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7-15 小室哲哉の覚醒

2019/05/18 04:07
5/17、東京・大阪で、
「TMN final live LAST GROOVE 1994」のライブハウス上映会が行なわれました
私は行っていませんが、上映開始前の東京会場では、
石坂健一郎さん・川崎幹雄さん・藤井徹貫さんによるトークが行なわれました
多分こちらのレポートは、後日公式に発表されることでしょう


石坂さんはウツのメッセージを朗読しました
この様子は大阪でも中継されたはずです
メッセージ朗読シーンは、ネットに動画が投稿されていました

会場にお集まりの皆さん、35周年を盛り上げてくれて、ありがとうございます。
今日会場にはうかがえませんが、皆さんの応援に改めて深く感謝しています。
僕たち3人も年齢を重ねてきましたが、奇跡的にみんな元気にやっています。
この先は自然の流れに任せつつ、音楽活動ができたらなと思っています。
25年前のLAST GROOVE、最後までゆっくり楽しんでいってください。本日はご来場ありがとうございます。
令和元年5月17日、宇都宮隆


また今回の上映会に先駆けて、
ネットには4/21の上映会の関連動画レポートインタビューなどが出ました
最後の木根さんインタビューには、思い出話も色々と語られています


「アルバム『EXPO』で総括して。「じゃ、とりあえず一回休もう」って、てっちゃんに言われたんだけど」
というところなどは、
小室さんの提案がどういうニュアンスだったのか気になるところですが、
考えてみれば活動休止の時の話が語られるのて珍しいですよね
あと「STARCAMP TOKYO」について、
「つっこみどころ満載だよね(笑)」てのは、なかなか率直な感想です(笑)


今回の上映会と、5/22の「TM NETWORK THE VIDEOS」を以て、
TM35周年関連の企画は多分終わると思います
まあ企画といっても、完全にSONYの過去作品の再販活動だったんですけど、
振り返ってみると、何もないよりはよかったんだろうなと思います


ウツは「それゆけ!歌謡曲〜ギア4 one〜」を来月まで開催しています
また木根さんは、6/22から8/12まで約2カ月、
「NAOTO KINE 2626ツアー」開催します
(なおまだ公演は増える可能性があるとのこと)
去年の「2525ツアー」を受けたネーミングですが、今後も数字を増やしていくんでしょうか
チケットの一般発売はTMのBOXリリース日の5/22です
て、一般発売も何も、FCなくなったから、チケットは全部一般なんですよね多分


では本題に入ります
いよいよ今回から、TM20周年の本編に入ります
今回は客観的な事実の整理と言うよりは、
私の推測・解釈がかなり入っていますので、異論をお待ちしております

-------------------------------
2003/12/30のことである
TM NETWORKは3年ぶりに、音楽番組に生出演を果たした
特番「ザ・ベストテン2003」である
この特番は「ザ・ベストテン」放送当時の名曲を歌うというもので、
2000〜04年の間、毎年年末に放送されていたが、
この時はTMの「Get Wild」が8位となった


ランキングが発表されると、
3人は80年代と同じセットから、スタジオに登場する
3人ともスーツ姿である
小室は何を勘違いしたか、登場するなりカメラに投げキスである


ちゅ


この時司会の黒柳徹子は、
小室に対しては1年前の結婚式やKEIKOの話を振るなど、
それなりの時間を取ったのだが、
ウツに対しては「しばらくでございましたね」と話しかけ、
ウツが「4年ぶりくらいですかね」と返事すると、
「そんなに何十年も前てわけでもないですかね」と言って早々に話を切り上げ、
さらに木根に至っては、
「じゃあ木根様、どーも、しばくらぶりです」
→木根「お久しぶりです」→黒柳「どーも、どーも」
で終わりという、なんともおざなりな対応だった
小室とのトークに時間を使いすぎて時間がなくなったのだろうか


なおこの時、黒柳が小室に、
「(KEIKOは)お仕事も一緒だから、家庭生活どっぷりというわけでもないですかね?」
と質問したところ、小室が「どっぷりです」と答えたのは、
この後で述べる当時の小室の状況を考えると、
必ずしも笑えないところがある


小室は黒柳の「Get Wild & Tough」「Get Chance & Luck」「TM NETWORK」の声を事前に録音し、
演奏の時にサンプリングして使用した
1989年に「夜のヒットスタジオDX」で披露した演出で、
その頃のパフォーマンスを知っていた番組スタッフが企画したものだろう


イントロでは黒柳の「Get Wild & Tough」が使われ、
間奏では黒柳声で「GeGeGeGe」が流れた
ただ正直、黒柳の声と曲はまったく合っていない
また演奏は、サンプリングボイス以外はカラオケと思われる
全体としてあまり見るべきところのないパフォーマンスだったが、
短くなった間奏を除きほぼフルコーラスだったのは、
21世紀のTV出演では珍しい例である


なおTMはパフォーマンス後、
番組が終わるまでスタジオのソファーに座り、
7位以後の歌手のコメントや歌も見ていた
その一人に「タイム・トラベル」を歌った原田真二もいたが、
ウツはこの時に原田と初めて話をした
これが、次のソロアルバムのプロデュースを原田に依頼する前提となる


さて、この日はTM NETWORK 20周年において重要な日だった
3人はこの日を年内の仕事納めとし、
年明けからレコーディングに入る予定だったのだが、
よりによって小室がこの日になってメンバーとスタッフに、
翌年の仕事の内容の変更を提案したのである


それは、次のシングルに自分の新曲を1曲入れたいというもので、
すでに曲は制作中だとも告白された
この提案にスタッフは大いに困惑し、
スケジュール調整などに奔走したという
今からで間に合うのかという不安もあったらしい


結局小室のこの提案は通り、
新曲はシングル「NETWORK™」の1曲目として収録されることになった
これがTM20周年を代表する曲になった「Screen of Life」である
この件は、私はTM20周年にとって大きな出来事だったと考えている
それは「Screen of Life」という1曲が生まれただけでなく、
20周年のプラン自体もこの時に変化したと考えているからである


そもそも小室の新曲制作が新提案だったということは、
2004年のTMは小室の新曲がないままで活動を行なう予定だったはずである
だが一方でレコーディングは計画されていた
それは後で述べる様に、過去曲のリミックスだったと考えられる
関係者は年末にも、その前提で動いていたのだろう


ところが小室はレコーディングの日程が目前に迫り音作りを始めた中で、
新曲を作る手応えをつかんできたのだと考えられる
以下ではしばらく、この件を考察したい


TMはこれ以前、クリスマス前に、
メンバーのFC会員向けのダイレクトメールで、
2004年の20周年関連企画を発表していた
2/25のシングルリリース、3月末のアルバムリリース、
「Fan Event in Naeba」のライブDVDの限定販売、
TMデビュー20周年記念日4/21の横浜アリーナライブである


この時に告知されたシングルの情報では、
表題は「Take it to the lucky〜金曜日のライオン〜」とされ、
カップリングとして木根の新曲も入るとされていた
前者はTMデビュー曲「金曜日のライオン」のトランスミックスで、
「Fan Event in Naeba」で披露されていたものである
「ザ・ベストテン2003」でも、
「金曜日のライオン」セルフカバーと横浜アリーナライブの予定が告知されている
木根曲の曲名はこの時点では決まっていなかったが、
後に「風のない十字路」と名付けられた


「Take it to the lucky」は、
2003/11/10〜13にレコーディングが行なわれており、
木根による「風のない十字路」のデモテープも、
その時点ですでにできていた


だがなぜか「風のない十字路」のレコーディングは年内には行なわれず、
両曲の商品化も翌年2月末まで待つこととなった
おそらく3月のアルバムリリースと連動させることで、
ファンの関心をアルバムにつなげることを意識した日程だろう
そしてここで改めて注意したいのは、
この時点でシングルに小室の新曲が入る予定がなかったことである


一般に先行シングルは、アルバムの顔となる曲を入れるものであり、
TMの場合それは当然、小室の新曲である
ところがこの時はそれが予定されていなかった
こんな不可解な例は、これまでほとんどない


唯一の例として挙げられるのは、
1989年に「Get Wild '89」をはじめとする3枚のリプロダクションシングルが出されたことくらいである
そしてこの時に出されたアルバムは、
海外プロデューサーによるTM楽曲のリプロダクション作品集「Dress」だった
つまりリプロダクションアルバム(要するにリミックス版)を出すから、
その音の紹介としてリミックス音源を数曲先行発表したのである


だとすれば、2004年にリミックス曲が先行シングルとされたのは、
その後のアルバムもリミックスアルバムが想定されていたためではないかと思えてくる
私はこの時点では、小室の新曲はアルバムに入らないことになっていたと考えている
インストやSEくらいはあったかもしれないが、
少なくとも歌入りの新曲は想定されていなかったのではないか


逆にもしも新曲の収録が想定されていたのならば、
ファンへのアピールのためにも先行シングルに選ぶのが普通だろう
たとえば1992年リリースの提供楽曲セルフカバーアルバム「Hit Factory」には、
新曲として歌入り2曲とインスト1曲も含まれていたが、
先行シングルとしてはその中から「Magic」が選ばれている
また1999年のglobeリミックスアルバム「first reproducts」の先行シングルとしても、
1曲だけ収録された新曲「Miss Your Body」が選ばれている


だとすれば年末に小室が新曲を入れたいと発言したのは、
シングルに1曲を加えるだけという話ではなくなる
それはアルバムにも新曲を入れたい、
少なくとも単なるリミックス盤ではないものにしたい、
という主張だったことになる
実際に年明けに作られた20周年記念アルバム「NETWORK〜Easy Listening〜」は、
オリジナル曲とリミックス曲双方を含む独特な形態となった


リミックスアルバム計画という想定は、必ずしも突飛な発想ではない
そもそもTMは2002年秋、
リミックスアルバムで吉本での活動を始動させる予定だった
TMの本格始動自体がうやむやになり、この計画は語られなくなったが、
20周年を目前としてようやく活動を始めるという時点で、
リミックスアルバム計画が復活したことは十分にあり得るだろう


逆に当初からオリジナルアルバムが計画されていたのならば、
理解しがたい点がある
「Easy Listening」の制作期間の短さである


「Easy Listening」のレコーディングは、
11月にレコーディング済みだった「Take it to the lucky」を除くと、
2004/1/6から始まった
まずはシングル用の「Screen of Life」「風のない十字路」の制作から始まり、
これらが1月半ばに完成すると、
以後はアルバム用楽曲の制作に移った
木根によれば、完成はバレンタインデー直前(2/13頃?)だったという


この「完成」がどの段階を指すのかははっきりしないが、
アルバムリリース日3/24まではまだ余裕がある
おそらくバレンタイン直前とは小室の音源制作が終わった段階であり、
この後に1週間程度でトラックダウンが行なわれたものだろう


トラックダウンはロンドンのDave Fordが行なった
元PWL所属のミキサーで、
プロデューサー期以来小室の作品を多く手掛けてきた人物だが、
TMに関わったのは本アルバムが初めてである
アルバム制作は2/13頃に小室の手を離れ(木根の言う「完成」)、
その後アメリカで最終的な音源が完成したものと考えたい


以上のスケジュールを見ると、
シングル・アルバムは一連の作業の中で制作されており、
その期間は1カ月半程度である
このスケジュールはオリジナルアルバム制作期間としてはかなり短い
比較のため、これまでのオリジナルアルバムについて、
トラックダウンまで含む制作期間を以下にまとめておこう

「Rainbow Rainbow」:4ヶ月(1983/10〜1984/2)
「Childhood's End」:5ヶ月(1984/12〜1985/4)
「Gorilla」:2ヶ月(1986/2〜4)
「Self Control」:3ヶ月(1986/9〜12)
「humansystem」:2ヶ月(1987/7〜9)
「CAROL」:3ヶ月(1988/6末〜8初、1988/8末〜10初)
「Rhythm Red」:3ヶ月(1990/5〜8)
「EXPO」:3ヶ月(1991/3〜6)
「Major Turn-Round」:3ヶ月(2000/8〜11)


「Easy Listening」のレコーディング期間の短さは、
制作が順調に進んで早く終わったため、というわけではあるまい
年度内(3月まで)のシングル・アルバムリリースは、
R&Cとの契約での必須条件だったはずであり、
そのためにはレコーディング全行程は2月に終わる必要があった
それにもかかわらずレコーディングは年明けに始まったのだから、
もともと1カ月半程度で制作することが想定されていたと考えざるを得ない


TKプロデュース全盛期、1か月でアルバムを作った話などはよく語られるが、
2003年頃の小室が楽曲制作ペースの谷底期にあったことも考えれば、
オリジナルアルバムの制作スケジュールとしては、あまりにも危険である
この点からも当初予定されていたのは、
リミックスアルバムの制作だったと見るのが自然ではないか


実際に作られたアルバム「NETWORK〜Easy Listening〜」は、
10曲中3曲が「終了」以前の楽曲のトランスミックスとなっている
また最後の3曲はインストや準SE的な曲になっているが、
小室はこれについて、音はこだわって作っていると断りながら、
分数(収録時間)や曲数の数合わせの意味もあったと白状している
そのため本作をオリジナルアルバムとして数えるのは不適当だという批判も、
しばしば見られるところである


この批判はたしかにもっともなところもある
だが1カ月半の日程が本来リミックスアルバム用の制作スケジュールだったのならば、
それを限られた時間の中で可能なだけオリジナル盤に近づけようと尽力した結果ともいえる
実際に本作制作中の小室は、寝るかレコーディングしているかの日々だったといい、
小室は久々にスイッチの入った状態になっていたようである


以上のように想定した場合、
アルバム制作の方針はレコーディング開始の1週間前になって変更されたことになる
その場合もっとも変更が困難なのは、外注していた作業である
具体的には、Dave Fordの担当分が挙げられる


Daveはミキサーとしてトラックダウンを行なった以外に、
2002年のシングル「Castle in the Clouds」「君がいる朝」と、
木根の新曲「風のない十字路」について、
Additional Productionを行なっている
また「君がいる朝」「風のない十字路」については、
Ian CurnowもAdditional Productionに参加している


この3曲は原曲から大きくアレンジが変更されているが、
他の7曲と比べても明らかに異色の音である
小室もこの3曲についてこれまでコメントしたことがなく、
DaveとIanは「Additional」などではなく、実質的なリミックス作業を担当したと考えられる
2004年に入ってからこのような仕事の依頼ができるはずがなく、
2003年中には依頼されていたはずである


ならば当初計画されていたリミックスアルバムとは、
Dave・Ianが新曲3曲をリミックスし、
小室が「Take it to the lucky」をはじめとする過去曲のリミックスを担当するという構想だった可能性が高い


以上のように私は、TM20周年記念アルバムが2003年年末になって、
リミックスアルバムから(準)オリジナルアルバムに変更されたと推測している
この急な方針転換が混乱を生みながらも受け入れられたのは、
ウツ・木根やスタッフも、
新作としてはオリジナルアルバムが望ましいと考えていたからに違いない


ならばなぜ2003年には、リミックス盤でお茶を濁そうとしたのか
11/10〜13頃にシングル表題曲として「Take it to the lucky」がレコーディングされた時点で、
20周年はリミックス中心で行くのが基本方針だった可能性は高い
ただ私は、これ以前には別の方針が想定されていた可能性も考えている
以下、シングルの制作計画について整理してみよう


TMはすでに7月の時点で、
秋のシングルリリースと翌年のアルバムリリースを宣言していた
globeの東京ドームライブが中止になった後、
「Fan Event in Naeba」の開催が内定した5・6月頃、
新譜のレコーディングについても打ち合わせが行なわれたのだろう


「秋」のシングルリリースはもっとも遅くて11月としても、
10月中にはレコーディングを終える必要がある
9/5〜7には「Fan Event in Naeba」が開催されたから、
それから2ヶ月以内に制作しなくてはならないことになる


だが3人とも「Fan Event in Naeba」の直後は、しばらくソロ活動を行なった
具体的に確認すると、小室はイベント直後から、
KEIKOのソロシングルのレコーディングに入った
木根はソロミニアルバム「Ci è la musica due」の制作に入り、
9/24からはソロツアー「talk & live 番外編 vol.3」の後半の公演を始めた
ウツも9/15から「Tour wantok」のリハーサルを始めた


ウツによれば、「Tour wantok」中(9/20〜10/26)に、
TMのレコーディングが入る可能性があったという
たしかにその期間にレコーディングしないと、
秋(9〜11月)のシングルリリースは無理である
木根は実際に9月頃、TMの曲も作っていた
シングルに収録された「風のない十字路」と考えられる


小室はKEIKOのソロシングル以外、年内に仕事があった形跡がない
おそらく小室はKEIKOのシングル制作後、
9月下旬から10月にかけてTMシングル曲の制作に入る予定であり、
木根もそのための曲を準備していた
小室が音源を完成させたらウツの歌入れを行ない、
それを先行シングルとするという予定だったのだろう
ところが実際には10月が終わっても、
TMのレコーディングは行なわれなかった


木根は10/21シングルについて、
小室と打ち合わせを行なっている
その具体的な内容は不明だが、
この時点でレコーディングが行なわれていなかった以上、
秋のシングルリリースは不可能である
この日の2人はシングルリリース延期の確認と、
それを踏まえた20周年企画の見直しを行なったのだろう
11/10〜13の「Take it to the lucky」レコーディングは、
おそらくこの打ち合わせを経て決定したものである


レコーディングが11月までずれ込んだのは、
楽曲制作担当の小室の都合によるものだったと考えられる
この間、ウツも木根も予定通りにツアーをこなしていたし、
木根は自分の担当する曲を作っていた
問題は小室にあったと見られる


これは小室のスランプ状態が原因である可能性が高い
少なくとも2003年後半の小室が、
これ以前と比べて小室が多忙だったとは考えがたく、
単発のイベント出演とKEIKOのシングルを除き、
ほとんど仕事をしていない
しかもそのシングルも、1曲は夏に発表済、
2曲は小室ソロ曲・TM曲のリメイクであり、
実質的な新曲は「Humanrace」1曲である


小室は後に、KEIKOと結婚してからの約1年、
つまり2003年頃は創作意欲を失っていたと、自ら告白している
2003年3月に前妻吉田麻美への慰謝料支払いが滞ったことを考えると、
すでに経営・資金繰りで奔走する時期に入っていたと見られ、
それが楽曲制作にも関わっているのかもしれない


そのような中でレコーディングされた「Take it to the lucky」は、
「Fan Event in Naeba」で披露したライブ用トラックを手直ししたものだった
もしもこれが当初からシングル表題曲として想定されていたのならば、
音源の準備にそれほど手間取るとは考えがたく、
秋のシングルリリースの予定が延期されることもなかっただろう
おそらく小室が新曲を作れない状態だったことを踏まえ、
代替措置としてライブテイクをシングルにすることにしたものと考えられる


そう考えると、打ち合わせが行なわれた10/21は、
本来はシングルのレコーディング予定日だったとも考えられる
木根は10/17にソロツアー「talk & live 番外編 vol.3」を終えており、
ウツのソロツアー「Tour wantok」も、
10/19の名古屋公演の後は10/25Zepp Tokyo公演まで空いていた


ウツが名古屋から移動した後、休憩日を1日設けた上で、
21〜24日にレコーディングを行なうというのが当初の計画と考えれば理解しやすい
それならばウツのツアー中にレコーディングが予定されていたという話も、
整合的に理解することができる


しかし肝心の小室は曲を作ることができず、
シングルにはライブ用のトラックを使うことにした
この時点でメンバー・スタッフは、
小室の新曲を中心としたオリジナルアルバムの制作は困難と判断しただろう
しかし吉本との契約上、
アルバムは年度内にリリースしなくてはいけない
そこでかつてのリミックスアルバム計画を復活させ、
20周年はこれでお茶を濁すという方針が決まったものと推測する


仮にこのような事態があったとすれば、
これをもっとも不本意と感じたのは、当の小室自身だったはずだ
小室はその後も悩みあがき、そしてついに手応えを得た


この時点で新曲を入れたいとあらためて訴えたのが、
冒頭に触れた年末の小室の発言だったのだと思う
そしてその間の葛藤を生の言葉で表現したのが、
次章で触れる「Screen of Life」の歌詞だったのだろう


20周年を記念する作品として、
「Easy Listening」が満足の行く内容だとは、私も思わない
過去曲のリミックスと新曲を両方入れるならば、
「20」周年にちなんで新曲10曲+リミックス10曲の20曲2枚組くらい出してほしいとも、
当時は感じたものである


だがこの頃創作意欲が減退していたと告白する小室の状態を考えれば、
これでも最善の結果だったと考えるべきなのかもしれない
ともかくも年が明けてから小室がレコーディングを始めたことは、
メンバーやスタッフを安心させたようだ
ウツの2月初め頃のインタビューはそれを示していよう

ちゃんとリーダーがやってくれてる感じが嬉しいね。MCでいろいろしゃべる立場としてはさ、心のどこかで正直ちょっぴり不安があるから。いつもやるのかやらないのか、いや、やるのははっきりしてるんだけど、それがいつになるのかってね。みんなに話したくても話せない、はっきり言えないできた部分があるからさ。それが、どうやらちゃんとできそうなんで。


一方で20周年遂行のために奔走していた木根は、
苦しむ小室を見ながら、心苦しくも感じていたように思う
それを思わせるのが、「風のない十字路」の歌詞である
この曲については、本来次章で触れるべきところだが、
歌詞については先回りしてここで触れておきたい


本作は「We Are Starting Over」「君がいる朝」と続け、
木根が3部作の最後として作ったものだった
11月のレコーディング時、
木根がこの曲のデモテープを小室に聞かせたところ、
小室は自分が作詞することを提案したが、
結果的には3部作なら前2作を作詞した小室みつ子に依頼した方が良いということになったという


これを踏まえて木根はみつ子に作詞を依頼した
レコーディングは2004/1/6から始まったから、
11〜12月に依頼したことになる
avex期以前では、これが最後のみつ子作詞のTM曲となる
なおみつ子は「風が吹いたら」の部分などで、
コーラスにも参加している


3部作のテーマは、それぞれ男女の出会い・日常・別れだった
つまり「風のない十字路」は、それまで一緒にいた男女の別れの歌である
イメージとしては、3曲とも同じ二人を描いているのだろう


「新・電気じかけの予言者たち」によれば、木根の本作のイメージは、
お互いを尊重しつつ別々の道を行くと言うものだった
実際に歌詞はそのような内容になっており、
木根が伝えたイメージに沿って書かれたと見て良い


歌詞を詳しく見ると、曲名の「風のない十字路」とは、
事態が停滞して動かない現状を表現したものであることが分かる
歌詞の主人公はこの十字路に立って思い出を振り返っている


歌詞には「たくさんの「はじめて」と交差してた終わり」とあるが、
これはパートナーと一緒に過ごしてきた日々が、
すでに終わったものになっていることを意味している
2人の関係は過去のものであり、新しい思い出はもう生まれない
そのような中で二人を取り巻く事態がすでに変化しつつあることは、
「きのうが流れ出」していると歌われていることから分かる


「君が選ばなかった毎日を今も過ごしている」
「僕は僕らしいままで今もここにいる」
というフレーズに見るように、
主人公の男性は過去にとらわれて、十字路から動き出せていない
しかし自分が留まることは相手の未来も縛ることになると考えたものか、
主人公はついに「風が吹いたら」、つまりきっかけができたら、
「ホントの自由を君に返すために」「別なあしたを歩き始めよう」
と決意するというのが、歌詞全体の流れである


みつ子はこの曲の歌詞の内容を以下のように要約している

別れではあるけれど、前向きな別れ。離れた相手のことをいつまでも想う限り、相手をどこかで引き止めてしまう。本当の意味で互いに自由を与え合うには、それぞれの道を歩もうと歩きださなくちゃというような気持ち。


木根はみつ子にこの曲の作詞を依頼する際に、
The Beatlesの「My Long and Winding Road」(のような歌詞)にしてくれと注文した
歌詞の冒頭が「曲がりくねった道(=winding road)」と始まるのは、
この注文を踏まえたものだろう


木根はこの注文につき、
「この言い方で、みっこちゃんなら僕の心情を理解してくれると思った」と、
簡略ながら意味深な書き方をしている
当時の木根とみつ子の間では共有されていた思いがあり、
木根はそれを前提として作詞を依頼したのだと思う


またみつ子によれば、木根は作詞の依頼をした時、
「ファンに期待をさせるようなものにはしたくない」
という趣旨のことを告げてきた
木根はすでに、TMがファンの期待に応え続けることに限界を感じていたことになる
この時みつ子も、苦悩も含めた木根の気持ちを感じ取ったという


要するにこの曲の歌詞は、みつ子が完全な創作として作ったものではなく、
関係者として知っていた木根の気持ちを踏まえて作ったものだった
そしてその気持ちとは、TMの限界を自覚したことに基づくものである
以上を踏まえて、この曲で歌われる男女の「別れ」を読み解けば、
それはTMとファンの別れ、もしくはTMメンバーの別れの象徴的表現ということになると思う


そもそも歌詞のモデルとされた「My Long and Winding Road」は、
最後までたどりつけない道を歩き続けることの苦しみを歌ったもので、
内部の関係が微妙になっていた時期のThe Beatlesのラストシングルでもある


木根があえてこの曲をモデルに持ってきたのは、
自らもTMの活動の難航に苦しんでいることを踏まえているのであり、
さらにいえば今回が最後の活動になる可能性も意識していたのだと思う
ならば別れを告げる相手として想定されているのは、
まず第一には小室哲哉であるに違いない


なお別の曲の話だが、木根は2004/2/24のインタビューで、
「君がいる朝」について、連れ添って一緒にいる感じとした上で、
メンバー3人がオーバーラップする歌詞だと言っている
これは木根が自分の曲の歌詞をTMメンバーの関係になぞらえる発想があったことを示しており、
「風のない十字路」にも同様の発想があったと見ることは困難ではない


ならば木根が「風のない十字路」に込めた気持ちとは、
長い間小室とはTMとして一緒に活動してきたけれど、
今回の活動が終わったら自由になって欲しい、ということだとも考えられる


そのように考えてよいならば、
この歌詞が依頼された2003年11〜12月頃、
木根は苦しむ小室にTMの活動を強いることを、
束縛とすら感じていたのではないか
その上で20周年の仕事が終わったら、
小室を解放してあげたいとすら思っていたのではないか


一曲の歌詞からどこまで読み取ってよいのか危いところもあるが、
もしもこのような読解が可能ならば、
20周年は実に危機的な状況下で遂行されたのだともいえる


だがその本格始動の直前も直前になって、
年末に小室は覚醒した
その覚醒は、十全な活動を実現するにはすでに遅きに失したものではあった
しかし一時期メンバーですら悲観しきっていた20周年の活動は、
ここから時間の限りの挽回へと向かっていくことになる


その挽回がどの程度達成できたのかは人によって評価が異なるだろうが、
私は20周年を形としてまとめるくらいには挽回できたと考えている
それは小室のあがきの結果でもあり、
木根やスタッフの忍耐が可能にしたものでもあった


次章以降は、2004年に行なわれた20周年の活動について、
具体的に触れて行こうと思う


NETWORK TM
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記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 21 / トラックバック 0 / コメント 7


7-12 ソロ11年目のウツと木根

2018/12/06 03:37
松浦勝人さん、11/8にInstagramに小室さんのピアノ演奏を配信してくれましたが、
11/11にもInstagramに小室さんのピアノ演奏シーンの動画をアップしました
11/8とは別の店・別の服です
しかも今回は歌付きで、歌はTUBEの前田亘輝さんでした
大変意外なコラボです
曲は尾崎豊「I Love You」で、これまた意外な選曲でした


松浦さんはコメントで、
「前ちんは酔ってて、歌えないのに、小室さんとの再会に無理して歌ってくれました!」
と書いています
こちらの動画はすでに見ることができなくなっていますが、
ネットニュースでも何箇所かで取り上げられています


10〜11月の相次ぐ小室さんの露出は何なんだろう?と思っていましたが、
まもなく判明しました
11/27の小室さん還暦誕生日に、
新商品「TETSUYA KOMURO ARCHIVES PROFESSIONAL PRODUCTS」のリリースが発表されたのです
2019/3/27発売予定で、mumo限定で完全受注生産とのことです
小室さんと松浦さんが会っていたのも、
一つにはこの打ち合わせがあったんでしょう


今年の6/27には4枚組の「TETSUYA KOMURO ARCHIVES "T"」「TETSUYA KOMURO ARCHIVES "K"」
さらに両作品にボーナスディスクを加えた9枚組の「TETSUYA KOMURO ARCHIVES BOX」がリリースされましたが、
今回の「PROFESSIONAL PRODUCTS」は、
「ARCHIVES BOX」の9枚を含む49枚組BOXとなっています
要するに「PROFESSIONAL PRODUCTS」を購入する方にとって、
「ARCHIVES BOX」はまったく無用のものとなります


「PROFESSIONAL PRODUCTS」の内容は、
これまでの小室さんソロ名義のアルバム・DVD作品を集めたものです
ただし「V2 Special Live Virginity」「TK Dance Camp」「ELECTRONIC NIGHT」など、
小室さん以外のミュージシャンも参加しているものは含まれていません


「SPEED TK-REMIX」「Blue Fantasy」など、
一部のシングルも入っています
「Blue Fantasy」はアルバム版ではないんですね
それならアルバムとして配信された「Arashiyama」とかもCDにして入れれば良いのに、とも思います


一方で「サイボーグ009」シリーズのサウンドトラックとか、
DJTK名義の「Cream of J-POP」が入っていないなど、
いまいち採否の基準がよく分からないところもあります
「TK 1998」収録の「Latest Works」とか、
「TETSUYA KOMURO Special Live @DOMMUNE」の付属ライブCDもないですね
まあ、需要がどれくらいあるかは怪しいですけども…


今回の目玉は、「PANDORA Billboard LIVE Off Shot Movie」のDVDです
現時点で小室さん最後の公式ライブの映像ということになります
スタッフのtwitterによると
「二日間しか開催されなかった伝説のBillboard Liveでの秘蔵オフショット」が収録されているとのことです
ん…? これはオフショットだけなのか? 肝心のライブは入るのか?
いまいちよく分からない表現です


これまで出るかどうかはっきりしなかった「ガーディアンズ」のサウンドトラックも収録されます
他に、これまで配信音源しかなかった「DEBF EDM 2013 SUMMER」が、今回初のCD化です
「tk-trap」のライブ映像も、
DVDになるのはこれが初めてです(今までVHSしかなかったはず)
他にEUROGROOVE名義の楽曲を集めた「EUROGROOVE TK Selection」という新編集アルバムも2枚入っています


以上のような内容の「PROFESSIONAL PRODUCTS」ですか、
49枚組という分量のため、定価は108000円というぶっとび価格です
一万八千円じゃなく、十万八千円です
いやあ、ファンの高齢化に応じた収奪強化が進んでいますねえ…
もちろん多くの方にとっては、おいそれと手が出せるものではないでしょうし、
それを念頭に置いて売上を予想した上での値段設定なのでしょう


さらにぶっ飛んでいるのは、本作の豪華版として、
「TETSUYA KOMURO ARCHIVES PROFESSIONAL PRODUCTS + Mobile Mini Keyboard reface DX TK Special Edition」なる商品も発売されることです
こちらは194400円で100セット限定、
小室さん直筆サイン入りのミニキーボードが付属します


しかし驚くべきことにこの豪華版、
11/30に予約を開始して1日で売り切れてしまいました
まじで!?と、びっくりしましたが、
考えてみれば11万円出すほどのファンなら、19万だって出しますよね


ここまで詳しく書いておいてなんですが、今回は(も)私は手を出しません
TM入っていませんしね
PANDORAのDVDと「ガーディアンズ」サントラは気になりますけど、
11万円払ってまで要らないかなあ…


むしろTMの未発表ライブ映像1曲だけ収録とかという事態になったら、
腹が立って仕方なかったと思いますが、
今回は特に何も思いません
ただ注文生産とのことなので、
欲しい方は忘れる前にお早めに予約しておくと良いと思います


他の話題としては、小室さんが2018年レコード大賞で、
特別賞の一人に選ばれました
これが今年の一連の引退記念受賞の最後になるでしょうか


来年1/20にはNHK総合の「NHKスペシャル」で、
「平成史スクープドキュメント 第4回」として、
「アムロとコムロ〜JPOPふたりのヒットメーカー〜」なる特集を組むそうです
この感じだと小室さんは後世、
安室さんをヒットさせたプロデューサーとして語られるようになるんでしょうかね
あとこの番組、小室さん引退から1年1日目となります
もう1年になるんですねえ


ウツは11/23を以って、2ヶ月に及ぶ「Tour Thanatos」を終えました
これにて還暦記念を冠した2年間の活動も終わりました
(ひっぱりすぎの感はありましたが)
12/10発売の「Keyboard Magazine」2019年冬号には、
ライブレポートが載るそうです


今回のウツソロツアーはこれまでと異なり、
MCが一切ない特殊なライブで、
サポートもキーボード3人+ギター1人という特殊編成でした
目的・コンセプトについては明言されていないようですが、
小室さん引退の件も意識しているようで、
セットリストには5曲も小室さん関連の曲が含まれていました
「必然の夢」「if you wish...」「Open Your Heart」「Ignition, Sequence, Start」「Running To Horizon」
キーボードを強調したのもMCがなかったのも、
TMを意識していたのかもしれません


「Ignition, Sequence, Start」「Running To Horizon」は、
2001年の「LOVE-iCE」収録のウツソロバージョンでした
「Open Your Heart」「Tour LOVE-iCE」のライブバージョンに準じたアレンジで、
小室さん絡みの部分は「LOVE-iCE」関係が多かった印象です


この3曲は今回のライブでは、
本編終盤の盛り上がり5曲(インスト除く)の中で演奏されており、
終盤一曲目が「Open Your Heart」
本編ラストが「Running To Horizon」でした
セットリストにおける小室曲の位置の高さが分かると思います


あと私、実はこの3曲、生で歌入りで聴くの初めてでした
まあ「Ignition, Sequence, Start」「LOVE-iCE」「tatsumaki remix」というのは、予想もしていませんでしたが
(ウツソロだから当たり前なんですけど)


今回は3曲くらい演奏すると、ウツの休憩も兼ねて、
サポートメンバーのソロコーナーが入るのですが、
個人的にはnishi-kenさんの「Trilogy」がとても良かったです
今さらですが、こういう後続世代のミュージシャンがTMをリスペクトしてくれているのは、嬉しいことですね
あと生で聴いて良いなと思ったのは、「Be Truth」でした
家で聞き流しても何も感じていなかったんですが、
生で聴くと気付く魅力てあるものですね


ウツはあとは年末のクリスマスディナーショーが控えています
木根さんも羽田空港のTIAT HALLで、
年末ライブ「new STORY」があります
このライブタイトル、TMの「STORY」とかやるのかな?
12/6からは、来年の木根さん・佐藤竹善さんのコラボライブ(名古屋・神戸)のチケット一般発売が始まります


なおまだ分からないのですが、これから数ヶ月多忙になる可能性があり、
今後春まではブログの更新ができないかもしれません
案外普通に更新できるかもしれないのですが、
なかなか更新がなくても、気長にお待ちください
これでやめるということはしません
何しろ次回からは、いよいよ第七部最大の盛り上がりですからね!


え? こんな最悪の沈む話ばかり続いているのに、何が盛り上がりだ、ですって?
何を言っているんですか!
第七部ではこれが一番ハッピーな時代ですよ!
今がつらいとか言っている方に言っておきますが、
あと10回くらいのハッピーシーズンが終わったら、
その後はどんどん深く沈む一方ですからね!!


てことで、本題に入ります

----------------------------
前章では2002年後半から2003年にかけての小室哲哉の状況をまとめたが、
その頃ウツと木根は、「TM NETWORK tribute LIVE」と並行してソロ活動も行なっていた
2人は2002年にソロ10周年を迎えたが、
11年目となった2003年には、ともに新たな活動形態を模索する


まずはウツについて見てみよう
ウツがソロ名義で活動した1996〜2004年の中で、
最後の2年はネームバリューのあるミュージシャンの登用を積極的に打ち出した点に特徴がある
2003年は吉田建、2004年は原田真二である


ウツが吉田建にアルバムのトータルプロデュースを依頼した後、
初めて話し合いの場を持ったのは、1月下旬のことだった
おそらく打診は年末年始頃と思われ、
ならば2003年のアルバムリリースが中止になった後のこととなる


ウツが初めて吉田に会ったのは、
2002年9月「Castle in the Clouds」レコーディングの時だったらしい
ただこの時、ウツはソロツアー「Tour Ten To Ten」の最中だったため、
9/2・9・20の3日しかスタジオに入っておらず、
吉田ともそれほど深く話すことはなかったようだ


あまり親しくもなかった吉田に何を求めてプロデュースを依頼したのか、
ウツが明言しているのを、私は見たことがない
あるいはこの件では、主導権はスタッフ側にあったのかもしれない


吉田もそれまでTMやウツソロの曲を聞いたことはあまりなく、
プロデュースの話が来てから曲を聞いてみたと言う
要するにウツと吉田のタッグは、
音楽的に親しい間柄で行なわれたものというよりは、
「仕事」としてウツから依頼され、吉田が引き受けたものだった


レコーディングは3月から始まり、
「tribute LIVE」を挟んで7/16まで行なわれた
なお「tribute LIVE」中にレコーディングされた「ウィークエンドファイアー」では、
「tribute LIVE」のサポートだった葛城哲哉と阿部薫が参加している


ソロアルバム制作は「tribute LIVE」の準備・実施と並行して行なわれたが、
もしも「tribute LIVE」が当初の計画通りTM NETWORKのツアーだったとすれば、
このようなスケジュールを立てることはまずないだろう
あるいは2003年のウツのソロ活動は、
TMがなくなったことで(2002年12月にほぼ確定)急遽進められたものであり、
吉田とのミーティングが1月からであるのも、そのためなのかもしれない


ウツは5月、「tribute LIVE」開催直前に、
9〜10月のソロツアー開催の告知を行なった
またアルバムからの先行シングル「道〜walk with you〜」は、
「tribute LIVE」最終公演前日の6/25にリリースされた
「tribute LIVE」がソロ活動宣伝の場として活用されたことが分かる


「道」は米倉利コ(利紀)の提供曲である
意外な提供元だが、どのような縁なのだろうか(吉田経由?)
この頃になるとウツのCDセールスは低く安定し、
「道」の成績も前作と変わるところはないが(71位・3000枚)、個人的には好きな曲だ
吉田も良い仕事をしたと思う


本作を収めたアルバム「wantok」は9/3にリリースされた
アルバムタイトルは、パプアニューギニアで使われているピジン語で、
英語「one talk」(同じ言葉を話す人)に由来し、
仲間・絆などの意味を持つという
本作はこの「仲間・絆」をテーマに据えたものだった


「Tour wantok」は9/20〜10/26に開催された
途中で寸劇「wantok X」(TV番組「プロジェクトX」のパロディ)が入るなど、
余計な演出もあったが、
それよりも注目すべきはバンドメンバーである
キーボード・コーラス以外の3人(ギター・ベース・ドラム)が、
Fence of Defenseのメンバーだったのである


すみませんが、マットシはほとんど見えません(左端)



山田亘は1993年「Live Butterfly」から2000年「Tour White Room」まで、
しばしばウツのライブサポートを務めてきたし、
北島健二も2002年「Tour Ten To Ten」でサポートを務めたが、
西村麻聡も含めて3人で一緒にサポートを務めたのはこれが初めてである
ライブでも西村作曲の「Angel」やFence代表曲「SARA」が演奏されている
「SARA」は2000年「Tour White Room」でも演奏された)


Fenceは1987年にデビューした後、1999年に活動を休止しており、
ウツが声をかけた時点ではバンド活動はしていなかった
しかし「Tour wantok」で一緒にステージに上がったことをきっかけとして、
3人はFence of Defenseの活動再開を宣言し、
「Tour wantok」ファイナル後、10/31に再始動ライブを行なっている


その点でこのツアーは、ウツだけでなくFence3人にとっても重要なものだった
これは2004年TM NETWORK「Double Decade Tour Final」や、
2009年ウツソロ「SMALL NETWORK」でのFence登用の前提にもなっている


話題を木根に移そう
2003年の木根は年始から、野心的な試みを提示していた
2003年に46歳を迎えることに因み、
年内に46本のライブを敢行するというものである
ウツと違って一人でもライブができる木根の強みを生かした企画とも言える


2003年最初のライブとなったのは、
3/6「talk & live 番外編 vol.3」吉祥寺Star Pine's Café公演である
ツアー前半は7/25まで24本行なわれ、
さらに8/23・24には「SUMMER SPECIAL」と題するツアー特別版も開催された
この間は木根1人、ギターのみでの演奏となった
このツアーは「tribute LIVE」中も並行して開催されており、
「tribute LIVE」の公演日前後に、その近くで開催されることも多かった
木根もウツと同様に、「tribute LIVE」をソロの宣伝にも活用していた


9/24〜10/17のツアー後半9本ではピアノも導入された(サポートは無し)
さらに11/22〜12/27には、バンドスタイルの「talk & live vol.8〜Ci è la musica〜」が11本行なわれた
なお「talk & live vol.8」でキーボードを務めた佐々木真理は、
10月までウツの「Tour wantok」にも参加していた


以上、木根は「talk & live 番外編」「talk & live」を合わせて、
宣言通り合計46の公演をやりとげた
(公演数については本記事コメント欄でharuさんに御確認いただきました)
ツアー期間正味7ヶ月で46本だから、
4〜5日に1公演をこなしていたことになる
なおこの他に年末には、
年越しライブ「talk talk talk & live」も開催されている


木根はツアーと並行して、ミニアルバムの制作も行なった
すでに2002/12/21には、
「Ci è la musica〜約束された物語」がリリースされていたが、
これは構想中のファンタジー小説のストーリーに沿った内容だった


木根はソロ10周年を終えるとともに、
「CAROL」以来となるファンタジー小説執筆を計画しており、
これをテーマとした2枚のコンセプトアルバム制作を試みた
小説とアルバムの連動という企画自体、
「CAROL」を意識したものかもしれない


木根は「talk & live 番外編vol.3」と並行して、
春から夏まで執筆を行なった
春の木根はソロツアー・「tribute LIVE」・小説執筆の3つを、
同時並行で行なっていたことになる


「talk & live 番外編vol.3」が終わった後は、
8月を挟んで(この間に目の手術を行なっている)9月から、
ミニアルバム「Ci è la musica due」の制作に入る
「Ci è la musica」の続編である


これは11/19にリリースされ、
さらに11/28には小説「七つの角笛〜Ci è la musica〜」が発売された
「Ci è la musica due」リリース直後から開催された「talk & live vol.8」は、
「Ci è la musica」2作を軸に行なわれた
「Ci è la musica」リリース以来1年間の周到な活動を経て、
2枚のミニアルバム・小説・46本のツアーという構想を実現させた瞬間だった


ただ「七つの角笛」は、2018年時点で木根の最後の小説となっている
この頃になると執筆業もあまり成果が出なくなって来ていたのだろうか
一方2003/3/14には木根の著作物として、
「まっすぐ進む夢へのヒント54」なる本も出ている
3月に始まった「talk & live 番外編 vol.3」は、
この本の販促も一つの目的だった


「まっすぐ進む夢へのヒント54」は人生指南書のような内容で、
それまで小説を中心としてきた木根の執筆業の中では異質である
これも小説業の雲行きが怪しくなってきた中で、
新分野への進出も考えるようになったものかもしれない


しかしこの方面の出版も後に続くことはなかった
結局木根の継続的な執筆業は、
TMファンをターゲットとした「電気じかけの予言者たち」シリーズを除くと、
2003年の2作を以ってほぼ終わりを告げた
(一応あと数作は断続的に出るが)


これに代わって木根は、2005年から舞台に力を注ぐようになる
この前提として注目される木根の仕事が、
2003/11/6〜12/10に開催されたミュージカル「天使は瞳を閉じて」への楽曲提供である


「天使は瞳を閉じて」は1988年以来上演されてきた舞台演目だが、
鴻上尚史が演出を担当して、これをミュージカル版に作り替えたものである
音楽プロデューサーは森雪之丞が担当したが、
杏里・デーモン閣下・高橋幸宏・岸谷香・中西圭三・山本恭司など錚々たる面々の中の一人として、
木根も森から声をかけられた


舞台音楽は「天使は瞳を閉じて・ミュージックファイル」としてリリースされたが
インスト担当のRay Cameronを除くと、
木根は最多の3曲が収録されている
「誰もいなくなってしまった」「世界で一番倖せな歌」「HISTORY」
この時点では木根は舞台に出演はしていないものの、
以後舞台への進出を考えるようになる一つの前提となったのかもしれない


以上のように2003年の木根は、
ミニアルバム制作、頻繁なソロライブ、書籍の出版、
ミュージカル音楽の提供などを行なった
もちろんこれに加えて、
「tribute LIVE」出演や断続的なTMの仕事もあった


この年の木根の精力的な活動には驚かされる
2004年のTM20周年まで、
実質的にTMをひっぱってきたことも含め、
木根の努力は評価されるべきだろう


以上前章からこれまで、
2003年の小室・ウツ・木根の活動を見てきたが、
TM名義ではない形で3人が接点を持つこともあった
2003/12/1「AAA」である


ウツ・木根は1993年の第一回「AAA」以来、
本イベントの常連として出演し続けており、
特に1997年年末にTM再始動宣言が出されてからは、
1998年以後毎年、TMの曲を1曲演奏してきた
2003年にもやはりTMの曲は演奏されている
ところがこの時は、少し事情が違った
この時の公演の様子を見てみよう


最初はウツ・木根が狩人の「あずさ2号」を演奏したが、
その途中で狩人本人らがサプライズ出演し、
4人で一緒に昭和歌謡5曲のメドレーを歌った
メドレーの選曲はウツ・木根と狩人の加藤高道で決めたと言う


そして狩人が退場すると、
今度は入れ替わりで小室とKEIKOがサプライズ出演した
小室はKEIKOソロシングル「KCO」のリリースを宣伝した上で、
KEIKOがメインボーカルを取って、「Dreams of Christmas」を演奏した
(小室もキーボードで演奏に参加)


アレンジは「KCO」収録のKEIKO版で、
ウツはサビのコーラスを担当しただけである
一応TMの曲で締めた形にはなったが、
ウツによるTM曲を期待したファンには期待外れだっただろう
(別にTM曲をやるという告知があったわけではないが)


なおウツ・木根は2004・2005年にも「AAA」に出演したが、
TMの曲は演奏していない
結局この2003年が、「AAA]での最後のTM曲演奏となった


「AAA」と比べると参加できたファンはかなり限定されるだろうが、
TMファンとしては盛岡都南文化会館の「宇都宮隆・木根尚登 Christmas Accoustic Live」の方が、
参加の意味はあったかもしれない
12/10にFM岩手主催で800名を抽選で無料招待し、
公開録音したものである(12/23放送)


このライブにはウツ・木根が出演し、山本英美もゲスト出演した
それぞれのソロ曲や歌謡曲の他、
TMの「Another Meeting」「Dreams of Christmas(TMN版)」を演奏した
ライブ中にはTM20周年の宣伝が行なわれ、
これと関連して小室のテープでのコメントも流された
(大したコメントではない)
12/23小田原ダイナシティから公開生放送されたFM横浜「Day Light Splash」も、
ウツ・木根2人が出演したが、
この時も20周年の宣伝および4月の横浜アリーナライブの告知が行なわれた


概していえば、この頃のTMの宣伝活動はウツ・木根2人が行ない、
小室はKEIKOと一緒に自宅・スタジオに籠るという形態だった
この形態はTMのレコーディングの体制にも影響するのだが、
これについては別章でTMの活動を取り上げる際に触れることにしたい


ci e la musica~約束された物語
R and C Ltd.
2002-12-21
木根尚登
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記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 40 / トラックバック 0 / コメント 25


7-11 globeの挫折

2018/11/10 01:44
11/8の夜に、松浦勝人さんのInstagramで、
小室さんのピアノ演奏映像が6分ほどライブ配信されました
何の予告もありませんでしたが、
これに気付いた一部のファンは大騒ぎだったようです


この動画は翌日松浦さんのInstagramにアップされました
演奏曲は「Sweet 19 Blues」「Get Wild」「Can You Celebrate?」「Many Classic Moments」「Feel Like Dance」です
演奏が終わると、小室さんはピアノから立ち上がって、
照れ笑いをしながらカメラの前で手を合わせてお辞儀し、
歓声の中でピアノの前から立ち去りました


動いている小室さんの姿が公開されたのは、
4月に「Guardian」MVで登場して以来のことです
正直、先月写真が出ただけでも相当驚いたんですが、
まさか動画、しかも生演奏シーンが公開されるとは、
まったく予想していませんでした


小室さん、運指は万全とは言いがたいですが、決してつらそうではありません
おどおどしながらではありますが、笑いながらカメラに挨拶していました
音楽に関わるのがつらい、人目から離れたいと言う気持ちだったのが、
少し即興演奏するくらいはいいかなと思えるくらいには、
気持ちも前向きになってきているのかなと思います


このライブが始まった流れは、私はよく知らないのですが、
松浦さんは先月にもtwitterで小室さんと一緒に撮った写真をアップしていましたし、
ライブ2日前にもtwitterでアップしていました
11/5の写真とのことです
この頻繁な面会の中で、小室さんにライブ配信に出演することをお願いしていたのかもしれません


これ以前から関係者が個人的に引退後の小室さんと会っていたことは、
様々なところから聞こえてきます
しかし彼らがその様子を写真などで公開することは、
これまでありませんでした


これに対して松浦さんが先月からたびたび小室さんの写真をアップし、
ついに演奏のライブ配信にまで至ったのは、
松浦さん側にも公開する動機があったと考えるべきです
また、事はかなりデリケートな問題ですから、
当然小室さんの同意も得ていたと見なければいけません


あれほどつらそうにしていた小室さんが、
人前に姿を出し始めたのはどういうことでしょうか
これを考える上で注目したいのが、松浦さんのtweetです
すなわち松浦さんは11/9、
twitterにも今回のライブ動画のダイジェストをアップした上で、
以下のようにつぶやきました

‬‪TK petit recital 仲間の前で久々に少し照れながらピアノを弾いてくれた。
‪その姿はどこか物悲しそうだった。‬
‪そして聞いている人は泣いていた。僕は昔、avexの店でピアノを何時間も一心不乱に弾き続ける小室さんをみて大きな決断をしたことを思い出した。‬
‪正直こんな天才はもう出てこないだろう。そう思ったからあの時も決断をした。しかし、またその才能を何かに奪われたような気がして悲しくてならない。どうにかこの才能を応援し、これからも彼に付いていくつもりだ。‬‬


松浦さんは2008年11月の小室さん逮捕の時(ちょうど10年前ですね)に支援したことに触れつつ、
これからも小室さんの才能を応援し、小室さんについていくと宣言しています
つまりここ最近松浦さんが自らのtwitterに小室さんの写真や動画を出しているのは、
単にプライベートの一部を見せていると言うのではなく、
小室さんの応援の一環ということになります


小室さんの演奏を公開することが小室さんの応援になるということは、
やはり小室さんは音楽活動を再開することを考え始めているのではないかと思います
もしも小室さんが表舞台に出る気がまったくないならば、
松浦さんが小室さんの才能を応援するという表現は不自然です


いわば今は、小室さんの音楽活動復活の可能性も見据えて、
写真や動画を小出しにしながら、
ファンや世間の反応を様子見している段階なのだと思います
その先の構想がどれくらい固まっているのかはまだ分かりません
もしかしたら11/27の還暦誕生日に復活宣言をするのかもしれませんし、
反応がよければこれから考えると言う程度のことなのかもしれません


しかし1月の引退会見当時と比べれば、
事態ははるかに改善されているに違いありません
少なくとも演奏後の表情は、
2/6にNHKにPANDORAとして出演して「Be The One」を演奏した時よりは、
はるかに柔らかいものでした


もしも小室さんがつらくて仕方ないのに、
周りの圧力によって活動の継続を強いられているならば、
本人だけでなくファンにとっても悲しいことです
そんなことになるくらいならば、
小室さんにはずっと引退して余生を送ってほしいと思います


しかしどうも、演奏後のあのはにかみ笑顔を見ると、
やはり人前で演奏するのは嬉しいのかな?と感じました
ならば仕事への取り組み方は変えるとしても、
戻ってきてほしいなとも感じました
正直多くの方が思っていることでしょうが、
ずっと音楽から離れて穏やかに過ごし続けるなんて、
小室さんがそんな生活に堪えられるのかな?とは思うんですよね


ともかく最悪の始まりだった2018年でしたが、
年末に向けて少しだけ明るい話題が見えてきたのかな?とも思いました
今後も注意していたいと思います


最後にウツと木根さんですが、今回はあまり話題がありません
ウツはあと2週間で「Tour Thanatos」のファイナルを迎えます
また10/26、過去のウツFC会報をまとめた電子書籍「Magnetica archives」の最後のvol.22(2017年まで)が発売されました


では本題に入ります
こんな嬉しい話題の時に、本題はとっても暗い話です

-----------------------------
2003年前後のTM NETWORKの本来の計画は、
2004年4月の20周年を視野に入れて、
2002年秋から活動を再開するというものだったと考えられる


しかしいざ2002年秋になると、
当初の予定されていたリミックスアルバムの制作は中止された
9月にはシングル「Castle in the Clouds」の制作が行なわれたが、
その後予定されていたアルバム制作は着手されず、
11月にはその代替措置として、
音源集「キヲクトキロク」のリリース(2003/2/5)が発表された


この背景には小室のKEIKOとの結婚とglobeへの注力があった
小室は2003年春に予定されていたTMの全国ツアーにも参加を拒否したため、
木根とウツは代替措置として「tribute LIVE」という名目で、
5・6月に小室抜きのツアーを決行した


以上がこれまで推測してきたところの2002年秋から2003年春のTMの動向である
一言で言えば、小室の参加拒否によってTMの活動は頓挫した
この動向についてこれまでTM側の視点で見てきたが、
ここで一度小室側に視点を移し、
この間に何が起こっていたのか改めて整理してみたい


小室は2001年からglobeでトランスを試みていたが、
2002年になってこれを「Lights」「Lights2」という2枚のアルバムでまとめあげ、
同年6/6まで断続的に特別ライブや全国ツアーを開催した
2002年前半の小室はglobeに全力をかけていた


問題はアルバム2枚とこれをひっさげたライブを終えた後、
何をするかだった
これまでと同様の活動サイクルならば、
この後はトランスとは別のものを出してくるところだろう


ところが小室は、6月頃のインタビューで、
ここでやめるのはもったいないので、
トランスで海外アーティストとコラボレーションをして、
ワンランク上のトラックを作りたいと発言している


具体的には、ベルギーのDJ pushの件が念頭にあったものだろう
DJ pushは6/6日本武道館のglobeライブ「category trance & all genre」にゲスト出演し、
globeとのコラボ楽曲「Tranceformation」「dreams from above」を披露している
この内「Tranceformation」はglobe「Transcontinental Way」のリミックスだが、
「dreams from above」は未発表の新曲だった


「dreams from above」は2002年バレーボール世界選手権テーマソングのタイアップを得て、7/31にリリースされた
海外ミュージシャンとの共作でグローバルな活動をアピールする方針は、
かつてのJean Michel Jarreの時に通じるものがある
なおリミックスアルバム「global trance 2」には、
DJ pushによる「Sweet Pain」のリミックスが収録されている


さらに同じ頃には、元X JAPANのyoshikiをglobeに加入させる話も進めていた
この件は8月中にはすでに報道されていたが、
9/1には記者会見および「a-nation」ステージ上で公式発表され、
以後globeは小室・KEIKO・Marc Panther・yoshikiの4人編成になるとされた
8/27にはTM再始動会見も行なっており、
この頃から小室は新たな活動に入ることをアピールしていた


yoshiki加入発表直後の9/26にリリースされた「global trance 2」には、
X「Say Anything」を小室がリミックスした「Kanpai Mix 926」が収録された
さらに小室誕生日の11/27には、
4人編成globeの名義の新曲として「seize the light」がリリースされている
海外ドラマ「ダーク・エンジェル」日本版のテーマソングのタイアップを得ていた


DJ pushといい、yoshikiといい、
小室はglobeでトランスを継続させるに当たり、
他のミュージシャンとのコラボ戦略を採用し、
その話題性をさらなる起爆剤としようとしたと考えられる
あるいは「seize the light」リリース直前におけるKEIKOとの結婚式のTV中継も、
その一環だったと見る余地もある


だがその成果は惨憺たるものだった
「dreams from above」は12位・2.5万枚、
「seize the light」は8位・5.5万枚の成績である


これらを他のトランス期globeのシングル作品と比べてみるに、
アルバムと同時発売の「Many Classic Moments」「Over The Rainbow」はともかく、
(ともに2.7万枚の売上)
2001/11/14「Stop! In The Name of Love」の7位・14.4万枚
2001/12/5「genesis of next」の8位・9.6万枚の成績を見る限り、
DJ pushやyoshikiとのコラボは起爆剤になったとは言いがたい
個人的な感想として、「seize the light」を聞く限り、
yoshiki楽曲と小室のトランスアレンジは、あまり相性が良いと感じられない


「seize the light」リリースと同日の2002/11/27には、
globeのベスト盤「8 Years」もリリースされている
1999年のベスト盤「Cruise Record」から3年での新たなベスト盤リリースの意義はさっぱり分からないが、
あるいは3人体制時代の総括ということだったのかもしれない


さらに翌月12/26には、結婚記念アルバムとして、
「Ballads & Memories」がリリースされた
既発表作品を集めたバラードコレクションだが、
一種のベスト盤とも言える
ここにglobeは2ヶ月連続でベスト盤をリリースすることになった


以上で挙げた2002年のglobeのアルバムは、
オリジナル・リミックス・ベストを合わせて、なんと5枚に及んでいる
よほどのファンでなければすべてを追いかける気力は起きないだろう
この異様なペースでのリリースは、
avexから前借りした10億円のプロデュース料返済問題と関わっているのかもしれない


小室はその後も立ち止まることなく、
年末から年始にかけてglobeのアルバム制作に入る
レコーディングは3月初めまで行なわれ、
2003/3/26「LEVEL 4」としてリリースされた
タイトルは無論4人編成になったことをアピールしたものである


しかしその中のyoshikiの楽曲は、
先行シングル「seize the light」1曲のみだった
つまりニューアルバムの中で、yoshikiは新曲を作らなかった
これはyoshikiの楽曲制作ペースとしてはさほど驚くことでもないが、
ともかくglobeのアルバムは、yoshikiファンにとって購入の動機は極めて乏しかった


またyoshikiがいるにもかかわらず、
「LEVEL 4」の楽曲には生ドラムが一切ない
(何を考えてyoshikiを入れたのだろうか?)
ライナーによればyoshikiは小室とともに、
全曲シンセを担当したことになっており、
またボーカルディレクションも行なったともされているが、
実質的な関与は極めて疑わしい


本作の成績は17位・5.1万枚だった
なんと先行シングル「seize the light」(5.5万枚)よりも売れなかった
この点は、多少ともシングルの売り上げに貢献したであろうyoshikiファンが、
アルバムにはほぼ食指を動かさなかったことも示している


globeオリジナルアルバムの成績としても、
前作「Lights2」の2位・16.4万枚から見て大きく下落している
2001年「outernet」の9位・14.9万枚を下回る、globe作品最低の記録となった
しかも活動の空白があったわけではなく、
これ以上ないほど過密な活動をしていたにもかかわらず、である


この頃avex全体の方針として、評判が悪かったコピーコントロールCDが導入されたことも、
売上減少に多少の影響はあるのかもしれないが、
それでも他のavexミュージシャンが一般にこれほど急激に売り上げを下げているわけではない
何よりも同じコピーコントロールCDだった「seize the light」よりも売れていないのだから、
根本的にはこのアルバムがそれまでのファンの関心を引かなかったと見なくてはならない


小室はpushやyoshikiと組んでファン層の新規開拓を試みたが、それはまったく失敗した
その上既存ファンも、この頃に大幅に脱落したと見られる
すでにこれ以前、ダブルミリオン級以上の売上を上げていた1996〜99年から、
十数万枚の水準になった2001年との間で、globeはファンを9割以上失っていたが、
その後は十万枚以上の壁を1年間以上保っていた
しかし「LEVEL 4」の時には、
ついにそれまで残っていたファンの7割が一挙に去ったのである


アルバムの内容についても、
「Lights」「Lights2」で示されたほどの可能性は感じられない
個人的な感想をいえば、私にとっても「LEVEL 4」は、
「globeはもう終わった」と感じさせた1枚だった


おそらく小室は本作で欧米トランスの再現路線から離れ、
自己流解釈でのトランスを試みようとしたのだと思う
だが熱心な小室ファンの中に本作を高く評価する方がいることは承知の上だが、
私は本作はやはり失敗作だと思う
「blow」など個別に好きな曲はあるが)
メロディ・歌声とオケが溶け込まない気持ち悪さを、
私は本作以後のglobe作品から強く感じるのである


私の個人的な感想は措いても、
2003年のglobeが商業的に失敗に終わったことはたしかである
メインワークだったglobeの失敗は、
小室のメジャーシーンからの決定的な脱落を意味した
小室がヒットメーカーとして再浮上する可能性は、
この年を以って絶望的になり、以後2008年の逮捕までの活動は、
叙述するのもつらい状況が続くことになる


しかもさらに悪いことに、小室はこの結果が出る前から、
globeの飛躍を見据えた計画を立てていた


一つはアジアへの展開である
小室はすでに2002年9月のyoshiki加入発表の記者会見で、
早ければ年内に韓国などでアジアツアーを開催するとコメントしている
1998年の台湾・中国イベントや2000年ROJAMによる香港進出の延長上にあるものだろう
直接には2001年に計画されていたTKファミリーのアジアツアー計画のリベンジなのかもしれない


しかも2003年に計画されていたのは、globe単独での海外進出だった
2001年のTKファミリー総動員によっても実現できなかった事業を、
globe単独で行なうことができるという見通しの甘さも不可解千万だが、
そもそもこの時に小室が手駒にできたのはglobeしかなかったということでもあろう
アジアツアーの開催は結局最後まで正式には告知されなかったが、
一説には後述の東京ドーム公演の後で開催される予定だったともいう


小室はこの頃、おそらくアジア進出への地ならしのために、
韓国への進出を図ったようで、
2003年の年始にはNGO東北アジア環境・文化連合の環境保護事業の日本側委員として協力することを発表している(NGOの事務局はソウル)
この時は同時に、globeが4/16に韓国ミュージシャンとともに、
ソウル市庁舎前広場でチャリティライブイベント「SEEDS OF THE FUTURE」を開催することも発表された
これはNGOの黄砂対策キャンペーン「黄砂Green Project」の一環であり、
2002年のFIFAワールドカップ1周年記念でもあるとされていた


さらに3/12には、7/9のglobe東京ドームライブ開催が発表され、
1997年のX JAPAN解散以来となるyoshikiのフルライブ出演がアピールされた
globeにとっても、1998年以来のドーム公演となる
小室としては、yoshikiの動員力を利用して、
最盛期を取り戻そうとしたものだろう


冷静に考えれば、「LEVEL 4」の総売り上げは東京ドームの収容人数5万人と同じである
アルバムを購入したすべてのファンが来場して、
初めて会場が埋まるレベルであり、土台無理な話だった
もっとも東京ドームライブの発表はアルバムリリース前であり、
さらにいえばライブの企画はレコーディング中かそれ以前のことと考えられる
その時点では「LEVEL 4」は、
yoshiki効果で「Lights」を越える売上を達成すると予想されていたのだろう


しかしこのような甘い目論見は外れ、
4/2には韓国ライブが、5/1には東京ドームライブが中止とされた
韓国ライブ中止はイラク戦争(3/20〜5/1)に伴うテロの恐れ、
東京ドームライブはSARSの流行がその理由とされている


韓国ライブについては主催者がNGO側なので何とも言えないが、
SARSという言い訳については苦笑せざるを得ない
(同時期の他のミュージシャンは東京ドームで公演を行なっている)
実際にはチケットの売れ行きが採算の取れない水準だったために違いない
2000年7月のROJAMの香港ライブ中止の過去が思い出される


東京ドームライブの中止を受けて、
小室FCのBBSはファンの苦情書き込みで混乱を来たし、一時期閉鎖された
小室もかなりこたえていたようで、
5/8に予定されていた木根との打ち合わせは、この一件で中止されたという


さらに音楽活動以外のところにも目を向けると、
この頃小室の財政状況はそろそろ危険水域に入りつつあった
すなわち小室は前妻吉田麻美に対して、
慰謝料3億7000万円を3分割で支払うことを約束していた
しかし2003年3月にはこの支払いが滞ったという
実にKEIKOと新婚生活を始めてからわずか4ヶ月のことだった


「滞った」というのが、支払いが遅れたことを言っているのか、
支払わなかったことを言っているのかは、よく分からないが、
いずれにしろこの頃の小室は、
1〜2億円レベルの支払いが困難な状態になっていたと見られる


しかしそれにもかかわらず、
この頃小室の浪費はむしろ加速していたらしい
ただそれは小室個人の浪費と言うよりは、
KEIKOに物を買い与えることなどがメインだった
2004年頃には生活費と借金返済で、
月2000万円前後が消費されていたという
2008年11月の小室哲哉供述調書には、以下のようにある
(2009年裁判で検察官が読み上げたもの)

結婚後1年間くらいは(2003年秋頃まで)、人生で最もぜいたくをしたと思えるほど、湯水のようにお金を使いました。KEIKOにブランドものの服やバッグ、時計を買ったり、総額は数億円にはなっていたと思います。スタッフの中には苦言を呈する者もいましたが、2人で過ごす今が何よりも安らぎを得られ、大切と感じていました。KEIKOと2人で豪奢な暮らしをしていても、少なくとも1曲はヒットして、私の3度目のブレークがあるだろうと考えていました。しかし、私自身、KEIKOとの甘い生活で以前より創作意欲が減っていたのも確かでした。


この供述が当時の小室の状況のすべてを述べているわけではないだろうが、
財政の窮迫とglobeの失敗によって半ば自暴自棄になり、
新妻との新婚生活に逃げ込んでいったという側面はあったのだろう
客観的に見ても、小室は2002年までと比べ、
2003年以後は楽曲制作数を大幅に減少させるようになる


メディアで見られる小室の様子も、
2003年からは挙動不審なところが多くなり、
おそらく精神的にも追いつめられるようになってきていたのだと思う
この後5年間の小室は、
摩耗を重ねながら音楽活動を続けていくことになる


正確な時期ははっきり分からないのだが、
globeのMarc Pantherも2003年にパニック障害を起こして、石垣島に移住した
あるいはこの頃のglobeの混乱が背景にあるのかもしれない


KEIKOは7月から大磯ロングビーチのCMに出演したが、
CMソングにはKEIKO初のソロ名義曲「海との友情」が起用された
これはMarcの病気でglobeの活動が困難になったことが前提だろう
以後globeは2005年まで、リミックスを除き新作リリースを行なわない


小室はしばらくMarcの病状の経過を見ていただろうが、
9月にはKEIKOのソロシングルレコーディングに入る
KEIKOによるTKカヴァー曲集を作る計画もあったといい、
Marcなしで可能な活動が検討されていたのだろう
2003年はTMもglobeも、
3人中の2人だけで活動する変則的な形態が取られたことになる


KEIKOソロシングルは12/10に、
マキシシングル「KCO」としてリリースされた
なおこの頃小室は、KEIKOの名前をKCOにする旨を述べている
商品では依然としてKEIKO名義が用いられたが、
小室の中では、表記をKCOに改める意向だったのだろう


本作は「海との友情」を含む4曲入りだった
メインとなる「Humanrace」はともかくとして、
他の3曲についてはトランスの風味は薄い


その内の2曲はTMの「Dreams of Christmas」と、
1989年の小室ソロ曲「Christmas Chorus」のカバーだった
「Dreams of Christmas」のカバーは、
TMの「Fan Event in Naeba」の演奏を見たKEIKOが小室に申し出たのがきっかけだったという
おそらく「Christmas Chorus」もその延長上に選ばれたのだろう


なお「Dreams of Christmas」には、m-floのVerbalがラップで参加している
小室とVerbalのタッグは、2001/12/27「lovin' it」以来2度目となる
「lovin' it」はチャリティプロジェクトSong+Nationの一曲で、
小室が作詞・作曲した曲を、安室奈美恵+Verbal名義でリリースしたものである
ただ「Dreams of Christmas」を聞いても、
Verbalのラップの必然性はさっぱり分からないし、
globeファンには「ラップを入れるならなぜMarcではないのか」と感じた者も少なくなかっただろう


「AAA '03」にてTM+KEIKOの「Dreams of Christmas」


globeが活動を休止した頃、Gaballも久しぶりに新作をリリースした
2003/8/6リリースのシングル「幸せの表現」である
本作も「KCO」収録の3曲と同様、トランスの要素は薄い
小室は「LEVEL 4」の失敗の後、
トランス以外の可能性を探り出していたように見える


9/25にはGaballの2ndアルバムリリースが予定されており、
globeが動かせない間にGaballの活動を復活させる考えもあったらしい
しかしこのアルバムリリースは実現しなかった
「幸せの表現」の成績は21位・2.3万枚と振るわず、
本作を最後にGaball名義での活動は見られなくなる


「幸せの表現」の作詞・作曲・編曲はすべて小室で、
原田大三郎はもちろん、DJ Dragonも楽曲制作に関わっていない
なぜこれがGaball名義なのかといえば、
カップリングでDragonがボーカルを取っているからである


本作はドラマ「14ヶ月」のエンディングテーマである
「14ヶ月」は7〜9月に放送されたから、
曲は6月には出来上がっていたはずである
ドラマで使われたのは韓国人Joanneがボーカルを取ったテイクである
Joanneの起用は、小室のアジア進出計画とも関わるものに違いない
歌詞は恋人の気持ちを男女それぞれの立場から別の詞で歌ったもので、
女性版をJoanne、男性版をDragonが歌っている


私は2003年の小室作品で一番の出来はこれだと思っている
ドラマタイアップという点も考慮したのだろうが、
久しぶりに自然に口ずさめる歌詞とメロディを味わえる作品となっている
(ボーカルはどちらも微妙だが)


以上で見て来たように、
2003年の小室はglobeとGaballの活動を相次いで収束させるとともに、
2年間執着し続けたトランスから、一定の距離を取るようになった
そしていささか消極的な事情ではあるが、
ここに小室はようやく、ただ一つ残った可能性として、
TM NETWORKに目を向けるようになる


小室のTMへの再合流は、6月にファンに示された
2003/9/6・7「Fan Event in Naeba」の開催告知である
TM20周年実現への道は、ここにようやく拓かれるのであるが、
その過程については、また別章で触れることにしたい


KCO (CCCD)
エイベックス・トラックス
2003-12-10
KEIKO
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト

記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 35 / トラックバック 0 / コメント 23


7-8 失われた2003年

2018/08/02 20:27
まず告知です
8/17(金)の夜に大阪の某所で、
「TM NETWORKの重箱のスミ!」のポコ太さんこと、
カラフルポップリフレクションのミツカワさんと、
宴など催そうと思います


関心のある方には詳細をお伝えしますので、
tm_on_the_planet%yahoo.co.jp(%は@に置換)までメールをください
ブログへのメッセージかtwitterへのDMでも結構です
なお参加人数が会場の規模に達した時点で募集を締め切りますので、
その点ご了承ください


近況について
本日8/2、劇場版「シティハンター」の映像が少し公開されました
全国ロードショーは来年2/8とのことです
BGMはオリジナルの「Get Wild」ですが、これは本番もそうなんでしょうか
なんつうか、もしもTMがあと一度だけ動くなら、
色んな意味でこれが最後のチャンスな気がします


さて、SONYがまた大人商法(悪い意味で)を始めました
10/3に「Fanks The Live 1 Fanks Cry-Max」の増補版DVDをリリースします


本作は1989年リリースのオリジナル版では6曲が完全収録されていましたが、
「Electric Prophet」「Dragon The Festival」も一部のみ収録)
これに「Nervous」「Dragon The Festival」の2曲が追加されて8曲になり、
値段が2倍の4860円(税込)になります(2004年版DVD=税抜2300円)
そういや2013年にDVD「Digitalian is eating breakfast」も、
7曲を8曲に増やして値段を2倍にしてリリースしていましたね…


なお「Nervous」は1989年のプレゼントビデオ「Fanks The Live 4」にアウトロ終わりを除き収録されており、
「Dragon The Festival」もオリジナル版に一部収録されているので、
今回の初公開映像は実際には1曲分もありません
つうかちょっとしか入っていない「Electric Prophet」も完全収録しろよこのクズ会社


また1987年の「Fanks Cry-Max」では、
インストを含め18曲が演奏されました
これまではその中で6曲だけがDVD化されていましたが、
今回の増補版リリースによって、未収録分が12曲から10曲になりました


まだ10曲…
半分以上がSONYの蔵に隠されていることになります
TMの今後の活動がなくなってしまうという、
過去商品を出す絶好のタイミングなのに、
SONYはふざけているんでしょうか?


いや、商売的には分かります
熱心なTMファンは未発表映像1曲だけでも(または全部既発表でも)買うけれど、
完全版映像を出しても購入者はあまり増えないのでしょう
「CAROL Deluxe Edition」「TM NETWORK THE MOVIE」みたいなクズ商品でも、
それなりに売れてましたもんね…
それなら何度も増補版を作って1・2曲ずつ増やしていった方が、
ファンから金を吸い取り続けることができるということだと思います


しかしこの売り方は、商売としては正しいとしても、
まったく誠意が感じられません
極めて青臭いことを言わせてもらえば、
スタッフはファンに顔向けできる商品を作っていると思っているのでしょうか
もしも私がSONYスタッフだったとして、
テレビで「顧客満足度〇%!、業界ナンバーワン!」とかのCMを見たら、
恥ずかしくて外を歩けませんよ


ただSONYはあるいは今回の商品で、
今TMの過去作品がどれくらい売れるのか観察しようとしているのかもしれません
今回売れれば、「Kiss Japan Dancing Dyna-Mix」「Rhythm Red Tour」なんかでも、
同様の手口を図る可能性もあるでしょうし、
また次の「Fanks Cry-Max」アップデートも検討するかもしれません
そういう可能性を勘案した上でSONYに献金すると割り切って購入するのも、
割り切れるならば良いかと思います


私はまったく割り切れませんが
…くそう、くそう、くそう!!
「Dragon The Festival」なんておいしい曲を入れられたら、
こんな鬼畜商品でも買わざるを得ないじゃないか!
ちくしょう…ちくしょう…


正直言って、商品化できそうなライブ映像中では、
「Fanks Cry-Max」は私がもっとも見たいものの一つです
それだけにこうした悪辣な商法は本当に腹が立ちます
しかし何もできない無力感…
ちくしょう!


ということで、いらだちがドアを叩きながら、
他の近況を手短にまとめましょう
まず小室さんは、「TETSUYA KOMURO ARCHIVES」のセールス、
T盤が5.0万枚、K盤が4.9万枚に達しました
ラジオでもまだ特集が組まれているようです
「SUNNY」公開後にも売れるかもしれませんね


ウツは7/25に過去のFC会報の電子版「Magnetica archives」の未配信分の内、
vol.19(2012〜13年分)の配信が始まりました
この後の分も、今後順次配信の予定です


木根さんは7/25、日本テレビ「一周回って知らない話」に、
親バカ枠で娘のSHAOさんと一緒に出演しました
ちなみにMarc Pantherさんも一緒に出演していたんですが、
木根さん、DJ KOOさんに続いてMarcさんもバラエティ進出ですか…
なお木根さんとMarcさんは、当初は7/18出演予定でしたが、7/25に変更されました


最後に、6/30・7/27にTRFとaccessがそれぞれのデビュー25周年を祝してジョイントライブを開催しました
最後には出演者全員で「Get Wild」を演奏し、
東京では終演後の客出しBGMが「Nights of the Knife」「Seven Days War」だったそうです


では本題に入ります

------------------------
話は「Castle in the Clouds」のリリース日の2002/10/30に遡る
この日渋谷TSUTAYAで行なわれたトークイベントで、
TM3人は最後にそれぞれ締めの言葉を述べた
これは後日Barksのウェブサイトで配信されており、公式に準じたものと見て良い


木根「TMもね、シングルだけじゃなくてね、来年またね、アルバムとかね(木根、小室の顔を覗き込み、小室「そうね」)、アルバムのための楽曲作りを、ぼくも頑張ります」

ウツ「今回また、2年ぶりのシングルなんで、特に昔の80年代のTMのにおいというか、すごいしたいい曲だと思うんで、是非どんどん友達に、いいぞこいつはみたいに、どんどん広めてやって下さい」

小室「今回これで音をね、今の2000年に入ってからも、もちろん音的にはいろんなことやっているんですけれども、僕たちが一番活動していた80年代の音みたいなにおいも出しているんで、こういう音が今どうなのかなっていうテストみたいな意味合いもあるんですね、今回ね。なので、すごく反響とか楽しみなんですよね。聞いてみてそれを反映して、音作りの段階も、これからTMの音とかは作っていきたいなと思っているんで」


一見のんきな雰囲気の3人



以上の中でまず気になるのは木根の発言で、
2003年のアルバムリリースを視野に入れたものとなっている
本来「Castle in the Clouds」は、
キャンペーンソングとしての単発の仕事ではなく、
その後につなげていく考えがあったことが分かる


木根の発言は明らかに自らの楽曲制作を念頭に置いており、
ここでいうアルバムとはオリジナルアルバムと考えざるを得ない
これ以前にはリミックスアルバムの計画が存在しており、
また翌年2月には過去音源を集めた「キヲクトキロク」がリリースされるが、
これらとは別の話だったことになる


アルバムに関する発言をしていたのは木根だけではない
ウツは11月初め頃に「Castle in the Clouds」と絡めて、
「その延長上にあるのがアルバム作りってことになると思う」
と発言しているし、小室も同じ頃、
「いずれアルバムとしてまとめられればいいなと思っているところです」
と言っている


これらウツ・小室の発言からも、
やはり「Castle in the Clouds」リリースの後には、
新曲を収めたオリジナルアルバムが計画されていたと見るべきだろう
ただトークイベントでの「来年頑張る」「これから作っていきたい」という3人の発言を見る限り、
10月中にはまだアルバム作成に向けた具体的な作業には入っていなかったらしい


さらに上記トークイベントでの小室の発言に注目すると、
小室は「Castle in the Clouds」で、
あえてテストとして80年代風の音にして反響を試し、
その反響をこれからTMの音につなげようと考えていたと述べている


また小室は同じ頃の別のインタビューで、
「Castle in the Clouds」を「ニューアルバムへの布石でもある楽曲」とも言っている
小室は「Castle in the Clouds」の音作りを、
アルバム制作につなげていこうと考えていたようである
その意味で「Castle in the Clouds」は、
次のアルバムのパイロットシングルとして位置付けられていたのだろう


この頃3人には、TMの活動をしないといけないと言う使命感もあった
それは2004年にTM20周年のアニバーサリーイヤーが控えていたことがある
たとえば「Castle in the Clouds」制作に先立つ8/27、
Laugh & Peaceキャンペーンソング担当決定を受けたTMの記者会見で、
木根は以下のように述べている

そうこうするうちに、もう20周年くらいになってしまうんです、もうあと何年かすると。そこに向けてなんか少しずつ、またいい形でできたらねってことで、また今回これ、いいきっかけだったので、集まりました。


これを見る限り、2002年の活動再開では、
当初からTM20周年につなげることが意識されていた
1994年のTM10周年企画が「終了」に代わってしまった過去も踏まえ、
20周年はちゃんとやりたいという気持ちもあったのだろう


以前述べた通り、2002年のウツと木根は、
本来のソロ10周年記念日周辺に当たる11〜12月を含む10月以後のスケジュールを空けていた
9月の「Castle in the Clouds」レコーディングの後、
TMは20周年に向けた活動に入るはずだったと考えられ、
オリジナルアルバムの制作もその一貫だったのだろう


私はこの頃、TMのアルバムレコーディングが計画されていたが、
10月末の「Castle in the Clouds」リリースの頃には、
その予定がすでに狂い始めていたものと推測する


magenetica会報などからこの頃のウツのスケジュールを見ても、
10月以後年内は数回の「Castle in the Clouds」プロモーション以外活動がない
これがソロ記念日の前後の本来のスケジュールとは考え難く、
何らかの事情でスケジュールが空いてしまった可能性が高い


木根のミニアルバム「ci è la musica」のレコーディングも、
おそらくこのことと関わっている
本作のレコーディングは10月に始まった
リリース日が12/21であることを考えるに、
レコーディングは11月中下旬まで行なわれたものだろう


木根は2002年のソロツアーを、
ソロ10周年記念日の12/2から、あえて半年以上前倒しして行なっていたが、
こうして空けておいた10・11月にソロレコーディングを行なったのは、
やはり本来のスケジュールと見るには不自然である


この時期のTMの予定を考えるために、少し後の活動まで視野に入れてみると、
「TM NETWORK tribute LIVE -UTSU&KINE’S Selection From TM Songs-」が注目される
このツアーは「TM NETWORK」を冠してはいるものの、
ウツ・木根とサポートメンバーが行なったもので、
要するに小室哲哉抜きで開催されたものである
2003/5/27から1ヶ月間かけて、全国6会場で8公演開催された
(後にZepp Tokyoの2公演が追加で発表され7会場9公演になる)
以下、少し話題を変えて、このツアーの開催の経緯を確認してみたい


木根の「新・電気じかけの予言者たち」によれば、
木根は2003/1/29にハワイの小室を訪れて、
小室抜きでこのツアーを開催することに同意を得たとされている
木根が海外まで行って小室とTMの話をしたことは、
同時期に木根がweb上でも触れている


「tribute LIVE」の開催とそのスケジュールは、
2月半ばのウツ・木根のFC会報で発表された
この時にチケットのFC優先予約のお知らせも送られている
会報編集の時間も考えれば、ツアースケジュールは2月初旬には決定していなくてはならない
木根・小室会談が行なわれた1/29は、
ツアー開催の最終的決定を下すリミットというべきタイミングである


この時間軸を考えれば、木根が小室の承諾を得る以前から、
ツアー会場はすでに押えられていたと見ざるを得ない
(1/29の後の数日で会場を確保するというスケジュールは無理がある)
要するに1/29の会談は、小室の最終的な追認を得るための手続きであり、
計画はこれ以前から進んでいたのである


「新・電気じかけの予言者たち」によれば、
「tribute LIVE」の企画の始まりは、
TM20周年に向けてアクションを起こすべきというスタッフの意見だった
2002年年末のことだったという
magnetica会報からは、木根が12/18にM-tresの事務所で、
ウツとTM20周年の打ち合わせを行なったことが知られ、
年末のスタッフの意見が出たのは、おそらくこの時だろう


「新・電気じかけの予言者たち」によれば、
この件について年内に小室と相談していたが、
小室のスケジュールの調整ができないまま年越しを迎えた
そこで木根は小室抜きツアーを開催しようと考え、
年明け早々M-tresに来て、その意向を伝えたという
ウツは木根からこの案を聞いた時、かなり抵抗感があったが、
木根はウツを説得し、M-tresスタッフとともに構想を練り始めた


上記の筋書きを信じれば、
年末にツアー計画が出て、年始に木根が小室抜きツアーを決意、
スタッフは小室の同意を得ないまま会場を確保し、
1月末に木根が小室に会って追認を得た、ということになる


このスケジュールは不可能ではないとしても、
かなり急な印象はぬぐえない
またリーダーの同意を得る以前からツアー会場確保を始めるというのも、
通常のバンドならばありえない事態である


そもそも木根の言う筋書きは事実と見て良いのだろうか
木根がTMの動向の中で微妙な出来事について、
しばしば歪曲していることは以前触れたところである
小室抜きツアーの開催という異常事態について、
同様の曲筆が施されている可能性は考えるべきだろう


ここで注目したいのは、ウツがこのツアーの決定について、
少々異なるニュアンスで語っていることである
しかもそれは開催決定告知の直後であり、
2004年5月発売の「新・電気じかけの予言者たち」の1年以上前である

もともとこのあたり(「tribute LIVE」開催時期)にTMのツアーというプランも念頭にあったけど、小室が他の活動スケジュールや状況で、どうしても調整がつかないという結論が出てしまったんだ。そこで、今回リーダーの木根が、小室がいないからやらないということではなく何か方法はないか、という考えが出てきたんだよね。


スケジュールの都合で小室が参加できなかったこと、
木根を中心に小室抜きツアーを企画したことは、木根の発言に一致するが、
本来「tribute LIVE」と同じ頃(2003年5〜6月)にTMのツアーが企画されていたことは、
木根が触れていない点である


さらに遡って2002年10月後半頃、
ウツは「Castle in the Clouds」のリリースを踏まえた上で、
以下のように述べている

今回のリリースをきっかけに、TMはまた発信だなと思ってますけど、特に20周年にちなんだコンサートや新しい試みには力を入れていきたいですね。


ここでいう「20周年にちなんだコンサート」とは、
後の歴史を知っている者が見ると2004年の20周年ツアーかと感じてしまうが、
この時点でこれからの発信の一環として述べていることを考えれば、
2003年5〜6月頃のTMツアーだった可能性の方がむしろ高いのではないだろうか
つまり「Castle in the Clouds」制作の時点で、
TMはアルバムだけでなく全国ツアーも計画していたことになる


これら断片的情報からは、
ツアーの準備がいつから始まったのかはまったく分からない
だが2003年に小室抜きツアーの企画を立ち上げ、急遽会場を確保したと考えるよりは、
2002年の時点ですでに会場を確保していたと考えた方が、
はるかに理解しやすいと思う


たとえば2000年の「Tour Major Turn-Round」は、
開催5ヶ月前にはスケジュールがおおよそ決まっており、
同様のスケジュールならば5月開始のツアーの会場は、
2002年中には確保していなくてはいけない
2004年5月開始の「Double Decade Tour」も、
具体的な会場確保状況は不明だが、開催自体は2003年中に決まっていた


要するにTMのツアーが2003年5・6月頃開催予定だったのならば、
2002年中には会場が確保されていた可能性が高い
しかしこれが小室の都合で実現困難になってしまったため、
小室抜きで開催することを木根が立案し、
ウツと小室を説得したという流れが推測できる


そのように考えれば、
アクションを起こすべきとのスタッフの発言があった2002/12/18の会合とは、
実際には木根がいうようなポジティブなものではなく、
ツアーを中止にすべきかどうかの話し合いだった可能性が高い
中止にする場合、当然会場に対して一定のキャンセル料支払い義務が発生する
そこで木根は、小室抜きツアーを開催してこれを回避することを考えたのではないか


もちろん小室抜きツアーに変更する場合、
大規模な会場はキャンセルすることになっただろうし、
サポートメンバーの都合で日程の微調整は必要となっただろうが、
全会場キャンセルと比べれば、負担ははるかに小さかったと考えられる


なお12/24NHK FMの特番「TM NETWORKスペシャル」では、
中村貴子から翌年のツアーについて聞かれると、
小室は「(話題は)ちらほら出ていますね」と言った上で、
「どうなんですかねえ、ツツジ…紅葉?」と言って、曖昧な態度に終始した
小室の消極的な様子がうかがえる


「tribute LIVE」について注目すべきは、
2003/2/16〜23の「Live Epic 25」の会場のチラシで、
初めて開催が告知されたことである
「tribute LIVE」のチケットは3/30以後各会場で一般向けに発売されたが、
ウツ・木根のFCではその前から優先予約が始まった
そしてさらにこれとは別枠で、
「Live Epic 25」参加者に配布されたチラシで、
来場者限定で優先予約の電話番号も告知された


TM20周年へのウォーミングアップを宣伝するには、
たしかにEPIC世代が集まる「Live Epic 25」は格好の場である
「Live Epic 25」の企画は夏には始まっていたから、
メンバーが活動のスケジュールを立てるに当たり、
早くから念頭に置いていたとしても不思議ではない


ならば「Live Epic 25」会場での告知は、
TMツアーとして計画されていた段階で、すでに予定されていたものかと思われる
ウツ・木根FCの会報発行も「Live Epic 25」とほぼ同時だったから、
日程発表のタイミングとしてはベストだった


ここまでで検討したところでは、
本来のスケジュールに関して推測されるところは、
以下の2点である

・TMは2002年10・11月頃に、アルバムのレコーディングを始めるはずだった
・TMは2003年2月半ばに全国ツアーの日程を発表し、5〜6月頃に実施する予定だった


ここで私は、以上の推測にさらなる推測を重ねたい
それは上記のアルバム制作と全国ツアーが一連のものだった可能性、
すなわち2003年の全国ツアーはアルバムツアーだったという可能性である


これは必ずしも積極的な根拠があるわけではないが、
そもそもこれまでのTMの全国ツアーは、
デビュー以来すべてアルバムリリースに連動して行なわれてきた
この時だけアルバムと無関係のツアーが予定されていたと考える方が不自然だろう
だとすればこのアルバムは、
ツアーが開催される5・6月頃までにはリリースされる予定だったはずである


また先に見たように、私はこのアルバムの制作は、
本来10・11月頃に開始されるはずだったと推測している
その予定が遅延してからの計画は、当時のウツ・木根の発言からうかがえる


たとえばウツは10/26「玉川美沙 Bravo!」(TBSラジオ)で、
12月にはレコーディングに入らないと4月にTMの新作を出せないと述べ、
11/9「雄冶・ナイクのSaturday Nice Try」(TBSラジオ)では、
木根が春にアルバムを出したいと述べたという
(これらについて詳しくご存知の方、情報いただければ幸いです)


ウツの言う新作について、
12月レコーディング開始で4月リリースという間隔から判断すれば、
シングルではなくアルバムと見るべきである
木根の言う春のアルバムと同じことを言っていると見て良い
おそらくレコーディング開始が10・11月から12月に変更され、
それに伴いリリース予定日も遅く設定し直されたのだろう
もしも10・11月にレコーディングが始まっていれば、
2・3月頃にはアルバムがリリースできていたはずである


これ以前、2000年のレコーディングを見るに、
8〜9月に先行シングル「Igintion, Sequence, Start」が制作され、
9〜11月にその他の曲がレコーディングされた後、
12月にアルバム「Major Turn Round」がリリースされた
この例では先行シングル制作開始から4ヶ月、
アルバム曲制作開始から3ヶ月後のタイミングでアルバムがリリースされている
このペースでレコーディングができれば、
10・11月制作開始、2・3月リリースは十分可能だし、
それならば2月の「Live Epic 25」でも宣伝できただろう


しかしアルバム制作開始は12月に変更された上、それすら実現しなかった
こうした中で木根は、せめてシングルだけでもリリースしたいと考えたようで、
年始に発表された(おそらく年末の)インタビューで2003年の活動を聞かれた時、
以下のように述べている

TM NETWORKとして、03年春ぐらいにシングルを作って、そのあとアルバムがあってライブができたらいいなっていうのは、3人のなかにあります



以上の過程を整理して見れば、2003年のリリース計画は、

2月頃アルバム(9月以前)→4月頃アルバム(10〜11月)→できれば春にシングル(年末)→すべて中止


という形で後退し続けたと推測できよう


以上の経緯を踏まえて考えれば、12/18のウツ・木根の打ち合わせは、
アルバムリリースの中止を前提として、
確保済みのツアー会場をどうするか相談したものと考えられよう
また逆に、ウツ・木根がしばらくアルバム制作にこだわったのは、
ツアー会場を確保していたという事情もあったのかもしれない


このように考えた場合に改めて注目されるのが、
音源集「キヲクトキロク」のリリースである
本作のリリースは11月初頭に発表され、翌年2/5にリリースされた
10月下旬にはリリースが決定されていたものだろう


これまでの考察に従えば、
10月の時点でアルバムリリースは4月を目標とするようになっており、
2002年度(2002年4月〜2003年3月)にはアルバムリリースができなくなっていた
これを受けて「キヲクトキロク」の年度内リリースが、
代替措置として急遽決定されたのではないだろうか
要するにかつて2000年3月のアルバムリリースが中止された代替として、
ベスト盤「Best Tracks」がリリースされたのと同じケースということである


もっともオリジナルアルバムと比べれば、
寄せ集め音源集に過ぎない「キヲクトキロク」の価値の低さは明らかだった
そのため小室は年度末になって、
駆け込みでR&Cから次々と新商品を企画する


2/26のライブアルバム「TK Presents Synthesized Trance vol.2」リリースは別枠だろうが、
年明けにはR&Cからの「Piano Voice」「Piano Wind」(さらにavexから「Piano globe」)リリース(2003/3/19)が告知された
一部新曲もあるものの、過去曲をピアノで演奏しただけのものや、過去のインスト音源そのままのものも含む、なんとも中途半端な作品である


さらに同じ頃、3/26の「Tm Network トリビュート アルバム」のリリースも発表された
この企画は1月中に中止されたが、
HMVのサイトには現在も本商品の痕跡が残っている


同サイトには以下のような商品説明が見える
おそらく急な企画だったため、参加ミュージシャンが集まらず、
企画が中止になったのだろう

レア音源に続いてTM NETWORKのトリビュート盤が発売します!詳細はまったく未定ながら、若手のアーティストを中心としたトリビュート盤となりそうです。


これらの間に合わせ企画は、
「キヲクトキロク」と同様にTMのアルバムが年度内にリリースできなくなったことの埋め合わせだろうが、
本当にがっかりする仕事ぶりといわざるを得ない


以上のように考えた場合、2002〜03年のTMのリリース計画は、
以下のように推移したことになる

1. 2002年9月以前:2002年度内にシングル・アルバム発売、2003年度にTMツアー
2. 2002年10・11月:2002年度内にシングルと音源集発売、2003年度にアルバムとTMツアー
3. 2002年12月:アルバム制作の中止決定とTMツアー中止の検討
4. 2003年1月:TMツアーの代替として2003年「tribute LIVE」開催


さらにこの前にはもう一段階あった
2002年1月時点で予定されていた秋のリミックスアルバムリリースである
これは5〜6月頃まではメンバーが発言しているが、その後言及されなくなる
おそらく7〜8月頃に「Castle in the Clouds」の制作スケジュールが固まる中で、
リミックスアルバムを秋に間に合わせることが難しくなり、
年度末のオリジナルアルバム計画に変更されたのだろう


以上の推測が正しいものだとすれば、この頃のTMは、
リミックスアルバム・シングル・オリジナルアルバム・全国ツアーの内、
シングル以外はすべて遂行できなかったことになる
「キヲクトキロク」「tribute LIVE」などは、
本来の計画の残骸か間に合わせの企画だった


この間小室はほとんどTMに関わっておらず、
「tribute LIVE」は完全に木根主導だった
この活動計画の後退は、小室の都合によるところが大きかったと見るべきだろう
その始まりが2002年10〜11月頃にあるとすれば、その背景は推測できる
小室の結婚である


小室とKEIKOは11/22に挙式することを10/6に発表した
以前述べた通り、式の日取りは細木数子が語呂合わせによって決めたものだった
つまりこの日程は、他のスケジュールとの調整を経て決まったものではなく、
この日しかないと言う形で決められたものである
それは当然、以前から決まっていたスケジュールの一部に変更を要求することになっただろう
これがTMのレコーディング日程変更にもつながったものではないか


さらに小室は12月に入ると、新婚旅行を兼ねてハワイに旅立ち、
以後断続的に日本に帰国しながら、
翌年2月にかけてロスアンゼルスおよびハワイで、
ピアノアルバムおよびglobeのアルバムの制作に入った
これらの制作は帰国後も続き、3月初めまでかかった


この間、TMのレコーディングが行なえるはずはなかった
木根がハワイまで「tribute LIVE」開催の許可をもらいにいった1/29は、
このglobeのレコーディングの最中のことだった


小室がTMの全国ツアーへの参加を拒否した理由として、木根・小室は、
2003/7/9に予定されていたglobe東京ドームライブに専念することを挙げている
TMツアーは6月終了予定だったから両立は可能なはずだが、
あえてTMを詰め込むほどの動機はなかったものか


要するに2002年10〜11月以後TMのために確保されていたはずの日程は、
すべてglobeの活動に置き換えられてしまった
なぜ小室がこのようなことをしたのかはよく分からないが、
新妻KEIKOに晴れ舞台を用意するために、
全力をglobeに捧げようとしたのかもしれない


ただ音楽的な問題として、
そもそも小室がTMでやるべきものを見出せていなかったこともあるのかもしれない
本記事冒頭のコメントにある通り、
小室にとって「Castle in the Clouds」は、
反響を得るための「テスト」としての側面があったが、
手応えはあまりよくなかったのではないだろうか


小室は後に「Castle in the Clouds」について、
「メンバーには申し訳ないなと思いますけど、TMの立ち位置をどこに寄せるべきか、位置づけをとても悩んでいた時期でした」と述べている
何をすればよいか分からないTMよりは、
トランスという方向性は決まっていたglobeの方が、
小室としては手が付けやすかったと見ることもできる
またライブMC中の発言なので割り引いて聞くべきだろうが、
TMでトランスをやることについては、木根が難色を示していたらしい


キャンペーンソングにおける80年代の再現、
言い換えれば懐メロJ-POP路線というオファーは、
一つの可能性ではあっただろう
ただそれは小室の音楽的動機を刺激するものではなかった
「Castle in the Clouds」の中途半端な仕事ぶりは、
その反映なのだろうと思う


小室が2002年にこのような状態でTMを動かしたのは、
一つにはウツ・木根やスタッフ・ファンから、
再結成したからには一定の周期で活動しなくてはならないという圧力を受けていたからだろうし、
またより大きい要因としては、
業績不振だったR&Cから成果が見込まれる作品のリリースが求められていたこともあったのだろう


言うなれば「Castle in the Clouds」は、
ミュージシャンとしての動機とは別のところで、
仕事として作った作品という性格が強い
この延長上でのアルバム制作が実現しなかったのも、
さらに全国ツアーに参加する意欲が湧かなかったのも、
一言で言えば機が熟していなかったということと思う


以上、本章はこれまでにないほど推測を交えたものになったが、
この推測に従えば、TM20周年への道のりは、
極めて不穏な形で始まったことになる
それはあたかも、「終了」という結末で終わったTM10周年に向けた活動にも似たところがある


たとえば1年以上TMの活動を休止した後、
世間の反応を見るためにパイロットシングルを1枚だけ出すも、
これに続くアルバム制作を放棄して別ユニットに専念するという過程は、
偶然ながら1993年の動向と驚くほど類似する
TM20周年に至る動向を10周年の時と比較して、
対比的に図式化すれば、以下のようになる

・1993「一途な恋」不振 →アルバム制作を中止しtrfへ
・2002「Castle in the Clouds」不振 →アルバム制作を中止しglobeへ


さらに言えば、1993年には「一途な恋」の前に、
リミックスアルバム「Classix T・U」がリリースされているが、
2002年にも当初は「Castle in the Clouds」の前に、
リミックスアルバムがリリースされる予定だった
影響関係があるわけではないが、不思議な一致である


もっともTM10周年の時には直前にtrfが成功を収め、
TMNが「終了」することになったのに対し、
20周年の時にはglobeが失敗したことで、
TM20周年は無事遂行され、「再終了」も行なわれなかった
これはTMファンにとっては幸いなことだったようにも見える


だが別の見方をすれば、TMN「終了」が小室の成功の結果であるのに対し、
TM20周年の実現は小室の失敗の結果だったとも言える
その意味でTM20周年に向けて展開された活動は、
「終了」以上にネガティブな要素にまみれたものだったと言うこともできるだろう

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7-3 ウツ・木根の吉本移籍

2018/04/19 02:37
「Rainbow Rainbow」「Childhood's End」「カリビアーナ・ハイ」「クリストファー」「パノラマジック」「永遠のパスポート」の作詞を手掛けた麻生香太郎さんが、
3月6日にがんで亡くなっていたそうです
TM関係者が次々と亡くなったり引退したりしますね
まあ、もうそういう年なんですよね


ウツは、「「それゆけ歌酔曲!!」ξIdiosξ」が4/5に始まりました
また4/18には「T.UTU Phoenix Tour 2017」のBlu-rayが一般発売されました
ライブ会場で購入すると、特典としてダウンロードカードがもらえますが、
ダウンロードできるのは「T.UTU with The BAND」「それゆけ歌酔曲!!」のロゴ5種とのこと
うっわ、しょっぼ!
既成の業務用画像ファイルにアクセスできるだけ!?


木根さんは2017/12/2のソロ25周年記念ライブ「キネバラ」のライブDVD・Blu-rayの発売が決まりました
すでにFC予約は受付を締め切りました
5月上旬発送の予定とのことです
21曲110分とのことなので、MCはほとんど入っていないでしょう


こちら商品化することは去年から宣言されていましたが、
3月末にようやく告知されました
このライブ、小室さんがゲスト出演して、
2曲の演奏とトークで1時間近くを費やしたこともあり、
私も少し気にしていました
実に小室さん引退宣言の1ヶ月半前の貴重な映像となります
ただ曲は収録されますが、トークは入らないようですね


一般向けの商品はwardrecords.comの特設サイトで販売します
5/30発売で、通常版は7500円、限定盤は9000円です
限定盤は木根さんのサインとシリアルナンバーが入ったフォトカードと、
テイクアウトライブカードがついているとのことです
テイクアウトライブカードを使うと、
専用アプリで特典用に撮影された「木根テレ!」が見られるそうです


限定盤は200セットが用意されていましたが、
好評なのか100セット追加されました
TMメンバーといる最後の小室映像になる可能性から、
普段木根ソロは買わないTMファンも予約しているのかもしれません


そういやあ、今思い出しましたが、
去年「Get Wild Song Mafia」が出た頃に配信された木根さん・浅倉さんの特番ネットラジオ「ゲワイハンター」
続編もやると言ってそのまま放置されていますが、これってどうなるんでしょうか


2019年春には「City Hunter」劇場版が公開されるそうで
おそらくこれと合わせてTMも何かやるつもりだったんじゃないかと思います
2019年春って、TM35周年ですし
まあ今では関係ない話になってしまいましたが、
もしかしたら「Get Wild Song Mafia」のリリースはそこまで見据えていたのかもしれません


小室さんについては、twitter閉鎖に続いて、
インスタグラムのアカウントも4/10頃に非公開になりました
どんどんフェイドアウトモードになっている印象です
これで残っているのは、5年間更新されていないGoogle+を除けば、
755とFacebookになりました


4/2代々木アニメーション学園の入学式では、
去年プロデューサーに就任した小室さんもメッセージを寄せたようですが、
ビデオが流れたわけではなく、メッセージが読み上げられただけのようです
プロデューサーの立場は名目的には継続しているようですが、
秋元さん、指原さん、つんく♂さんなど他のプロデューサーは出席したのを見れば、
やはり実質的には引退状態ということでしょう


ただ別の見方をすれば、
秋元さんが小室さんを名目的にせよ表舞台につなぎとめているともいえます
それは「ラストアイドル2ndシーズン」についてもいえるかもしれません


さて、本番組で小室さんがラストアイドルに提供した「風よ吹け!」は、
2ndシングルの表題曲になることはできませんでした
番組では総当たり戦の上位3組で勝負して1位を決めるという、
プロ野球で言えばクライマックスシリーズ方式が採用されました
しかし総当たり戦の結果、
3勝のつんく♂さんと織田哲郎さんの最終戦進出と、
全敗の指原莉乃さんの敗退は決定していましたが
小室さんと秋元康さんはともに2勝2敗で、勝率が同じになりました


そこで視聴者投票の結果が参照されることになったのですが、
結果は、1位指原、2位秋元、3位織田、4位つんく、5位小室でした
全敗だった指原さんが投票では1位、
一方勝率3位の小室さんは投票では最下位です
秋元さんと小室さんの中では、
投票数が上だった秋元さんが最終戦に進出し、最終的に優勝しました


審査員ではなく視聴者の評価が最低だったという結果は、
小室さん的にはきついものがあります
視聴者の多くはAKBグループのファンなのですから、
もともと秋元さんと指原さんが有利な条件ではあったのでしょうが、
つんく・織田・小室3人の中でも最下位でした


「風よ吹け!」は曲名からして、
なんとかこれで良い流れが起こって欲しいという、
小室さん最後の願いを掛けた曲だったようにも思いますが、
この結果には本人もまた落ち込んだかもしれません
まあ正直に言って、私でも最下位に投票する出来でしたが…


この結果を踏まえて4/18には、
秋元さんプロデュースのシュークリームロケッツ「君のAchoo!」を表題曲としたラストアイドル2ndシングルがリリースされました
CDは6パターンリリースされ(すごいですね)、
TypeA〜Dにはシュークリームロケッツ以外の4ユニットのどれかが入っています
「風よ吹け!」はTypeB収録です


小室さんがプロデュースしたラストアイドルは、
企画名としてのラストアイドルと区別するためか、LaLuceと改名しました
小室さん、前回の優勝ユニットであるラストアイドルをあてがわれていた時点で、
かなりの優遇だったと思うんですが、
結果的には全然特別感がなくなってしまいました
メンバーも2人脱退するそうです


ということで私も、
興味がないアイドル番組の録画を見る仕事から開放されました
(ホントつらかったです)
これで小室さんの仕事は終わりなのかなあ…とも思いましたが、
入れ替わりで新情報が入ってきました
今年公開予定のLINEゲーム「Guardians」のゲーム音楽監督の仕事です
4/13公式サイトの文章より引用します

「ガーディアンズ」は音楽監督として音楽プロデューサー小室哲哉氏を迎え、昨年の春から約1年をかけ、ゲームの世界を彩る音楽全29曲(主題歌+BGM28曲)を制作。主題歌「Guardian」は、小室哲哉本人が登場するMVと共に「ガーディアンズ」公式YouTubeチャンネルにて、近日公開いたしますので、ご期待ください!


小室さん、去年の春からこの仕事やっていたようです
「すでに引き受けている仕事」として、今まで継続していたんですね
曲も一部公開されていますが、悪くないと思います
近いうちに公開されるという主題歌のMV、気になりますね
音楽監督というので、29曲全部を小室さんが作ったのかどうかは分かりませんが、
主題歌は多分小室さんなんでしょう


情報源はあやふやですが、「女性自身」によれば
小室さんは今後avexの社員として編曲などの仕事をするそうです
avexとしては、実質的な立場はともかくとして籍は自社に置かせながら、
小室さんの状態が回復するのを見守るということかもしれません
avexはこの機会に小室さんの仕事風景を公開しています


それでは本題に入ります
今回はウツ木根話です
全然TMの話にならなくてすみませんが、
一応前回までよりはTM要素が入っています
次回からはTMのお話になりますので、
それまでしばしお待ちください

-------------------------------
TM NETWORKは2000年後半、ようやく待望の本格的活動に突入した
しかし翌年1月の「Tour Major Turn-Round」が終わると、
TMはまた沈黙してしまう


以後小室哲哉はglobeとGaballを核に活動し、
ウツ・木根はROJAMに移籍してソロ活動を進めることとなった
TM NETWORKについては、
「Major Turn-Round」関連の書籍や映像作品の発売が見られたのみで、
新たな活動は何もなかった


だが2001/12/5のVHS/DVD「Live Tour Major Turn-Round 02」リリースにより、
TM関係のコンテンツがすべて消化された
さすがにこの段階では、次の活動が問題になっただろう


2002/1/19ウツ出演の「RENT Gala Concert」赤坂ACTシアター公演の後、
3人は久々の話し合いを持った
この時は小室から、
2002年秋頃にリミックスアルバムを出したいとの発言があったらしい
木根はこれを受け、4〜5月のライブMCで、
秋にTMのリミックスアルバムを予定していると語り、ファンの期待を煽った


小室は2001年初めから折に触れて、
「Major Turn-Round」のリミックスアルバムの構想を表明しており、
確認できる限りでは2001年10〜11月頃にも発言している
しかし2002年の会合で話に出たリミックスアルバムは、
「Major Turn-Round」楽曲にこだわるものではなく、
「終了」前の楽曲を今のTMでやるという側面が強調された
小室はこの後5・6月頃にもTMの活動について、
「以前の曲で、仕上がりに納得のいっていないものをリプロダクトしたい」と語っている


あるいは小室は、globeのリミックスアルバム「global trance」のようなものを意識していたのかもしれない
本作は2001/9/12にリリースされており、全曲トランスアレンジが施されている
9曲中1曲は新曲、2曲は小室+DJ Dragonのtatsumaki名義だが、
6曲は他のアレンジャーの手によるものである


自分は少し前まで、TMのリミックス盤とは、
「CLASSIX」のように小室自身が手掛けるものと思い込んでいたが、
冷静に考えれば外注の可能性も想定すべきだろう
この後TMの「Castle in the Clouds」「Easy Listening」でも編曲が外注されたのを考えればなおさらである
この計画は結局実現はしなかったから、実際の構想は不明だが、
あまりうれしくない作品になっていた可能性が高い


ともかく1月の会合では、3人の間でTMの活動再開に合意ができたらしい
2002年2月のmagnetica会報には、
「2002 TM NETWORK takes off soon. “Please fasten your seatbelt!” arranged by TK Airline」
という広告が出ている
同じ頃、木根の会報でも、
TMは継続性のある活動を行なうことが語られている
ただし具体的にはどうなるか分からないとも話している
TMはなおしばらく実際の活動を行なわなかった


実はこの時の会合のメイントピックはTMの話ではなく、
ウツ・木根の移籍の件だった
小室はすでに2001年5月に吉本と専属契約を結んでいたが、
この時ウツ・木根もよしもとR&Cに移るという話になったのである


2人は会合半月後の2002/2/1にR&Cに移籍した
このタイミングを見るに、移籍の話は会合で初めて出たものではなく、
これ以前から進んでいた話の最終的な確認と見るべきだろう
2人のROJAM移籍は2001年4月だったから、
結局ROJAM在籍は1年に満たないものとなった


2001年にROJAMで活動していたのはウツと木根だけだったが、
これはいずれTMが活動を再開させる時に、
その作品を引き続きROJAMからリリースすることを考えてのことだろう
だがその2人がR&Cに再移籍した
この後TM作品もR&Cからリリースされることになるが、
それは2人の移籍の時点で想定されたものだったと考えられる


つまりTMの拠点を吉本に移すことを前提として、
2002年のウツ・木根移籍は行なわれた
だからこそ1月の3人の会合では、
TMの話とウツ・木根の移籍の話が関連する話として進められたのである


2人の移籍に伴い、ROJAMの新作リリースはなくなった
小室はROJAMを自らの音楽事業の拠点とする2000年当時の構想を、
ここで事実上放棄するか、少なくとも大幅に後退させることになった
結局ROJAMが小室にもたらしたものは、
「Major Turn-Round」のリリースと約70億円の損失だけとなった


この頃株式上場の失敗で苦境に陥っていたROJAMは、
吉本と関係を緊密化させる
2002年9月に約10億円でR&Cの株式80%を取得して子会社化するとともに、
その代価として株式4.5億株を発行してR&Cに支払った


要はROJAMとR&Cが株式の交換を行なったわけだが、
これが何を意味しているのか、正直自分にはよく分からない
ただ小室と吉本の提携関係が、
ROJAMを介して経営面で強化されたことは間違いない


しかしこの時ROJAMは記者会見で、
R&Cとの提携により、吉本の番組でのアーティスト紹介が期待できるとしているが、
ROJAMにミュージシャンが一人も残っていなかったことを考えれば、
失笑せざるを得ない説明である


そもそもR&Cは小室の吉本移籍に伴って設立されたレコード会社で、
吉本はここを拠点に音楽事業への積極的進出をもくろんだ
吉本はそれほど小室の専属契約に期待していた


ところが吉本は、R&C立ち上げの1年半後の2002年11月には、
早くも原点であるお笑い部門の強化方針を表明している
これは直接には、
10月公開の吉本映画「明日があるさTHE MOVIE」の興行成績が伸び悩んだことを受けたものと見られる
この頃吉本では音楽部門への進出も含め、
多角経営戦略の見直しが迫られたのだろう


もちろん一本の映画の失敗のみで企業の大方針の転換が行なわれるはずはない
吉本の多角経営方針について、これ以前から反対する意見はあったのだろう
立ち上げたばかりの音楽事業も、到底うまくいっていたようには見えない
当時のR&Cには目玉となるコンテンツがなかったし、
小室も2001〜02年にはglobeに全力を注いでいた
R&CではGaball・ULTRAS・R9・Female non Fictionの作品をリリースしているが、
どれも商業的成果は皆無に近い
2001年には、芸能界を去っていた鈴木あみと吉本が交渉を行なっていたが、
これも結局うまくいかず、2002年に話は流れた


小室関係以外のものを見ても、R&Cには売れる作品がなかった
R&C立ち上げ直前に吉本芸人がRe:Japan名義でavexからリリースした「明日があるさ」のようなヒット作が出るのが期待されていたのだろうが、
そもそも10位内にランクインする作品が一つも出ていなかった


そのような中でようやく一定の売り上げを出したのが、
吉本芸人宮迫博之・山口智充によるゆずのパロディユニットくずで、
2002/10/30に2ndシングル「生きてることってすばらしい」をリリースし、
チャート7位を獲得している
(なお2004年の3rdシングル「全てが僕の力になる!」は1位)


ただくずのデビューシングル「ムーンライト」は、
2001/11/7ポニーキャニオンよりリリースされている
そのくずがR&Cに移ったのは、おそらくR&Cの不振を補うための措置だろう
吉本芸人関係の企画ということで、話を付けやすかったものと思われる


このような状況の下、
小室もR&Cへの貢献を求められたはずである
たとえば2002/7/3には、
吉本新喜劇で歌われていた「ECSTACY」のリミックスシングルを出しているが、
こうした失笑物のネタ作品を作ったのは、
あるいは吉本への貢献をアピールしたものだろうか


先に述べたROJAMとR&Cの提携も、
吉本への貢献の一つという側面もあるのかもしれない
そしてウツ・木根の移籍およびTM作品のリリースも、
やはり低迷するR&Cで成果を出す必要に迫られてのものだろう


こうして実現したウツ・木根の移籍だったが、
そのことは2人のソロ作品の内容にも多少の変化をもたらした
まずウツ作品におけるProduceウツ、Co-Produce木根、Exictive Produce小室という体制は、
ROJAMから離れたことにより名目的にも消滅する
以後ウツ作品に小室・木根の楽曲が継続的に入ることはなくなった


木根作品についても、
小室関係者の前田たかひろなど、他人の作詞がなくなる
これ以後の木根は、原則として全曲作詞作曲を自分が担当するという、
徹底した自作方針を取るようになる
(インタールードの作曲や田中花乃の作詞など例外はある)


ウツと木根は移籍後、ソロアルバムの制作を行なった
この年は2人のソロ活動10周年に当たる大事な年でもあった
木根は5/29にミニアルバム「Running On」
ウツは7/31にフルアルバム「Ten To Ten」をリリースしている


特に「Ten to Ten」は、10周年を意識したタイトルとなっている
(「点と点」という日本語も掛けていた)
それまでの作品と異なり、
全曲がミディアムとバラードの構成となっており、
ウツは「癒し」がテーマだと言っている


「Ten to Ten」の先行シングルとなった「blue reincarnation」「Remedy」は、
吉本のバックアップを得て、テレビ番組のタイアップが付いた
ただ売上不明のROJAM期を挟んで、
SONY時代の作品とこれらシングルの売り上げを比較すると、
2000年のシングル「Flush」が1.5万枚を売ったのに対し、
R&C期のシングルは0.3万枚程度の売上となっている


アルバムについては、
2000年「White Room」は33位・1.5万枚を売ったが、
「Ten to Ten」は47位・0.6万枚である
シングル・アルバムとも、
ウツのセールスが2年で半分以下に落ち込んだことが分かる
以後ウツのソロ作品の売上が1万枚を超えることはない
この頃にはウツの楽曲のセールスは、
一般の耳に触れることはない水準になっていたといえる


一方木根作品はすでにチャート100位以内に入っておらず、
R&C期になっても数字は不明である
ただ1998年「The Beginning Place」が4000枚、2005年「Life」が2000枚だから、
その間の時期の売上は2000〜4000枚くらいだろうか
なおアルバム表題曲「Running On」は、
「2002 Fifa World Cupp Korea/Japan」の個人的な応援歌として作った曲だと言う
この年のワールドカップは、3人とも楽しみにしていたようだ


また本作にはTMN「月の河」のカバーが入っている
これはTMN「EXPO」では「I Hate Folk」と混ざって一曲とされている
これに対してソロバージョンは、待望の(?)完全版である


なおウツのソロ10周年ツアー「Tour Ten to Ten」は、
記念的なライブということで、「Ten to Ten」からは数曲しか演奏せず、
過去の作品から万遍なく演奏する方針を取った
実際、バラード中心の「Ten to Ten」を中心にした場合、
ライブの盛り上がりも微妙だろう


この時に演奏されたのは、ウツソロのみではなく、
「RENT」「Your Eyes」の他、TMの楽曲も含まれていた
なんと「Innocent Boy」「Resistance」のジャズバージョンである
特に「Innocent Boy」は、TMのライブで演奏されたことがないレア曲である
(ただ作曲者木根のソロでは演奏されたことがあるかもしれない)


「Innocent Boy」演奏中の図



前年の「Tour LOVE-iCE」では「Open Your Heart」のロックバージョンを披露するなど、
ウツはファンも驚く選曲をやってくる
ウツはこの件について、ライブDVDで以下のように語っている

今回のソロ活動の10年間をおさらいするようなコンサートなんだけど、ソロとTMていうのは表裏一体なんで、特にこの10年間でもTMていうものは現に動いていたし、なんでTMの曲を今回選ばないというのも、なんか不自然な気がしてですね、ある意味、今回のコンサートにちょっとだけ花を添えてくれるような感覚で選びました。
で、この曲(「Innocent Boy」)を選んだ理由ていうのは、今までこの曲ができてから、実はTMのコンサートで一回も歌われていない曲なんですね。なんでせめて僕が選べば、特にソロで選べばそれは可能なんで、今回この「Innocent Boy」を選んでみました。


なお「Tour Ten to Ten」について地味に重要なのが、
ライブDVDのリリースである
実は1998年「Tour fragile」を最後に、
ウツのライブDVDは長く商品化されていなかった
すでにDVDの採算が採れるかどうか、
微妙なラインに突入していたのだろう


たとえば2000年「Tour White Room」の映像は、
2007年に「15th Anniversary Memorial DVD-BOX」に収録されたが、
それはスタッフ用の固定映像だった
そもそも商品化を前提としたライブ映像の収録を行なっていなかったと見られる


だが2001年の「Tour LOVE-iCE」は、
「Tour Ten to Ten」と同時にDVD化され、
FCで2枚組として先行販売された上、
2003/4/23には一般販売もされた
実に5年ぶりのDVDリリースだった


これ以後ウツの全国ツアーは、
アコースティックライブを除いてすべてDVD化されている
今のファンは当然視しているが、
木根のライブがほとんど商品化されていない状況を見れば、
ウツの今世紀のライブも商品化されない可能性はあったはずで、
ウツの現状はファンにとってかなり幸運なことである


ただし2003年「Tour wantok」のDVD(2004年リリース)以後は、
R&Cからではなくウツの事務所M-tresの名義でリリースされるようになる
FC先行販売(実質的な売上はこれが大部分か)以外は、
Magneticaのwebshopか新星堂のみの限定販売となり、
皮肉にもROJAMのネット販売構想が遅れて採用された形になった
やはり「Tour LOVE-iCE」「Tour Ten to Ten」は、
一般の流通に乗せて採算が採れる水準の売上はなかったのだろう


現在は通販が中心となっているため全国流通網に乗せる必要がなく、
ウツのライブDVDは新星堂以外のサイトでも通販できるようになっている
ただ実はamazonでも昔は、
流通に乗っていないこの時期のDVDは購入できなかった


ここで脱線しておくと、ウツの担当になったR&Cのディレクターは、
斉藤光浩という人物である
これはかなり驚きの出会いだった
というのも、斉藤はBOW WOWの元メンバーで、
1970年代には小室が斉藤と一緒に活動していたからである


小室は1977年にはギズモとして、BOW WOWのバックバンドを務め、
1978年には斉藤がギズモと一緒にステージに立ったこともある
1979年には斉藤を含むBOW WOWメンバーの別名義バンド銀星団に、
小室も参加して活動していた
この関係は、小室が1980年にSPEEDWAYに加入するまで続いたとみられる
なお斉藤は1983年にBOW WOWを脱退していたが、
1998年にBOW WOWが再結成されるとこれに参加しており、
この時点でもミュージシャンとしての活動を継続していた


小室とBOW WOWの関係については、
以前「0-3 小室哲哉と音楽の出会い」で触れたところである
実際にはウツよりも小室の方が斉藤との再会に驚いたはずだが、
小室の発言は見たことがない


斉藤はR&Cのディレクターとしては、くずの作品も担当している
R&Cでも売れそうな見込みのある作品を担当していたのだろう
ただ2003年以後、ウツと絡んだ形跡は見えず、
長期的な関係にはならなかったようだ


さて、この頃のTM3人の活動を見てみると、
2〜3月に木根のアルバムレコーディング、
4〜5月に木根のツアー「talk & live 番外編 2002」
5〜6月にウツのアルバムレコーディング、
8〜9月にウツのツアー「Tour Ten to Ten」となっていた


これに小室のスケジュールを合わせて見ると、
3月まではglobeやsong+nationのレコーディングを行なっていたと見られ、
3/30から6/6まではglobeのツアーで全国を回っていた
7月を除くと、3人が実質的に動けるのは、
ウツの「Tour Ten to Ten」ファイナルの9/23以後ということになる


厳密にはウツ・木根のソロ10周年は、
それぞれ2002/11/21と2002/12/2になるはずだが、
なぜか2人のスケジュールはその頃が空けられている


実は木根のツアーは本来秋に予定されていたのを変更したといい、
秋は意識的に開けておいたらしい
これは秋のTMリミックスアルバム計画とも関わると見られ、
TMの活動は秋から開始と予定されていたのだろう


ただし実際にはまともな活動は行なわれなかったため、
2人が空けていたスケジュールはまったく無駄になった
木根は代わりに年末の12/21、
ミニアルバム「ciè la musica〜約束された物語」をリリースし、
12/22・23原宿クエストホールで10周年記念ライブとして、
「talk & live special」を開催している


次章で触れるように、R&C期TMの活動は、
2002年10月前後の吉本興業90周年企画の一環として始まった
その企画は前年度終わりにはだいたいの時期が決まっていただろうから、
その時期を見込んでスケジュールを合わせたのだろう
ウツや小室のスケジュールも、これを勘案したものと見られる


TMの吉本移籍後最初の作品が吉本の企画で発表されるというのは、
タイミングとしては悪くない
ただ逆に言えば、夏まではTMに着手しないことが、
1月の会合で確認されたということでもあるのだろう
ファンはなおしばらく、TMの活動を見ることができなかった


そのような中で、TMファンにとって多少とも興味深いイベントがある
2002/4/27〜29合歓の郷で開催された「UTSU・KINE Solo 10th Anniversary Event」である
ウツと木根のソロFC結成10周年を記念したファンイベントで、
1泊2日・2組の日程で開催された(4/27〜28と4/28〜29)
トーク、ゲーム大会、コンサートなどが行なわれ、
演奏の場面では山本英美もサポートについた


この時は懐メロ、ウツ・木根ソロ、TM曲(「Here, There & Everywhere」)も演奏されたが、
メインになったのは1970年代のおん・ざ・ろっくとフリースペースの楽曲で、
それぞれの曲にまつわるエピソードとともにアマチュア時代の楽曲が演奏された
木根の家の屋根裏で見つかったカセットテープを参考資料に、
2人で演奏曲を決めたという
過去にどのような曲が存在したのか判明する、極めて貴重な機会だった


演奏曲は具体的には、
「ライブツアー」「キューティーレディ」「ムーンライト・シンデレラ」「愛ちゃんの星」「サヨナラ5月」「花火の夜」「トマトジュース」「Please Say You Love Me」の8曲だった
これらの曲名の情報は、本ブログの「0 前史」でも活用しているが、
私自身はこのイベントには参加していないので、
どのような曲だったのか一度聞いてみたいものである


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7-2 トランス期の小室哲哉

2018/03/20 01:32
3/8の報道によれば、
TM NETWORK「Get Wild Song Mafia」ギネス記録に認定されました
記録は「トップ100にチャートインしたCDアルバムに収録された同じ曲のバージョン/リミックスの最多数」とのことです
原文は、以下の通り

The most versions/remixes of one track on a top 100 CD album is 36, achieved by Tetsuya Komuro (Japan) with all versions/remixes of the song Get Wild appearing on the album Get Wild Song Mafia, released on 5 April 2017 in Japan.


正直「achieved by Tetsuya Komuro」となっているのは腑に落ちません
「Get Wild Song Mafia」はTM NETWORK3人の名義の作品なのに…
ただメディアもすべて「小室哲哉の業績」として本件を紹介しています
これはおそらくavexの小室さんのスタッフが、
話題を作ろうと考えて申請したものだからであり、
その受賞情報もavexスタッフが広報したためでしょう
まあ正直、音楽的な価値は何もない記録なので、
別にどうでも良いことではありますし、
実際にここに目をつけたスタッフは、
スタッフとしては有能なのだろうと思います


あえて言えば、TMが(小室さんが)こうなってしまったしまった今、
最後のはなむけとはなるでしょうか
またはこれで小室さんの意欲も湧いて、
活動再開への糸口となる可能性もあるかもしれません
なお「Get Wild Song Mafia」は、
同日3/8にCDショップ店員が選出する「第10回CDショップ大賞2018」リビジテッド賞にも選ばれています


また小室さんは1/23(引退会見4日後)に、
第18回ビートたけしのエンタテインメント大賞で功労賞を受賞しました
小室さんは2/25の表彰式を欠席しましたが、たけしさんは、
あれだけ日本中の音楽が変わった時代も珍しいよな。日本中どこにいっても小室哲哉という名前は必ずどっかに出てくるよね。日本中の音楽の流れが一極に集中しちゃった時代だからね。一時代を築いたことは間違いない。

コメントしたそうです
全体的に最後のご祝儀的な印象はぬぐえませんが、
最後まで惜しまれつつ引退したのだとは思います


小室さん最後の仕事となっている「ラストアイドル 2nd season」では、
3/10放送分で小室さんがラストアイドルへの提供曲のアレンジを変えてきました
これが小室さん最後の音ということになるのでしょうか
このニューアレンジ、最初のよりも改善されていた印象は受けましたが、
秋元康さんプロデュースのシュークリームロケッツに負けてしまいました


翌週3/17放送分では5組の総当たり戦が終わりました
3/24には上位3組で勝負して、1位を決める段取りになっていると思われます
これで1位となったユニットの曲が4/18リリースのCDの表題曲となります


現時点ではつんく♂さん・織田哲郎さんが3勝1敗で上位3組入りが決定しており、
また指原莉乃さんは全敗で落選が決定しています
決勝進出の残り1枠は、2勝2敗の小室さんか秋元さんかまだ発表されていませんが、
以前番組で行なったweb人気投票の結果を参照して決められると見られます
これで小室さんが勝てば、もう1回だけ小室さんが番組に登場する可能性があります
ただ勝っても出ない気もしますし、もうどうでもいいかな…とも感じています


ウツは2/28にソロ25周年記念アルバム「mile stone」をリリースしました
通常版は28位・2556枚、限定盤は81位・787枚で、合計3000枚を越えました
前作「T.UTU with the Band All Songs Collection」の29位・2258枚は上回った感じです


また去年10月からFM NORTH WAVEで放送されてきた「ξUTSU BARξ 440」は、
アルバムのプロモーションも終わったということで、今月で終了とのことです
このスケジュールは当初の予定通りでしょう
4月からは「「それゆけ歌酔曲!!」ξIdiosξ」が始まります


木根さんについては特に新情報はありません
では本題に入ります

-----------------------
2001年当初の小室が想定していた音は、
おそらくトランスとR&Bだっただろう
2001年3月にリリースされたglobe「outernet」はトランス、
4月にリリースされたKiss Destination「AMARETTO」はR&Bを主軸としていた
なおおまけながら「AMARETTO」には、
「永遠と名づけてデイドリーム」のインストとして「デイドリーム」が収録されている


しかしKiss Destinationは、
麻美の妊娠と離婚によって実質的に活動を終えた
出産は2001年9月、離婚は2002年3月である
2001年の時点では、妊娠に伴う活動「休止」に過ぎなかったが、
これを以て小室はR&B路線から離れることになった


Kiss Destinationは、先行シングルをROJAMでリリースしながら、
なぜか「AMARETTO」をポニーキャニオン系列からリリースしている
この移籍は一般の流通に乗せてセールスを上げることを目論んだものだろうが、
この挙はインディーズレーベルROJAMの通販戦略の失敗を認めたも同然である


しかも本作の成績は24位、2.1万枚に終わった
前作「Gravity」の7位、6万枚も成功とは言えないが、
これと比べても大きく売り上げを落としている
globe「outernet」も9位、14.9万枚と、
この時点ではglobe史上最低の売上に終わっているが、
(前作のオリジナルアルバムである1998年の「Relation」は1位・173万枚)
それでもKiss Destinationと比べれば、まだ可能性は残っていたといえる


Kiss Destination休止の中で、
小室はglobeと新ユニットGaballを活動の中心とするようになる
globeは従来通りavexから、Gaballは吉本R&Cから作品をリリースした


さらに小室は10/24アンビエント系のインスト曲を、
ソロシングル「Blue Fantasy 〜Love & Chill Out〜」としてリリースしている
オリジナル曲としては、
1992年「Pure」以来9年ぶりのソロシングルである
(1997年「Speed TK-Remix」は小室によるリアレンジ曲)
翌年には本作のリミックス9バージョンを収録したアルバム「Blue Fantasy 〜Love & Chill Out with Trance Remixes〜」がリリースされている


「Blue Fantasy」はFoa Recordsからリリースされた
またTM NETWORKのVHS/DVD「Live Tour Major Turn-Round」はポニーキャニオンからリリースされ、
小室が名目的にエグゼクティブプロデューサーを務めたウツ・木根作品はROJAMからリリースされた
つまりこの時期の小室関係作品は、以下のレーベルからリリースされたことになる

・globe =avex
・Kiss Destination・TM NEWORK =ポニーキャニオン
・Gaball =R&C
・ウツ・木根ソロ =ROJAM
・小室ソロ =Foa Records


以上の中で小室の活動の中心となったのはglobeとGaballであり、
両ユニットではともにトランスが試みられた
これ以後2004年まで小室哲哉が音楽的に追及したのは、
一貫してトランスだった
小室哲哉にとっての2000年代前半とは、
一言で言えばトランス期である
90年代における音楽的嗜好のめまぐるしい変化と比べると、
この長期的な継続には驚かざるを得ない


小室がトランスにはまるきっかけは、
2000年頃にロスアンゼルスで偶然聞いたChicaneの曲だったという
2000/3/27リリースの「Behind The Sun」がヒットした頃の話だろう
小室がアンビエントに手を出したのも、
Chicaneの作品からトランス・アンビエントの双方へと関心が向いたものかもしれない


トランス期小室はDJ Dragonと特に親密だった
小室が彼とVJ原田大三郎と組んだのがトランスユニットGaballである
GaballはTM NETWORK「CAROL」の物語で登場したユニットGaball Screenに由来する名称で、
レーベル名もR&C内のGaball screenとなっている
このレーベルには、後にTM NETWORKも所属することになる


Gaballの構想は原田が「Tour Major Tunr-Round」に関わった頃からあったと見られ、
ツアー終了から間もない2001年3月頃には、
小室・Dragon・原田の3人で活動する計画が公言されている
Gaballのデビューは2001/9/12アルバム「Represent_01」である
「01」とある以上は「02」以後も(さらに言えば「10」以上まで)作成する意気込みだったのだろうが、
結果としては現在までこれが唯一のオリジナルアルバムとなっている
ただ歌が入っていない分、当時の小室が追及したかった音は、
本作でもっとも先鋭的に表現されているとも言える


本作収録の「Represent_01」「Kuta Moon」は、
逮捕直前までMySpaceでリミックス音源が公開され(現在まで未商品化)、
2011/8/19「FREEDOMMUNE 0」でも演奏予定だったことを考えるに、
(イベントは中止になったが、その日の夜に小室がスタジオライブを配信)
小室としては意外と愛着があるようである


2002/6/26リリースの「Ungraded」は、
既発表曲1曲+リミックス1曲のCDに、
「Represent_01」収録曲の映像入りDVDを同梱したものだった
こちらは実質的には、原田の映像がメインの作品である


GaballにVJ原田が参加したのは、ライブ活動の重視を示している
9/19にはSOTECの「WORLD PC EXPO 2001」でライブを行なっており、
ストリーミング配信も行なわれた
11/16にはZepp Tokyo、11/24には名古屋OZONでライブが行なわれている
詳しくは分からないが、zentoのイベントでも、
DJ Dragonや原田が参加することがあったらしい


Gaballのワンマンライブは2002年以後行なわれなくなるが、
DJ Dragon・原田と小室の関係はトランス期を通じて継続した
小室が2002年に渋谷WOMBで開催したトランスイベント「TK Presents Synthesized Trance」にも、
二人は参加している
なお「Synthesized Trance」は、
私が確認している限りでは2002/7/24〜12/25にvol.5まで開催が確認される
(確認できていないものもあるかもしれない)
vol.1とvol.2のライブアルバムもTSUTAYA限定で販売されている


小室とDJ Dragonの共作では多くtatsumakiの名義が用いられた
具体的な作品としては、2000年にBALANCeがあったが、
2001年にはウツソロや後述の「global trance」の他、小室ソロ「Speed TK-REMIX〜炎のコマ」にも関わっており、
2002年ではR9、Female Non Fictionの楽曲もある


他にワールドカップ2002日本代表サポーターチームULTRASのシングル「AIDA決めてくれー!」やアルバム「ULTRAS 2002」も、
DJ Dragonが中心となって制作された作品である
後者にはTM「Seven Days War」リミックスの「Eleven Hearts War」や、
「My Revolution 2002」も収録されている
正直、当時は勘弁してくれと強く思ったものである


また原田は2000〜01年TM NETWORK「Tour Major Turn-Round」のライブ用映像の制作を行なったが、
その後「Double Decade "NETWORK"」以下の2004年TMライブの映像制作にも関わった
さらに2008年には原田が制作した映像の上に小室が音をつける形で、
「Arashiyama」(2006年DJ TK名義で発表)のロングバージョンが制作され、
4/30にデジタル配信されている
同年11月の逮捕直前まで小室と関係を保った人物と言えよう


この時期の小室の活動のもう一つの核だったglobeを見てみよう
globeは2001/3/28「outernet」でトランスを試みると、
その後の楽曲は2003年まで、ほぼすべてがトランスとなる
過去楽曲についても2001〜02年に、
「global trance」「global trance 2」としてトランス版が発表され、
(ただし小室がリミックスしたトラックはごく一部)
ライブでも過去楽曲はトランスアレンジで演奏された


トランス期globeの本格的始動となったのは、
2001/8/1リリースのシングル「try this shoot」である
個人的には好きな楽曲である
9/12には「global trance」をリリースする


さらに11/14にはドラマ「スタアの恋」主題歌として、
カバー曲「Stop! In The Name of Love」をリリースし、
12/8にはアニメ「サイボーグ009」主題歌として、
「genesis of next」をリリースするなど、
2001年後半はトランスユニットglobeをアピールし続けた
なお小室は「サイボーグ009」のアニメ音楽も担当し、
サウンドトラックもリリースされている


「try this shoot」は10位、7.6万枚、
「Stop! In The Name of Love」は7位、14.4万枚
「genesis of next」は4位、9.6万枚の成績だった
特に「Stop! In The Name of Love」は、
2000年のシングル(10〜13万枚)を越える売上で、
2000年代のglobeシングル作品で最大の成績である
また「genesis of next」はその実験性も含め、
トランス期globeの代表曲となっている


そして以上のシングルを収録した「Lights」は、
2002/2/6にリリースされ、2位、27.7枚の成績を出した
これは「outernet」の9位、14.9万枚の倍近くの売上である
これまでglobeのアルバムはベスト盤を除けば、
ほぼリリースごとに売り上げを低落させ続ける傾向にあったが、
(例外として「Love again」166万→「Relation」173万)
この時だけは売り上げが持ち直している
しかもトランスと言う音楽的実験を前面に出した上での成果である


小室はここに大きな手応えをつかんだことだろう
以後も長くトランスを続けるのは、
この手応えがあってこそと思われる
小室は逮捕後の音楽活動再開期、
本作収録の「Many Classic Moments」を自分の代表作に挙げているが、
これは本作への思い入れの強さを物語るものだと思う


そして小室はなんと2ヶ月後の2002/4/17には、
次のアルバム「Lights2」をリリースする
「Lights」ラストの「fade in」を受け、
「Lights2」「fade in2 (part2)」でアルバムが始まる構成である
先行シングルは「Over the Rainbow /Inspired from Red&Blue」しかなかったが、
「Lights2」はチャートで2位、16.4万枚を記録した


この間、globeは約2年ぶりのワンマンライブも再開させ、
特に2002年前半には3/30から6/6まで2ヶ月以上、
ほぼ継続的にステージに立っている
この頃の小室の活動は完全にglobe中心になっており、
Gaballも実質的な活動は行なっていない


この時期のライブはトランスをメインに据えており、
特に2001/12/8の特別ライブ「genesis of next」と、
3/30〜4/7のアリーナツアー「tour category trance」ではそれが顕著だった
小室はこの時、ミキシングコンソールの操作による音源のリアルタイムミックスをライブに導入し、
それはキーボードの演奏よりも中心的な役割を果たしていた
ドラムやベースもハードディスク中のシンセ音源が用いられており、
小室はその音量のバランスを調整し、公演ごとに異なるミックスの音を聞かせた
そのため両ライブではドラム・ベースがおらず、
サポートはギターの木村健のみとなる


この時期の小室はglobeをトランスに特化させたことで、
たしかにパフォーマンスの面で一定の成果を出していた
それがすべてのファンを納得させるものだったかはともかくとして、
新しい音楽活動の可能性は示していたし、
しかもそれは商業的にもそこそこの成績を上げていたのである
ただそこに固執し過ぎたことで、
2002年後半からは迷走を強めるようになるのだが、
それについては別章で述べることにしたい


この頃のglobeのライブでギター以外にサポートを付けず、
小室がミキシングコンソールの操作が中心のパフォーマンスを行なった点は、
2004年にTM NETWORKのライブにも導入される
その意味でこの時期のglobeの活動は、
2004年のTMの活動の前提となったということもできる


たとえば2001〜02年のglobeは以下のようなライブを遂行した

・ギター1人を加えたトランスの特別ライブ(「genesis of next」
・ギター1人を加えたトランスのツアー(「tour category trance」
・バンドを引き連れたトランスを含む全ジャンルツアー(「tour category all genre」
・3人のみでの全ジャンル特別ライブ(「category trance & all genre」


これに対してTM NETWORKの2004年ライブは、

・ギター1人を加えたトランス中心の単発ライブ(「Double Decade "NETWORK"」
・ギター1人を加えたトランス中心のツアー(「Double Decade Tour」
・バンドを引き連れたトランスを含む特別ライブ(「Double Decade Tour Final」

となっており、まったく対応するわけではないものの、
globeのライブを下敷きにしているように見える
逆に言えば、小室は2002年から2004年まで、
新しい活動形態を思いつかなかったといえるかもしれない


「Double Decade "NETWORK"」より、ツマミイジイジ小室



小室自身の活動ではないが、この頃軟式globeというのがあった
バラエティ番組「学校へ行こう」の1コーナー「B-RAPハイスクール」で、
2002/6/18から2003/3/25に常連として出演していたグループである


パークマンサーとコイケの二人組で(もちろんMarcとKEIKOのパロディ)、
コイケがglobe「Love again」の替え歌「I'm fallin' DNA」を歌い、
パークが毎回ラップでネタを披露するというものである
当時は中高生に結構流行ったらしく、
小室関係のものが一般にブームになった最後の現象といえる
2002/10/1には小室本人が番組に出演し、
11/22にはパーク・コイケが小室・KEIKOの結婚式二次会に出ている


さて、この頃の小室がGaballとglobeを軸として、
トランスを追求する中で、
例外的に企画モノに関与したことがある
avexのsong+nationである


きっかけは2001/9/11のアメリカ同時多発テロ事件である
少し前までアメリカに住んでいた小室としては、
衝撃は大きかっただろう


この事件を機に、小室哲哉と松浦勝人は、
チャリティ企画としてsong+nationを立ち上げた
小室書き下ろしの曲を二人のavex所属歌手に歌わせるというものである
この企画の一環として、
12/12浜崎あゆみ&KEIKO「a song is born」
12/19倖田來未&BoA「the meaning of peace」
12/27安室奈美恵&VERBAL「lovin' it」がリリースされた


特に「a song is born」は1位、44.1万枚の売り上げを出した
以後2010年のAAA「逢えない理由」まで、
小室作品の1位獲得は長く途絶えることになる
ただし浜崎単独名義ではないためか、
浜崎作品としては、この前後の他の作品よりも売上が低い


2002/1/23にはアルバム「song+nation」がリリースされた
1位、15.5万枚の成績である
小室が全曲作曲・プロデュースしたアルバムとしては、
これが最後の1位作品だと思う


アルバムでは3曲のシングル曲以外に、
avex歌手が歌う7曲が収録される
歌手は持田香織(Every Litte Thing)・伴都美子(Do As Infinity)・hitomi・HΛLNA(HΛL)・TRF・BALANCe・KEIKOとなっている


TRF収録曲は「One Nation」で、
zentoの非売品楽曲「extacy of nature」の日本語版である
BALANCeは既発表シングル「Get Into You Suddenly」が収録された


KEIKO「Lights brought the future」は、
同時多発テロの被害者の命を光に見立てて歌ったバラードである
2001/12/1府中の森芸術劇場での早稲田大学Gree Clubとのジョイントライブや、
2001/12/8「genesis of next」で披露されていたもので、
2002年2月発売のglobe「Lights」にも収録された
「Lights」のタイトルはこの曲から来ている


song+nation楽曲はいずれも売れ線のJ-POP楽曲であり、
チャリティ用に一般向けの楽曲を手掛けたものといえる
これに対して3/6にリリースされた「song+nation 2」は、
song+nation楽曲のトランスミックスであり、
いかにも当時の小室の関心が現れているが、
この企画でなぜトランス?とも思う
成績も40位、1.4万枚で、前作とは比べ物にならない
一般にはほとんど存在も認知されていない作品だろう


しかしそれにしてもこの頃の小室は、
1月に「song+nation」、2月に「Lights」
3月に「song+nation 2」、4月に「Lights2」と、
なんと4ヶ月連続でアルバムをリリースしており、
1枚はリミックスだとしても、その精力は驚くべきである
さらに1/30には「サイボーグ009」のサウンドトラックもリリースされている
小室息切れ直前の最後のラッシュだったと言えるだろうか


以上、avexの企画モノとしてsong+nationに触れたが、
もう一つ、吉本の企画もあった
これについてはTM NETWORKが絡むため、
別章で触れることにしたい


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7-1 あがく小室哲哉

2018/03/04 01:15
PANDORAのシングル「Be The One」
チャートで2位―16位―26位―38位―60位と推移し、
売り上げは4.8万枚になりました
ミニアルバム「Blueprint」は9位―102位―205位で、
現在の売上は7046枚です
アルバム10位内は「Quit30」以来ですね
ただシングルの方が圧倒的に成績が良いのは、
タイアップ効果の強さを示してもいます


現在公表されている小室さんの唯一の仕事であるラストアイドルのプロデュース企画につき、
「ラストアイドル」では2/25に3戦目が放送され、
つんく♂さんに敗れて2勝1敗となりました
この時は小室さんがスタジオでメンバーと話すシーンが放送されましたが、
おそらく収録は2/6「うたコン」の生放送よりは後でしょうから、
現時点では最新の小室映像ということになります
しかし今まだスタジオで何かやることってあるんでしょうか
いや、むしろあるならばうれしいんですけどね…


2/20、小室さんがtwitterを消去しました
小室さんは2010年の音楽活動再開以後、
自らの声を発信する場、またはファンの声を聴く場として、
twitterを継続的に活用し続けてきました
その閉鎖は引退の意思を感じさせるものとして、
ファンの間に少なからぬショックを与えたようです
コメントなどは何も出ていませんが、
なおネガティブな状態が続いているものと思います


木根さんは舞台「新☆雪のプリンセス」出演しましたが
公演初日の2/21、出演者たちが記者会見を行ないました
この時木根さんには記者から、
twitterの件も含めて小室さんについて質問がありましたが、
木根さんはこれに対して、以下のように答えたようです

そうですね。(コメント)できない点もあるんです。そっとしてあげてください。今はゆっくりとその先のことを考えているんです。
今ある仕事をしてる。テレビで見た(会見)通りに受け取って、しっかり見守ってあげてください。


余計なことはいわず、
小室さんを追い詰めないようにマスコミにお願いした感じです
ただこのコメントを見るに、
木根さんは今はコメントできないことを含む今後のことを、
小室さんと話をしているようにも見えます
TMについて、方針のようなものは立てられたのでしょうか
また木根さんは先月末のTREE of TIMEの会報でも、
小室さんにはゆっくり休んでほしいという趣旨のコメントをしたそうです


木根さんは、3/1〜11築地本願寺で上演される舞台「こと〜築地寿司物語〜」続編の主題歌・挿入歌を担当し、
3/5にはゲスト出演するそうです
前作も主題歌・挿入歌を担当したそうですが、
私全然覚えていないので、多分当時見逃していたんでしょうね


他に3/17には上野御徒町のフォーク居酒屋「旅のつづき…」で、
堀江淳さんとのジョイントライブ「Folk Songの夕べ」開催します
4/8には福岡県の飯塚市オートレース場で「遠賀川フェス飯塚」に出演します


ウツは2/28に「mile stone」が発売になりました
これに合わせて「Get Wild Pandemic」のMVが公開されています
またBlu-ray「Phoenix Tour 2017 ξIdiosξ」は、
一般発売日が4/18に決まりました


以上、近況でした
さて、今回からいよいよ2年ぶりに、通常記事の更新を始めます
あらかじめ言っておきますが、これまででも最悪の内容です
しかも小室さん関係の記事です


実はこの記事、1月には用意していたんですが、
ちょうど小室さんの報道がかぶってしまい、公開を見送っていたものです
不倫やら音楽活動の不振やら、
不思議なほど先日の報道・会見とかぶる内容でしたし、
興味本位で見に来られてネット記事のネタに使われるのもイヤでした


ただオリンピックを挟んで報道もひと段落し、
小室さんの件は世間ではほぼ取り上げられなくなりました
今後見に来るのは、だいたい小室さんの音楽に興味がある方々と思います
そこでそろそろ、通常記事のアップを始めることにしました


現役ファンの中には、今こんなの出すなと思う方は必ずいるでしょう
心情的に今思い出すのはつらいというお気持ちはよく分かります
私も書いていて楽しくはありませんでした


ただ小室さんが引退した今だからこそ、
かつての歴史をちゃんと残しておきたいとも思います
これまでTMが何をしてきたのか確認しようと思う方が現れた時、
現状では2002〜08年の活動が一番調べづらくなっているので、
この頃何があったのかはちゃんと整理しておくべきではないかとも思うのです


もちろん今回の内容はアレですが、
あくまでも21世紀のTMの歴史を書くための序章としてご理解ください
私も小室さんを落としたくて書いているわけではありません
ただ事実は事実として、隠さないで書くべきだと思います


音楽に限らずいろんな分野のファンサイトに、
しばしば信用がおけないことがあるのは、
誇るべきところをことさらに強調する一方で、
隠したいところを語らないことがあるというのもあります
そういうところに気づいてしまうと、
「ここに書いてあること信じて大丈夫かな?」と、私などは思ってしまいます


ファンサイトはアーティストを顕彰して広めるべき場だというご意見もあるかもしれません
ただ私は別にファンサイトのつもりでやっているつもりはなく、
それよりは過去のTM NETWORKの歴史をまとめたいという意識でやっています
ですので、私は歴史としての精度を上げたいので、
今回は最悪の過去があったから、最悪の過去を書きます


内容的には、熱心なファンの方には読むに堪えないかもしれませんので、
そのような方はここで引き返していただいた方が良いかもしれません
半年くらいすれば、
まあまあ楽しかった20周年の頃にたどり着くはずなので、
その頃にまたお越しいただければと思います


以上、予告でした
では最悪記事の本題に入ります

-------------------------
小室哲哉の人生の転換点は何度かあったが、
特に大きな転機は、1983年、1992年、2001年、2008年だったと思う
1983年はTM NETWORK結成、
1992年はTMNから離れた活動の開始で、
小室のプロデューサー人生の始まりとなる年だった
2008年は言うまでもなく、小室哲哉の逮捕である


2001年は以上と比べると地味ではあるが、
やはり間違いなく転機となる年だった
その一つとして、この頃にアメリカ永住権を放棄したことがある
小室は永住権の保持のため、
長期的な日本滞在を行なうことができず、
これが1999〜2000年のTMの活動の障害にもなっていた
だが2001年からは日本を拠点を戻すようになる
1998〜2000年の小室は所得税や住民税をアメリカに収めていたが、
これ以後は日本に納税するようになった


そしてもう一つは、小室が事実上この年に、
音楽プロデューサーとしての生命を終えたことである
それはすでに失速していたTKブームの最終的な終焉も意味した
もちろん以後も小室はプロデューサーを名乗り続ける
しかしその仕事の多くは、
Gaballやglobeなど自身が属するユニットの仕事だった
活動を休止していたTM NETWORKやKiss Destinationもその点では同様である


プロデュースを行なったものとして、
小林幸恵、R9、Female Non Fictionなどの事例もあるが、
いずれもシングルのリリースのみであり、
セールスは振るわなかった上、長続きもしなかった


「ASAYAN」企画絡みの小林以外は、
楽曲的にもGaballやglobeの延長に過ぎなかった上、
世間的にもほとんど認知されなかった
avexや吉本の企画版の制作にたずさわった例もあるが、
これはすでに小室主導の企画とは言い難い


ROJAM関係では、2000年に引き続き2001年にも、
中国人歌手のオーディションとプロデュースを行なう計画だったが、
結局立ち消えになり、実現しなかった
2001年のKENや2004年の葉明子など、
台湾・香港人の単発プロデュースは依然としてあったが、
あまり目立つものではない
ただその中でも2002年香港映画「恋愛中的宝貝」や、
2004年日中国交正常化30周年記念ドラマ「世紀末的晩鐘」の音楽監督などの仕事は、
ROJAMの活動がようやく実を結んだものといえるかもしれない


数少ない小室主導企画と思われるものに、
TRFとBALANCeのメンバーで結成されたzentoがあり、
クラブ向けプロモーション版シングルとして「zento ep.1」が制作されている
だがさしたる反響もなかったようで、単独商品化には至らなかった
(一部楽曲が2002年「Song+Nation」に収録)
BALANCeは自然消滅し、TRFもしばらく活動を休止する


以上のように小室の新たなプロデュースワークは、いずれも短期的なものとなった
もちろん以前から続いていたものもある
安室奈美恵と鈴木あみの2人であり、
2000年の小室は事実上この二人の存在によって、
プロデューサーとしての実質を保っていた
しかしこの二人も2001年には、ついに小室から離脱する


2001年年始の「Rendez-vous in Space」での厚遇を見ても分かるように、
小室が安室に期待するところは依然として大きかった
2001年に計画されていたアジアツアー(TM等も参加することになっていた)でも、
安室を前面に出すことが強調されていた


しかし安室は2000年には「Never End」が64万枚というスマッシュヒットを出したにも関わらず、
本作を収めた2000/12/20リリースのアルバム「break the rule」は33.5万枚のセールスに留まった
前作「Genius 2000」が80.3万枚だから、
1年で半減してしまったことになる
チャートでも「Sweet 19 Blues」以来の安室の指定席だった1位を取ることができず、
TKの神通力が尽きたことを感じさせた


安室はもともと小室によってデビューしたものではなく、
一定の成果を上げていたところに小室が絡んだという経緯もある
事務所側では落ち目の小室から離れることは選択肢に入っていただろう
おそらくその様子見として2001/8/8には、
デンマークのJeanett Debbのカバー曲「Say the Word」をシングルでリリースしている
本作には小室も、小室の知人として共同プロデュースをしてきたDallas Austinも関わっていない
本作は実質的に最後のTKプロデュースシングル「Please Smile Again」(21.7万枚)を下回る18.4万枚の成績だったが、
以後も小室のプロデュースは復活しなかった


2001/12/27には安室&Verbal名義で小室作曲の「lovin' it」がリリースされたが、
これはavex traxの企画盤としての位置づけである
本作以後2017年のラストアルバム「Finally」「How do you feel now?」まで、
小室から安室への楽曲提供は長く途絶えることになった
2002/2/14には元D-LOOPの葉山拓亮が作曲、安室自身が作詞を手掛けた「I Will」がリリースされている
その後はベストアルバムをリリースしながら、
新ユニットSuite Chicでの活動も行なうなど、新たな活動を模索し続ける


安室は21世紀になって低迷した人気を2004年頃から回復させ、
以後2018年の引退まで、旧TKファミリー唯一の“現役”歌手として、
邦楽界のトップアーティストとしての地位を保持し続けた
2009年のアルバムタイトル「PAST < FUTURE」は、
脱小室の成功を高らかに誇ったものとも言えよう


活動の中心もテレビからライブに移る
たとえば上記アルバムを引っさげた2010年の「PAST < FUTURE tour」では、
1年で全国80カ所を回っている
この頃にはライブでも小室の曲はまったく歌われなくなっていた


なお安室の事務所ライジングプロダクションは、
2001年に入り東京国税局から脱税の疑いが指摘された
社長の平哲夫は8月に辞任(10月逮捕)、
2002年には懲役2年4ヶ月の実刑判決を受けている


これを受けてライジングプロダクションは、
9月に社名をフリーゲートプロモーションと改めた
(現在はライジングプロダクションに戻っている)
平は安室のデビュー以来そのバックにい続けた人物であり、
その逮捕は安室の小室プロデュース離脱にも影響しているのかもしれない


一方の鈴木あみの事務所も、ライジングプロダクションと同様の状況にあった
あみははじめ山田衛志(永司)のエージーコミニュケーション所属だった
1999年にはその系列会社に事務所を移すものの、
実質的には依然として山田の影響下にあった


山田は1999年から脱税疑惑で東京国税局から査察を受けており、
2000年3月に告発され、7月に逮捕された
2001年4月には、執行猶予付きではあるが有罪判決を受けている
小室の凋落と並行して関係者が相次いで脱税で逮捕されるのは、
何か関連があるのだろうか


エ―ジーコミュニケーションは他にも、
Marc Panther、dos(asami含む)、tohkoなど、
小室関連ミュージシャンの多くを抱えていた
1998年から小室がセールスを激減させたことは、
エ―ジーコミュニケーションの資金繰りにも影響を与えていたのだろう


鈴木あみは1998年7月から2000年4月までの1年10か月で、
11枚のシングルと3枚のアルバムをリリースしており、
TKプロデュース群の中でも特にハイペースだった
だがその後は2000年9月のシングル「Reality」以外にリリースがない
これは山田の逮捕が影響していたのかもしれない


これ以前から鈴木あみと事務所の間では、
待遇をめぐって問題が起こっていたらしい
10月にはあみの親が翌年3月以後の専属契約更新拒否を通告し、
12月には東京地裁に事務所を提訴した
(あみは未成年だったため、両親が提訴)
さらに2001年6月には、SONYをも提訴している
あみはクリスマス頃にアルバムを出す計画があったが、
この一連の騒動でそれも立ち消えになる


両親によれば、あみへの報酬支払いが不当に低かったらしい
裁判ではほぼあみ側の主張が認められたものの、
あみと新たに契約する事務所はなく、
芸能界で「干される」こととなったことは周知の事実である
小室が吉本に移籍した後、あみを吉本が受け入れる話もあり、
その場合は小室のプロデュースが続くはずだったのだろうが、
これも実現しなかった
結局あみは2005年にavexと契約して芸能界に復帰する


こうしてプロデューサーとしての小室の活動は、
実質的に2000年を以て終わりを告げた
小室の音楽歴を大まかに分類すれば、
80年代がTM NETOWORKの時代、
90年代がプロデューサーの時代、
00年代がTMを含む自己ユニットの時代と言える


さて、鈴木あみの退場は、
小室の進退に大きな問題を引き起こしたと思われる
小室は2000年に拠点をSONYからROJAMに移し、
TM NETWORKとKiss Destinationは、
SONY傘下のTRUE Kiss DiSCからここに移籍させた


ただしROJAM立ち上げ後も、
小室はSONYと絶縁したわけではなく、
依然として専属契約を続けていた
ROJAMはネット通販でCDを販売したが、
これはSONYとの協議の上で認められたものであった
(店舗販売の禁止もSONYとの協議の結論)


小室がSONYとただちに手を切ることができなかったのは、
おそらく前払いで受け取っていたプロデュース印税があったためだろう
これは後述する通り、2001年初めの時点で18億円が未消化(前払い分の成果を出していない)の状態だった


TMとKiss Destinationの移籍後も、
小室は鈴木あみのみはTRUE KiSS DiSCに在籍させた
小室は前払いで受け取った印税分の成果を出す必要があり、
そのため旧TRUE KISS DiSC所属ミュージシャンの中で、
もっとも多くのセールスが期待できるあみを残したのだろう


ところがそのあみが、芸能界から離れざるをえなくなった
ここに小室はSONYから前払いされた18億円分のセールスを出す見込みを失った
すでに落ち目だった小室が、
18億を稼ぐ歌手を新たにプロデュースする見込みがあると考える者は、
おそらく多くなかっただろう


ここにSONYは2001年1月、小室哲哉に専属契約の解約を通告し、
18億円の返却を要求してきた
この直前の2000年12月には、
TM時代以来小室をバックアップしてきた丸山茂雄が、
SONYの音楽部門であるSONY Music Entertainmentの代表取締役社長を退いているが、
この新体制下のSONYで、小室の切り捨てが決められたのだろう


小室は2000年のROJAMによるIT事業参入でかなりの資産を消費していた
すでにSONYからの前借金もつぎ込んでいたようで、
18億円の返却要求はかなり過重なものだったと考えられる
同年に吉本に移籍した5月頃、
小室の預金は1億円余りしかなかったという報道があり、
その真偽のほどはともかくとして、
少なくとも18億円を一括返却するほどの資産は残っていなかったと見られる


小室は2000年12月avexから、
10億円のプロデュース印税を前払いで受け取っている
SONYの契約解除を見越して、18億円返済の原資に充てようとしたものか
これを受けて小室は「Tour Major Turn-Round」を終えた1月、
globe「outernet」のレコーディングに入る
これは3/28にリリースされた


2001年以後の小室はglobeを活動の核とするようになるが、
これは印税の前借も一つの理由だろう
そうした中でTMの活動が見られなくなったことを考えれば、
SONYをめぐるいざこざは、
めぐりめぐってTMにも影響していたともいえる


なおavexの前払い分10億円は、
2004年末までの4年間で3億1000万円しか消化されず、
小室はavexからその履行を厳しく要求されている
この結末を見る限り、SONYが逸早く18億円を取り返したのは、
経営者の立場としては正解だったことになるだろう


「outernet」リリース1ヶ月の2001/4/25には、
Kiss Destination「AMARETTO」がリリースされた
TMツアー終了後、小室は2枚のアルバム制作を立て続けに行なったのである
本作はROJAMではなく、ポニーキャニオンからのリリースとなった


「AMARETTO」のリリースをめぐっては様々な動きがあった
アルバムのプロモーションも兼ねてだろうが、
リリース日の4/25にKiss Destination相方のasami(吉田麻美)の妊娠と、
小室との結婚を発表したのである
2人は1998年から付き合ってきたから、実に3年越しのゴールだった


「AMARETTO」リリースに先立つ4/20には、
もう一つの重大な出来事があった
小室哲哉の吉本興業との専属契約である
5/1には小室が麻美との婚姻届けを区役所に提出した上で、
新宿のルミネtheよしもとで吉本興業入りの記者会見を行なっている
この移籍は、もちろん1月のSONYの専属契約解除を受けてのものである
実際に小室と吉本の交渉は、1月頃から始まっていたと言う


おそらくこれと絡むものだろうが、
小室は4月頃から、バラエティ番組に続けて出演している
4/08「笑う犬の冒険」、4/15「堂本兄弟」、4/24「さんまのまんま」などである


それにしても「なぜ吉本!?」と、多くの者は思っただろう
私も大阪で笑顔の小室の横に「みんなヨシモトへおいでヨ」と書いてあるなんばグランド花月の巨大な看板を見た時は、
「ここまで迷走するとは…」と眩暈がしたものである
(なおこの写真、今では逆に手に入らなくなっているので、お持ちの方がいらっしゃったら、コピーしていただけると幸いです)


ただこの時はむしろ吉本側が、
小室周辺にきな臭い人物が多いことを危惧していたとも言う
ROJAMのIT事業参入から1年を経たこの頃、
カタギとは言いがたい吉本からすらこのように思われるほど、
この頃の小室にはうさんくさい人脈が形成されていたらしい


5/31には、吉本がレコード会社R&C JAPANを設立した
吉本は小室移籍を契機に、
音楽事業にも手を伸ばし出したのである
小室の新ユニットGaballの作品はここからリリースされている


同じ5/31には、ROJAMが香港のベンチャー市場GEMに上場し、
1株1香港ドルで9000万株の株式を発行した
だがその株価は、上場から半月で半額に下がるほどの急落を見せた
年末には上場時の1/10の0.1香港ドル、
翌年7月26日には0.075香港ドルとなっている
小室が経営から撤退する2004年には0.09香港ドルまで持ち直しているが、
最後まで大きな改善はなかったと見られる


ROJAMは上場以前に11億株の株式を発行していたが、
その43.36%(約4.77億株)は小室が持っていた
当時の週刊誌ではROJAM株の暴落により、
小室は74.5億円の含み資産を5.4億円まで減らしたとしている
よく言われるROJAMによる小室の70億円の損失とは、
この試算に基づくものだろう
しばしばこの話は拡大解釈されて語られることが多いので、
一応ここで確認しておきたい


なお試みに上記の情報から、
2001年5月と2002年7月の小室保有株式の資産価値を概算すれば、
以下のようになる

2001/5:
11億株×0.4336×1HKドル×15.244(5/31換金レート)
≒72.7億円

2002/7:
11億株×0.4336×0.075HKドル×15.228(7/26換金レート)
≒5.4億円


ただしばしば小室がROJAMで借金を負ったとされるのは、
多少留保が必要だと思う
たしかに小室は株価暴落によって資産を大幅に減らしたが、
株式による資産がゼロに近づくことはあっても、
マイナスにはならないはずである


小室の場合、現金資産のほとんどをROJAMへの投資に回してしまったため、
SONYの18億円返済の要求に対応できなくなったのが問題だった
小室の借金は直接には、この返済のために生じたものである
2009年の公判で借金の経緯でROJAMの件が登場しないのもそのためである


しかしこの18億円の件は、5月末の上場と関係しているのかもしれない
2009年の公判によれば、SONYへの返却期限は5月頃だったというので、
タイミングとしては関係がありそうにも見える
経営者が数億単位で自社株の売却を行なうのは立場上困難だが、
上場時には8億もしくは10億の資金調達を目指すとされており、
これを小室の返済につなげる何らかのからくりが想定されていたのかもしれない
もちろんその皮算用は、株価暴落により、
まったく絵に描いた餅となったはずである


なお一部サイトで小室が上場後も増資を繰り返していてたという推測がされているが、
これは上場前にすでに4.77億株を保有していたことを見落としたことによる誤解である
実際には2002年にも小室の保有株式数は変わっていない
2004年の取締役辞任まで現金化もほとんど行なわず(1割ほどは譲渡したらしいが)、
4億株以上を保有し続けたと見られる


さて、小室はROJAM上場の失敗により、
SONYへの返済金18億円を別途確保する必要に迫られた
avexからの前借金10億円はあったが、
その他に8億円を用意する必要があった
返済期限は5月だったが、SONYに待ってもらったものだろうか


この返済は、別のところから借金をすることで果たされた
小室は8月に自らの著作権を担保にして、
富士銀行から10億円の融資を受けたのである
ここに小室はSONYとの負債関係はなくなったが、
代わってavexと富士銀行への借金を追うことになり、
その返済は後々まで小室を苦しめた


小室の不幸の種はまだ蒔かれ続ける
2001年5月に麻美と結婚した小室だったが、
それから一年もしない2002年3月に離婚したのである
2001/9/22麻美との間に娘が生まれたが、
小室はこの頃からKEIKOとも関係を持つようになり、
それが麻美に知られたことで離婚となった


その際に小室は、莫大な慰謝料と娘の養育費の支払いに同意した
(前年の結婚以後の資産増加はなく、財産分与は問題にならなかったか)
2009年の公判によると、
小室は慰謝料3億7000万円を3回に分割して支払い、
加えて娘が成人する2021年まで、
月200万円から390万円の養育費も支払うことになっていた


仮に養育費を19年半の支払いとすると、
総額は4億6800万円〜9億1260万円、平均6億9030万円となり、
これに慰謝料3億7000万円が加わる
離婚後の報道で総額10億円以上と試算されたのは、
麻美は否定していたが、実際には妥当なところと見られる


さらに報道によれば、2004年の小室は、
麻美のマンション家賃として月150万円も別に支払っていた
すでに小室の財政が火の車となっていたにもかかわらず、
巨額の慰謝料・養育費・家賃の支払いが発生したことは、
ボディブローのように小室を苦しめただろう


さらに2001年「Rendez-vous in Space」開催に当たり小室が自腹で3億円を支出するなど、
この頃からは数億円規模の不可解な金銭の流れが続出する
毎年数億円の印税を得ていた小室だったが、
それにもかかわらずこうした悪条件の中で、借金は増大していった


大規模出費の例としては、
2001年の早稲田大学の小室哲哉記念ホール建設がある
これは早稲田大学創立百周年記念に因んだものである
9/18にはオープニングセレモニーとして、
小室のピアノコンサートが行なわれている
(キーボード久保こーじとギター松尾和博も参加)


その寄付金は数億円規模で、一説には10億円ともいう
これによって早稲田中退の身だった小室は、
卒業生として校友の称を名乗ることが認められた
ただこのホールの建設は4月にはかなり進んでいたようで、
かなり早い段階で動いていた話だろう
よって2000年以後の動向として見るべきではないかもしれないが、
他に機会もないので、ここで触れておくことにする


なお小室は2001/4/14の早稲田大学創立百周年式典に出席した時、
記念歌として小室作曲の「ワセダ輝く」を披露している
一般流通には乗らなかったが、
当時このCDは早稲田大学で売られたらしい


さて、このような中で小室が心酔した人物がいた
自称霊能力者の細木数子である
小室は日本にいる時に頻繁に細木に会いに行き、
アドバイスを受けていた
小室は細木を「数ちゃん」と呼んでいたと言う


その依存度を高めたのは2000年頃らしく、
2000年12月から2001年1月の「Tour Major Turn-Round」の頃には、
小室の左手首にTKの入れ墨とともに六芒星の入れ墨が入っている
(現在も入っている)
これは細木の六星占術に基づくものである


小室の入れ墨を確認する細木数子という最悪の図



この入れ墨は2000年7月末の「Log-on to 21st Century」のパンフレットの写真では入っていないので、
2000年後半に入れたものと考えられる
10月には小室がBBSで六芒星を話題にしており、
この頃に入れ墨を入れるまでに至ったものか


この頃はネット通販の件でファンから批判されたことや、
軌道に乗らないROJAMの経営の件などで、
小室も精神的に摩耗していたのかもしれない
小室はそこに付け込まれてしまったのだろう
2000年代に見られる不可解な判断の一部には、
細木にそそのかされて下されたものもあるに違いない


この頃の小室にとっての細木の存在の大きさを示すのは、
結婚に関するアドバイスだろう
小室は2002年、KEIKOを連れて細木に結婚の相談に行き、
細木の後押しを受けて結婚を決意したというのである
麻美との離婚発表日やKEIKOとの結婚式の日取りも、
細木のアドバイスで決めたと言う


実は小室はこれ以前、麻美との結婚の決断に当たっても、
細木から言われていた婚期が一つの判断材料になっていた
結局この結婚は1年もせずに破綻するが、
それにもかかわらず小室は細木を疑うことがなかった
むしろ結婚相手の相談を細木にしていなかったことが問題だったと考え、
KEIKOを連れて行くようになったのだという


個人的にぞっとしたのは、
木根の「新・電気じかけの予言者たち」に見える以下のエピソードである
2002年初め、globe「Lights2」レコーディングのためにフランスに渡っていた時のこととして、以下のように書かれている

そこでKEIKOとMARCは不思議な体験をしたそうだ。小室が“気”で鉛筆やコップを動かすのを見たと言う(残念ながら、僕には、いまだに見せてくれないが。)
「風邪ひいちゃって、喉の調子が最悪で、声が出なかった日があったけど、TKが喉に手を当ててくれたら、歌えるようになったんですよ。本当に」
KEIKOによると、小室の気は、物を動かすだけではないらしい。
「僕は、その手のものをあまり信じないけど、見ちゃったから…」
MARCもレコーディング中に目撃している。
小室いわく、「調子のいい日でも1日1回くらいだけどね。できるんだよ」とのことだ。


こうした小室の霊能力パフォーマンスは細木の影響だろう
当時のglobeのメンバーやスタッフの間では、
小室の茶番に乗って盛り上げないといけない空気が形成されていたのだろう
KEIKO・Marcが音楽面で小室に意見できる位置になかった以上、
小室を盛り上げることだけが彼らのできることだったともいえる
(一方で独自の信仰を持つ木根のいるTMではそれができなかったのだろう)
また仮にKEIKO・Marcが本心からこれを信じていたのだとしても、
それはそれで気持ち悪いことこの上ない


当時小室は、globeは風水が良いなどと発言しており、
細木への傾倒は音楽活動の内容にも影響していたように見える
すでにROJAMの失敗は取り返しのつかないところまで来ていたし、
妻の麻美とは別居して離婚協議を進めていた頃でもあった
小室は公私ともに精神的に追い詰められていた可能性がある


細木との関係はたまたま表に出ているものだが、
おそらく他にも同様のうさんくさい関係は、
この頃たくさん形成されていたに違いない
そして精神的に弱っていた小室は、
細木の如き輩に操られて判断を狂わせ続けたものと思われる


こうして見ると2001年前後は、
プロデュース歌手の消滅、麻美との結婚と離婚、
SONYへの18億円返却、avexからの10億円前払い、
ROJAMの上場、富士銀行からの10億円融資、
細木数子への傾倒など、
後の小室没落の種が一挙に揃った時期でもあったことが分かる
この点でも2001年は一つの転機だったと言えるだろう


そうした中で霊能力話にも対応し続けたKEIKOは、
小室にとって心を許せる存在でもあったのだろう
KEIKOも小室と一緒に細木の下に通うようになった
そして2002/10/6、小室とKEIKOは結婚を発表する
3/15の離婚発表以来、半年余のことだった
法的には問題ないとしても、
世間的にはあまり評判のよくない話題だった


しかし小室はだからこそ、
KEIKOにみじめな思いをさせないように、
麻美以上の晴れやかな場を与えたかったのだろう
小室は細木の決めた11/22「いい夫婦の日」に婚姻届を提出し、
靖国神社で結婚式を行なった上で、
新高輪プリンスホテルで結婚披露宴を行なった
この披露宴はTBSの特番で、
「超豪華! 世紀の結婚披露宴」と題して生中継された


招待客は800人程度で、森喜朗元首相や音楽関係者の他、
旧TKファミリーや(義理参加と思われる)吉本芸人も多く参加した
異彩を放っていたのは内田裕也ファミリーだが、
これは言うまでもなくTMデビュー前の小室の縁である


受け付けは、友人代表としてウツと木根が行なった
余興としては、YOSHIKIの「seize the light」ピアノ演奏や、
南こうせつ&木根尚登の「妹」弾き語りが行なわれ、
最後には小室&KEIKOによる「Departures」が披露された


この時の費用は、5億円とも言われている
実際には放映権料の収入やご祝儀で多少は取り返しているのだろうが、
それでもすでに火の車だった小室の財政にさらなる圧迫となったことは想像にかたくない
そしてこれが、小室のイベントがマスコミで「豪華」と呼ばれる最後となる


なお小室の納税額より見るに(2002年2.4億円)、
この頃の小室の年収は5億円ほどと見られ、
一度の結婚式で年収すべてをつぎ込んだことになる
納税後の手取り収入は2〜3億円だったはずで、
さらに慰謝料・養育費の支払いと銀行への返済もあったのだから、
この年は数億円規模の赤字計上だったと見込まれる


以上、小室哲哉周辺の動向を見てきた
次回はこの時期の小室の音楽活動を簡単に追って行こう
正直、多くの人には(自分も)ほとんど興味がないと思うので、
一回で終わらせたいと思う


罪と音楽
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小室 哲哉
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記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 38 / トラックバック 0 / コメント 13


第6部完

2015/11/26 03:07
まず告知です
12/27(日)、大阪で適当な集いをやろうと思います
15:00から茶でも飲みつつ、夜は食事をつまみながらしゃべくります


参加ご希望の方がいらっしゃいましたら、12/22(火)までに以下のアドレスまで、
名前(実名でなくても可)・連絡先(携帯など当日連絡可能なメアドなど)・性別を明記の上、
以下に連絡をお願いします
確認したいことなどありましたら、同アドレスまでお気軽に問い合わせ下さい

tm_on_the_planet%yahoo.co.jp (%を@に変える)


さて、11/25、TM NETWORK 30th最後を飾る商品として、
DVD/BD「30th Final」がリリースされました
私も先ほどBD2枚を見終えて、この記事を書いています


これまでの作品と比べて魅力が薄いとも言われている本作ですが、
それでもTM 30thの締めくくりと思いながら見ると、なかなか感慨深いものがあります
既発売の「Quit30 Huge Data」とかぶるところも多いですが、
単独の作品として見れば、なかなかの充実したライブだったようにも思います
しかしこれで本当に終わりなんですねえ…


個人的には「Screen of Life」なんかは今回見れて良かったなあと思います
あと「Here, There & Everywhere」の前にウツが「クレタアイランド」とつぶやいた後、
木根さんが即興でギターで「Electric Prophet」のフレーズを弾いていたんですね
ウツも茶目っ気ある表情で、なかなか微笑ましかったです


ライブ映像を見終えて思ったのは、
小室さんのソロの冒頭で流れた「Self Control」のフレーズ、
この音でウツの歌付きで「Self Control」が演奏されていたらかっこよかったんじゃないかなあ…
もちろんウツの体調的に無理だったのでしょうけど、
結構勢いを感じさせる音色だったので残念な感はあります


このライブ、周知の通り中盤でINTERMISSIONが設けられました
この間会場のスクリーンには、
「incubation Period」「START investigation」「the beginning of the end」「Quit30」
のダイジェスト映像が流れたのですが、
なんとBDにもこの映像がそのまま収録されていました


ええーこれはいらねえだろお…と思いながら、
いざ見てみるとそれなりに面白く見れました
各ライブ、演奏風景よりも寸劇などを中心に編集されており、
これは本当にライブ映像のダイジェストなのか?といささかの不安を感じさせましたが…
なんかウツが歌っているところの映像は半分もなかった気もします


あと最後のスタッフロールには、
「incubation Period」以来の各ライブのスタッフも表示され、
さらにライブの設定資料画像なども小さくですが映りました
おお、ここにきてこれは、結構貴重じゃないですか?


最後はライブ会場のスクリーンにも映ったQRコードが出て、BD/DVDは終わります
このQRコードを携帯のリーダで読み取ると、
リットーミュージックのサイトにつながり、
やはりライブ当日と同じメッセージを見ることができます
これはいつまで有効なんでしょうか
せっかくQRコードがあるので、
リンク先が消える前に一回くらいは試してみることをお勧めします


DISC2の「オールナイトニッポン」ダイジェストは、
正直どうでもいいなあと思っていたんですが、
改めて再生してみると、そのあまりのゆるさに和みます
特に小室さん、ホント自由ですね
メンバーも映像内で言っていましたが、
MCが一切なかった30周年ライブを補足するものと考えれば、
多少の積極的な意義もあるかもしれません
ただニコニコ動画で放送しなかったおまけ映像とかも少しだけ入れて欲しかったなあとは思いましたが


さて、ここに来て、TM 30th最後の企画が来ました
「30th Final」のキャッチフレーズを考えて、
Twitterで投稿しよう!というものです
TM NETWORKオフィシャルサイトより

2012年から3年の歳月を重ねてきたTM NETWORKならではの物語、コンサート全35公演の集大成となる「TM NETWORK 30th FINAL」がBlu-ray/DVDとしてリリースされました。

見る人、感じた人により、様々な解釈があるであろう、この「TM NETWORK 30th FINAL」に、あなたが思うキャッチコピーをつけてください。

応募はカンタン。"TM NETWORK 30th FINAL ー "のあとに"あなたが思うキャッチコピー"と"#tmnetwork"と付けてTwitterから投稿するだけ。投稿は何度でもOK。

メンバーの心に響いた素晴らしいキャッチコピーは公式キャッチコピーとして採用され、オフィシャルサイトなどで使用される可能性がございます。

募集期間は、2015年11月25日から12月7日 23時59分まで。

プロ・アマチュア問わず、どなたでも応募いただけますが、未発表のオリジナル作品に限ります。

「TM NETWORK 30th FINAL」をじっくりとご覧頂き、最高のキャッチコピーをお待ちしています。


早い話がBD/DVDの販促企画ですが、
TM 30th関連の最後のイベントということで、
興味のある方は乗っかってもよいかもしれません
上記にある通り12/7が締切なので、お忘れなきよう


ただし「オフィシャルサイトなどで使用される可能性がございます」とあり、
募集だけしておいて結局何もやらないことも十分に考えられます
最近ではTM 30th特設サイトで募集した「Memory of TM NETWORK」、
評価が高い投稿には何かあるかもとか言って煽っておきながら、
結局何もありませんでしたね


以下、ソロ活動について
前回も触れましたが、小室さんは11/26と12/3、
浦沢直樹さんと一緒に「ミュージックポートレイト」に出演予定です
また11/29にはUmabiテーマソング「#RUN」を手掛けたことの関連で、
東京競馬場パドックで坂本美雨さんと一緒に無料ライブを行ないます
「#RUN」でコラボした神田沙也加さんじゃなくて美雨さんなんですね


12/10には「ポタフェスLIVE 2015」出演します
これ、主催が株式会社タイムマシンていうんですが、
もしかして社長がFANKSなんでしょうか?
なお小室さんは年末のフェス出演の予定はないとのことです
それにしても、12月のディナーショーなども含めると、
小室さんは年末まで忙しそうです
「Remode2」の本格的な制作は年明けになるのでしょうか


12/2リリースのTeddy Loidのアルバム「Silent Planet」では、
小室さんも「Above The Cloud」でコラボ参加するそうです
試聴音源はSoundCloudで聞くことができます
次世代クリエイターとのコラボが目立つようになった1年でしたね
小室さん自身も制作に関わるカバーアルバム「#globe20th」も、
その流れで捉えてもよいかもしれません


木根さんの「本棚に入れたくなるCD」リリースに合わせて、
ヴィレッジヴァンガードの愛知・岐阜・三重の数店舗には木根さん特設コーナーが設けられましたが、
11/27には岐阜のイオンモール各務原店と名古屋中央店で、
「キネヴァンミニライブ」と題する木根さんのライブイベントが行なわれます


木根さんはテレビでは、
11/17「ペケポンプラス」に出演しました
ラジオにもマメにいろいろ出ていたようです
11/20にはネットラジオ「木根ラジ!」全四回が完結しました


以上、近況の整理でした
では本題に入ります

----------------------------------------------------
本ブログ、前回の記事を以て第六部が完結しました
実に2013年から2年もかかってしまいました
特に2014年はTM本体の活動が充実していて、
過去の話どころじゃありませんでしたしね…
実際に過去記事よりもライブレポなど近況記事の方がアクセス多かったです


第六部で扱った期間は1996年から2001年の6年間でしたが、
実質的には1999・2000年の2年間の活動を対象としたものです
この2年間のうち、1999年はSONY系列のTRUE KiSS DiSC時代、
2000年はインディーズのROJAM時代となります
再結成当初構想していた活動は、
2000年に入って小室さんとSONYの衝突で破産になり、
1999年の活動は結局その後につながらないあだ花となってしまいました


2000年、TM NETWORKはこれを仕切り直す形でROJAMに移籍し、
ようやくまとまった成果を生み出しました
アルバム「Major Turn-Round」と、
全国ツアー「Tour Major Turn-Round」です
その活動時期は、2000年7月から2001年1月の半年となります


この期間は、再始動後初めてTMの本格的な活動が実現した点でも意味がありますが、
新作を中心として明確なコンセプトも設けた全国ツアーが実現した点でも注目されます
これ以後のTMは新作をメインとしたライブを行なうことはなくなり、
過去の遺産で食いつなぐミュージシャンに堕してしまった側面も否定できません
これと比較すれば「Major Turn-Round」期は、
TM NETWORKが「終了」前の「EXPO」期から引き続き、
現役ミュージシャンとして活動した最後の時期と評価できると思います
それだけの覇気をこの時期のTM NETWORKは秘めていました


余談ですが、実際には新作メインのライブは「Tour Major Turn-Round」で終わりではありません
TMは2014年の30周年ツアー「Quit30」で、
ニューアルバム「Quit30」楽曲を軸とした選曲と演出をファンに見せてくれました
ただしこれは実に「Tour Major Turn-Round」から13年後のことでした
TMの歴史について、きわめて極端な時代区分をしてしまえば、
創造的な活動を実行していた1984〜2001年1月の17年間、
過去の遺産で食いつないだ(食いつなごうとした)2001〜2011年の11年間、
30周年に向けて新たな活動を実行した2012〜15年の3年間と分けることもできるかもしれません
私は全国ツアー「Quit30」が実現したことは、
それくらい大きな”事件”だったと思っています


もっとも「Major Turn-Round」で試みたのは、
プログレッシブロックと言う人を選ぶジャンルであり、
再始動後初の本格的活動として妥当だったのかといえば、疑問もあります
この時期の活動によってふるい落とされたファンも少なくなかったようです


また「終了」前のTMの作品は、
概して小室哲哉が新ジャンルに挑戦する形で生み出されてきましたし、
その際には洋楽・邦楽の流行も意識されていました
これに対してプログレッシブロックは、
ジャンルとしては小室さんが新たに挑んだものではありませんでしたし、
当時の流行ともまったく無縁のものでした
「Major Turn-Round」は自らの音楽活動の原点を開示したものと言うことができ、
その点では「終了」前の活動とは異質だったと言えます


むしろ同時代の音を意識した新ジャンルへの挑戦という姿勢は、
「Get Wild Decade Run」に始まる1999年の3枚のシングルにこそ顕著でした
しかしその時期に試みたものはセールス的にも失敗に終わり、
以後小室さんはTMで新しい音を追求することを前面には出さなくなります
それはTMファンの中心がすでに20代後半から30代前半に達していたと言う、
世代の問題もあったのでしょう


以後小室さんの音楽的実験は、よりファンの世代層が若いglobeで主に行なわれるようになります
このTMへの諦念は、
「Major Turn-Round」の次の作品となる2002年「Castle in the Clouds」の作風にもよく現れています
そのコンセプトは80年代J-POPでした


「Castle in the Clouds」がキャンペーンソングとして依頼されたと言う事情も考慮すべきではありますが、
小室さんはTMでやるべき音は最先端の実験的な音ではなく、
懐古的なJ-POPであると考えていたのだと思います
あるいは「J-POPであるべき」というほど積極的なものではなく、
「新しい音を試すユニットではない」という否定的な位置付けだったのかもしれませんが、
いずれにしろ私はこの曲について、
小室さんがミュージシャンとしての情熱を注いで作ったようには感じられません


たとえば木根さんが語る本作制作のエピソードを見るに、
小室さんはミックスの過程で、
「これ以上やると、全然80年代じゃなくなるね」
と言って、最新の音にならないようにブレーキをかけていたといいます
これを木根さんは肯定的な筆致で書くわけですが、
当時globeでトランスを推し進めていた小室さんにとっての本作の位置付けを物語る話と思います
残念ながら小室さんにとってこの頃のTMは、
音楽の実験場ではなかったのです


「Major Turn-Round」であんな気迫のこもった音を作っていたのに…という思いもありますが、
小室さんの中でTMの位置付けが下がったと短絡的にいうことも妥当ではないかもしれません
1999年に新しい音にチャレンジして失敗した上で、
自らの原点の音を持ち出すという「逃げ道」を使ったTMは、
その後再度新しい音を試みる挙に出ることもできず、
自縄自縛状態になってしまったのではないでしょうか
そう考えれば80年代の再現という懐古路線は、
この状態を打破する一つの可能性ではあったのかもしれません


その後も2004年にはglobeで実験済みだったトランスをTMに取り入れますが、
これも少なからぬ批判がありました
これに対して同時期にオリジナルアレンジで過去曲を演奏した「tribute LIVE」は、
小室さん抜きだったにもかかわらず一定の評価を得ます


新しい音を拒絶し過去のヒットメドレーを望む多くのファン
実際にはそれがファンのすべてではなかったにせよ、
それが一定の声を形成する中で2007年には、
オリジナルのままでヒットメドレーを演奏する「TM NETWORK -REMASTER-」が開催されます
これは「tribute LIVE」のやり方をTM本体に取り込んだものでもありました
辛辣な書き方をすれば、ここにTMは過去の遺産に成り下がりました


以上のように考えると、
「Major Turn-Round」は確かにすばらしい作品ではあったものの、
TM NETWORKの継続的な活動を見据えたものだったとは言い難いところがあり、
「とにかく何か一つ形になるものを」という感じで作られた作品だったようにも感じられます
いわば「Major Turn-Round」は再始動期TMを代表する金字塔であると同時に、
その後の活動の停滞を招いた因縁深い作品だったようにも思います


ただこれまでも書いてきた通り、
TMが「とにかく何か一つ形になるものを」出すことができたことは、
2000年当時においては少なからぬ意味がありました
何しろこの頃は小室さんの環境の激変期であり、
新たにプロデュースを手がけたミュージシャンも、
そのほとんどが1・2枚のシングルリリースのみで終わっています
その中でアルバムリリースにまでこぎつけたのはTMだけでした


実際には1999年の活動が失敗に終わったTMも、
そのまま放置される可能性は十分にありましたが、
そのような中でアルバムと全国ツアーを実現したことは重要です
もしもこれが実現できていなかったら、
TM NETWORKはここで空中分解していたでしょう
30周年はもちろん、2004年の20周年ツアーさえも実現していたか疑問です
その点でTMの再始動は満点とは程遠いものでしたが、
ギリギリセーフのラインには入ったと言えると思います


ここでこれまでの恒例に従って、
第六部の期間にリリースされたもので私の好きな曲を挙げておこうと思います

◇Sランク
該当なし(ごめんなさい)

◇Aランク
・MESSaGE
・Ignition, Sequence, Start
・Cube



以上が第六部の中心となる1999年・2000年に関してですが、
その前後、1996〜98年と2001年も第六部では扱いました
その前の第五部では1995年までを扱っています
つまり本ブログでは、1995年と1996年の間で時期を分けています


通常の時期区分ならば、
TMN「終了」の1994年を以て一つの時代の終わりとすると思います
そしてその後はTKブームの時代ということになるでしょうか
その点で本ブログの時期区分は少々特異ではありますが、
これは本ブログがTKブログではなく、
あくまでもTM NETWORKのブログであるということから来ています


周知の通り、TM再始動は1999年に実現しました
しかしTM再始動宣言はすでに1997年に行なわれており、
本来は1998年の間に活動を再開するはずでした
またTMNの3人は1996年から3人で共同作業を行なうなど、
再始動の可能性をにおわせる活動を行なうようになっていました


つまりTM再始動実現に到る流れは1996年から始まるわけで、
だから第六部の開始も1996年となり、
第五部はその動きが現れる前の1995年までとしたわけです


第六部の終わりを2001年としたのは、
2001年末までTMの活動は「Major Turn-Round」の延長上のものしかなかったことによります
2001年春、小室さんの吉本移籍を以て時期区分しようかとも思いましたが、
2001年の間にはTMは吉本から作品を発表していませんから、
TK史ではなくTM史を考える上では、
むしろ「Major Turn-Round」後最初の作品が発表された2002年を以て画期とするべきでしょう
「Castle in the Clouds」


もっとも第六部では、2001年の小室さんの話は扱いませんでした
これは2002年以後のTMに直結するので、第七部で扱う予定です
(つまり2001年は第六部・第七部両属期)


さて、こういう時期区分の話は多くの方には関心がない問題でしょうが、
書いている方としてはなかなか頭を使います
なぜならば私のブログでは、
ブログテーマとして「6 1996-2001」などを設定し、
各記事が第何部に属しているか、
その部がどの時代を扱うものを明示しているのですが、
この方式を採っている以上、
第七部を始める際には終わりの時期も決めておかないといけないからです
そして第七部終わりを決めるためには、
第八部の始まりを決めなければいけません


これについてはやはり、
2008年の小室哲哉逮捕を避けて通るわけにはいきません
これ自体は小室さん個人の問題ですが、
その余波で予定されていたTM25周年の活動がなくなっただけでなく、
TM自体が消滅する可能性も極めて濃厚だったからです
私も当時はかなり悲観的に、
今回の事件によって、このブログの当面の着陸目標は決まりました
2008.11.4です

書いたりもしました
実際にこの事件が第七部の大きなポイントになることは間違いないです


しかし繰り返しますが、本ブログがTM史を扱う以上、
時期区分はTMの活動を基準とすべきです
第七部と第八部の区切りもTMの新しい動きを見据えて設定するべきでしょう
それは明らかに、2012年3月の震災復興支援イベント「All That Love」です
TMはこのイベント参加を契機に活動を再開させ、
30周年に向けて継続的な活動を完遂しました
ならば第八部は2012年から開始という線もありえます


しかし私は、敢えて第八部を2010年からにしようと思います
つまり第七部は2009年までです
消極的な理由としては、「EXPO Folk Pavilion -Revival-」「SMALL NETWORK」など、
2009年までTM25周年の残骸的企画が散見するということもあります


そしてもう一つ、2009年6月執行猶予付き判決確定の後、
小室さんが年末の2009/12/20「芸能界の告白特別編」に出演し、
自ら詐欺事件への反省を述べたことがあります


これは一種の「ミソギ」としての出演だったと考えられ、
2010年1月にはさっそく、
小室さんの熊本・福岡・鹿児島でのピアノコンサートが発表されます
さらに4月にはAAAへの楽曲提供が発表され、
2011年にはソロアルバム「Digitalian is eating breakfast 2」もリリースされました


以後小室さんは、ソロライブ、ソロ楽曲制作、楽曲提供を精力的に行ないます
そうした中で11月、TM NETWORKの震災復興支援イベント出演依頼があり、
これを契機にTM再始動が実現しました


このTM再始動は、もちろんウツと木根さんの地道な活動も前提としてありますが、
小室さんも執行猶予判決の後に着実に活動を再開していたことも重要でした
TM25周年は2008年に小室事件によって遂行不能になりましたが、
小室さんは2009年に執行猶予を得た後、年末に「ミソギ」を行ない、
2010年に音楽活動を再開させたことがTM再始動を可能とする前提となり、
2011年TMのイベント出演オファーを受け、2012年にTMは復活しました


2008年の小室事件は2009年を以てひと段落を迎え、
2010年からは小室さんの音楽活動再開からTM再始動へと向かう、
と整理してもよいでしょう
つまり2012年からのTMの活動に向かう流れは2010年から始まるわけです


以上を踏まえて私は、第七部を2001〜09年に設定したいと思います
これは2000年代のほぼ全期間に当たり、全部で9年間となります
もっとも2001年は小室哲哉分だけで(ウツ木根TMは第六部で言及済み)
実質的に扱うのは2002〜09年となりますが、
それにしても第一部〜六部と比べれば、圧倒的に長期間です
なにしろ第二部〜四部は、各2年程度しか扱っていませんから、
その4倍近い長さです


とはいえ、第七部の最大の特徴は活動の密度の薄さです
TMの継続的活動があった時期を具体的に挙げると、

・2002年11月〜2003年2月=4か月
・2004年2月〜6月=5か月
・2007年10月〜2008年5月=8か月

の3期だけで、合計1年5か月にしかなりません
むしろ「tribute LIVE」や小室事件など、
TM以外の話が第六部以上に増えてしまうでしょう
できるだけそこらへんは、スマートに流してしまいたいですが…


なおこの後、2010年からは第八部となりますが、
次の活動への動きが始まったところで時期区分すると言う方針を援用すれば、
30thの次の活動が始まるまでは第八部の終わりを確定できず、
したがって第八部の位置づけを定めることもできません
2015年現在では、第七部が「TMN通史」で扱う最後の「歴史」ということになります


とはいえ第七部は、
苦難の初期を扱った第一部、黄金期を扱った第二部〜四部、
「終了」を扱った第五部、再始動を扱った第六部と比べて、
あまり一般の需要もないものと思います


第六部もその点では微妙だったかもしれませんが、
最後は「Major Turn-Round」という名作を作って終わりますから、
一応最後がクライマックスとなっています
これに対して第七部は終始活動が微妙な上、
結末はリーダーの逮捕ですからね…


さらに言えば、私自身も書く意欲はそんなに高くありません
もともとは1992年まで書こうと思って始めたブログでしたしね
ということで、更新頻度は第六部以上にゆる〜〜くなる気がしております
一応月1程度では更新するつもりですが、
この点はどうぞ御寛恕下さい


なお本ブログ、今月で開設9周年となりました
あと1年で10年となりますが、
TMファンとしては、なんか「終了」の二文字がちらつきますねえ…
まあ「終了」と銘打ってまでアピールするものもないんですけどね


ただ第六部が終わったと言うことで、
ここでしばらくは新記事更新はお休みして、
過去記事の加筆作業に入ろうと思います
TM 30thの間にいろんな資料が出ましたので、
それを踏まえて書かないといけないことがかなり増えました


正直、早く過去記事を直したくて仕方なかったので、
自分としては、やっと第六部終わった!という感じです
過去記事更新は春の間には終わるようにするつもりですが、
どうなるかは、生暖かく見守っていただければと思います
ちなみに更新完了箇所などは随時報告いたします


そういえば、本ブログのタイトル「20 Years After」、
開設した2006年当時は、
TMデビューの1984年から約20年ということで付けたものでしたが、
その後も周知の通り、なかなかブログの更新が進まなかったため、
扱っている記事とリアルタイムの時間差がずっと約「20 Years」のままでした
(更新遅!)


それが第六部を書いている間に、とうとう14年前までたどり着きました
(2015年の時点で2001年の記事)
しかし第七部を始める2016年にはまた15年前、
つまり四捨五入してまた20年前になります
我ながら趣旨を忠実に守るブログだなあと自画自賛しております(?)
さすがに第七部が終わるころには「10 Years After」になっているでしょうか
いや、そもそも第七部が終わるかどうかも分からないんですけども


そんな期待と不安を抱きつつ、しばらく休眠期間に入りますが、
これからもお時間の余っている時にでも、
適当に当ブログまでチラ見しに来ていただければと思います



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6-31 ROJAM時代のウツと木根

2015/11/02 23:52
11/2にBD/DVD「30th Final」のジャケットが発表されました
「Be Together」のサンプル映像もアップされました
またmumo予約特典が発表されました
A3クリアポスターらしいです
これで安心してamazonやHMVで予約できると言うところでしょうか


小室さんに続いて、ウツのディナーショーも発表されました
12/26ヒルトン東京だそうです
小室さんのディナーショーは12/25までですから、
理論上は両方出ることも可能です
また11/15にはU_WAVEの「Fifth Element」最終公演の様子が、
ニコニコ生放送で放映されます


木根さんは10/31ソロ再始動公演「REBOOT」を開催しました
これに合わせてOTONANOで、ネットラジオ「木根ラジ!」始まりました
「木根テレ!」と同様に、また藤井徹貫がついてきます
第一回は10/23、第二回は10/30に公開され、第四回まで予定されています


木根さんの「電気じかけの予言者たち-CLASSIX-」は、
10/23に発売されました
また「本棚に入れたくなるCD」のリリース日は11/1となりました
VILLAGE VANGUARDの名古屋・岐阜・三重の数店舗では、
12/15までCD発売記念イベントとして、
サングラスや直筆歌詞草稿などが展示されるそうです


11/12にはSONY MUSIC SHOP限定で、
木根さんのSONY時代のライブDVDが再発売され、
2枚のミニアルバム・2枚のフルアルバムがBlu-spec2版でリリースされます
各商品にはシングルのカップリング曲や未発表音源が追加されています
また5作品同時購入すると、
「木根テレ!」番組ロゴデザインオリジナル巾着袋が特典としてついてきます
特典が欲しい人はそんなにいないと思いますが…


去年SONY時代のウツやTKプロデュース作品の多くが、
Blu-spec2で再発売されたにもかかわらず、
木根作品は「Remember Me?」しかリリースされていませんでしたが、
このたび限定販売とはいえ、その他の作品もようやくリリースとなりました
私はこの手のものは興味ありませんが、
まだBlu-spec2化されていないのは、T.UTU・BOYO-BOZOと、
「tk-trap」、サウンドトラックなど小室さんのインスト作品群などとなりますね


小室さんは10/22から上海に渡り、
テレビ出演、DJ、ピアノコンサートなど、色々やってきたようです
上海戯劇学院金融総裁班特別芸術顧問賞や上海国際芸術祭青年創想特別貢献賞も受賞するなど、
音楽的評価として意味があるかどうかは別として、
中国での扱いは意外と良かった模様です
この後は12月のディナーショーとなります


11/26・12/3には、小室さんが浦沢直樹さんと一緒に、
「ミュージックポートレイト」出演します
もう撮影は終わったようです


globeトリビュートアルバムは「#globe20th -SPECIAL COVER BEST-」と題し、
12/16リリースになったようです
また10/25にはtofubeatsさんとのコラボユニットTK feat. TK名義で、
競馬サイトUmabiのテーマソングとして「#RUN」のMVが発表されました
小室哲哉プロデュース、tofubeats編曲とのことですが、
プロデュースというのは作曲のことでしょうか
ボーカルは神田沙也加さんが担当しております
MVも含めて、結構良い出来じゃないかと思います
気が付いたら、CD化していないソロ曲やコラボ楽曲が結構増えてきましたね

「a new lease on life」
「Internet for Everyone」
「The Spark (Tetsuya Komuro Remix)」(DJ Afrojack作品のリミックス)
「22世紀への架け橋」(ヒャダインと合作)
「Good Click Creats Good Music!」(SHIGEOと合作)
「#RUN」(TK feat. TK名義)


以上3人のソロ活動を踏まえ、
木根さんおよびウツ&小室さんのロングインタビューがdwangoのサイトに発表されました
3人一緒のインタビューにしないのは、
TMの活動がない間はあえて一緒にメディアに出ないようにしているんでしょう
木根インタビューは特にTM話が多めで、
ウツ&小室インタビューはU_WAVEメインです
しかしウツ、「体調はね…。結構、キツイよね」って、
なんか体調、まだあまり良くないんですねえ…


では本題に入ります
第六部の個別記事は今回で終わり、次回でまとめとなります

------------------------------------------------------------------
2001年のTM NETWORKの可能性は、
2月のある時期まではまだ残っていたと思われる
それをうかがわせるのは、
FM愛知・FM大阪で2001/3/2〜30に放送された「Menicon Monthly Magazine」である


本番組は1ヶ月ごとに特定のミュージシャンをパーソナリティとして、
毎週金曜日に30分ずつ放送するものである
2001年3月にはTM NETWORKが担当し、
「月刊TM NETWORK」なる番組を放送したのである
番組内でかかる曲はすべてTMで、
ほとんどすべてが「Major Turn-Round」の曲だった


ただしこの時点ではTMの活動は皆無となっており、
番組内でも今後のTMはほとんど話題にならなかった
出演するのはウツと木根だけで、
小室は録音されたメッセージだけでの出演だった


これが何のための出演だったのか、
今となっては極めて不可解だが、
おそらく話を引き受けた時点では、
TM NETWORKはその後も活動する予定であり、
だからこそ宣伝の場としてこの番組を引き受けたのだろう


番組の情報は2月半ばに告知されており、
遅くても2月上旬には話がまとまっていたと考えられる
おそらく1月下旬、
「Tour Major Turn-Round」終了の頃には話が来ていただろう
その頃ならばTMリミックスアルバムおよびアジアイベント計画はまだ生きていたはずである
木根も2月半ばの会報で、年内のソロ活動はないと言っており、
TMは継続的な活動が想定されていたと考えられる


「Menicon Monthly Magazine」は2/19と3/6に収録された
その番組内で、今後のTMについて触れられなかったのは、
収録までの間にアジアイベントが立ち消えになったためだろう
ウツと木根は3月下旬にソロ活動再開を宣言するが、
それもイベント計画中止によるものと考えられることは、前回触れた


なお「Beat Club それゆけTM NETWORK」も、
2000年以来小室が出演しない中で、
ほぼ看板だけの状態ながら一応続いてきたが、
2001年9月についに終了する
これもTMの名前で番組を続ける意味がなくなったことの反映だろう


ただしウツと木根のソロ活動も、
一応3人の連携の下で行なわれる形式を取ろうとしたようである
一つは、ウツと木根をSONY系列のTrue Kiss DiscまたはEPIC/SONYから、
小室のROJAMに移籍させたことがある


これに伴い二人のソロ作品も、ROJAM POP SHOPで販売された
TM作品とは異なり、二人のソロ作品は店舗での一般販売も行なわれており、
ROJAMのネット通販戦略は事実上無意味なものとなった
ただし盲点だが、2001年のウツ作品の店舗販売分は、
シングル・アルバムともに絶版なので、
現在正規金額で新品を購入できるのはROJAM POP SHOPのみである
購入を考えている方は、頭の片隅に留めておいてほしい
(なお木根作品はまだ店舗分も在庫あり)


ウツは4月にはスタッフとミーティングを開き、
シングル・アルバムの制作について打ち合わせを行なった
ウツの新作は奇妙な制作形態がとられた
Produceはウツ、Co-Produceは木根、Executive Produceは小室というのである


小室が最高責任者ということになっているが、
小室の関与の形跡はほぼ見出せない
Co-Producerの木根は臨席していたようだが、
実際にどの程度の意見を出していたのかも疑問である


要はウツの新作を3人の共同プロデュースと言う形式にして、
現実には動いていない3人の活動が存在するかのように見せようとしたものだろう
4月からROJAMをスポンサーに始まった深夜テレビ番組「radio TK」「Club TK」で、
木根が小室とともにレギュラー出演したのも、
2人の連携が行なわれているポーズを示すためと思われる


そうした形式に沿うものとして、
8/1にはウツのROJAM楽曲第一弾として、
シングル「Runnning To Horizon」がリリースされた
これは言うまでもなく、1989年小室ソロデビューシングルである
TMの名前を使わないまでも、
TMを意識させる楽曲をここで出してきたのである


そもそも「Running To Horizon」は、
かつて「Dive Into Your Body」と同時に制作され、
片方をTM、片方を小室のシングルにしたという経緯があった
つまりウツは1989年に「Running To Horizon」を歌う可能性もあったし、
また小室版が発表された後もそれを望む声は強かった
それをここで実現したのである


カップリングには「Hundred Nights, Hundred Stories」が収録された
木根作曲・小室みつ子作詞である
木根はRENTのウツをイメージして作ったという
本シングルは表題曲・カップリングともにみつ子作詞で、
作曲はそれぞれ小室哲哉・木根尚登という、
いかにもTM NETWORKを髣髴させる布陣だったことになる


ただしウツははじめスタジオで、
「Running To Horizon」を原曲通りに歌ってみたものの、
その頃のウツが歌うには若すぎたため、
キーを下げたりテンポを遅くしたりした
またそれに合わせて久保こーじも曲にアレンジを施した
その結果、原曲とはかなり異なる雰囲気になった


その結果商品化されたものを聞いてみるに、
こんなものを出してくるくらいならば、
没にするかカップリングと入れ替えるかすべきだったのではないかと思う
前回述べた「Ignition, Sequence, Start」とも合わせ、
小室陣営が関わったウツソロリミックスにはロクなものがないというのが正直な印象である


8月のシングルリリース後、ウツはアルバムのレコーディングに入った
タイトルは「LOVE-iCE」と言い、10/25にリリースされた
アルバムのコンセプトはラブソングだった
「Major Turn-Round」と同様にインディーズでのリリースだったため、
音楽チャートには登場せず、売上などは不明である


先行シングル「LOVE-iCE」は作詞前田たかひろ・作曲石井妥師、
カップリング「rhythm of love」は作詞Marc Panther・作曲浅倉大介である
作詞には小室陣営の人脈が登用されており、
木根・浅倉の登用は1996年の「Easy Attraction」を思わせる
石井の登用もソロ活動初期の1992〜95年をファンに思い出させただろう
ウツとしても総力戦で挑むつもりだったと思われる


特に注目されるのは石井の復活である
1995年にウツとBOYO-BOZOを組んでいた人物だが、
その商業的失敗を受けてウツはソロ名義に移った
その後石井はウツと音信不通になってしまったのだが、
この時実家経由で連絡が取れて、石井の楽曲提供が実現したのである
「LOVE-iCE」では小室・木根・浅倉・石井の楽曲が各2曲、
その他2曲という布陣になった


10/22〜11/14には「Tour LOVE-iCE」が開催されている
「Tour White Room」がコンセプト重視だったことから、
このツアーではラフさを重視し、
楽曲を聴かせるのを基本に据えたという
またサポートメンバーは、あえて全員若手にした
このメンバーはウツも気に入り、
翌年の「Tour Ten to Ten」でもほぼ同じメンツとなった


ツアーでは1曲目にロックナンバー「Energy Source」が演奏され、
2曲目では直接続ける形でTMの「Open Your Heart」が、
ロックアレンジで披露されている
ウツは1996年のファンイベントでもこの曲を演奏していたが、
意外とお気に入りなのだろうか
TM NETWORKでは絶対に演奏されないと思われ、
この時の演奏は貴重である


木根も「LOVE-iCE」制作に陪席する一方で、
自らのソロ作品も作っていた
2001/9/1リリース「浮雲」と11/26リリース「徒然」である
タイトルから見て、当初からペアで構想されたものだろう
木根ソロの新作は、
実に1998年「The Beginning Place」以来3年ぶりである


2001年の作品はシングルでもフルアルバムでもなく、
ミニアルバムでのリリースとなった
以後2003年まで、木根の作品はミニアルバムでのリリースのみとなる


「浮雲」「徒然」はどちらも6曲入りで、
TMカバーを1曲ずつ入れている
TMカバー曲は、「浮雲」「Girl Friend」
「徒然」「Winter Comes Around」である
「Girl Friend」はライブ音源)
「LOVE-iCE」同様、TMとの関係を意識させるラインナップである
1996年にTKプロデュースを前面に出してリリースした「Remember Me?」で、
TMカバー曲を収録したのと同じやり方である


作詞としては木根自身の他、
両アルバムの1曲目とタイトル曲に当たる「不眠症ジェニー」「浮雲」と、
「ポニーテール」「つれづれ」で、
小室関係者の前田たかひろが担当している
他に小室みつ子と藤井徹貫も見える
徹貫が脚本家だけでなく作詞家としてもTM関係に顔を出してきた


なお翌年の作品になるが、
木根は2002/5/29にもミニアルバム「RUNNING ON」をリリースしたが、
こちらでは全曲作詞・作曲を木根が担当している
TMのカバーはないが、
5曲入りで、5曲目は森口博子による「Unknown Town」のカバーが入っており、
最後の一曲がおまけ的な音源になっている仕様は同じである


木根はミニアルバムリリースと並行して、
「talk & live 番外編」「talk & live vol.7〜歌酔曲〜」を開催する
「番外編」「talk & live」と違ってバックバンドを従えず、
一人か二人で気軽に地方の小さな会場を回ると言うものである


以後身軽さと言うメリットと、
おそらくライブ規模の縮小という現実の前に、
木根のツアーは番外編が中心になっていく
「talk & live」は2001年12月から2008年11月の7年間で、
vol.7〜11の5回開催されるが、
「talk & live 番外編」は2001年9月から2010年9月まで9年間で、
vol.1〜10の10回開催されている
なおその後は、2012年にソロ20周年記念の「talk & live」
2013年にソロ「RESET」前の最後の「talk & live」が行なわれた


ただウツと違い、木根はソロ活動だけに専念せず、
他の歌手への楽曲提供にも積極的だった
globeやウツへの楽曲提供はすでに触れたが、
他にもTKプロデュースの新人台湾歌手林建亨(KEN)のデビュー曲「発射」を作曲し、
2001/7/17にリリースしている


また声優の椎名へきるには、
8月から翌年3月まで5枚のシングル楽曲を提供した
この関係は意外と続くようで、
2006年には木根・椎名でユニットひだまりを結成し、
2015年にも木根が椎名の20周年ライブに参加している


なお木根はこの頃ウツとともに、森口博子や椎名へきると共演している
それは毎年12月開催の「Act Against Aids」で、
2001/12/1にはガンダムつながりで森口「Eternal Wind」とTMの「Beyond The Time」
2002/12/1には木根提供曲の椎名「Jungle Life」とTMの「Resistance」を披露した
2000年には小室も加わりTM NETWORKとして参加したのだが、
それは一度きりで終わってしまった


以上のように、ウツと木根は3人の連携の雰囲気を残しながらも、
実態としては再びソロ活動へと回帰していった
さらに翌年になると、連携の形式すら放棄され、
小室の求心力は失われていく


もっとも小室はともかくとして、
ウツと木根は相変わらず一緒に活動する場面も見られた
1993年以来連年出演していた「Act Against Aids」もあるが、
この頃では2001/9/24日本武道館で開催された「AKASAKA Live 20th Party」も挙げられる
この時の出演者の一人にウツがおり、
ソロ曲の「少年」「Dance Dance Dance」「Runnning To Horizon」「LOVE-iCE」を演奏したが、
その後はゲストとして木根尚登が登場し、
一緒にTMの「Wild Heaven」「Dive Into Your Body」を演奏した



一方この頃小室はGaballとglobeに集中しており、TMを動かす気配はまったくなかった
この経緯については、2001年春まで遡って見る必要があるが、
それはどちらかといえば2000年代の小室やTMの活動の前提となるものであり、
「終了」したTMの再始動の過程を見る第六部の趣旨からは離れることになる
そこで2001年の小室哲哉については、第7章で改めて触れることにしたい


LOVE-iCE
ROJAM
2001-10-25
宇都宮隆
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by LOVE-iCE の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル

記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 32 / トラックバック 0 / コメント 9


6-20 ROJAM

2014/08/29 23:14
毎年のことですが、夏で更新が遅れました
そんな中、50万ヒット達成しました!
30周年の間に50万行くかな…とか思っていましたが、存外早かったです
アクセスいただいている皆さん、どうもありがとうございます


そして! 皆さん待望の! ニューアルバムリリースが! 8/22に!
正式告知されました!


タイトルは未定ですが、リリースは10/29、「Tour Quit30」初日です
mumo特典次第ですが、ツアー初日に参加する方は、
一番早く確実に入手できるのはツアー会場かもしれません
会場購入特典もあるでしょうし


ただ今回は、来ました、avex商法!
A(CD1枚3240円)・B(CD2枚3780円)・C(CD2枚+DVD4320円)の3種類がリリースされます
B・Cの2枚目のCDは「特典CD」なので、インストとか別バージョンを集めたおまけ音源でしょう
Cのみに付くDVDは、インタビュー映像かメイキングでも入るのでしょうか
心配なのはBとCに付くCDが別の内容という場合ですが…大丈夫と信じています
avexならマジでよくやる手なので心配ではありますが


それとmumoで購入すると、予約特典が付きます
ところがこれがまたやらしくて、A・B・C全部別の特典のようです
つまり全パターンコンプリートしたい方は、
同じCDを3枚購入しないといけません
しかもこの特典がまだ発表されていない上、
10/7正午までに予約しないと発売当日に届かないそうです


このパターン、「START investigation」の時、
発売日郵送保証期限を過ぎると同時にゴミ特典の内容(BD収録の音源を1曲抜き出したCD)を発表するとともに解約不可にした悪魔の所業を思い出させますよね…
さてどうするか…
きっとどうでもよいものだとは思うんだけど、これが特典音源とかだったらどうしよう…
ポスターとかステッカーなら要らないんだけど


特典とか全然気にしない方は、送料無料のamazonをお勧めします
Cは3639円に値引きされており、mumoで送料払ってAを買うよりも安いです
(なおamazonでA・Bを買うと値引きはありませんが10%のポイントがつきます)


SONYの再発版CD「Colosseum T・U」「Classix 1・2」「Groove Gear Sound Selection」「final live LAST GROOVE 5.18/5.19」
SONYのサイトで4枚セット購入すると、特典でバッグがつくそうです
相変わらずのSONYクォリティで、特典自体は本当にどうでもよいものですが、
どうせCD購入予定の方はどうぞ
しかし今こんな特典を発表しててこ入れて、よほど予約が少ないのかな…?


あとSONYサイト、再発版アルバムのジャケットが出ていますね
「Classix 1」のジャケのタイトルの部分が「Classix 1・2」になっているとか、
その程度ですけども


8/27にはTM NETWORKオフィシャルサイトで、
BD/DVD「the beginning of the end」の内容が発表されました
5/20ファイナルの全曲が入る他、5/19の日替わり曲「Accident 2014」も収録されます
またBD限定版の小室さんコメントは、ライブと今後の構想を語るインタビューとのことです
多分すでに収録は終わっているんでしょう


さらにこれに合わせて、BD収録の「Rainbow Rainbow 2014」公開されました
「Get Wild」でも「Self Control」でも「Be Together」でもなくこの曲とは、良いですねえ
きっとリリースまでにあと2曲くらいはアップされると思います


そういえば9/24のBD/DVDリリースまで1ヶ月切ったんですね
さらにその1ヶ月後はニューアルバムとツアー開始
いよいよSeason2開始です!


「Tour Quit30」、各プレイガイドでのプレオーダーが始まっています
ローソンなどすでに一度当落発表を出したところも、
チケット一般販売日の9/24まではまだ時間があるので、
まだしばらく先行予約は行なわれると思います
なかなか希望のチケットが当選しないという方、
今しばらくがんばってみて下さい


9/10発売の「Keyboard magazine」2014年ATUTMN号では、
TM NETWORK特集が組まれます
小室さんや坂本美雨さんのインタビューがあるそうですが、
「the beginning of the end」「Tour Quit30」や新譜の話もあると思います


ソロについて
もう結構経ちましたが、8/13「FNSうたの夏まつり」小室さんが出演しました
E-girls×TRF「EZ Do Dance」、E-girls「Feel Like Dance」、華原朋美「恋しさとせつなさと心強さと」、郷ひろみ×高見沢俊彦×氣志團×小室哲哉×浅倉大介「One Night Carnival」あたりは、以前「ぼくらの音楽」などでやったものの再演や発展版ですが、
渡辺美里さんとのコラボ「My Revolution」は目玉でしたね


あと今年の「EDM TOKYO」での玉置浩二さんとのコラボが影響しているのか、
玉置浩二×高見沢俊彦×小室哲哉×森山直太朗×WaT×miwa「田園」にも参加しました
この曲では全員でギターを弾きながら、
WaT・森山さん・miwaさん・玉置さんが順番に歌いましたが、
ギターのみの高見沢さんはともかく、ギターのみの小室さん…
意味はあるんでしょうか(一応コーラスもしていましたが)


9/24(東京)10/4(大阪)の小室さん・坂本美雨さんのbillboardコラボライブ、
8/18にチケットが売り出されました
8/28現在でまだチケット購入可です
多分10/4頃にはアルバムレコーディングも終わっていて、
このライブの後はTMツアーの音源作りとリハーサルが始まるんでしょう


その他、すでに決まっていた9/14「The Big Parade 2014」に加え、
9/12「ASOBINITE!!!」への出演も決まりました
いずれもチケットは発売中です
ちなみに「The Big Parade」はライブではなくトークでの出演なんですね


木根さんは9/3「ナカイの窓」に出演します
DVDの宣伝してくれるかな…
木根さん、今回は即興で作曲して歌うそうです
TM NETWORK木根尚登が即興作曲を披露!
中居とゲストが考えた歌詞に木根のメロディーが合わさり・・・
まさかの短時間で名曲が誕生!!
木根尚登生歌は必見!



以上、近況でした
次回はアルバム情報とか出ているかな?
では本題に入ります

--------------------------------------------

小室が2000年に拠点としたのはROJAM Entertainmentだった
小室はこれ以前、
1996年末にRupert Murdochと共同で香港にTK NEWSを設立したが、
Murdochが手を引くことを決定したことを受け、
1998年に社名をROJAMに改めた


社名は「MAJOR」の5文字を逆から並べたもので、
つまりメジャーの対極=マイナーな存在としての命名だった
メジャーなものも最初はアマチュアだという意味が込められていた
これは2000年のTMのアルバム「Major Turn-Round」のタイトルにも反映される


ROJAM創設の時点で小室が目指していたのはアジア市場への進出であり、
1998年には台湾や香港でRingやgrace.ipをデビューさせ、
1999年にはアルバム「Teen’s Ring」「RPG」をリリースしている
実際に台湾や香港では、小室楽曲はある程度売れていたらしい
(具体的な数字は知らないが)


その後ROJAMは目立った動きがなかったが、
2000年1月にSONYから距離を取ることを決意した小室は、
TM NETWORKやKiss Destinationなど個人的に関わりの深いミュージシャンについて、
ROJAMからCDをリリースするようになる
木根の書いていることを信じれば、
TMは6/9にSONY系列のTRUE KISS DiSCからの撤退を正式に決定したらしい


ただしROJAMからのCDリリースは
SONYとの決別の上で強行されたわけではなく、
一応SONYの同意の下で行なわれたものである
(ネット限定で独自の音楽ソフト販売を承認)


ウツ・木根についてはよく分からないが、
小室は2000年度いっぱいはSONYとの専属契約も継続していた
2000年12月「Major Turn-Round」ライナーでは小室のみSONY所属になっている
9月発売の「日経エンタテインメント」では、
TMが戻ってくることを期待してSONYがネット販売を許可したと推測している


しかしそれでもSONYを介さずにCD作品のリリースを行なうようになったことは、
TMの歴史上大きな意味を持つものである
事実として、これ以後TMがSONYに戻ることは現在までなく、
ROJAM移籍はSONYという制約からTMを解放する契機となった
(それが戦略的に良かったのか否かは別にして)


SONYもしばらくTM NETWORKのサイトを続け、ROJAM作品の情報も掲載していたが、
8月終わりにはTM NETWORKのBBS、11月終わりにはTMサイト自体が閉鎖された
おそらくここらへんの複雑な関係が、
2000年のライブ映像が商品化されなかったことと絡んでいるのだろう
「Tour White Room」「Log-on to 21st Century」


ROJAMについて話を進めると、
私は会社関係の話は疎いのでよく分からないのだが、
(ここらへん、詳しい方、補足お願いします)
この時にROJAMはかなりの改組をしたようである


もともとディスコ経営やCD出版など、
アジアでの音楽ビジネスを展開していたROJAMだったが、
小室は2000年にはIT事業の展開を視野に入れ、
ROJAM.COMのwebsiteを拠点に情報発信を行なうことを宣言する


IT事業参入自体は以前からあったものかもしれないが、
本格化したのはSONYと小室がもめた1月以後と考えられる
3月にはその準備は佳境に入っていたらしい
ROJAMの新事業参入に当たり、
出資者にはTK NEWS以来の出資者だったNTTの他、
当初からかは不明だが、2000年末には小室との関係を修復したavexも名を連ねていた


小室は4/18に香港の海逸酒店で会社設立に関わる記者会見を開いた
この時は木根尚登・Marc Panther・DJ Dragonも同席している
小室は当初エグゼクティブプロデューサーとして、
この3人を含むプロデューサーたちにROJAM作品の制作を任せるという構想を持っていた


不安しか感じない会見


小室のIT事業参入は、おそらく取り巻きの誰人からか、
うまい話に乗せられてしまったところもあるのだろう
時に1999年から2000年にかけては、
いわゆるITバブルが急速に進んだ時期でもあり、
確実に儲かるなどと言われてその気になってしまったのではないか


ITバブルは実際には2000年3月を頂点に急速に収束した
その中で1〜2月頃から準備を始め4月にIT事業に参入というのは、
これ以上はない最悪のタイミングだったと言える
(そもそもバブル状況が進行した後に参入を考える時点でアウトだと思う)


小室はこれ以後数年かけて、
儲けを出すどころかTKブーム期の稼ぎを根こそぎ吸い取られ、
まもなく借金生活に転落することになる
かつてマリックブーム収束の頃にマリックとタッグを組んだり、
バンドブーム収束の直前にハードロックを試みたりしたことを彷彿させるが、
この時のミスのダメージはそんなものと比較にならないほど大きかった


ただ小室としては必ずしも儲け話に目がくらんだというだけではなく、
ROJAMでやろうとしていたこともたしかにあった
新技術への関心や未来志向の強い小室としては、
インターネットの可能性は早くから注目していたところでもある
その長い構想の具体化と実行を試みたのがROJAM.COMだったともいえる


ROJAM.COMの一つ目の眼目としては、
レコード会社や広告代理店を使わずネットで広告し、
音源・映像の配信を行なうことがあった
いわば音楽ビジネスのあり方自体を変える試みでもあった
これは以前述べた通り、1995年頃から小室が考えていたことだった


特にネット配信については、
TM NETWORKで大々的に展開させようと考えていたようである
小室は春頃からTM inter-NETWORKというコンセプトを用い始め、
7月の「Log-on to 21st Century」のパンフレットでは、
1990年頃にTM-INTERNET-WORKに改称する案があったものの時機早尚として見送られたと言う、
藤井徹貫のしょうもない文章が載せられるに至る(ドン引き)
「電脳伝説」とかのたまわっているが、正直電脳というより電波である

電脳伝説起動。
TM NETWORK覚醒、再結成発表から1年を費やし、伝説は現実になった。
日本の音楽を変えたギガ・ユニット誕生。それは10年以上をかけた構想の最終章の開幕を意味する。つまり、TM NETWORKに秘められた最後の謎解きでもある。
構想の発端は87年4月29日のこと。「Get Wild」のビデオ・クリップを撮影するため、彼らは英国領香港にいた。そこは東洋と西洋が交錯する黄金郷だ。いうなれば地球規模の情報が集約するインテリジェント・サーバーだ。まさにINTERNATIONALの縮図である。
その驚異の地で出会ったのがコンピューター・ネットワーク。(中略)
香港が与えた、この2つの衝撃から、TM-INTERNATIONAL-NETWORK構想が誕生したのである。
日本でのコンピュータ・ネットワーク(JUnet)発足は1984年。偶然か必然か、TM NETWORKのデビューと同時である。
米国で事態が大きく動いたのは90年のことだった。政府および学術機関に限定されていたコンピュータの使用制限が撤廃されたのだ。その影響力に注目した小室哲哉は、ユニット名のTM-INTERNET-WORKへの変更を提案。しかし、時期尚早を理由に断念。それでも時代はTM-INTERNET-WORK構想を追認するかのように動いた。
93年、日本でもインターネットが一般に解禁。
また、ヨーロッパ原子核研究所が開発したWWW(World Wide Web)と米国イリノイ大学スーパー・コンピュータ応用センターが開発したWWWブラウザ(Mosaic)が出揃った。(中略)
それらの大変動を受け、TMinternetWORKへのシフトを含み、TMNを終了。小室哲哉は自らの構想を具現化するタイミングを窺った。(中略)
音楽のネット配信の可能性が現実のものとなった99年、TMinternetWORK構想を再提案。
「Get Wild」から始まった構想を具体化するため、「GET WILD DECADE RUN」で動き始めたのである。同時に、香港で生まれた構想を実現するため、ROJAM.COMを構想誕生の地に設立。遂に準備は整った。
圧倒的なデジタル・エンタテインメントTM NETWORK起動。
「今世紀最後にして最大の発明」であるインターネットをも掌握したSFユニットがリボーンし、時代よりも早く新世紀を開門。現実はかつての伝説を凌駕する。
電脳新世紀到来。



木根の「続・電気じかけの予言者たち」によれば、
小室から初めてTM inter-NETWORKの話を聞いたのを2月8日としている
だが「Log-on to 21st Century」パンフレット所載の木根メールでは、
1/7に「前々から、あなたが言っていたとおり、TM-INTERNET-WORKの時代かも」と小室に言っており、
明らかに「続・電気じかけの予言者たち」と矛盾する
以前触れた通り、このメールの文章は改変されていると見るべきだろう


一方2/8木根が小室からTM inter-NETWORK構想を聞かされたというのは、
実際に本で語られているほど具体的な構想が語られたかはともかくとして、
前後関係から考えれば、時期的に十分ありえる話である


その後小室は2/29にtk56のBBSで、
「Tmは3人からまた実験的な発表をさせてもらいます」と書き込んでいる
「実験的な発表」とは楽曲のネット販売とともに、ネット配信の構想も含むだろう


小室の構想では、完成した楽曲を配信する以外に、
クリック音のみ、リズムトラックだけ、
ギターやシンセが加わったトラックなども順次配信することにより、
楽曲ができあがる過程をリスナーにも伝えるという構想を持っていた
小室が3月終わり頃のインタビューで述べていた、
TM新曲のバックトラックのバラ売り計画も、
おそらくこれと関わるものだろう


このようなものを求めるのは一部のよほど重度のファンだけだろうし、
CDの形で店頭販売するにはあまりにも需要が限定的だが、
パッケージにするコストがかからないネット配信ならば問題はない
またネット配信ならば、楽曲が出来てすぐに公開することも可能であり、
リアルタイムの反応を知りたい小室としては、この点も魅力だった
2010年代の今ではそれほど違和感なく聞こえるが、
当時はかなり実験的な試みだったと言える


ただし完成楽曲の音源配信は後に実現したものの、
制作過程のトラックの配信・販売が行なわれることはなかった
その上、当時のリスナーは、
必ずしも気楽にネットショッピングができる環境にあったわけではなかった
そのような中でTM NETWORKのニューシングルは、
3枚いずれもネット限定で販売された
これは一部のファンから非常な反発を買った


CDのネット販売は2000/8/10TMのシングル「MESSaGE」から始まった
通販サイトはROJAM POPSHOPと言った
9月からは「ショッピングモール」も開く予定だった
CD・楽器・機材・洋服・自動車・関連出版物なども販売する計画で、
品目は2万点を目標に掲げていた


しかしCDや楽器はともかく、自動車をネット購入することがあるのかは疑問だろう
(ここらへんの金銭感覚のおかしさは、ビジネスには決定的に不向きである)
小室が現実的な感覚を失い、取り巻きのうまい話に乗せられていた様子がうかがわれる
結局CDとTMのツアーグッズ以外の販売は実現しなかった
当然2万点の商品販売も実現していない


それどころか11月には、年末発売のアルバム「Major Turn-Round」を、
新星堂・TSUTAYA限定で店舗販売する方針を発表する
これはネット通販戦略の一つの挫折とも見られる
ただこれはネット限定販売のみ承認していたSONYとの交渉の結果、
店舗を限定して販売することが承認されたためかもしれない


なお小室とSONYの関係が切れた2001年には、
ROJAMから発売されたウツの「LOVE-iCE」や木根の「浮雲」「徒然」が店舗でも一般販売される
ROJAM POP SHOPでの販売も行なわれたが、その意味はほとんどなくなった
さらに2002年以後のウツ・木根・TM作品は吉本R&Cからのリリースとなり、ROJAMの通販はなくなった
早い話、ネット通販構想は失敗に終わったのである


話を戻すと、ROJAM.COM第二の眼目は、アジア規模での人材発掘である
ここでもネットを前面に出し、
まずは中国でネット上でのオーディションを行ない、
選ばれた歌手を実際にデビューさせるという企画が行なわれた
2000年3月、ROJAMウェブサイト上で行なわれたClick Auditionである


この結果、香港での盧靖珊と譚凱hのデビューが決定した(ともに女性)
それぞれCeina Jade、Zoie Tamの名前でデビューし、
2000/7/25Celina「Good News, Bad News」以後、数枚のCDがリリースされている
日本ではほとんど知られていないが、
香港ではAEONグループによって大々的にCMが流されたらしい


ただ彼女らの歌唱力はかなり悲惨なものだったようで、
レコーディングは大変苦労したようである
本当に思いつきで動いてしまった企画だったのだろう
Click AuditionはROJAMの目玉企画とされ、
当初は日本でもZoieを大々的に押すとともに、
次のClick Auditionも2001年2月に行なう予定だったのだが、
実現した形跡はない


もう一点、ほとんど実を結ばなかったものの、
コンビニを拠点とした商品流通という試みもあった
これも目の付けどころとしては悪くなかったと思う
ただネット販売の件も含めて時期尚早な発想でもあり、
悪く言えば実現性を無視した思い付きだった印象も拭えない


2000年4月からはTMのレギュラーラジオ番組として、
サークルKをスポンサーにつけて、
「Beat Club それゆけ! TM NETWORK」が、
全国FM各局で放送された
(もう少しましなタイトルはなかったのだろうか…)
サークルKのタイアップは、
おそらくコンビニ流通を視野に入れたものだろう


この番組ではサークルK限定のTM関連商品として、
2000年9月にTM NATWORK(納豆)が、
2001年1月にTM熱湯WORK(入浴剤)が発売された
音楽ソフト販売の構想もあったが、結局実現しなかった
SONYからの承認を得られなかったということもあるようである


なおTM NETWORK名義のレギュラー番組は、
実に1993〜94年の「TMN United」以来6年ぶりのことである
放送は2001年9月まで1年半続いた
ちょうど2000年3月に「コムロ式」が終わったため、
TMの主な情報源は以後「Beat Club」となる
ただしこの番組に出演するのは毎回木根とウツのみだった
(数回の例外はあったが)


小室はこの番組に毎回コメントで登場することになっていたが、
やがてそのコメントも来ないことが増えてきた
3人のトークを期待したファンには、
むしろウツ・木根と小室の距離を感じさせる番組だったかもしれない


ファンのフラストレーションも、この頃にはかなり高まっていた
彼らの多くは、再始動TM NETWORKは期待はずれだったと思って、
TMを見限ってファンから足を洗ったが、
一方でネット上には小室への不満を書き込むファンも現れる
木根はこれに対してフォロー役に回ることが多かったが、
この関係は以後2008年の小室逮捕まで長く続く


もっともファンの怒り・失望も仕方ないところがある

「Yes To Life Festival」開催による木根ソロライブの日程変更
「Happiness×3 Loneliness×3」リリース延期(1999年11月→12月)
・1999年12月のハワイイベント中止
・2000年1月ファンクラブ発足の予告うやむやに
・2000年3月のアルバムリリース予告実行されず
・春のTMライブ実行されず
・tk56で延々とTMの新曲レコーディング中発言(2000年1月〜7月)


私もTM再結成には初めから冷めて接していたが、
この頃には気にもしなくなっており、脳内にTMのことはなくなっていた


ただし小室がROJAMに拠点を移すきっかけがTMの問題だったことから見ても、
この時点の小室がもっとも重点を置いていたのはTMだったように見える
(それゆえ小室の「先進的」な試みのど真ん中に入れられてしまったのだが)
その点で小室にとっての2000年は、TMの年ではあったのだと思う
7月のROJAM.COMのwebsiteグランドオープンイベントがTMメインで企画されていたのも、
それがファンの望む形に合致していたかはともかくとして、
この頃の小室にとってTMがやはり第一だったのだろう


ともかくも小室は2000年、1983年以来の古巣だったSONYと距離を取り、
ROJAMに拠点を置くことになる
この動向の最終的決着は2001年TMの吉本移籍だったが、
第六部の残りの章では吉本移籍以前のTM NETWORKの動向を見ていくことにしたい


Major Turn-Round
ROJAM
2001-06-15
TM NETWORK
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タイトル 日 時
6-19 SONY期TMの終焉
6-19 SONY期TMの終焉 更新が少し遅れました 今更ですが、坂本龍一さんのガン公表に続いて、 氷室京介さんが聴覚障害により「卒業」を宣言しました ...続きを見る

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2014/08/06 03:08
6-18 計画の白紙化
6-18 計画の白紙化 BD/DVD「the beginning of the end」の発売が決定しました! 発売日は9/24です Season2開始の1ヶ月前ですね mumoのサイトによれば、去年の「START investigation」と同様に、以下の3タイプでのリリースです(値段は税込み) ...続きを見る

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2014/07/17 01:03
6-11 TM NETWORK再始動へ向けて
6-11 TM NETWORK再始動へ向けて BD/DVD「START investigation」、 一週目のチャートではBD5752枚、DVD1489枚となりました 特典付きがBD版しかなかったため、 セールスがBDに集中する形になったようです ...続きを見る

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2013/12/28 01:31
6-10 小室哲哉、avexとの決別
6-10 小室哲哉、avexとの決別 前回告知しましたが、当ブログの12/30池袋忘年会は12/22締切です 申し込み先はtm_on_the_planet%yahoo.co.jp(%を@に変える)です 参加希望者は1.名前(本名でなくても可)、2.性別、3.携帯アドレスをご連絡下さい ...続きを見る

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2013/12/02 02:25
6-9 TMN再結成宣言とその後
6-9 TMN再結成宣言とその後 11/10を以ってU_WAVEの「Tour フォースアタック」が終了しました ウツ、お疲れ様でした ツアー特設サイトは11/30を以って閉鎖するとのことですので、 動画など保存しておきたい方は早めにどうぞ たぶん来年のTMライブの頃に合わせてBDがリリースされるでしょう 最終日には小室さんも観客席にいたらしいです ウツのツアーは終わり、次は11/23から、 木根さんの「"RESET" Tour」となります ...続きを見る

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2013/11/19 03:01
6-8 エルマーの冒険
6-8 エルマーの冒険 DJ Afrojack「The Spark」のリミックス、 前回は「Afrojack Club Edit」が小室さんのミックスだと書きましたが、 これは勘違いでした! ごめんなさい ...続きを見る

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2013/11/06 01:54
6-7 TKの海外進出と地盤沈下
6-7 TKの海外進出と地盤沈下 U_WAVEの「Tour フォースアタック」が始まりました 私は行っていませんが、参加した方によれば、7月よりは元気そうだったとのことです きっと順調に回復しているものだと思います ツアーパンフに新曲CDが付属していることは前回書きましたが、 その中で「AI」「Still the one」は10/12にiTunesで配信が始まっています ...続きを見る

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2013/10/23 03:36
第五部完
第五部完 今日9/26は、木根さん55歳の誕生日でした 木根さん、おめでとうございます ちなみに小室さん、このタイミングでTwitterで、 「木根さん、50年以上生きてきてなににを思います?幸せだよね、、、。間違いなく、、。 」 とか、何か意味深なことをつぶやいています 木根さんはさらりと、「そうですね。ほんと、ありがたいです。」と返していますが… ...続きを見る

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2012/09/27 00:38
5-28 「終了」後のウツと木根
5-28 「終了」後のウツと木根 「incubation Period Limited Edition」の予約特典ポスターのデザインが、 ライブシネマのサイトで公開されました ↓こんな感じみたいです ...続きを見る

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2012/09/07 05:16
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5-27 TKブームの到来 8/11、「FREEDOMMUNE 0」が開催されました 去年は台風で中止になりましたが、今回は実現しました 小室さんも待望の出演となりました ただ、見てはいたのですが、録画失敗…orz 誰か録画した方とかいませんでしょうか… セットリストは小室さんのFacebookに出ていますが、 1曲目はオリジナルの「DOMMUNE2012」、 5曲目は去年の「FREEDOMMUNE 0」代替ライブのオープニング曲「DOMMUNE2011」です 「Get Wild '... ...続きを見る

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2012/08/13 01:26
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5-26 「終了」の完了 7/20に、Blu-ray/DVD「Incubation Period」のmumo予約特典が発表されました TM NETWORKオフィシャルサイトより転載します ...続きを見る

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2012/07/22 02:21
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5-16 終了 1994年4月21日、 TM NETWORKが「Rainbow Rainbow」でデビューしてちょうど10年目の記念日、 TMNのニューシングル「Nights of the Knife」がリリースされた日、 全国の朝刊各誌に大々的にTMN「終了」宣言が掲載された ...続きを見る

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2011/11/22 02:04
5-15 TMNかtrfか
5-15 TMNかtrfか ニュースで騒がれましたが、 10/24にKeikoさんが倒れ、緊急手術を行ないました オリコンニュースより  音楽プロデューサー・小室哲哉(52)の妻で歌手のKEIKO(39)が24日夕方、都内病院に救急搬送されたという一部報道に対し、所属事務所のエイベックス・マネジメントが25日、病状を公表した。「くも膜下出血」と診断されたKEIKOは25日未明から5時間にわたる手術を受け、無事成功。現在は意識が戻り、1ヶ月の入院を予定している。  同社によると、KEIKOは24日夕方、首の後部に激痛... ...続きを見る

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2011/11/01 04:38
5-10 TMN10周年への道
5-10 TMN10周年への道 7/30、東京南青山のSpiral Hallで開催されるシンセイベント「Yamaha & Steinberg EXPO 2011」に、 小室さんが出演してTalk&Liveを行なうとのことです ...続きを見る

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2011/07/14 00:06
5-9 続・サポートメンバーの活動(TMN期)
5-9 続・サポートメンバーの活動(TMN期) 小室さんのDummuneライブ、各所で話題のようです 再放送とかありませんかねぇ… とりあえず当日のUstreamの観客によるUstweetのログに、 リンクを張っておきますね ...続きを見る

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2011/06/22 01:00
5-8 木根尚登、ソロデビュー
5-8 木根尚登、ソロデビュー 7/2と7/3の渋谷Duo Music Exchangeで、 ウツ・木根さん・浅倉さん+ゲストにより、震災復興支援ライブとして、 「フォークパビリオン2011」を開催するそうです magneticaのサイトより ...続きを見る

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2011/06/03 03:06
5-6 trf 〜TK RAVE FACTORY〜
5-6 trf 〜TK RAVE FACTORY〜 震災以後動きが無かった小室さんですが、理由が判明しました チャリティイベント用の楽曲を作っていたんですね 4/19、オフィシャルサイトで公表されましたが、 イベントのチケットはe+で4/19から発売です イベントについては、oricon styleの記事を転載します  アジア太平洋地区を活動拠点とする特別非営利活動法人「国連の友Asia-Pacific」は19日、東日本大震災被災者の心のケアのために立ち上げた『Friend’s Whistle!』(トモダチの笛)プロジェクトのキックオフ... ...続きを見る

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2011/04/20 01:55
5-5 小室、avexと接触
5-5 小室、avexと接触 発売延期になっていた「Digitalian is eating breakfast 2」、 5/4リリースになったようです ずいぶんずれ込みましたね ...続きを見る

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2011/04/05 02:46
5-1 小室哲哉の離脱
5-1 小室哲哉の離脱 3/23リリースの「Digitalian is eating breakfast 2」の情報が来ました Oricon Styleの2/1の記事より  音楽プロデューサー・小室哲哉が、自身名義では約22年ぶりとなるオリジナル・ソロアルバム『Digitalian is eating breakfast 2』を3月23日に発売することが決定した。フィーチャリングボーカルとして男女7人組ユニット・AAA(日高光啓・浦田直也)、ヒップホップ歌手・Zeebra、歌手・坂本美雨ら多様なアーティストを迎える... ...続きを見る

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2011/02/07 01:59
第四部完
第四部完 更新さぼってしまいました 実生活の方で割と忙しくて… 中途半端なところで終わっていたので、 気になっていたんですが、 いつのまにか一ヶ月経っていました ...続きを見る

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2010/07/09 02:59
4-33 V2
4-33 V2 来週5/5、 AAAに提供した「逢いたい理由」がリリースされる小室さんですが、 6/16リリースのソロアルバムも公式に発表されました TOMO Shopのウェブサイトより [名称] 小室哲哉/アルバムCD【タイトル未定】2010/06/16発売 [記号] AVCG-70075 [発売日] 2010/6/16 [価格] \3,000(税込) ...続きを見る

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2010/05/01 00:55
4-29 TMN終わりの始まり
4-29 TMN終わりの始まり 去る3/18・19日、小室さんのソロライブが行なわれました 咲花林のライブレポによれば、3/18福岡ライブでは熊本ライブのセットリストに、 「Many Classic Moments」「World Groove」「survival dAnce」「Boy Meets Girl」「寒い夜だから…」「Wanderin' Destiny」が追加、 「Time To Count Down」「I'm Proud」「I Believe」「Don't wanna cry」「愛しさとせつなさと心強さと」がカ... ...続きを見る

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2010/03/24 00:17
4-17 月とピアノ
4-17 月とピアノ 1986年の「FANKS」、1988年の「T-Mue-Needs」、 1989年の「FANKS!! '89」、1990年の「リニューアル」など、 新たな活動を始めるたびに、 常にキャッチフレーズを提示してきたTMだったが、 1991年のTMNのコンセプトは「月とピアノ」だった ...続きを見る

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2009/10/12 03:12
4-16 TMN最後の挑戦
4-16 TMN最後の挑戦 半月ぶりの更新になります 9/30には「The Singles 2」がリリースされました 「Time Capsule」で勝手なエディットが加えられていた「Rhythm Red Beat Black version 2.0」は、 今回はちゃんとフルコーラス入っていましたね ...続きを見る

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2009/10/01 21:29
4-6 リニューアル
4-6 リニューアル 今週も話題はないですね つうか、当分あるはずもないんですけど ...続きを見る

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2009/06/17 22:46
第三部完
ということで、第三部がやっと終わりました 年代で言えば、長かった1980年代がついに終わったということになります 途中で(現代の)TMの活動復活と新作発表という予期せぬ事態が起こって、 そのレポートを挟んだりしたため、長引いてしまいました もちろん、嬉しい誤算です(笑 ...続きを見る

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2008/07/23 01:18
3-27 ライター・木根尚登
3-27 ライター・木根尚登 本日、「別冊宝島」の「音楽誌が書かないJポップ批評」シリーズで、 「TMN&小室哲哉 ポップス神話創世」が発売されます(680円) 表紙はこんな感じ↓ ...続きを見る

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2008/05/19 04:34
3-26 俳優・宇都宮隆
3-26 俳優・宇都宮隆 GW中から忙しく、更新の間隔が空いてしまいました(;´Д`) 次回からはちゃんと一週間ペースで更新しますので、お許しを ...続きを見る

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2008/05/10 03:19
3-25 メディアミックス
3-25 メディアミックス SONY Music Shopのサイトより ...続きを見る

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2008/04/29 01:34
3-16 FANKS!! '89
3-16 FANKS!! '89 会報情報によると、 「TM NETWORK -REMASTER-」のC.C.Lemonホール公演二日目、 ウツの右足が重度のネンザになり、 武道館ではサポーターをつけて出てたらしいです 全然分かりませんでした 年なんでしょうかねぇ まあ昔からよく怪我はしてましたけど… ...続きを見る

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2008/02/10 02:13
3-7 YAMAHA関連企画
3-7 YAMAHA関連企画 MySpaceとR&Cのサイトで、 「SPEEDWAY」の中から、 「Action」「Teenage」の試聴が出来るようになりました 小室さんのボーカルが目立っています 特に「Action」は小室メインでは?というくらい ちなみにR&Cサイトの試聴ファイルの数字を変えると、 実は他の曲も聞けたりするんですが、 パシフィコ横浜ライブの最後にかかっていた曲は「You Can Find」でした インストと思ったけど、「作詞:小室哲哉」なので、歌もあるっぽいですね ...続きを見る

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2007/11/19 00:46
3-1 T-Mue-Needs
3-1 T-Mue-Needs TM NETWORKのMySpaceが出来ました 「Welcome Back 2」「N43」を試聴することができます! さらにR&Cのディスコグラフィのページでは、 この二曲に加えて「Memories」も試聴可 ...続きを見る

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2007/10/05 09:02
第二部完
ついに長かった第二部が終わりました 話題が多いだけに、なかなか終わらなくて(汗 ブログをこちらに移したのが第二部を始めた頃だったので、感慨深いです ついでに言えば、 前のブログ(20 Years After -TM NETWORK通史-)が去年の8月に始まったので、 一年を超えたことになります アクセス数も1万行きそう…かな? ...続きを見る

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2007/09/29 00:21
2-35 サポートメンバーの活動 (ハンバーグ&カニクリームコロッケ含む)
2-35 サポートメンバーの活動 (ハンバーグ&カニクリームコロッケ含む)  ニューシングル「Welcome Back 2」の詳細発表!(リンク先に画像あり) YRCN-90003/¥1,260(税込) 2007年10月31日発売 ...続きを見る

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2007/09/29 00:15
2-14 EARTH
2-14 EARTH DJTKのアルバムが、5/23発売のようです 全貌はまだ分かりませんが、J-POPのカバー曲集の模様 ...続きを見る

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2007/04/02 00:22
2-2 The FANKS! ―FUNK, PUNK, FANS,―
2-2 The FANKS! ―FUNK, PUNK, FANS,― 1/5、NHK-FMの「近田春夫×小室哲哉 Double DJ Show 」、 1980年代の音楽史を振り返るという番組でしたが、 半分小室さんの音楽歴語りになってました しかし最近の痛々しい活動の数々の中で、 久しぶりに面白い番組でした ...続きを見る

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2007/01/10 08:51
2-1 My Revolution
2-1 My Revolution あけましておめでとうございます 今年もよろしくお願いします ...続きを見る

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2007/01/04 10:43
第一部完
てなことで、やっと第一部が終わりました 旧ブログの記事を移して来るだけなんですが、 改行も含め文章を微調整したり書き加えたり、 カテゴリーごとに色をつけたりしてたら、 (アルバム名・曲名・ライブタイトルで同名のものがややこしいので) 結構時間かかります 本当はさっさと旧記事を移転してしまおうと思ったのですが、 年内は序章・第一部を移すだけで精一杯でした ...続きを見る

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2006/12/31 01:49
1-14 Timemachine Cafe
1-14 Timemachine Cafe TM NETWORKのファンクラブTimemachine Caf&eacute;は、 1984/9/1に設立された 「1974」の部分的ヒットによって、 ファンを組織することが可能になったのであろう この頃に開催が決定した「Electric Prophet」の動員とも関わるのかもしれない ...続きを見る

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2006/12/11 02:15
1-2 TM NETWORKデビューに向けて
1-2 TM NETWORKデビューに向けて 1983年9月、EPIC/SONYと正式に契約したTMの3人は、 以後1984年4月のデビューまでの約半年間、 アルバムの音作りに加え、デビュー後の方針が固められていった とにかくコンセプトから入るのがTMである デビューの時も、特徴的な方針が採用されることになった ...続きを見る

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2006/11/26 03:30
0-7 小室・木根・ウツその後
1981年から1983年の間、木根・ウツはSPEEDWAY、 小室も自らの音楽活動を行ないながら、作曲・演奏の仕事をこなしていた 特に小室の仕事に関しては、現在でもある程度追うことができる ...続きを見る

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2006/11/24 01:38
0-6 小室脱退後のSPEEDWAY
小室哲哉はSPEEDWAYに加入して、 楽曲制作で大きな役割を果たしただけでなく、 様々な企画を考えるアイデアマンとしても活躍した ...続きを見る

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2006/11/24 01:24
0-3 小室哲哉と音楽の出会い
小室哲哉の音楽歴は長い もっとも専門家の訓練を受けたのは、 子供の頃に習ったバイオリンとエレクトーンくらいで、 あとはピアノもキーボードも作曲も、すべて独学によるものである だがむしろ独学だからこそ、独特な音楽センスが醸成されたともいえよう ...続きを見る

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2006/11/24 00:49
0-2 SPEEDWAYデビュー & The Esther
1979年、木根・ウツたちはSPEEDWAYとして、 東芝EMIからプロデビューを果たした 東芝の新人スカウトから声をかけられたことがきっかけだったという バンド名の由来は、映画「スター誕生」に登場するバンドの名前だという ...続きを見る

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2006/11/24 00:28
0-1 木根・ウツと音楽の出会い
今更いうまでもないが、TM NETWORKは3人のメンバーで構成されている ...続きを見る

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2006/11/24 00:07
ブログ開設
fruitsブログで8月から、 「20 Years After -TM NETWORK通史-」というブログをやっていたのですが、 最近調子がおかしいので、ブログが消えない内に移転することにしました ただ手軽にブログを移転する方法が分からないので、完全に手作業になります なので、これから日を追って、 少しずつfruitsブログで書いてきた内容をアップしていこうと思います ...続きを見る

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2006/11/20 00:28

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