0-3 小室哲哉と音楽の出会い

小室哲哉の音楽歴は長い
もっとも専門家の訓練を受けたのは、
子供の頃に習ったバイオリンとエレクトーンくらいで、
あとはピアノもキーボードも作曲も、すべて独学によるものである
だがむしろ独学だからこそ、独特な音楽センスが醸成されたともいえよう


小室といえばシンセという印象が強いし、
実際にシンセは小室の中で大きな位置を占めている
小室がシンセに興味を持つことになるきっかけは1970年大阪万博で、
冨田勲指揮のシンセパフォーマンスを見たことだったという
時に小学校6年生のことだった
シンセを手に入れたのは中3の時である(1973年頃。高2との説もある)
家のエレクトーンを親に黙って売って(!)、
発売間もないRolandのSH-1000を手に入れたという


ちなみに小室の富田への憧れは今まで続いている
そのような中2011/8/19には、
「FREEDOMMUNE 0」でついに共演を果たすことになった
しかし折り悪く台風の接近のため、このイベントは流れてしまった
小室は同日の深夜にスタジオに移り、用意していた音源を使って、
生演奏の様子をネット配信した
小室はがこのイベントをどれほど楽しみにしていたか分かるだろう


結局小室の宿願は12/20~24に開催された、
「HARAJUKU PERFORMANCE + DOMMUNE」の12/23公演で果たされた
前半では富田のインタビューと、
富田が「FREEDOMMUNE 0」用に作った音源を基にした「Planet Zero」を放送し、
その後に小室のライブ演奏が行なわれた
小室はTwitterでこのイベントに先立ち、
「僕にとっては遅すぎる、オーディションみたいなもの」と語っている


ライブ終了後、小室は富田と話す機会を得た
富田は小室の演奏を評して、
「すごいスピード感と生命力、それに哀愁がある」と評し、
小室も嬉しそうにしていた
また富田は、直前にクモ膜下出血で倒れた小室の妻KEIKOについて、
「苦労をかけたんじゃないですか?」と言いながら、
「でも若いからね、絶対大丈夫」と励ましの言葉を与えていた
苦労と栄光の時代を経て大きな没落を味わった後の50台半ば、
一つの宿願が果たされた瞬間だったといえるだろう


さて小室の場合、ウツ・木根と違い、
当時日本で流行っていたフォークの影響は薄い
中1の頃にはフォークを聞いていたこともあり、
後述するようにフォークのライブを行なったこともあったが、
個人的な嗜好としては中2の頃から洋楽のロックを好んだようだ


T-Rexの「The Slider」が、
小室が自分で買った最初のレコードだった
中学校時代に放送部に所属していた小室は、
様々な洋楽のロックミュージックに触れることができた


小室は父が早稲田大学出身ということもあり、
自らも高校の推薦入試で早稲田実業に入学した
小室は学校が新宿周辺だったこともあり、刺激的な毎日を送った
ロック喫茶やライブにもよく通ったらしい
David Bowieファンのいとこも良い話し相手だった
このいとこの件は「深層の美意識」で詳しく触れられている


この頃も小室の洋楽マニア度はあいかわらずで、
「ロック・ボトム」というミニコミ誌ではロックの評論などを書いていた
後に20代の頃にも音楽雑誌上で、
外国人ミュージシャンにインタビューなどを行なっている
こうした外国人ミュージシャンへの憧れの強さは、
プロデューサー期から現在に至る小室の一側面であり続けている


ロック少年としては、やはり初めはギターを志したようだ
中学3年の時の文化祭(1972年)では叔父からもらったエレキギターを持ってバンドとして出演し、
The Beatlesの「Hey Jude」から始め、
「心の旅」「Scarborough Fair」「Imagine」「Love」「翼をください」「20th Century Boy」を演奏したという
しかしギターはあまり上達しなかったようで、
高校の頃にはシンセをメインにするようになった


特に大きな影響を与えたのがプログレッシブ・ロックである
エレクトーンの先生からKeith Emersonのことを教えてもらい、
ELPの「Pictures at an Exhibition」を聞いてみたのが、
プログレとの最初の邂逅である
(KeithのバンドThe NiceのLPという説もある)
もっともこの時はまだ子供だったこともあり、
怖いという印象が強く、ちゃんと聞けなかったのだが、
その後改めて聞いてみたところ、感動したということである


プログレの影響は、現在に至る小室のライブパフォーマンスで、
容易に見て取ることができる
特にその影響が濃かったのは2000年頃で、
小室はTM NETWORKの「Major Turn-Round」でプログレを試みた
そのタイトルチューン「Major Turn-Round」の構成
「First Impression」「Second Impression」「Third Impression」)は、
明らかにELPの「Brain Salad Surgery」をモデルにしている


また「Kiss Japan Dancing Dyna-Mix」から、
「Rhythm Red Tour」の頃のライブビデオでは、
ライブ中に小室がキーボードに飛び乗ったりしているところを見ることができるが、
これは多分Keith Emersonのパフォーマンスをまねたものだろう
小室が非道な手段でシンセを買ったきっかけも、Keithに憧れたことだった
高校時代にはひたすらキースのプレイをまねていたという


ちなみに後にTMの「Self Control」に収録される「Here, There & Everywhere」は小室が中学校時代に作った曲であり、
渡辺美里「lovin' you」に入っている「そばにいるよ」は中3の頃(一説には高校時代)に作った曲である
小室は消費音楽の代名詞のようにいわれることがあるが、
(ほとんど言いがかりだが)
あれほどたくさんの曲を作っているにもかかわらず、
古い曲も結構大事にしている


1974年、小室は高校1年の時、
高校の仲間たちとロックバンドを結成した
ギター・ベース・ドラム・キーボードという編成だった
このバンドは歌よりは楽器の演奏がメインで、
歌は適当なメンバーが兼任するという状態だった


高校1年の時のバンドはあまり形にならなかった
活動の場としては学園祭とコンテストくらいしかなかったが、
1年生の時には学園祭には出られなかったという
(コンテストには出演したものか)
高校時代の小室は学園祭のために色々なバンドを組むと言う状態で、
必ずしも固定的なメンバーで活動していたわけでもなかったらしい


高校時代に小室がバンドを組んでいた仲間としては、
志村明という人物が知られる
だがこれが何年生の時のことかははっきりしない


また小泉洋・斎藤栄作とは学園祭で一緒に演奏をしたことがあるという
別の情報によれば、1975年秋、高校2年の時に、
斎藤と小室が学園祭の企画「フォークの館」に出演したことが知られる
おそらく3人が一緒に出演したというのはこの件だろう
ロック畑だった小室と小泉に対し、
斎藤はフォークに造詣が深い人物だった
おそらく「フォークの館」でリーダーシップを取ったのは、
斎藤だったのだろう


小室によれば、高校時代にはクラスに仲が良かったのが2人おり、
ともにギターをやっていたという
小泉も斎藤も高校時代にギターをしていたことが知られるので、
仲良し2人とは小泉・斎藤のことかもしれない


斎藤は当時高田馬場のぴーぷるというライブハウスをホームグラウンドに活動して、
チューリップやかぐや姫などの曲を演奏していた
当時は70~100人ほど動員できており、
洋楽のロックよりも集客力があったという
小室はこれに参加して、Rolandのキーボードを演奏していた
おそらく「フォークの館」と同じ頃のことだろう
このバンドの名前は哀婉(あいえん)と言った
(本記事サキコさんご提供資料による)


小室は自らの音楽生活の中で、
フォークをやっていたことについて自ら触れることがない
自らをロックミュージシャンとして位置づけているが故だろう
おそらくフォーク自体にも関心はなかったのだと思う
斎藤は「フォークの館」出演の件につき、
小室が頼まれると断れない性格だったことと、
ジャンルを越えて音楽が好きだったことを、理由に上げている


なお小室は高校の頃のこととして、
「学内にフォークが好きな連中がいて、彼らに僕のやっていることが重宝がられるようになっていた」
と言っているのは注目される
これは哀婉への参加の件をぼかして言っているのかもしれない


高校時代の音楽活動については、
学園祭でELPの「Karn Evil 9」「Pictures at an Exhisibition」やT-Rexの曲を演奏したという話もある
1年生の時は出演できず、
2年の時の「フォークの館」での選曲とも思えないので、
おそらく3年の時のことだろう


このバンドでの小室は、金髪のカツラを付けていたという
同級生の喜多村豊は、それまで小室について、
斎藤の後ろでおとなしくシンセを弾いていた印象が強く、
この時は驚いたという
なおこのバンドには小泉洋も参加していた


おそらくこれに該当するのがセブン・スターズというバンドで、
高校の学園祭に出演したこともあったという
これは1976年、高校3年の時と見て良いだろう
小室は「ディスコ・バンドみたいなバンド」と回想している
セブン・スターズは学園祭が終わった後にも、
食堂などで他のバンドとともにライブイベントを企画することがあり、
タバコのセブンスターを観客に投げると言うパフォーマンスを行なってた


小室はこの頃知り合いだった学習院高校女子部の学生を通じ、
業界に接触するようになった
音楽業界でのアルバイトもこの頃から始まる
小室は高校~大学時代から、
プロの仕事を目の前で見る機会に恵まれていた
高校時代からディスコのバイトで演奏などもしていたというが、
このディスコとの接点が、
セブン・スターズの活動の前提になっているのだろう


1977年の2月頃、小室はイラプションというバンドを結成した
高校卒業の間際の頃である
当時の早稲田実業は、成績上位者のみが早稲田大学に進める仕組みだったが、
小室は父から、大学に進むことができなかったら音楽をやめるように言われていた
そこで小室は必要な成績を取って大学進学を決めるとともに、
真剣にバンド活動を始めることになったのである


当時都立の高校で有名だったギタリストと、他の2人の4人で組んだそのバンドは、
プログレをメインにしていた
小室曰く、地元では注目される存在だったという
小室の本格的な音楽活動はこの時からと言って良いだろう


小室によればイラプションはELPとYesを足したようなバンドで、
実際にオリジナル曲の他にELPやYesの楽曲も演奏していた
バンド名もELP「Tarkus」オープニング曲の「Eruption」から取ったものである
小室以外の3人はジャズ・フュージョン系の音楽を得意としており、
小室だけがポップの志向を持っていた


イラプションは1977年の春から夏にかけて、
ギタリストが綿密に立てた計画に沿って、
様々なコンテストに出場した
メインとなったのは神田商会主催の「A Rock」と、
YAMAHA主催の「East West」である


「East West」では決勝に進み、
バンドとしてはダメだったものの、
小室個人としてベストキーボードプレイヤー賞を獲得した
この時にはデビュー前のSouthern All Starsやシャネルズも参加しており、
桑田佳祐がベストボーカル賞を獲得したという


だが「East West '77」決勝大会(1977/8/27)の公式記録を見るに、
出場者に小室の名前はなく、
キーボードで受賞したのはSuper Dream Bemi Familyの稲田保雄である
他にも色々な点で、小室の発言と公式情報は食い違っている

・小室は優勝をサザン、準優勝はたぶんシャネルズとするが、実際はグランプリがたぬきブラザーズ、優秀グループに選ばれたのはリバーサイドとカシオペア
・小室は審査員を後藤次利とするが、公式ページの審査員12人に後藤はいない
・小室は会場を渋谷とするが、実際には中野サンプラザ


ただ小室が具体的な大会名や出場者名を挙げながら、
まったくの虚構を話すとも思えない
少なくともサザン・シャネルズが「East West '77」に出場したのは間違いない
推定であるが、おそらく小室が言っているのは、
全国大会決勝ではなく、地区大会の決勝で、
審査員や会場・受賞者が異なっているのはそのためではないか
実は小室は1987年に、
「East West」で「ブロックくらいまで行って」と発言している
やはり地区大会まで進んだが決勝には進めなかったと見てよいと思う


これについて傍証になる情報を「East West '77」の公式記録から探してみるに、
サザンもシャネルズも東京B地区から出場している
東京B地区への出場者はヤマハ渋谷店とシブヤ楽器から出ており、
渋谷エリアの地区だったらしい


もしも渋谷エリアの東京B地区の地区大会決勝にイラプションが出たとすれば、
小室が会場を渋谷としていることとも整合する
また小室がたぬきブラザーズやカシオペアに言及しないことも、
地区大会で顔を合わせることが無かったせいと考えれば良い
(たぬきブラザーズは東京A地区、カシオペアは埼玉地区から出場)


小室によればイラプションは「East West '77」の会場で、
コロンビアのディレクターから声を掛けられたが、
別情報によれば、その場所はエピキュラスだったという
エピキュラスは当時渋谷にあったYAMAHAのイベント会場で、
現在はエレクトーンシティ渋谷となっている場所である
YAMAHAの渋谷イベントが行なわれる会場として自然な場所であり、
ならばイラプションはエピキュラスの地区大会決勝に出場した可能性が高い


実際に「East West '77」に出場した方のブログによると
渋谷エピキュラスで「準決勝」(地区大会決勝だろう)が行なわれ、
そこからはサザンとシャネルズが決勝の中野サンプラザに進んだという
(本記事コメント欄通りすがりの名無しさん提供の情報)
やはり上記の推定は、おおよそ合っているものと思う


小室の木根・ウツとの出会いも、
イラプションとして活動していた時期である
府中市民会館でフィルモア楽器主催のジョイントライブが開催され、
イラプションがフリースペースと一緒に出演する機会があった
この時小室は、フリースペースの楽屋まで来て、
木根にシンセを借りたという
後のTM NETWORKメンバー3人の、
記念すべき最初の顔合わせである


この時小室の演奏を見ていた木根の印象は、
「ブロンドのヘアピースにシルバーの衣装で華麗な演奏を披露していた。歌詞はすべて英語だった」というものだった(「電気じかけの予言者たち」より)
演奏曲には小室がサイパンに行った時にビーチで作った曲などもあった
それをMCで聞いた木根はカチンと来たと、後に言っている
ウツは、「こいつとは友達になれないな」と思ったという
この時代の写真はたまにテレビでも出るが、
長髪を金色に染め、
ラメ入りの服にロンドンブーツという出で立ちで街を歩いていたという


木根はこの出来事があったのを1978年とも1979年とも言っている
だがバンちゃんさんによると(本記事コメント欄)、
1977/8/28に府中市民会館でイラプションのライブがあり、
後日楽器点で販売されたライブのテープによると、
以下の5曲を演奏したらしい

1.イラプション(インストルメンタル)
2.バリエーション オブ バ チャイコフスキー(インストルメンタル)
3.マイフェアレディ フロム サイパン リトルラブ
4.よく聞き取れない (ユダヤチュー て聞こえる)
5.エニータイム オーケー


この時、3曲目のMCで、
小室がサイパン旅行した時に作ったことを話したという
会場とMCの一致から見て、
小室と木根の初対面はこのライブの時かと思われる
ならば木根の言う年代は、勘違いの可能性が高いだろう
(なおバンちゃんさんの写真には「FUJICOLOR 77」とプリントがあるとのこと)
「East West '77」の件も併せ、
小室は本格的な音楽活動を始めた1977/2頃から半年ほどで、
なかなかの活躍ぶりを見せていたようである


さて、「East West '77」会場でコロンビアのディレクターから声をかけられたイラプションだったが、
そのうち話が変わって、小室にバンドを結成させてデビューさせるという話になった
ディレクターも小室のロックテイストのキーボードに興味を持っていたらしい
小室はそれほど見栄えのするパフォーマンスをしていたのだろう
だが結局この話は実現しなかったという


ただこの話では、少し省略されている部分があるようである
というのも、小室にバンドを結成させたのは、
直接にはコロンビアのディレクターではなく、
エプスタインミュージックという事務所の上野義美社長だったからである
もっとも両者はまったく別件ではなく、
コロンビアのディレクターから上野に話が通されたのか、
上野自身がコロンビアと関係を持っていたのかもしれない


上野が結成させたバンドはギズモ(GIZMO)といった
ギズモが初めてステージに現れたのは、
Bow Wow(Vow Wowの前身)「Rising Tour」の1977/10/30新宿厚生年金会館公演で前座としてだった


同年8/28にはイラプションとしての活動が確認できることを考えると、
ギズモは9~10月の間に結成されたことになり、かなり急ピッチな結成だったと見られる
そもそも事務所主導で結成されたバンドだったため、
シナリオは早くから用意されていたのだろう


1977年12月頃発行の「Player」1978年1月号では、
Bow Wowの「弟バンド」としてギズモが紹介されている
ギズモはこの時点で「キーボードを主体としたバンド」と紹介されており、
小室のキーボードが売りとされていたことが分かる
またギズモが翌年アルバムデビューの予定であることや、
ボーカリストを入れるかもしれないことなども書かれている
当時ギズモにはボーカルがいなかったようである


さらに同誌の1978年10月号では、
ボーカルを募集するとして、選考用のテープ郵送先も掲載している
この頃もボーカルが見つかっていなかったらしい
(以上、GAUZE氏提供資料)
1978年のギズモのアルバムデビューは9月になっても実現していなかったが、
その原因の一つにはボーカル問題があったと考えられる


その後のギズモの活動としては1978/11/28、
東横劇場のライブイベント「Blow Up vol.1」への出演がある
この第二部を務めたのが、銀星団(シルバースターズ)とギズモ&斉藤光浩だった
斉藤はBow Wowのギター・ボーカルである


「ギズモ&斉藤光浩」については「斉藤光浩とジョエル」名義とする資料もあるようだが、
「ロッキンf」のレポートには「ギズモ&斉藤光浩」と明記してある
(GAUZE氏提供資料)
当初予定されていたジョエルというバンドからギズモに出演者が変更されたのかもしれないし、
ギズモがジョエルと改名する計画があったのかもしれない
なお「Blow Up vol.1」でギズモが斉藤と共演したのは、
ボーカルがいなかったためとも考えられる


ギズモには「Down The Line」「The Ocean」「Fly Away」などという曲があった
この中で「Down The Line」の間奏では、
後のTMNの「Thrill Mad Natural」のドラムの部分と同じフレーズが用いられている
シンセとしてはRolandのRS-505を主に用いていたが、
オルガンもかなり目立つ形で取り入れられている


さて、「Player」1978年1月号では、1977年末のメンバーが具体的に判明する
ギター柴田昭萱・キーボード小室・ドラム竹森正幸・ベース菅沼智彦という編成だった
イラプションのメンバーに大阪のギタリスト柴田を加えたハードロックバンドだったという
1977年10月Bow Wowの前座でライブを行なった時の編成だろう
(いつのものかは書いていないが、演奏中の4人の写真が掲載されている)
柴田昭萱は、後に柴田昭寛と名乗っており、
内田裕也のバックバンドSQUAT(後のトルーマン・カポーティ ロックンロールバンド)でギターを務めることになる


竹森正幸は、イラプションのメンバーだったと見られる
2018年現在、ドラマーの竹森正幸のFacebookが存在する
(かしこ。さん提供情報)
1978年に東京都立久留米西高等学校を卒業したとあるので、
1977年に高校を卒業した小室よりも1学年下ということになる
その自己紹介には、以下のようにある

高校の時に小室哲哉とバンドを組みコロンビアレコードからスカウトされる。20歳のときボストンのバークリー音楽院に入学しジャズを学び、帰国後、神崎オンザロード、ジャズピアニストの市川秀男氏、作曲家の山本直純氏と活動。

I had been Scouted from Columbia Records at age 17.
I enrolled in the Berklee College of Music in Boston at the age of 20.


ここから竹森が、高校時代に小室とバンドを組んでいたことが知られる
またそのバンドでコロンビアレコードからスカウトされたともあるが、
これはイラプションが「East West '77」でスカウトされた件に違いない
英語ではスカウトを17歳の時とするが、これは1976~78年に当たり(高校卒業年より逆算)、
その点でも「East West '77」の件と考えて矛盾はない


小室によれば、小室を除くイラプションのメンバー3人は、
後にバークリーに留学したという
竹森が20歳の時にバークリー音楽院に入学したことは、
上記プロフィールに見えるところである
(facebookに1984年バークリー卒業とあるので、入学は1980年か)
竹森は小室とともにイラプションに所属していたと見て良かろう
そしてその後、上野にスカウトされてギズモのメンバーとなったのである


なお竹森の経歴に見える神崎オンザロードは神崎ひさあきを中心とするジャズフュージョンバンドだが
1980~81年にリリースされたアルバムでドラムを務めているのは小野哲夫である
竹森は1980~84年に渡米していたのだから、
竹森は1984年以後のメンバー変更により参加したか、またはサポートだったのかもしれない


ギズモ初期メンバー中で、ベースの菅沼についてはよく分からないが、
やはりイラプションのメンバーだった可能性は高い
だが竹森と菅沼は1978年の年始から夏の間にギズモから抜けたようで、
「Player」10月号には小室・柴田の他、新岡ナオミ(漢字表記不詳)という人物の写真が映っている
(雑誌に名前は書いていないが、新岡の知人より確認)


新岡はギズモでドラムを担当していた
また同じ頃、ベースは稲田知也という人物が担当していたことが知られる
おそらく10月号が発行された9月以前に、
竹森・菅沼は新岡・稲田に交替していたのである


ここで思い浮かぶのは、
当初イラプションがスカウトされたが、途中で話が変わり、
小室にバンドを組ませる方向に変わったと言う小室の発言である
あるいは新岡・稲田へのメンバー変更は、
この事務所の方針転換を反映しているのかもしれない


小室が所属したエプスタインミュージックは、
Bow Wowに関してもそうだが、所属バンドを結成するに当たって、
社長の上野の主導権が強かったようだ
たとえばギターについては、実は当初小泉洋が務めることになっていた
しかし事務所の判断で別のギターが入ることになり(おそらく柴田加入の件)、
小室はその件で小泉に謝ったという(小泉氏談)
竹森・菅沼もおそらく少し遅れて交替させられたのだろう


要するに最終的にギズモには、
小室以外のイラプションのメンバーは残らなかった
ギズモの活動方針決定に当たり、
当初10代だった小室にはほとんど発言権がなかったと思われる


これと関連して見ておきたいのが、「Steady」1979年4月号である
(GAUZE氏提供資料)
その中にあるギャラクシーというバンドの解説を以下に引用しよう

木塚ジロー(Vo、G)、栗原正樹(B、Vo)、塩沢敏明(Kbd)、山田英司(Ds)。
元イディオットと元イラプションのメンバーが集まって、77年に結成されたバンド。


ギャラクシーはギター・ベース・キーボード・ドラムの編成だったが、
この中に元イラプションのメンバーが含まれていたことが分かる
なおギャラクシーにはイディオットというバンドのメンバーもいたというが、
木根の「電気じかけの予言者たち」にも、
小室が知っていたバンドの名前として、イディオットの名前が出てくる


ギタリスト木塚ジローは木塚二郎として現在も音楽家として活動しているが、
1982年にはボストンのバークリー音楽院に留学している
先に述べたように、イラプションの3人は後にバークリーに留学した
ならばバークリー留学経歴を持つ木塚は、
やはりイラプションのギターだった可能性が高い


注目されるのは、ギャラクシー結成が1977年とされていることである
これはギズモが活動を始めた年でもある
おそらく1977年9~10月に小室・竹森・菅沼によってギズモが結成された時、
ギターの木塚のみはギズモに参加せず、
別のバンドに加入することになったのだろう


木塚がギズモに参加しなかった事情はよく分からないが、
事務所が小室をメインに据えようとしたことが関係するのかもしれない
すでに述べたようにイラプションのギター(つまり木塚)は、
バンド結成以前から地元の有名人であり、
イラプションの活動計画の立案は木塚によるものだった
木塚はイラプションのリーダー的位置にいたと思われる
ところが事務所は小室に目を付けてイラプションをスカウトした
このことが木塚の不参加と関わっているのではないか


だがギズモのデビューは、
このことによって困難に見舞われた可能性がある
ボーカル問題である


ギズモがボーカルなしでライブを行なったことや、
雑誌でボーカルを募集していたことは先に述べた
だがイラプションの演奏曲には歌詞がついており、ボーカルがいたと見られる
小室・竹森・菅沼がいたギズモにボーカルがいなかったことと整合的に考えれば、
イラプションのボーカルは木塚だったと考えざるを得ない
実際に木塚は、ギャラクシーでボーカルを取っている


つまり木塚が参加しなかったことによって、
ギズモはボーカルを欠くバンドとなった
これがデビューの障害の一つになったことは想像にかたくない


さて、ギズモのデビューは1979年になっても実現せず、
デビューの話はうやむやになっていたものと思われるが、
そうした中で小室は個人としてはプロデビューを果たしていた
銀星団のメンバーとしてである


銀星団のメンバーの正体は現在まで公にはされていないが、
これがBow Wowメンバーの別活動だったことは当時から推測されていた
実際に活動を始めた1978年の時点では、
Bow Wowメンバーの人数と同じ4人編成だった
(先述の「Blow Up vol.1」の頃)


だが1979/11/25リリースの「銀星団」には、
ボーカル&ギター、ギター、ドラム、ベースの4人とキーボード「Digital "Cheap" Snake」がクレジットされている
当時のBow Wowはキーボードを含まないので、
「Digital "Cheap" Snake」はBow Wowメンバーではないと考えられる


これについて「音楽専科」1980年5月号を見ると、
来日したTOTOに対して小室が行ったインタビューに小室の略歴として、
「バウワウ、シルバースターズを始め数多くのセッションで大活躍中の小室クン」
と書かれてしまっている
つまり小室は銀星団に関わっていたらしい


さらに2015/12/17、twitter上で、
「銀星団っていう覆面バンドに参加していたって噂、ホントですか?」
と聞かれた時に小室は、
「山本恭司さんとともに、僕はキーボードでした」と答えてしまっている
(山本はBow Wowのボーカル&ギター)


「銀星団」のレコーディングは1979年6月から7月にかけて行われた
小室は1979年春以前に途中参加の形でメンバーになったのだろう
その背後には、ギズモのデビュー計画中止があったに違いない
ただし「Digital "Cheap" Snake」は、
1980/11/5リリースの2ndアルバム「SEE」には参加していない
小室はSPEEDWAY加入の前後に脱退したと思われる


「銀星団」では1曲目の「金銭偽体 YOU」など、
曲によっては小室のシンセがかなり目立つ形で使われている
また「警邏洪笑 LAUGHIN' COP」という曲は、
作曲が「Digital "Cheap" Snake」である
商品化されているものでは、最古の小室楽曲だろう
この曲では途中で詩を朗読する謎の演出があり、
このアルバムでも最大の異色作となっている


後に小室がエプスタインミュージックにいた頃のことを回想した時の発言によれば、
自分が本当にやりたかった音楽的趣向は脇に置いて、
仕事に直接つながるように、どんな曲でも演奏するようになったという
事務所に所属して音楽活動を始めるようになり、
個人的趣向に留まらず仕事をこなさなくてはならなくなったのだろう
これ自体はアマチュアとしてでなくプロとして活躍するために必要なことだろうが、
当時の小室には鬱屈した思いもあったようである


なお小室は20歳過ぎの頃(1979年前後)から、
まったく経験がなかったピアノを使うようになったという
仕事の都合上、やらざるをえなくなったのだろう


また小室はこの頃のこととして、
プロと言われる線は近くにあるが、
その先がやたらと長いと実感したとも言っている
ギズモが1年以上かけてもデビューを果たせず、
銀星団も正体を伏せた活動になったことで、
こうした感想を抱くことになったものと思われる


一方で小室はこの頃、後につながる人脈も作っていた
音楽プロデューサーの松村慶子は、
吉祥寺の楽器店に天才がいるとの話を聞いて、
19歳の頃(1978年頃)の小室に会いに行った
そこで小室のことを気に入り、
スタジオを自由に使わせることにしたと言う
松村はこの後、TM NETWORKの事務所オフィス・タイムマシンの社長となり、
NETWORK期のTMをサポートし続けた


以上、1970年代の小室の活動を見てきた
大学生時代の小室の活動歴は、だいたい以下のようになるだろう
(1980年代については、別章で触れる)

・1977イラプション
・1978ギズモ
・1979銀星団
・1980SPEEDWAY
・1981STAY
・1983TM NETWORK



大学時代(1977~82頃)の小室


(2006/8/5執筆 2006/11/24、2007/9/13、2008/9/8、2012/12/10、2016/10/14、2017/1/12、2018/5/20、10/27、2019/6/13・14加筆)

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この記事へのコメント

polytope
2008年05月13日 17:57
はじめまして。最近このブログを知りました。最近の活動は追っていないのでファンと言っていいのかは判りませんが、古い話も初めて知った話が多く、すごく面白かったです。

ここの記事に書いていいのか分からないのですが、最近1981年の『ぴあ』を読み直していて、渋谷屋根裏の当時のライブスケジュール欄に小室哲哉さんの名前を見つけたので、抜き出してみました(80年以前にはありませんでした。82年以降はチェックしていません)。

06-27 小室哲哉&STAY@渋谷屋根裏昼の部
07-29 小室哲哉&STAY@渋谷屋根裏昼の部
08-29 小室哲哉&STAY@渋谷屋根裏昼の部
09-26 小室哲哉&STAY@渋谷屋根裏昼の部
10-16 SHAFT@渋谷屋根裏昼の部
SHAFT……真樹村サトシ(vo,g),小室哲哉(key),岡本英利(b),サミュエル岡本(ds)
10-17 小室哲哉&STAY@渋谷屋根裏昼の部
12-28 小室哲哉 and STAY、スピード・ウェイ@渋谷屋根裏昼の部

こういうデータも何かの役に立つでしょうか? 今後も更新楽しみにしています!
蒼い惑星の愚か者
2008年05月14日 00:08
大変貴重な情報どうもありがとうございます
こんな時代のライブ情報が分かるなんて、思っていませんでした
ステイの活動時期が判明しましたし、大感謝です!!

それにしても小室さん、インディーズでもぴあでチケットを売るくらいの活動をやってたんですね
近日中に初期の記事を改定しようと思っているので、その時に参照させていただきます
polytope
2008年05月14日 20:12
お役に立つならよかったです。少し補足ですが、当時の『ぴあ』は都内各所のライブスケジュールは載ってるんですが、チケットを買う買わないは直接ライブハウスに行かないとダメでした。載ってるだけマシ、というんでしょうか……。

あと、雑誌がどこかへ行ってしまったのでどうしようもないのですが、スピードウェイは当時『Player』79年3月号に写真付半ページ程度の記事、『新譜ジャーナル』79年6月号の新人グループ紹介コーナーにやはり半ページ程度の記事がありました。もちろん両方ともまだ小室さんはいない時期ですけど、もし機会があれば探してみてください。
蒼い惑星の愚か者
2008年05月15日 02:08
ぴあのお話、補足ありがとうございます
当時はぴあに電話するシステムじゃなかったんですねぇ

スピードウェイの雑誌情報も初耳でした
ローラースケート姿のウツの写真が出てる雑誌はTVで見たことありますが、あれとは別ですよね
1979年3月というと、まだインディーズの時代でしょうか
なんとかして見たいですね
熱心なファンが保管しているのかな…
あと当時、スピードウェイがラジオで演奏したらしいんですよね
録音している人なんていないだろうけど、一度聞いてみたいです
バンちゃん
2008年06月17日 23:12
はじめまして、通りすがりの者です。昔好きだったアマチュアロックバンドを検索していてこちらに辿り着きました。おこづかいが少ない子供だったのでアマチュアバンド(500円位)しか見に行かれませんでした。

昭和52年8月、古い話ですが・・・私が好きだったバンドは2つありましてその一つがイラプションでした。

バンちゃん
2008年06月17日 23:13
8月中に2回見ましたがあまりに昔すぎて1回目・2回目の記憶がゴチャゴチャなのですが・・・少なくとも一つはアマチュアロックバンドのコンテストでした。(両方だったかも)
何の賞だかよくわからなかったけどイラプションは入賞して商品を貰ってました。
小室氏のシルバーのジャンパー(革ジャンみたいな形)とシルバーのロンドンブーツは目に焼きついて今も忘れられません。しかもすごい美少年!!外国のミュージシャンみたいで格好よかったです。この年は冷夏だったので真夏にジャンパーやロングのブーツを着用してても平気だったんですね。


バンちゃん
2008年06月17日 23:14
2回目に見た8月28日 府中市民会館の方は主催者の楽器店が当日のライブのテープ販売予約を受け付けていました。
1000円だったような・・・
後日テープを受け取りに行くと市販のソニーのテープにダビングしてありました。
どうやって録音された物なのか・・・
この時代のことだからラジカセを客席に置いて録音したんじゃないかと・・・・
ボーカルのMCの声が小さくてなかなか聞き取りにくいんです。
実はこのMCではじめてキーボードがコムロ君という名前だとわかりました。

1曲目は『イラプション』ていう曲でした。
あと4曲位入ってました。
今度曲名調べてみます。


バンちゃん
2008年06月18日 13:07
あらためてテープ聞いてみたところMCはベースの人でした。

曲名は聞き取れないのもあり、聞き間違いもあるかもしれませんがとりあえず書いておきます。

1.イラプション(インストルメンタル)
2.バリエーション オブ バ チャイコフスキー(インストルメンタル)
3.マイフェアレディ フロム サイパン リトルラブ
4.よく聞き取れない (ユダヤチュー て聞こえる)
5.エニータイム オーケー


バンちゃん
2008年06月18日 13:30
当時コピーバンドが多いアマチュアの中、イラプションはオリジナル曲ばかりですごい才能だと思いました。
数年後テレビに出ているTMNを見た時、キーボードの小室氏を見てすぐにイラプションのコムロ君だと気づきました。
私は、TMNはまったく詳しくないのですが、こちらのHPのTMN通史はすごいなーと感心してしまいました。


蒼い惑星の愚か者
2008年06月19日 03:07
ものすごい貴重な情報、どうもありがとうございました!
1977年って! 先見の明ありすぎます(笑
シルバーのジャンパーにロングブーツっていう風貌も、木根さんが語り継いでいるのと同じ雰囲気ですね
こんな情報出てくるなんて、ブログ始めて良かったです
それにしてもすごいお宝テープですねぇ…

曲名しか判断材料がないのですが、イラプションというのは、バンド名の語源になったELPのインスト曲とは別ですか?
2曲目のチャイコフスキーは、ELPがアレンジしたNutrockerのさらにリミックスかなぁ…
マイフェアレディはミュージカル曲のリミックスかもしれませんね
5曲目は完全にオリジナルでしょうかね

この世にこんなものがまだ残っているというのが、ホント感動です
近いうち(夏くらい?)にここの記事を更新する時、参照させていただきます
また何か分かったら、是非情報をお願い致します
バンちゃん
2008年06月19日 21:46
ELPの曲がわからないのでさっきユーチューブで確認してきました。
ELPのtarkus(eruption)とNutrockerはイラプションの1・2曲目とは違いました。
3曲目はMCでコムロ君がサイパンに旅行した時に作ったとか言ってるので・・・
たぶん全曲バンドのオリジナルだと思います。
実は、この日のステージの写真がどこかにあるはずなので探してみます。
客席から昔のバカチョンカメラ(フラッシュやズーム機能なし)で撮ったので小さくてたいした写真ではありませんが。

蒼い惑星の愚か者
2008年06月20日 01:56
わざわざ調べてくださったようですみません
イラプションとかは、曲名を似せて中身は違う曲なんですね
一度聞いてみたいです
写真があるというのもすごいですね
当時は撮影OKだったんですね(そりゃそうか)

サイパンで作った曲と言うと、木根さんの「A Tree of Time」にあるエピソードを思い出します
木根さん20歳の頃=1977~78年、とある楽器店主催の対バンのコンサートで、小室さんがシンセを借りに来たことがあったそうです
その時小室さんのバンドの演奏の時、ギタリストがMCで、「次の曲は小室君がサイパンに行ったとき、ビーチで作りました」といって曲紹介したそうです
多分三曲目は、まさしくこの曲ではないでしょうか?
いろんなことが符号してきて、また感激しています

ちなみに木根さんの「電気仕掛けの予言者たち」によると、1978年、会場は府中市民会館だったというので、バンちゃんさんがイラプションを見た会場と、MCだけでなく会場も一致します
あるいは年代は木根さんの記憶違いで、本当はこの出来事は1977年のことだったのかもしれませんね
バンちゃん
2008年06月21日 22:28
イラプションの写真2枚見つかりました。
写真の白い縁取りに FUJICOLOR 77 とプリントされてるので77年の写真です。

2枚のうち1枚に演奏中のコムロ君が写ってます。
舞台上の機材(照明?)がかなり邪魔なんですがシルバーのジャンパーとシルバーのロンドンブーツもチラッと見えてます。
顔のところにマイクのコードがかかってるのがかなり残念。

木根さんの本は読んだことがないのですが何だか怖いくらい一致しててビックリ!
まさか2年続けて同じ場所で同じMCってことはないですよね。
もし木根さんの78年府中市民会館が77年のことだとしたらすごいかも。
私以外だれも覚えていないだろうとずっと思っていたので・・・




















バンちゃん
2008年06月21日 22:40
そういえば1977年にはYAMAHA主催の「East West '77」で、小室氏がキーボードで賞を獲得って・・・何か違いますよね。
検索したら別人が賞獲ってますものね。

もしかして East West '77 と 78年府中市民会館がゴッチャになってるとか?
仕方ありませんよね。私だって1回目2回目がゴチャゴチャなんですもの。

でも確かに私が見た楽器店のコンテストではイラプションは入賞して商品貰ってました。
ふと思ったのですが木根さんも府中市民会館のコンテストに参加してたのかしら・・・





蒼い惑星の愚か者
2008年06月23日 09:02
イラプションの写真出ましたか! …いいですねぇ
木根さんに見せて、府中の事実関係を確認したいところです
ところでEast West '77の典拠は、2007/1/5のラジオ特番Double DJ Showでの小室さんのトークです

・East Westに3年出場したが、一度決勝まで進んで、バンドとしてはダメだったが、
個人としてベストキーボードプレイヤー章を獲得した
・その時の会場は渋谷、優勝はSouthern All Stars、準優勝は多分シャネルズ、審査員は後藤次利だった

小室さんの勘違いがあるとしても、一緒に出場したバンドまで間違えているとは思えないので、この点は信頼して良いと思います
サザンはEast West '77で入賞し、1978/6にデビューしており、シャネルズはEast West '77で入賞、'78で優勝していますから、小室さんが出場したのもEast West '77だろうと考えました
(以下続く)
蒼い惑星の愚か者
2008年06月23日 09:03
ただEast West '77について改めて調べてみると、おかしい点もあります

・サザンとシャネルズは入賞しただけで、優勝はリバーサイドとカシオペア
・ベストキーボード賞は稲田保雄
・会場は中野サンプラザ
・審査員に後藤次利はいない

しかし具体的な大会名や出場者名を挙げてまでまったくの虚構を話すとも思えないので、
どこかで小室さんの勘違いが入ったものと思われます

これについて私が考えたのは、小室さんが出場したのは全国大会決勝ではなく、首都圏の地区大会の決勝だったのではないか?という可能性です
つまり小室さんがベストキーボード章を取ったのは、地区大会だったのでは、ということです
もしそうならば、バンドで受賞できなかった小室さんは全国大会には進めず、一方で優勝・準優勝したサザン・シャネルズは全国大会に進んで入賞したということで、
矛盾なく説明はできます
(さらに続く)
蒼い惑星の愚か者
2008年06月23日 09:06
これを裏付けられないか?と思い、YAMAHAのサイト(http://lmc.yamaha.co.jp/archive/east/77/)を見てみました
するとサザンとシャネルズはともに東京B地区出身となっています
東京B地区のバンドはヤマハ渋谷店とシブヤ楽器から出場しており、渋谷周辺で活動するバンドだったようです
多分東京B地区大会は渋谷で行なわれたはずで、小室さんはこれに出場したのではないでしょうか
(多分その前に楽器店の予選を突破して)
この大会出身のビッグネーム、カシオペアに小室さんが言及しないのも、埼玉地区から出場したので、渋谷の地区大会では見ていなかったからでしょう

そう考えると気になるのは、全国大会でベストキーボード賞を受賞した稲田さんも東京B地区ということです
小室さんが東京B地区大会でベストキーボード賞を受賞したのならば、この方を破っていたということです
もしもバンドとしても入賞して全国大会に進んでいたら、案外全国大会でも同賞を取っていたのかもしれません

長文になりましたが、改めて考え直したところはこんな感じです
いかがでしょうか
蒼い惑星の愚か者
2008年06月23日 09:09
この推測を詰めるには、サザンのデビュー前のエピソードを調べるというのが有効かもしれません
渋谷地区大会で優勝していたことが分かれば、以上の推測はかなり確かなものになると思います
これから気をつけてアンテナを貼っておこうと思います
智紗
2016年11月09日 00:47
GAUZE氏所有の資料と、小泉氏へのインタビューと、惑星氏の分析力と文章力で、最初に記載のものとは別物になってますね!
小室さんの70年代をここまで詳細に記載した人はいないのでは?
小室さんに答えあわせができたらいいのに!
青い惑星の愚か者
2016年11月11日 02:01
70年代の活動については、まだ確認したいことがたくさんあるので、私も答え合わせしたいですねえ。
あと昔のコメントに出ているイラプションのライブのテープを聴いてみたい!
サキコ
2018年05月05日 17:36
私の持っている資料に、小室さんが高校時代に組んでいた「哀婉(あいえん)」というバンドの写真が載っています。「哀婉」なんて、学のある人ですね。
青い惑星の愚か者
2018年05月10日 20:19
あ、その哀婉て、昔はここで書いていたんですよ。
でも典拠が分からなかったので削除しました。
ちゃんと資料があったんですね。
その哀婉のメンバーとか、分かる範囲で教えてもらえませんか?
サキコ
2018年05月13日 21:54
メンバーは斎藤栄作さんでしょうか?小室さんの高校時代「秘蔵フォト」というのが載っています。「フォーク全盛期で、チューリップ、かぐや姫などの曲を演っていたという。高田馬場のライブハウス「ピープル」(現在はない)でよくライブを行っていた」とあります。私が持っているこの資料とは、Views June 1995です。もしよければ他のページと合わせて写メを青い惑星の愚か者さんにお送りしましょうか?
青い惑星の愚か者
2018年05月17日 03:37
Viewsですか。まったく知りませんでした。
TKブームの頃だから、私が一番知らない頃ですね。

気になるのは、TM時代の小室さんは、
フォーク風の曲をやっていたことにふれていないことです。
もちろん時代を考えれば大いにありえることですが、
TM時代にはあえてふせていたのかもしれません。

あるいは高校時代というのは年代の誤りがあって(インタビューだとよくあることです)、中学の文化祭で「心の旅」「スカボロフェア」などを演奏した時のものなのかもしれないです。

もしも可能でしたら、写メを送ってもらえると、
とてもうれしいです。
tm_on_the_planet%yahoo.co.jp(%を@に置換)までメールを送っていただくか、twitterのメッセージ機能で連絡下さい。
お時間のある時にでも、よろしくお願いします。
青い惑星の愚か者
2018年05月20日 20:48
サキコさんへ
貴重な情報、ありがとうございました!
高校時代の記事、ブログ加筆しておきました!
しげり
2018年06月08日 12:49
みなさんこんにちは!
小室さんをglobeで知り、ファンをして20年なるものです。なぜか小室さんのデビュー前の時代が気になり久しいです。

白竜バンドへの参加、村田和人さんなど、バックバンド時代の音源などが気になります。97年頃?に夜中の番組トィナイト2を見ていましたら、当時の写真が沢山映されておりました。白黒写真でしたが、小室さんが階段?から降りる様子、下を向いて恥ずかしそうにしている様子などなど。朝日テレビに行けばもらえるんでしょうかね。。
青い惑星の愚か者
2018年06月19日 01:53
はじめまして。
97年頃の番組、それ見たかったです。
TKブームの頃は、TVで昔の小室さんについて取り上げられることも多かったんでしょうね。
そこらへんの素材はTV曲では無理でしょうね。
誰か録画している方がいれば見てみたいです。
しげり
2018年09月28日 20:56
先日のNHKプレミアムでは小室さんの新たな歴史を知るきっかけになりました。
松村慶子さんが19歳の小室少年に会っていたなんて。時代ははっきり分かりませんが、好きなだけスタジオを使わせたとは、制作だったのかどうか。。
さらには、1982年時の村田和人さんのバックバンド時代の貴重な写真まで。機材はばっちり、ヤマハCP80の上にKORG POLYSIXも置かれており、推測するにそのシンセで1974の原型を作っていたと思われます。それが本人所有でなく、音楽事務所?かもしくは村田さんの所有だったか?
いずれにせよ、小室さんの貴重な貴重なバンド時代の写真が見れて最高にしびれました!
青い惑星の愚か者
2018年10月09日 03:08
スタジオを使わせていたのが松村さんで、それで小室さんがいろんな経験を積んだのだとすれば、ホントにお世話になったことということになりますね。
デビュー前の小室さんは、スタジオにこもってデモテープを作りまくっていましたが、それも小室さんの才能を見込んだ方々のバックアップがあってのことなんだなと思いました。
智紗
2018年10月27日 12:19
情報提供により、さらに記事が進化してますね。
海外の音楽院に留学出来るって、小室さんのお友達はお金持ちだなー。
青い惑星の愚か者
2018年11月10日 02:34
思わぬところの情報を教えてもらいましてね。
この時代に音楽活動していた人って、基本的に裕福な家庭だと思うんですよね。
しかしそれにしても、イラプションで小室さん以外の3人が海外留学したっていうのは、えらいことですよね。
もしかしたら誰か言いだしっぺがいたのかもしれませんね。
通りすがりの名無し
2019年02月15日 00:25
参考になるか分かりませんが。。。興味深い記事を見つけました。エプスタインミュージック社長だった上野義美さんが何故ポップ志向の小室さんを気に入り、ギズモのメンバー交代をしたのか?当時の背景が垣間見れる記事です。


元GORO編集部にいた根本さんが、BOWWOWを作ったプロデューサーの上野さんと、誰も知らなかった初期のマル秘エピソードを語る。 僕ですら忘れていたような興味深い話も出てきます(笑) まるでテープ起こししたような対談やアコースティックライヴの感想。 さすが元プロの編集者です。 皆さんもご一読を~~♪

https://m.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1534802966564944&id=283361075042479
通りすがりの名無し
2019年02月15日 00:38
先の記事の要約。BowWowの売り出しでロック路線の限界が見えた。当時の日本、ロックは洋楽。売れるのはポップ路線。それがポップ志向の小室さんをメインにしたバンドを作りたかった理由。メンバー交代は、ギズモ初期メンバーの音楽志向がポップ路線じゃなかったから、と推察。
通りすがりの名無し
2019年02月15日 02:02
上野義美さんとコロンビアの繋がり。エプスタインミュージックを設立する前はアルト企画で佐川満男さんのマネジメントをしてました。佐川満男さんは、1970年「日本コロンビア」に移籍した伊東ゆかりさんと結婚(1971~1976年)。
伊東ゆかりさんは、ジュン&ケイ音楽出版の企画でシングル「わたし女ですもの」をリリース(1975年8月1日発売)。1977年以前にコロンビアとの繋がりがあった可能性あります。連投コメント失礼しました。
青い惑星の愚か者
2019年03月24日 04:22
おお、これは知りませんでした。
「コントロールされたポップ・バンド」を狙って小室さんに目を付けたんですかね。
プロデュースされるバンドというところでしょうか。
なんかビーイングみたいなものを目指していたんでしょうかね。
結局BOW WOWと決裂したのも、こういう志向の結果だったのかなとも思いました。

上野―佐川のつながりは良いとして、伊東ゆかりさんとのつながりはどの程度想定できますかね。たしかにジュン&ケイとの関係も考えると、魅力的な線なのですが。
通りすがりの名無し
2019年06月14日 03:04
話題のeastwest'77 渋谷エピキュラス。
渋谷エピキュラス会場でコンテストに参加した方のブログです。当時サザンオールスターズやシャネルズが準決勝で一緒に出場した、という記述あります。

https://blog.goo.ne.jp/kikuoyo/e/d985f71306417ae3cdb5ebe993cbad21

参考まで。
通りすがりの名無し
2019年06月14日 03:26
以前のコメントにレスを頂き、感謝です。
業界人ではないので、あくまでも私見推察の域です。

連投コメント失礼します。
eastwest'77決勝大会の紹介パンフ写真。とある方のFacebookにありました。参考まで。

https://m.facebook.com/ArigatoPOPCON/posts/948735271841048
通りすがりの名無し
2019年06月14日 14:53
先に記載した渋谷エピキュラス話の要約。
ヤマハeastwest'77の東京B地区(準決勝)大会は渋谷エピキュラスで開催。当時エピキュラス会場でのコンテスト結果。サザンオールスターズが優勝。シャネルズが準優勝。

ブログ主の話をそのまま受け止めれば、小室さんが語ったイラプションのeastwest'77 地区ブロック大会話と辻褄が合います。参考まで。
青い惑星の愚か者
2019年06月14日 19:04
貴重な情報ありがとうございます。
いただいた情報、まったく気づいていませんでした。
やはり渋谷地区大会はエピキュラスでよかったようですね。
とりあえずこれまで書いてきた推測が正解だったようで安心しました。
ただブログの方、サザンが全国大会で優勝、シャネルズが準優勝としていますが、
実際にはサザンが入賞しただけで優勝ではないですね。
地区大会の記憶と混同したものかもしれません。

少し検索してみたら、この時のサザンのドラムは小野哲夫さんだったようです。
http://www.early-times.com/Siryoukan/contest/eastwest.html
この方、最近追記した神崎オンザロードでも1980年頃にドラムを務めています。
小室さんもそうですが、この頃のアマチュアミュージシャンの動きは結構断片的にでもわかるもんですね。

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