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みんなの「TV・ラジオ」ブログ


7-15 小室哲哉の覚醒

2019/05/18 04:07
5/17、東京・大阪で、
「TMN final live LAST GROOVE 1994」のライブハウス上映会が行なわれました
私は行っていませんが、上映開始前の東京会場では、
石坂健一郎さん・川崎幹雄さん・藤井徹貫さんによるトークが行なわれました
多分こちらのレポートは、後日公式に発表されることでしょう


石坂さんはウツのメッセージを朗読しました
この様子は大阪でも中継されたはずです
メッセージ朗読シーンは、ネットに動画が投稿されていました

会場にお集まりの皆さん、35周年を盛り上げてくれて、ありがとうございます。
今日会場にはうかがえませんが、皆さんの応援に改めて深く感謝しています。
僕たち3人も年齢を重ねてきましたが、奇跡的にみんな元気にやっています。
この先は自然の流れに任せつつ、音楽活動ができたらなと思っています。
25年前のLAST GROOVE、最後までゆっくり楽しんでいってください。本日はご来場ありがとうございます。
令和元年5月17日、宇都宮隆


また今回の上映会に先駆けて、
ネットには4/21の上映会の関連動画レポートインタビューなどが出ました
最後の木根さんインタビューには、思い出話も色々と語られています


「アルバム『EXPO』で総括して。「じゃ、とりあえず一回休もう」って、てっちゃんに言われたんだけど」
というところなどは、
小室さんの提案がどういうニュアンスだったのか気になるところですが、
考えてみれば活動休止の時の話が語られるのて珍しいですよね
あと「STARCAMP TOKYO」について、
「つっこみどころ満載だよね(笑)」てのは、なかなか率直な感想です(笑)


今回の上映会と、5/22の「TM NETWORK THE VIDEOS」を以て、
TM35周年関連の企画は多分終わると思います
まあ企画といっても、完全にSONYの過去作品の再販活動だったんですけど、
振り返ってみると、何もないよりはよかったんだろうなと思います


ウツは「それゆけ!歌謡曲〜ギア4 one〜」を来月まで開催しています
また木根さんは、6/22から8/12まで約2カ月、
「NAOTO KINE 2626ツアー」開催します
(なおまだ公演は増える可能性があるとのこと)
去年の「2525ツアー」を受けたネーミングですが、今後も数字を増やしていくんでしょうか
チケットの一般発売はTMのBOXリリース日の5/22です
て、一般発売も何も、FCなくなったから、チケットは全部一般なんですよね多分


では本題に入ります
いよいよ今回から、TM20周年の本編に入ります
今回は客観的な事実の整理と言うよりは、
私の推測・解釈がかなり入っていますので、異論をお待ちしております

-------------------------------
2003/12/30のことである
TM NETWORKは3年ぶりに、音楽番組に生出演を果たした
特番「ザ・ベストテン2003」である
この特番は「ザ・ベストテン」放送当時の名曲を歌うというもので、
2000〜04年の間、毎年年末に放送されていたが、
この時はTMの「Get Wild」が8位となった


ランキングが発表されると、
3人は80年代と同じセットから、スタジオに登場する
3人ともスーツ姿である
小室は何を勘違いしたか、登場するなりカメラに投げキスである


ちゅ


この時司会の黒柳徹子は、
小室に対しては1年前の結婚式やKEIKOの話を振るなど、
それなりの時間を取ったのだが、
ウツに対しては「しばらくでございましたね」と話しかけ、
ウツが「4年ぶりくらいですかね」と返事すると、
「そんなに何十年も前てわけでもないですかね」と言って早々に話を切り上げ、
さらに木根に至っては、
「じゃあ木根様、どーも、しばくらぶりです」
→木根「お久しぶりです」→黒柳「どーも、どーも」
で終わりという、なんともおざなりな対応だった
小室とのトークに時間を使いすぎて時間がなくなったのだろうか


なおこの時、黒柳が小室に、
「(KEIKOは)お仕事も一緒だから、家庭生活どっぷりというわけでもないですかね?」
と質問したところ、小室が「どっぷりです」と答えたのは、
この後で述べる当時の小室の状況を考えると、
必ずしも笑えないところがある


小室は黒柳の「Get Wild & Tough」「Get Chance & Luck」「TM NETWORK」の声を事前に録音し、
演奏の時にサンプリングして使用した
1989年に「夜のヒットスタジオDX」で披露した演出で、
その頃のパフォーマンスを知っていた番組スタッフが企画したものだろう


イントロでは黒柳の「Get Wild & Tough」が使われ、
間奏では黒柳声で「GeGeGeGe」が流れた
ただ正直、黒柳の声と曲はまったく合っていない
また演奏は、サンプリングボイス以外はカラオケと思われる
全体としてあまり見るべきところのないパフォーマンスだったが、
短くなった間奏を除きほぼフルコーラスだったのは、
21世紀のTV出演では珍しい例である


なおTMはパフォーマンス後、
番組が終わるまでスタジオのソファーに座り、
7位以後の歌手のコメントや歌も見ていた
その一人に「タイム・トラベル」を歌った原田真二もいたが、
ウツはこの時に原田と初めて話をした
これが、次のソロアルバムのプロデュースを原田に依頼する前提となる


さて、この日はTM NETWORK 20周年において重要な日だった
3人はこの日を年内の仕事納めとし、
年明けからレコーディングに入る予定だったのだが、
よりによって小室がこの日になってメンバーとスタッフに、
翌年の仕事の内容の変更を提案したのである


それは、次のシングルに自分の新曲を1曲入れたいというもので、
すでに曲は制作中だとも告白された
この提案にスタッフは大いに困惑し、
スケジュール調整などに奔走したという
今からで間に合うのかという不安もあったらしい


結局小室のこの提案は通り、
新曲はシングル「NETWORK™」の1曲目として収録されることになった
これがTM20周年を代表する曲になった「Screen of Life」である
この件は、私はTM20周年にとって大きな出来事だったと考えている
それは「Screen of Life」という1曲が生まれただけでなく、
20周年のプラン自体もこの時に変化したと考えているからである


そもそも小室の新曲制作が新提案だったということは、
2004年のTMは小室の新曲がないままで活動を行なう予定だったはずである
だが一方でレコーディングは計画されていた
それは後で述べる様に、過去曲のリミックスだったと考えられる
関係者は年末にも、その前提で動いていたのだろう


ところが小室はレコーディングの日程が目前に迫り音作りを始めた中で、
新曲を作る手応えをつかんできたのだと考えられる
以下ではしばらく、この件を考察したい


TMはこれ以前、クリスマス前に、
メンバーのFC会員向けのダイレクトメールで、
2004年の20周年関連企画を発表していた
2/25のシングルリリース、3月末のアルバムリリース、
「Fan Event in Naeba」のライブDVDの限定販売、
TMデビュー20周年記念日4/21の横浜アリーナライブである


この時に告知されたシングルの情報では、
表題は「Take it to the lucky〜金曜日のライオン〜」とされ、
カップリングとして木根の新曲も入るとされていた
前者はTMデビュー曲「金曜日のライオン」のトランスミックスで、
「Fan Event in Naeba」で披露されていたものである
「ザ・ベストテン2003」でも、
「金曜日のライオン」セルフカバーと横浜アリーナライブの予定が告知されている
木根曲の曲名はこの時点では決まっていなかったが、
後に「風のない十字路」と名付けられた


「Take it to the lucky」は、
2003/11/10〜13にレコーディングが行なわれており、
木根による「風のない十字路」のデモテープも、
その時点ですでにできていた


だがなぜか「風のない十字路」のレコーディングは年内には行なわれず、
両曲の商品化も翌年2月末まで待つこととなった
おそらく3月のアルバムリリースと連動させることで、
ファンの関心をアルバムにつなげることを意識した日程だろう
そしてここで改めて注意したいのは、
この時点でシングルに小室の新曲が入る予定がなかったことである


一般に先行シングルは、アルバムの顔となる曲を入れるものであり、
TMの場合それは当然、小室の新曲である
ところがこの時はそれが予定されていなかった
こんな不可解な例は、これまでほとんどない


唯一の例として挙げられるのは、
1989年に「Get Wild '89」をはじめとする3枚のリプロダクションシングルが出されたことくらいである
そしてこの時に出されたアルバムは、
海外プロデューサーによるTM楽曲のリプロダクション作品集「Dress」だった
つまりリプロダクションアルバム(要するにリミックス版)を出すから、
その音の紹介としてリミックス音源を数曲先行発表したのである


だとすれば、2004年にリミックス曲が先行シングルとされたのは、
その後のアルバムもリミックスアルバムが想定されていたためではないかと思えてくる
私はこの時点では、小室の新曲はアルバムに入らないことになっていたと考えている
インストやSEくらいはあったかもしれないが、
少なくとも歌入りの新曲は想定されていなかったのではないか


逆にもしも新曲の収録が想定されていたのならば、
ファンへのアピールのためにも先行シングルに選ぶのが普通だろう
たとえば1992年リリースの提供楽曲セルフカバーアルバム「Hit Factory」には、
新曲として歌入り2曲とインスト1曲も含まれていたが、
先行シングルとしてはその中から「Magic」が選ばれている
また1999年のglobeリミックスアルバム「first reproducts」の先行シングルとしても、
1曲だけ収録された新曲「Miss Your Body」が選ばれている


だとすれば年末に小室が新曲を入れたいと発言したのは、
シングルに1曲を加えるだけという話ではなくなる
それはアルバムにも新曲を入れたい、
少なくとも単なるリミックス盤ではないものにしたい、
という主張だったことになる
実際に年明けに作られた20周年記念アルバム「NETWORK〜Easy Listening〜」は、
オリジナル曲とリミックス曲双方を含む独特な形態となった


リミックスアルバム計画という想定は、必ずしも突飛な発想ではない
そもそもTMは2002年秋、
リミックスアルバムで吉本での活動を始動させる予定だった
TMの本格始動自体がうやむやになり、この計画は語られなくなったが、
20周年を目前としてようやく活動を始めるという時点で、
リミックスアルバム計画が復活したことは十分にあり得るだろう


逆に当初からオリジナルアルバムが計画されていたのならば、
理解しがたい点がある
「Easy Listening」の制作期間の短さである


「Easy Listening」のレコーディングは、
11月にレコーディング済みだった「Take it to the lucky」を除くと、
2004/1/6から始まった
まずはシングル用の「Screen of Life」「風のない十字路」の制作から始まり、
これらが1月半ばに完成すると、
以後はアルバム用楽曲の制作に移った
木根によれば、完成はバレンタインデー直前(2/13頃?)だったという


この「完成」がどの段階を指すのかははっきりしないが、
アルバムリリース日3/24まではまだ余裕がある
おそらくバレンタイン直前とは小室の音源制作が終わった段階であり、
この後に1週間程度でトラックダウンが行なわれたものだろう


トラックダウンはロンドンのDave Fordが行なった
元PWL所属のミキサーで、
プロデューサー期以来小室の作品を多く手掛けてきた人物だが、
TMに関わったのは本アルバムが初めてである
アルバム制作は2/13頃に小室の手を離れ(木根の言う「完成」)、
その後アメリカで最終的な音源が完成したものと考えたい


以上のスケジュールを見ると、
シングル・アルバムは一連の作業の中で制作されており、
その期間は1カ月半程度である
このスケジュールはオリジナルアルバム制作期間としてはかなり短い
比較のため、これまでのオリジナルアルバムについて、
トラックダウンまで含む制作期間を以下にまとめておこう

「Rainbow Rainbow」:4ヶ月(1983/10〜1984/2)
「Childhood's End」:5ヶ月(1984/12〜1985/4)
「Gorilla」:2ヶ月(1986/2〜4)
「Self Control」:3ヶ月(1986/9〜12)
「humansystem」:2ヶ月(1987/7〜9)
「CAROL」:3ヶ月(1988/6末〜8初、1988/8末〜10初)
「Rhythm Red」:3ヶ月(1990/5〜8)
「EXPO」:3ヶ月(1991/3〜6)
「Major Turn-Round」:3ヶ月(2000/8〜11)


「Easy Listening」のレコーディング期間の短さは、
制作が順調に進んで早く終わったため、というわけではあるまい
年度内(3月まで)のシングル・アルバムリリースは、
R&Cとの契約での必須条件だったはずであり、
そのためにはレコーディング全行程は2月に終わる必要があった
それにもかかわらずレコーディングは年明けに始まったのだから、
もともと1カ月半程度で制作することが想定されていたと考えざるを得ない


TKプロデュース全盛期、1か月でアルバムを作った話などはよく語られるが、
2003年頃の小室が楽曲制作ペースの谷底期にあったことも考えれば、
オリジナルアルバムの制作スケジュールとしては、あまりにも危険である
この点からも当初予定されていたのは、
リミックスアルバムの制作だったと見るのが自然ではないか


実際に作られたアルバム「NETWORK〜Easy Listening〜」は、
10曲中3曲が「終了」以前の楽曲のトランスミックスとなっている
また最後の3曲はインストや準SE的な曲になっているが、
小室はこれについて、音はこだわって作っていると断りながら、
分数(収録時間)や曲数の数合わせの意味もあったと白状している
そのため本作をオリジナルアルバムとして数えるのは不適当だという批判も、
しばしば見られるところである


この批判はたしかにもっともなところもある
だが1カ月半の日程が本来リミックスアルバム用の制作スケジュールだったのならば、
それを限られた時間の中で可能なだけオリジナル盤に近づけようと尽力した結果ともいえる
実際に本作制作中の小室は、寝るかレコーディングしているかの日々だったといい、
小室は久々にスイッチの入った状態になっていたようである


以上のように想定した場合、
アルバム制作の方針はレコーディング開始の1週間前になって変更されたことになる
その場合もっとも変更が困難なのは、外注していた作業である
具体的には、Dave Fordの担当分が挙げられる


Daveはミキサーとしてトラックダウンを行なった以外に、
2002年のシングル「Castle in the Clouds」「君がいる朝」と、
木根の新曲「風のない十字路」について、
Additional Productionを行なっている
また「君がいる朝」「風のない十字路」については、
Ian CurnowもAdditional Productionに参加している


この3曲は原曲から大きくアレンジが変更されているが、
他の7曲と比べても明らかに異色の音である
小室もこの3曲についてこれまでコメントしたことがなく、
DaveとIanは「Additional」などではなく、実質的なリミックス作業を担当したと考えられる
2004年に入ってからこのような仕事の依頼ができるはずがなく、
2003年中には依頼されていたはずである


ならば当初計画されていたリミックスアルバムとは、
Dave・Ianが新曲3曲をリミックスし、
小室が「Take it to the lucky」をはじめとする過去曲のリミックスを担当するという構想だった可能性が高い


以上のように私は、TM20周年記念アルバムが2003年年末になって、
リミックスアルバムから(準)オリジナルアルバムに変更されたと推測している
この急な方針転換が混乱を生みながらも受け入れられたのは、
ウツ・木根やスタッフも、
新作としてはオリジナルアルバムが望ましいと考えていたからに違いない


ならばなぜ2003年には、リミックス盤でお茶を濁そうとしたのか
11/10〜13頃にシングル表題曲として「Take it to the lucky」がレコーディングされた時点で、
20周年はリミックス中心で行くのが基本方針だった可能性は高い
ただ私は、これ以前には別の方針が想定されていた可能性も考えている
以下、シングルの制作計画について整理してみよう


TMはすでに7月の時点で、
秋のシングルリリースと翌年のアルバムリリースを宣言していた
globeの東京ドームライブが中止になった後、
「Fan Event in Naeba」の開催が内定した5・6月頃、
新譜のレコーディングについても打ち合わせが行なわれたのだろう


「秋」のシングルリリースはもっとも遅くて11月としても、
10月中にはレコーディングを終える必要がある
9/5〜7には「Fan Event in Naeba」が開催されたから、
それから2ヶ月以内に制作しなくてはならないことになる


だが3人とも「Fan Event in Naeba」の直後は、しばらくソロ活動を行なった
具体的に確認すると、小室はイベント直後から、
KEIKOのソロシングルのレコーディングに入った
木根はソロミニアルバム「Ci è la musica due」の制作に入り、
9/24からはソロツアー「talk & live 番外編 vol.3」の後半の公演を始めた
ウツも9/15から「Tour wantok」のリハーサルを始めた


ウツによれば、「Tour wantok」中(9/20〜10/26)に、
TMのレコーディングが入る可能性があったという
たしかにその期間にレコーディングしないと、
秋(9〜11月)のシングルリリースは無理である
木根は実際に9月頃、TMの曲も作っていた
シングルに収録された「風のない十字路」と考えられる


小室はKEIKOのソロシングル以外、年内に仕事があった形跡がない
おそらく小室はKEIKOのシングル制作後、
9月下旬から10月にかけてTMシングル曲の制作に入る予定であり、
木根もそのための曲を準備していた
小室が音源を完成させたらウツの歌入れを行ない、
それを先行シングルとするという予定だったのだろう
ところが実際には10月が終わっても、
TMのレコーディングは行なわれなかった


木根は10/21シングルについて、
小室と打ち合わせを行なっている
その具体的な内容は不明だが、
この時点でレコーディングが行なわれていなかった以上、
秋のシングルリリースは不可能である
この日の2人はシングルリリース延期の確認と、
それを踏まえた20周年企画の見直しを行なったのだろう
11/10〜13の「Take it to the lucky」レコーディングは、
おそらくこの打ち合わせを経て決定したものである


レコーディングが11月までずれ込んだのは、
楽曲制作担当の小室の都合によるものだったと考えられる
この間、ウツも木根も予定通りにツアーをこなしていたし、
木根は自分の担当する曲を作っていた
問題は小室にあったと見られる


これは小室のスランプ状態が原因である可能性が高い
少なくとも2003年後半の小室が、
これ以前と比べて小室が多忙だったとは考えがたく、
単発のイベント出演とKEIKOのシングルを除き、
ほとんど仕事をしていない
しかもそのシングルも、1曲は夏に発表済、
2曲は小室ソロ曲・TM曲のリメイクであり、
実質的な新曲は「Humanrace」1曲である


小室は後に、KEIKOと結婚してからの約1年、
つまり2003年頃は創作意欲を失っていたと、自ら告白している
2003年3月に前妻吉田麻美への慰謝料支払いが滞ったことを考えると、
すでに経営・資金繰りで奔走する時期に入っていたと見られ、
それが楽曲制作にも関わっているのかもしれない


そのような中でレコーディングされた「Take it to the lucky」は、
「Fan Event in Naeba」で披露したライブ用トラックを手直ししたものだった
もしもこれが当初からシングル表題曲として想定されていたのならば、
音源の準備にそれほど手間取るとは考えがたく、
秋のシングルリリースの予定が延期されることもなかっただろう
おそらく小室が新曲を作れない状態だったことを踏まえ、
代替措置としてライブテイクをシングルにすることにしたものと考えられる


そう考えると、打ち合わせが行なわれた10/21は、
本来はシングルのレコーディング予定日だったとも考えられる
木根は10/17にソロツアー「talk & live 番外編 vol.3」を終えており、
ウツのソロツアー「Tour wantok」も、
10/19の名古屋公演の後は10/25Zepp Tokyo公演まで空いていた


ウツが名古屋から移動した後、休憩日を1日設けた上で、
21〜24日にレコーディングを行なうというのが当初の計画と考えれば理解しやすい
それならばウツのツアー中にレコーディングが予定されていたという話も、
整合的に理解することができる


しかし肝心の小室は曲を作ることができず、
シングルにはライブ用のトラックを使うことにした
この時点でメンバー・スタッフは、
小室の新曲を中心としたオリジナルアルバムの制作は困難と判断しただろう
しかし吉本との契約上、
アルバムは年度内にリリースしなくてはいけない
そこでかつてのリミックスアルバム計画を復活させ、
20周年はこれでお茶を濁すという方針が決まったものと推測する


仮にこのような事態があったとすれば、
これをもっとも不本意と感じたのは、当の小室自身だったはずだ
小室はその後も悩みあがき、そしてついに手応えを得た


この時点で新曲を入れたいとあらためて訴えたのが、
冒頭に触れた年末の小室の発言だったのだと思う
そしてその間の葛藤を生の言葉で表現したのが、
次章で触れる「Screen of Life」の歌詞だったのだろう


20周年を記念する作品として、
「Easy Listening」が満足の行く内容だとは、私も思わない
過去曲のリミックスと新曲を両方入れるならば、
「20」周年にちなんで新曲10曲+リミックス10曲の20曲2枚組くらい出してほしいとも、
当時は感じたものである


だがこの頃創作意欲が減退していたと告白する小室の状態を考えれば、
これでも最善の結果だったと考えるべきなのかもしれない
ともかくも年が明けてから小室がレコーディングを始めたことは、
メンバーやスタッフを安心させたようだ
ウツの2月初め頃のインタビューはそれを示していよう

ちゃんとリーダーがやってくれてる感じが嬉しいね。MCでいろいろしゃべる立場としてはさ、心のどこかで正直ちょっぴり不安があるから。いつもやるのかやらないのか、いや、やるのははっきりしてるんだけど、それがいつになるのかってね。みんなに話したくても話せない、はっきり言えないできた部分があるからさ。それが、どうやらちゃんとできそうなんで。


一方で20周年遂行のために奔走していた木根は、
苦しむ小室を見ながら、心苦しくも感じていたように思う
それを思わせるのが、「風のない十字路」の歌詞である
この曲については、本来次章で触れるべきところだが、
歌詞については先回りしてここで触れておきたい


本作は「We Are Starting Over」「君がいる朝」と続け、
木根が3部作の最後として作ったものだった
11月のレコーディング時、
木根がこの曲のデモテープを小室に聞かせたところ、
小室は自分が作詞することを提案したが、
結果的には3部作なら前2作を作詞した小室みつ子に依頼した方が良いということになったという


これを踏まえて木根はみつ子に作詞を依頼した
レコーディングは2004/1/6から始まったから、
11〜12月に依頼したことになる
avex期以前では、これが最後のみつ子作詞のTM曲となる
なおみつ子は「風が吹いたら」の部分などで、
コーラスにも参加している


3部作のテーマは、それぞれ男女の出会い・日常・別れだった
つまり「風のない十字路」は、それまで一緒にいた男女の別れの歌である
イメージとしては、3曲とも同じ二人を描いているのだろう


「新・電気じかけの予言者たち」によれば、木根の本作のイメージは、
お互いを尊重しつつ別々の道を行くと言うものだった
実際に歌詞はそのような内容になっており、
木根が伝えたイメージに沿って書かれたと見て良い


歌詞を詳しく見ると、曲名の「風のない十字路」とは、
事態が停滞して動かない現状を表現したものであることが分かる
歌詞の主人公はこの十字路に立って思い出を振り返っている


歌詞には「たくさんの「はじめて」と交差してた終わり」とあるが、
これはパートナーと一緒に過ごしてきた日々が、
すでに終わったものになっていることを意味している
2人の関係は過去のものであり、新しい思い出はもう生まれない
そのような中で二人を取り巻く事態がすでに変化しつつあることは、
「きのうが流れ出」していると歌われていることから分かる


「君が選ばなかった毎日を今も過ごしている」
「僕は僕らしいままで今もここにいる」
というフレーズに見るように、
主人公の男性は過去にとらわれて、十字路から動き出せていない
しかし自分が留まることは相手の未来も縛ることになると考えたものか、
主人公はついに「風が吹いたら」、つまりきっかけができたら、
「ホントの自由を君に返すために」「別なあしたを歩き始めよう」
と決意するというのが、歌詞全体の流れである


みつ子はこの曲の歌詞の内容を以下のように要約している

別れではあるけれど、前向きな別れ。離れた相手のことをいつまでも想う限り、相手をどこかで引き止めてしまう。本当の意味で互いに自由を与え合うには、それぞれの道を歩もうと歩きださなくちゃというような気持ち。


木根はみつ子にこの曲の作詞を依頼する際に、
The Beatlesの「My Long and Winding Road」(のような歌詞)にしてくれと注文した
歌詞の冒頭が「曲がりくねった道(=winding road)」と始まるのは、
この注文を踏まえたものだろう


木根はこの注文につき、
「この言い方で、みっこちゃんなら僕の心情を理解してくれると思った」と、
簡略ながら意味深な書き方をしている
当時の木根とみつ子の間では共有されていた思いがあり、
木根はそれを前提として作詞を依頼したのだと思う


またみつ子によれば、木根は作詞の依頼をした時、
「ファンに期待をさせるようなものにはしたくない」
という趣旨のことを告げてきた
木根はすでに、TMがファンの期待に応え続けることに限界を感じていたことになる
この時みつ子も、苦悩も含めた木根の気持ちを感じ取ったという


要するにこの曲の歌詞は、みつ子が完全な創作として作ったものではなく、
関係者として知っていた木根の気持ちを踏まえて作ったものだった
そしてその気持ちとは、TMの限界を自覚したことに基づくものである
以上を踏まえて、この曲で歌われる男女の「別れ」を読み解けば、
それはTMとファンの別れ、もしくはTMメンバーの別れの象徴的表現ということになると思う


そもそも歌詞のモデルとされた「My Long and Winding Road」は、
最後までたどりつけない道を歩き続けることの苦しみを歌ったもので、
内部の関係が微妙になっていた時期のThe Beatlesのラストシングルでもある


木根があえてこの曲をモデルに持ってきたのは、
自らもTMの活動の難航に苦しんでいることを踏まえているのであり、
さらにいえば今回が最後の活動になる可能性も意識していたのだと思う
ならば別れを告げる相手として想定されているのは、
まず第一には小室哲哉であるに違いない


なお別の曲の話だが、木根は2004/2/24のインタビューで、
「君がいる朝」について、連れ添って一緒にいる感じとした上で、
メンバー3人がオーバーラップする歌詞だと言っている
これは木根が自分の曲の歌詞をTMメンバーの関係になぞらえる発想があったことを示しており、
「風のない十字路」にも同様の発想があったと見ることは困難ではない


ならば木根が「風のない十字路」に込めた気持ちとは、
長い間小室とはTMとして一緒に活動してきたけれど、
今回の活動が終わったら自由になって欲しい、ということだとも考えられる


そのように考えてよいならば、
この歌詞が依頼された2003年11〜12月頃、
木根は苦しむ小室にTMの活動を強いることを、
束縛とすら感じていたのではないか
その上で20周年の仕事が終わったら、
小室を解放してあげたいとすら思っていたのではないか


一曲の歌詞からどこまで読み取ってよいのか危いところもあるが、
もしもこのような読解が可能ならば、
20周年は実に危機的な状況下で遂行されたのだともいえる


だがその本格始動の直前も直前になって、
年末に小室は覚醒した
その覚醒は、十全な活動を実現するにはすでに遅きに失したものではあった
しかし一時期メンバーですら悲観しきっていた20周年の活動は、
ここから時間の限りの挽回へと向かっていくことになる


その挽回がどの程度達成できたのかは人によって評価が異なるだろうが、
私は20周年を形としてまとめるくらいには挽回できたと考えている
それは小室のあがきの結果でもあり、
木根やスタッフの忍耐が可能にしたものでもあった


次章以降は、2004年に行なわれた20周年の活動について、
具体的に触れて行こうと思う


NETWORK TM
R and C Ltd.
2004-02-25
TM NETWORK
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記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 21 / トラックバック 0 / コメント 7


6-29 Rendez-vous in Space Okinawa & メディア出演

2015/09/17 22:12
9/10、BD/DVD「30th Final」のリリースが発表されました
リリース日は11/25です
youtubeなどには「Rhythm Red Beat Black」サンプル動画がアップされています


商品は今回もDVD、BD通常版、BD豪華版の3種類がリリースされます
正直、「30th Final」の商品化は確定していたので、
気にしていたのは豪華版の特典でした
「COUNTDOWN JAPAN」のライブ映像か、
WOWOWで流れた小室さんのインタビューの完全版か、
それともavexががんばってくれれば、
TM再始動の契機となった「All That Love」の映像も…


などと、色々と期待していたのですが、
結果は4/17「TM NETWORKのオールナイトニッポン」の映像とのことです …しょんぼり
これなら、正直数千円上積みして豪華版を買う必要はないかなあ
つうか、ラジオ収録風景のBDなんて、商品化する価値が認められているんですね
それ自体が驚きです
AKBとかジャニーズとかのトークシーンなら、ファンにとっては価値があるでしょうけど、
還暦前のおっさんのトークの風景を商品化するか…?


メインのライブ映像は、
2015/3/22横浜アリーナ公演2日目のフル収録です
TM30th最後のライブということになります
内容は周知の通り、
既商品化の「Quit30 Huge Data」の修正版というべきものです
私は買いますけど、正直前作ほどの需要はないでしょう
だからこそ豪勢な特典を期待していたんですけどねえ
最後の期待はmumoの予約特典ですが、
ここ最近の先例を見るに、期待はできないと思います


などなど、色々と不満もありますが、
ともかくこれを以てTM30周年は、後始末も含めてすべて終わります
寂しいところもありますが、
2016年からは次の活動を待つ日々ということになるでしょう


ソロ活動についても整理しておきましょう
9/16リリースのtofubeats「POSITIVE」には、
「Throw your laptop on the fire feat. 小室哲哉」が収録されました
試聴音源はSOUNDCLOUDで聞くことができます
なかなか攻撃的なナンバーに仕上がっていて、カッコいいですね
またglobeのトリビュートアルバムリリースは11/11に決定したそうです


小室さんのクリスマスディナーショーは、
12/23の名古屋公演に続き、
12/18東京、12/24福岡、12/25大阪でも開催するとの情報が出ております
上海コンサートとクリスマスディナーショー、
葛城哲哉さんがサポートらしく
ピアノ一本と言うわけではないのでしょうか


10/10にはMarc Pantherと一緒に、
那覇うみそら公演のフェス「LIVE on the BEACH Opening Special-version.00- IN OKINAWA」に出演するそうです
優先エリア以外は入場料無料とのこと
無料の沖縄ライブ…
うーん、今回のブログ記事とリンクしていますねえ


翌日10/11には大阪ATCホールの「Music Circus '15」
京都のKITSUNEをはしごするようです
ちょっと無理し過ぎじゃないですか? 大丈夫?
9/12には風邪引いて、
「まずい、まると点々がボヤけてきた」とか言ってますし、
過労気味な気がします
「TMからglobeの中休みが欲しかったね〜。今から思うと。」とかも言っていますし


小室さんのメディア出演では、
9/23「Music Station ウルトラFES」と、
9/30「のどじまんTHEワールド」が、
現時点で告知されています


木根さんは9/11に「ダウンタウンなうSP」に出演しました
また動画サイト「ワザール」では、
9/7から作詞・作曲講座を開講しました
私はよく分かっていませんが、受講料を払うと、
木根さんの講義動画にアクセスできるみたいです
まあこの記事書いている時点で、あと数時間(9/18深夜)で終わるんですが


現時点(9/17夜)で、「視聴者数」は「6」となっています
これはもしかして、受講料払って動画を見た人が6人ということでしょうか…
受講料が途中で19800円から9800円にディスカウントされたのを見るに、
いずれにしろ受講者は期待したほどはいなかったんだと思います
一応プログラムを挙げると、合計約4時間で、以下のようになっています

・イントロトーク1 (22:05)
・木根さん楽器を始めたきっかけ・ギターの選び方 (18:10)
・TM NETWORK誕生秘話 (10:11)
・作曲の基礎知識・決め事・ルール@ (18:36)
・作曲の基礎知識・決め事・ルールA (14:14)
・チューニング(ギターの音合わせ) (03:52)
・3コード作曲 実践編@ CFG (21:49)
・3コード作曲 実践編A CFG (15:09)
・3コード作曲 実践編B CFG (08:56)
・3コード作曲 実践編C CFG (22:06)
・5コード作曲編@C・F・G・Em・Am (17:55)
・5コード作曲編AC・F・G・Em・Am (18:19)
・ギター作詞実践講座@ 歌あり (22:07)
・ギター作詞実践講座A 歌あり (18:12)
・木根さん作曲お披露目 (03:10)
・生徒役石原さんお披露目 (02:27)
・ギター石原さんTake2 (02:25)


*9/18深夜で終わったのは9800円ディスカウント期間だったようで、受講自体は現在も可能です! 誤認失礼しました(9/30追記)



ウツはようやく本格的に動き出しました
9/18U_WAVEの新曲「connect」をiTunesとApple musicで配信し、
9/26には3rdアルバム「U_WAVE 3」リリースします


9/26というのはツアー「Fifth Element」初回公演の日です
このアルバムのCD版は当初はツアー会場限定での販売になるそうです
そのうちにmagneticaサイト内で通販などするようになるのでしょうか
また、日程は未定ですが、
iTunes/mora/music.jpなどでも配信の予定があるそうです


ただアルバムとはいえ収録曲は7つで(他に1曲リミックスも入れた8音源)、
その内2曲は先行配信曲「No Limit」「connect」
3曲は2013年のツアー「フォースアタック」のパンフレット附録CD収録曲なので、
このアルバムでしか聞けない曲は「Dear Mr.pride」「True Blue」の2曲だけです
(私はウツ関係詳しくないので、この2曲も既発表でしたら誤認すみません)
まあ、この機会にまとめておこうと言うことでしょうね


では本題に入ります
今回から数回は「Major Turn-Round」周辺のおまけ話をやって、
第6部を終えるつもりです

----------------------------
TM NETWORKのメディア出演は、
少なくとも楽曲演奏を伴うものについては、
1999年の再結成以後ほとんどなかった
これは多くにファンにとって、
極めて不満な点だっただろう


TM出演の例を振り返れば、
「哲にいさん」「コムロ式」など深夜のTK広報番組にはよく出演したが、
ほとんどはトークや楽曲制作の裏側などだった
「Yes To Life Festival」や1999年年末ライブが放映されたこともあるが、
それらは断片的なもので、到底ファンが満足できるものではない


1999年にテレビに出演してスタジオで演奏をした唯一の例は、
1999/9/25「夜もヒッパレ」「Get Wild Decade Run」「Be Together(鈴木あみバージョン)」という、
笑うに笑えない状況である


しかも2000年にTMが活動を停止すると、
この程度の出演すら跡を絶ち、
2000/9/15「コムロ式その後…」で、
「Log-on to 21st Century」のダイジェスト映像が放映されたのを除き、
11月までテレビ出演はまったくなくなったのである


2000年のTMは以前述べたように
年始の小室とSONY経営陣との対立に伴う混乱を経て、
ROJAMが落ち着くまで休止状態になっていた
ROJAM期TMが初めて動いたのは、
2000/7/27「Log-on to 21st Century」だった


この後小室はすぐにアメリカに渡って、
以後スタジオで「Major Turn-Round」レコーディングを含む仕事に専念する
アメリカの永住権を取得した小室は、
その保持のために1年の半分アメリカに滞在する必要があり、
日本のステージやメディアに出演する必要がない時期には、
アメリカで仕事を行なわざるをえなかったのである


「Major Turn-Round」レコーディングは11月中旬に終わる
小室はすぐに日本に帰り、ツアー直前までリハーサルの日々となった
このように見れば、TM3人が揃ってメディアに出演できたのは、
2000/12/5「Tour Major Turn-Round」開始以後しかありえなかった


ただし小室は12/1、ウツ・木根が毎年出演していた「Act Against Aids」に出演しており、
1993年の第一回以来7年ぶりに、同イベントでの3人の出演が実現した
1993年には小室・ウツ・木根名義でTMN名義は用いられなかったので、
厳密には2000年が初のTMでの同イベント出演となる
その様子はその後TVでも放映された(曲は「Be Together」


その後は「Tour Major Turn-Round」12/15福岡公演の後に「M-Voice」
12/19広島公演の翌日に「壷」の収録を行なっている
それぞれ2000/12/28、2001/1/15に放映された
ともに地方局の番組ではあったが、
3人にアルバムやツアーについてインタビューするなど、
再始動後では珍しくまともなテレビ出演となった
またツアー終了後にはファイナルの東京公演の様子が、
1/23「新・真夜中の王国」と1/31「music-enta」で取り上げられている


メディア出演が活発になったのは、
広島(2000/12/19)・仙台公演(2001/1/7)間の18日のツアー中断期間だった
この間メンバーは個々にラジオに出演したり、
ファンイベントを開催したりしたが、
2000/12/26には小室、2001/1/8には木根が、
「笑っていいとも」のテレフォンショッキングに出演している


小室は後述の「Rendez-vous in Space」
木根は自著「続・電気じかけの予言者たち」の宣伝が主な目的だった
残念なほどTMのアルバムやツアーには触れられなかった


そして2000年年末には、
待望の演奏を伴う音楽番組出演が実現した
2000/12/29「Music Station Special Super Live 2000」で、
演奏曲は「Ignition, Sequence, Start」である
「Music Station」はかつてTMが頻繁に出演し、
「終了」時にもメドレーを演奏した思い出の番組だが、
この時が最後の出演となる


演奏はアルバムバージョンを基調とした4分の短縮バージョンだった
イントロのアクセル音が省かれ、サビ前の間奏が短縮されるなど、
オリジナルバージョンから手が加えられている
演奏にはツアーサポートの山田・葛城・春山も参加した
春山はメガネをかけている


TMのTV出演は2001年の年始にも2回行なわれたが、
これについては関連するイベントの話をする必要がある
「2001 Rendez-vous in Space Okinawa 01.01.01」である


余談だが、この頃はウツ史上の横幅全盛期でもある
(注:この画像は引き伸ばしなどの処理は施していません)



本イベントは沖縄県宜野湾海浜公園トロピカルビーチで、
2001/1/1夜から1/2早朝にかけて半日開催された
ビーチには船が浮かべられ、
船上から花火が打ち上げられると言う豪華さだった


小室はTKブーム期以来、
毎年年末年始の深夜に特番を放映してきたが、
それは2001年年始の「Rendez-vous in Space」の放映を以て終わる
(ただし2001/12/25にBS2で放映された「永遠の音楽少年」も含めれば2001年年末まで)
「Rendez-vous in Space」はTKブーム最後の大花火であり、
TKブーム終了の象徴的イベントだったとも言えるだろう


なお本来「Rendez-vous in Space」では入場料を取る予定だったのだが、
後になって会場が公共の場所ということで、
入場料を取ることはできないと県から伝えられた
12/26「笑っていいとも」で、
小室が県の通達を「1ヶ月前」のことと言っているので、
11月下旬頃のことだろう
スタッフがある日このことを平然と伝えてきて、小室は驚いたと言う


10月終わりにはすでに開催が発表されていたこともあり、
小室は今さらイベントを中止することもできず、
経費の過半を自己負担することにした
当時の報道によれば、5億円中3億円が小室の負担だった
もっとも無料になっても会場は満員には程遠い状態だったらしいので、
有料だったらさらに寒い状況になったかもしれない


この入場料の件を見るに、
「Rendez-vous in Space」は通常では考えられない杜撰な企画だった
スタッフがよほど無能だったか、イベント運営が可能な態勢がなかったかだろう
ましてやその失態を小室個人の経費負担で解決するという対応などは、
とうていまともな運営体制ではない
avexからもSONYからも離れてそのサポートを失った小室の周りには、
少なくとも実効性のある事業運営を可能にする体制はなかったのだろう


この頃小室はスタッフに通帳を預け、
自分では財政状況を把握していなかったというが、
事業運営能力のないスタッフが小室の預金を流用して損失を補うという事態は、
恒常的に行なわれていたことも疑われる
2000/7/27開催予定の香港イベントが突如中止になるといった失態も、
ROJAMのIT事業参入に伴う小室の数十億円の損失も、
こうした体制の当然の帰結だったともいえるかもしれない
「Rendez-vous in Space」が小室負債の原因というわけではないが、
しかしその結末が必然だったことを垣間見せてくれる一つの出来事だったといえよう


本イベントにまつわる問題はともかくとして、
「Rendez-vous in Space」の内容を見てみよう
このイベントにはTM NETWORKの他、
globe、Kiss Destination、安室奈美恵、BALANCe、TRFなど、
小室関係ミュージシャンも出演した


会場が沖縄になったのは、
前年小室が関わった沖縄サミットの実績を踏まえたものだろう
沖縄出身でサミットテーマソング「Never End」を歌った安室の扱いは特に大きかった


だが本イベントで何と言っても目玉となったのは、
小室とJean Michel JarreのユニットTHE VIZITORSだった
(演奏には他にサポートのギターとドラムも参加している)
小室とJean Michelは1998年に「Together Now」でコラボし、
FIFAワールドカップではパリで一緒にライブを行なったが、
2001年には小室が日本にJean Michelを招待し、共演を実現したのである
世界に冠たるシンセのカリスマを招待した本ライブは、
小室としては大きな出来事だったにちがいない


THE VIZITORSのライブは合計45分余り行なわれた
ライブ音源は日本ではリリースされなかったが、
イギリスでは「Rendez-vous in Space Okinawa 010101」としてリリースされたらしい


THE VIZITORSのライブの脚本はArthur C. Clarkeが担当した
ArthurはTM2ndアルバムのタイトルの元ネタとなったSF小説「Childhood’s End」の作者であり、
小室が大ファンだったSF作家である
小室が世界を相手にするようになった今、
Jean MichelとArthurはもっとも接触したかった二人だったと言っても良い
Jean MichelがArthurの友人だったことから、
小室はJean Michelを通じてArthurに打診を行なったらしい


イベント名「Rendez-vous in Space Okinawa」は、
明らかにJean Michelのアルバム「Rendez-vous」を意識している
(「Rendez」と「vous」をハイフンでつなぐところも含め)
しかも「Rendez-vous」はテキサスのヒューストンで行なわれたライブ「Rendez-vous Houston」で演奏するために作られたものだった
「Rendez-vous in Space」の後に開催地「Okinawa」を入れるのも、
「Rendez-vous Houston」を踏まえているに違いない


Arthurと組んだのは、Arthur脚本の映画「2001年宇宙の旅 (2001: A Space Odyssey)」と、
2001年年始というイベント開催時期を意識しているのだろう
イベント名に「Space(宇宙)」を入れたのも、
この映画を意識しているものと考えられる
この映画および小室に影響を与えたSF映画「未知との遭遇」のタイトルを踏まえてイベント名を訳せば、
「2001年宇宙での遭遇」とでもなるだろうか


本ライブの冒頭では、スクリーンにメッセージを伝えるArthurの映像が映し出される
そのメッセージは、
「Happy two thousands and one, everybody. The future is now」
というもので、現在=2001年が「The Future」であるという
1968年に人類の未来を描いた「2001年宇宙の旅」を前提として、
その頃に描いた「未来」が今ついに到来したと言っているのだろう


Arthurのメッセージが終わると、
一曲目「The Overture」が始まる
Jean Michelの登場シーンに当たるが、
この曲では「2001年宇宙の旅」オープニングで使われた「ツァラトゥストラはかく語りき」がサンプリングされている


THE VIZITORSというユニット名は、
宇宙からの訪問者を意味しているものと考えられる
演奏された曲はすべてオリジナルで、
「The Overture」「The Voyage」「My Name is Arthur」「Children of Space」「Nobody」「Rendez-vous in Space」「Race in Space」
の7曲だったが、
宇宙人が観客を宇宙に招待するという如きストーリーであることが推測されよう


ただ曲間にはArthurの英語メッセージが入り、
これがストーリーを示していると考えられるのだが、
モニターには訳文がほとんど出ないので、
多くの観客にはどんなストーリーかさっぱり分からなかったと思う
(私もよく分からない)


ステージ上には小さいモニターがたくさん設置されている
そこにたくさんのArthurの顔が映し出されるのだが、
これはかなり怖い
特に「My Name is Arthur」では、
曲中でモニターのArthurが終始「Hi, My Name is Arthur」と言い続けるという、
かなりシュールな演出があった


このTHE VIZITORSのライブの前後には、
TM NETWORKを含むミュージシャンの演奏もあった
その流れについても見てみよう


「Rendez-vous in Space」は沖縄県とテレビ朝日が主催だったこともあり、
イベント第一部は2001/1/1の17:55からテレビ朝日系列で、
2時間の特番「The Greatest Hits 2001」で生中継された


2000/12/29にはテレビ朝日系列の「Music Station」で、
このイベントの宣伝が行なわれている
TMの同番組出演も、沖縄イベントがあったからこそ実現したものだったのだろう


ただし「The Greatest Hits」には当然CMの時間もあったし、
沖縄の中継以外に東京のスタジオにいる他のミュージシャンの演奏も放送された
その間会場のスクリーンにはテレビの映像が流れていたらしく、
つまり沖縄現地では野外ステージでテレビ放送を見続ける合間に、
たまに数分の生ライブを見ると言う、かなり寒い状況だったようである
会場も盛り上がり続けるという状態ではなかっただろう


ただその中で、1曲目がTM NETWORKだったのは、
やはり盛り上げ要員として期待されていたのだろう
この時は「Ignition, Sequence, Stat」が演奏された
サポートの山田・葛城・春山もいる
演奏は「Music Station」の時と同じショートバージョンである
この後はBALANCe、globe、TRF、Kiss Destination、安室奈美恵が出演し、テレビ中継は終了する


20:00からはイベントメインに当たる第二部で、
その冒頭は目玉となったTHE VIZITORSのライブだった
その後は「TK Greatest Hits」と題して、
TM NETWORK、globe、TRF、安室のライブが23:00頃まで続いた(ここまでが第二部)


TMの二度目の出番はTHE VIZITORSの次で、21:00からだった
小室はglobeやVIZITORSのリハーサルにも出た上、
イベントの責任者でもあり、終始忙しかっただろうが、
ウツと木根は昼にリハーサルが終わってから時間をもて余したらしい
木根は二度の出演の合間に仮眠をとったそうだ


TM第二部のサポート陣は第一部と同じである
小室とウツは第一部から衣装を替えていた(木根は同じ)
小室は直前のTHE VIZITORSの演奏時とも衣装が違う


演奏したのは「Ignition, Sequence, Start」「Get Wild」「Time To Count Down」で、
アレンジは3曲とも「Tour Major Turn-Round」に準じている
なお「Ignition, Sequence, Start」「Get Wild」の間で、
テレビ放送ではスポンサーの名前が読み込まれた
せっかくのライブ放送で、間に余計なものは入れてほしくなかった


「Get Wild」の音源は2003年に「キヲクトキロク」に収録された
基本的には「Tour Major Turn-Round」版と同じアレンジである
この時ウツは冒頭の歌詞を派手に歌い間違えたが、
「キヲクトキロク」では歌詞間違いの部分に不自然な修正が施されている


最後におまけながら、
「Rendez-vous in Space」第三部のメニューも触れておこう
第三部は翌日5:00まで行なわれた
開始は23:00説、24:00説、25:00説があって、
どれが本当かよく分からない
ステージを見ていない徹貫や木根が又聞きで記事を書いていて、
情報が錯綜しているためである


第三部はKiss Destinationのライブで始まり、
その後は小室とDJ Dragonのユニットtatsumaki以下、
数組によるDJパフォーマンスが披露された


TatsumakiのVJは、
「Tour Major Turn-Round」と同様に原田大三郎が務めた
これは秋から活動を始めるGaball(小室+Dragon+原田)の、
実質的に最初の仕事となる
その意味で本イベントは小室にとっては、
たしかに2001年の始まりの活動ではあったのだろう


テレビ朝日では25:00から本ライブが放送された
冒頭は第三部の生中継だったが、
途中からは第二部の録画が流され、
最後に第三部の生中継に戻って放送は終わった


キヲクトキロク~Major Turn-Round
R and C Ltd.
2003-02-05
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記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 26 / トラックバック 0 / コメント 21


6-12 TM再始動への布石

2014/01/21 06:10
TM30周年、あけましておめでとうございます!


今年は更新が少し遅れ気味になってしまいました
実はこれには理由がございまして、
年末ディナーショーでウツが、
年明けてからまもなく次のTMの情報は出るだろう、
みたいなことを言ったらしいのです
(伝聞なので正確なニュアンスは不明ですが)


なぬ?
ならば正月明けくらいに何か発表でも!?と思い、
次の更新はその時にしようと考えました
ところが一向にその気配がなく…
そういやあ2012年3月のTM再始動も、告知は1月25日だったし、
ちょっと勇み足だったかなあ


実は私、これから1週間くらい私用で更新ができなくなったりします
そこでもう根負け(何と勝負?)して、今日更新します!


さて、年末から小室さんが30周年のライブのプロットとなる小説を書いていることは、
以前もこのブログで触れたところですが、
今年に入ってからもTM30周年の準備は動いているようです
ひとまず小室さんのTwitterを見てみるに、断片的ながら以下のような動きが分かります

・1/4 小室、CAROL続編執筆再開(大分帰省中。1/5東京帰還か)
・1/6 TMの3人で会う
・1/13 「かなり周到な準備」をしていると発言
・1/17 1984年にさかのぼり、当時のスタッフと準備

先週1/13〜19放送の「Radio Digitalian」によれば、
今年はTM NETWORK30周年の活動が軸になること、
ライブももしかしたらここ2年(4公演)の10倍くらい(40公演?)になるかもしれないこと、
今はその前にレコーディングして楽曲を作っているとのことを発言していました


さらにその前の週(1/6〜12)にもレコーディングの話をしており、
TMの新音源も近々に出るんじゃないでしょうかね、と言っていました
Twitterでは1/6夕暮れに今年最初の新曲ができて、春までに発表すると言っており、
あるいはこれがTMのニューシングルかもしれません


小室さんは12/30に仕事納めをしてから1/5くらいまで大分にいたので、
1/6完成の楽曲の制作は去年には始まっていたと思われます
もしかしたら12/18に制作中の「来年にお届けする音楽」に当たるものでしょうか


そして小室さんがラジオで新曲の話をした後、
「この曲は非常に関係してくるんじゃないか」と言ってラジオでかけたのが、
なんと「アクシデント」でした


え? 「アクシデント」!?
TMブレイク後現在までほとんど黙殺されてきた「Childhood's End」の曲がここで再評価!?
ここらへんの曲がライブでやられたら嬉しいんだけど、
まあでも実際は大して関係ないんだろうなあ…
と、期待のハードルを下げて、がっかりしないように自己防衛しておきます


なお小室さんの今年第一弾作品は、「EDBF EDM2」と言っています
たぶん「DEBF EDM2」の誤りで、
「Digitalian is eating breakfast EDM Winter」に当たるものでしょう
「Count Down Japan 13/14」の音源のスタジオ版と思われます


2013/12/29「Count Down Japan」についてはあまり情報がありませんが、
小室さんのFacebookに拠れば、以下のようなセットリストだったそうです

M1.WOW WAR TONIGHT
M2.Children of the new Century
M3.The Generation feat. Zeebra, DABO, SIMON / guest : Zeebra, DABO, SIMON...
M4.You're my sunshine
M5.GET WILD with Zeebra, DABO, SIMON
M6.ROCKET DIVE


このうちM2の元は「START investigation」の音源と思われます
M1はソロライブでは定番、M4は「SUMMERSONIC」でもやった曲です
M6はおそらく「Cream of J-POP」バージョンで、2年前の「Weekendless Night」でも演奏されました


M3はようやく実現しましたね
オリジナルラッパーのゲスト付きでの初演奏となりました
ZeebraらゲストはM5の「Get Wild」でも小室さんとコラボしたようです
「Get Wild」+ラップって、今日の更新記事でも取り上げるように過去もあったんですが、
その時はかなり残念な感じでした
今回はどうだったのかな


しかし去年から言えるけど、「Digitalian is eating breakfast 3」の曲が全然演奏されない!
TMとかTKプロデュース作品の方が盛り上がるんだろうけど、
ほとんどライブで演奏されなかったアルバムとして葬られるのは個人的に惜しいです


この「Count Down Japan」の様子は、ウェブ上に簡単なレポがあり
また1/30発売の「Rockin' On」にもイベント全体のレポが出るそうです
さらに12/29「Count Down Japan」は、
2/6の18:30〜21:30にWOWOWライブで放送するとのことです
まあ、小室さんのライブが放送されるかは分かりませんが…


この後は2/1にTOKYO FMで、小室さんと坂本美雨さんのコラボライブがあります
小室ピアノ+坂本ボーカルみたいになるんでしょうか?
私も行けることになりそうな雰囲気で… まだ確定ではないんですが
もしも行けたら次回簡単な報告をしますね


一方木根さんは去年大晦日に更新したブログで、
"RESET"の件に触れました


今年はTM30周年に専念すること、ソロも充電期間に入ることは、
以前宣言した通りですが、
「ファンクラブイベントやチャリティーイベントなどでは歌おうとは思います」
と言っており、ソロの音楽活動がまったくなくなることはないようです
去年はニュースでの取り上げ方のためもあって、
大きな話のように見えましたが、
なんかソロを休むのは今年だけになるような気もします


以上、近況でした
では本題に入ります


再結成宣言とか、再始動に向けてとか、再始動への布石とか、
近頃のタイトルを見ると、全然話が進んでいないような感じなのですが、
実際に当時は本当に話がなかなか進まなかったので…
まあでも焦らしプレイは今回くらいまでになるはずですので、
今しばらくお付き合い下さいませ

----------------------------
TM NETWORK名義での再始動が決まった5/8の後も、
3人はすぐに動くことはできなかった
小室は3月からglobeの「Tour Relation」が続いていたからである


globeは1997〜98年、
「globe@4_domes」「Tour Love again」で1ヶ月前後のドームツアーを行なったが、
「Tour Relation」ではより小規模な(とはいえアリーナレベルだが)会場を広く回る方針を取り、
27公演、2ヶ月半に及んだ
「globe@4_domes」「Tour Love again」はともに7公演)
特に5月の公演は13本に及び、2日に1日はライブの日々だったことにあんる
globe「Relation」がL'arc〜en〜Cielを意識していたことを考えると、
ライブ活動を重視したヴィジュアル系バンドの盛り上がりも前提にあったのだろう


その全日程が終わった5/25、小室の仕事はひと段落した
このタイミングで小室は5/31に記者会見を開き、
TM NETWORK再結成を発表した
そこでは名義をTMNではなくTM NETWORKとすること、
新曲がTRUE KiSS DiSCからリリースされることが明らかにされた


「TM NETWORKという言葉の影響力と言うものを、一番今回は大事にしたかった」とか語る


「終了」前のTMNの所属はEPIC/SONYだったが、
TRUE KiSS DiSCもSONYグループだったから、
この点での抵抗はほとんどなかっただろう
この会見の後、7/22には、
「Get Wild Decade Run」がTRUE KiSS DiSCからにリリースされる
長らく反故にされてきたTM NETWORK復活が、ここについに実現した


当時の小室としては、
TM NETWORK復活は自らが提供し得る最大の話題だった
そしてそのTMをTRUE KiSS DiSCに所属させることで、
自らが主導するこの新レーベルを軌道に乗せ、
売り出し中だったTrue Kiss Destinationに注目を集めるという筋書きも、
おそらく念頭にあっただろう


会見の後、7/1には小室の個人サイトTK Gatewayが、
tk56にリニューアルされた
9月には掲示板も設置され、
小室とファンの間の直接の交流の場となることが期待された
ただこの掲示板は、結果的にはうまく運用されなかった


さて、小室はTM新曲発表に先駆けて、
自らプロデュースする鈴木あみとtohkoにもTM NETWORKの曲をカバーさせた
どちらも「humansystem」の曲である


まず鈴木あみは7/14にシングル「Be Together」をリリースした
これはバックトラックが原曲とまったく異なり、
サビ部分の歌い方も変えてある


この曲はチャートで初動31.7万枚を売って1位を獲得し
最終的に87万枚を売った
なんと1週目には同日発売の浜崎あゆみ「Boys & Girls」を抑えている
浜崎はavexの松浦が小室に対抗して育てた歌手であり、
このリリース日は意図的にぶつけられたものだろうが、結果はあみの勝利となった
(ただし2週目には逆転された)


「Be Together」は1999年度年間チャートでは86.2万枚、年間17位だが
TM楽曲最大のセールスは1991年の「Love Train」だから、
(53.3万枚、年間17位)
売り上げではこれを越えてしまったことになる
つまり記録上、TM NETWORKの曲で一番売れたのは、
鈴木あみ版「Be Together」である


このこともあってか、復活後のTMのライブでは、
「Be Together」「Get Wild」「Self Control」と並ぶライブ定番曲となった
もともと定番曲ではあったのだが、ライブの一番の盛り上がりどころで演奏されるなど、
扱いが明らかに変わっている
ただ一時期鈴木あみ版「Be Together」の知名度が高くなったことは、
昔からのTMファンには複雑なものもあった


鈴木あみの中でも、本作のセールスは自己最高記録である
この次に売れたのが1998年の「White Key」(50.3万枚)だから、
自己記録中でも圧倒的な成績である
「Be Together」を収めたアルバム「infinity eighteen vol.1」は、
2000/2/9にリリースされて106.3万枚を売ったが(年間15位)、
これが小室哲哉最後のミリオン作品となる


ちなみに木根の証言によると、
あみは「Self Control」のレコーディングも済ませていたらしい
だがこれは2001年の「事件」のために、
世に出ることなく埋もれてしまったという


このレコーディングが「事件」直前だったのか、
それとももっと以前にレコーディングされていて、
発表の機会を待っていたのか、
前者の可能性が高いようにも思うが、真相は闇の中である


さて、tohkoの2ndアルバム「cure」にも、
やはり「humansystem」のTM曲カバーとして、
「Chidren of the New Century」が収録された
「cure」は1999/7/23にリリースされ、
15位、5.8万枚の成績だった


tohko版「Children of the New Century」は、
鈴木あみ版「Be Together」よりはTM版に近いが、
ピアノ音色のイントロやポップなシンセトラックなどは、
それなりに新鮮である


「Be Together」「Get Wild Decade Run」リリースの一週間前、
「cure」は翌日にリリースされた
いかにもTM復活を盛り上げようという意図が伝わってくる
他に実現しなかったが、
小室がアメリカで関わっていたBlaque IvoryもTMのカバーをする予定があった


さらに8/21には「Get Wild」のオリジナル版も、
マキシシングルとして再リリースされた
カップリングは「Get Wild '89」「Be Together」である
31位、3.7万枚のセールスを記録した
もっともこのシングルは当時のTM入門者向けにリリースされたもので、
一般のファンの多くは存在すら知らないだろう


さらに、TM再始動とは無関係の企画だが、
1999/1/30にSONYグループ所属の80年代人気ミュージシャンの限定ベスト版が、
「STAR BOX」と題して一挙に10枚リリースされた


その成績を見るに、1999/2/8付けチャートでは、7位ユニコーン、10位X、11位TM NETWORK、14位TMN、16位レベッカ、17位米米CLUB、31位Princess Princess、35位Barbee Boys、78位爆風スランプ、
2/15付けチャートでは、3位ユニコーン、4位X、7位レベッカ、8位TM NETWORK、12位米米Club、16位TMN、18位Princess Princess、27位Barbee Boys、54位爆風スランプという成績だった
(他に両週100位圏外にバブルガム・ブラザーズ)


トップ2組、それに次ぐ4組、その他4組で、
残酷なほど差が付いてしまった印象である
この10組の中でTM NETWORKとTMNが、
それぞれ1枚ずつリリースがあったのは、
TKブームの影響もあるだろうが、
当時TMNへの期待が業界でも高かったことを示すものでもあろう


なお「STAR BOX TM NETWORK」は8.9万枚、
「STAR BOX TMN」は6.6万枚のセールスを記録した
当時としては大した数字でもないだろうが、
今見ると単なるベスト版にしては意外と売れている印象である
ちなみに一番売れたX(SONY時代なのでX Japanではない)は12.2万枚で、
売り切れ後にも要望が多かったのか、
9/5に通常版がリリースされている


最後にテレビ出演について挙げておくと、
1999/7/18、SMAPが司会を務める特番の「27時間夢列島」で、
「サタデーナイトライブ」のコーナーで、
TM NETWORKの3人が出演してライブを行なっている
とはいえ3人一緒に出演することはなかった


同コーナーは、冒頭はSMAP「Fly」で始まり、
後は草g・ウツ・dj honda「Get Wild」
香取「Time After Time」
稲垣・KEIKO「もっともっと…」
中居・木根・吉田拓郎・坂崎幸之助「ともだち」
木村「Love」「Imagine」と続き、
最後はSMAP「夜空ノムコウ」で締めた
この間小室は「ともだち」以外で演奏に参加している
また、一応TM新曲の告知も行なわれた


この中でウツがボーカルを取った「Get Wild」は、
dj hondaによるクラブミックス版である
dj hondaはかつて80年代後半、
TRFのDJ KOOらとともにTHE JG'sを組んでいたこともあり、
おそらくその縁で小室と共演したのだろう


ただしこの時の歌はむしろ草gがメインで、
ウツの声はあまり目立たない
イントロでは黒人ラッパー2人によるラップが入り、
歌のところでも随所にラップが挟まる


スローテンポにアレンジされた「Get Wild」はそれなりに面白いが、
正直ラッパーが目立ちすぎて、草g・ウツの歌とは合っていないと思う
だがそれはともかくとして、この時に「Get Wild」が披露されたのは、
4日後の「Get Wild Decade Run」リリースを意識しているに違いない


7/29にはTOKYO FMの「山田ひさしのラジアンリミテッド」で、
「TM NETWORKがっつり再始動スペシャル」が組まれ、
1時間3人で出演しトークを行なった
「終了」以来5年ぶりのTMとしての3人のメディア出演である
ただしこの時3人は「10 Years After」PV撮影のためにハワイにおり、
国際回線の中継での出演となった


さらにTVでも、3人の出演が始まった
8/3には特番「TK Presents The Hot Days」で、
ハワイのスタジオでのトークが放映されており、
他にも小室の深夜レギュラー番組「哲にいさん」で、
断片的に3人の姿が放映された


ただ3人での楽曲演奏の機会はなかなかなく、
1999/9/25が最初となった
しかも出演番組は「THE 夜もヒッパレスペシャル'99秋」という、
非常に微妙なものだった


この番組は、芸能人がヒットチャートに入っている曲をカラオケで歌うというものである
音楽番組といえばそうもいえるが、
むしろバラエティ番組と言った方が近い
1999年にTM NETWORKが出演したTV番組は、
「哲にいさん」など視聴者が限られる小室関係番組を除くと、
この「夜もヒッパレ」しかない


おそらく再結成当初の注目度を考えれば
他にも出演できる番組はあったはずである
当時のワイドショーなどは、
「Get Wild Decade Run」「10 Years After」リリース後、
TM NETWORK再結成を特集で取り上げており、
一部で言われるようにメディア界の圧力があったわけでもない


当時小室が日本テレビと親密だったことは、
日本テレビ系列の「夜もヒッパレ」に出演する前提と思われる
「哲にいさん」「夜もヒッパレ」のプロデューサーはともに寺内壮)
また木根によれば、小室は、
「80年代のTMのイメージを壊すためにも、僕らは出るべきだ」
と言って反対するスタッフを説得したという


しかしそれはそうだとしても、
なぜ他の番組に出ないのかという疑問は当然残る
私はTM再結成がいまいち盛り上がらなかった理由の一つに、
メディア露出がほとんどなかったこともあったと思っている
何しろ全国枠での音楽番組出演が2001年まで皆無なのである


また1999年のTM楽曲のタイアップの大部分は、
サッカーチームのサポートソングやキャンペーンソングである
安室や鈴木あみを見るに、
CMやドラマなどのタイアップを取る力は、
まだこの頃の小室にはあったはずだ
それだけにこの頃のTMの戦略ミスは非常に残念である
TMが再結成したことが一般にはあまり知られていないのも、
この頃の戦略ミスが一因だろう


なお9/25には「夜はヒッパレ」を盛り上げるため、
午前10:30から1時間の特番が放送された
番組名は「TM NETWORK復活記念 小室哲哉をめぐる100のギモン」で、
事実上「哲にいさん」の特別版だが、
TMの特番なのか小室の特番なのかよく分からないタイトルである
(なおTMに関しては過去映像を流した以外にこれといった情報はなし)


「夜もヒッパレ」でTMが演奏したのは2曲ある
1曲は1999年上半期26位の「Get Wild Decade Run」である
番組では司会の赤坂泰彦が曲紹介をする途中、
もう一人の司会三宅裕司が横からやってきて、
「スタジオの中ですごい人たち見つけちゃったんだけどね」
と言ってきて、TM出演を匂わせる


歌はまず中山秀征・グッチ裕三・モト冬樹が、
Aメロ・Bメロを短縮バージョンで歌うが、
サビのところでカメラが別のステージに移る
そこにはTM NETWORKがおり、
会場がびっくりする(フリ)という流れである
この番組はこういう演出が本当に寒いのだが、
何よりもこの曲の実験性が、
こんな番組でアピールできることはまず考えられず、
実際の視聴者への宣伝効果はほとんどなかったと思う


その後、ウツが歓声の中でサビを歌い、
(歌は「Decade Run」ではなく、オリジナルの歌い方)
さらに中山・グッチ・冬樹が合流して合唱した
なんとも嘆かわしいことに、
ライブ・TVを含め、「Get Wild Decade Run」がCD以外で歌われたのは、
現在までこの時だけである


この後、さらに9位には鈴木あみ「Be Together」がランクインし、
これをTM NETWORKが歌った
これはオケだけでなく歌い方も鈴木あみバージョンであり、
ある意味で非常に貴重な音源だが、
そんなら「Get Wild Decade Run」もCDのままで歌えよ…
なお間奏では小室がTM時代風のシンセソロを披露した


以上、TM NETWORK再始動周辺の事象を見てきた
さらに時期的には少し遅れるが、
木根尚登もこの頃TM NETWORK楽曲を他の歌手に提供している


それは前田愛という声優で(前田亜季の姉とは別人)、
1999/10/8に木根プロデュースで、
「keep on」「Like a Candle」の2枚のシングルをリリースした
この内で「Like a Candle」のカップリングに、
「humansystem」所収の木根曲「Fallin’ Angel」が収録された
このシングルは100位にも入らなかったから、
TMの宣伝にはほとんど役に立たなかっただろうが、
選曲は小室の「humansystem」推しと連動しているのかもしれない


なお木根は1996年に「CAROL-k」に関わって以来、
アニメ声優への楽曲提供も継続的に行なうようになっていた
その中で早くからTM NETWORK楽曲の提供も行なっており、
1998/2/25リリース南央美「Rhapsody」には、
「Fool on the Planet」が収録されている


以上のような経緯の中、1999年7月、
TM NETWORKは待望の復活を果たす
以下数章では、この時期のTM NETWORKの様子を見て行くことにしたい


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6-2 TMNの再接近

2013/06/23 03:08
6/16、「START investigation」のチケットが発売されました
チケットは6/17に売り切れましたが、その後キャンセル分が出たようで、
6/22現在でローソンチケット・e+・チケットぴあでそれぞれ販売中です
ヤフオクやチケットショップで高いお金を払って購入しなくても正規購入は可能です
ご注意を!


今回はヤフオクなどで出回っているチケットの情報を見る限り、
さいたまスーパーアリーナの1階席(200レベル)までしか使わないようです
さいたまスーパーアリーナは屋根を落として、
300〜500レベルを見えなくすることができるので、
たぶん今回はそうするんでしょう


さいアリの正確な動員規模は不明で、
アリーナモードでフルに入れると22500人ですが、
ステージ後方など客を入れられないエリアを除くと、
実質的には16000人程度のようです
これで300〜500レベルをつぶすと、
たぶん12000〜3000人くらいとなるでしょう
(300・500レベルはごくわずかで、
実質的にはアリーナ・レベル200・レベル400の3つ)


この席数が一度売り切れたということは、
キャンセル分を考慮しても、
今のTMには12000人程度の動員力はあるんだと思います
去年は1万程度の武道館が即日埋まりましたから、
これくらいが限界なんでしょうね
多分3月頃に何度もプレオーダーをやっていたのは、
動員力を確認するという意味もあったんでしょう


できれば500レベルまで埋めるライブができれば良かったのですが、
今回は全然宣伝がなかったし、
(日程変更があったから仕方ないかもしれないけど)
前回のように復活ライブという位置付けでもないし、
その上メンバーの体調不良の情報が出たりしたから、
しかたないかとは思います


チケット発売前日の6/15には、
avexが「incubation Period」からyoutubeに、
「Come On Everybody」「Beyond The Time」「Wild Heaven」
をアップしました
チケット売上にどれくらい影響があるかは分かりませんが、
「incubation Period」の映像がネットで見やすくなりましたね
「Seven Days War」「Keyboard Solo (Get Wildイントロ)」「Get Wild」「I am」
がすでにアップされていますから(他にダイジェスト映像もあり)、
6曲はネットで見れることになりました


非常にささやかながら、メンバーも6/15にTwitterでチケット販売に触れています
特に注目すべきは、
ウツが手術報道の直後から2ヶ月ぶりにTwitterに書き込んだことです
皆さん、お久しぶりです!あと1週間で、退院して2ヶ月です! ご心配かけてます💦!まだまだお腹痛いです(微笑)!でも状態は、かなり良くなってます(力こぶ)! ライブ楽しみにしてて下さい!TMらしいショーになります!!U 2。。。


ウツ、来月のライブはばっちりやる気のようです(力こぶ)
「まだまだお腹が痛い」というのが心配ですが…
歌にも影響しそうな気がしますが、一ヵ月後にはよくなっていると良いですね
小室さんもインターフェロンの副作用がまだ抜けていないようですが、
時々出る程度と言っていますから、なんとかなる…かなあ


それとウツ、あと一週間(6/22頃)で退院して2ヶ月って、
随分前に退院していたんですね
診断結果が出てから1週間くらいで出たことになりますね
そんなやばくはないことは分かりました


今回はチケットが完売していないので、ライブシネマの情報がまだ出ません
多分スタッフ側も発表のタイミングを待っているんだと思いますが…


6/17には、TMライブに参加する人用に、
神戸・大阪・京都・名古屋・仙台・金沢からさいアリに行くバスツアーが発表されました
チケットをまだ買っていない人には良いかもしれませんが、
チケット販売後に発表されても、どの程度需要があるんでしょうか
いや、冷静に考えれば、チケットが売れ残ったから企画されたのか…?
最終催行人数20人が揃わない場合は中止だそうで、
その場合はライブにも行けなくなりますから、確実に行きたい方にはお勧めできません


ライブの内容については6/15の小室さんTwitterに、
久しぶりにイメージ図が出ました
「M」の形をした宇宙船から地上にTMの3人が降り立つシーンでしょうか
またスケッチ図とは別に、今回のライブのロゴマークもありまして、
宇宙船型の「M」の左上に横棒を一本加えて「TM」にしています
具体的な話は分かりませんが、動いてはいるようですね


また小室さんはラジオで、
「2日でワンセット」「今まで一度も演奏していない曲もやるかも」
と発言したようです
「2日でワンセット」は「incubation Period」と同じで、
日替わり曲が数曲入りそうです


気になるのは「今まで一度も演奏していない曲」ですが、
該当曲を網羅すると以下の13曲になります
(インスト曲や、Folk Pavilion等一日限り特別演奏の曲は除く)

「Innocent Boy」「さよならの準備」「Twinkle Night」「I Want TV」「You're The Best」「一途な恋」「Another Meeting」「Detour」「it's gonna be alright」「80's」「風のない十字路」「夏の終わり」「君がいてよかった」


ただ再結成後の5曲(「it's gonna be alright」以下)は、
あえてアピールポイントにするか疑問ですから(個人的には聞きたい曲もありますが)、
候補は事実上8曲となります


仮にやったら一番驚きなのは「一途な恋」ですが、
ライブで歌えない曲としてセットリストに入れられてこなかった曲です
特別な演出でむりやりやってしまうとかあるかなあ
「Innocent Boy」「I Want TV」とかでも十分に驚きなのですが、
実際には小室さんもやったのを忘れている曲もありそうですし、
あまり確実なことはいえません


また先週のラジオでは、小室さん、こんなこと言っていました
20日・21日、見に来て下さった方には、このタイトル(「START investigation」)とは別の裏タイトルというか、ホントのタイトルが分かるようになってますんで、来なきゃダメというわけではないんですが、是非来て欲しいなあという。


裏タイトル?
多分2014年のライブにつながるコンセプトが発表されるんでしょうか
これは少し楽しみですね


一方、新曲情報はまだ出ませんね
今回は出ないんでしょうかねえ
レコーディングしていたはずなのに、あれはどうなったんだろう?


仮にライブの時に出すなら、話題性を考えても今こそ発表するはずで、
もうこのままお蔵入りなんでしょうか
去年8月のファンイベントで新曲デモ音源が発表されて以来、
もうすぐ1年になっちゃうんですけども…


6/12には21世紀のTM・ウツ・木根作品がiTunesで配信されるようになりました
TMではシングル「Castle in the Clouds」「NETWORK TM」「Welcome Back 2」と、
アルバム「キヲクトキロク」「Easy Listening」「SPEEDWAY」があります
「キヲクトキロク」には「Major Turn-Round」も含まれていますから、
以前SONYがiTunesで配信したアルバムと合わせ、全アルバムがDLできることになったことになります


ただ「Welcome Back 2」「SPEEDWAY」はもともと配信していたはずなのですが、
一度iTunesから消えて、今回復活しました
これはどういうことなんでしょう?
あるいはavexがR&Cから原盤権を買い取って配信を始めたんでしょうか


とまあ、まだ色々もやもやしたものはありますが、
次回の更新時で新しいことが分かると良いですね
それでは本題に入ります

---------------------
「TK MUSIC CLAMP」という番組がある
1995年から1998年まで、深夜枠でフジテレビ系列で放送されたが、
1995年4月から翌年5月まで、初代パーソナリティは小室が務めた


この中で、TMNの3人が揃った回が2回ある
第1回の1995/4/12と、第44回の1996/3/13である
その他、第7回1995/5/31にはBOYO-BOZOが、
第12回1995/7/12には浅倉大介・葛城哲哉とともに木根が出た


第1回は旧TMNファンにとって嬉しい瞬間だっただろう
何しろ「終了」以後、小室は次々と新しい楽曲を発表していた一方、
他の2人は目立った活動をしておらず、
3人が集まるのを見る機会はまったくなかったのである


ただこの時に3人が集まったのは、
TMNの話をするためではなかった
番組内ではほとんどTMNの話題は出ず、
むしろ少し前にソロ活動を開始した木根と、
まもなくBOYO-BOZOとして活動を再開するウツの、
新曲についての話がメインだった


ウツと木根はこれより少し前、
1995/3/8日本武道館で開催されたイベント「March of the Music」に出演したが、
1994年12月「AAA '94」出演時とは異なり、TM曲の演奏はなかった
(演奏曲は「あの素晴らしい愛をもう一度」「見上げてごらん夜の星を」
特にウツはTMの名前に頼らないソロ活動を軌道に乗せることに意欲的であり、
それが同イベントでの選曲に影響しているのだろう
そしてそのことは「TK Music Clamp」出演にも影響していたと思われる


ところがその1年後の第44回に3人が揃った時には、
少し様子が変わっていた
まず番組オープニングの小室の発言を見るに、第1回では、

記念すべき第一回なんですが、ゲストにですね、TMNのお2人をですね、えーとTMNのメンバーだったお2人を招いて3人で、久しびさに一年ぶりに会ってみようということになったんですよ


と言っており、“かつて”のTMNという立場で臨んだのに対し、
第44回のオープニングでは、

えーとですね、今日は一年ぶりですかね、だいたい、ぶりにまたあの、TM NETWORKメンバーで、ちょっとお話したいと思うんで、そういうわけでお2人、宇都宮君と木根君をお呼びしています


と、明確に「TM NETWORKメンバー」と言っている
さらにこの時は、番組のBGMが「CAROL」「A Day in the Girl’s Life」だった
この時はウツ木根ソロの話はあまり言及されず、
TMNの話が大々的に取り上げられた
長くなるが、以下に翻刻しよう


小室「だんだんだんだん、知らない人も少しずつ増えていますかね、TM NETWORKてのも」
木根「誰?っていうね」
小室「そうですね」
木根「でも、しょうがないですよね、もう5年? 5年じゃない、まだ2年くらいしか経っていないよね」
小室「何から5年?」
木根「解散、つうか終了から」
ウツ「ちょうど3年ぐらいだよ。92年くらいでしょ」
木根「あーそうか、最後のツアーが」
小室「何が? 終了が?」
ウツ「違ったっけ?」
木根「解散は94年の4月21日」
ウツ「あ、そうかそうか。全然違う」
小室「92年くらいからやっていないんです」
木根「あーそうか、活動をね、ちゃんとしていなかったから」
小室「EXPO Tourで終わりですから、たぶん。ちゃんとしたものはね」
木根「また何かやんないんすか?
小室「そういう噂は、すごい出ていますね。僕もよく聞きます」
ウツ「そんなこと言ってんの? なんか、TMどうって?」
木根「ウツ次第だよね?」
ウツ「またそんなこといって」
木根「ウツ次第だよね?」
小室「すぐそう委ねるよね、みんなね。で、これで、また僕次第って言うんでしょ?」
木根「いやいや、たぶんね、ファン次第です」
小室「でもね、今度作るんです。僕、ウツのを作るんで」
木根「あー宇都宮君のソロ」
小室「ソロっていうか、ソロですか?」
ウツ「あ、ソロですね」
小室「初めて宇都宮君の名前で行くんじゃなかったっけ? そうだよね」
木根「楽しみですね。T.UTUでもなければBOYO-BOZOでもなくて、宇都宮隆で、フルネームで」
ウツ「そんな感じで」
小室「漢字系ですよね」
木根「サインも漢字に変えないと」
小室「縦書き系でね」
木根「縦書きかなあ」
ウツ「いや、サインは別にいいんじゃないの?」
小室「あとはねえ、このあいだ「CAROL」を演奏したんですよ。1月に」
ウツ「あ、見ましたよ、ちょっとビデオで」
木根「あ、見た見た見た、写真週刊誌で」
小室「(笑)音は聞いてないんじゃない」
木根「音は聞いた。写真週刊誌で写真と、その週刊誌の人の目で見た。マニアックだったって書いてあった。あ、きっとあの「天と地」とか、ああいうのやったんだろうなと思って。でしょ」
小室「あのね、それはやったけど、「CAROL」をやった全部」
木根「あ、そう、「CAROL」もやったって書いてあった」
小室「あと、「Gia Corm Fillippo Dia」もやった」
木根「あーホントに」
ウツ「あの、外人さんが歌ってた」
小室「まああのでも、ああいうのは良いです、久々にやると、ホントに。だから、機会があれば、ああいうのはもう一度やってみたいね」
木根「やろうか?」
ウツ「そういうの簡単に言えるよな。自分だって忙しいんだろ?」
木根「ちょっとは」
(中略)
小室「じゃあ、まとめはどういうふうにしましょうか?」
木根「まとめよう。TM NETWORKとしてですね、TMNがいつ復活するのか
小室「TM NETWORKとしてTMNが…」
ウツ「もう自分でも何いってるかわかってない」
木根「TMNが…もう何でもいいんですよ。なんかあの、何かやるんじゃないかっていう噂は、どうしましょうか?」
小室「それを最後にね。まああのなんか、お陰様でこういうのがあったりして、今年は少し動きがあると思いますね、たぶんね
木根「おお。うん」
小室「あるじゃないですか」
木根「あ、そうですね。ありますね」
小室「がんばってそれをやりますよ」
ウツ、木根を指差しながら笑う
木根「だってわかんないんだもん、その説明じゃ。きっと、多分テレビ見てる人もわかんない」
小室「あ、だから、ウツと一緒に作るじゃないですか、それでやってみたりするじゃない、それを。「Gaball screen」ていうゲームが出るんだよ」
木根「ねー、「CAROL」の中に出てくるGaball screen」
小室「知る人ぞ知るね。それで今、TM NETWORKの時の「CAROL」が93、4万枚くらいいっているんで、もしかしたら100万枚、5年目にして、6年目にして、行くかもしれない、というのとか、そういうちょっとしたことがありますよね。とりあえず「CAROL」を売ろうよ。ちょっと僕、それでキャンペーンしますので、それで」
ウツ「分かりました」
木根「シングル切る?」
小室「「CAROL」? 長いよちょっと。40分くらい。そういうちょっと、動きもあるんです」
木根「あるんですか」
小室「さらに新作が」
木根「ホント? 早く教えてね」
小室「はい」



このように、この時のトークでは、
tk-trapのライブを話題に出しつつ「CAROL」を取り上げ、
また小室によるウツへの楽曲提供と、
「CAROL」を元ネタとするゲームソフト「Gaball screen」の企画に言及し、
さらに自らTM NETWORK再結成に向けての動きを起こすことをほのめかしている


このトークは、3人がTM再結成を念頭に置いていたとしか考えられない
放映の日付けから見て、おそらく1996年2月には出演が決まっており、
TM再結成計画はこれ以前に動き始めていたと見て良いだろう
1995年末から1996年初め頃ではなかろうか


これについて木根はソロFC会報で、
「Tour liquid sun」が終わってから(1996/2/16)一息していた頃に、
一緒に何かやろうと小室から言われたと述べている
実際にこんな単純な話だったのかは疑う余地があるが、
3人での音楽活動再開が最終的に決定されたのが1996年2月頃だったことは、
前後の事実関係を考えても十分に考えられる


3人の接近の背景には、おそらくウツ・木根のソロ活動の失敗があった
1995年春から夏にかけてのウツのBOYO-BOZOとしての活動は、
ファンから不評だっただけでなく、活動自体も中途半端なものだった
12/1リリースの木根初のソロフルアルバム「liquid sun」も、
売上は「終了」前のミニアルバムをはるかに下回る成績に終わった
おそらくこの時点で、ウツ・木根双方は、
音楽業界での生き残りのために何らかのテコ入れが必要であることを認識しただろう


ウツは1995年7月のソロツアー終了後、
BOYO-BOZOを継続せず完全にソロ形態に移行することを11月に宣言した
すでに1994年には、小室のウツへの楽曲提供の案があったが、
ウツはBOYO-BOZO名義での活動に当たり、
楽曲制作もパフォーマンスも自分たちで行なう形態を取ったため、
この話は立ち消えになっていた


だがウツはソロ名義移行を宣言するに当たり、
自らはシンガーに徹し、楽曲は作曲家に任せる方針を明らかにする
この時点で小室の楽曲提供案が再浮上してくるのは自然な流れだっただろう
当時小室は1994年頃を上回るヒットを連発しており、
その楽曲提供はテコ入れとして最適だった


この結果、1996年秋には、
TKプロデュースによるウツ・木根ソロ作品が発表されることになる
その始まりは、9/23リリースの木根シングル「Remember Me?」と、
11/25リリースの木根アルバム「Remember Me?」
そして後者と同日リリースのウツシングル「discovery」だった
3人の歩み寄りの始まりが商品として形になるまで半年以上掛かったわけだが、
この頃の小室に仕事を依頼する場合、
実際に形になるまでこのくらいは必要だったのだろう


ただ11/25というリリース日は計画的なものだったようである
「TK MUSIC CLAMP」で小室も言っている通り、
「discovery」はTKプロデュースのPSゲームソフト「Gaball screen」に使うことになっていたからである
「Gaball screen」は12/6に発売されたので、
その直前にリリースすることになったのだろう
そしてそれに併せて木根のアルバムもリリースされたのである


これ以前、8/18付けの某スポーツ新聞では、
TMN再結成の情報が掲載された
これがTM再結成計画を入手した記者のスクープだったのか、
あるいはTMNサイドがマスコミを動かして噂を広めようとしたのか、
確かなところは分からない


ただウツと木根はいよいよ小室と本格的に組むことになると、
TM NETWORK再結成への動きを盛り上げるべく活動を行なうようになる
まずは1996/11/19「宇都宮隆と木根尚登のオールナイトニッポン」である


この番組の直接の目的は、
6日後の「discovery」「Remember Me?」のプロモーションだが、
番組では冒頭から街頭でのTMNについてのインタビューで始まり、
ついでTMN楽曲や「オールナイトニッポン」TMN終了スペシャルの音源が流された
その目的は、次の冒頭のアナウンスからも明らかだろう

あれから2年7ヶ月、今あのTMN、あの3人の復活説、再結成の噂が、まことしやかにささやかれています。しかし小室哲哉も、宇都宮隆も、木根尚登も、この真相をまだ自分たちの口から語ってはいません。そこで、今夜、「オールナイトニッポン」の2時間。84年のデビューから94年の「終了」までの10年、常に斬新な音楽を提供したTMN、現在のヒット曲に大きな影響を与えたTMN、果たして彼らの再結成はあるのでしょうか。


「再結成はあるのでしょうか」と述べているのは、
つまり再結成の可能性をリスナーに意識させようとしていたことにほかならない
2人は結果としては再結成はするともしないとも言わなかったが、
「再結成はあるでしょうか」と始まった番組でその点を否定しなかったことから、
2人の意図は明らかと言って良い


さらに11/24には、なんと一日限定で、
TM NETWORKの前身バンドであるSPEEDWAYの再結成が行なわれた
そして翌月12/12には、TMNのベストアルバム「Time Capsule」がリリースされた
これらについては別章で触れるが、
TMN再結成を前提にしたものだったに違いない
このアルバムにはボーナストラックとして「Detour」が収録されており、
TMNではなく小室哲哉・宇都宮隆・木根尚登3人の連名名義だったが、
ともかくTMN「終了」以来2年ぶりに、3人の手に成る作品が発表されたことになる


このようにウツ木根と小室の接近の動きは、
丸1年をかけてついに3人共演の実現にまで至った
次章以後はしばらくこの再結成準備期間の様子を見て行こうと思う

(2013/6/23執筆、2016/4/28加筆)

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5-16 終了

2011/11/22 02:04
1994年4月21日、
TM NETWORKが「Rainbow Rainbow」でデビューしてちょうど10年目の記念日、
TMNのニューシングル「Nights of the Knife」がリリースされた日、
全国の朝刊各誌に大々的にTMN「終了」宣言が掲載された

TM NETWORKからTMNに至ったすべてのプロジェクトを予定通り終了します。
今後、TMNあるいは、TM NETWORK名義の新作が発表されることはありません。
当然,コンサート及びイベント等々の活動を行うこともありえません。
これは1984年4月21日、TM NETWORKがデビューした時点から想定していたプログラムの実行に他なりません。
ビデオクリップやレーザーディスク等のAUDIO & VISUAL感覚に支えられた、ニューメディア第一世代を意識した、本プロジェクトは今公演を以て全工程を完了します。
ユニット、終身雇用的なバンドではなく、独立した個性の連帯という形態のTM NETWORKはデビューから斬新な存在でした。
その精神をTMNも継承し、小室哲哉、宇都宮隆、木根尚登を中心にしながらも、有機的な拡散を行ってきました。
また、ヴィジュアライズされたショーに於いても、ストーリー性を持つコンセプチュアルなステージに於いても、賛否両論はあったにしても、それまでのコンサートとは一線を画すエンタテイメントを提供できたと自負しています。
そして音楽的にも後続するアーティスト達にインパクトを与え、アイディアを供給し得たのも事実である、と認識しています。
彼等のヒット曲の中に自分たちのオリジナリティーを見い出すことで、本プロジェクトの意義の大きさを客観的に位置づけることもできました。
従って、TM NETWORKからTMNへの10年間で日本の音楽シーンに、何らかの形で一石を投じられたものと考えます。
そして、本プロジェクトは当初の予定通り終了します。
10年に渡り協力、応援、激励して頂いた、全ての方々に、心からの感謝を贈ります。
今後、小室哲哉、宇都宮隆、木根尚登は各々が独立した個性であることを前提に新しいプロジェクトへ移行します。
21世紀対応のエンタテイメントとカルチャーを提供し得る存在でありたい、と思います。
今後の活動にご期待ください。

1994.4.21
小室哲哉、宇都宮隆、木根尚登


小室・ウツ・木根の連名で書かれているが、
文体から見て藤井徹貫の作文であろう
ただ基本的なコンセプトは小室が発案し、
ウツ・木根の確認を経たものを徹貫が文章化したものと見て良いと思う


「終了」宣言には一緒に、「終了」の大きな文字と3人の写真、
そして「終了」のトレードマークが掲載された
このマークは3つの円が重なりあった形をしている
それぞれの円がメンバーを象徴しているのだろう
この時は4/29チケット発売の「TMN 4001 Days Groove」の宣伝も、
同時に掲載された
つまり新譜とライブの告知を兼ねた広告だった




「終了」宣言によれば、TMNはデビューの時点で、
10年での活動「終了」をプログラムとして決定していたという
もちろんこれを文字通り受け取るわけにはいかない
実際に「終了」ライブの仕切りを依頼された立岡正樹は、
つまりTMN解散のライブとして打診されたという
実質的には明らかに解散の発表にほかならなかったのだが、
この時はこれを「終了」というストーリーとして提示してわけである


TM NETWORK/TMNの活動は、まずコンセプトを提示して、
そのコンセプトに沿った作品を発表しライブを行なうという、
アイデア中心の活動形態だった
その意味で、一つの世界を禁欲的に追求したり、
普遍的な音楽を目指したりという姿勢ではなく、
その時に面白いと思った、あるいは思われそうなアイデアを、
時宜に応じて提供したのがTMだった


そのコンセプトは往々にして誇大広告だったり見切り発車だったりしたが、
メディアもファンもそれに乗って、
TMの提示するコンセプトに期待を抱き、盛り上がってきたのである
そしてTMNは最後の最後になっても、
やはり10年間のプログラムの「終了」というコンセプトを提示してきた
いわばTMNは、最後まで演じきったわけである


小室は後に、TMNをうやむやに終わらせるのが嫌だったと発言している
音楽的な可能性としてはtrfを選んだ小室だったが、
やはりTMNも、最後まで華々しい存在として、
世間の脳裏に焼き付けておきたかったのだろう


うまいと思うのは、事実上の解散を「終了」と名づけたことである
解散という消極的な表現を避けることで、
意図的にプロジェクトを終わらせたという積極的なニュアンスが付与されたわけである


その前提には、YMOの「散開」があったに違いない
TMデビュー前年の1983年、
YMOは「散開」と称して最後のツアーを行ない、事実上の解散を行なった
そのYMOは、1993年2月から6月、
「再生」と称して一時的な再結成を行ない、世間の注目を集めている
以上を時間軸で整理すれば、以下のようになる
1983年YMO散開→1984年TMNデビュー→1993年YMO再生→1994年TMN終了


つまりTMNの「終了」が決定する少し前、YMOが世間を騒がせており、
しかもその活動は、「散開」を連想させる「再生」という、
二字熟語のキーワードをコンセプトとしていた
小室が1993年4月「月刊カドカワ」に「TMN再生」と題するエッセイを書いているのも、
YMO「再生」を意識したものに違いない


ならば「終了」が「散開」を意識したものとする想定は十分に可能だろう
小室がデビュー期のTM NETWORKや「天と地と」などで、
坂本龍一を意識し続けてきたことを考えればなおさらである
「終了」期の小室のインテリ風の髪型・スーツ姿という出で立ちにしても、
「散開」ライブ「1983 YMO Japan Tour」をモデルにしたものだろう
(前髪を少し垂らすという点まで共通する)


さて、「終了」はどのような過程で決定したのだろうか
これについては、あまり詳しいことが分からない
ただ3人が某和食系レストラン(ファミレス?)に集まり、
ウツ・木根から決断を託された小室が決定を下したということのようである


おそらくその時期は、次年度の契約内容を決定する2月頃だろう
次章で詳しく触れるが、
3月上旬にはスタッフが「終了」を前提に動いていたようである
この頃関係者はtrfのブレイクという現実の前で、
実際にはすでにTMN「終了」の決定を覚悟しており、
あとはそれを確認するだけの段階だったと思われる


1992・93年の時点では、
TMNの活動を先送りして休眠させておくことは可能だった
だが1994年は年度初めからTMN10周年の記念日である
すでにメディアで10周年の活動の予定を宣言していた以上、
この時は休眠という曖昧な選択は許されなかった
TMN10周年という期日のために、
TMNを再開するか終わらせるか、
きちんと白黒つけることが求められることになってしまったわけである


ただし小室は1993年末頃には、
「終了」に向けて動き始めていたらしい
「深層の美意識」によれば、年の暮れも近い頃(12月中・下旬頃か)、
小室が立岡正樹と石坂健一郎に連絡して、
TMNの解散ライブの準備を依頼したという
立岡はこれを12/31と言っており、
その時は小室から呼び出されて2人で話し、
その後石坂と相談したという
石坂は元旦、音響担当の志村明にこの件で連絡したと言う


立岡・石坂はともにかつてTM NETWORK時代のスタッフで、
現在ではともにm-tres(ウツが所属する事務所)のスタッフとなっている
立岡は2代目のTMマネージャーでもある
また石坂・志村はYMO「再生」の東京ドームライブに関わった
1994年5月の「TMN 4001 Days Groove」は、
石坂の采配で東京ドームで行なわれたが、
「終了」がYMO「散開」を意識したものになったのは、
石坂・東京ドームとのつながりが影響しているのかもしれない


重要なのは、この頃二人がタイムマシンから独立していたことである
つまり小室はタイムマシン関係者ではなく、
別のところにいたTM関係者に最後の活動を託したことになる
ここからタイムマシンと小室の確執の継続を推測する見解もある
「深層の美意識」でも石坂・立岡について、
「複雑に絡み合った事務所の人間関係がこじれた中で、この仕事をやりきれるのは自分たちしかいない、ということだけは理解できた」
と、おそらく石坂へのインタビューに基づいて記されている


12月と言えば、「AAA '93」でTMNの久々のステージが行なわれた12/1の後、
trf第二のヒット曲「寒い夜だから…」リリースの12/16の前後である
一日だけのTMNのステージを終え、trfのブレイクを目前に控えた頃で、
小室はtrfの2ndフルアルバム「World Groove」のレコーディング中だった


この時点でTMN解散は、
小室の中でかなり濃厚な可能性ではあっただろうが、
まだ確定はしていなかったと思われる
だがTMNの解散ライブを行なうとすれば、
その半年前頃には動いている必要がある


もしも解散を敢行しないことになれば、
TMNの10周年記念ライブを行なえば良いだけのことである
ひとまず解散が実現した場合の準備はしておかなければならなかった
おそらくこうした小室の判断の下で、ライブの準備は始まったのだろう


小室はこのライブの手配について、
立岡らには解散の旨を伝えていたが、
丸山茂雄などの関係者にはその件は伝えていなかったらしい
ということは、TMNの解散が正式に決定する以前に、
ごく一部の関係者の間で準備が進んでいた段階があったことになる
年明けからしばらく、1月のある時点までは、
解散は決定していなかったのだろう
タイムマシンと反目していた小室がタイムマシンと無縁の立岡・石坂に依頼していたことを考えるに、
タイムマシン側は把握していなかった可能性もある


ただしもちろんメンバーには、事前に打診していた
木根はラジオ局の帰路(「TMN United」か)、
もう一度TMNで考えてみないかと小室に相談したが、
小室は聞かなかったという
1993年終わりから1994年初め頃の話だろう


小室は東京ドームのライブについて、
事前にキャピトル東急ホテルで木根と相談していたことも知られる
(ウツもそこにいたかどうかは不明)
立岡・石坂にライブの仕切りを依頼することも、この時に決まったと言う


これは立岡・石坂に依頼する大晦日の少し前、
1993年12月のことに違いない
この時点で少なくとも小室と木根(おそらくウツも)の間では、
東京ドームライブの計画が同意されていたことになる
おそらくこの時点で3人とも、TMN解散を視野に入れていたはずだ


その後の「終了」決定については、
ウツも木根は反対しなかったというが、
それはこれまでの数ヶ月間、
周囲がすでに「終了」へ向けて動いていたことによって、
覚悟もできていたのだろう


3月頃にはこの情報は、各所にもれていたようで、
スタッフに近いファンの間では知られていた
確実な情報ではなかったが、すでに4月16日、
スポーツニッポンにもTMN解散のスクープが出ていた
また1994年4月20日、
T.UTU with the Band「Live Water Dance」ファイナルの武道館公演では、
土橋安騎夫がMCでTMNのライブのことを口走ってしまう一幕もあった


ウツがソロツアーの打ち上げを終えて帰宅し、睡眠を取った後、
3人は某所に集合して夜にニッポン放送のスタジオに向かった
この時ラジオ局前には、「終了」報道を見たファンが待ち構えていたという
3人はその後打ち合わせを行ない、
4/22の深夜午前1:00から「オールナイトニッポン」に出演した
もともとこの日には、
「TMNのオールナイトニッポン 10周年記念スペシャル」が予定されていたが、
「TMN終了スペシャル」とタイトルを変更して放送された


3人はこの番組で過去10年の軌跡を振り返りつつ、
「終了」の趣旨説明や「TMN 4001 Days Groove」の告知を行なった
この時のスタジオの様子は、「Decade」で見ることができる
そしてこの日から3人は、
雑誌のインタビューやラジオ番組の収録を連日行なった
ラジオ・テレビでは「TMN 4001 Days Groove」の前後まで、
多くのTMNの特番が組まれ、TMNの歴史が振り返られた


皮肉にも「終了」宣言以後一ヶ月間の小室・ウツ・木根は、
それまでの2年間とは打って変わって、
3人で頻繁にメディアに出演する
ファンは「終了」決定によって、
久々にTMNとしての3人を目にすることができるようになったのである


テレビ番組では、簡単なコメントのみの出演もあったが、
主な出演としては、1994/4/29「Music Station」と、
1994/5/5「笑っていいとも」の「テレフォンショッキング」
の二つを挙げることができる
偶然だろうが、ともにタモリの番組である


後者は友人大江千里の紹介だが、
タイミングから見て、業界内でお膳立てされていたのだろう
(ちなみにTMNが紹介したのはaccess)
内容は他愛のないトークだったが、
これが史上最後のTMの「テレフォンショッキング」出演である


前者は「TMN 4001 Days Groove」のチケット発売日に当たり、
その宣伝も考慮して出演日を設定したものだろう
だが実際には発売2時間でチケットが売り切れたので、宣伝の必要はなかった
この番組が、TMN名義での最後のテレビでの演奏となる
(再結成後はTM NETWORK名義で出演)


この時の服装は、3人とも赤のシャツに黒のジャケットだった
シャツには「終了」のロゴが印刷されている
衣装の赤と黒の組み合わせは、
「Nights of the Knife」のCDジャケットをイメージしたものだろうか
最後の出演にふさわしい落ち着いた服装だったと思う
なおこの頃の小室は、テレビに出演する際にメガネをかけていた


この時はTMNの出演が番組でも目玉として取り上げられ、
特別に番組のトリとして8分間のメドレー演奏を行なった
「終了」ロゴと同じ円形の特設ステージで、
3人が3つの円それぞれに立って演奏した
最初はウツがマイクの前で視聴者にメッセージを告げる

えー10年間、本当にどうもありがとうございました。TMNが終わっても、僕たちそれぞれの新しい旅立ちを応援して下さい。


メッセージが終わるとともに、
「Self Control」のイントロが始まり、1番まで演奏された
ライブ中継を除けば、この曲をテレビで演奏したのは1987年以来で、
初めてテレビで見たファンも少なくなかっただろう
ただしオケは生演奏ではないようである
ついで「Love Train」冒頭サビと「Get Wild」のサビだけを演奏する
以上3曲はTM10年間の中での代表曲という位置付けなのだろう


アップテンポな3曲が演奏された後、
一転してステージが暗くなり、小室の即興シンセプレイが入る
そこから新曲「Nights of the Knife」を演奏する
ただしフルコーラス演奏ではなく、Aメロがはしょられたりして、
6分半程度の曲が4分近くに短縮されている


「Nights of the Knife」のみをフルコーラス演奏することもできたのだろうが、
この時はあえてファンのために、
過去の曲も織り交ぜたプログラムにしたのだろう
演奏が終わると、最後に3人にコメントが求められ、
3人は「ありがとうございました」と答えて出番を終えた


次章以後は「終了」期のTMNの活動を追っていくことにするが、
最後に挙げておきたいものがある
藤井徹貫の筆とされる「TMN終了宣言を検証す!」である


これは公式メディアで公表されたものではなく、
藤井徹貫の名でファンの間に流通しているものである
転載は自由だが、それに当たっては「藤井徹貫/著」を必ず入れ、
文面の一部変更や追加・カットは絶対にしないようにとの注意がされている
(転載する場合は注意してください)


その内容を信じれば1994年、「終了」宣言直後に書かれたもののようで、
TMN「終了」の真相として、事務所問題をほのめかしている
この点については木根も同様の趣旨の発言をしているし、
これまで見てきた事情からも、その可能性は高いと思う
そう考えると、TMN「終了」が事務所問題解決のための荒療治であり、
いずれ3人での活動を再開させることが前提であるという記述は、
なかなか興味深いものがある


ただしこれが徹貫の文章であるという確かな証拠はなく、
ファンの間で創作され流通したものである可能性も捨てきれない
文章は確かに徹貫風だが、
その気になればすぐに真似ることができそうな文体でもある


そもそも非公式とはいえ、
事実上TMNのスポークスマンの立場にあった徹貫にとって、
このようなものを広める必然性があったか、疑問を抱く余地は十分にあり、
私個人としてはかなり疑念を持っている
ただこの点は今となっては確認のしようがない


それなりに知られた文章ということもあり、参考までに全文を引用しておこう
これを信じるか信じないか、一部真実が含まれていると考えるかは、
各読者に委ねるしかない

【TMN終了宣言を検証す!/藤井 徹貫 著】
遂に我らが崇拝のグループ「TMN」がその活動を終了した。
4月21日の朝刊 を見て少なからずショックを受けた人も多いと思うが、少々その終了宣言に疑問を感じた向きも多い。
まずTMNの原点は何かというと、すべてトライアングルで動いてきたことが挙げられる。
メンバーの3人、事務所・アーティスト・レコード会社というトライアングル。
何もかもが3つの要素を基に動いてきたプロジェクトであり、これを忘れないでいてほしい。
また、もうひとつの重大なトライアングルがある。
それはメンバーの3人とファンとTMNという化け物のような「ニューマ」である。
ニューマこそ今回の一連の謎を解くキーワードだ。
つまり雰囲気でありムードであり、誰もがイメージする虚像のようなもの。
もし今回の「終了」が本当に10年前から決まっていたとしたら、
今までの一連の彼らの動きはいったい何だったんだろう。
「TMネットワーク」が完了し、「プロジェクトTMN」の開始を宣言したのも束の間、今度は終了宣言だ。
あの時と違って今回は降ってわいたように混乱をきわめている。
去年「一途な恋」が発表された時、レコード会社も1994年3月にTMNの次のアルバムが発売されると言っていた。
ラジオではウツのコンサートが終わったら何かが動くと期待を持たせるような発言をしていた。
そして4月20日以降、元の雄姿が見られると誰もが思っていた。
このような話は誰かが一人で決められるものではない。
先に言ったとおり、全てのトライアングルが承諾して初めて発表されることになることばかりだ。
おそらくこの時点ですべての内部の人間の了解事項として進んでいたに違いない。
しかし、何かが起こり何かが狂ってしまったのだ。
アーティストを取り巻く契約関係も複雑を極める。
アーティストとレコード会社と所属事務所とのこれまたトライアングルで形成される契約だ。
録音契約・専属契約を始め、原盤契約・著作権契約・芸能契約など数々の契約で結ばれている。
前回の「TMネットワーク」から「TMN」に変わった時はこの契約関係がなんら壊れていないのにも関わらず、今回3人共事務所を離れ独立することに迄なったのは果たしてどういう理由だったのだろうかと、ここに最大の疑問が浮かぶ。
誰もがわかるようなミステイクを冒したのか、それともそこまで頭が回らなかったのか。
いや、そこにこそ今回の終了宣言のメッセージの根源が隠されているとみた。
今回のメッセージの要約は「TMN」という名前は消えても、3人でまたやるかもしれませんよということ。
でも考えてもみたまえ。そういいながら、バンド名を変えたり、休業宣言したりしてきたことは今に始まったことではない。
しかしなぜ今回に限って終了宣言と、まるで解散コンサートと間違えられてもよいかのごとく行なったのか釈然としない。
普通こういう形で終了することを世間では解散と呼ぶが、解散としないところに重大な真実があり、こういう形をとらなかったところに悲劇があるような気がしてならない。
みんなにすぐわかるような嘘をつく人達かどうか。
いや逆に言えばもっともっと上を考えている人達である。
そこで考えられる結論はひとつ。
つまりどこかでトライアングルの崩壊が起きたということである。
メンバー3人の間は依然強固な関係を保っている。
レコード会社との関係も良好である。 とすれば・・・。
プロジェクトが終了したからといって事務所までやめるケースは前代未聞。
しかもまるで櫛の歯が一本一本こぼれるように離れていったのは!?TMNというニューマはあまりにも大きくなりすぎた。 あまりにもビッグになりすぎた。10年という歳月が3人を変えるように、また周りの環境も変えていってしまった。
つまりそもそもニューマというものは3人の分身として存在していたが、
このニューマを利用してやろうという邪魔が出てきたことである。
最初は黙認していたものの、その利用されたニューマに今度は3人自身が振り回されるようになってしまった。
そのニューマが意味するところのTMNであり続けるには、あまりにも制約が多くなりすぎたということだ。
自分達のイメージであり分身であるはずのニューマが勝手に独り歩きするようになってしまったともいえる。
3人の揺れ動く心理状態は極限に達していた。
今年の初め頃はまだ輝く未来を持っていたと考えられる。
ところがこの2〜3ケ月に大きく状況が変化したようだ。
マスコミへのリリース予定、ラジオでの発言がそれらを如実に物語っている。
トライアングルの綻びはそれらをいとも簡単に打ち崩し、スーパースターを伝説に変えてしまった。
メンバーが続けたいと思う意思と、それを拒む何らかの力。
その凄まじい戦いが、見えない所で行なわれていたことは容易に想像がつく。
ニューマというもの、御主人様を裏切って勝手に行動を起こしたり、すぐ別の天使に訳もわからずついていってしまうおおらかさがある。
そこで出した結論がこのニューマを切り捨てるということだったのだ。
要するにニューマを斬るということは、いくつかのトライアングルを壊すということ。
もし仮にこのニューマというものがイコールTMNだとしたら、TMNプロジェクトを終了させればいいだけの話である。
3人に創作活動を続けたい意思があるなら新しいプロジェクトを作り、新しいニューマをまた作っていけばいいのである。
当然、その時はまた新たなファンとのトライアングルが構築される。
3人はどれだけ歳を取っても、どんな状況になろうとも根っからのクリエイター達だ。
創作活動をやめるなんてありえない。 そこで起こした行動が今回の一連の姿だ。
ニューマを利用する誰かに対し、「もうTMNとしての活動は終わりであり 『ニューマ』を利用することは出来ませんよ」
と発しながら、他の誰かには「新しいプロジェクトを期待していてください」と言っているような気がしてならない。
TMNというあまりにもビッグになりすぎた名前の周りにはいろいろな人の思惑が渦巻いていた。
自分達の意思とは違った方向へ動かそうとするベクトルに対し、自らが断を下す悲壮な決意がここにある。
逆に言えば新たなる創造にそれだけ自信があるということの証明かもしれない。
その深い意味を最後のメッセージとしてくれた3人に対し我々が出来ることといったら、静かにその日を待つだけである。
3人は散り際のスタイルもこれからの幾多のバンドに対し新しい道を提供してくれた。
それに答えるには、我々も新しいファンのスタイルを確立することかもしれない。


(2011/11/22執筆、2019/4/14加筆)

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4-33 V2

2010/05/01 00:55
来週5/5、
AAAに提供した「逢いたい理由」がリリースされる小室さんですが、
6/16リリースのソロアルバムも公式に発表されました
TOMO Shopのウェブサイトより
[名称] 小室哲哉/アルバムCD【タイトル未定】2010/06/16発売
[記号] AVCG-70075
[発売日] 2010/6/16
[価格] \3,000(税込)

▼収録曲
●DEPARTURES(globe) 
●CAN YOU CELEBRATE?(安室奈美恵) 
●My Revolution(渡辺美里) 
●Get Wild(TM NETWORK) 
●タイトル未定 ※新曲 他 全10曲収録予定

4月以降の他アーティストへの楽曲提供活動で、あらためて楽曲のクオリティーの高さを示す小室哲哉、本人名義での復帰作品。
「DEPARTURES」(globe)、「CAN YOU CELEBRATE-」(安室奈美恵)、「My Revolution」(渡辺美里)、「Get Wild」(TM NETWORK)といった、自身のヒット曲をピアノヴァージョンにアレンジ。
昨年8月のa-nationで大好評を博したピアノ演奏、“作曲家 小室哲哉”の楽曲の素晴らしさをあらためて体感していただくALBUMになります。
さらにはピアノとシンセサイザーを駆使しての、映画音楽を彷彿とさせる壮大な新曲も収録予定。2月、3月の九州でのピアノ&トークイベントを序章に、6月からは全国ピアノコンサートツアーを開催予定。
これまでなかなか訪れる機会のなかった地域を積極的に回り、ファンとのふれあいを大事にするツアーを目指します。
音楽に正面から真摯に向き合う小室哲哉の姿勢と、その楽曲の素晴らしさを充分に感じる作品です。

やっぱりピアノアルバムでしたね
過去曲のピアノ演奏ってのは、
個人的に作品としてはそんなには惹かれませんが、
そもそも売ろうとかアピールしようとか考えているんじゃなくて、
音楽活動のスタートに当たっての記念みたいな感じなんでしょう
新曲も入るとかありますが、
アプローズ・ケイのサイトで使っているあの曲でしょうか


それよりも、「6月から全国ピアノコンサートツアー」!
こっちの方がうれしいです
つうか、多分今回のアルバムって、
このコンサートのCD版みたいな感じなんでしょう


4/28、ウツDVDも出ました
今考えると、なんで記念日の4/21に合わせてリリースしなかったんでしょう
4/21に近いのはそういうことだと思うんですが、
微妙にずらしているのは不思議です


私は「SMALL NETWORK」だけ買いましたが、
Fence of Defenseの演奏はやはりいいですね
MCもだいたい収録されているっぽいです(楽器対決コーナー以外?)
あと、「SPEEDWAY and TK Hits!」のDVDがリリースされなくなってしまった今、
「Diving」「Pride in the Wind」が収録されているのは、
実は結構貴重かもしれません


あとどうでもいい情報なのでスルーしていましたが、
magneticaのサイトによれば、4月から9月にかけてiTunesで、
過去三回のtribute LIVEの音源・映像を配信するそうです
昔もtribute LIVEの音源を配信したことがあった気がしますが、
DVDになっている音源を配信されても別にどうでもいいなぁ
DVDになっていない音源ならまだ分かるんですが…
DVDを買わないライトファンがtribute LIVEの音源なんていうマニアックなアイテムに金を払うとも思えないですし…


あぁ、SONYがTM楽曲を配信していないから、
配信で入手できるSONY時代のTM楽曲はtribute LIVE音源しかないということか…
いずれにしろ私にはどうでもいいです


それと、みっこさんの「小室みつ子のGet Wild」
今回は見逃さずに見られました
前回・前々回の木根さんと同様に、
みっこさんは浅倉さんにも常時注意されてフォローされていました
3回目でこれだと、多分慣れとかそういうことじゃないんでしょうね(苦笑)


番組は基本的に浅倉さん話で進行しましたが、
少しTM話も入っていました
ツアー中に小室さんの発案で、
木根さんだけに秘密で曲順を変えたら、
木根さんが怒ってステージから引っ込んじゃったことがあるそうで、
(木根さんも怒るんですね)
その時に小室さんが「浅倉君が…」と罪をなすりつけてきて、
浅倉さんも驚きながら「ごめんなさい」と謝ったそうです
木根さんも、絶対に小室さんのせいだと分かっていたはずですが(笑)


ちなみに3/19に放送された第2回も、
第3回の放送に合わせて公開されました
見逃した方は是非!


前置きが長くなりました
では本題に入ります

----------------------------
1991/10/31、TMNの小室哲哉とX(現X Japan)のYOSHIKIは、
キャピトル東急で記者会見を開いた
新ユニットV2を結成するとのことで、
V2結成の経緯とともに、
1991/12/5東京ベイNKホールでのライブも発表された


会見中


V2というユニット名は小室が命名したものである
小室の「告白は踊る」によれば、
YOSHIKIのプロジェクトのイメージには、
violence, victory, violet, variable, versus, visualなど、
Vの付く言葉が多く、
また二人のユニットということもあったので、
V2と名づけたと言っている


V2というユニット名は、
第二次世界大戦時にドイツが開発した弾道ミサイルの名前もかけている
小室の愛犬ユンカースもドイツの戦闘機の名前であり、
小室の嗜好が入っているのだろう


V2の活動はそれほど多くはない
だがこのユニットは、当時大変なインパクトがあった
1991年から1992年の間、
日本ではヒット曲はあまた生まれたが、
「なんじゃこりゃ?」という感想も含め、
色々な意味でこれほどの破壊力を持ったグループは、
他になかっただろう


二人の関係は、小室からのアプローチで始まった
1990年9月、音楽評論家の吉見佑子を介したものだったという
(本記事通りすがりの名無しさんコメント)


小室がテレビでXを見て、そのドラムを聴いて衝撃を受け、
またピアノも弾けるという点にも関心を持ったという
Xは80年代末のブームの中で現れた有象無象のバンドと違い、
派手な外見と演出だけでなく、音楽面での完成度も高かった
小室はレコーディングスタジオを抜け出して、
Xの武道館ライブにも足を運んだというが、
おそらく1990/5/7・9「Rose & Blood Tour Final」のことだろう


Xは1989年にメジャーデビューして以来、
「紅」「Endless Rain」などヒット曲を連発しており、
小室の目にも止まったものと思われる
折しも小室はTMNへのリニューアルを試みようとしており、
ハードロックやへヴィーメタルへの関心が高まっていた時期であった


二人は飲み仲間となり、頻繁に会うようになった
さらに両者と親しかったTHE ALFEEの高見沢俊彦も加わった
「笑っていいとも」のテレフォンショッキングでも、
YOSHIKI(1991/7/9)→高見沢(7/10)→小室(7/11)
という関係で紹介されている


二人は音楽の方向性やバックグラウンドはあまり共通しないが、
派手なライブの演出、耽美的なビジュアルと演出された世界観など、
音楽の魅せ方に関しては共通する点も多い
メジャーデビュー前から「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」に出演したことに現れている発想の柔軟さなど、
必ずしも枠にとらわれないYOSHIKIのスタイルは、
小室がそれまで目指してきたものとそう遠くはなかった


一言で言えば二人とも、
小さくまとまらず、豊富なアイデアで周りを驚かせようという、
旺盛な野心の持ち主だった
この頃の小室の発言を以下に引用しておこう

彼(YOSHIKI)もすごく戦略家というか、企画を沢山持ってて、いろんなアイデア持ってて、で驚かしたりとかね、そういうのが好きな方なんですよね。そういうところで気が合って。
「サーフ&スノー」1992/4/18)


一方のYOSHIKIも、
当時小室を「認めている」「尊敬している」と言っていた
後まで続く関係を考えても、表面上の社交辞令ではないのだろう
現在でもかなり意外な組み合わせに感じるのだが、
お互い認め合うものはあったのだと思う


ただし飲み会の話題の中心は音楽ではなく、音楽ビジネスだった
インディーズ時代から版権などをとりしきっていたYOSHIKIには、
音楽著作権の知識があり、
自分に入る収益の率が小室よりもはるかに良かったらしい
小室はこのことに大変関心を持ったという


この頃から小室が事務所ともめるようになることや、
思いつきの無謀な事業に手を出すようになるのも、
これと関係しているのであろう
この後小室は事務所から離れ、TMNは休止状態に陥り、
ついにはTMN「終了」に至ることになる


ちなみに話は横道に逸れるが、
木根も同じ頃に別ルートでXのTOSHIと接触を持っていた
「木根尚登のオールナイトニッポン」のゲストに来たのである


この番組には「ロック三バカ君」というコーナーがあり、
あるテーマについてポップス君・ヘビメタ君・パンク君という3人のキャラクターがどのように対応するかをリスナーが考え、投稿するというものだった
一般にはポップス君が常識的な対応、ヘビメタ君は暴力的な対応、パンク君が頭の悪い対応をすることになっていた


1990/4/11、このコーナーのスペシャルが組まれ、
ヘビメタとパンクのミュージシャンをゲストに招いたが、
この時にヘビメタ君として呼ばれたのがTOSHIだった
だがコーナーのコンセプトを考えれば、
ヘビメタ君とパンク君は笑われる役であって、
ヘビメタとパンクのミュージシャンにとって愉快なはずがない
実際に番組中では、コーナーが始まってから、
ゲスト二人ともほとんど発言がなくなった


木根は盛り上げようとしているのだが、
大変険悪な雰囲気になっていることは伝わってきた
この番組は寒い話がいくつかあるが、その中の一つである
ただしこの企画を通した木根も木根だが、
もっとも非難されるべきは放送作家の藤井徹貫だろう


ただこの後、木根とTOSHIが仲良くなったことはよく知られている
初対面の段階では印象が最悪だったと思うのだが、
何があって仲良くなったのかは分からない
木根からの働きかけがあったのだろうか


ともかく小室・YOSHIKIと木根・TOSHIの縁もあり、
TMNとXのメンバーは仲が良かった
2007年のX Japan再結成には小室も関わっていたらしい


さて、話を小室とYOSHIKIに戻そう
HIGH VOLTAGEの記事によれば、
YOSHIKIはX「Jealousy」レコーディングのため、
1990/11/24〜1991/6/5にはロスアンゼルスにいたので、
この間は小室や高見沢との飲み会はなかったはずである
だが小室からは国際電話で連絡は入っていたという


YOSHIKIの帰国後、また高見沢を交えた3人の飲み会が始まった
この時小室から、一緒に音楽をやろうという提案があった
一年前からそのような話は出ていたらしいが、
それが現実に動き出したのはこの時のことだった
後の小室の発言によれば、TMNはこの頃落ち目で、
(この発言は当時の小室がTMNをどう見ていたかの参考になる)
盛り上がっていたXの勢いを借りようとしたのだという


実際に1991/7/1リリースの「Jealousy」は、
一週で61万枚という驚異的な数字を叩き出し、
1991年度82.8万枚(最終的に111.3万枚)、年間12位を記録した
2ヶ月後リリースのTMN「EXPO」(64.8万枚)と比べ、
勢いは明らかにXの方にあった


小室はEPIC/SONYに、YOSHIKIはCBS/SONYにそれぞれ掛け合い、
ユニット結成を認めさせた
7月上旬「笑っていいとも」出演時には決まっていたというから、
7月初頭には話がついていたはずで、
YOSHIKI帰国から間もない1991年6月には、
すでに話が出ていたと思われる


実はこの時、高見沢もユニットに入る案もあったのだが、
結局実現しなかった
小室とYOSHIKIの所属は違うとは言え、
ともにSONYグループだったが、
高見沢はポニーキャニオンだったため、
実現が難しかったのだろう


この企画は3人の飲み会で決まった話で、
レコード会社のあずかり知らぬことだった
飽き飽きするほど見る会社主導のミュージシャンのコラボとは違い、
V2結成は完全にミュージシャン主導で始まったものだったのである


もちろんレコード会社側としても、
うまみのある話だからこそ認めたのだろうが、
魅力的な企画を考え出す構想力とその実行力は、
さすが小室といわざるを得ない
かつてTM NETWORKを生み出し、
後にTKブームを作り出すことになるエネルギーは、
この時も健在だった


V2で最初に始めたのは、
シングル「背徳の瞳」のレコーディングだった
これは当初年内12/26にリリースするはずだったが、
後に1992/1/18に延期された
また1991/12/5には、
ライブ「V2 Special Live Virginity」も行なっている


小室はV2で、シングルのリリース、あるいは音楽活動に限らず、
面白いことを思いついたらやってみたいと当時発言していたが、
もともとシングル1枚だけの企画だったらしい


小室は可能ならまだ続けたいと思ったのかもしれないが、
1992/3/25リリースのビデオ「Special Live Virginity」以後は、
現在まで活動は行なわれていない
1992/3でXがCBS/SONYと契約が切れ、
更新されなかったことも関係するのかもしれない


ただし2002年、YOSHIKIがglobeに加入しており、
小室とYOSHIKIのユニットはここに復活した
もっともYOSHIKIの関わった作品は、
シングル「seize the light」のみであり、
以後はglobeにまったく関わっていない


この後、2007年にV2再結成の動きがあったらしいことが、
小室のブログより知ることができる
だが翌年の小室逮捕もあり、以後関連する動向は聞こえてこない


結局のところ、V2は後につながるものを生み出さなかったし、
現在では90年代初頭音楽シーンのネタの一つとして挙げられるに過ぎない
しかし意外な組み合わせだったこともあり、当時はかなり注目された


TMNは1992年には事実上その歴史的生命を終えることになるが、
小室はその直前に、「現役」のミュージシャンとして、
音楽界に話題を提供することには成功したのである
V2はTMN(のメンバー)が見せた最後の華だったと言えるだろう


なお、どこまで真に受けるべきか慎重になるべきと思うが、
小室は後に、V2の活動を行なう中で裏方の仕事の面白さに気付き、
これが後のプロデューサー業の前提になったと言っている
だとすればV2は、
小室がTMNリーダーからプロデューサーへと転身する、
橋渡しの役割を果たしたことになろう


最後に、V2のメディア出演について触れておこう
まずテレビについて、演奏したものを以下に列挙する

・1991/12/13「Music Station」(テレビ朝日)
 「背徳の瞳」
・1992/1/2「ヤマモリステーション」(テレビ朝日)
 「背徳の瞳」
・1992/2/28「G-Stage」(フジテレビ)
 「背徳の瞳」


演奏曲はすべて「背徳の瞳」である
「Music Station」「ヤマモリステーション」は、
CDリリース前の演奏である
特に「Music Station」出演は、
ライブ終了後、CDリリース1ヶ月前のことであり、
なぜこのタイミングになったのか不思議である
ちなみに「ヤマモリステーション」では、
小室はTMNとしても出演し、
「Still Love Her」を演奏している


衣装は毎回違うが、だいたいゴージャスな出で立ちである
「ヤマモリステーション」の小室だけは「EXPO」っぽい雰囲気)
「Music Station」の衣装は、
小室もYOSHIKIも「Special Live Virginity」で使ったもので、
小室はシングル「背徳の瞳」のジャケットとも同じである


演奏は最初ピアノで二人がイントロのピアノを弾き、
それから立ち上がって、
YOSHIKIはドラムセット、小室はマイクの前に移動して、
本編に入るという形を取る(ライブでも同じ演出)
「Music Station」ではイントロのピアノがCD版と全然異なり、
一聴の価値がある


イントロ後のオケはCD音源を編集したもので、生演奏ではないだろう
ただしアウトロには少しシンセが加えられている
またオリジナルの楽曲は7分近くあるので、
テレビではオケが短く編集されている
「ヤマモリステーション」は長め)
なお「Music Station」「G-Stage」で、
一番のサビ前の間奏が削られているのは大変遺憾である


小室は「Music Station」「ヤマモリステーション」では、
置かれたキーボードを弾きながら歌うが、
「G-Stage」ではショルダーキーボードを持って歌っている
またこの時の小室は生歌である(他の二回は口パク)


V2は歌番組に限らず、
1992年2〜3月に頻繁にバラエティ番組に出演した
3/25リリースのライブビデオの宣伝が目的であろうが、
小室はTMN活動休止が決定する中、
一人で新たな可能性を探っていたのかもしれない


具体的な出演例としては、
2/18「なるほどザワールド」や3/18「やまだかつてないTV」の他、
小室一人だが、3/20には「ものまね珍坊」にも出演している


ラジオでは特番として、
3/19「V2のオールナイトニッポン」が放送された
YOSHIKIは放っておくとしゃべらないので、
小室ががんばって番組を進行していた


あの小室が2時間の番組を仕切ったことは驚きだが、
どんなマイペース人間でも自分以上にマイペースな人間がいると、
こうなってしまうものだろうか


背徳の瞳~Eyes of Venus~
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1992-01-18
V2
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4-23 TMN EXPO SPECIAL

2009/12/26 06:08
一年がまもなく終わります
本来なら25周年で大盛り上がりだったはずの年でしたが、
小室事件によってすべて台無しになってしまいました
しかしTM NETWORKの復活が有り得るかはまったく不鮮明ではありますが、
ともかく小室さんは執行猶予を得て、音楽活動を再開させることができました
正直言って、逮捕前の状態のままズルズルと行っているよりも、
心機一転して良い音楽を作ることができるようになったという意味で、
よかったのだと思います


前回書いた通り、先日小室さんがTV出演しました
番組の内容自体は、取り立てて触れることもありませんが、
小室さんは自分の今までの人生を見つめて、反省している態度を示していました
本心から反省しているものと信じて、見守っていくつもりです
しかしTMの頃は、このまま一生世間知らずの音楽オタクのまま、
わがままに音楽活動を続けて欲しいと思ったものですが、
十数年後にこんなことになってしまい、時間の流れの残酷さを感じます


来年はソロ活動はともかくとして、
TM NETWORKとしての活動は多分何も無いでしょう
来年春にはこのブログの第四部も終わるはずです
その後は書くか分かりませんが、
もしも書くことになれば、年内に「終了」までは行くかもしれません
いずれにしろこちらはだらだらとやっていくつもりです


(追記)
ちょっと反則ですが、新記事アップしたのとほぼ同時に小室さん記事が出ましたので、追記します
サンケイスポーツの記事を転載します

小室哲哉、復帰第1作やしきたかじんに提供

今年5月に詐欺事件で有罪判決を受け、執行猶予中の音楽プロデューサー、小室哲哉(51)の“復帰第1作”は、歌手でタレントのやしきたかじん(60)の新曲になることが25日、分かった。

 現在、小室は来年50人のアーティストに提供する楽曲作りに励んでいるが、判決後、具体的なリリースが明らかになるのは初めて。関係者によると、新曲は「たかじんの泣き節を生かしたバラード。タイトルは未定でレコーディングもまだだが、来年春ごろに発売になる」という。作詞は秋元康氏(53)が担当し、たかじんにとって、7年ぶりのシングルCD発売となる。

 きっかけは、7月に大阪を元気づけようと有志が集まって結成された任意団体「OSAKAあかるクラブ」。キャプテンを務めるたかじんが、同クラブのテーマソングを親交のある秋元氏に依頼した。同氏は過去に、小室と組んで堀ちえみ(42)や原田知世(42)の楽曲を提供したことがあり、たかじんは「ぜひ、作曲は小室さんに!」と関係者を通じ、小室が所属するエイベックスにラブコールを送っていた。

 同クラブは“町おこし”の意味合いがあり、大阪府民のため、さまざまな場で歌い継がれていく。社会を騒がせた小室にぴったりの“復帰曲”になりそうだ。


正直言って、大変微妙なところですが…
そもそもたかじんって全盛期の小室さんをめちゃ中傷しまくてったし
まあ現状では話題性がある限り拒む余裕はないのでしょうね
秋元康とのコンビってのは、
堀ちえみの「愛を今信じていたい」「Omoide O Okizarinishite」原曲)とかを思い出しますね
まあ、今回はああいう曲にはならんでしょうが…


では本題に入ります

------------------------------------------------------------
TMNは1991年、本放送を開始したWOWOWに積極的に出演した
その最初は、TMNとしてではないが、
1991/4/21小室ソロライブ「THINK of EARTH」の中継である


WOWOWと関わったのは、一つには小室の未来志向、
あるいは新しい物好きの性格も関係しているのだろう
またTMデビュー当時のPVへの着目からも分かるように、
元来小室は映像作品への関心が強かった


まだ視聴率が相当限られたWOWOWと関わることに、
宣伝効果がどの程度あったのかは疑問でもあるが、
ともかく多くの出演機会が設けられたことは、
ファンとしては嬉しい出来事だっただろう


「THINK of EARTH」の後、TMNとしての最初の出演になるのが、
「21世紀シアター」の一コーナーである「the movie session」である
6月から12月の間、TMNメンバーが5分程度出演し、
12回に渡って映画について語った


三人が映画に造詣が深いわけでもなんでもなかったが、
にもかかわらずこうした起用がされたこと自体、
TMNとWOWOWの関係の深さを示している
ちなみにテーマは以下の通りである

・1991/6/29「第1回:映画との出会い」
・1991/7/21「第2回:ホラー」
・1991/7/26「第3回:ラブストーリー」
・1991/8/11「第4回:いとしのスター」
・1991/8/29「第5回:効果音」
・1991/9/12「第6回:映画館」
・1991/9/30「第7回:映画音楽」
・1991/10/14「第8回:車」
・1991/10/30「第9回:エッチな映画」
・1991/11/16「第10回:この人になりたい」
・1991/11/30「第11回:笑える映画」
・1991/12/14「第12回:今年のベスト1・ワースト1」


この他、1991/12/5には、
V2のライブ「Virginity」の中継も行なわれているが、
何と言ってもTMNに関して重要なのは、
レギュラー番組「TMN EXPO SPECIAL」である
5回に渡ってそれぞれ1時間〜2時間半の特番が組まれた
事前に撮影した映像をさしはさみつつも、
いずれも生で放送された


第1回(1991/10/4)と第2回(1991/11/10)は、
それぞれメンバーのトークとオリジナルビデオクリップ、
第3回(1991/12/1)は特別ライブ「TMN Wild Heaven」
第4回(1992/1/15)は成人の日のファンイベント、
第5回(1992/4/12)はツアー「EXPO Arena“Crazy 4 You”」の、
それぞれの生中継となっている
(第5回は再放送もあり)


日程を見ると、10月から1月までは月1回放送しているが、
第4回と第5回の間が随分と空いている
実は本来この番組は、
10月から4月まで月1で7回放送する予定で、
2月にはValentine's Day Special、
3月・4月には「TMNランド」なる企画があった


TMNランドが何なのか良く分からないが、
多分決まっていなかったので、適当につけたタイトルなのだろう
この内で4月放送分はライブ中継になったが、
2・3月分は流れてしまった
その事情ははっきりしないが、
本章の最後で触れるように、
年末頃にTMNのスタッフの間で動きがあったようであり、
それが影響している可能性が高いと思う


本章では「TMN EXPO SPECIAL」の内、
ライブ中継ではない第1回と第2回について、
その内容を見て行こう
第3回以降は、別にライブ関係記事として取り上げることにする


第1回と第2回は、ともに1時間をかけて放映された
ともにオープニングテーマは「EXPO」である
「EXPO」ジャケットの絵を用いたCG映像が流された
なかなかセンスのあるオープニングと思う
この2回の放送では、メンバーのトークや演奏・ライブ映像の他、
「EXPO」収録曲のオリジナルミュージックビデオも放送した


これらはいずれも一度放送されただけのレアビデオである
一部のビデオは動画サイトなどで公式PVと誤解されているようだが、
一般放送用のPVではない


第1回「TMN EXPO SPECIAL」の舞台は、
「EXPO」レコーディングで用いたスタジオである
まずはメンバー三人がスタジオを案内する
休憩室(ウツのファミコン部屋)を経て、
メインのスタジオ部屋とピアノ部屋を、順番に回る
BGMは「We love the EARTH (Single Version)」


ついで「Love Train」のPVが流れる
イントロでは通常のPVが流れるが、
歌の部分はメンバーがスタジオで演奏する生映像である
もっとも、演奏とはいっても当てフリで、歌も口パクである


なおこの曲の演奏中、
レーザー光線の効果を増すためにスモークが焚かれているが、
演奏後のトーク時にもものすごい量が残っており、気になる
全体的にこの番組、演出がイマイチなところが多い印象がある


ついで「小室哲哉ブース」のコーナー
小室がスタジオでピアノを弾きつつ、
TMがデビュー以来少しずつ生楽器を増やし、
人間味を増していった経緯を述べる
「Mademoiselle Mozart」の話もしており、
発表前の「マドモアゼル・モーツァルトのテーマ」も、
少しだけ弾いている


ついで「Just Like Paradise」のビデオ
ウツとツアーのダンサーたちが、
(当時の)斬新なダンスを繰り広げる
撮影はツアー中、名古屋豊橋のクラブKing&Queenで行なわれた
ダンスは「Tour TMN EXPO」に準じている
ちなみにビデオ中で木根が小窓の中に映っているが、全然いらないと思う


「宇都宮隆ブース」
ウツが豊橋King&Queenで、
「EXPO」のサウンドの要であるハウスについて語る
特に「Crazy For You」について語っており、
「僕たちなりのラップ」と言っている
(この間、BGMも「Crazy For You」


「あの夏を忘れない」ビデオ
ウツが夕焼けを背景に歌うだけの映像だが、
放送と同時進行で、スタジオでメンバーが演奏しており、
ところどころでその映像も映る


「木根尚登ブース」
川原の芝生に座る木根が、
吉田拓郎など自分が若かった頃に聞いたフォークへの思いを語り、
あわせて「月の河」を作った時のエピソードも述べている


「月の河」
木根が川原で、Tシャツ・ジーンズのスタイルで、
アコギを弾くだけのビデオである
川原は木根の自宅の近所だという
出演は木根だけで、歌っているのも木根だが、
曲のメインボーカルはウツという、
少し違和感のある映像である



フォークシンガー木根



ただこのビデオ、実はかなり貴重である
「TMN EXPO SPECIAL」で披露された全ビデオでも、
一番貴重かもしれない
というのも、「月の河」「EXPO」では、
「I Hate Folk」と一緒になって、
単独の曲としては完全な形で聞くことができないのだが、
このビデオでは完全版を聞くことが出来るのである
現在でもこの曲の完全版を収めた商品は存在しない
(ただし木根尚登版は「Running On」に収録される)


次は「シンクラヴィア パビリオン」
「Syclavier Pavilion」だから、
「シンクラヴィア パヴィリオン」か、
「シンクラビア パビリオン」とするべきと思うのだが、
「シンクラヴィア パビリオン」らしい


それはともかくここでは、
TMNのアピールポイントだったシンクラヴィアが取り上げられた
小室曰く「音の百科事典」で、無い音は無いとのことである
小室が即興でシンクラヴィアで曲を作る試みも行なわれた


「月はピアノに誘われて」
まずはスタジオから見える月が映り
その後は本屋で本を探す木根の映像と、
スタジオの木根の生演奏シーンが交互に流れる
この本屋は青山の洋書店で、9/30に撮影したものである
例によって木根の演奏と歌は当てフリ・口パクである


最後はピアノの前で3人が適当な話をする
これから何をしようかという話をしているが、
小室は「Crazy For You」を元にしたウツのドラマをやろうと提案もしている
グラデミーによる映画製作の野望を、まだ本気で考えていた頃なのだろう
締めは小室生演奏の「マドモアゼル・モーツァルトのテーマ」
これだけは本当に生演奏である(短いものだが)


ついで第2回はツアーの話を中心に展開する
番組は「Tour TMN EXPO」名古屋センチュリーホール公演の中継で始まる
中継されたのはアンコールの「Time To Count Down」最後のサビ繰り返しの部分である
「Tour TMN EXPO」はほとんど映像が存在しないので、
これだけでも極めて貴重である
実は現在ちゃんとした形で見ることができる「Tour TMN EXPO」の映像は、
「TMN EXPO SPECIAL」第二回で放送されたものだけである


演奏が終わり、ウツが「どうもありがとう!」と言った後は、
メンバーやサポートが会場にフリスビーを投げて退場する
小室は病みあがりで疲れているようで、会場に座り込んでいる
メンバーはツアー衣装のまま特設楽屋に入る
BGMは「Love Train」
後ろには当日のライブ映像がモニターに映されている

おい! この映像ちゃんとみせてくれ!!!!!!


ツアーのスタッフバス内の映像などが映された後、
「We love the EARTH (Ooh, Ah, Ah Mix)」のビデオが流れる
森で歌う三人の映像と、スタジオで演奏する映像を交えたものである
森の映像は、環境保護っぽい雰囲気を出すためだろう


ウツは森ではTシャツの上に黒の上着を羽織り、
スタジオではカラフルなシャツを着ている
「We are just creatures on the earth」などコーラスのパートでは、
小室と木根の顔がアップで映るが、
二人はどこを見ているのか分からない視線で、
無表情で口だけ動かしており、結構怖い


「宇都宮隆ブース」
事前にツアーのダンサー3人と一緒に撮影したものらしい
ツアーのダンスについて、4人が語っている
BGMは「Crazy For You」
バックではツアーの映像、
特にダンスメインのところを流している


「Jean Was Lonely」
「Tour TMN EXPO」のダンスをしながら、
ウツがダンサーを従えて歌っているビデオで、映像は白黒である
「Just Like Paradise」「We love the EARTH」と同じ日に収録された


「木根尚登ブース」
新幹線で移動中の木根が、
「CAROL」「ユンカース・カム・ヒア」など、
自らの書いた小説について語る
さらに新作「月はピアノに誘われて」と、
「月刊カドカワ」連載中の「武蔵野蹴球団」
についても語っている
BGMは「A Day in the Girl's Life」「月はピアノに誘われて」


「大地の物語」のビデオが流れる
ウツが少女とともに山(東京都秋川渓谷)にいるという内容だが、
ウツがハンマーを持って化石を掘ったり、
少女が水晶の結晶や捨てられたスピーカーを拾ったりと、
「大地」と絡めた内容となっている


だが化石を掘るのは、
曲的にどう考えても違うんじゃないだろうかと思う
この曲の歌詞が意味不明だとしても、
絶対に大地から化石を掘り出す歌ではないと思う
ハンマーを持ちながら「瞳には青い空」と歌うウツは、
突っ込みを入れずにはいられない


「小室哲哉ブース」
小室がピアノを前に、EXPOピアノの話と、
ミュージカル「Mademoiselle Mozart」の話をする
さらに「マドモアゼル・モーツァルトのテーマ」を、
EXPOピアノで演奏する
この段階でこの曲は完成していたものと見られ、
前回よりも完全版に近い形で演奏された


ついで「Wild Heaven」
同日のライブ映像である
現状で一曲完全な形で音源・映像が手に入る曲としては、
「Tour TMN EXPO」中で唯一のものとなっている
その点で、大変貴重な映像と言えるだろう


最後は、メンバー全員が揃ってトークする
場所は、客が帰った後のコンサート会場である
すでにツアー衣装から着替えて、スーツ姿になっている


新曲「Wild Heaven」の宣伝、V2結成の話や、
写真集「あの夏を忘れない」の宣伝を行ない、
サッカーチームTMN Junkersの試合の映像も流した
ウツと木根も試合に出ている(小室はやはりいない)
BGMは「Tomorrow Made New」


最後は小室がEXPOピアノで、「Think of Earth」を演奏する
ウツ・木根も横に立ってコーラスを担当する
もっともこれらはすべて当てフリ・口パクである
オリジナルはイントロが非常に長いので、
これを大幅に削ったテレビ用アレンジで演奏された


「TMN EXPO SPECIAL」はこの後の第3〜5回も含め、
映像会社グラデミーが番組制作に関わっている
(というより、グラデミーの業績はほとんどこの番組しかない)
これは小室が設立した会社で、
1991/2/14に小室が会社設立の記者会見を行なっている


この会社では小室が代表取締役になり、
ウツ・木根も取締役になった
「ぼくらの七日間戦争」以来の縁だった角川春樹や、
三菱商事がバックアップしていた


当初の目標には映画制作があった
木根の小説「月はピアノに誘われて」がその原作として書かれたことは、
すでに述べたことがある
「Tour TMN EXPO」中の1991年9月には、
映画関係者との打ち合わせが行なわれている


この他、「The Point of Lovers' Night」をモチーフにした映画も制作する予定だった
ピザのデリバリーショップで働く女の子を主人公にしたものを考えていたらしい
小室が語った物語を木根が脚本にして、映画制作会社(グラデミー)にプレゼンしたというので、
それなりに話が進んでいたのかもしれない


おそらくTMNが「21世紀シアター」に出演していたのも、
当初は映画業界に本気で参入するつもりだったためと思う
小室が映画に手を伸ばし始めたのは角川春樹の影響だろう
特に「天と地と」の音楽を担当したことが大きかったのだと思う


この会社は小室が当時はまっていた車にも関係があった
小室はチーム・グラデミーというレーシングチームを作って、
3/30・31にはミラージュカップ・フレッシュマンレースで、
フォーミュラー・トヨタからエントリーしている
ここらへんを見ると、ほとんど小室の趣味を実現するための会社で、
事業としての成功を見込むのは初めから難しかったようにも思われる


他にも1991年には、TMNのFCのTimamachine Caféで、
秋クランクインの予定で30分程度のTMNオリジナルビデオを作成し、
企画のあるファンに無料で貸し出すという計画もあったが、
この話はCafé Talkで一度募集があったきり、うやむやになってしまった
「EXPO」購入者特典のプレゼント用ビデオに切り替わったのかもしれないが、
ここらへんからもこの会社が十分な計画性無しで運営されていたことがうかがわれる


グラデミーは角川春樹が麻薬で逮捕された1993年には、
すでに活動らしい活動を見なくなっていた
実質的な活動は1991〜92年に限られている
成果らしい成果はほとんどなく、
設立経費の元が取れたかはかなり怪しいところがある


小室は1990年頃から音楽業界外との付き合いを増やしており、
従来通り音楽活動に集中した活動を主張する事務所スタッフと意見の対立があったと、
後に関係者が語っている
これはグラデミー設立に至る頃の話だろう
また1991年秋には小室の旧友である喜多村豊がTK Tracksを設立し、
TMNのイベントを取り仕切るようになるが、
これも関連するかもしれない


この頃の小室はYoshikiと音楽ビジネスの話に熱中しており、
事務所に雇われ仕事をこなす存在から抜け出ようという欲求を強く持っていたようである
グラデミー設立もその結果の一つだろうが、
この志向はプロデューサー期の小室へと直結するものでもあった


ところが詳しくは第五章で触れるが、
1991年12月にはTMNの活動継続が困難な状況が生まれていたらしい
さらに1992年の初めには、事務所タイムマシンの社長が小室から青木高貴に交替する
そして4月にはTMNが活動を休止し、
小室は事務所から離れて活動するようになる


おそらくこの背景には、上記の事務所内の対立があったのだろう
そのパワーバランスが1991〜92年の変わり目にひっくり返り、
多角経営を目指す小室の方針が否定されたと考えられる
タイムマシンとグラデミーの関係もここで途切れることになり、
TMNの映画進出計画はなくなったものと思われる

(2009/12/26執筆 2010/1/13・2012/11/19・2017/12/7加筆)

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4-22 メディア出演(1991年)

2009/12/19 14:05
直前になってしまいましたが、
明日フジテレビで19:00から、小室さんがテレビに出演するそうです
フジテレビのサイトより

2009年12月20日 19:00〜20:54
芸能界の告白特別編
小室哲哉5億円詐欺をテレビ初告白!100億稼いだ男がなぜ金銭詐欺を?巨万の富…封印の映像から転落過程その全記録を公開!萩原健一が恐喝未遂の真相を激白!

みどころ
毎回好評を博している『芸能界の告白』、今回は“特別編”でお送りします。
緊急年末スペシャルとして、今年話題になった“あの”有名人が登場!
“あの”事件の真相を、その裏側で撮影した映像と共に告白します!
芸能界。華やかであればこそ影もまた暗く深い…。
今回登場するのは、
小室哲哉…2009年、芸能界を揺るがしたあの事件について初めて小室が真相を語る。
萩原健一…カリスマ俳優として絶大な支持を得ながら、芸能界を騒がし続けてきたあの男が全てを語る!
みのもんたを前に彼らは何を語るのか。

MC・みのがゲストの告白を受け、疑問に思ったことを視聴者に代わり、余すところなく掘り下げます!
今回のゲストは小室と萩原。一世を風靡した2人はそれぞれ、世の中を騒然とさせる事件を起こし、地位と名声、そして財産…その全てを失った。そして、失って初めて、音楽、役者…その芸能こそが自分の生きる道だと確信する。再出発…その決意の証としてのざんげを、『芸能界の告白』でテレビ初告白します!

<小室哲哉>
1990年代、時代の寵児として芸能界に君臨し続けた天才音楽家…小室哲哉。
昨年の11月4日、彼が『5億円詐欺事件』で逮捕された姿は日本中に衝撃を与えた! 連日連夜マスコミ報道は過熱し様々な憶測が飛び交ったが、今年5月に有罪判決を受けた後も彼はテレビの前で事件について語っていない。音楽界の頂点にのぼりつめ、巨万の富を得た小室がなぜ金銭詐欺という”過ち”を犯したのか…。
今夜「芸能界の告白」で独占初告白! 再出発を懸け、そのざんげの思いを全て語る!


正直、「ズバリ言うわよ!」レベルの、一番出て欲しくない番組です
きっと番組の構成としては、
これからは反省して真摯に音楽をやっていくと小室さんが誓って終わるのでしょうね
こういう番組に出ることが本人にプラスになるとは思えませんが、
執行猶予中はテレビに出られないだろうという一部の憶測は、
単なる憶測だったようで、その点だけは嬉しいです
次は音楽番組で見られることを待望いたします


では本題に入ります
奇しくもテレビ出演の話題です

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「EXPO」期のTMNの特徴として、
メディア出演に積極的だったことが挙げられる
この点で消極的だった「Rhythm Red」期とは大きく異なっている
現在手に入るTMN期の映像の大部分は、
「EXPO」期のものとなっている


これはセールスという成果にこだわっていたメンバーの関心が大きいだろう
CDセールスにおけるメディアの影響力が増大してきたことも重要だった
セールス面で不振だった「Rhythm Red」期に、
メディアを十分に活用していなかったことの反省もあったのだろう


このことは、この時期のスケジュールを見ても首肯される
1991/3/13の「Rhythm Red Tour」終了後、
TMNはただちに「EXPO」のレコーディングに入り、
6/10にレコーディングを終えた(リリースは9/5)
「Tour TMN EXPO」のリハーサルに入ったのは1991/8/5で、
その後8月終わりに3日のゲネプロを行ない、
9/9からツアー本番を始めた


こうして見ると、6/10から8月初めまで、
2ヶ月近くスケジュールが空けられていたことが分かる
この間、TMNはメディアに頻繁に出演した
さらにリハーサル期間中やツアー中でも、
スケジュールの合間を縫ってテレビ・ラジオに出演した


一方でレコーディング中には、
「Music Station」以外はほとんどメディアに顔を出していない
ラジオについても、ニッポン放送「Come On Fanks!!」の後継番組「TMN Rock'n Up」が年度切れ目の4/7で最終回を迎えた後は、
3ヶ月間レギュラー番組を持っていない
レコーディングに集中するためだろう


その後TMNは1991/7/5から、
TBSラジオで「TMN EXPO '91」を開始し、
「EXPO」のプロモーションを積極的に行なうようになる
時間枠も「TMN Rock'n Up」の30分から1時間に増えた


この番組自体は1992/4/7に終わるが、
TBSラジオの枠としては(時間帯は変わるが)、
「TMN ウツと木根君」(1992〜93年)、
「T.UTU and so on」(1993〜94年)に引き継がれ、
TMNの終了までファンの貴重な情報源となった


テレビでは、特筆すべき点が2つある
一つは衛星放送WOWOWへの積極的な関与で、
「TMN EXPO SPECIAL」と題する特番が数回に渡って組まれている
これについては内容も豊富なので、次章でまとめて触れることにしたい


もう一つは、バラエティ番組への積極的な出演である
それまではトークのみの出演でも、
「ファンキートマト」「Video Jam」「ポップチャンネル」「POP ON TIME」「5時SATマガジン」「白島北町音楽倶楽部」
など、出演していたのはもっぱら音楽番組だった
だがメジャーな音楽番組自体が減少していた現状を踏まえ、
TMNは音楽番組に関わらず様々なジャンルの番組に顔を出すようになる


1991/7/11「笑っていいとも」(小室)や、
1991/8/28「徹子の部屋」(木根)に出演したのは、
これ以前にも例があったが、
この時期には他にも、
1991/8/18小室の「おしゃれ30・30」や、
1991/8/24ウツの「ねるとん紅鯨団」などの出演例がある


もちろん音楽番組にも積極的に出演しており、
TMの全時代を通じて最も出演頻度が高い時期となっている
特に80年代から生き残った唯一の音楽番組「Music Station」では、
出演事例がこの時期にかなり集中している
他にフジテレビの「ヒットパレード90's」及び、
その後継番組「G-Stage」にも、3回出演している


ただしこの時期のオケはCD音源そのままや、
あるいはCD音源をテレビ用にアレンジした音源を流し、
その上に一部だけピアノ・シンセを重ねただけのものであり、
口パクのケースも目立つ
その意味では、音楽的に面白いものはあまり多くない
ただしウツの魅力はこの頃が最盛期だと思うので、
ウツを鑑賞する意味では価値があるだろう
以下に、演奏した事例を列挙しよう


・1991/5/3「Music Station」(テレビ朝日)
 「We love the EARTH」
・1991/5/31「Music Station」(テレビ朝日)
 「Love Train」
・1991/6/7「ヒットパレード90's」(フジテレビ)
 「Love Train」
・1991/7/3「夜のヒットスタジオSpecial」(フジテレビ、木根欠席)
 「Love Train」
・1991/7/5「Music Station」(テレビ朝日、木根欠席)
 「Love Train (Club Mix)」
・1991/8/25「The Space Mission」(NHK・BS1、小室のみ)
 「Think of Earth」
・1991/9/6「Music Station」(テレビ朝日)
 「大地の物語」
・1991/9/13「ヒットパレード90's」(フジテレビ)
 「あの夏を忘れない」
・1991/10/5「Mega Rock Show」(NHK)
 「Love Train」「あの夏を忘れない」「Jean Was Lonely」
・1991/11/1「Music Station」(テレビ朝日)
 「Wild Heaven」
・1991/11/15「G-Stage」(フジテレビ)
 「Wild Heaven」
・1992/1/2「ヤマモリステーション」(テレビ朝日)
 「Still Love Her」(小室はV2として「背徳の瞳」も演奏)


最後の「ヤマモリステーション」は、
「Music Station」の正月特番である
山田邦子とタモリが司会を務めたため、
このようなタイトルになっている


この番組では、各出演ミュージシャンがファン投票上位曲を演奏するという企画が行なわれたが、
この時TMNは「Still Love Her」を演奏した
有名曲ではあるが、シングルでもなかったため、
スタジオでこの曲が演奏されたのはこれが唯一の事例である
この時はメンバー全員が黒のスーツを着て、
ウツがアコギを弾きながら歌った


他の事例では、演奏曲は「Love Train」が多く、5回も演奏している
9月からは「EXPO」のアルバム曲中心、
11月には「Wild Heaven」が演奏されており、
それぞれ新譜リリースに対応している


「EXPO」の楽曲は、
12曲中半分の6曲がテレビで演奏されている
「EXPO」「Crazy For You」「月の河/I Hate Folk」
など、事実上演奏不能な曲を除けば、
「Just Like Paradise」「月はピアノに誘われて」「Tomorrow Made New」の3曲以外、
すべて披露されたことになる


多くの場合、3人とも派手な色のシャツを着ており、
「EXPO」ジャケットの写真のようなサイケな雰囲気のものが多い
特に1991/9/6「Music Station」では、
ジャケット写真と同じ衣装を着て出演している
また1991/5/31「Music Station」の小室の衣装は、
ソロライブ「THINK of EARTH」で使ったものと同じである


出演回数も多いだけに、衣装も多様で、
ラメ入りのジャケットを着ている場合や、
黒い落ち着いたシャツを着ている場合もあった
「Wild Heaven」の頃は、落ち着いた雰囲気の衣装となっている


最初の5/3「We love the EARTH」では、オケはCD音源だが、
最後が木根のピアノソロで終わるところがCDと異なっている
ただしこれは生演奏ではなく、
CD化されるに当たって削られた箇所を使ったものと思われる
このアウトロは「EXPO '91」のエンディングで使われており、
テープとしては存在したことが知られる
このバージョンの商品化を要望するファンも多いが、
現状でフルバージョンはこのテレビ出演時のものしかない


ちなみにこの時、髪を切った小室が久しぶりにお披露目されている
10日前、1991/4/21「THINK of EARTH」の時はまだ長髪だった


小室、ニヤリ



5/31・6/7「Love Train」は、
TV用に少し曲が短くなっている(イントロ・間奏など)
アウトロはフェードアウトするオリジナルバージョンではなく、
カットアウトで終わるように変更されている
最後は「Love Train」というサンプリングボイスで終わるが、
これはテレビ用の特別仕様である


以上の3例では、
浅倉・阿部・葛城の三人も演奏(のフリ)に加わっている
この三人が演奏に加わった例としては、
他に9/6の「大地の物語」がある


7月初頭には2度出演している
そのうち7/3は1990年に放送が終了した「夜のヒットスタジオ」の特番である
7/5の出演は、同日発売の木根の小説「月はピアノに誘われて」のプロモーションが主な目的と思われる
だがこの2回では、肝心の木根が出演せず、
小室とウツの二人という珍しい組み合わせだった
(小説については、7/5一応ウツが宣伝している)
この時はサポートメンバーも来なかったので、
楽器を演奏するのは小室一人だった
もちろん(他の事例と同様に)実際には演奏していない


この時に木根が出演しなかったのは、
6月某日から髄膜炎で緊急入院したためである(2週間程度)
退院は7/10のことだった


髄膜炎が発症した時、木根はひどい頭痛がしたとのことだが、
もしも発見が遅れていたら危険な事態になっていたはずである
半月程度の入院で済んだことは、
不幸中の幸運だったと言うべきだろう
TMメンバーの病気については、
ウツの膵臓腫瘍や小室の肝炎がよく語られるが、
実は一番危険な状態に陥った経験を持つのは木根である


当時小室とウツはラジオで、木根は痔で入院と言っていた
事実を公表するには深刻すぎたのだろうが、
それにしても木根のいじられ方がかわいそうである


なおEPIC/SONYが毎週発行していた「HUSTLE WOM」の110号(6/15発行)では、
食中毒の体験についてEPICミュージシャンに質問する特集が組まれた
この時小室が木根に対し、
小学生の頃食中毒で隔離されたことがあると言って話を振ったにもかかわらず、
木根が「はー???」とだけ発言して終わるというやり取りが掲載されている
その後には注記があり、
「その時、体調のすぐれなかった木根さんは、突然の質問にボーっとしていた…ということなのです」
と書いてある
これは髄膜炎発症の前兆だったのではないかとも考えられる


7/5「Music Station」で演奏された「Love Train (Club Mix)」は、非常に貴重である
これは「EXPO」のために作成されながら収録されなかった当時幻のアレンジである
当時これをテレビで見た自分は、
「EXPO」にはこれが入ると思っていた


「Club Mix」は結局「EXPO」購入者向けの抽選プレゼントCDとなったが、
実はこの時の演奏は、そのCD音源とも違っている
スタジオ版「Club Mix」のリミックスと呼ぶべきものである
また「Club Mix」はCDバージョンも含めて、
テレビでもライブでも他に演奏された例がない
演奏されたのは史上この時だけである


イントロにはBlack Box「Ride On Time」などをサンプリングしている
これはCD版「Club Mix」には入っていないが、
同じ音は「Tour TMN EXPO」「Don't Let Me Cry」イントロで使われており、
その原型とも言えるものである
ウツのボーカルもサンプリングされているが、
これも「Tour TMN EXPO」「Love Train」イントロに引き継がれる
その他にも小室のシンセが上から重ねられている


なおスタジオのセットはクラブの空間を意識し、
大量のボディコンのお姉ちゃんたちが踊りまくる中で、
ウツが歌い小室が演奏するという形式だった
バブルの臭いがすごい


9・10月には「EXPO」プロモーションのため、
テレビでアルバム曲を演奏している
「EXPO」リリース直後の9/6に演奏した「大地の物語」は、
カメリアダイアモンドのCMタイアップ曲で、
アルバムのプロモーションとしては最適の曲であろう
メンバーもこの時のウツの歌は良い出来だったと評価している


意外なことに「あの夏を忘れない」は、
9/13「ヒットパレード90's」と10/5「Mega Rock Show」の二回演奏されている
「EXPO」中でも一般層向けの曲なので、選ばれたのだろう
演奏では間奏やアウトロが短くなり、TVサイズになっている


「Mega Rock Show」では、
さらに「Love Train」「Jean Was Lonely」も演奏された
この番組は「Just Pop Up」の後継番組で、
時間枠を深夜から夕方に移し、観客の前で生演奏する形式だったが、
失敗しないようにとの配慮からか、CD音源・口パクである
「Love Train」はTVバージョンである
「Jean Was Lonely」もイントロが短くなっている


なお9/6・9/13・10/5のピアノは木根である
(10/5は「Jean Was Lonely」のみ)
木根は「Tour TMN EXPO」でも、
「大地の物語」「あの夏を忘れない」「Jean Was Lonely」でピアノを担当している


11/1・15に演奏した「Wild Heaven」のオケは、
CD音源を編集したものを用いているらしい
(バックバンドがいない)
イントロなどが大幅に省略され、
この曲の見せ場である間奏のウツのセリフもカットされている
そこくらいは入れるべきだったと思うのだが…
イントロでは小室のピアノが少しだけ上から加わり、
アウトロも小室のピアノで終わる形に変えられている


8/25の「The Space Mission」は、
厳密にはTMNとしての出演ではなく、小室個人での出演である
NHKの衛星放送事業に関する特番で、
これに小室もコメンテーターとして出演したものである


この時「Think of Earth」の演奏を放送するに当たっては、
映像に幻想的な効果が施されている
生演奏かどうかは分からないが、歌もオケもCDとは別である
長大なイントロは大幅にカットされており、
代わりに3分近いアウトロを伴っている
これはライブ「THINK of EARTH」のアレンジに準じている
最後の「Think of Earth」の声のSEも、CDとは別である


さらにこの時の出演で貴重なのは、
宇宙衛星の打ち上げにあわせて、
小室が生で宇宙をテーマにしたインスト曲を、
一曲演奏していることである
いかにも小室が作りそうな曲なのだが、曲名が分からない
おそらくCD化もされていないと思う


最後に、この時期に試みられたものとして、
「EXPO」のドラマタイアップがあったことも触れておこう
「ハイレグクイーンロマンス ピットに賭ける恋!」という、
いかにもこの時代というタイトルを冠したドラマである
今やったら、お笑いにしかならなそうだ


このドラマは1991/9/23、フジテレビ系列で放送された
一話完結、1時間半のドラマである
主演は西田ひかるで、
レースクィーンコンテストに出場した女子大学生の、
恋愛模様を描いたものらしい


自分はたまたまエンディングを見ただけで、
内容は良く知らないし、
あまり見たいと思わせる内容でもない
ただ1994年にビデオ化しているらしい


このドラマでは主題歌として、
「あの夏を忘れない」が起用されたほか、
挿入歌もことごとく「EXPO」の楽曲が用いられた
当時のトレンディドラマのタイアップの波に乗ろうとしたものだろう


「EXPO」楽曲がこのドラマに起用された事情は明らかではないが、
おそらく演出家永山耕三と小室哲哉の縁が大きいのだろう
坂元裕二・永山と小室は1989年以来親しい関係にあり、
作詞家として坂元が起用されたのもその縁によるものだった
おそらく「EXPO」のセールスには大して影響もなかったと思うが、
この関係は翌年、小室が「二十歳の約束」に関わる前提となる

(2009/12/19執筆、2017/12/7加筆)

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4-10 メディア出演(1990年)

2009/07/17 19:59
magneticaのサイトより

TAKASHI UTSUNOMIYA CONCERT TOUR 2009
SMALL NETWORK F.O.D.
「25周年に敬意を表して僕なりのLIVEが、SMALL NETWORK」 宇都宮 隆

約5年ぶりとなる宇都宮隆ソロコンサートが遂に決定。
TM楽曲を中心に、もちろんソロ楽曲もラインナップされるUTSU Chronicle(ウツ・クロニクル)。
更に、TMからT.UTUまでもを知り尽くした盟友FENCE OF DEFENSEが完全サポートを約束。
まさに最輝のロックボーカル、最強のロックトリオ、
極上の名曲がそろう宇都宮隆にしかできないロックショー。
今日まで歌い続け、そして明日からも歌い続けて行く宇都宮隆のモニュメント・ステージとなるでしょう

東京 SHIBUYA AX ディスクガレージ 03-5436-9600
  10月3日 (土) 17:00開場 18:00開演
  10月4日 (日) 16:00開場 17:00開演
愛知 Zepp Nagoya サンデーフォークプロモーション 052-932-9100
  10月9日 (金) 18:00開場 19:00開演
  10月10日 (土) 16:00開場 17:00開演
大阪 Zepp Osaka キョードーチケットセンター 06-7732-8888
  10月12日 (月・祝) 17:00開場 18:00開演
東京 Zepp Tokyo ディスクガレージ 03-5436-9600
  10月17日 (土) 17:00開場 18:00開演
  10月18日 (日) 16:00開場 17:00開演
広島クラブクアトロ 夢番地広島 082-249-3571
  10月24日 (土) 17:00開場 18:00開演
福岡 Zepp Fukuoka キョードー西日本 092-714-0159
  10月25日 (日) 17:00開場 18:00開演
宮城 Zepp Sendai G.I.P 022-222-9999
  10月31日 (土)17:00開場 18:00開演
  11月1日 (日) 16:00開場 17:00開演
札幌 Zepp Sapporo WESS 011-614-9999
  11月3日 (火・祝) 17:00開場 18:00開演
 

チケット代金:指定6,800円(税込) 立見6,500円(税込) 広島クラブクアトロのみ立見5,800円(税込)
全公演1ドリンク付 / 3歳以上はチケットが必要です


なんぞこれ??
SMALL NETWORK?
TMの名前使いづらいから、NETWORKの方使ったんでしょうか


こりゃまたなんとも微妙なツアーです
ソロ活動だけどTM曲中心にするようですね
tributeはやるかもなと思ってましたが、
ウツソロでFence of Defenseと一緒ってのは、ちょっと予想外でした


好意的に取れば、できる限りの形でTM25周年を実現してくれたともいえますし、
意地悪く見れば、TMの名前を使ったソロテコ入れですね
(tribute LIVEでさんざんやってたから、今更ですけど)
今更あまり盛り上がる内容ではないですが、
実質tributeでも面子が変わったという点は新鮮かもしれません
まあ、あまり過剰な期待はしないでおきます


それとすみません
こちらご覧の方にお聞きしたいことがあります
前々回、「4-8 Rhythm Red」の記事で、
「Tender Is The Night」のギターがDavid Clempsonだと書きました
「Rhythm Red」ライナーにはDavid "Clem" Clempsonとあり、
「Seven Days War」レコーディングに参加したClem Clempsonと同一人物です


で、先日「昔のジャズロックっていいよねー」って、
youtube動画めぐりしていたのですが、
ColosseumのValentyne Suiteのライブ映像があったので見ていたら、
そこの注記に、「Clem Clempson - Guitars」ってありました


??
これって「Tender Is The Night」のギターの人じゃね?
ウォーレンとかより大物じゃん!


と思い、ネットで確認してみたところ、
ColosseumのClempsonの名前もDave "Clem" Clempsonとのことなので、
やはり同一人物かなあという気はするのですが、
直接これについて言及するものはないようです


ファンの方や洋楽に詳しい方なら周知のことかと思うのですが、
「Tender Is The Night」のClem ClempsonがColosseumの人かどうか、
ご存知の方、メールかコメント欄で教えていただければと思います

tm_on_the_planet%yahoo.co.jp ←%を@に変えてください


では本題に入ります

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TMNはリニューアル宣言の後、テレビ出演も行なった
演奏したものに限り、以下に列挙しよう

・1990/9/19「夜のヒットスタジオSUPER」(フジテレビ)
「Time To Count Down」
・1990/11/2「Music Station」(テレビ朝日)
「Time To Count Down」
・1990/11/23「Gatcha!」(日本テレビ)
「69/99」「Time To Count Down」
・1990/12/22「X'mas POPS & ROCK」(NHK)
「69/99」
・1990/12/24「魔法の国のメリークリスマス」(テレビ朝日)
「Dreams of Christmas」


これを見ると明らかなように、
10/25の「Rhythm Red」リリース前には、
ほとんどテレビ出演していない
唯一の例は「Time To Count Down」リリース直前の、
「夜のヒットスタジオSUPER」のみである
演奏しなかった例を入れても、この傾向は同様である
この時期のTVでのプロモーションは、
事実上maxellのCMのみだった


1990/10/6〜11/4は「Rhythm Red Tour」のリハーサル・ゲネプロがあり、
ライブ用音源の準備や打ち合わせもあっただろうから、
「Rhythm Red」リリース前後のTV出演は困難だったのかもしれない
11/2の「Music Station」出演も、その合間を縫ってのものである


だがこれはTV出演を考慮したスケジュールの組み方をしていなかったということでもある
少なくとも9月中はTV出演する余裕がまだあったはずで、
やはりメディア出演にはあまり積極的でなかったと見るべきだろう


「Rhythm Red」リリース後には出演数が増えるが、
その内2回はクリスマス特番であり、
それを除くと「Music Station」と、
TMN特集を組んだ「Gatcha!」の二回だけである


TV出演の少なさについては、
当時もファンから苦情があったが、
木根は「オールナイトニッポン」の中で、
「出演する番組がない」と言い訳している


この頃に音楽番組が減ったのは事実である
80年代終わりに加熱したバンドブームによって、
TV出演に積極的だったアイドル歌手の人気が低下し、
そこに基盤を置いていた昔ながらの古いタイプの音楽番組が、
ドラマやバラエティ番組に押されて視聴率を下げ、
次々と終了に追い込まれていったのである


具体的には「ザ・ベストテン」は1989/8/28、
「歌のトップテン」は1990/3/26、
「夜のヒットスタジオ」は1990/10/3に終了した
メジャーな音楽番組で唯一残ったのは「Music Station」で、
毎回必ずジャニーズ系アイドルを出演させることで視聴率を確保していた
なお常連だった「Just Pop Up」(1991/3/2終了)はまだ続いていたが、
TMNはなぜか出演しなくなっている


1987〜89年の主な出演先だったこれらの番組が次々と終わった上、
これに代わるメディア露出方針も、
まだ十分に固まっていなかったように思う
もちろん「木根尚登のオールナイトニッポン」の開始や、
maxellとタイアップした大々的なCM起用はあったが、
やはりテレビに出演しての演奏を見る機会が減ったことは、
ファンとしては不満だっただろう
条件は同じだった「EXPO」期にかなり積極的にTV出演しているのは、
「Rhythm Red」期の反省を踏まえてのことだと思う


もっとも演奏のなかった例も入れれば、
「Rhythm Red Tour」と並行した地方局出演はかなりある
地方局での出演に関しては、
むしろ「CAROL」期より頻繁かもしれない
大物扱いで特番を組んだものもあった


この頃の衣装は、フォーマルなスーツの場合と、
ロックミュージシャン的な男らしい服装の場合がある
小室は革ジャンを着ていることもあった
ウツは半分シースルーになっている怪しい服もあるが、
これは「Decade」収録の「Time To Count Down」CMや、
「TMN」収録の「Time To Count Down」PVでも見ることができる



楽曲演奏をする場合、演奏曲は「Time To Count Down」が多い
同じシングル曲でも、
「The Point of Lovers' Night」「Rhythm Red Beat Black」は、
一度も演奏されなかった


ただし次章で触れるように、「Rhythm Red Beat Black」はPVがあり、
こちらはトークのみの出演だった場合によく放映された
また2本のクリスマス特番では、11月時点での予定では、
「Rhythm Red Beat Black」を演奏する予定だったという
なぜ変更になったのかはよく分からない


以下では演奏があった出演事例につき、個別に概観してみよう
なおツアーリハーサル以前の「夜のヒットスタジオSUPER」を除き、
演奏する場合は、たいていサポートの葛城哲哉・阿部薫・浅倉大介も出演していた


「Music Station」「Gatcha!」は、
すでに「Rhythm Red Tour」の準備を終えた後だったこともあり、
ツアーでのパフォーマンスに基づいた演奏をしている


「Music Station」「Time To Count Down」では、
最後にマイクスタンドを宙に投げて受け取ると言う、
ライブでも見せたパフォーマンスを行なった
ただし演奏はCD音源っぽい


「Gatcha!」は30分番組を使ったTMN特集で、
二曲演奏するとともに、長いトークも行なっている
演奏は「Rhythm Red Tour」のアレンジで、
「69/99」では疾走感あるライブバージョンのイントロを再現している
「Time To Count Down」では、録画なのに歌詞を間違えている


「X'mas POP & ROCK」は、「Gatcha!」と同じ衣装で、
3人とも黒地に白の模様が入っている
ただしこちらはCD音源・口パクである


「魔法の国のメリークリスマス」は、
夜のディズニーランドで観衆を前に演奏したもので、
ウツと葛城がギターを、
小室がオルガン、木根がピアノを演奏している
ドラムセットはないが阿部もいて、チューブラーベルを叩いている
よりによってディズニーランドなのに、
なぜかディズニーマニアの浅倉がいない


オケはCDで、誰も演奏していないらしく、
イントロで小室がオケにあわせてオルガンを弾くも、
手と音が合っていないという失態を犯している
ウツはヘッドマイクをしているものの、歌は口パクっぽい


この頃の出演で、もっともインパクトがあるのは、
最初の「夜のヒットスタジオ」「Time To Count Down」である
インパクト面では、歴代の出演の中で一番かもしれない


まず断っておくが、この時のオケはCD音源で、
歌も口パクである
したがって演奏・歌について楽しむことはできない
だがそれにもかかわらず、
この映像ではものすごいものを見ることができる
ツアーの時点では没になっていたダンスである


別章で言及すると思うが、
「Rhythm Red Tour」では大変独特なセンスのダンスが披露された
マイケル・ノーブルというジャマイカ生まれのロンドンの振付師が考えたものである
マイケルの登用は、
「CAROL Tour」時の振り付け師の紹介によるものだったが、
当時の最新のダンスを取り入れた前衛的なものであった
現在「ニコニコ動画」などで「宇都宮体操」と呼ばれるものは、
「Rhythm Red Tour」のダンスが中心となっている


そのマイケルがツアー以前に考えた振り付けが、
この「Time To Count Down」だった
おそらくこのダンスを前提として、
同曲には「ヴォーギングするハードロック」なるキャッチフレーズもあったらしい
(本記事kooさんコメント)


このダンスは当時のシングルのTVCMでも一瞬見られるし、
「Decade」に収録)
次章で触れるPVでも、一部分を見ることができるが、
全貌を見ることができるのはこの時のTV出演のみである


個人的には1番Aメロのところで、
早くも笑みがこぼれてくるが、
サビでもう笑いが止まらない
なぜ!なぜそこでヒザをカクカク? 
なぜそこで両手を振り上げる?


予想を裏切る奇怪な動きのオンパレードである
間奏では少しクールダウンするが、
カメラ目線でこちらに微笑みかけるところは、
何か注意してあげたくなってしまう
そして歌が再開すると、また信じられない動きが続き…


という感じで、かなり衝撃的なダンスなのだが、
これを言葉で説明するのはかなり困難である
TVの映像をいくつかキャプったので、
これで雰囲気を察して欲しい
あるいはネット上にアップロードされた動画があるかもしれないので、
関心のある方は探してみると良いだろう




なおこのダンスパフォーマンスは、
11/2の「Music Station」でも披露される予定だったらしい
10/27発行の「EPIC新聞HUSTLE WOM vol.78」には、
「リハーサルでのダンスの成果がいかに反映されたか楽しみにしていて下さいね」と書いてある
これは毎週EPIC/SONYが発行していたもので、公式の情報である


しかし「Music Station」ではダンスパフォーマンスがなかった
さらに11/3・4の公開ゲネプロ「The Formation Lap」でも、
サビ繰り返しの部分を除いて、ダンスは再現されていない
おそらく11/1までの間に、ダンスパフォーマンスは取りやめになったのである


TMNは10/22から11/4まで10回のゲネプロを行なっているが、
「WOM」の記事はゲネプロ中の情報に基づいたものと考えられる
つまりダンスの中止はゲネプロの過程で決定したのであり、
ゲネプロ以前に合歓の郷で行なわれたリハーサルでは、
実施する予定だったことになる


そしてこのゲネプロ中には、「Time To Count Down」の新PVが撮影された
これはビデオ「TMN」に収録された旧PVと違い、
ダンスパフォーマンスを一切含まないものである
「Time To Count Down」のパフォーマンス変更に伴い、
TV放映用に撮影することにしたのだろう
(PVについては次章で詳しく触れる)


以上のテレビ出演の他、TMNの演奏はないが、
1991/3/7「Sound Gig」で、電気グルーヴと小室哲哉が一緒に出演し、
両者の出会いの話などをしている
電気グルーヴの中では、かなり初期のテレビ出演(多分最初?)である
さらに電気グルーヴの「Rhythm Red Beat Black version 300000000000」が、
最初の1分だけ放送された
ただし多分これは、電気の別曲のライブ映像に重ねて曲をかけただけと思う


ラジオ番組については、
この頃にはライブ音源の放送などは行なわれなかった
ただしどうでも良いものだが、
1990/10/10「木根尚登のオールナイトニッポン」では、
ライブリハーサル会場で、
ピンクレディー「UFO」を演奏したものが放送された(別章で触れる)
また同番組最終回(1991/1/30)では、
浅倉大介の演奏をバックに、木根尚登による「Girl Friend」が披露された


「まいるどHEAVEN」によると、
1990/12/19「木根尚登のオールナイトニッポン」では、
「踊るポンポコリン」「Rhythm Red(Rhythm Red Beat Black?)」「UFOモノマネver」「Silent Night〜Dreams of Christmas」
を演奏したという
自分は記憶がなく、残念ながら聞き逃したものと思う

(2009/7/17執筆、2017/11/9加筆)

TIME TO COUNT DOWN
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TM NETWORK
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3-32 メディア出演(1989年末〜1990年初)

2008/06/30 00:47
ちょっと前に発表されたオリコンの2008年度上半期チャート見てみました
1 43.9 そばにいるね 青山テルマ feat.SoulJa
2 43.3 DON'T U EVER STOP KAT-TUN
3 42.1 LIPS KAT-TUN
4 38.0 羞恥心 羞恥心
5 37.4 Step and Go 嵐
6 30.2 吾亦紅 すぎもとまさと
7 29.1 太陽のナミダ NEWS
8 28.4 60s 70s 80s 安室奈美恵
9 25.9 キセキ GReeeeN
10 25.1 SUMMER TIME NEWS
11 22.8 ワッハッハー 関ジャニ∞
12 22.2 海雪 ジェロ
13 22.0 Dreams come true Hey!Say!JUMP
14 19.0 BURN-フメツノフェイス- B'z
15 18.9 Mirrorcle World 浜崎あゆみ
16 17.3 弾丸ファイター SMAP
17 16.0 Pure/You're my sunshine EXILE
18 15.8 そのまま/White Message SMAP
19 14.7 虹 Aqua Timez
20 14.3 way of life V6


へーこんな感じだったんですね今年って
なんつうか、歌とか関係なく売れている人がほとんどです
ためしにそういう人を除いて見ましょう

1 43.9 そばにいるね 青山テルマ feat.SoulJa
6 30.2 吾亦紅 すぎもとまさと
8 28.4 60s 70s 80s 安室奈美恵
9 25.9 キセキ GReeeeN
12 22.2 海雪 ジェロ
14 19.0 BURN-フメツノフェイス- B'z
17 16.0 Pure/You're my sunshine EXILE
19 14.7 虹 Aqua Timez


20曲中8曲だけ!


個人的にはさらに二つくらい外しても良いと思うんですが、
それはともかく、つまり今いかに音楽が売れてないかってことですね
まあ今に始まったことじゃないですけど


この中だと… 「そばにいるね」くらいかなぁアリなのは
でもこれも「そばにいるよ」だけで十分だよね、正直
あとジェロって、上半期12位だったんですね すげー


いや、分かってます こういうこと言うのは、年寄りの証拠です
んーでも、もう年寄りでもいいかな 無理しないでも
20年前の音楽回顧日記書いてるのが年寄りじゃなくて何かという感じですよね
でも今年だと、Superflyの「Hi-Five」は良かったです(ミーハー?)
自分の中の今年上半期一位でした


さて、TMとまったく関係ない話、失礼しました
そこでTMと絡めるために、
今チャートでTMと同じくらいってどれくらいなんだろう…って調べてみました
シングルだと「Welcome Back 2」が初動0,9万なので、
最近のチャートでの初登場作品でこれくらいのを捜してみると…

・FLOW Word of the Voice  6/16 15位 0.8万
・MISIA 約束の翼  6/9 12位 0.8万
・松浦亜弥 きずな  6/2 20位 0.6万
・裏切り御免 The Three 5/26 7位 1.2万


え? 意外とすごそうな人でもこんなもんなの?
TMはもうダメだと思ってたら、
断続的な活動の割には根強い方なのかもしれません
布袋とか亀田とかのビッグネームが組んでアピールしても、
TMの1.3倍くらいしか売れていないんですから、
何も宣伝せずに一週で0.9万枚売ったTMは、多分まあまあです


と、我田引水しつつ本題に入ります


---------------------------------------------------
小室哲哉は「Digitalian is eating breakfast」リリースの後、
12月後半から1ヶ月間、TVに出演した
演奏したものを挙げると、以下のようになる
演奏はすべてCD音源・口パクである


・1989/12/18「歌のトップテン」(日本テレビ。5位)
 「Christmas Chorus」
・1989/12/28「TV Rock Show」(テレビ朝日)
 「Shout」「Dream Rush」(宮沢りえと共演)
・1990/1/10「夜のヒットスタジオSUPER」(フジテレビ)
 「I Want You Back」


TM NETWORKと比べると、頻度は少ない
またシングル・アルバムリリースの時期にはTVで演奏した例がなく、
ソロツアーが開始してから(12/16〜)ようやく出演するようになる
(演奏しない出演事例はある)
宣伝のタイミングとしては、いささか遅いといえる
アルバムがリリースされた12月初頭には、
「Digitalian is eating breakfast tour」のリハーサルが行われていたはずである
この時期にはテレビ出演を控え、
ライブ音源の制作とリハーサルに専念していたのだろうか


あるいは「天と地と」のレコーディングにも時間を割かれていたのかもしれない
特にテーマ曲「天と地と」は12月に出来上がった曲である
4月のリリースまでは随分と時間があるが、
映画主題歌として、撮影と同時並行で作る必要があったのだろう
なによりも歌唱力の問題が、TV出演を控えめにする要因だったとのかもしれない


テレビで演奏した時は、
いずれもツアーサポートの外人3人が総出演という豪華な顔ぶれだった
TV出演の最大の目的は、サポートメンバーのアピールだったとも考えられる
つまりCDの宣伝よりも、
ツアーの宣伝の方に力を入れていたのかもしれない
ソロツアーはTMと比べると、集客もいまいちだったらしい
なお演奏で大きな役割を果たした日向は出演していない


少ない出演回数ながら、選曲は3回とも異なっている
しかもシングル曲がメインというわけでもない
1位獲得シングルであるにもかかわらず、
「Running To Horizon」「Gravity of Love」は、
現在までスタジオで演奏されたことがない


出演時の衣装は毎回異なり、ツアーとも別だが、
豪華な柄のジャケットにヘッドマイクというパターンが多く、
おおよその方向性としてはツアー衣装に近い
ただし「夜ヒット」では、
カジュアルな豹柄のジャンパーを着ている


「トップテン」の舞台は、
サポートの3人と小室が斜めに並んだ配置で、
サポートがよく見えるように配慮してある
小室はキーボード一台を弾きながら歌う(フリ)


「夜ヒット」では、
小室は自らフロントマンとして、
ショルダーキーボードを持って派手にアテフリをする
Warrenと並んで歌う姿は楽しそうだ
アウトロではシンセをギュインギュイン言わせて終わり、
CDとは少し変えてある



小室とWarren



「TV Rock Show」は年末の特番である
この時はサポートメンバー3人と一緒に「Shout」を演奏した後、
宮沢りえと対談があり、
その後は小室の演奏で宮沢りえが「Dream Rush」を歌った
もっとも演奏とは言ってもCD音源である


ここまで触れる機会がなかったので触れておくと、
「Dream Rush」は宮沢りえのデビュー曲で、小室の提供曲である
宮沢の初主演映画「ぼくらの七日間戦争」以来の縁もあり、
小室に依頼が来たものである


注目すべきは、小室がこの作品で編曲・プロデュースにも関わったことである
小室は1980年代、「My Revolution」「50/50」など、
TM NETWORK以外の歌手に多くの楽曲を提供していたが、
あくまでも楽曲提供に留まっていた


たとえば1988年に小泉今日子に提供した「Good Morning-Call」は、
編曲の過程で「Self Control」風のイントロが入れられており、
編曲者の清水信之が、小室提供という点を印象付けようとしたものと思われる
小室は曲が出来上がるまでこのことを知らず、聞いてびっくりしたらしい
この点で1980年代小室のアイドルへの提供曲は、
後のTK時代のプロデュース曲とは根本的に異なる


もっともアイドル以外では、渡辺美里については、
1988年「悲しいね」以後編曲にも関わるようになっていた
またプロデュースについても、
1983年のSerika with DOGSをプロデュースしていたこともある
しかしアイドルについては、
事務所の売りだしの方針などもあり、
なかなか許してもらえなかったのだろう


だが宮沢りえに関しては、作曲だけでなく編曲まで請け負っている
レコーディングは「Digitalian is eating breakfast」と同時並行で行なわれ、
音はすべてシンクラヴィアで作ったという
リリースは小室ソロデビュー曲「Running To Horizon」より1ヶ月半早い9/15だった
つまり小室ソロ活動期の最初の音が提示されたのは、
実は「Dream Rush」だったということになる


以後すべての作品がそうなるわけではないが、
1990年代の小室は、楽曲提供に当たり自らプロデュースまで行なうことが増えてくる
特に1990/5/9リリースの田中美奈子「夢見てTRY」は、
作詞・作曲・編曲・プロデュースを全面的に小室が行なった
(成功はしなかった オリコン14位
1992年には観月ありさ、
1993年には東京パフォーマンスドールのプロデュースも行なう


なにしろ小室の歌でさえ一位を取れる時代である
小室人気と宮沢りえ人気の相乗効果で「Dream Rush」は売れた
チャートでは2位にランクイン
(1位は当時全盛期だった工藤静香の「黄砂に吹かれて」
34.1万枚の売上で、1989年度分(30万枚)では年間25位だった
総合売上では1989年度の18位に相当し、
著名な爆風スランプ「Runner」の総売上とほとんど同じである


ちなみに1989年度年間24位は「Dive Into Your Body」である
当時のTMの最高売上を誇るこの曲を、
「Dream Rush」は総合売上で超えていた
小室は「My Revolution」に続き、
またも他人にTMより売れた曲を提供してしまった


翌年には宮沢りえ2枚目のシングル「No Titlist」が、
小室の作曲・編曲・プロデュースでリリースされた
本作は見事1位を獲得している
総合売上は前作に及ばなかったものの、
25万枚を越えるセールスを出し、1990年の年間45位である


なお1989/9/20、宮沢りえの「夜のヒットスタジオDX」出演時に、
小室がゲストとして登場している
1988/8/17に同番組でTMが「Seven Days War」に出演した時に、
宮沢りえら「ぼくらの七日間戦争」出演者が登場したことの逆パターンである


小室が出演した番組があまりないので、
演奏をしなかった番組についても、
いくつか簡単に触れておこう
小室は1989/11/3には「徹子の部屋」(テレビ朝日)に出演した
ただソロの話は最後に少ししただけで、
あまり宣伝効果はなかったと思われる


ソロツアー終了直前の1990/1/26には、
「MTV JAPAN」(TBS)にWarren Cuccurulloと共に出演している
この時の発言によると、
この後小室はWarrenと共同で何かやろうと企画を立てていたらしい
だが結局実現しなかったようだ

(2008/6/30執筆 2009/1/1、2017/9/10加筆)


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2006/12/01 06:20

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