20 Years After -TMN通史-

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zoom RSS 1-1 フレッシュサウンズコンテスト

<<   作成日時 : 2006/11/26 03:04   >>

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TM NETWORKの結成は、1983年3月のことだった
1982年には小室・木根・マイクの3人によるユニットが計画されていたが、
マイクの国外退去によって実現しなかった
その後小室はEPIC/SONYの小坂洋二に自らを売り込んだが、
インストを中心とした音楽では売り出せないと言われた
そこで小室はウツに声をかけることになった


小室・木根・ウツ3人の最初の会合は、すかいらーくで行なわれた
ちなみにTMメンバーの会合は、売れてからもしばしばファミレスで行なわれた
20周年ツアー「Double Decade Tour」の打ち上げも、
ファミレスを貸し切って行なわれている
この時は事情を知らないスポーツ新聞記者が、
小室の落ちぶれた姿の象徴としてこのことを書き立てたが、
そもそも3人にとってファミレスは、TMの原点になった場所なのであって、
ファミレス打ち上げはその記念としての意味もあったのである


それはともかく、この時小室は、木根・ウツと一緒に新ユニットの構想を固めた
当時小室がユニットという言葉を使ったかどうかは分からないが、
後にメンバーは自らを、「バンド」ではなく「ユニット」の言葉で定義している


小室は3人グループという形式にこだわった
この頃大ヒットしていた3人グループといえばYMOがある
シンセサウンドという共通項も考えれば、
小室の念頭にあったものの一つにYMOがあったことは疑えないだろう
小室自身も、この頃意識していたグループとして、
しばしばYMOとアルフィーを挙げている
しかしYMOはこの年10/19に「散開」を発表し、
同年中に最後のツアーを終えており、
TMはYMOと同時代に活動することはなかった


3人グループの編成は、小室・木根が作曲兼キーボードであり、ウツがボーカルというもので、
ギター・ドラム・ベースなど通常の生演奏には不可欠なパートが欠けていた
小室はこれについて、必要に応じて各パートのプレイヤーに参加してもらうことで対処しようと考えていた
これは前章でも触れた通り、STAYのスタイルを前提としたものと考えられる
だがそれまでSPEEDWAYやサウスウェルなど通常のバンドで活動してきたウツは、
小室から話を聞いた時、本当に3人だけでできるのかという疑問が最初に浮かんだという
ウツもこの時点では、成功を確信していたわけではなく、
小室の語る可能性に賭けてみたというところだったのだろう


小室がもう一つこだわったのは、グループ名に地域を取り入れることだった
3人がともに多摩に住んでいたことから、
TAMA NETWORK、略してTM NETWORKと決まった


4月、小室と木根はとりあえず一曲ずつ曲を書いてみることにした
木根によると、小室が「1974」を木根・ウツに披露したのは4/14のことで、
4/17には木根の「パノラマジック」と一緒に2曲のレコーディングを行なった
この時点でTMは電子楽器の音を前面に出す方針は固まっていたようで、
この2曲はギター・シンバル1枚・スネア一つ以外は、
KORGのシンセPOLYSIXとRolandのリズムマシンTR-808で作成された
なおこのPOLYSIXは、木根が小室に言われて買わされたものだったという


この2曲はまさにTMの原点といえる曲で、
ライブでも長く定番曲として定着する
特に「1974」には初期TMサウンドのエッセンスが詰め込まれている
イントロからは、実にすがすがしい高揚感が感じられる
小室が夜の高速道路から読売ランドの観覧車を見て思いついた曲という
CD版の歌詞冒頭の「夜の丘に車止めてひとり(原曲は「星をちりばめた」)〜」の一節は、
これを反映しているのだろう


ただし「1974」は、TM結成以前から原曲は存在した
タイトルは「Sweet Song 2001」と言った
曲名から判断するに、輝かしい未来の世界を歌ったものなのだろう
小室によると、サビの部分以外は1980年に出来ていたとのことである
サビ以外のメロディは基本的に「Sweet Song 2001」と同じであり、
特にシンセのリフは同じものを使っていると言う
(小室いわく、アレンジは原曲と結構違っているらしいが)
「1974」を聞くと、むしろレトロな印象を受けるが、
1980年代初めにこれほどのものを作った手腕はかなりのものだと思う


なお「Sweet Song 2001」は、
小室が1980〜81年に在籍したSPEEDWAYの時にはあったという発言がある
SPEEDWAYの没曲の可能性があるが、
1980年末にはSTAYも活動を始めていたことを考えると、
STAYの曲だったとも考えられる


「1974」のリフは「未知との遭遇」の交信音が基になっているという指摘があるが
おそらく当たっていると思う
小室は後に「1974」について、
「スターウォーズ」「未知との遭遇」からインスピレーションを受けていると発言しているが、
だとすると「Sweet Song 2001」の音も、
「未知との遭遇」から影響を受けていた可能性が考えられる


「スターウォーズ」第一弾(後にエピソード4とされたもの)は日本公開は1978年6月、
「未知との遭遇」の日本公開は1978年2月であるから、
小室がその影響を受けた曲を1980年前後に作るのは、タイミングとしては自然である


一方「パノラマジック」はELO風の木根ポップスの代表ともいえる曲で、
ELOの「Twilight」が元ネタと思われる
曲名は小室が考えたもので、「パノラマ」と「マジック」を合わせた造語である
ミディアムテンポの宇宙的な雰囲気で、
個人的には木根の非バラード曲でもっとも好きな曲である


曲は木根が中央フリーウェイを走っている時に思いついたものだという
作詞も木根だったが、
この時の歌詞は現在まで明らかにされていない


現在知られている歌詞は、1983〜84年のレコーディングの時に、
麻生香太郎が作り直したものである
この時「アストロノーツの悲劇」という副題が付けられた
The Buggles「Video Kill The Radio Star」の邦題「ラジオ・スターの悲劇」のパロディだろう
これはとあるアストロノーツ=宇宙飛行士とその恋人?の乗った宇宙船が壊れ、
地球に帰れなくなったところを歌ったもののようだ

残りひとつのエアロビクス(宇宙船内の備蓄空気?)を
心をこめ君にプレゼント
静かにMilky Way
(壊れた宇宙船が)漂う小舟のように
さよならNice Sleeping(酸欠で死ぬ主人公)
切なき想いに身を任せて


さて、「1974」「パノラマジック」を録音したデモテープは、
ダビングされてレコード会社10社に配られた
小室の戦略で、テープには楽曲名と電話番号だけ書いて、
あえて名前は書かなかった
何者か気にさせるように仕向けたわけである
ただ面識があった小坂だけは、小室の仕業と分かっていたという


このテープはなかなか良い評価も得られたようで、
即日各社から電話が来たという
その中で小坂はTMをデビューさせることを決意したらしい
小室としても、当時映像に力を入れ得ていたEPIC/SONYの方針は、
自分の目指す方向と合致していたという
そこで小坂と小室は話し合いを持ち、
デビューを盛り上げるためにコンテストに出演し、
メーカーで取り合いをする状況を作ろうと考えた


ここでTMが出場することになったのが、
当時毎年開催されていた「フレッシュサウンズコンテスト」である
審査の流れは以下の通りである

・TBS系ラジオ35局でテープによる一次予選(1曲4分以内)を行ない、各局10〜12組に絞る
・二次予選では全国17箇所の地区大会で、演奏による審査を行ない、19組を選出する
・その後非公開審査による最終予選で5組に絞る
・最終的に中野サンプラザでの全国大会が行なわれる


TM NETWORKは6/18に「第7回フレッシュサウンズコンテスト」関東大会で優勝し、
8/22の全国大会でも見事優勝した
審査担当のレコード会社全14社の満場一致であった
ただグランプリは賞金50万円、東京音楽祭への推薦、コカコーラCMソングへの起用ということになっており、
賞金はもらったらしいが、後者2つは実現した様子はない
(東京音楽祭は「推薦」なので、推薦されても断られたのかもしれないが)



見事優勝



この時点で小坂と小室の間では、
すでにEPIC/SONYからTMをデビューさせるという合意はできていた
EPIC/SONYの社長だった丸山茂雄もこのコンテストを見に行っていたが、
その時点でTMはEPIC/SONYからデビューするものと思っていたという
だがコンテストの結果、他社からも契約のオファーが来るようになり、
EPIC/SONYは話を付けるのにかなり苦労することになった
9/10を過ぎた頃には、ほぼ話がまとまったらしい


1983年の「フレッシュサウンズコンテスト」で演奏されたのは、
幻の「1974」 原曲バージョンである
DVD「DECADE」に全国大会最後の部分の映像が収録されているが、
全体については、TBSで放送されたラジオ音源が唯一のものである
演奏全体の映像を是非見てみたいものである


曲としては、まずイントロが大きく異なっている
CDバージョンの勢い良いイントロが始まる前に、
壮大な雰囲気を感じさせる導入部がある
またコーラスがCDバージョンよりも多い
CDバージョンを知っていると、少しくどい感じがするかもしれない
だがデビュー前のグループがこれほどのものを作れたことは、
かなりの衝撃だと思う


ただ少なくとも全国大会で演奏されたものは5分近くの長さであり、
コンテストのテープ審査応募条件の「4分以内」を満たしていない
あるいはテープの原曲とはアレンジを変えてあるのかもしれない


最大の注目点は歌詞である
CDバージョンでは西門加里(小室みつ子)が修正を加えているが、
もとの小室哲哉の歌詞を知ることができる
歌詞については不完全ながら「まいるどHEAVEN」などで掲載されているので、
そちらを御覧頂きたい
商品版は16才の少年が宇宙人と出会うという歌詞だが、
この頃はSF的な要素はなく、
16才の頃の体験談(実体験かは分からないが)という内容だった


この時のサポートメンバーには以前からの小室の知り合いが多く、
後にTMのサポートを務めた面々も見える
小室の高校時代の同級生で、1985年まで小室とともにTMのサウンドを支えた小泉洋、
「Dragon The Festival Tour」(1985)から、「Fanks ”Fantasy" Dyna-Mix」(1986)の間、サポートメンバーとしてキーボードを担当した白田朗、
1988年の「CAROL TOUR」以後ドラムを担当する阿部薫などである
他に「Rainbow Rainbow」レコーディングに参加したベースの山内薫もおり、
これ以前には木根とセッションしたこともあったという


さらに3人の男性コーラスを加え、この時は合計10人の大所帯で臨んだ
なお小室・木根はキーボードを弾き、ウツはギターを弾きながら歌った
白田を入れると、キーボードが3人もいたことになる


TM NETWORKは、1984/8/29渋谷公会堂で開催された「フレッシュサウンズコンテスト」全国大会にも出演し、
前回グランプリ受賞者として演奏もしたことが、
「YUMENO BLOG〜愛した季節の薫り 孤高のフォークシンガー・松山千春の世界を綴ろう〜」に書いてある
当時これを見に行った夢野旅人さんのメモに基づいたものである
当時の雑誌記事でもこの件は確認でき、演奏曲は不明だが3曲を演奏したという
1983年受賞曲でシングルリリース直後だった「1974」は演奏された可能性が高いだろう


TMのデビューに当たっては、
TAMA=TMはかっこ悪いという理由で 名前を変える案が持ち上がった
小室は、当時はまっていたDuran Duranのような響きの名前にしようかとも考えた
Duran Duranは当時ニューロマンティックと呼ばれたイギリス発の音楽ジャンルを代表するグループだったが、
デビューアルバム「Rainbow Rainbow」もその影響が顕著である
名称変更は当時の小室のニューロマンティック志向とも関わるものだろう


この時に提案されたのは「ジェニファー・ジェニファー」「スローダンサー」「メロー・イエロー」「ピーカーブー」
などという、TAMA以上にいけていないグループ名だった
ただ確かに、ニューロマンティック的な雰囲気を感じることはできよう
一時期TMはジェニファー・ジェニファーで行くことになっていたようで、
ジェニジェニと略称されていた


だがグループ名としては、結果としてTM NETWORK案が復活した
おそらく小室の思い入れがあったものだろうが、
この時おそらく小坂を説得する一環で、
TM=TIME MACHINEというこじ付けが生まれることになる


TM NETWORKとしてのデビューが決定した後の彼らの活動は、
章を改めて見ることにしよう

(2006/8/6執筆 2006/11/26、2008/9/19、2014/1/12、2016/10/18、2017/4/22加筆)

DECADE
エピックレコードジャパン
2003-12-17
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コメント(13件)

内 容 ニックネーム/日時
お宝を探し当てたような
気分です。
面白いブログですね。
Mak
2015/02/20 17:33
どうもありがとうございます!
間違いなどありましたら、ぜひご指摘お願いしますね
正直、自分の持っている情報の整理と、私の勘違いを指摘してもらうために書いているブログです(笑
青い惑星の愚か者
2015/02/21 04:12
こんにちは。少しこの時期のTMについて調べてたいと思いこちらの記事にコメントさせていただきます。
TMの三人はデビュー後のフレッシュサウンズコンテスト84(という名称かどうかは分かりませんが)にて1974を演奏しているとのことです。
前年グランプリ受賞者を招いた、と。

もしご存知なようでしたらすみません。良い記事をいつもありがとうございます。また記事を宜しくお願い致します。
M
2015/05/19 09:16
え? その話はまったく知りませんでした
ただ十分にあり得る話ですよね

失礼ですが、その話はどこから得た情報でしょうか?(ご自身で参加されたわけじゃないですよね?)
出典が明らかになったら、是非ブログにも反映させたいです
是非よろしくお願いします
青い惑星の愚か者
2015/05/20 06:48
おはようございます。
そうですよねえ、出典が明らかでないのに言い出す僕自身も問題ですねえ。
ただ、少し前まで出典元というか話されているところがあったんですよ。本当に。
申し訳ないです。
M
2015/05/20 08:35
早速お返事ありがとうございます
そのお話というのは、どこかの掲示板でファンが語っていたことでしょうか?
あるいは関係者のインタビューとかでしょうか?
今原文が確認できなくても、何に基づいているのか分かれば知りたいです
青い惑星の愚か者
2015/05/20 09:22
ありがとうございます。早速調べてみましたら見つけました^^。僕の浅はかな記憶と該当するような言葉を頼りに検索しただけなのですが。しかし他人様の記事でしたのでここに掲載はできません。御面倒をかけてすみません。

2015/05/20 13:58
ウェブサイトの存在の有無よりは、その情報が関係者の発言やそれに基づくものなのか、参加者の体験談に基づくものなのか、噂話的なものなのかを知りたいのですが、その点はよく分からないのですかね
フレコンなら、当時TBSラジオで流れたのかなあ
青い惑星の愚か者
2015/05/21 06:13
こんにちは。
「YUMENO BLOG 〜 愛した季節の薫り 孤高のフォークシンガー・松山千春の世界を綴ろう〜 夢野旅人」
こちらのブログを書かれている方の御好意で許可が取れましたので紹介させて頂きます。
該当記事は「1984年8月29日 『8th Fresh Sounds Contest全国大会』」S1066

となります。ご迷惑をお掛けしてすみません。もし宜しければ参考までに。
お体に気をつけお過ごしください。
M
2015/05/21 17:19
すみません。書き忘れましたが許可を取る流れでどこのサイトなのか尋ねられたのでここを紹介しました。
青い惑星さんにも許可をまず取らなくてはいけませんでしたね。勝手なことをしましてすみませんでした。
M
2015/05/21 17:25
おお、手間を取らせてしまいました。
どうもありがとうございます。
早速見に行ってみましたが、素晴らしいですね。この頃のメモが残っているとは…
1974をやったんでしょうか。

私のブログはリンクなどまったく制限していませんので(ネット上にある時点で制限は無意味ですし)、名前を出していただいてまったく構いませんよ。
むしろお手数おかけしてしまってすみませんでした。
青い惑星の愚か者
2015/05/22 08:42
アスタロノーツになってますよ〜汗
とびえもん
2017/01/02 05:07
おお! たびたびご指摘ありがとうございます。
修正しました!
青い惑星の愚か者
2017/02/04 03:05

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