5-6 trf ~TK RAVE FACTORY~

震災以後動きが無かった小室さんですが、理由が判明しました
チャリティイベント用の楽曲を作っていたんですね
4/19、オフィシャルサイトで公表されましたが
イベントのチケットはe+で4/19から発売です
イベントについては、oricon styleの記事を転載します
 アジア太平洋地区を活動拠点とする特別非営利活動法人「国連の友Asia-Pacific」は19日、東日本大震災被災者の心のケアのために立ち上げた『Friend’s Whistle!』(トモダチの笛)プロジェクトのキックオフイベント全出演者を発表した。また、音楽プロデューサー・小室哲哉に支援ソングを依頼したことも明らかにし、29日にパシフィコ横浜で行うイベントで同曲(詳細未定)を初披露する。

 支援ソングの制作を依頼された小室は「とても光栄で、たいへん感謝しております。音楽の力で皆さんを少しでも勇気付けられるよう、このプロジェクトの推進に貢献できるよう、微力ながら出来る限り努力させていただきます」と力を込める。

 同イベントは、28日にパク・ジョンミンが出演予定だった「ACT1」が日程調整の結果、中止に。29日午後1時からの「ACT2」は既報のとおり、清水翔太、超新星、ベッキー♪#、JYONGRIの4組が出演。今回新たに発表された、同日午後7時からの「ACT3」第1部はmihimaru GT、パク・ジョンミン、May J.、Sowelu、第2部は小室、超新星、坂本美雨らが出演する。

 イベントでは来場者に募金のほか、「音楽を聴く・奏でる」ためのCDプレイヤー・携帯音楽プレイヤー・楽器などの寄付を募り、被災地へ届ける。


そしてこの発表を行なうと同時に、
「Digitalian is eating breakfast 2」のダイジェスト音源も公開されました
小室さんのTwitterも、みっこさんとかZeebraさんとか、
一気に書き込みが活発になっています
今日からプロモーションが本格始動という感じでしょうか
プロモーション期間が長引いたことが吉と出ればよいですね


さて、本題に入ります

--------------------------------------
小室哲哉が能動的にavexの松浦勝人と組むようになるのは、
1992年9月上旬にアメリカから帰国してからである
小室はマイアミへ行く以前、
松浦の「TMN SONG MEETS DISCO STYLE」リリースの企画は受け入れたが、
提案したのも実現までこぎつけたのも、松浦およびその周辺だった


実際にこの企画の進行からリリース寸前まで、
小室はアメリカにいたわけだから、
電話での連絡くらいはあったとしても、
小室自身が企画の進行を主導できたはずがない
だがこの松浦主導企画は、予想外に成功した


小室はこの後9月末、松浦に新ユニットの提案を行ない、
10月にはavexと契約を交わす
おそらく背景にはavexに対する期待感の高まりがあるのだろう
少なくとも松浦は、そのように推測している
この新ユニットこそは、
小室がプロデューサーへと活動形態を転換する契機となったtrfである


結成は、資料によって1992年8月とも9月とも言われる
しかし小室は8月にはアメリカにいたのだから、前者の説はありえない
9月と見て良いだろう
EPIC/SONYからデビューさせる案もあったが、
千葉龍平の説得でavexからデビューすることになった
EPIC/SONYの小坂洋二がtrfを引き受けなかったため、
avexからのデビューになったともいう
実際には小坂の拒否が先にあり、
代わりにavexと組むことを千葉が提案したものだろうか


このユニットのコンセプトは、
まず何よりもディスコ向けの音楽を目指したという点である
当初小室がこのユニットで扱ったのも、
当時NOVA21系のディスコで流行していたハードコアテクノだった
TMNファンとは別のファン層を獲得できる世界と考えたのだろう


trfの構想が9月に始まるとすると、
小室はアメリカからの帰国後、
その成果の「Hit Factory」「二十歳の約束」が商品化される以前に、
もう新しい試みに着手していたことになる


小室は10/21の「Hit Factory」リリースに先駆けて雑誌のインタビューを受けた時、
「Hit Factory」は次の作品の予告的な意味はあるのかと聞かれた時、
それまでは次につなげる意図をもって新作を作ってきたが、
今回はすぐに次につながるものではないと答えている
インタビューが10月前半頃だとすると、trfの楽曲制作に入っていた頃となる
この頃小室の関心はすでにテクノに移っていたのだろう


当初trfというユニット名は決定しておらず、提案したのは松浦だった
TK RAVE FACTORYの頭文字を取ったもので、
FACTORYは当時小室が出したアルバム「Hit Factory」にも用いられていた
TKはすでにクラブイベントで使われていた「Tetsuya Komuro」の略称である
ただし当初はTECHNO RAVE FACTORYの略とする案もあったという


この時のキーワードとされたのは、
「TK」と「FACTORY」の間にはさまれたRAVEである
欧米で用いられたダンス系音楽イベントの呼称で、
ディスコイベントが主な舞台として想定されていたtrfを表現する上で、
適したキャッチフレーズと考えられたのだろう


1993年初頭の小室は、よく「今年はレイブが来る」などと言っていた
これは当時、例によって石野卓球のネタにされたが、
早朝の幼児番組「ウゴウゴルーガ」の「おしえてえらいひと」コーナーで、
小室が「レイブをしよう」などとのたまわっていた時には、
自分も本当に頭をかかえたものである


なお1994~95年、全盛期のtrfは、
テレビに大量に露出してヒット曲を歌いまくる集団という印象が強いが、
少なくともデビュー当初目指していたものは違っていたという点は、
一応強調しておきたい
trfはもともとは小室が新たな層の新規開拓を目指して、
ディスコ向け音楽という新たな世界への参入を試みたものだったわけである


trfには当初小室自身も加わり、シンセサイザーを担当した
他のメンバーとしてはDJとボーカリストを揃えた他、
小室が必須の存在と考えたのがダンサーだった
ディスコでダンサーを従えながらテクノ楽曲を演奏し歌を乗せる
これが小室の構想だった


小室がいた頃のtrf


「天才たけしの元気が出るテレビ」の「ダンス甲子園」の人気など、
たしかに当時はダンスやダンスミュージックに対して、
一般の関心が高まっていた時期だった
その中で1991年にはZOOやL.L.Brothersが商業的にも成功している
特にZOOに関しては、当時の小室が意識していた節がある


その点で小室が「EXPO」期にハウスに注目したのは、
実はそれほど的外れではなかった
ただTMNのシングルでその点をアピールしなかったため、
ハウス的側面は既存ファン以外にはあまり知られなかった
小室はそれをTMNの限界と考えてしまったのかもしれない


当初のメンバーは必ずしも一様ではなかったというが、
後に定着したメンバーを中心に見ると、
まずボーカルのYūkiは「TK Tracks Night」の岐阜のダンスコンテストに出場し、
小室の目に止まって声をかけられたという
おそらく1992/4/29の岐阜Maharaja公演の時だろう
この頃はまだtrfの構想は無かったから、
おそらくTK Tracks Labelでデビューさせる候補だったのだろう


実はYūkiはこれ以前にダンスオーディション番組「DADA」に出演し、
デビュー当時のZOOのメンバーとしてボーカルも担当していた
(ZOOがブレイクした頃にはすでにいなかったらしい)
特に歌唱力に優れていたわけでもなかったが、
小室はそのキャリアを念頭に声をかけたのかもしれない


DJとしては、DJ KOOが選ばれた
某イベントDJの募集に応募した時、小室と知り合ったという
音源のリミックスを手がけるユニットTHE JG'sのメンバーでもあり、
以前からavexとも関わりがあったから、
この件がなくてもいずれは小室と出会うことになっただろう


なおThe JG'sは1991/11/20、
鈴鹿サーキットCMソング「Spark It Up」をリリースしている
これはF1に関心のあった小室の耳にも入っていただろうから、
あるいは小室もThe JG’sの存在は知っていたかもしれない


DJ KOOはもともとThe JG'sとして80年代後半から活動しており、
クラブシーンには小室よりも通じていたはずである
彼は以後音楽面で、プロデューサー期前半の小室の片腕的存在となり、
trfだけでなくH jungle with tにもDJとして参加している


以上二人の人選は、さほど問題なく決まった
むしろ小室が難儀したのは、ダンサーの確保だった
小室が声をかけたのはMEGA-MIXで、
SAM率いるヒップホップ系ダンサーユニットだった
当時は8人のメンバー編成だった


小室がMEGA-MIXに関心を持ったきっかけは、
テレビ番組「Dance! Dance! Dance!」で見たことだったという
ただし小室はこれ以前、MEGA-MIXと何の縁もなかったわけではない
実は「Rhythm Red Tour」「Tour TMN EXPO」でダンサーを務めた後藤秀敏(当時秀雄と出ていたようだが誤りだろう)と、
「Tour TMN EXPO」でダンサーを務めた遊作勝は、
当時からMEGA-MIXのメンバーだった


「Dance! Dance! Dance!」の放送期間は1990~92年で、
TMNの活動期と並行している
よく分からないが、小室は後藤らの紹介でこの番組を知り、
テレビでMEGA-MIXとしてのパフォーマンスを知ったのかもしれない
またtrf結成当時、MEGA-MIXとTMNの関係が語られなかったのは、
TMNとは別の土俵で勝負したかったためとも考えられる


TMNのツアーが終わる1992年4月まで、
小室はMEGA-MIXの二人とともに全国ツアーを回っており、
それなりに親交もできていたはずである
実際に後藤・遊作は、「TK Tracks Night」に出演したこともある
たぶん小室はこの人脈を通じて、MEGA-MIXにたどりついたのであろう
ただしtrfに合流する頃には、すでに遊作はMEGA-MIXを脱退していた


小室はMEGA-MIXをtrfに招くためにステージに通い詰め、
リーダーのSAMとも直接話をしたが、なかなか快諾は得られず、
結局MEGA-MIX参加が決まる前にレコーディングが始まることになった
レコーディングの時点ではダンサーは不要だから、
ステージまでになんとかするつもりだったのだろう
なおSAMは、当時小室って誰だ?と思っていたと語っているが、
後藤・遊作とTMNの関係を考えればありえない話で、
それまでアンダーグラウンドの世界にいたことを強調するための発言と見て良いだろう


小室はレコーディング中、スタジオにMEGA-MIXを呼んだ
MEGA-MIXメンバーがこの時に聞かされたのはテクノの楽曲であり、
自らが目指しているものとはまったく異なる音だった
多くのメンバーはtrfへの参加に難色を示したという


SAMはこの後、
仕事と割り切ってやろうと言って、メンバーを説得したという
1992年12月にデビューイベントのリハーサルがあったから、
これ以前には決まっていただろう
だがいざ始めてみてもやはり違和感は拭えず、
SAMは単身ニューヨークに渡ってしまい、
千葉龍平がこれを説得しに渡米したこともあった


この後1993/8/7「avex rave ‘93」を最後に、
小室はtrfのステージに立たなくなる
さらにMEGA-MIXからは、
GOTO(後藤秀敏)・YUKI・HORIE・SANCHE・IZUMIの5人が脱退した
脱退したGOTO・YUKI・HORIEは同年に3人でsound cream steppersを結成し、
それまで行なってきたヒップホップ系ダンスを追及していくことになる
またSANCHEはニューヨークでジャニー喜多川と知り合い、
それ以後ジャニーズ関係のバックダンサーや振付師を担当している
IZUMIは後に安室奈美恵のライブ演出を担当した


公式にはこの件は、
小室からSAMにダンサー陣を絞るようにお願いした結果とされている
小室が当時のZOOの人気失速の理由として、
人数が多すぎて個人の顔が見えない点があると考えたためともいう


だがもともとMEGA-MIXメンバーには、
trfに参加することに疑問を感じる者が多かった
MEGA-MIXが割れるのは時間の問題だったともいえる
あるいは実際にはMEGA-MIXの分裂が先行しており、
小室はMEGA-MIXの分裂を追認しただけなのかもしれない


最終的にMEGA-MIXとしてtrfに残ったのは、
リーダーのSAMと女性のETSU・CHIHARUの計3人だった
だがこの3人も、avexとはCDリリースごとの契約だったらしく、
いつでもtrfから抜けることができる状態にしていたようである


年度単位での契約を行なうようになるのは、
実に1994年7月の「Billionaire」の後(おそらく1995年?)だった
小室がMEGA-MIXと安定した関係を築くまで、
実に2年近くの月日を要したわけである


さて、trfデビューアルバムのデモ音源は1992年10月に作成され、
レコーディングは11月から12月にかけて行なわれた
その楽曲はその後ロンドンに送られ、
PWLのPete Hammond & Steve Hammondにミックスが依頼された


Peteは1989年、ユーロビート期のTM楽曲のミックスを担当したことがある
小室はディスコで通用する音にしようと、
かつて依頼したプロデューサーにまた白羽の矢を立てたわけだが、
以後もプロデューサー期の小室は、たびたびこの二人にミックスを依頼している


trfはその後1992/12/25から1993/1/23、
横浜ベイサイドクラブでデビューイベント「TK Rave Factory」を、
9公演開催した
リハーサルは12月に行なわれたが、
その場所はTM NETWORK時代におなじみの合歓の郷だった


このイベントの一ヶ月後、trfはCDデビューを果たした
1993/2/25、シングル「Going 2 Dance」
アルバム「trf~This Is The Truth~」の同時リリースである


シングルは100位にも入らなかったが、
アルバムは14位で、総合6.5万枚だった
小室ソロ作品と比べれば、「Hit Factory」の半分以下、
「二十歳の約束」の二倍以上というところである
少なくとも注目されヒットしたと言える数字ではない
小室もあまり満足はしていなかったのではないか


初期のtrfのセールスがそれほど振るわなかった原因としては、
メディア露出の少なさや英語歌詞の多さなどが指摘されるが、
そもそも小室がtrfでターゲットにしていたのはクラブ通いの層であって、
「TMN SONG MEETS DISCO STYLE」のように、
TMNファンとは別の層に浸透することを期待していた


ただ実際にtrfが当時のクラブシーンでどの程度受け入れられたかは、
かなり疑問だろうと思う
おそらく購入者の多くは、TMN以来の小室哲哉ファンだったのではないか
trfはこの時点では小室のやる気だけの空回りで終わる可能性も十分にあったと思う


実際にアルバムとしての完成度も、一級品とは言いがたい
小室も「trf」のレコーディング時、
テクノをどう扱って良いか分からなかったと言っている
そもそも小室には、それまでテクノの素養はまったくなかった
1990年からクラブの流行に関心を示してはいたが、
そこで注目してきたのはテクノではなくハウスだった


「Hit Factory」などを聞く限り、
小室が渡米していた時点でテクノへの関心があったようには思えず、
テクノを研究し着手し始めるのは9月の帰国以後と思われる
その上で12月中にはレコーディングが終わっていたのだから、
「trf」はかなり急ごしらえで作った作品だったと言える


この頃の小室を補佐した久保こーじも、
急に小室が始めたテクノまではサポートできなかっただろうし、
avexで作成した作品ということで、EPIC/SONYスタッフのサポートも期待できなかった
おそらく頼りにできたのはDJ KOOくらいだったと思う
アルバムの質も、このような環境では仕方のないところだったのではないか


むしろそのような環境下で作ったにしては、
「trf」はよくできたアルバムとも言えるかもしれない
オーケストラヒット満載のサウンドなどは、
結構当時のジュリアナサウンドをよく取り入れているという印象である
「This Is The Joy」「Let’s 5 Dance」などは、
普通にカッコイイと思う
「Let's 5 Dance」を「レッツゴーダンス」と読むのはどうかと思うが)


だがこれらも悪く言ってしまえば、
ジュリアナサウンドの再現に終始しているようにも聞こえる
シングルの「Going 2 Dance」などは小室的メロディが色濃く残っているが、
それもテクノの音とうまく交じり合っているかは別である


ただし「Going 2 Dance」については、
1993/5/21リリースのリミックスアルバム「Hyper Techno Mix」に、
「Starr Gazer Mix」が収録されている
シングルカップリングの英語版をavex専属の星野靖彦がリミックスしたものである


私は英語版のオリジナルを聞いたことはないが、オケを比較する限り、
原曲よりも「Starr Gazer Mix」の方が圧倒的に良い出来と思う
このバージョンに即する限り、trf歴代シングルでもかなり良曲ではなかろうか
ライブで演奏されるのもたいていこれを元にしたものである
「trf」の段階の小室は、少なくともテクノの側面に関しては、
まだ曲のポテンシャルを十分に生かしきる音作りはできていなかったように思う


なお「trf」の準タイトルチューンの「This Is The Joy」は、
ボディコン女性(笑)集団のB.C.G(Body Conscious Girls)に、
1993/3/21にシングル曲として提供されている(別人の歌詞付き)
カップリングはYMOの「君に、胸キュン」カバーである
全然売れなかったが、いったい何を目指していたのだろうか
ただしB.C.Gメンバーの翠玲は1995年にTKプロデュースでデビューしており、
一応後につながる関係も築かれたようである


さて、小室はこの後もtrfに力を入れ続け、
1993/6/21にはシングル「EZ Do Dance」
7/21にはミニアルバム「EZ Do Dance」をリリースした
アルバム発売の5ヶ月後、もうミニアルバムをリリースしたのであり、
小室がtrfにかけた執念を感じることが出来よう


このアルバムもテクノを基調としているが、
歌詞はほとんどが日本語になり、ポップス的要素も強まっている
特に「Island On Your Mind」「On My Way」はテクノを目指して失敗したというより、
テクノ的な音を取り入れながら日本語ポップスとして作られた楽曲に聞こえる
ジュリアナサウンドの再現を目指していた「trf」と比べれば
数ヶ月で早くも方向性に変化が生じているようである


だが小室によれば「EZ Do Dance」では、
トラックとメロディの数をできる限り抑える試みを行ない、
その点ではかなり成功したという
この発想は普通の歌モノではなく、テクノを試みる中で身につけたもので、
「trf」制作の時に勉強したとのことである
実際にこうして出来た「Island On Your Mind」などは、
小室ポップスとしては良い出来だと思う


つまりこの時の小室は、ディスコの音そのものからは距離を取り始めたとしても、
テクノの方法論は自分なりに吸収し、有効に活用していた
この場合、既存のテクノを完全に吸収できたのかどうかは問題ではない
重要なのは、新しい音に触れた小室が新しい小室サウンドを提示し始めたことである


その最大の成果は、なんといってもシングル曲「EZ Do Dance」であろう
現在まで作られてきた数百に及ぶTKプロデュース楽曲群でも、
比較的高い評価を得続けてきた曲と思われる
実際に本作は商業的にも大いに成果を上げ、
trfの成功、ひいては小室の再評価へのきっかけとなった
小室はTMN休止後、ここに一つの成果を出すことに成功したのである
1993年後半にリリースされるTMN作品は、この流れの中にある


私はこの流れからは、1986~87年と近いものを感じる
1986年の小室は、デビュー以来TMがブレイクしなかった現状を踏まえ、
ライブで踊れる楽曲を作ろうと意図的にディスコで流行していた洋楽を学び、
ファンクミュージック・モータウンサウンドを取り入れたFANKSを提唱し、
アルバム「Gorlla」を発表して大きくイメージの転換を行なった


だが1987年、小室はポップス的要素を増した「Self Control」を作成した
一見すると、早くもファンクミュージックから離れたようにも見えるが、
「Self Control」でも「Gorilla」以来の踊れる楽曲は相変わらず健在である
小室も本作をそれまでの音、つまり「Gorila」とそれ以前の音の集大成と言っていた
いわば「Gorilla」では新しく学んだ洋楽的要素を前面に出したのに対し、
「Self Control」ではその要素を自らの引き出しにある音と組み合わせ、
洋楽の再現ではないTM NETWORKとしての音を実現したわけである


そして「Self Control」の時に小室が留意したのも、
可能なだけ音数を減らすことだった
それはライブでの再現も念頭に置いてのことだったが、
この結果作られた頭に残りやすい楽曲群は、
新規ファンの獲得にも有効だったと思われる
実際にTM NETWORKのブレイクも、まさにこの時だった


これをtrfに当てはめれば、
1992年秋からディスコでのパフォーマンスを念頭に置いたテクノを学び、
洋楽テクノの再現を目指した「trf」を作成した後、
翌年にはその成果を元に、
自らの引き出しにある音も組み合わせて「EZ Do Dance」を作成した
しかもその際には、音数を減らして頭に残りやすい楽曲の作成を目指し、
その結果新規ファンの獲得に成功したのである


しかしこの結果は、小室の視点からすれば似た現象だったかもしれないが、
TMの歴史からすれば、まったく逆の結果を生んだ
1987年の成功はTM NETWORKのブレイクをもたらしたのに対し、
1993年の成功はTMNの「終了」への大きなワンステップとなるのである
この点に関しては、後で改めて触れることにしよう


EZ DO DANCE
エイベックス・トラックス
1993-07-21
trf
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この記事へのコメント

のんき
2011年04月21日 17:39
trfが成功したから、新しい可能性がどんどん増えていき、TMNの終わりがくるんですね。

TMのファンからすれば、切ないですね…

この当時のウツや木根さんの心中はどんな感じだったんですかね。
NAX
2011年04月22日 21:58
ちょうどtrfの「TK RAVE FACTORY」を聞いています~♪



聞いていたら気がついた事が!?



なんかグレース・ジョーンズの声が聞こえている!?




びっくりしちゃいました!
fe
2011年04月23日 20:17
ただ一言…拍手させて下さい!
終わりと始まり、成果をだすまでの経過、
プロジェクトの開花、ユニットの成長の
道標をここまで完成していることにびっくり。

私がどうこう言う次元じゃない、
是非、他の方にも見て欲しいと思いました。
青い惑星の愚か者
2011年04月24日 01:36
>のんきさん
この時代の評価はTMファンと小室ファンで大きく分かれるでしょうね
しかし小室さんの立場からすれば、この流れならtrfに行くだろうな…とは、傍目から見ても思ってしまいます
大手のバックアップも無い中でtrfを成功させたことは、確かに小室さんの力だったんでしょうね

>NAXさん
グレース・ジョーンズの声ですか?
サンプリングで使っているんでしょうか
私もどの曲のどの部分かよく分かりませんが…

>feさん
どうもありがとうございます
私自身はtrfのファンではないので、たぶん本当のファンから見れば、まだまだ足りないところとかあると思いますが…
ちなみにEZ DO DANCEのところはさらりと書いていますが、これについては後にまた言及すると思います
あさき
2011年05月05日 01:01
trfのデビューイベントに行きましたよー。1992年12月30日、横浜ベイサイドクラブ。小室さんはノリノリでシンセを弾いてましたが、見ててなんだかイタイというか、私が今までに見た中でも最高レベルでかっこ悪かったです苦笑。
会場は、小室さん目当てのTMファンがつめかけていたんですが、TMファンは中央のダンスフロアには入れてもらえませんでした。見た目でFANKSと判断されると足止めされたらしく…。仕方ないので、フロアのまわりの飲食スペースでワンレンボディコンのお姉様方が踊ってるのを眺めてました。なんだかみんな白けてました。中央のフロアで踊ってるお姉さんたちは、クラブの常連なのかもしれませんが、あんまり楽しそうではなかったので、サクラで呼ばれてたのかもしれません。
TMファンがフロアに入れてもらえなかった理由は、ファン以外の一般客の反応を小室さんが見たかったためだと思います。それにしても会場は盛り上がってるとはいいがたく、trfに先があるようには見えませんでした。その後の大躍進には、ただただ驚きです。
青い惑星の愚か者
2011年05月06日 03:35
イベントTK RAVE FACTORYは、なかなか実際に行った人の情報が無かったんですが、どうもありがとうございました
TMファンが特別扱い(悪い意味で)されたってのはひどいですねぇ
まあ小室さんはTMファン以外にアピールしたかったのでしょうし、目的としては分かりますが…
私はイベントこそ行っていませんでしたが、デビュー当初、これは無理だろうと思っていました
kuri566
2011年05月11日 00:18
この当時の映像がWOWOWだったかNHKだったかで録画中継されてまして、手元に映像があります。とにかく初期はYU-kiのボーカルがアマチュアレベルでして、アルバム曲のほとんどが歌えていないというありさま。しかもステージせまくてダンサー陣も自分がいっていいやら悪いやらで、とりあえずステージ上にいます的な居場所のなさが見ていてツラいものがあります。

私もEZ DO DANCEまでは、こりゃないだろうと思ってましたが、方向転換が見事にハマったパターンですね。
青い惑星の愚か者
2011年05月11日 23:00
YUKIって、初め歌ダメでしたよね
なんでZOOでデビューできてたのってくらい
さすがに今は20年近くもキャリアを積んで、うまくなったなあと思います
まあtrfのデビューアルバムは、歌うのはかなりハードル高かったと思いますけど

trfって、あらゆる意味で思いつきの見切り発車だったんだと思います
逆にそういうチャレンジ精神が、この後の成功を生んだんだとも言えるでしょうね
M
2016年12月26日 19:04
こちらにも今更ですがコメントをさせていただきます。
当時12月の頭辺りから新宿アルタの大画面ビジョンに小室哲哉プロデュースというような告知ビデオを頻繁に流してましたね。
その中でクリスマスイベントで身につけているもので何か何でも良いから赤いものか緑のものを身につけて集まってね、みたいな告知があったのを覚えています。
多分その集合で横浜ベイサイドに連れていく計画があったようにも思います。(記憶が曖昧ですが)

管理人さん今年も良い記事をありがとうございました。来年からも宜しくお願い致します。
管理人さん、皆様、良いお年をお迎えください。
かしこ。
2016年12月31日 03:54
管理人さま。こんばんは。
確かに言われてみれば『EZ DO DANCE』までのtrfはメンバーが10人という大所帯でしたね。

岡村隆史さん出演のバラエティー番組で見掛けた・・・あの、今は「ジャニーズ専属ダンスレッスンのコワ面鬼講師」として有名なサンチェ先生が・・・trf初期メンバーだったのには驚きました(笑)

とある記事によると・・・ミュージカルベースなジャニーズダンスに現代的な要素がミックスされるようにした、振付師のSANCHEこと阿部雄三氏。

ニューヨークでジャニー喜多川氏にスカウトされたのをきっかけに少年隊のバックダンサーを務める。

その後ジャニーズ専属の振付師としてSMAPやKinKi Kids、V6、嵐などのダンスも担当し、さらにジュニア育成にダンス指導も兼任。今やジャニーズファンにも一目を置かれている存在だそうです。

あしからず。
青い惑星の愚か者
2017年02月04日 03:23
この記事に立て続けに二人もコメントを頂けるとは意外でした
trfの再ブームが来てる?(笑)

>Mさん
当時アルタで宣伝していたんですね
クリスマスイベントて、12/25のTK Rave Factory初日公演? それともそれとは別に12/24に何かあったんでしょうかね。
何しろ注目が薄かったから、この時期のtrfはよく分からないです

>かしこさん
サンチェさんて、今はジャニーズの振付師やっているんですか
岡村さんのバラエティて、めちゃいけですかね?
ちょっと追記しておきますね
ありがとうございました
かしこ。
2017年02月04日 13:42
管理人さま。こんにちは。
こちらにも嬉しいレスを頂き、どうもありがとうございます。自分の書き込みコメントが追記補完情報として、お役に立てた模様で嬉しいです。

岡村氏とサンチェ先生の件。
管理人さまのご指摘どおりの、あのバラエティー番組スペシャル特番です(笑)

正確には・・・1997年10月放送の、めちゃイケ『オファーがきました』シリーズ第1弾「ガチコン言わしたるッ!スペシャル!!」です。

ジャニーズJr.としてSMAPのコンサートに出演、というウィキペディアにもある伝説の番組です。大まかな内容はウィキペディアで参照してみてください。

今やEXILEコンサートのドリームスペシャルユニット『オカザイル』の布石にあたる始まりでもあります(笑)

サンチェ先生の登場は、ジャニーズJr.と一緒にSMAPのコンサートで披露する楽曲 の振り付けを猛練習するシーン。

アナログラジカセで楽曲を流しながら練習するのですが・・・ジャニーズJr.イチ下っ端ド新人「オカムラ」に、サンチェ先生から次の練習曲『感謝して』の頭出しを命じられます。

なかなか曲の頭出しが上手くいかず、岡村氏自ら『♪感謝して~♪フッフー♪』と歌いだし、コワモテ鬼講師サンチェ先生のツボに入り、堪らずサンチェ先生が吹き出す。あの名シーンが忘れられません(笑)

あしからず。
かしこ。
2017年02月08日 17:39
サンチェ先生の補足情報。

2016年4月に放送された『ナカイの窓』にTRFのSAM氏がゲストの回で、サンチェ先生の逸話が語られていました。

ジャニーズJr.の振付け師をしていたSAM氏が多忙になり、ジャニーズに顔馴染みであるサンチェ先生に振付け師の仕事をバトンタッチしたそうです。

ジャニー喜多川氏にスカウトされた時期は、もしかすると・・・MEGA-MIX結成前かもしれません。

ジャニーズの歴代振付け師。
SAM氏、ETSUさん、CHIHARUさん、KABA.ちゃん、サンチェ先生・・・意外と小室ファミリーのダンサー陣にジャニーズ振付け師になる確率、かなり高めですよね(笑)

あしからず。
青い惑星の愚か者
2017年03月02日 03:41
サンチェさんは結構早い段階でめちゃいけに出ていたんですね
てっきり今世紀の話かと思っていました
振付役を引き継いだのがSAMさんからだったということは、少年隊のバックダンサーから直接振付師になったわけではなく、途中でジャニーズとの関係は中断していたのかもしれないですね

かしこ。
2017年03月04日 12:50
管理人さま、こんにちは。
初期のtrf情報について、少しばかり補足情報です。

ウィキペディアなどの情報。
結成当初の一時期ですが・・・DJにDJ KOO氏の他にHiro Matsumoto氏、ヴォーカルYU-KIさんの他にSUZI KIM(スージー・キム)さんもいたそうです。

TRFのSAM氏。
過去に深夜のテレビ番組『ミライシアター』に出演されてたそうで・・・ジャニーズ振付師の中にはSAM氏の教え子がいる、との話です。

SMAP、TOKIO、V6、KinKi KidsあたりまでSAM氏自ら振り付け指導をしてたこともある、という逸話も出ていたそうです。

KinKi Kidsに至っては、ジャニーズJr.時代にサンチェ先生から振り付け師として指導を受けていた、という話があります。

サンチェ先生とSAM氏のバトンタッチ時期を解明するには、その辺にヒントがありそうですね。

あしからず。
かしこ。
2017年03月04日 16:01
連投コメント失礼します。

サンチェ氏のバックダンサー時代。
少年隊の初期は、某動画サイトや懐かしの歌番組特集などを拝見する限り・・・バックダンサーなしでの出演が多い気がします。

バックダンサーの出番。
おそらくサンチェ氏は、当時コンサートやジャニーズミュージカルなどの「舞台バックダンサー要員」だったのでは?と思われます。

コンサートやミュージカルなどは、もちろん不定期開催なので・・・その度にバックダンサー契約するような派遣スタイルだったかもしれません。

当時バックダンサーのサンチェ氏が、振り付け師のSAM氏よりもジャニーズとの繋がりが薄かった話も頷けます。

元ZOO・EXILEのHiro氏、曰く。
『ZOOが現役の頃のダンサー事情は、決して良いものではなかった。ダンスだけでは喰えない(=生活できない)から仕事の掛け持ちもザラだった』という状況でした。

SAM氏も同様の発言をしており・・・trf結成当初は舞台上でのダンサー陣扱いが好ましいものでなく、同じメンバーなのに『ダンサー陣にはライトさえ当てられなかった』と話してた程でした。

サンチェ氏もバックダンサーだけでは生活できなかった為、時には自分の居場所MEGA-MIXに所属しながら、掛け持ちをしていたかもしれません。

あしからず。
青い惑星の愚か者
2017年03月11日 05:50
SUZI KIMなど他のメンバーについては、出入した時期がよく分からないことと、TMの歴史を考える上でさほど意味のある情報でもないことから、特に言及しませんでした。
ダンサーはダンスパフォーマンスだけで生活できた人はほとんどいなかったでしょうね。
初期trfなんてほとんど収入にもならなかったでしょうし、常に副業をやりながらの生活だったはずです。
かしこ。
2017年12月11日 00:52
管理人さま、こんにちは。
過去記事追記作業お疲れ様です。丁寧なコメントの返信ありがとうございます。
TRFのYU-KIさんについて、最新Wikipediaに気になる情報が記載されていたのでお知らせします。

Zooの最新Wikipediaによると。
YU-KIさんがvocalとして在籍してた期間は1990 - 1991年、との事。

Zooのディスコグラフィーより。
デビューシングル Careless Dance(1990年5月21日発売)2ndシングル GIVEN(1991年2月6日発売)3rdシングル Native(1991年7月3日発売)*3曲すべてテレビ朝日系『華麗にAh!so』オープニングテーマ曲
1stアルバム NATIVE(1991年7月21日発売)4thシングル Choo Choo TRAIN(1991年11月7日発売)*JR東日本 SKI SKI キャンペーンソング、テレビ朝日系『華麗にAh!so』オープニングテーマ曲 2ndアルバム Present Pleasure(1991年12月15日発売)
以上が1990年-1991年リリース作品。

某動画サイトで確認したところ。
代表曲『Choo Choo TRAIN』の歌番組出演にYU-KIさんの姿が見当たりませんでした。管理人さまの推測どおり、ブレークする前に脱退されていた様です。

trfのvocal加入キッカケの詳細。
Wikipediaによると・・・マハラジャ全店開催イベント「TKトラックスナイト」の岐阜大会でチャカ・カーンの曲を踊って優勝した3人組のうち、YU-KIさんだけスカウトされたそうです。

trfのWikipedia最新情報。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/TRF

時間のある時に、参考まで。

青い惑星の愚か者
2017年12月14日 14:48
YUKIは3人組で出場してたんですね。
後にYUKIだけ声がかけられたのは、どこが気に入られたんでしょうかね。
もしくはYUKI以外は断ったのか。
かしこ。
2017年12月14日 22:50
返信ありがとうございます。
どうしてYU-KIさんだけスカウトされたのかという件ですが、YU-KIさん側から見た経緯を語っているインタビュー記事がありました。参考まで。

TRF「TRF 20TH Anniversary COMPLETE SINGLE BEST」特集 YU-KI、DJ KOOインタビュー (4/9) - 音楽ナタリー 特集・インタビュー

https://natalie.mu/music/pp/trf/page/4?nosp=1

TRFのYU-KI、紆余曲折の人生と知られざる苦悩「辞めた方がいいのかな」 - モデルプレス

https://www.google.co.jp/amp/s/mdpr.jp/interview/amp/1477562

余談ですがDJ KOO氏が語るtrf結成の裏話もあります。参考まで。

DJ KOOが振り返るTRFの舞台裏、そして"小室哲哉という人物"/<視線の先>インタビュー - トレンドニュース

https://trendnews.yahoo.co.jp/archives/376448/
かしこ。
2017年12月14日 23:30
追記。連投コメント失礼します。

avex副社長の千葉氏によるtrf結成秘話も語られているインタビューもありました。参考まで。

TRF「TRF 20TH Anniversary COMPLETE SINGLE BEST」特集 千葉龍平氏インタビュー (2/9) - 音楽ナタリー 特集・インタビュー

https://natalie.mu/music/pp/trf/page/2?nosp=1
かしこ。
2017年12月15日 15:17
補足情報の追記です。
デビューシングル『Careless Dance』とカップリング曲『Last Play』にYU-KIさんがvocalとして参加されています。この2曲はPVも作られており、某動画サイトでツインボーカルの1人としてYU-KIさんの姿もハッキリと確認する事が出来ます。

3rdシングル『native』メンバー総出演らしきPVには、すでにYU-KIさんの姿が見当たりませんでした。
2ndシングル『Given』のPVは、男性ダンサー6人ボーカルSATSUKIさんのパートと男性ダンサー3人が出演するパートで構成されてます。こちらにもYU-KIさんの姿が見当たらないのですが・・・演出や楽曲の性質上ただ参加していないだけの可能性もあります。

参考まで。
かしこ。
2017年12月18日 01:06
連投コメント失礼します。
YU-KIさんがスカウトされた理由・・・小室さんの音楽嗜好コメントから紐解くと『印象的な存在感ある声』も要因の1つにあるのでは?と思います。

小室さんは以前、歌が上手い人よりも「声がイイ人」に魅力を感じるという主旨のコメントをしていました。小室さん曰く『青空にスコーンと抜けるような声』が好みだそうです。ハイエナジー系サウンドでも埋もれない声が良いみたいです。

avex松浦社長、番組『DADA』などについて。
元ZOO・EXILE HIRO氏のWikipediaに気になる情報が記載されていましたので、下記に抜粋いたします。

高校時代に横浜市の上大岡で貸レコード店「友&愛」の店長をしていた松浦勝人と知り合う[2]。 
高校卒業後、横浜のディスコ・マハラジャや六本木のサーカスで働きながらダンスを磨く[2]。 
1989年、20歳のとき、サーカスの店長から「店の宣伝をしてこい」とテレビ番組『DADA』のダンスコンテスに渋々参加し準優勝[2]。そのコンテストを観ていたスカウトに「番組発のダンスチームにならないか」と声をかけられLMDに参加した[2]。
1990年、LMD改めZOOとしてデビュー。

以上。

実はダンスオーディション番組『DADA』には、デビュー前のZOOメンバー以外にm.o.v.e.のラップ担当 Motsu氏もチャンピョン大会に参加してたりします。某動画サイトで確認しました。
時間とゆとりがある時に、参考まで。
青い惑星の愚か者
2017年12月22日 18:23
貼っていただいたリンク先を見ると、YUKIさんはダンスパフォーマンスで注目されたようで、その時は歌っていないてありますよね。
だとすると、外見と体の動きを見て、見栄えがする女性の連絡先を聞いておいたということじゃないでしょうか。声とか関係なく。
おそらく全国のイベントとかその他の機会に目を付けた人の連絡先を、何かの時のためにストックしておき、trf企画が立ちあがった時点で何人か連絡して、その中でYUKIさんとかスージーキムとかが暫定ボーカルとして選ばれたという感じなんじゃないかなあという気がします。想像ですけど。
かしこ。
2018年01月02日 15:45
管理人さま。こんにちは。
初期のtrf補足情報です。時間とゆとりのある時に。

vocal SUZI KIM(スージー・キム)さん、DJ Hiro Matsumoto(松本博之)氏ともにtrf在籍期間は1992年~1993年だそうです。

1stアルバム『This is The Truth』楽曲クレジットに御二方の名前が書かれています。珍しく全ての楽曲に詳細なvocalなどの情報があり、参考までに記します。

5. TIME AFTER TIME
COMPOSED BY TETSUYA KOMURO
VOCALS:YU-KI RAP:SAM,KOO,HORIE WORDS:T.KOMURO SCRATCH:HIRO MATSUMOTO

6. OPEN YOUR MIND
COMPOSED BY TETSUYA KOMURO
VOCALS:YU-KI,CHIHARU,ETSUKO,IZUMI WORDS:T.KOMURO SCRATCH:HIRO MATSUMOTO

7. DO WHAT YOU WANT
COMPOSED BY TETSUYA KOMURO  VOCALS:CHIHARU,ETSUKO,IZUMI,SUZI KIM WORDS:T.KOMURO,SUZI KIM

※アルバムの帯には「SAM KOO 北村夕起(YŪKI)等を強力にフィーチャー」と記載され、ブックレット内にはtrfメンバー「SAM KOO YŪKI MEGAMIX」と書かれてるそうです。

amazonレビューによると。
今となっては信じられないだろうが、当時電気グルーヴの石野卓球もこのtrfプロジェクトに賛辞を寄せていたんですよ。当時雑誌でのコメント読みましたから本当です。
(1stアルバムのレビューより抜粋)
かしこ。
2018年01月02日 15:50
1stアルバム制作当時の状況。
形式的にはスージー・キムさん、松本博之氏ともにレコーディングに参加。松本氏に至っては「TK Rave factory」にも参加したと、松本博之氏のフェイスブックにも記載されてました。

フェイスブックの自己紹介によると・・・松本氏はレコーディングやライブに参加しながら現役でDJを続けてる模様。

スージー・キムさん本人らしきフェイスブックも見つけました。彼女も大物歌手のレコーディングにコーラス参加や自身の作品も発表している模様。

※ただし、自己紹介にtrf関連の話が書かれていないので、あのスージーさん本人であれば黒歴史扱い?状態なのかも・・・と邪推してしまいました(笑)

あしからず。
かしこ。
2018年01月03日 10:18
trf情報をまとめた、とあるファンのブログがありましたので参考まで。

【ダンス】TRF - norimitsu blog
http://dancernorimitsu.blog94.fc2.com/blog-entry-392.html

MEGA-MIXの前身の話から綴られています。最新のWikipedia情報からもMEGA-MIXメンバー増減のおおまかな遍歴を見ることが出来ます。

DJ 松本博之氏の補足情報です。
dosのtaecoさんソロシングル『DEEP GRIND』のレコーディングに参加してるそうです。フェイスブックの自己紹介に記載されてました。

あしからず。
青い惑星の愚か者
2018年01月05日 06:58
ここらへんのメンバーも探せば情報はあるものですね。
かしこ。
2018年01月07日 01:01
MEGA-MIXの補足情報です。
歴代メンバーを簡潔に記します。

SAM … 現TRF。
OZ … ダンサー、格闘家。
CHIHARU … 現TRF。
HIROKO … 石川浩子。ダンサー、振付師。
KAORU … 原田薫。ダンサー、振付師。THE CONVOYの振付実績あり。
JUN … ダンサー、振付け師。ダンスグループ、GYPSYより参加。日本に初めてカポエラを伝える「CAPOEIRA JAPON」を発足。2001年「Meltin'Pot」を結成。SPEED、MAX、DA PUMPらの振付実績あり。
OUJI …安藤旺嗣。ダンサー、振付け師。ダンスグループ、Jungleより参加。
EIJI … 小野永詞。ダンサー、振付け師。ダンスグループ、Jungleより参加。
GOTO … 後藤秀敏。ダンサー、振付け師。現sound cream steppers。
YUKI … 尾形幸則。ダンサー、振付け師。ダンスグループ、DE LA DANCEより参加。現sound cream steppers。
HORIE … 堀江ハルキ。ダンサー。振付け師。俳優。現sound cream steppers。
SANCHE … 阿部雄三。ジャニーズ事務所専属振付け師。
ETSU … 現TRF。
MASAKO … 現在はDJ。ダンスグループ、DE LA DANCEより参加。DJ MASAKO名義で活動。
IZUMI … 松澤いずみ。振付け師。安室奈美恵のライブ演出実績あり。
BEAT … MEGAMIX結成前段階に参加。
TAHEI … MEGAMIX結成前段階に参加。交通事故により現在は故人。

下記インタビュー参照。あしからず。
http://www.tokyo-dance-magazine.com/people/oz/02.html
かしこ。
2018年01月09日 00:26
MEGA-MIX補足情報です。
メンバー増減の動きと簡潔なデータを記します。

1990年12月23日 当時のメンバー構成・・・男性陣SAM氏 OZ氏、女性陣CHIHARUさん HIROKOさん KAORUさんの5人。初期メンバーでダンスグループ「GYPSY」のリーダーも兼任していたJUN氏すでに脱退。(※JUN氏はダンスグループ「GYPSY」の活動に専念)

1990年12月24日 ダンスグループ「JUNGLE」OUJI(※現在は「OHJI」表記)氏 Eiji氏 加入宣言。番組『DANCE DANCE DANCE』内に限りMEGA-MIXメンバーとしての活動を兼任。

1991年3月2日以降 初期メンバーOZ氏 HIROKOさん KAORUさん脱退。

1991年4月 番組改変とともにOUJI氏 Eiji氏(※ダンスグループ「JUNGLE」の活動に専念するため)脱退。男性陣GOTO氏 HORIE氏 YUKI氏 SUNCHE氏、女性陣ETSUさん MASAKOさん加入。大掛かりなメンバーチェンジで8人体制となる。

trf結成前 MASAKOさん脱退。IZUMIさん加入。

ダンサー界隈の認識として。
MEGA-MIXにDJ KOO氏とYU-KIさんが加わり、音楽コンセプトグループ「trf」としてデビュー。ミニアルバム『EZ DO DANCE』発表後、現TRFメンバー体制になる。

※現在の公式的な見解は・・・SUZI KIMさん、DJ Hiro Matsumoto氏は「デビュー時に参加」扱いの模様。

あしからず。


かしこ。
2018年01月09日 01:15
管理人さま、こんにちは。
連投コメントにて失礼します。

1990年~1992年結成時のMEGA-MIXと小室さんの繋がりについて、混乱する情報がありました。

TMNライブツアーのダンサー名がWikipediaなどの情報やブログによって、なぜか「後藤秀雄」だったり「後藤秀敏」となってたりする部分です。

自分でも調べてみました。
公式的なデータやダンサー界隈のインタビュー記事などを読み漁り、総合的かつ簡潔にまとめたデータが先のコメントです。

情熱的なFunksとあるブログに、下記の覚え書きがありましたので抜粋します。

TOKYO BAYまつり☆ホワイトクリスマス■
■~大忘年会~&~SNOW OF THE WORLD~@エデンロック■
エデンロック:12/19 TKトラックスナイト
小室哲哉(TMN)-DANCE REMIX MAGIC
後藤秀雄・遊作勝(MEGAMIX)-DANCE SHOW
小林勇人(Mr2001)-VIRGIN LIVE
1991.12.18と19に行われたもの。
(確か)19日の方だけ行きました。両方だったかなぁ??

実際にイベント参戦した方で、当時のチケットを見ながらの覚え書きだそうです。

自分が調べ上げたMEGA-MIXメンバーのデータには『遊作勝』氏に該当する人物がいない様です。

ダンサー界隈の常識では・・・ダンサーネームを名乗る方が多く、時にはイベントやグループ限定で変名を使う事もあるそうです。

この「後藤秀雄」とGOTO(後藤秀敏)は同一人物なのか、遊作勝は変名やダンサーネームなのか・・・結局わからず終いでした。

誠にあしからず。
青い惑星の愚か者
2018年01月16日 13:27
後藤秀雄は単なる誤記と思うんですが、
そこらへんちゃんと書いていなかったので、追記しておきました。

OZさんのインタビューは私も本記事を書く際に参照しました。貴重な情報ですよね。
ただ色々とお調べいただいて申し訳ないのですが、たびたび書いていますように、ここはTKブログではなくTM NETWORKのブログです。
trf旧メンバーについては「5人以外にも存在した」という以上の詳しい情報は書くつもりはありません。
TKファミリー関係を際限なく書いていると(際限なく書けますが)分量が増えてしまう上に、趣旨が分からなくなります。
その点はウツ木根ソロも同様で、あくまでも当時TMの周りで何が起こっていたかを確認するために書いているものとお考えください。

たとえばTMのCD楽曲やライブ演奏はすべて個別に言及しているのに対しウツのアルバム曲にはいちいち触れていませんが、これはそういうことです。
小室ソロは扱いが微妙なところですが、Digitalian、天と地と、V2などはTMの活動に準ずるものとして、楽曲まで触れています。
Hit Factoryや二十歳の約束は、これよりは大まかに触れることにしました(結局結構詳しくなってしまいましたが、本来の意図としては)。
ソロ活動ですらないプロデュースワーク・楽曲提供については(TKに限らず、木根さんの日置明子なども)、より扱いを小さくして、焦点がぼけないように心掛けています。それでも第六部ではTKプロデュースの影が濃くなってしまったのですが。

以上の理由より、trf情報の修正はしても、大幅な追記はしません。ご了承ください。
かしこ。
2018年01月17日 14:03
たびたびの連投にて失礼しました。
管理人さまの気を悪くしてしまわれたのでしたら、誠に申し訳なく思います。

自分もtrf情報を追記していただきたいという意図は全くなく・・・ただ当時の背景や情報を調べて余計な情報まで提供した事で・・・管理人さまの貴重な時間を削って長文コメントを書かせてしまったのは、本当にすみません。

結果的に管理人さまを悩ませる方向になってしまいました事、この場を借りまして陳謝いたします。

あしからず。

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