういう可能性を勘案した上でSONYに献金すると割り切って購入するのも、
割り切れるならば良いかと思います


私はまったく割り切れませんが
…くそう、くそう、くそう!!
「Dragon The Festival」なんておいしい曲を入れられたら、
こんな鬼畜商品でも買わざるを得ないじゃないか!
ちくしょう…ちくしょう…


正直言って、商品化できそうなライブ映像中では、
「Fanks Cry-Max」は私がもっとも見たいものの一つです
それだけにこうした悪辣な商法は本当に腹が立ちます
しかし何もできない無力感…
ちくしょう!


ということで、いらだちがドアを叩きながら、
他の近況を手短にまとめましょう
まず小室さんは、「TETSUYA KOMURO ARCHIVES」のセールス、
T盤が5.0万枚、K盤が4.9万枚に達しました
ラジオでもまだ特集が組まれているようです
「SUNNY」公開後にも売れるかもしれませんね


ウツは7/25に過去のFC会報の電子版「Magnetica archives」の未配信分の内、
vol.19(2012~13年分)の配信が始まりました
この後の分も、今後順次配信の予定です


木根さんは7/25、日本テレビ「一周回って知らない話」に、
親バカ枠で娘のSHAOさんと一緒に出演しました
ちなみにMarc Pantherさんも一緒に出演していたんですが、
木根さん、DJ KOOさんに続いてMarcさんもバラエティ進出ですか…
なお木根さんとMarcさんは、当初は7/18出演予定でしたが、7/25に変更されました


最後に、6/30・7/27にTRFとaccessがそれぞれのデビュー25周年を祝してジョイントライブを開催しました
最後には出演者全員で「Get Wild」を演奏し、
東京では終演後の客出しBGMが「Nights of the Knife」「Seven Days War」だったそうです


では本題に入ります

------------------------
話は「Castle in the Clouds」のリリース日の2002/10/30に遡る
この日渋谷TSUTAYAで行なわれたトークイベントで、
TM3人は最後にそれぞれ締めの言葉を述べた
これは後日Barksのウェブサイトで配信されており、公式に準じたものと見て良い


木根「TMもね、シングルだけじゃなくてね、来年またね、アルバムとかね(木根、小室の顔を覗き込み、小室「そうね」)、アルバムのための楽曲作りを、ぼくも頑張ります」

ウツ「今回また、2年ぶりのシングルなんで、特に昔の80年代のTMのにおいというか、すごいしたいい曲だと思うんで、是非どんどん友達に、いいぞこいつはみたいに、どんどん広めてやって下さい」

小室「今回これで音をね、今の2000年に入ってからも、もちろん音的にはいろんなことやっているんですけれども、僕たちが一番活動していた80年代の音みたいなにおいも出しているんで、こういう音が今どうなのかなっていうテストみたいな意味合いもあるんですね、今回ね。なので、すごく反響とか楽しみなんですよね。聞いてみてそれを反映して、音作りの段階も、これからTMの音とかは作っていきたいなと思っているんで」


一見のんきな雰囲気の3人



以上の中でまず気になるのは木根の発言で、
2003年のアルバムリリースを視野に入れたものとなっている
本来「Castle in the Clouds」は、
キャンペーンソングとしての単発の仕事ではなく、
その後につなげていく考えがあったことが分かる


木根の発言は明らかに自らの楽曲制作を念頭に置いており、
ここでいうアルバムとはオリジナルアルバムと考えざるを得ない
これ以前にはリミックスアルバムの計画が存在しており、
また翌年2月には過去音源を集めた「キヲクトキロク」がリリースされるが、
これらとは別の話だったことになる


アルバムに関する発言をしていたのは木根だけではない
ウツは11月初め頃に「Castle in the Clouds」と絡めて、
「その延長上にあるのがアルバム作りってことになると思う」
と発言しているし、小室も同じ頃、
「いずれアルバムとしてまとめられればいいなと思っているところです」
と言っている


これらウツ・小室の発言からも、
やはり「Castle in the Clouds」リリースの後には、
新曲を収めたオリジナルアルバムが計画されていたと見るべきだろう
ただトークイベントでの「来年頑張る」「これから作っていきたい」という3人の発言を見る限り、
10月中にはまだアルバム作成に向けた具体的な作業には入っていなかったらしい


さらに上記トークイベントでの小室の発言に注目すると、
小室は「Castle in the Clouds」で、
あえてテストとして80年代風の音にして反響を試し、
その反響をこれからTMの音につなげようと考えていたと述べている


また小室は同じ頃の別のインタビューで、
「Castle in the Clouds」を「ニューアルバムへの布石でもある楽曲」とも言っている
小室は「Castle in the Clouds」の音作りを、
アルバム制作につなげていこうと考えていたようである
その意味で「Castle in the Clouds」は、
次のアルバムのパイロットシングルとして位置付けられていたのだろう


この頃3人には、TMの活動をしないといけないと言う使命感もあった
それは2004年にTM20周年のアニバーサリーイヤーが控えていたことがある
たとえば「Castle in the Clouds」制作に先立つ8/27、
Laugh & Peaceキャンペーンソング担当決定を受けたTMの記者会見で、
木根は以下のように述べている

そうこうするうちに、もう20周年くらいになってしまうんです、もうあと何年かすると。そこに向けてなんか少しずつ、またいい形でできたらねってことで、また今回これ、いいきっかけだったので、集まりました。


これを見る限り、2002年の活動再開では、
当初からTM20周年につなげることが意識されていた
1994年のTM10周年企画が「終了」に代わってしまった過去も踏まえ、
20周年はちゃんとやりたいという気持ちもあったのだろう


以前述べた通り、2002年のウツと木根は、
本来のソロ10周年記念日周辺に当たる11~12月を含む10月以後のスケジュールを空けていた
9月の「Castle in the Clouds」レコーディングの後、
TMは20周年に向けた活動に入るはずだったと考えられ、
オリジナルアルバムの制作もその一貫だったのだろう


私はこの頃、TMのアルバムレコーディングが計画されていたが、
10月末の「Castle in the Clouds」リリースの頃には、
その予定がすでに狂い始めていたものと推測する


magenetica会報などからこの頃のウツのスケジュールを見ても、
10月以後年内は数回の「Castle in the Clouds」プロモーション以外活動がない
これがソロ記念日の前後の本来のスケジュールとは考え難く、
何らかの事情でスケジュールが空いてしまった可能性が高い


木根のミニアルバム「ci è la musica」のレコーディングも、
おそらくこのことと関わっている
本作のレコーディングは10月に始まった
リリース日が12/21であることを考えるに、
レコーディングは11月中下旬まで行なわれたものだろう


木根は2002年のソロツアーを、
ソロ10周年記念日の12/2から、あえて半年以上前倒しして行なっていたが、
こうして空けておいた10・11月にソロレコーディングを行なったのは、
やはり本来のスケジュールと見るには不自然である


この時期のTMの予定を考えるために、少し後の活動まで視野に入れてみると、
「TM NETWORK tribute LIVE -UTSU&KINE’S Selection From TM Songs-」が注目される
このツアーは「TM NETWORK」を冠してはいるものの、
ウツ・木根とサポートメンバーが行なったもので、
要するに小室哲哉抜きで開催されたものである
2003/5/27から1ヶ月間かけて、全国6会場で8公演開催された
(後にZepp Tokyoの2公演が追加で発表され7会場9公演になる)
以下、少し話題を変えて、このツアーの開催の経緯を確認してみたい


木根の「新・電気じかけの予言者たち」によれば、
木根は2003/1/29にハワイの小室を訪れて、
小室抜きでこのツアーを開催することに同意を得たとされている
木根が海外まで行って小室とTMの話をしたことは、
同時期に木根がweb上でも触れている


「tribute LIVE」の開催とそのスケジュールは、
2月半ばのウツ・木根のFC会報で発表された
この時にチケットのFC優先予約のお知らせも送られている
会報編集の時間も考えれば、ツアースケジュールは2月初旬には決定していなくてはならない
木根・小室会談が行なわれた1/29は、
ツアー開催の最終的決定を下すリミットというべきタイミングである


この時間軸を考えれば、木根が小室の承諾を得る以前から、
ツアー会場はすでに押えられていたと見ざるを得ない
(1/29の後の数日で会場を確保するというスケジュールは無理がある)
要するに1/29の会談は、小室の最終的な追認を得るための手続きであり、
計画はこれ以前から進んでいたのである


「新・電気じかけの予言者たち」によれば、
「tribute LIVE」の企画の始まりは、
TM20周年に向けてアクションを起こすべきというスタッフの意見だった
2002年年末のことだったという
magnetica会報からは、木根が12/18にM-tresの事務所で、
ウツとTM20周年の打ち合わせを行なったことが知られ、
年末のスタッフの意見が出たのは、おそらくこの時だろう


「新・電気じかけの予言者たち」によれば、
この件について年内に小室と相談していたが、
小室のスケジュールの調整ができないまま年越しを迎えた
そこで木根は小室抜きツアーを開催しようと考え、
年明け早々M-tresに来て、その意向を伝えたという
ウツは木根からこの案を聞いた時、かなり抵抗感があったが、
木根はウツを説得し、M-tresスタッフとともに構想を練り始めた


上記の筋書きを信じれば、
年末にツアー計画が出て、年始に木根が小室抜きツアーを決意、
スタッフは小室の同意を得ないまま会場を確保し、
1月末に木根が小室に会って追認を得た、ということになる


このスケジュールは不可能ではないとしても、
かなり急な印象はぬぐえない
またリーダーの同意を得る以前からツアー会場確保を始めるというのも、
通常のバンドならばありえない事態である


そもそも木根の言う筋書きは事実と見て良いのだろうか
木根がTMの動向の中で微妙な出来事について、
しばしば歪曲していることは以前触れたところである
小室抜きツアーの開催という異常事態について、
同様の曲筆が施されている可能性は考えるべきだろう


ここで注目したいのは、ウツがこのツアーの決定について、
少々異なるニュアンスで語っていることである
しかもそれは開催決定告知の直後であり、
2004年5月発売の「新・電気じかけの予言者たち」の1年以上前である

もともとこのあたり(「tribute LIVE」開催時期)にTMのツアーというプランも念頭にあったけど、小室が他の活動スケジュールや状況で、どうしても調整がつかないという結論が出てしまったんだ。そこで、今回リーダーの木根が、小室がいないからやらないということではなく何か方法はないか、という考えが出てきたんだよね。


スケジュールの都合で小室が参加できなかったこと、
木根を中心に小室抜きツアーを企画したことは、木根の発言に一致するが、
本来「tribute LIVE」と同じ頃(2003年5~6月)にTMのツアーが企画されていたことは、
木根が触れていない点である


さらに遡って2002年10月後半頃、
ウツは「Castle in the Clouds」のリリースを踏まえた上で、
以下のように述べている

今回のリリースをきっかけに、TMはまた発信だなと思ってますけど、特に20周年にちなんだコンサートや新しい試みには力を入れていきたいですね。


ここでいう「20周年にちなんだコンサート」とは、
後の歴史を知っている者が見ると2004年の20周年ツアーかと感じてしまうが、
この時点でこれからの発信の一環として述べていることを考えれば、
2003年5~6月頃のTMツアーだった可能性の方がむしろ高いのではないだろうか
つまり「Castle in the Clouds」制作の時点で、
TMはアルバムだけでなく全国ツアーも計画していたことになる


これら断片的情報からは、
ツアーの準備がいつから始まったのかはまったく分からない
だが2003年に小室抜きツアーの企画を立ち上げ、急遽会場を確保したと考えるよりは、
2002年の時点ですでに会場を確保していたと考えた方が、
はるかに理解しやすいと思う


たとえば2000年の「Tour Major Turn-Round」は、
開催5ヶ月前にはスケジュールがおおよそ決まっており、
同様のスケジュールならば5月開始のツアーの会場は、
2002年中には確保していなくてはいけない
2004年5月開始の「Double Decade Tour」も、
具体的な会場確保状況は不明だが、開催自体は2003年中に決まっていた


要するにTMのツアーが2003年5・6月頃開催予定だったのならば、
2002年中には会場が確保されていた可能性が高い
しかしこれが小室の都合で実現困難になってしまったため、
小室抜きで開催することを木根が立案し、
ウツと小室を説得したという流れが推測できる


そのように考えれば、
アクションを起こすべきとのスタッフの発言があった2002/12/18の会合とは、
実際には木根がいうようなポジティブなものではなく、
ツアーを中止にすべきかどうかの話し合いだった可能性が高い
中止にする場合、当然会場に対して一定のキャンセル料支払い義務が発生する
そこで木根は、小室抜きツアーを開催してこれを回避することを考えたのではないか


もちろん小室抜きツアーに変更する場合、
大規模な会場はキャンセルすることになっただろうし、
サポートメンバーの都合で日程の微調整は必要となっただろうが、
全会場キャンセルと比べれば、負担ははるかに小さかったと考えられる


なお12/24NHK FMの特番「TM NETWORKスペシャル」では、
中村貴子から翌年のツアーについて聞かれると、
小室は「(話題は)ちらほら出ていますね」と言った上で、
「どうなんですかねえ、ツツジ…紅葉?」と言って、曖昧な態度に終始した
小室の消極的な様子がうかがえる


「tribute LIVE」について注目すべきは、
2003/2/16~23の「Live Epic 25」の会場のチラシで、
初めて開催が告知されたことである
「tribute LIVE」のチケットは3/30以後各会場で一般向けに発売されたが、
ウツ・木根のFCではその前から優先予約が始まった
そしてさらにこれとは別枠で、
「Live Epic 25」参加者に配布されたチラシで、
来場者限定で優先予約の電話番号も告知された


TM20周年へのウォーミングアップを宣伝するには、
たしかにEPIC世代が集まる「Live Epic 25」は格好の場である
「Live Epic 25」の企画は夏には始まっていたから、
メンバーが活動のスケジュールを立てるに当たり、
早くから念頭に置いていたとしても不思議ではない


ならば「Live Epic 25」会場でのチラシによるライブ告知は、
TMツアーとして計画されていた段階で、すでに予定されていたものかと思われる
ウツ・木根FCの会報発行も「Live Epic 25」とほぼ同時だったから、
日程発表のタイミングとしてはベストだった


ここまでで検討したところでは、
本来のスケジュールに関して推測されるところは、
以下の2点である

・TMは2002年10・11月頃に、アルバムのレコーディングを始めるはずだった
・TMは2003年2月半ばに全国ツアーの日程を発表し、5~6月頃に実施する予定だった


ここで私は、以上の推測にさらなる推測を重ねたい
それは上記のアルバム制作と全国ツアーが一連のものだった可能性、
すなわち2003年の全国ツアーはアルバムツアーだったという可能性である


これは必ずしも積極的な根拠があるわけではないが、
そもそもこれまでのTMの全国ツアーは、
デビュー以来すべてアルバムリリースに連動して行なわれてきた
この時だけアルバムと無関係のツアーが予定されていたと考える方が不自然だろう
だとすればこのアルバムは、
ツアーが開催される5・6月頃までにはリリースされる予定だったはずである


また先に見たように、私はこのアルバムの制作は、
本来10・11月頃に開始されるはずだったと推測している
その予定が遅延してからの計画は、当時のウツ・木根の発言からうかがえる


たとえばウツは10/26「玉川美沙 Bravo!」(TBSラジオ)で、
12月にはレコーディングに入らないと4月にTMの新作を出せないと述べ、
11/9「雄冶・ナイクのSaturday Nice Try」(TBSラジオ)では、
木根が春にアルバムを出したいと述べたという
(これらについて詳しくご存知の方、情報いただければ幸いです)


ウツの言う新作について、
12月レコーディング開始で4月リリースという間隔から判断すれば、
シングルではなくアルバムと見るべきである
木根の言う春のアルバムと同じことを言っていると見て良い
おそらくレコーディング開始が10・11月から12月に変更され、
それに伴いリリース予定日も遅く設定し直されたのだろう
もしも10・11月にレコーディングが始まっていれば、
2・3月頃にはアルバムがリリースできていたはずである


これ以前、2000年のレコーディングを見るに、
8~9月に先行シングル「Igintion, Sequence, Start」が制作され、
9~11月にその他の曲がレコーディングされた後、
12月にアルバム「Major Turn Round」がリリースされた
この例では先行シングル制作開始から4ヶ月、
アルバム曲制作開始から3ヶ月後のタイミングでアルバムがリリースされている
このペースでレコーディングができれば、
10・11月制作開始、2・3月リリースは十分可能だし、
それならば2月の「Live Epic 25」でも宣伝できただろう


しかしアルバム制作開始は12月に変更された上、それすら実現しなかった
こうした中で木根は、せめてシングルだけでもリリースしたいと考えたようで、
年始に発表された(おそらく年末の)インタビューで2003年の活動を聞かれた時、
以下のように述べている

TM NETWORKとして、03年春ぐらいにシングルを作って、そのあとアルバムがあってライブができたらいいなっていうのは、3人のなかにあります



以上の過程を整理して見れば、2003年のリリース計画は、

2月頃アルバム(9月以前の計画)
→4月頃アルバム(10~11月の計画)
→できれば春にシングル(年末の計画)
→すべて中止(2003年)


という形で後退し続けたと推測できよう


以上の経緯を踏まえて考えれば、12/18のウツ・木根の打ち合わせは、
アルバムリリースの中止を前提として、
確保済みのツアー会場をどうするか相談したものと考えられよう
また逆に、ウツ・木根がしばらくアルバム制作にこだわったのは、
ツアー会場を確保していたという事情もあったのかもしれない


このように考えた場合に改めて注目されるのが、
音源集「キヲクトキロク」のリリースである
本作のリリースは11月初頭に発表され、翌年2/5にリリースされた
10月下旬にはリリースが決定されていたものだろう


これまでの考察に従えば、
10月の時点でアルバムリリースは4月を目標とするようになっており、
2002年度(2002年4月~2003年3月)にはアルバムリリースができなくなっていた
これを受けて「キヲクトキロク」の年度内リリースが、
代替措置として急遽決定されたのではないだろうか
要するにかつて2000年3月のアルバムリリースが中止された代替として、
ベスト盤「Best Tracks」がリリースされたのと同じケースということである


もっともオリジナルアルバムと比べれば、
寄せ集め音源集に過ぎない「キヲクトキロク」の価値の低さは明らかだった
そのため小室は年度末になって、
駆け込みでR&Cから次々と新商品を企画する


2/26のライブアルバム「TK Presents Synthesized Trance vol.2」リリースは別枠だろうが、
年明けにはR&Cからの「Piano Voice」「Piano Wind」(さらにavexから「Piano globe」)リリース(2003/3/19)が告知された
一部新曲もあるものの、過去曲をピアノで演奏しただけのものや、過去のインスト音源そのままのものも含む、なんとも中途半端な作品である


さらに同じ頃、3/26の「Tm Network トリビュート アルバム」のリリースも発表された
この企画は1月中に中止されたが、
HMVのサイトには現在も本商品の痕跡が残っている


同サイトには以下のような商品説明が見える
おそらく急な企画だったため、参加ミュージシャンが集まらず、
企画が中止になったのだろう

レア音源に続いてTM NETWORKのトリビュート盤が発売します!詳細はまったく未定ながら、若手のアーティストを中心としたトリビュート盤となりそうです。


これらの間に合わせ企画は、
「キヲクトキロク」と同様にTMのアルバムが年度内にリリースできなくなったことの埋め合わせだろうが、
本当にがっかりする仕事ぶりといわざるを得ない


以上のように考えた場合、2002~03年のTMのリリース計画は、
以下のように推移したことになる

1. 2002年9月以前:2002年度内にシングル・アルバム発売、2003年度にTMツアー
2. 2002年10・11月:2002年度内にシングルと音源集発売、2003年度にアルバムとTMツアー
3. 2002年12月:アルバム制作の中止決定とTMツアー中止の検討
4. 2003年1月:TMツアーの代替として2003年「tribute LIVE」開催


さらにこの前にはもう一段階あった
2002年1月時点で予定されていた秋のリミックスアルバムリリースである
これは5~6月頃まではメンバーが発言しているが、その後言及されなくなる
おそらく7~8月頃に「Castle in the Clouds」の制作スケジュールが固まる中で、
リミックスアルバムを秋に間に合わせることが難しくなり、
年度末のオリジナルアルバム計画に変更されたのだろう


以上の推測が正しいものだとすれば、この頃のTMは、
リミックスアルバム・シングル・オリジナルアルバム・全国ツアーの内、
シングル以外はすべて遂行できなかったことになる
「キヲクトキロク」「tribute LIVE」などは、
本来の計画の残骸か間に合わせの企画だった


この間小室はほとんどTMに関わっておらず、
「tribute LIVE」は完全に木根主導だった
この活動計画の後退は、小室の都合によるところが大きかったと見るべきだろう
その始まりが2002年10~11月頃にあるとすれば、その背景は推測できる
小室の結婚である


小室とKEIKOは11/22に挙式することを10/6に発表した
以前述べた通り、式の日取りは細木数子が語呂合わせによって決めたものだった
つまりこの日程は、他のスケジュールとの調整を経て決まったものではなく、
この日しかないと言う形で決められたものである
それは当然、以前から決まっていたスケジュールの一部に変更を要求することになっただろう
これがTMのレコーディング日程変更にもつながったものではないか


さらに小室は12月に入ると、新婚旅行を兼ねてハワイに旅立ち、
以後断続的に日本に帰国しながら、
翌年2月にかけてロスアンゼルスおよびハワイで、
ピアノアルバムおよびglobeのアルバムの制作に入った
これらの制作は帰国後も続き、3月初めまでかかった


この間、TMのレコーディングが行なえるはずはなかった
木根がハワイまで「tribute LIVE」開催の許可をもらいにいった1/29は、
このglobeのレコーディングの最中のことだった


小室がTMの全国ツアーへの参加を拒否した理由として、木根・小室は、
2003/7/9に予定されていたglobe東京ドームライブに専念することを挙げている
TMツアーは6月終了予定だったから両立は可能なはずだが、
あえてTMを詰め込むほどの動機はなかったものか


要するに2002年10~11月以後TMのために確保されていたはずの日程は、
すべてglobeの活動に置き換えられてしまった
なぜ小室がこのようなことをしたのかはよく分からないが、
新妻KEIKOに晴れ舞台を用意するために、
全力をglobeに捧げようとしたのかもしれない


ただ音楽的な問題として、
そもそも小室がTMでやるべきものを見出せていなかったこともあるのかもしれない
本記事冒頭のコメントにある通り、
小室にとって「Castle in the Clouds」は、
反響を得るための「テスト」としての側面があったが、
手応えはあまりよくなかったのではないだろうか


小室は後に「Castle in the Clouds」について、
「メンバーには申し訳ないなと思いますけど、TMの立ち位置をどこに寄せるべきか、位置づけをとても悩んでいた時期でした」と述べている
何をすればよいか分からないTMよりは、
トランスという方向性は決まっていたglobeの方が、
小室としては手が付けやすかったと見ることもできる
またライブMC中の発言なので割り引いて聞くべきだろうが、
TMでトランスをやることについては、木根が難色を示していたらしい


キャンペーンソングにおける80年代の再現、
言い換えれば懐メロJ-POP路線というオファーは、
一つの可能性ではあっただろう
ただそれは小室の音楽的動機を刺激するものではなかった
「Castle in the Clouds」の中途半端な仕事ぶりは、
その反映なのだろうと思う


小室が2002年にこのような状態でTMを動かしたのは、
一つにはウツ・木根やスタッフ・ファンから、
再結成したからには一定の周期で活動しなくてはならないという圧力を受けていたからだろうし、
またより大きい要因としては、
業績不振だったR&Cから成果が見込まれる作品のリリースが求められていたこともあったのだろう


言うなれば「Castle in the Clouds」は、
ミュージシャンとしての動機とは別のところで、
仕事として作った作品という性格が強い
この延長上でのアルバム制作が実現しなかったのも、
さらに全国ツアーに参加する意欲が湧かなかったのも、
一言で言えば機が熟していなかったということと思う


以上、本章はこれまでにないほど推測を交えたものになったが、
この推測に従えば、TM20周年への道のりは、
極めて不穏な形で始まったことになる
それはあたかも、「終了」という結末で終わったTM10周年に向けた活動にも似たところがある


たとえば1年以上TMの活動を休止した後、
世間の反応を見るためにパイロットシングルを1枚だけ出すも、
これに続くアルバム制作を放棄して別ユニットに専念するという過程は、
偶然ながら1993年の動向と驚くほど類似する
TM20周年に至る動向を10周年の時と比較して、
対比的に図式化すれば、以下のようになる

・1993「一途な恋」不振 →アルバム制作を中止しtrfへ
・2002「Castle in the Clouds」不振 →アルバム制作を中止しglobeへ


さらに言えば、1993年には「一途な恋」の前に、
リミックスアルバム「Classix Ⅰ・Ⅱ」がリリースされているが、
2002年にも当初は「Castle in the Clouds」の前に、
リミックスアルバムがリリースされる予定だった
影響関係があるわけではないが、不思議な一致である


もっともTM10周年の時には直前にtrfが成功を収め、
TMNが「終了」することになったのに対し、
20周年の時にはglobeが失敗したことで、
TM20周年は無事遂行され、「再終了」も行なわれなかった
これはTMファンにとっては幸いなことだったようにも見える


だが別の見方をすれば、TMN「終了」が小室の成功の結果であるのに対し、
TM20周年の実現は小室の失敗の結果だったとも言える
その意味でTM20周年に向けて展開された活動は、
「終了」以上にネガティブな要素にまみれたものだったと言うこともできるだろう

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