3-27 ライター・木根尚登

本日、「別冊宝島」「音楽誌が書かないJポップ批評」シリーズで、
「TMN&小室哲哉 ポップス神話創世」が発売されます(680円)
表紙はこんな感じ↓

画像


TMは一部に過ぎませんが、
ちょうど去年TMが活動を再開し、25周年に向けて動いている中で
タイミングとしては良いかと思います
amazonの広告では、以下のようにあります
07年10月に3年ぶりに復活したTMN。原点回帰ともいえる同ユニットでの活動再開を機に、小室哲哉という男の音楽史における功績を改めて検証してみたい。TMN全盛期の80年代後半~90年代前半、希代のプロデューサーとして我が世の春を謳歌した90年代……。Jポップ界最大の功労者・小室哲哉とは、いったい何者なのか? TMN結成前から現在までの彼の全仕事をファイリング化し、コムロ・サウンドを軸に古き良き20世紀末のJポップ・シーンを完全総括!



ところで5/10の「スマステ」で、
TM NETWORKが80年代歌手の8位に入ってましたね
高いか低いか微妙な順位ですが、まあまあのところかなぁと思います
米米や尾崎より上だったし


あと昨日の5/18、大阪公演二日目に行ってきました
遠征というか、ちょうどお仕事で大阪に行く用事があったので、
これに乗じての参加です


それぞれの曲で、ハモンドをイントロやアウトロで少し引っ張るのが増えた印象です
特に「Time To Count Down」イントロ前が長かったですね
あと5月に入っての「Get Wild」を始めて聞きましたが、
3月の横浜公演とはイントロのアレンジが変わっていました
3月には「TM NETWORK -REMASTER-」のアレンジをそのまま使って、
オリジナルの最初におなじみの「ゲゲゲゲ」をつけただけだったのですが、
新バージョンはもう少しいじられています
最初にハモンドのイントロ演奏、
その後「ゲゲゲ」のサンプリングボイスにドラムが乗って会場を盛り上げ、
オリジナル演奏がその後で続きます
これは簡単ながらかっこいいアレンジですね
「Love Train」もそうですが、
今回はシンプルだけど原曲の魅力を引き出すアレンジが光ります


MCでは小室さんが、
今回の楽器はDeep Purpleなど70年代のハードロックの音をモデルにして組んだと言ってました
「Malibu」の後で「Smoke On The Water」をやるのも、
そういうつながりなのかもしれません
過去を振り返るという点では、「SPEEDWAY」のコンセプトと同様と言えるかもしれません


いよいよツアーはあと、来週の追加公演のZepp Tokyo二日間のみとなりました
是非行ってくるつもりです
では本題に入ります


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1989~90年のソロ活動期の木根の活動は、二つ挙げられる
一つは執筆活動、
一つはラジオのパーソナリティである
特に前者について、木根は大きな成果を出すことに成功した
小室のソロ歌手としての活動やウツの俳優業が、
ほとんどその後の成功につながらなかったことと対照的である
本章ではこれについてまとめてみよう


木根はもともと執筆活動を売りにしていたわけではなかった
執筆活動のきっかけは、
小室が1988年2月に「CAROL」の構想を思いつき、
木根にストーリーを書くように言ったことであった
木根は7月、「CAROL」レコーディングと「STARCAMP TOKYO」リハーサルのためにロンドンに渡り、
小室とともに「CAROL」のストーリーを詰めていった


これを本格的に原稿化していったのはツアーが始まった頃で、
ツアーの合間に少しずつ処女作「CAROL」を書き上げていった
ライブが終わった後も他のメンバーと一緒に遊びに行かずに、
執筆することもあったという


「CAROL」執筆が終わったのは1989/3/3で、
「CAROL Tour」大阪フェスティバルホール公演の日だった
この日は奇しくも、ライブ本番でウツがヒザの靭帯を切った日だった
出版はソニーマガジンズからで、4/15のことである
その後1991/4/10には文庫化もされている
ストーリーはすでに述べたので割愛する


これが当人たちの予想以上のベストセラーとなり、
最終的には50万部以上の売上となった
TMブームの一つの産物といえよう
この小説を元にして、
アニメ・ラジオドラマも作られたことは、すでに述べた


木根は「CAROL」の成功により、
以後も活動の一つの核として執筆活動を積極的に行なうようになる
第二弾も小説で、「ユンカース・カム・ヒア」であった
執筆は1989年9月から11月というから、
8/30「Camp Fanks!! '89」の終了後から書き始めたことになろう
発売は1990/1/25である



ユンカースは、
小室がロンドンで飼っていたシュナウツアー犬の名前で、
小説にもこれをモデルにした犬が登場する
名前の由来は、戦前のドイツの爆撃機である


1988/10から小室が長くロンドンの自宅を空け、
日本に滞在することが常態化している間、
妻の大谷香菜子がユンカースの世話をしていた
一人にされた香菜子の心のよりどころだったようだ


1992年の離婚後も、香菜子はユンカースを引き取り、
2005/6/6のユンカース死没まで世話をし続けた
香菜子はdesign fという犬の服の店を経営しているが、
ユンカースはその店のイメージキャラクター的存在だった
現在でもHPで写真が載せられている


香菜子とユンカースの縁について、
design fのウェブサイトから引用しておこう

design fはミニチュア・シュナウザーから始まったといっても過言ではありません。
現在のプロデューサーである大谷香菜子がイギリスでミニチュア・シュナウザーのユンカースと出会い全てが始まったと言ってもいいくらいです。
「いくつもの偶然が重なって奇跡のようにユンカースと出会いました。
辛く哀しいことが色々あっても、その度にユンカースからパワーをもらってきました。一人では耐えられないようなことも、ユンカースがいたから乗り越えられたこともたくさんあって……。数え切れないほど幸せをもらって、私はいったいこの子に何がしてあげられるのだろう……と考えるようになりました」
当時の日本では、犬といえば外で飼うかお座敷犬。家の中で一緒に住む環境は整っていなかった。そこで、人とドッグが共生できるためになにかできることはないかと模索し、日本初となるドッグブランドdesign fが誕生したのです。


なお「ユンカース・カム・ヒア」発売翌日、
「Just Pop Up」では木根がメインゲストで、
TM NETWORKスペシャルが組まれた
木根は机の前で小説を書きながらトークをするというスタイルを取っている
(流れる歌はすべて再放送)
小説の宣伝が目的であろう


ユンカースが人間と会話できるという設定はあるものの、
主人公麻生瞳は普通の女子高生で、
詳説の舞台はあくまでも日常の生活である
ファンタジー小説「CAROL」の二番煎じに甘んずることなく、
ライターとしての幅の広さを示した作品と言えよう


1990/11/8には、「ユンカース・カム・ヒアⅡ」が発売されている
こちらは麻生瞳が高校を卒業した後で、
ロンドンにユンカースを探しに行く話である


「ユンカース・カム・ヒア」はファンの間で評価が高く、
長い間メディアミックスを繰り返した
まずは1991/4/1~12のウィークデー10日間、
NHK FM「サウンド夢工房」で、
この小説の内容がラジオドラマ化された


1994/7/21には、
「ユンカース・カム・ヒア~メモリーズ・オブ・ユー~」というタイトルで、
短編アニメビデオが発売された
監督は佐藤順一で、
「美少女戦士セーラームーン」「ケロロ軍曹」なども手がけている
声優には木根自身も参加した(主人公の父親役)


さらに佐藤監督の下で、
スタッフを変えて作成された劇場用長編版が、
1995年に全国10箇所で上演された
主人公の名前が野沢ひろみとなり、11歳の小学生とされ、
舞台がロンドンから高井戸になるなど、
小説と設定が多少変わっている


決して有名な映画だったわけではないが、
1995年毎日映画コンクールアニメ映画賞を獲得し、
文部省選定映画にも選ばれた
また映画化と並行して、小説の文庫版も発売された
木根はこの映画の音楽を担当し、
サウンドトラック(1995/4/21)や、
ドラマCD(1995/11/21)も発売された


主題歌は木根の「ホントの君、ウソの君」である
これはTMN「終了」後の木根の初のソロシングルとして、
1995/3/8に発売された
(カップリングの「Bye Bye Bye」も映画挿入歌)
エンディングテーマは、
当時木根がプロデュースしていた日置明子のデビューシングルで、
TM NETWORKの「Winter Comes Around」のカバーである


この映画は、興業的に成功したわけではなかったので、
LD化する話はあったものの、立ち消えになってしまった
だが映画の舞台である高井戸では、
有志の「ユンカース・カム・ヒアを観る会」によって、
上映会が行なわれ、
2000年にはBSなどで放送されるなど長く支持され続け、
2001/12/21にはついにビデオ・DVDとして発売された
実に小説発表から11年目のことであった


さらにこの間、森永あいによる漫画版も発売されている
(2000/7単行本第1巻発売、以後4巻まで発売)
「CAROL」のように大きなブームにはならなかったが、
息の長さも考えれば、
おそらく木根の作品でもっとも評価が高い作品と言って良い


1991/7/5には、「月はピアノに誘われて」が発売された
TMNのアルバム「EXPO」に収録される、
木根ボーカルの曲名から取ったものである
中年四人組のバンドのサクセスストーリーという、
前二作とはまた違った趣きの話である


この小説は前3作ほどの知名度はないが、
売上自体は15万部を越える好成績だった
実は当初この作品は、
大々的なメディアミックスが行なわれるはずだった
この頃に小室が立ち上げた映像会社グラデミーで、
この小説を元に映画を作ることになっていたからである


というよりもこの小説は、
もともと小室がグラデミーの映画原作として執筆を依頼したものだった
そのため本の帯には、「映画化決定」と明記してある


このストーリーは、小室・木根やスタッフで10以上のアイデアを出して、
その中から選んだものだったという
1990/12頃から創作活動が始まり、1991/3頃から執筆に入った
ちょうど「月とピアノ」という「EXPO」のコンセプトが決まった頃で、
小説のタイトルもその流れの中で決まったものだろう
執筆は「EXPO」レコーディングの合間に行なわれた


ところが「EXPO」リリース後、
グラデミー運営の混迷、
TMNとしての活動の休止という事態によって、
結局映画化の話はうやむやになってしまった


第5作「武蔵野蹴球団」は、
単行本発売はソロ活動期の1993/4/25だが、
「EXPO」リリース直後、1991年9月から「月刊カドカワ」に連載した小説をまとめたものである
実質的には「月はピアノに誘われて」に続く作品と言って良い
武蔵野の商店街のサッカーチームを中心とした小説である
1996年発売の文庫版では、「いつかみた遠い空」に改題された


自分はこれを読んだことがないのだが、
モデルは1991年夏に木根が結成したTMN JUNKERSだろう
前述のユンカースをマスコットにしたサッカーチームである
8/15に最初の練習をやったらしい


なおこれ以前にも、TMメンバーやスタッフで結成した草野球チームがあり、
ドゥービーズと言った
1982年結成というから、
正確にはTMというよりはSPEEDWAYの草野球チームというべきだろうが、
とはいえこの頃の関係者の多くは、
TMデビュー後に事務所タイムマシンのスタッフになったから、
ドゥービーズはTM初期にも続いていたのかもしれない


TMN JUNKERSのメンバーには、
TMNメンバーや知り合いのミュージシャン、レコード会社のディレクターなどがいた
またチームプロデューサーとして、(名誉職だろうが)小室が就任した


TMN JUNKERSは1992/8/26に国立競技場で、
清水エスパルス対サントスFC戦の前座として、
女子サッカーチーム鈴与清水FCラブリーレディーズと対戦している
またTMN JUNKERS結成前だが、
1991年発売の「Rhythm Red Live World’s End Ⅱ」では、
木根が子供にサッカーの指導をしている映像を見ることができる


なおTMN JUNKERSは、
1993年にはチーム名をHOT LEGSに改名しているが、
おそらく前年の小室の離婚によって、
ユンカースを大谷香菜子が引き取ったことが関係しているのだろう
このHOT LEGSはその後も木根を中心に細々と続き、
最終的に2013/9/21のイベントを以って解散した


TM NETWORK・TMNとして活動していた頃の作品は以上である
その後、木根はTMN休止期と「終了」後にも、連年新作を発表し続けた
木根は歌手としてソロデビューした後も、
しばらくは小説家としての方が有名だったと想われる


・1992/12/5「夢の木」
・1993/8/2「夢のつづき」
・1994/12/15「いつか逢える日に」
・1995/2/28「それでもいいと思ってた」
・1996/1/26「八王子のレッド・ツェペリン」
・1996/12/6「P」
・1997/4/25「天使の涙」
・1998/11/2「北京オペラ」
・1999/9/25「ずっと好きだった」
・2002/3/30「僕を忘れないで」
・2003/11/28「七つの角笛~Ci è la musica~」


これらの作品のほとんどは、
ソロの音楽活動と連動して、
アルバムリリース日の前後に発売された
アルバムや曲のタイトルも、小説と絡めたものもある
たとえば以下のようなものがある


「Never Too Late 夢のつづき」(1993/9/9発売のアルバム)
「それでもいいと思ってた」(1996/2/21発売のシングル)
「ci è la musica~約束された物語~」(2002/12/21発売のミニアルバム)
「ci è la musica Ⅱ」(2003/11/19発売のミニアルバム)


特にファンタジー小説「七つの角笛」は、
「ci è la musica」シリーズと密接な関係がある
「ci è la musica」は、
「七つの角笛」のサウンドトラックという位置づけのコンセプトアルバムだった
いわばソロワークによる「CAROL」の再現といえるかもしれない


また「夢のつづき」は、
アルバム「Roots of the Tree」「Never Too Late」から7曲を選び、
それをモチーフに書いたラブストーリーという関係である


こうした売り方は、宣伝活動の都合もあったのだろうし、
小説の読者をソロのファンとして引き付けようともしたのだろう
しかし次第に小説自体の売上も落ちてゆき、
21世紀に入ってからはほとんど出版されなくなった


なおTM関係で触れておくと、
TMN終了時に発表された新曲「Another Meeting」は、
「いつか逢える日に」のストーリーをイメージしたものだという
「八王子のレッド・ツェペリン」は、
SPEEDWAYをモデルにした小説である


「ずっと好きだった」は、
ソロツアー「talk&Live vol.5~ずっと好きだった~」と連動して発売された
内容は、ツアーでの演奏曲をテーマにした短編小説集である
このツアーでは書籍と同名の新曲「ずっと好きだった」が初披露されたが、
これは1年後にTM NETWORKのシングルとして、
「We Are Starting Over」と題して発売された


小説とともにファンの間で有名な木根の著書は、
「電気じかけの予言者たち」であろう
タイトルは言うまでもなく、
TM NETWORKのテーマソング「Electric Prophet」のサブタイトルから取ったものである
1994/5/14、TMN「終了」の直前に発売されたエッセイで、
TM結成の時の話を書いたものである


後にTMが再結成すると、TMが活動をするたびに、
木根は同様の書籍を次々と執筆する


・2000/12/5「続・電気じかけの予言者たち」(限定版)
 TM再結成の時の話
・2001/2/16「続・電気じかけの予言者たち」(通常版)
 限定版に「Major Turn-Round」の話を加筆したもの
・2004/5/14「新・電気じかけの予言者たち―新世紀篇―」
 「Tour Major Turn-Round」終了後、20周年までの話
・2004/12/3「真・電気じかけの予言者たち―眺望篇―」
 TMデビュー時と「Double Decade Tour」の話
・2014/7/31「震・電気じかけの予言者たち」
 2007~2012年の話
・2015/2/6「進・電気じかけの予言者たち」
 2013~2015年年始の話


もはや冗談で作っているのではないかと思われるほどの執筆状況であり、
タイトルである
木根にとってのTM復活の持つ意味の大きさが分かるだろう
なおこれら正・続・新・真・震・進の6冊は、
「電気じかけの予言者たち―CLASSIX―」としてまとめられ、
2015/10/23に刊行されている


その他エッセイ集として、
1993/12/20に「A Tree of Time」を出している
これは自らのソロ活動について述べたものである


一年前にリリースしたデビューアルバム「Root of the Tree」
同年発表の小説「夢の木」など、
この頃は「木」を含むタイトルが多い
「木根」→「木の根」→「Root of the Tree」
という言葉遊びから来たものである
なお木根のオフィシャルサイトは「Root of the Tree」で、
ファンクラブは「Tree of Time」である


1992/3/31には、
「丸い形の青い空」という絵本を出している
その後2017/7/10には、やはり絵本として、
「「おに」と名づけられた、ぼく」を刊行している
もちろん絵はいずれも別の作家によるものである


写真集としては2001/12/7に「歌酔曲(かようきょく)」を出している
木根がファンである吉田拓郎の「花酔曲」を意識したタイトルだろう
木根がなぜこの時に写真集を出したのかは謎である(持ってないので)
翌年のソロ活動10周年記念に先駆けてということだろうか


2003/3/14には、「まっすぐ進む 夢へのヒント54」を出している
自らの体験談を踏まえたサクセス指南書という、
歌い文句だけ見ると胡散臭い本である(中身は知らない)
2008/7/1には「LOST FOODS―僕らの食べものが危ない!」が発売された
この段階になると、もはや何でもありという感がある


2010/9/14には「木根本」が発売された
TM・ソロ・提供曲など木根楽曲の楽譜集だが、
木根自身による詳細な楽曲コメントやインタビューなどもついている


以上のような執筆活動と並んで、
木根はラジオのパーソナリティにも積極的だった
木根はTMの中でも、トークについて特に活躍しており、
こちらの面でも可能性を追求しようとしたのだろう


木根はすでに1988年に小室が渡英してから、
日本でのTM宣伝役としての役割を仰せつかっており、
4月から小室の後任で東海ラジオ「SF Rock Station」のDJを、
11/1から10分番組だがNack 5で「えんぴつを削って」を担当していた


後者に関しては、ラジオの内容をもとに、
1990/4/23「えんぴつを削って」として書籍化している
ちなみに2017年時点では直されているが、
以前は楽天の「内容情報」が、
「15年間のラーゲリ生活を生きぬいた、元コミンテルン幹部の妻の革命と粛清の狭間からの証言」と、
とんでもない勘違いをしたものになっていた
何をどう間違えたのだろうか?


1990/1/3からは1年間、ニッポン放送で毎週水曜日の深夜に、
「木根尚登のオールナイトニッポン」のパーソナリティも担当した
地方局での2時間番組(「TM NETWORKのSF Rock Station」)や、
全国ネットでの30分番組(「Come On Fanks!」)の経験はあったが、
これは全国ネットでの2時間番組で、
しかもかなり影響力の大きい番組である
この番組では、特にリニューアル情報を積極的に流した


ただ「オールナイトニッポン」は、さすがに木根には荷が重かった
他のパーソナリティがあまりにも手だれだったことは確かだが、
(デーモン小暮・ビートたけしなど)
木根の話は広いリスナーを対象にしたものというよりは、
ファン向けの仲間内トークが多く、
やはり本職の語り家になるほどの話術はないことを痛感させる番組だったと思う
ちなみにこの頃に無名のところから話術で人気を伸ばしていったのが、
大槻ケンヂや電気グルーヴであった


TMNの活動が休止して、木根のソロ活動が始まってからは、
1993/4/5からラジオ番組「木根尚登 フィールド・オブ・マインズ」(Tokyo FM)を担当している
さらに終了後には、テレビのレギュラーも持った
たとえば1995/4/9からはNHK教育で、
「日曜ソリトン・夢ときどき晴れ!」の司会を担当している
1996年にテレビ東京「ASAYAN」「コムロギャルソン」レギュラーになったことも、
憶えている人はいるだろう
多分木根レギュラーで最も有名な番組である


だが結局木根は、話術で全盛期の人気を保つことはできなかった
木根のソロライブは「Talk & Live」と題し、
長くトーク中心になっているが、
現在まで旧TMファン以外をほとんど引き付けられていない
木根ファンには申し訳ないが、
人気絶頂のTMメンバーだったからこそ、
評価される話術レベルだったことは否定できない


特に1996年頃からの木根は、
FMを中心に積極的にパーソナリティ業を行なうし、
その他のことにも積極的に手を出している
ソロミュージシャンとしての活動が、3人の中でもっとも低迷していたこともあろう
TM復活が早くもこの頃から検討され出すのも、
おそらく以上の動きに関係あると思われる
ただここらへんの話については、
いずれTM終了後に話題が及んだ時に触れることにしたい


最後に、この時期に木根が他人に提供した楽曲について触れよう
小室哲哉の派手な業績と比べるとあまり注目されないが、
木根も早くから他人に楽曲を提供している
ただし大部分がアルバム曲で、
シングルの表題曲となったものはほとんどない


最初の提供作品は渡辺美里の「eyes」で、
1985/10/2リリースの美里のファーストアルバム「eyes」のタイトルチューンになっている
小室哲哉と同様に、
TM・美里双方のプロデューサーだった小坂洋二の縁だろう
以後も木根は美里に継続的に楽曲を提供している


TMが売れ出した頃からは、提供作品も増える
シングルとしては1987/12/21、
佐伯りきに「竜の眠る星 セレツネワ」を提供している
(作詞小室みつ子)
清水玲子の人気漫画「竜の眠る星」のイメージソングらしい
比較的提供数が多い歌手としては村井麻里子がおり、
1988~89年に6曲提供されている


1990/5/9、当時親しかったコロッケに、
シングル「I Panic」を提供したことは、すでに触れた
他にも木根は吉田栄作・岸谷五郎など、知り合いに楽曲を提供している
人とのつながりを大事にする木根ならではだろう


ただ以上の楽曲については、
よほどの木根マニアではない限り、まず知らないと思う
というか、木根曲かどうか以前に、楽曲自体が知られていない
TMN「終了」以後を含めても、
アニメ声優に提供され声優の楽曲として知られるものを除けば、
(そこらへんで何が知名度が高いかは分からない)
知名度の高い曲は出ていない


そのような中で、唯一のヒット曲と言えるのが、
1988/11/2にリリースされた浅香唯「Melody」である
浅香唯が人気の絶頂にあった時期の曲で、
当時のビッグヒット長渕剛「とんぼ」に阻まれて、
1位は取れなかったものの(2位)、
「C-Girl」「セシル」に次ぐ浅香三番目の売上を実現した(21.6万枚)


さらに木根は1ヵ月後、浅香唯のミニアルバム「Herstory」にも、
「雨が雪に変わった夜に」「スターシップ」を提供している
「Melody」「Herstory」未収録)
翌年にリリースされた浅香のアルバム「Melody Fair」では、
「Melody」が準タイトルチューンとなった


「Melody」の売上は当時のTMシングルと同レベルであり、
木根としてはそれなりの成功だったとはいえよう
というか、木根作曲のシングルでは最大の売上である
個人的にこの曲は、当時のアイドル楽曲として良い出来だと思う
浅香唯の歴代シングル曲でも、一番の出来ではないだろうか


ただ木根の起用によって浅香唯自体のセールスが伸びたかというと、
実はそうではなく、むしろ低下した(前作「セシル」は22.9万枚)
これが楽曲のせいか、タイアップのせいか、
浅香自身の人気のせいかは即断できないが、
木根が以後シングル曲を提供することはなかった


もっともアルバム曲に関しては、
1989年に「Good-bye Celebration」
1990年に「Street Rock」を提供している
ちなみに1990年の浅香唯のシングルには「Self Control」があるが、
TMの同名曲とはまったく関係ない

(2008/5/19執筆 2008/12/25・2010/12/9・2013/4/22・2017/8/23加筆)


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