20 Years After -TMN通史-

アクセスカウンタ

zoom RSS 1-2 TM NETWORKデビューに向けて

<<   作成日時 : 2006/11/26 03:30   >>

面白い ブログ気持玉 10 / トラックバック 0 / コメント 4

1983年9月、EPIC/SONYと正式に契約したTMの3人は、
以後1984年4月のデビューまでの約半年間、
アルバムの音作りに加え、デビュー後の方針が固められていった
とにかくコンセプトから入るのがTMである
デビューの時も、特徴的な方針が採用されることになった


1つ目は、ビジュアル面の重視である
ビジュアルコーディネイターも付けるという入念ぶりだった
当時はYMOや一風堂など、
ビジュアル面に気を使ったミュージシャンが目立ったが、
小室もその流れの中にいたのである


TMは最盛期の頃にも、批判的な立場の人々から、
見かけに力を入れた浮わついた音楽というようなレッテルを張られがちだった
実際に当時テレビの音楽番組で小室哲哉が、
「僕らはまず格好からなんですよ」という発言をしているのを見て、
ぶったまげた記憶がある
内容の薄いミュージシャンに対してマイナス評価をする時に使う言葉を、
自分に対して使うその感覚に驚いたのである


この時小室が言ったのは、
人の目に付かないミュージシャンは評価してもらえないということだったのだが、
これに類した発言は、後のプロデュース期においてもしばしば耳にした
聞いてもらうためにはまず目立つ
これが長い下積み時代を経て彼が確信した真理だったのだろう
その意味で、どのようなビジュアルにするかという点は重要だった



試行錯誤中のビジュアル



デビューに当たって、3人のビジュアルは入念に話し合われた
Duran Duran、Kaja Goo Goo、Culture Clubなど、
ニューロマンティックと呼ばれたアーティストをモデルにしたことは、
小室自身が後に語っており、
TMが一時期ジェニファー・ジェニファーとしてデビューする計画だったのも、
明らかにニューロマンティック的な雰囲気を意識したものだった


「Rainbow Rainbow」期の楽曲についても、
ニューロマンティックの影響は明らかであり、
「イパネマ'84」など)
FANKS期になっても、小室の演奏スタイルはニック・ローズの影響が強い


デビュー直後の風貌について今見ることが出来るのは、
「金曜日のライオン」のPVや、シングル「1974」のジャケットである
今から見るとかなり微妙な風貌であるが、
当時のセンスではどのように見えたのかは別問題であるから、
その点についてのコメントは差し控えよう


しかし少なくとも印象的な風貌であったことは事実で、
初めてTMを見た人に、
音とともに新鮮な印象を与えたことは想像に難くない
この点、風貌の点で特に特筆すべき点のなかったSPEEDWAYとは、
出発点が違っていた
当時の彼らのカーリーヘアーは現代人から見るとインパクトがあるが、
当時のミュージシャンとしては珍しいものではなかったのである


この時のメンバーの髪型は、小室が付け毛で三つ編み、ウツは赤髪だった
特に小室は大変だったようで、付け毛を自分で外すことができないため、
寝る時には頭を横にし、髪を洗う時には美容院に通っていたという
ただこの2人の髪型は、デビュー半年程度で変えられることになった


この時のビジュアルが定着したのは木根で、
サングラスをかけるというのは、この時に決まったものだった
スキンヘッドというアイデアもあったという
なお当初は、3人でテクノカットというアイデアもあった


ただし木根はこの頃はほとんどメディアに出ることはなく、
雑誌のインタビューも小室一人か、小室とウツだけで対応していた
PVでも明らかに小室とウツがメインになっており、
木根は正規メンバーなのかも怪しい扱いである
北海道のテレビ番組で3人で出演できたのは、
木根にとってせめてもの救いだっただろう


これはTMの宣伝を担当していた坂西伊作の提案で、
TMをイギリスの男性デュオグループWham!っぽく売り出すことになったためである
ウツがWham!のジョージ・マイケルっぽかったとのことだが、
要は木根に華がなかったということだろう


これによって、結成当初の小室の3人組戦略は、デビュー前に早くも否定された
前章で触れた通り、多摩という地域名をグループ名に入れる案も、
TM=Time Machineとすることで事実上封じられていたのだから、
シンセとコンピュータを前面に出した音楽面の特徴を除き、
小室のデビュー前のアイデアは実はほとんど骨抜きにされていたわけである


以上がデビュー当初のTMの方針の1つ目である
2つ目は奇抜な外見とも関わるが、SF設定である
もともとTMデビュー前の打ち合わせをしていた頃に、
小室が「スターウォーズ」を見て話題に出したことがあったという
おそらく1983/7/2公開のシリーズ3作目「ジェダイの復讐」を見たのだろう
映画好きのウツもこれに反応した
これがTMのSF設定の始まりになっていると木根は発言している


実際にこの時の会話で決定したのかは疑問の余地もあるが、
デビュー決定前からSF設定の志向はあったのだろう
「1974」「パノラマジック」が商品版でSF風の歌詞に直されたのも、
このSF設定に関わるものに違いなく、
それはTMの由来をTAMAからTime Machineに変更する前提になったと考えられる


小室によればデビューアルバム「Rainbow Rainbow」は、
ポップスの手法で作ったアルバムだが、そこにSFで味付けをしたものだという
特にレイ・ブラッドベリの小説のような、日常的な幻想の世界をイメージしていた
SFというわけではないが、幻想的な歌詞という点では、
タイトルチューンの「Rainbow Rainbow」などが代表だが、
その他にも「クリストファー」をはじめ、
歌詞には多かれ少なかれ、幻想的な雰囲気の歌詞が組み込まれている


ただし楽曲のコンセプトとしてSF=Science Fictionを扱ったものといえるのは、
「1974」「パノラマジック」くらいだろう
(この点で小室の発言は、多少の混乱があるように思われる)
TM最初のPV「金曜日のライオン」でUFO(タイムマシーンか)が飛ぶ映像が入るのは、
SF設定が影響してはいるのだろうが、全体から見て大きな存在感はない
むしろこの点では、6〜7月のライブでの「Time Machine」「永遠のパスポート」の披露の方が重要だろう
(この頃の「永遠のパスポート」はSF設定の歌詞だった)


おそらくこの時期のTMにSF的イメージが強いのは、
「1974」のPVと1984年12月のライブ「Electric Prophet」の演出によるところが大きい
TMがタイムマシーンでやってきた未来の宇宙人という設定が確定したのは、
「Electric Prophet」の時と考えられる
(これ以前のインタビューでも、そうした設定を披露した様子はない)


「Electric Prophet」で初披露された「Electric Prophet」に、
自らを未来人と規定した「I am 22nd Century Boy」という歌詞が入っているのは、
TMのSF設定を説明するものだった
もっとも1985年の「Childhood's End」ではSF的雰囲気をほぼ排除するなど、
(しかし同年秋の「Dragon The Festival Tour」ではSF設定が再び強調)
SF設定をめぐっては試行錯誤していたというのが実態のようである


3つ目はパソコンによるシンセサイザー制御である
ただし当時の小室はコンピュータの使い方が分からず、
これを担当したのはマニピュレータの小泉洋だった
小泉はこれまでも何度か触れてきたようにギタリストだったが、
この時はコンピュータの担当としてTMに関わることになった


小泉はスタジオでレコーディングを始めるに当たり大いに苦労したようだ
当初小室と小泉が考えていたのは、パソコンでシンセを制御するシステムである
この方法は技術的にも問題なく、
「1974」のデモもすでにこれで作っていた
だがEPIC/SONYから指示されたのは、
パソコンをシーケンサ専用機MC-4の同期信号で動かすという方法だった
(MC-4は使わないにもかかわらず)


小泉がこれをスタジオで試してみると、パソコンが信号に反応せず、
何も作業できない日が3日続いた
小泉は小坂洋二から、「明日ダメだったら降りてもらう」と言われた
小泉はレコーディングで支払われる報酬を前提に謝金して、
1000万円近くの借金を抱えていたといい、かなり焦ったそうだ(当然だが)
結局4日目、小泉は自ら信号を変換する装置を作成して(!)この問題を解決し、
辛くもレコーディングに参加できることになった


しかしこんな神経を使う作業が続いたため、
「Rainbow Rainbow」レコーディングの後、
小泉は後頭部に10円ハゲができてしまうという悲劇もあった
なおこの10円ハゲは、通院して治したとのことである
この点(今は治っているという点)はブログで書いておいて欲しいと、
私自身もご本人からも仰せつかっているので、
10円ハゲエピソードを御存知の読者におかれては、
是非記憶を更新していただければと思う


このパソコンの件からも分かるように、
本ブログ第一期、1985年までのTMのサウンドは、
小室と小泉を核として作られた
少なくともスタジオでは、小室と小泉が作業を行なっている間、
ウツと木根は待つ以外やることがなく、アレンジ面での発言権もなかった
当時のTMは、小室&小泉の早稲田―STAY組と、
木根&ウツの日本大学明誠高校―SPEEDWAY組の2本の流れが並存しており、
音楽的には前者が主導していたといえる


4つ目はビジュアル重視とも関係するが、PVの作成である
「音とビジュアルの一体化」が、この頃のコンセプトだった
当時は海外アーティストのPV作成が盛んで、
PVを放映する音楽番組も増えていた
特に小室が好きだったDuran DuranがPVに積極的であり、
小室もこの流れに積極的に乗ろうとしたのである


実は小室は本来、アルバム全曲のPVを作って、
ビデオソフトを一緒にリリースしようと考え、
契約時に希望を出していた
しかし経費が3億円かかるとして却下されたという


だがPV重視の姿勢は否定されなかった
この方向性は、本ブログで第一期に分類している1985年末まで続く
これは第一期と第二期を分ける一つの根拠でもある
この時期、迷作も含めて、非常に多くのPVが作成されているが、
これについては後でまた触れることになるだろう


5つ目は、ライブをやらないということである
ミュージシャンとしては非常に風変わりな主張と言って良いだろう
普通ならばデビュー当初は、
地道にライブ活動を行なってファンを獲得していくものだが、
TMは始まりからして、こうした一般的なミュージシャンとは異質だった


一つには、当時の技術ではTMのサウンドをライブで再現することが難しい、
という問題があったのだろう
キーボードを手で弾くだけならば問題はないだろうが、
TMの場合、複数のシーケンサーの同期演奏という問題があり、
レコーディングの時でさえ苦労したということであるから、
ライブではなおさらだっただろう
おそらく1980年代前半の日本で、
シーケンサーを利用したライブは、ほとんどなかったのではないか


また一つには、後に小室が言うようになったことだが、
ライブを行なうための十分な予算が付かなかったこともあった
もちろんギター一本でステージに立って歌うというなら、
予算など大して問題にならないだろうが、
小室が目指していた近未来的なステージを再現するには、
一定の豪華さを備えた演出が必要で、
自らのイメージを壊さないためにも、
あまり質素なライブを繰り返すわけにはいかなかったのだろう


1984/12の「Electric Prophet」は、
レーザー光線が飛び交う派手なステージだったが、
これはビデオ撮影も兼ねるということにして予算を獲得し、
2回に限って実現したものであった
1985年には全国ツアー「Dragon The Festival Tour」が組まれたが、
これも当時の人気からすればかなり破格の予算が当てられており、
彼らの近未来的イメージを再現するべく努力していた


実際には「ライブをやらない」という方針は必ずしも当初の計画ではなく、
デビュー後しばらく経ってから唱えられるようになった後付けの方針である
しかし初期のTMが小規模なライブを重ね人気を獲得する方針を採らなかったことは事実であり、
戦略としてはむしろPVに重きを置いていたとは言えるだろう
ライブがTMの活動の中で比重を高めていくのは、
1986年、「FANKS」の提唱以降である

(2006/8/6執筆 2006/11/26・2008/9/19・2016/11/2加筆)


金曜日のライオン
エピックレコードジャパン
1989-09-21
TM NETWORK
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 10
面白い 面白い 面白い 面白い
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた 驚いた 驚いた

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
はじめまして。いろいろと読ませていただいています。
もう第5部くらいまで読みました。こんなに細かく充実した解説は後発のファンには特に助かります。
ビジュアル重視というのも小室さんの最初からの考えだったようですが、それを最初に一番実践した(というかさせられた?)のはウツさんだったように思います。
ウツさん、今年のラジオ番組で、「ルックスに自信があったわけじゃないけど、もうやるしか無いと思ってやった」とおっしゃっていました。彼も今振り返ると赤面の映像が数多くあるのかもしれません。
TMがウツさん中心にビジュアルで頑張った事が、小室さんのその後のプロデュース活動の原点となったんでしょうね。(小室ファミリーってへたっぴな歌手も多いですが、ルックスは映える人が多いですものね)
TMいつまでも頑張ってほしいです。
まっきー
2013/05/02 15:24
こんな古い記事から順番に見ていただき、ありがとうございます
後発ファンの方が過去の情報を知ることができるようにと思って作ったブログですので、参照してもらえて嬉しいです

ウツは当初、かなり無理をしていたそうですね
がんばって気取った仕草をしていたら、昔からの友人に「かっこつけてんじゃねえよ」とか言われたとか(笑
青い惑星の愚か者
2013/05/04 00:04
通常、SF=Science Fictionだと思うのですが、
TMに合わせてSF=Space Fantasyと書かれたのですよね?

小室さんは、人物設定やエピソード創作はしても、世界設定はしない感じでしょうか。
タイムマシーンで未来からやって来た宇宙人でも、タイムパラドックスとか平行世界とか、Scienceな設定はないですし。
だからFantasy風味?
智紗
2016/12/02 00:15
いやいや、まったくおっしゃる通りで…
えらそうに書いていながら、こちらが勘違いしていました
そこらへんは適当にごまかしつつ、消しておきました(汗

小室さんは人物設定はするけど、世界設定は既存の典型的なものをそのまま使うことが多い感じですね
タイムパラドックスとか、そういう面倒くさいことは全部スルーということで良いと思います

小室さんの考えた話では、時の移動(未来人設定)と空間の移動(宇宙人設定)がしばしばごっちゃになっている気がするんです
前者の代表が「I am 21st Century Boy」、後者の代表が「16光年の訪問者」ですよね
30周年でも、incubation Periodは前者、the beginning of the endは後者のお話で、コンセプトが混線しているんですが、そこはあまり気にしていないようで
青い惑星の愚か者
2016/12/09 01:59

コメントする help

ニックネーム
本 文
1-2 TM NETWORKデビューに向けて 20 Years After -TMN通史-/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる